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書籍・雑誌

2012年2月12日 (日)

「軍事革命」の彼方〜リハビリ的ブログ発言(2)

 「ブログをゆっくりと書いている暇などどこにも見つけられない…おそらく今後もそんな時間を見つけることの難しいだろう自分が、どれだけはやくブログ発言を書けるのか」を図るために、タイムトライアルで以下の文章を書いてみた。一気呵成に書いてみて、以下の文章は10分くらい。

 で…年度末諸事忙殺されるも最近入手した研究書のいくつかが面白くてたまらない。今日も校務で箕面の山におり、研究室で年度末の仕事に片を付けねばならないのだが、気分転換に今日は2011年に出たJ.Blackの"Beyond the Military Revolution"を。

 僕が軍事史研究から離れて暫く経つけれど、数年前の日本西洋史学会で「軍事革命」論というテーマで報告を求められたように、近世スウェーデンを研究している以上、このテーマから離れられない。「軍事革命」論…これは学部生以来、僕の頭の片隅にあって、今でも「通奏低音」のように僕のなかで響き続けているコトバだ。

 1950年代に本来「17世紀の全般的危機」論争のなかで17世紀に独特な政治社会の一側面を切り出すためにM.Robertsによって提唱されたこの方法概念は、その後、軍事技術・戦争経営の変化、それら変化の該当時期などをめぐって様々に議論をたきつけてきた。しかし「全般的危機」論争の主題から離れ、そうした個別議論の応酬に展開してしまった「軍事革命」論は、2006年にC.Duffyが「軍事革命論は半世紀にわたる近世の軍事史研究を歪曲した」と指摘したように、近年軍事史プロパの主題に堕する傾向があった。

 もちろん過去半世紀にわたる「軍事革命」の議論のなかで、歴史学研究に新たな視座がもたらされなかったわけではない。G.Parkerらが指摘したように、日本を含むアジアからラテンアメリカにおいて軍事技術と戦争経営の変質は同時期に「世界」的規模で進行したものだから、「軍事革命」論は、いわゆるグローバル・ヒストリという研究動向のなかで、今後研究主題の一つとして発展する可能性はある。(日本でも、日本史・東洋史・西洋史をいう枠組みを、歴史学というひとつの研究ディシプリンにまとめ上げる一つの起爆剤になる可能性をもつテーマだと個人的には思っている。)

 この"Beyond the Military Revolution"は、上述したような近年の「軍事革命」をめぐる議論の閉塞を破り、その議論の可能性を示す著作である。このなかで彼もグローバル・ヒストリ研究における「軍事革命」論の可能性は何度となく主張しているが、その議論自体は目新しいものではない。むしろ"Beyond"という主張は、近世における「軍事革命」への眼差しを従来の戦争経営のみに限定するのではなく、それを下支えした戦争をめぐる文化的・思想的観点まで拡げようという点にある。

 僕自身、島根大の日本西洋史学会での報告で「アウグスティヌス以来の正戦論」の歴史的継続性をごく簡単に指摘したのだけれど、「軍事革命」が近代に実現された集約的な国家経営の起源として歴史を「前倒し」する議論ではなく、近世に独特な政治や社会の様子をあぶりだす議論として再生を果たすためには、この議論の政治文化論的成熟が待たれるところなのだ。例えば、殺戮や死、平和といった観念は、軍事技術や戦争経営の変化をどのように準備し、いわゆる「軍事革命」的変化はそれら観念をどのように変質させていったのか…しかもそれはヨーロッパだけでなく、「軍事革命」の影響が及んだアジアやアメリカを含む世界中の地域でも。

 戦争は人間の生死に直結する行為ゆえに、人間社会の根幹をなす生死をめぐる観念の変質にも大きな影響を与える。Blackがこの"Beyond"で指摘する「軍事革命」論の可能性は、このような人間社会の根本的観念の歴史的変質を、世界中の人間が近世という時代に経験した軍事と戦争の変質という共通現象のもとで比較検討できるところに置かれている。

2009年6月 3日 (水)

『スウェーデンを知るための60章』

明石書店より村井誠人(編著)『スウェーデンを知るための60章』が刊行された。北欧を勉強していてと難しいと思うことは、人名や地名をどのようにカタカナ表記するかということ。極端な話、人名や地名のカタカナ表記を見るだけで、その日本語文章を執筆している人がスウェーデン語を知っているかどうかを判断できるほどである。もちろん日本には長らく慣習的に用いられてきたカタカナ表記があるからそれを踏襲する場合もあるけれど、最近の流れは現地語の発声実態に即したカタカナ表記ということになろう。この点、上記の『スウェーデンを知るための60章』は一つの大きな挑戦である。人名や地名のカタカナ表記のレファランスとして、これまでは山川出版社の『北欧史』があった。その存在があったとはいえ、インターネットをはじめとする巷には様々なスウェーデン語のカタカナ表記が溢れている。1998年に『北欧史』が刊行されてより11年を経て、『スウェーデンを知るための60章』が出た。この本は啓蒙書ではあるが、学術的な雰囲気に満ちており安易なスウェーデン紹介本ではない。これは、日本に溢れる紋切り型のスウェーデン像に対して発する「警句」の表明と言えるかもしれない。そしてそうした「警句」的性格は、何より現在のスウェーデン語の実態に即したカタカナ表記の統一的方法を示すという点に端的に顕れたと僕は見る。言葉は時代とともに生きるもの。その表記方法は今の日本では革新的と受け止められるだろう。けれども「エリアスタディーズ」を謳う者なら、現地語に即した現地の実態に真摯な態度をとるべきである。だから、この本で示された方法が徐々に普及することを僕は願う。(内容は…読んでみてのお楽しみ。既刊の百瀬宏・石野裕子(編著)『フィンランドを知るための44章』、近刊の村井誠人(編著)『デンマークを知るための68章』とともに是非!)