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音楽

2012年2月 5日 (日)

ドゥダメルのこと〜リハビリ的ブログ発言(1)

時間のなさにかまけてブログの発言をだいぶ怠っている。リハビリを兼ねて、少しづつ発言を再開していこうかと思う。まずは好きな音楽のことから。

欲しいモノを120%買うという志を曲げず、昨年もいろんなモノを購入した。そんな昨年購入したモノのなかでも、クラシック音楽の音源のなかでは現在ユーテボリ交響楽団の首席指揮者を務めるドゥダメルの、同楽団との初のアルバム(ブルックナーの9番、シベリウスの2番、ニールセンの4番&5番)が一番「おもしろい」録音だったと紹介しようと思っていた。

このアルバムの演奏ははっきり言って繊細などというものからほど遠く、かなり荒削りの部分があるものの、「あぁ…ここらへんはきっとスウェーデン人の演者たちが顔を見合わせながら、「オイオイ(スウェーデン語でもOj, oj)」とかつぶやきつつ、ライブでは演者も聴衆も「ニヤニヤ」してるんだぜ…きっとそうだよ…」と想像させられる…一言で言えば、彼のもとでの「楽しさ」が聞き手にも伝わってくるそんな録音だったからだ。

例えば、そんなドゥダメル流の一端は以下の動画でも伝わってくる。教皇猊下の御前演奏というのに、どうだろう…このオーバーアクションぶり。ときたま映るベネディクト16世の表情は頭を抱えているようにも見えるほどで、この動画の初見時、僕は思わず口に含んだコーヒーを吹き出した。賛否両論あろうが、「オイオイ」とつぶやきたくなる昨日の鬱憤をこんな演奏でスカッと晴らして、明日は「ニヤニヤ」と過ごすのも悪くない。

2009年10月30日 (金)

ヨッフムに猛省を迫られる

くそみそに忙しいので、やけくそがてら音楽の与太話を。僕にとってオイゲン・ヨッフムと言えば、中学生の頃、僕にeuと綴られたドイツ語の発音がオイであることを知らしめてくれた…そんな程度の指揮者だった。ヨッフムの指揮したカルミナ・ブラーナだとか、ブルックナーのミサ曲だとか、そうした類の宗教曲は好きだった。けれどもヨッフムによるブルックナーの交響曲は、今まで聴くことはなかった。もちろん知らなかったわけではない。中学生時代にNHKで見た晩年のアムステルダム・コンセルトヘボウとのブルックナーの演奏(5番だったか)を見たときに、「こんなおじいちゃんが、よくもこんなにもバリバリと音を出すものだ。」と感心したことを覚えている。でも「ブルックナーと言えば、朝比奈だ。」とか、「いやいや、マタチッチ。」とか、「何をおっしゃる…クナッパーツブッシュでしょう。」とかいった話が巷でなされるとき、必ず「やっぱり、ヨッフムだよね。」とかいうかたちで彼の名前もあげられると、中高生の頃の僕は、茨城の田舎者だったにも関わらず小生意気にも、そんな「ブルックナー指揮者」とかいう話に与するのが大嫌いだったので、ヨッフムによるブルックナーの演奏を自然と毛嫌いするようになってしまっていた。


ブルックナーが嫌いだったというわけではない。今でも日常のなかで突破力が求められているときなどに、僕は好んでブルックナーを聞いて気分を高揚させることがある。そんな僕にとってのブルックナーはいつもカラヤンによる演奏だった。高校生の頃カラヤンが死んだ時に聞いた彼の最後の管弦楽曲の録音であるウィーン・フィルとの7番交響曲(そしてその直前の8番交響曲)が決定的だった。浪人したときにはじめた東京生活で仕送りされてくるお金を少しづつ貯めて、ようやくカラヤンによる全集を手に入れた。統一直後の頃のドイツからの輸入盤で、あろうことか2番交響曲のCD収録にミスがあり、なぜかリストの交響詩集になっていたのだけれども、それを購入したレコード店にかけあったら即座に2番交響曲のCDを手配してくれ、「東京で生活するということは、こんなに便利なものなのか!茨城では考えられない!」と実感した思い出のある全集だった。ここからはじまってたぶんカラヤンのディスコグラフィにあるおおよそのブルックナー録音は手元にあるのだと思う。カラヤンの演奏は、上述のブルックナー好きの人たちからすれば、ときに邪道に値するものだろう。きざったらしくベンヤミン的に言うならば、複製技術を多用してクラシック音楽を大衆化させた結果、「ブルックナー的アウラ」がカラヤンの演奏には失われている…といったところか。


(カラヤン論はいずれどこかでやってみたい気もするのだが、そもそも人類の歴史はある意味情報の複製の上で展開してきたことを思えば、複製芸術っていったものは現代社会に限られた問題ではないと根本的には思っているのだが、カラヤンについて言えば、複製芸術としてのクラシック音楽を大衆化することに功績があったことは事実だろう。けれど、だからといって大衆化の結果「アウラ」が失われたわけではなく、例えばカラヤンは世界中の音楽マーケットがもとめた需要を巧みに活かして、自ら「帝王」としてのカリスマを築き上げたと理解するならば、複製芸術時代に大衆化されたクラシック音楽に適応する新たな「聖性」あるいは「アウラ」をカラヤンは築き上げたのだと評価すべきだろうね。ここで注目したいのは、複製芸術時代に対応した新たな音楽のあり方を模索したもう一人の人間であるグールドの存在。グールドはスタジオ録音に引き籠もって、臭ってきそうな不潔っぽい風貌でも、「オタク」芸術の極致として音楽マーケットに新たな「聖性」を獲得した。かたやカラヤンは、ポルシェやジェット機に美麗なモデルあがりの何番目かの奥さんを乗せてたりするような、華麗なプライベート生活をも武器として、大衆が羨む「セレブ」としてのイメージをバリバリと振りかざし、音楽マーケットに「聖性」を確立した。「オタク」と「セレブ」という両極端に位置する者が、大衆消費社会に応じた新しいクラシック音楽の「聖性」を得る過程で、共に複製技術に着目していた点は興味深い。かくかくしかじかで…大衆消費社会における「聖性」の創生を技術に裏付けて成し遂げたという点で、僕はカラヤンの最新技術をバリバリと取り入れた「工学」的音楽も大好きで(…そういう意味で僕はもちろんグールドも大好きだが…)、例えばブルックナーで言えば、カラヤンは第二次大戦中の1944年にプロイセン国立歌劇場管弦楽団と8番交響曲の第4楽章のみを…な、なんとステレオ録音していたりする。1944年の時点のステレオ録音というだけで…技術好きな僕にはたまらないのだ。)


僕は今でも浪人時代にようやく手に入れたカラヤンの全集をことさら愛聴しているけれども、大学教員となった大阪での今の生活は一撃必中の正面突破を求められる毎日なので…とりわけここ一週間あまりは…カラヤンとは違うブルックナーが聴きたくなった。例によってiTune Storeのブルックナーの品揃えはあまりよろしくないので、急遽昔なじみのレコード店から廉価版というだけでヨッフムがドレスデン国立管弦楽団と録音した全集を取り寄せた。それを聴いて僕は愕然とした。美麗と言えば聞こえは良いが風呂場で録音されたような曖昧模糊としたカラヤンの演奏とは全く異なり…分厚い和音を構成する一つ一つの音が際立って聞こえてくるのである。ブルックナーの交響曲を(よく言われるのでこっ恥ずかしいのだが)教会建築に例えるならば、カラヤンの録音はその建物全体を遠くから俯瞰して建物全体の美観を強調するようなものであるのに対して、ヨッフムの録音は建物を組み立てる建材の一つ一つやファサードに刻まれた彫刻の一つ一つをも強調するようなもの。この録音はヨッフム70代後半のものなのだけれども、明瞭な響きと静寂な休止との間のコントラストの描き方が自由自在で、70代後半の老人が指揮しているようにはとても思えない。4番や8番などの有名どころでカラヤンはノヴァーク版を用いず原典版やハース版を使うことが多かったから、そうした版に馴れた僕の耳にはノヴァーク版の演奏が斬新に聞こえたのかも知れない。ドレスデンのルカ教会という録音場所の響きも関係しているか。とにかく食わず嫌いの結果、僕はこんなすばらしい演奏を今まで知らずにきてしまったと、ヨッフムの演奏に猛省を迫られるここ数日。ヨッフムによって目から鱗が落ちるブルックナー体験が続いている。


2009年9月29日 (火)

調和の霊感、所有の霊感

先週末に子供たちのヴァイオリンのホームコンサートがあって、6歳になる息子は、ヴァイオリン初学者ならば誰もが学ぶヴィヴァルディの『調和の霊感』に収められているイ短調協奏曲を演奏した。(指導のおかげもあろうが、彼はよく演奏した。)

普段の僕はあまりバロック音楽を好んで聴くほうではないのだけれど、さすがにここ数週間は自宅にいるといつもこの曲ばかり聴かされていて、頭のなかはヴィヴァルディ一色に染まってしまっていた。息子には悪いが、そもそも一流の演奏家が演奏したら、この曲はどうなるのか?思い立って、自宅のCDコレクションから『調和の霊感』を探そうとしたが、なんら整理されないままに(かの「超整理法」よろしく)聞いた順にそのまま放置している数千枚のCDのなかから、『調和の霊感』だけを引っ張り出すのは一苦労。そもそも『調和の霊感』を所有していたかどうかも覚束ない。

こうなってくるから…勢いネット上のiTunes Storeに頼って、ネット上からダウンロード購入してしまおうか…ということになる。しかし『調和の霊感』についてiTunes Storeにあるラインナップを見ると、昔懐かしいモダン楽器によるマリナーとアカデミー室内管弦楽団の演奏や古楽演奏の先駆ピノックとイングリッシュ・コンサート(これも懐かしい!…昔、朝と言えば『朝のバロック』だったよね?…)などはあっても、「これは名演!」と直感できる演奏がない。(あろうことか、イ・ムジチだとか、ホグウッドとかの名盤さえない。)

iTunes Storeのラインナップ不足が幸いしたのだけれども、そこらへんから僕の記憶のなかの「所有の霊感」がはたらきはじめた…(笑)。どこの誰の演奏だったかは忘れたけれども、遠い昔にエラート・レーベルあたりでヴィヴァルディのCDを買っていた…おぼろげな…そしてある意味、むずがゆさを感じる「所有の霊感」。ゴソゴソとCD棚を「発掘」し始め…CDの山と格闘すること十数分…ビンゴ!あったよ、あった…シモーネとイ・ソリスティ・ヴェネティによる1987年デジタル録音盤が!早速iTunesに取り込んで、ヴィヴァルディを聞きながらこの発言を書いている。しかし昔は流麗な演奏だということで気に入っていたこの演奏も…なんとなく斬新な古楽演奏に馴れた身には、可もなく、不可もなくといった中庸な演奏に聞こえる。四半世紀で聴く側の耳も変わってきてしまったということ。

そうだ…そういえば『四季』についても、バーンスタインとニューヨーク・フィルによる大時代的演奏の極致をいった変態録音がどこかにあった筈…再び「所有の霊感」が僕に降臨しないかな!

2009年2月19日 (木)

“知”の汗流せ〜♪

阪大世界言語研究センター主宰の国際シンポジウムを控え、準備も佳境を迎えつつある。もちろん年度末の諸々の仕事を抱えながらだから、相当ドタバタとしている。まさに“血”ならぬ“知”の汗を流す状況が続いている。そんななか、今日は思わずMacBook Airを落としてしまった。筐体がボコッとへこんだ。外装交換にはウン万円(…ちょっと高級なネットブックPCが買えるくらい…)かかるという。正直、精神的にへこみつつ報告原稿を執筆していたら、Youtubeでとてもすばらしい動画に巡り会った。僕の好きなショパンの3番ソナタとスポ根の頂点をともに結びつけ、このような風に自由闊達にアレンジできる人は粋だと思う。涙を拭いている暇なんてない。今は、「MacBook Airが身代わりになってくれ、悪運も振り払われた!」と例によっての楽天主義。ピアニート公爵様、ありがとう。僕は力をもらった!

       

(えっとですね…「ショパンの原曲がわからないので、巨人の星にしか聞こえない!」というとんでもない指摘をもらったので、比較のために、ポゴレリッチの若かりし頃の演奏で3番ソナタの4楽章をつけておきます…お隣のポゴ様マニアな先生に敬意を表しつつ…。)

2009年1月27日 (火)

交響曲『宇宙戦艦ヤマト』に思う

国公立大の二次試験の出願が始まったが、各予備校のセンター試験リサーチに基づく出願予想によれば、阪大も軒並み文系の学部の出願者が増えそうということ。予想だから結果はどうなるかはわからないけれども、外国語学部ではヨーロッパ系言語の専攻の出願数はかわらず、むしろアジア系言語の専攻の出願が増えそうということ、文系でも文学部や人間科学部、法学部の国際公共政策学科あたりの出願が増えそうということから見ると、阪大と大阪外大の統合で教育体制が強化されたところに受験生の関心と期待が高まっているということだろうから、統合の成果がジワジワとでてきているといった感じ。そうした関心に応えられるよう、常に統合の成果を見届けつつ学生と社会への責任を果たしたいものだ。これはこれで元気の出る話。

元気が出る話つながりでいくと、今年の5月に東京芸術劇場で大友直人さんの指揮する東京交響楽団が、1984年にNHK交響楽団と初演したきり再演の機会に恵まれなかった交響曲『宇宙戦艦ヤマト』を再演するという話を昨日知った。この交響曲は、宇宙戦艦ヤマトを語る上で大切な二人の作曲家である宮川泰さんと羽田健太郎さんが、宇宙戦艦ヤマトの製作10周年を記念して、数々の美しいヤマトのモチーフをアレンジし、純粋なクラシック音楽作品として作り上げたもの。今は二人とも鬼籍にはいられてしまった。初演を指揮したのはほかならぬ大友さんで、その当時のN響のコンマスである徳永次男さんがソロヴァイオリンを担当し、生前の羽田さんがピアノを担当していた。第三楽章には川島和子さんによる「あの」有名なスキャットが入り、第四楽章にはヴァイオリンとピアノによる二重協奏曲の形式が用いられ、宇宙戦艦ヤマトの楽曲を後世に残すべく相当な力が入っていたのだろうと思う。

僕は映画でもアニメでも映像作品を目ではなく耳で感じる傾向があって、例えばハリウッド全盛期の名画は「もう一人のアマデウス」コルンゴルト、マックス・スタイナー、ディミトリ・ティオムキン、ロージャ・ミクローシュ…そうしたクラシック音楽の作曲家としても知られる人たちの音楽とともに記憶に残っている。アニメ大国とされる我が国ではあるけれども、そもそも宇宙戦艦ヤマトがアニメ史上に画期的だった理由は、宮川さんと羽田さんという二人のメロディーメーカがクラシック作品としても耐えうる音楽で作品の世界観を確立してくれていたという点にも求められるのだろう。かの宮崎アニメの世界観に久石譲さんの音楽が欠かせないことは誰もが認めるところだろうが、宮崎アニメの画期となった『風の谷のナウシカ』に最初久石さんが音楽をつけた年は、いみじくもこの交響曲『宇宙戦艦ヤマト』が初演された1984年だった。なんとも興味深い歴史の符合。(ジョージ・オーウェル的な「1984年」にならなかったのは、この年に発売されたMacintoshとアニメの隆盛のおかげか(笑))

それから数えて四半世紀。初演者の大友さんも、この5月の再演は感慨深いものになるのではないだろうか?残念なことは、この5月に僕は日本におらずこの演奏会を聞きに行くことができないことだ。で、Youtubeには初演メンバーによる映像があがっているのだけれども、この映像の著作権がどのようにクリアされているのかわからないので、このブログでその映像を紹介することは控える。最近は気軽にYoutubeなどの動画共有サイトにあげられた動画をブログで紹介できるようになったが、例えYoutubeがアメリカ合衆国におけるデジタルミレニアム著作権法に則りつつしっかりとしたポリシーを策定して、動画の管理を徹底していようとも、さすがに今回の交響曲の映像は、もとある映像資源を楽章毎に切っただけの長編クリップで正当な利用には思えないからだ。(例えば前回紹介した真っ赤なスカーフのクリップは、動画作成者の手による編集の度合いが高く、こちらでも紹介したけれど。)

2009年1月22日 (木)

理解不能なありがたい話

iPodを常用するようになってから音楽ソフトの買い方は激変し、iTunes Storeにソフトを提供していないSony Classicalのようなレーベルを除いてはCDを購入する機会は減った。ライナーノーツが手に入らないということに目をつぶれば、どのみちiPod(今はiPhone)で音楽を聴いているので、安く手軽に音楽を購入できてしまうiTunes Storeを活用するようになった。で、そのiTunes Storeについては、時たま「なんでこんな値付けをするかな?」と腰が抜けるほど驚かされるときがある。

昨晩、夕飯を取った後、iPhoneを手にまったりとiTunes Storeのクラシックジャンルのトップセールスリストを眺めていた。すると、そこでEMIから昨年秋に発売された"Maria Callas: The Complete Puccini Studio Recordings"が1500円で売られている情報が目に飛び込んできた。かのマリア・カラスがレコーディングに加わったプッチーニの全集はCDだと15枚組で、例えばAmazonでは10000円以上の値がつけられている。ん?それが1500円?!僕は仕事の疲れなど一気に忘れ、買いに走った。

録音は古いが、この全集はカラスがEMIに残したプッチーニ関連のすべての音源が含まれている。昨年はプッチーニの生誕150周年にあたり、様々な音源が発売されてプッチーニ好きにはたまらない一年だったのだが、この全集もそうした企画の一つ。試しに、どれだけの曲が収録されているか、それをリストアップしてみよう。

     
  • 『トスカ』、カラス、ディ・ステファノ、ゴッビ、ミラノ・スカラ座合唱団、管弦楽団、サーバタ指揮 (1953年8月録音)
  • 『プッチーニ・アリア集』カラス、フィルハーモニア管弦楽団、セラフィン指揮 (1954年9月録音)
  • 『蝶々夫人』、カラス、ゲッダ、ダニエリ、ミラノ・スカラ座合唱団、管弦楽団、カラヤン指揮 (1955年8月録音)
  • 『ラ・ボエーム』、カラス、ディ・ステファノ、モッフォ、ミラノ・スカラ座合唱団、管弦楽団、ヴォットー指揮 (1956年8月-9月録音)
  • 『トゥーランドット』、カラス、フェルナンディ、シュヴァルツコップ、ミラノ・スカラ座合唱団、管弦楽団、セラフィン指揮 (1957年7月録音)
  • 『マノン・レスコー』、カラス、ディ・ステファノ、ミラノ・スカラ座合唱団、管弦楽団、セラフィン指揮 (1957年7月録音)
  • 『トスカ』、カラス、ツィオーニ、ゴッビ、コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団、管弦楽団、ツィッラリオ指揮 (1964年1月21日のライヴ録音)
  • 『トスカ』、カラス、ベルゴンツィ、ゴッビ、国立オペラ座合唱団、パリ音楽院管弦楽団、プレートル指揮 (1964年12月録音)
  どうよ…『トスカ』とか、凄い…コヴェントガーデンのライブも含めて三種類も含まれているんだからね。これがたったの1500円!オペラの場合、輸入CDに添付されてくるリーフレットはライナーノーツがなくて歌詞のみである場合が多いけれど、大抵の歌詞はすでに手元にあるんだから、この際そんなのがなくても関係ない。その値段こそが魅力…否、否…演奏こそが魅力(笑)。
 
  こうした破格のバーゲン価格は一時的なもので、時機を逸すると大抵の場合、適正な価格に戻ってしまう。だから頻繁にiTunes Storeで掘り出しモノをチェックする必要がある。これまでも、例えば、ランチベリーがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して入れたチャイコフスキーの三大バレエの完全版(ハイライト版じゃない。三大バレエの完全版の録音って良い物がなかなかないんだよね。CDにして5枚組相当)、ラトルがEMIで録音しているアメリカ音楽集(これに含まれているガーシュインの『ポーギーとベス』はこの作品のベスト録音だと思う、CDにして7枚組相当)、昔懐かしいベームがベルリン・フィルを指揮して録音したモーツァルトの46の交響曲全集(CDにして10枚組相当)…あげたらきりがないけれども、iTunes Storeの無茶苦茶な値段設定の「恩恵」を僕は享受してきた。CD媒体で言えば。EMIやドイツ・グラモフォンなどが過去の録音を集成して発売している廉価版の、いわゆるCDボックスものがiTunes Storeでは時たま1500円くらいで売りに出されることが多い。けれどもそうしたボックスものだけではなく、例えば、あのフルトヴェングラーのバイロイトの第九や、バルビローリとベルリン・フィルによるマーラーの第九といった歴史的名演が600円で売られていたりもする。

  一体どうなっちゃってるの、iTunes Storeは?時期を逃すと値段が跳ね上がっていたりするから、「見つけたら即購入!」が原則なのだけれども…そうやって衝撃の値付けで一時的に理性を麻痺させた上で見境もなく即購入させることがiTunes Storeの戦術なのだ…くらいしか、今はこの値段設定の理由を推測できない。全く理解不能なiTunes Store。でも、そんな理由を考えることが今は野暮というもの。明日からはカラスのプッチーニのすべてをこの小さなiPhoneに収めて、阪急バスのなかでも、大阪モノレールのなかでも、いつでもどこでも僕はカラスと一緒にいられるというのだ!今はその至福を存分に享受しようじゃないか!

2009年1月17日 (土)

元気の出る映像(補筆あり)

センター試験、この動画でも見て、元気を出そう!サー・ヴィヴィアン・ダンの指揮するイギリス王立海兵隊軍楽隊の演奏で、1966年(日本では67年)に公開された『サンダーバード』(Thunderbirds are go !)のクロージングの映像!バリー・グレイ作曲のお馴染みのテーマの(…おそらくダン中佐自身による…)編曲。厳密にはThunderbirdsのオリジナル・テーマではなくて、21世紀行進曲のほうか?マーチングもすばらしい。ダン中佐の頃の海兵隊バンドを見ると「あぁ、これが大英帝国の最後の姿」って感じがあって…同時にサンダーバードを見ると未来にむけた楽天主義的な感じがあって…そんな60年代のイギリスはぶっちゃけてていいね。大英帝国のあとを国際救助隊がひきうけた…って感じだから。(国際○○の本質ってそんな感じ?)いずれにせよ、この動画は、よくよく考えてみると「マーチって、やっぱイギリス王立海兵隊軍楽隊、イギリス近衛兵軍楽隊、オランダ王立海兵軍楽隊を聞いて、大人になったよね…。」っていう人むきかな…僕はそう思ってる(汗)。

で、ずっと僕は「Thunderbirds are go!」のgoの使い方は、to不定詞のtoが何らかの理由で省略されたものかと思い込んでいたのだけれども、思い切って僕の英語の師匠であるよしこんに「Thunderbirds are go! に言うgoとは何か?」という質問をしたら、よしこんから「このgoは形容詞の用法で、「用意が整っている」とか「順調に機能している」とかいう意味だ。」と教えてもらった。例えば、「すべての装置異常なし、準備よし」という場合には「All systems are go.」と言う。君はすばらしい、よしこん、また一つ勉強になったよ、ありがとう。

(ということは、1970年代に少年時代を過ごした僕としては、記憶から消えない『機動戦士ガンダム』の作品中、何度となく古谷徹さんによって発せられた「アムロ、ガンダム、行きま〜す!」という台詞は、「英訳するとどうなるだろう?」という疑問を得た。「アムロ、行きま〜す!」だと、アムロ自身が一人称で「アムロは準備よし!」ということになるけれど、それだと「I am go!」になる?「僕は順調に機能していて異常なし」…なんかおかしい。このgoの形容詞用法の場合、主語としてとれるのは非生物名詞で、話者は客観的に三人称的視点で使うような感じがする。例えば、パイロットが違う場合「セイラのガンダム、行きま〜す!」もあるわけで、また搭乗する機体が異なる場合「アムロのガンキャノン、行きま〜す!」という場合もあるから、そういうことを想定すると、日本語でいう「アムロ、ガンダム、行きま〜す!」のアムロとガンダムの間には「の」があって、「アムロのガンダム、行きま〜す!」と理解するならば、アポストロフィのエスをつけて、「Amuro's Gundam is go!」が妥当かな?世界言語研究センターの人で、こんなブログを読まれている方がいらしたら、今度お会いしたときにコッソリ教えてください。あかん、あかん、また変なこと考えてる。)

2008年8月25日 (月)

小田中さん、栗田さん、お気をつけて!

今日はバーンスタインの生誕90年目の日。新しい録音が発見されたということもないわけで(ライブ演奏のDVDは出て居るみたいだけれども)気分は盛り上がらず。僕の一番のヒーローなのに。どよんと沈滞したムードの一日…というか一日ではないな.ここ数日は立ち直りのきっかけをつかめず、どうしようもないっす。小田中さんや栗田さんのブログを読んで、「ヨーロッパはいいな」と思うのみ。

小田中さんの「フランスにヨドバシカメラを!」には笑いました。IKEA商法が世界を席巻したなら、ポイント還元のヨドバシ商法も世界を席巻できるのでは?(最近、ヨドバシなんかには「コンシェルジュ」なんているらしくて笑った。これ見てると日欧の決定的な差を感じる。IKEAを見てもわかるようにヨーロッパの生活文化は自主・自責・自前で成り立っているところがあるけれど、日本は消費者に過保護すぎる…よ〜な感じがする。でも、それが1年365日豊富な在庫の揃っている日本の家電量販店のあり方につながって、海外からの旅行者を感激させるのだろうけれど。)

スウェーデンから来日した人をヨドバシカメラに連れて行くと、在庫はもとよりあのポイント還元制度なんてのにも涙流して喜びますから、ヨドバシ商法は結構いけるんじゃないかな?もしヨドバシがパリに出店したら、ターミナル駅に隣接して出店する?例えばリヨン駅前店だとか、キタ駅前店たとか?大型店舗の出店規制とかあるのかな、パリは?(小田中さんのパシャパシャデジカメを撮られている姿が目に浮かびます。来月の渡欧では僕はデジカメを新調します。メモに使うならカシオの安価なエクシリムで十分かと。)

栗田さんが地下鉄でノキアの携帯の着信音を聴いて携帯電話文化の違いを感じたと発言されています。ヨーロッパへ行くとどの街角でも耳にするあのメロディは「アルハンブラの思い出」で有名なスペインの作曲家フランシスコ・ターレガのつくったGran Vals(大円舞曲)という曲の一節なのですが、先日発言した超絶技巧ピアニストであるアムランが、このノキアの着信音(Nokia tune)の変奏曲というのを作っていて(演奏していて?)その演奏がまた面白い。それはRing-Tone Waltzという曲です。その動画は、Euro Artsが製作したNo LimitsというDVDに所収されています。

しかしこんな蘊蓄を語ったって、何の意味もない。馬鹿馬鹿しい。なんかこう…スカッとしない。

2008年8月21日 (木)

狂ったショパン

箕面の研究室で作業中。今日はショパンの練習曲ならびにゴドフスキによるそれの編曲ものを並べたベレゾフスキーのアルバムを聴きながら。ゴドフスキ編曲のいわゆる「ショパンのエチュードに基づく53の練習曲」は全集ならアムランのものが決定版と言われているものの、個人的には学生時代の頃より19世紀的ヴィルトーゾの残り香を漂わせているボレットの抜粋版を大事にしてきた。ただしアムランにせよ、ボレットにせよ、ゴドフスキ編曲のものだけを並べていて、ショパンの原曲とは比較されていない。それに対してこのベレゾフスキーによるアルバムは、作品10ー1の全音階にはじまり、鬼火、黒鍵、革命、エオリアン・ハープなど、ショパンの作品10、25のなかから比較的有名な曲を抜粋して、原曲とゴドフスキの編曲を並べて交互に聞かせてくれている。一言、おもしろい。装飾過多で(どうやって二本の腕だけで演奏しているかわからない)全音階や、左手だけで弾いてしまう革命など。何がどう変わっているかがよくわかる。実のところ、このアルバムは2005年に発売されていたものだけれども、最近になってベレゾフスキーがこれを演奏しているライブ映像をYoutubeで見て、とても刺激的なライブだったのでこのアルバムを買ってみたという経緯がある。こういう野心的なプログラムを実現させてしまうところに、このピアニストの知性を感じる。ちょっと変態っぽさもあっていい。このアルバムもライブ録音だから多少ミスタッチもあるけれど、それはそれでいいじゃない?こんな洒落っ気たっぷりだけど、刺激的な実験録音は今までなかったわけだから。このアルバムには、ライブでアンコール演奏されたゴドフスキによるなつかしいウィーンとショパンの子犬のワルツの編曲も入っている。なつかしいウィーンはゴドフスキの作品のなかではトリアコンタメロンという名前でわりとメジャーな作品。子犬のワルツはそれはそれでまた大時代的で装飾過多で変態チックなワルツになっているわけだけれど、世紀末的なデガダンな雰囲気たっぷりで僕は好き。ゴドフスキ編曲によるワルツならボレットが良い。とりわけ華麗なる大円舞曲。華麗というよりは退廃円舞曲といった感じだけど。ベレゾフスキーによる練習曲集、ここ最近手にしたクラシックのアルバムのなかでは知的刺激度と変態度がダントツで、狂いまくっていておすすめ。

2008年8月14日 (木)

You are so beautiful

個人的に一押しの中国出身のジャズ歌手ベイ・シューさんの新しいアルバム"You are so beautiful"が13日にリリースされました。数えて4枚目のアルバムで、彼女が活動拠点をニューヨークから上海に移して最初のアルバムになるそうです。今回もバラード集ですね。僕は最初、彼女のセカンド・アルバム"Lost in Translation"をたまたまiTunes Music Storeで聞いて、英語あり、中国語あり、はたまた日本語ありの不思議な世界に魅了されました。ちょうど大学統合も大詰めの時期で、会議が連続して大変だった時には、いつもiPodで彼女の声を聞いて、心を落ち着かせていました。北京オリンピックのニュース、中国がらみのニュースに一喜一憂させられる日々が続いていますが、彼女の低く響きのある、深く落ち着いた声は高ぶった気持ちを静め、傷ついた心を癒してくれるでしょう。あまりジャズのことは詳しくないのですが、だからこそ素人の僕でもすんなり良い物だと思えたから、ここに彼女のアルバムをお薦めします。(なおiTunes Music Storeで"You are so beautiful"を購入すると、通常のCD版には含まれていないボーナストラック"Everything"が含まれています!)