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学問

2010年2月17日 (水)

「国民国家システムの限界と地域ガヴァナンスの現状」

あらゆる仕事が遅れていてどうにもならないのだが(…リネーの帝国の発言、もう少し待っていて下さい…)大阪大学世界言語研究センターが進める「民族紛争の背景に関する地政学的研究」プロジェクトの(おそらく)今年度最後のシメの研究会を告知。報告内容などの詳細はフライヤをご覧下さい。

Flyer100220_2日時:2010年2月20日 (土) 13:00から 17:00
場所:千里ライフサイエンスセンター 701会議室 

「1970年代以降の世界経済の構造的変化は、国境を越えた資本と労働力の移動を促し、旧来の国民経済概念を大きく変貌させた。これにより、多くの国家が財政・経済政策の自立性を喪失し、相互依存性と外在的規定性が高まると同時に、国家の統治能力が顕著に低下している。国際政治の面では、統治力が低下した国家を「破綻国家」として例外化し、「人道的介入論」や「対テロ戦争」などの口実の下、超大国の利益保護を目的とした危機に対する共同管理・予防介入体制が構築されつつあり、古典的帝国主義に酷似した侵略的性格が再浮上している。この二つの変化は、世界各地で国民国家システムの内在的・外在的危機の同時進行という帰結をもたらしている。従来の議論では、斯かる構造的変化が主として世界システムの中心と周辺部の関係として論じられてきたが、現実の危機はシステムの中間に位置する国々でも顕著に進行している。中間的諸国の国民国家の揺らぎは、既に現段階でも、排外主義・民族主義の台頭やマイノリティ抑圧の激化をもたらしているが、今後は更に多様かつ深刻な問題を生じさせると考えられる。今回の研究会では、「破綻国家」を巡る議論を批判し、国民国家が統治能力を喪失しつつある現状を各地の事例から確認することを試みたい。」

という感じの研究会を明治大学の佐原徹哉先生を中心に企画して頂きました。僕にとっては今年度最後の司会業…(汗)。例によって、ここでお見せするフライヤは司会者自身の作…(涙)。「大衆政治状況を示す群衆とその行く末を見据える目」という図をもう少しはっきり見せたかったが、「人の顔はぼかしたほうがいいよね」という指導が入ったので不本意ながら…(笑)このように。(というか、こうして縮小画像で見ると、ぼやかしていても僕の意図は伝わりそうだ!)おそらく今年度最後の作。僕はこういうデザインの仕事のほうがむいているようで、仕事を間違えた感あり。しかしこの件、阪大世界言語研究センターともどもどうぞよろしく。(器用貧乏ここにきわまれりとの誹りを頂きそうですが、僕はスウェーデン史研究者であること、お忘れなく!)

2009年2月16日 (月)

バルト・スカンディナヴィア研究会関西支部第一回例会

立春の候、皆様におかれましては益々ご繁栄のこととお喜び申し上げます。平素は一方ならぬお力添えにあずかり、誠にありがとうございます。さて、このたびバルト・スカンディナヴィア研究会は皆様からのご支援をうけ、関西圏における益々の北欧研究の発展を目的として関西支部を発足させる運びとなりました。ここに、その第一回例会に関しましてご案内をいたします。関心のある皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。

なお関西支部の立ち上げを記念するキックオフ企画として、20092月22日〜23日に大阪大学世界言語研究センター主宰で開催されます国際シンポジウム:「コトバの活断層~「民族」認識の座標軸」の一企画として、ワークショップ「アイデンティティの座標ともう一つの文明の分水嶺」が、東欧史研究会の協力も得まして2月23日(月)午後2時以降、千里中央ライフサイエンスセンター5階ライフサイエンスセンターホールで開催されます。第一回例会は、この企画を受けて開催されるものです。今後ともご支援、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

大阪大学世界言語研究センター 准教授 古谷大輔

日時:2009223日(月)午後530分頃〜(上記ワークショップ終了次第)

会場:千里中央ライフサイエンスセンター6階 602会議室

アクセス:地下鉄(北大阪急行電鉄)千里中央駅北出口すぐ)ライフサイエンスセンターのホームページをご覧下さい。

(1)バルト研関西支部発足の趣意と活動内容について

(2)「アイデンティティの座標ともう一つの文明の分水嶺」における古谷大輔報告(スウェーデン)・小森宏美報告(エストニア)への北欧研究から見た総括

連絡先:阪大世界言語研究センター古谷研究室(このブログのプロフィールからご連絡ください。)

2009年2月 4日 (水)

国際シンポジウム『コトバの活断層〜「民族」認識の座標軸』

「僕の明日はどっちだ…」つながりで、僕のかかわるもう一つの国際シンポジウムについて、こちらも紹介しておきます。この2月22日(日)、23日(月)に千里中央ライフサイエンスセンターで、阪大世界言語研究センターが進めている「民族紛争の背景に関する地政学的研究」の国際シンポジウム『コトバの活断層〜「民族」認識の座標軸』が開催されます。関心のある方は、是非ご参加ください。

こちらで僕は、23日(月)午後のワークショップ『アイデンティティの座標ともう一つの文明の分水嶺』で、問題提起、事例報告、総括を務めます。詳細は以下のフライヤーをご覧頂きたいのですが、このワークショップについては、バルト・スカンディナヴィア研究会と東欧史研究会の協力を得まして、バルト海からアドリア海・黒海をつなぐ南北の軸で、例えば、地域における独特な自然認識などに着目しつつ、「市民社会」だとか、「資本主義」だとかいった「西欧」に起源をもつ言説との距離感で設定されてきた「北欧」だとか、「東欧」だとかいった地域概念の措定を解放してみようとしています。まぁ、バルト研と東欧史研の連携の先駆けとして、バルト海・アドリア海・黒海で挟まれた地域を総体的にとらえる試みの先駆けとして、楽しくできたらなぁと思っています。え、「そんなのできんのか?」って…なんくるないさ〜っす。

Liccosecsymp

シンポジウム『着衣する身体の政治学』

明日からこんな企画が神戸で開催されます。関心があればどうぞ。僕は明日のシンポジウムのみコメンテータ…僕の明日はどっちだ。なんくるないさ〜。(下の画像をクリックすると、派手に拡大されます…(汗)。)

Poster Poster_2

2009年1月19日 (月)

スウェーデンのエリート教育改革

センター試験、皆様、お疲れ様。さて、高等教育を巡る改革は洋の東西を問わず深刻な問題になっているわけだけれども、スウェーデンでは、僕も馴染みの深いルンドにある学校が、日本でいうところの現代GP(あるいは特色GP)を二つも得たということが報道された。(詳しくは、DNの1月15日付けの記事を読んで欲しい。タイトルは「ルンドがスウェーデンのエリート教育クラスの二つを獲得!」)スウェーデンも例のボローニャ宣言以来の高等教育改革の波に巻き込まれていて、(かくいう僕もそのプロセスの一つに位置づけられるエラスムス・ムンドゥスのユーロ・カルチャーで今度ウップサーラ大学へ教えに行くのだけれども)、スウェーデン高等教育庁のホームページを見ると、様々な改革プログラムの記事が踊っていて、追いかけるだけで大変だ。

今回の記事の肝は、ルンドにある二つの学校(日本で言えば高校レベル)で実験的に物理と歴史のエリート養成クラスが設けられ、そのクラスはそれぞれの分野で大学院博士レベルで研究実績をもつ者が教育を担当するもので、博士レベルの研究実績をもった教員による教育課程であるという点が評価されたという。このプログラムに参加する研究者はそれで単位も得られるし、副産物として高度な研究実績をもった教員による高校教科書の執筆など成果も期待されているらしい。スウェーデンでも博士レベルの研究者の研究機関への就職は非常に困難な状況にあるが、彼らの一時的な就職先と大学学士課程入学前の段階における教員のレベルアップと学生の学力向上を兼ね備えたプログラム。こうした博士レベルの研究者を教育現場にフィードバックさせることで中等教育の向上を見る実験はすでにフィンランドでの成功例が知られているので、これといって目新しいプログラムとも言えないが。

今回、このスウェーデン版GPのモデル校として歴史コースを設定することで選定された学校は、北欧随一の伝統と歴史をもちスウェーデンでも有数のエリート輩出校として知られているKatedralskolanだ。1085年にデンマークの聖クヌート(クヌート大王とは別人、スコーネに権力基盤を置いていた「最後のヴァイキング王」などとあだ名されるスヴェン・エストリーズセンの嫡出子であったクヌート4世)の寄進で作られた北欧最古の学校であって、読んで字のごとく、もとは北欧最初の大司教座が置かれたルンド大聖堂に付属して聖職者養成で知られた。僕はかつてルンド大学歴史学部に留学していたが、その頃からよく博士課程の連中はここに教えに行っていたことを記憶している。歴史学のエリート養成コースがここに置かれたというのは、そうしたルンド大学との深い関係を物語る例と言えるが、とはいえ、歴史教育の重視は、スウェーデンの歴史を回顧することで再びあるべきスウェーデン国民性の陶冶を図るといったようなことでは全くない。

昨年公表された我が国における高校の新学習指導要領の総則で「道徳心の養成」が謳われたことは広く報道されたが、我が国の指導要領をよく読むと、世界史A・Bにおいては日本史を含めた歴史への関心を高めるように歴史教育の内容を充実させるとある。それはそれで僕は個人的に妥当な流れだと思う。日本はあまりにも国史と世界史の違いを意識しすぎた。もとよりスウェーデンにおける歴史教育には国史と世界史の違いはなく歴史という科目しかない。スウェーデンの歴史は広くヨーロッパと世界の歴史の中に置いて教育されるのが当然であった。2005年のボローニャ宣言以来、ヨーロッパ市民の醸成を図るべくEUレベルでの高等教育改革を模索する流れが強化されていることは我が国でも知られていることだが、そうした目的を達成するために、国史と世界史との壁のない歴史という科目が選ばれたことは至極当然だろう。(「歴史学こそ諸学の雄」という話はここでは触れないでおくけれど(笑)。)そうした傾向と関連して興味深いのは、1月15日にルンドの記事が報道された直後、高等教育庁のホームページにおいて「歴史(教育)はさらなる国際化が必要である」との提言が公表されたことである。このことからも推測できるように、現在のスウェーデンで歴史教育重視の傾向は、明らかにヨーロッパ市民の陶冶を目指すボローニャ・プロセスを背景とするものだろう。

しかし、言うは易く行うは難し。歴史教育の国際化は、教育の対象となる時代も地域も概念も多種多様に用意されるというわけだから、これは教育の現場も今まで通りでは対処しきれない。そこで、我らがルンド大学の出番というわけだ。今回のエリート教育改革は一方で優秀な教員の養成という目的があるわけだけれども、ここにスウェーデンの大学というよりは、デンマークとスウェーデンの垣根を越えて北欧の大学として歴史学研究を発展させてきたルンドが選ばれたところが興味深い。(思えばかつてルンド大学にいたときも、今度ウップサーラ大学に行くときも、僕は「日本人の歴史学研究者」というレッテルから逃れようもなく、先方から日本と北欧の歴史(それは交渉史もあれば、史学史もある)を求められるのだけれども、そうした要請の建前には「スウェーデンの歴史には国際化が必要なんだ」という言葉があって、そういう言葉をもらう度に僕はやりがいを感じている。)今回の報道では歴史コースのほかに物理コースもルンドで選ばれているが、ルンド大学には北欧最大とも言われている高エネルギー加速器があって、各国の物理学者が盛んに往来していたように記憶している。となると歴史にせよ、物理にせよ、(あるいは人文学だろうが、自然科学だろうが、)学問分野の如何を問わずスウェーデンの枠を越えるエリートの要請という点が、今回の決定の肝なのかも知れない。

センター試験が終わったばかりだけれども、さぁて、僕らの国はどうしよう (^_-)

2008年5月12日 (月)

松江はやはり「美しかった」…日本西洋史学会第58回大会を終えて

松江から大阪に日本西洋史学会を終えて帰ってきました。まずは島根大学の関係者のみなさん、学生のみなさんのご尽力に心から感謝申し上げます。僕はちょっとした個人的な感慨とともに今回の学会で得られた経験は忘れることができないものになると思います。

学会に参加するのは二年ぶりのこと。昔なじみの面々…これまでもお世話をいただいてきた先生や編集者の方々、今は各地に散らばってしまって普段お会いできない先輩・後輩のみなさんと(いろいろと不義理を働いてきたにもかかわらず)今回の学会で久々にお会いしたとき、皆さんから暖かいお言葉を頂けたこと、これが一番嬉しかったことです。会う度、話す度、目頭の熱くなることを感じました。すみません、松江の美しい景観にもほだされて感傷的な気分になっています。けれど、皆さんのお気持ちは僕に爽やかなやる気を与えてくれたことは確かです。だから、心から「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べさせてください。

さて、肝心の学会ですが、日曜日の午後に小シンポジウムを控えていたこともあり、土曜日の基調講演を除けば、シンポジウムにむけて最後の最後まで準備作業に時間を費やしていました。小シンポジウム「近世ヨーロッパにおける戦争と国家〜「軍事革命」の彼方へ」にご参加下さった皆様、あらためて感謝申し上げます。松江からの帰りがけにお会いした方々の話を聞きますと、小シンポジウムは古代史の衰退のセッションも、近世の気候変動のセッションも、なかなかの盛り上がりだったようで、嬉しく思います。(個人的には、「ブドウ栽培とワイン醸造」の話を聞きたかった…というか、「戦争」と「気候」のセッションを結びつければ、17世紀の全般的危機論争を総括できそうでさらに面白かったと思うのです。)

「戦争」の小シンポジウムはいかがでしたでしょうか?皆様から頂いたご助言は今後の僕たちの共同研究に必ずや反映させていきたいと思います。僕個人の報告は、ちょっと無難すぎたでしょうか?かみかみのプレゼンではありましたが(…自己演出をリハーサルするだけの余裕はありませんでした…)、スウェーデンにおけるモデル的な「軍事革命」の整理→スウェーデンにおける軍事経営の実態の整理→バルト海世界における戦争の経験がスウェーデン国家の展開に与えた影響という流れをスッキリと整理することに努めました。いみじくも僕が卒論→修論→就職以降現在で勉強してきた内容を総括したようなものだったことは、セッションが終わった後、僕を古くから知る人たちから鋭く指摘されました。確かにそうだったかもしれません。ある意味、今までの自分を総括して新しい自分へ向かいたい(…つまりこのブログでの発言で言えば、「リンネの帝国」へと…)気持ちの表れだったかもしれませんので。

「戦争と国家」と「軍事革命」論の批判との関係については、小シンポジウム全体でより明確に話しを進めても良かったかなと個人的には思っています。今回のシンポジウムでの議論の出発点に置かれたJ.ブルクハルトの所説は、彼自身がドイツの研究者だということで、O.ヒンツェやM.ウェーバー以来のドイツ国制史の伝統を踏まえたものです。近代国家に関するウェーバーの有名なシェーマを挙げるまでもなく、この伝統には戦争が国家構造に与える影響を論ずる視角がすでに内包されていました。これに対して、戦時における「軍事革命」論は、アングロ・サクソン系の研究者によって主に主張されてきた議論です。アングロ・サクソン系の研究者の論調も、一方では軍事経営の技術論を中心に展開するものと、他方では集約化された国家構造論を中心に展開する歴史社会学のものとにわかれているところがあります。後者の議論は、その発想の源泉の一つにウェーバーの存在がありますから、その部分で「戦争と国家」と「軍事革命」論はなんらかの結びつきを得られるということになります。

軍事経営の技術論に限定された「軍事革命」の説明と、その結果としての戦争の変質に伴う集約的な国家経営の発展というシェーマは、大変理解しやすい考え方であり、「近代以降の国家経営がいかにつくられてきたのか?」という先験的に設定されてしまっていた問題関心に、格好のモデルを提供してきました。僕たちは歴史学者ですから、モデル化されたイメージを先験的に有してそれを歴史事象に当てはめるということは極力さけねばなりません。「軍事革命」論が「近世の戦争の変質が近代国家の原点をつくる」というイメージをあまりにも強烈に植え付けてしまったが結果、近世の戦争と国家の関係の実態が見えにくくなってしまっていたのです。そこで今一度、僕たち近世史研究者の目をまっさらな状態にして近世の戦争に絡む史料群を再検討し、戦争に絡むところで近世の国家・社会・文化の実態はどうだったのかを解明しようということが、「「軍事革命」の彼方へ」というサブタイトルの真意だと思います。

そもそも「軍事革命」論の嚆矢となったM.ロバーツの議論が17世紀の全般的危機論争のなかから生まれてきた経緯を思うならば、もともとこの議論が生み出されてきたときにあった問題関心は「近代国家の原点を措定する」ということではなく、ルネサンス・宗教改革・いわゆる「大航海」の後を受けた17世紀の時代文脈(そこには気候変動という要因も含まれる!)における政治・文化・社会の実態を問うということに置かれていたはずです。そして、16世紀から17世紀にかけてに存在した近世ヨーロッパ独特の政治文化なり、政治社会なりを問うことこそが僕たちがやるべきことなのであって、それであればこそ複合国家や混合王政といった近世国家の実態に、戦争という現象(あるいはその時代に共通するプラットフォーム)から肉薄することが求められていると言えるのでしょう。そういう意味で、近世ヨーロッパの実態に即した「戦争と国家」の研究は、「軍事革命」論を批判(あるいは批判的に継承)し、「軍事革命」論の彼方にこそはじめて求められるものなのです。

というわけで…誰とどこで飲んだとか、誰とどこではっちゃけてたとか、「あれ、なんでパワポで飛び道具を出さなかったの?」とか(…WindowsのOffice 2003はだめ、本当にだめ!MacのOffice 2008でつくったパワポファイルがまったく再現されない!みなさん!なんでマイクロソフトはOffice 2007以降、docxとか、pptxとか、XTMLの集合体であるファイルに移行したか知っていますか?それこそ、異なるプラットフォームの上でも読み書きの可能なXTMLという共通言語でつくられたファイルにすることで、ファイル内容の再現を完全にするためという理由によるのですよ!結局、Office 2003が使われ続ける限り、そんなマイクロソフトの意図は全く実現されないままになってしまうことになりますが…)、そんな裏話は一切なしで今回の学会の発言を閉じます。今回の学会の思い出は本当によいものだったから、個人的に「美しい」ままの記憶として心に秘めておきたいので…。(でも最後に一言。今回の学会で爪切りは買いませんでした…爪も「美しく」切り揃えられていましたからね…ということでこお発言のオチはつきましたね?!)

2006年10月15日 (日)

泣きたくなる厳しい現実

僕は大学の研究活動を推進する部署で働いています。今はこの秋の科研費申請をプロモートすることで右往左往しています。国立大学法人をめぐる研究環境の将来が不透明で、財政的に厳しい状況だからこそ、自己防衛の手段としてなるべく多くの先生方に科研費申請をお願いしています。おそらく、この時期、日本全国のどの大学もそんな感じですよね。僕も毎日、毎日、会う先生、会う先生に、申請は一つといわず、共同研究プロジェクトをどんどん企画して複数の申請に絡むよう頭を下げています。しかし…独立法人化前に専攻語を越えた研究推進体制がなかったこの大学のあまりに腰の重い現状に、正直苦戦しています。

科研申請なんて研究者として当然のことだと思うし、共同研究の企画を立てるブレインストーミングの段階はあれこれあって楽しいものだと思うのだけれど…どうやら、そのような研究者マインドはこの大学では「異常」なようです。こんなことを書かなきゃいけないのは悲しいけれど、ふつうは研究費ってものは自分の研究成果を正当に評価してもらうことによって得られるものであって、それは自分の研究の社会的意義を主張できる機会でもあるって考えるものです。

「この大学をめぐる冬の時代にあっては無理に共同研究を企画するよりも、むしろ個人での研究をしっかりしたほうがよい」といった意見もあって、その主旨はおおよそ理解できます。学内からの批判を覚悟のうえであえて発言させてもらいますが…それで共同研究の構想力も示せないまま長年やってきた結果が、これといった競争的外部資金を取ることのできないこの大学の研究力の現状に結びついていると僕は考えます。

外国語大学は、語学教育も重要なミッションの一つとしてある大学です。従って、必ずしも社会のニーズとはそぐわないところで、しっかりとその教育環境を護持していく必要があります。こうした考えに立ち、この大学は「護送船団方式」で学内の研究研究費で教員を保護してきた経緯があります。ところがあその結果、「井の中の蛙」よろしく、外部とは没交渉な研究環境が生み出され、自分たちの力で自分たちの研究の意義を主張する術の誠に不得意な環境が生み出されてしまった。これは外国語大学ゆえの構造的な欠陥と理解して良いのでしょう。

すべての先生方とは言いません。この大学には研究者としても、教育者としても立派な先生方がいらっしゃいます。そうした方々は、研究推進の方向性についていつも悩みにのっていただき、的確な批判や助言を頂いています。しかしその一方で呑気な人たちがいることも事実です。残念ながら、来年、再来年以降の大学からの研究教育費の先行きについて、どうなるか僕は全くわからない。科研費申請には、「外国語教育」のような研究細目もありますから、「萌芽研究」でもどんどん申請を!研究に生きようと、教育に生きようと、今の時代にあっては自分と学生とが共になって勉強する環境は自分たちの手で守り、発展させていかねばならないのです。

2006年2月21日 (火)

「東欧」も「北欧」も悩みは深い…

週末は土曜日に東京外大本郷サテライト(!)で催された東欧史研究会で報告をするために上京していました。東欧史との関係でいえば紆余曲折のあった僕の研究人生ですが、伝統と実績のある東欧史研究会で報告できたことは個人的に大変嬉しいことであり、お招きいただいた研究会の方々には感謝申し上げます。研究会自体もその場に集っていただいた若手の論客の方々と厳しくも有意義な議論を展開することができ、実にすばらしい時間を共有できました。

当日の報告会を反省すると、第一に今回の研究会で設定されていた中近世史における地域概念の方法というテーマからすれば、僕が扱ったアイデンティティ論はテーマ上「ズレ」があったと思います。とはいえ、東欧史研究会の方々との議論を通じて、地域に接する視覚・関心の「見えざる」差に気がつかせてもらった点は最大の収穫です。従来のナショナルな歴史叙述や東西二項対立的な歴史叙述を相克する方法として、地域概念という方法枠をもって臨むという態度は有効である点に、「東欧」も「北欧」も差はありません。しかし冷戦崩壊以降「東欧」の示す意味・範囲が崩れてしまった東欧史研究の抱える「「東欧」とは何か?」という問題への深き悩みは、未だ当然のように「地域」の一体的存在が神話的に語られる「北欧」の研究の比ではありません。この問題は、例えば山川出版社の新版世界各国史に「東欧史」がなく、『バルカン史』、『ドナウ・ヨーロッパ史』・『ポーランド・ウクライナ史』に分裂していることからもわかってもらえるでしょう。

地域を示す「北欧」という言葉の場合、日本語では「欧(ヨーロッパ)」という概念が明示的に現れますが、しかし北欧語では地理的概念(あるいはラテン的世界概念)に起源をもつSkandinavienと、19世紀に起源をもつNordenが存在するだけです。東欧史研究会では、「西欧」や「ロシア」との歴史的・文化的な接触・対抗関係が重視される「東欧」概念を念頭に、「北欧」ではEuropaという概念がなぜ明示されないのかという問題が提起されました。もちろんNordenという語彙の場合、それが暗に「西」、「南」、「東」といった概念に対置させられているわけで、「西欧」や「東欧」の歴史的展開を背景として、Nordenとしての「北欧」の意味も相対的に決定されていることは僕も理解できていました。しかし、より大きな準拠枠としての「欧(Europa)」とは何なのでしょうか?これに僕は答えることができませんでしたが、この「欧(Europa)」という準拠枠の同時代的な有り様が示されねば、「東欧」も「北欧」も「西欧」も「南欧」も加わった地域概念の検討という方法が可能にならないでしょうし、逆にそれら東西南北の相互の相違点や相似点を示すだけでは、「欧(Europa)」が何なのかという問題に迫ることもできないでしょう。例えば、今回の東欧史研究会で北欧史研究者である僕が報告したような試みが成功を収めるには、その点を共通の問題にする必要があるでしょう。

第二に「北欧」のアイデンティティ論については、「東欧」という概念が方法概念としても実態概念としても批判されている現状に比較して、「北欧」という概念は歴史的にも今日的にも批判の対象とされてきていない点がアイデンティティ形成のパターンを論じる上で重大な違いだということに気づかせていただきました。「北欧」アイデンティティが形成される際の構成要素は、ヴァイキング期、中世、近世と「北欧」の過去の事例から参照されている場合が多く、(…無論、それらアイテムをつなぐ「接着剤」は大陸ヨーロッパで開発された社会思想を横領している場合が多いのですが…)今に至る「北欧」アイデンティティのアイテム自体は「北欧」史のなかで自明なものとして準備されているものですから、「北欧」は方法概念として単に現在相対化されるものではなく、中世だったら中世の「北欧」、近世だったら近世の「北欧」といったように、同時代的な実態概念を伴う歴史的概念としても説明しうると僕は判断しています。それゆえに『「北欧」アイデンティティの歴史的展開』と論題を銘打って、今回の東欧史研究会では報告しました。しかし、アイデンティティとしての「北欧」が歴史的概念だとする議論は、「東欧」という概念自体が成立していない現在に「東欧」批判を行う人から見れば、地域概念としての「北欧」を批判する方法の視角としては、批判のベクトルがどこに向かうか曖昧であるようにに映ったようです。

批判のベクトルがどこに向かうのかわからないという批判は、「北欧」を考える者の思考の枠組みを客観的に考えるうえでは重大な批判です。今「北欧」を批判しようと試みる者は、一体なにを批判しようとして「北欧」を対象とするのでしょうか?確かに冷戦崩壊とEU拡大の後、「北欧」を批判する論調は盛んになりましたが、しかしそれは所詮第二次世界大戦以降の「北欧」概念が成り立たなくなったことに対して、それを代替するものを模索しようとする試みでしかありません。この論調のなかで、「北欧」はいぜんとして「北」の「ヨーロッパ」として残り続けています。つまり「北欧」を批判するからといって、それを作り上げてきた構成要素自体は「東欧」のように否定されるわけでもなく、「北欧」の場合にはそれら構成要素が「北欧」を構成している五カ国によって共有されているものがほとんどだから、ナショナルな歴史叙述が相克されるわけでもありません。それゆえに、今回の研究会で「北欧」を歴史的概念として取り上げる点に頂いた批判からは、「北欧」を研究する者がなぜ「北欧」に対して不感症になる傾向があるのか(…あるいは「北欧」へのユートピア的イメージがなぜかくも我が国で払拭されずに拡大再生産され続けるのか…)ということの理由になるとの閃きをいただきました。

僕としては「北欧」アイデンティティの歴史的展開を追うことで、様々な時代における地域住民の自己理解形成のパターンを示し、そのパターンのいくつかは「東欧」を考えている人たちと比較検討できると考えています。研究会の場で僕の報告をフォローしてくださった方のコメントを引用させてもらうならば、「北欧」を歴史概念として扱うことの有効性は、歴史概念としてのフェーズをいくつかに腑分けして発揮されるものだろうということ。これは今後の課題ですが、それぞれのフェーズを分割・整理すれば、「北欧」も「東欧」も比較可能な部分も見いだせるはず。そして、ここで言う地域住民に懐胎されてきた歴史概念としての地域を意識させる局面(フェーズ)の一つ一つが、「欧(ヨーロッパ)」というより深く広い準拠枠を構成し、成立させる要素なのだろうと感じています。こうしたことに迫るためにも、例えば僕のような北欧研究者が東欧史研究会で報告したり、逆に東欧研究者がバルト・スカンディナヴィア研究会で報告したりする試みに意義があります。いろいろと厳しい批判と反省すべき点のあった今回の報告ですが、東欧史研究会の懐の深さと論客の方々の明晰な議論を通じて、その可能性を感じた次第。僕はといえば、最終的には東欧史と僕の紆余曲折の理由も話のネタにして(…飲み会でこの話しを聞いた人には、なぜ僕がこのような視点から研究をしているのかはっきりとわかってもらえた筈です…)、しっかりと交流は果たしました。

2005年12月29日 (木)

分裂する「私」〜江ノ島合宿を終えて

26日より二泊三日で、とある研究会の研究合宿により江ノ島に逗留しました。冬の江ノ島なんて、かつて大学院生時代に本郷時代の旧友と訪ねて以来。とはいえこの研究会、(昨夏はケインブリッジでも集中的に研究合宿を行ったのですが、)その参加者は皆日本中の各大学にいらっしゃる「第一線」級の西洋史学研究者が集合する会であって、しかもそれぞれ実績のある研究者ばかりであるのにこの場にあっては皆が一人の歴史学徒に戻り、自分の専門とは異なる時代・対象を逐一討議する会です。各自がそれぞれ大学で職を持つようになってもなお、こうした勉学の機会を提供してくれる主催者の東大西洋史の近藤和彦先生の指導力には敬服するばかりです。一度大学へ就職してしまうと集中的に勉強できる機会と、なにより「先生」という呼称を離れて厳しい批判を頂戴し、自らの研究を沈思黙考して反省する機会を得ることは難しいからです。

今回は将来的に活字化へ向けて各自が取り組んできた研究論文のまとめの討議だったのですが、今回の僕の報告は一網打尽というか、集中砲火というか、大学教員になって以来もっとも厳しい批判を得ました。この研究会はかれこれ四年目を迎える会ですが、お互いが勝手知ったる仲だからこそ厳しい意見を頂けるということもあるでしょう。僕としては、それぞれが尊敬する各分野の研究者から頂けたいずれもが的確な、そして建設的な意見だったと思い、そうした指導を得られただけでも2005年末土壇場の三日間を江ノ島で過ごした甲斐があったと感じています。

僕の論文は、この三年ほど取り組んできた近世スウェーデン「複合国家」論とその構成要素たるナショーン概念の実態、さらに複合するナショーンの統合軸としての祖国概念を、それぞれ別個の三章構成として整理したものでした。これは忙殺されていたなかでとった苦肉の策でしたが、途中でナショーン概念の説明を媒介させてしまったがために、大枠としての「複合国家」論と祖国概念の対応が見えにくくなっており、結果として論文全体の構成がちぐはぐになっているという…致命的な問題を路程させてしまいました。一言でいって大幅な論文構成の見直しが必要という「駄目出し」との判定を頂いた訳ですが、論文の形式的問題以上に今回の研究会で僕は、僕が研究者として抱えるジレンマを明白に学んだと感じています。

第一のジレンマは、いわゆるナショナリズムの到来する以前の「スウェーデン」像を明示させようとしてナショーン概念の実証を行えば行うほど、重層的に複合するナショーンを統合して存在する「スウェーデン」自体が見えにくくなる一方で、それらナショーンを統合する軸として「祖国」という概念を主張すれば、それはナショナリズム論にいう連続的な原初論に近い議論になるという論理矛盾に陥っているという点です。これは近代以前の「スウェーデン」の実態を、内容説明に力点を置いた論証ゆえに起きる問題であり、僕自身の論証の形態を形式論にすり替えれば、解決の糸口を見いだせるものかもしれません。しかしながら「スウェーデン」の内実を語らずに形式のみを論じようとする立場には、西洋史学研究者ではなく、「北欧」地域研究者としての僕が許さないところがあります。

ここに第二のジレンマが導出されてきます。すなわち西洋史学研究と地域研究との間で分裂する僕という問題です。今回の研究会で報告された数々の他の研究者の方々の誠に見事な史料操作と解釈の術はいずれも敬服に値するものばかりですが、例えばイギリス史研究とスウェーデン史研究ではその実績に大きな開きがあり、我が国における北欧史研究のいわば第二世代にあたる僕のような人間は、我が国で知られることのない史料そのものの内容を読み込んで、「スウェーデン」の内実を「紹介」する地域研究者としての役割を感じてもいます。一騎当千の強者たちによる見事な「戦術」を知ってしまえば、こちらも「戦略」を見直さねばなりませんが、例えばイギリス史研究と同水準でスウェーデン史研究を語ることにはまだまだ時間が必要だと反省するばかりです。もちろん僕が近世ヨーロッパの国家論研究者であると割り切ってしまえば、そんなことに悩む必要もありませんが、我が国でも数少ない地域研究のメッカである大阪外国語大学で生活を過ごしてしまえば、「北欧とは何か」(あるいは日本にとっての北欧とは何か)といった命題にも果敢に挑まねばなりません。

2005年7月30日 (土)

歴史実践ということ

集中講義明け(…正確には鶴橋での宴に参加して午前様になってしまいましたが…大阪教育大の田中先生、渡辺先生、遅くまでおつきあいくださいましてありがとうございました。学生君も含めて、とても楽しいひとときでした…)ではありますが、今日は東京大学文学部に飛びまして、近藤和彦教授が主催される研究会へ参加しました。

これに出席するたびに思うことは、今は大学で教員をしている者もみな一歴史学徒に戻って真摯に「勉強」する時間が共有され、「歴史学の醍醐味とは何なのか」…普段の多忙な教員生活のなかでともすれば忘れがちな根本的な命題を再確認させてくれることです。この研究会に参加されている方々は僕のような若輩者から見ればまさに「一騎当千の強者」ばかりで、自然とこの研究会で展開されてくる議論も「頂上決戦」といった白熱した雰囲気(…任侠映画ではございません…しかし歴史学の「仁義」は徹底している場です…)を呈しています。主催されている近藤先生は学問が生成される「場」の本質を常に大切にされていて、問題関心を共有する人を集めて切磋琢磨する環境を提供していただけることにいつも感謝しますし、普段からお忙しい身の上であることを考えれば深く感心します。僕はいつもその末席にあり、一学徒に戻ってひたすら勉強するばかりです。

(今年も検見川で近藤先生のゼミ合宿があったようですね…集中的な勉強の場は主催する側も、参加する側も精神的・肉体的に大変だと思いますが、その場で共有された意識や連帯感は後々何事にも代え難い財産になりますね。)

今回は青山学院大学の安村直己助教授が『グローバル・ネットワークの展開と歴史実践の序列化』というテーマで大変刺激的な報告をなされました。歴史や記憶が構築される過程を「書き手」側だけの問題ではなく「読み手」側の問題としても設定し、「書き手」も「読み手」も歴史を発話することによって、歴史構築の営み…すなわち歴史実践へ積極的な関係をもちます。そしてそうした歴史実践は話者によってのみ完結する自律的な行為ではなく、その実践の過程では背景や戦略の異なる他者による歴史実践との間で交渉が行われ、階層化・構造化が進展していきます。そうした序列化の過程がスペイン統治下のメキシコを事例としながら、理知的に論じられました。

この場に参加されていた北海道大学の長谷川貴彦助教授が、安村さんがなされた歴史実践という視角は歴史のもつ構造的側面と機能的側面を融合した包括的な視点だと賞賛されていましたが、僕個人としても、歴史理論といえばとかく言葉じりだけをとらえた感覚的な言葉遊びに終始する上滑りな議論が多いなかで、安村さんが史料批判のうえでメキシコ住民とスペイン統治者の双方における歴史構築の過程に解釈をくだされ、歴史実践というより普遍的なシェーマにたどり着かれている安村さん個人の着実な歴史実践の過程に深く感動しました。

歴史の構築過程は決して文字媒体によるものだけに関わらず、伝統的な文化的・社会的枠組みを背景に構成された身体技法という点も含めれば意識・無意識の差を超えて、歴史を発話した時点ですでに歴史実践に参画することになります。これまでの歴史実践に対する議論では主体的にそれを発話する「書き手」側の立場が重視されてきた一方で、一般的には「読み手」はそうした歴史実践の受容者として「階層化」されていたわけです。ですから様々な同時代の歴史実践の間で秩序化はあるものの、後者に歴史と記憶の違いを問わず実践の主体性を認めた議論は斬新です。

先の大阪教育大での集中講義において僕は「北欧」アイデンティティを批判する講義を行ったのですが、この歴史実践の議論をうかがったあとでは次のように整理できます。国際情勢など同時代的な北欧地域における問題関心から社会的エリートを中心に構築された理念的な「北欧」アイデンティティは、実際のところ北欧地域の住民にしてみれば「北欧」アイデンティティを構築したエリートによる歴史実践の「文法」に学びながらも、各自の依存する生活環境の実態に応じてより限定的な「ナショナル」アイデンティティを胚胎させる歴史実践を行っていきました。それゆえに、現実の「北欧」は北欧諸国に分裂しています。エリートたちによる理念的な「北欧」アイデンティティの構築でさえ、彼らが想定した「西欧」的価値観をカウンターアイデンティティとして序列化を行い、それとは異なる世界観を構想することによって作り上げられたものです。

例えば、今述べたような「北欧」アイデンティティの文化的構築の過程を論じる上でも、実に魅力的な安村さんの議論でした。そしてもちろん、この知的ハードな研究会はいつも会が終わった後の懇親会も爽やかに盛り上がる!昨夏はこのメンバーで数日間ケンブリッジの町中のパブをめぐったことも懐かしい思い出ですが、こんなに楽しくアフター研究会が盛り上がれる会も、そうそうあるものではありません。

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