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日記・コラム・つぶやき

2013年12月31日 (火)

今年もお世話になりました:2013年の私的ベストバイ

皆さん、今年もお世話になりました。今年は前半に研究専従期間を頂いて、日本西洋史学会での「礫岩国家」論をご披露する機会に恵まれるとともに、久方ぶりにルンド大学歴史学部に客員研究員として滞在、旧交を温めつつ、懸案の『リネーの帝国』の実現にむけて一歩を踏み出すことができました。(現地では20世紀前半に『日本史』を執筆したウップサーラ大学歴史学教授のH.イァーネを主軸において国民主義的な歴史叙述が一般的だった時代にグローバルな歴史観はどのようにありえたのか共同研究を進めようという話も出てきました。)帰国してみれば通常ノルマの約2倍で働く日々が待っていたのですが、それでも「礫岩国家」論の論集実現にむけて動き始めましたし、『リネーの帝国』絡みでもそれを銘打った論文を二本書き上げました。そして、なにより韓国の歴史学者の方々との交流は、「なぜ日本で北欧の歴史を研究するのか?」という素朴な疑問から出発して、「「礫岩国家」や「リネーの帝国」といった主題をアジアで語るには、どのような観点が戦略的に必要なのか?」まで僕自身の活動を足下のアジアから刺激してくれる経験となりました。

忙しいことは今に始まった訳ではなく、自由な時間がほとんどないことはこの業界で働いている以上どうしようもないことです。という訳で、趣味の買物や道具集めにゆっくりと時間を費やすこともできない。だから今年の買い物は、ネット上でパッと見たら直感に頼ってサッと購入する…というスタイルがますます深刻の度を増し…あぁ、だいぶ「失敗」したなぁ…。(僕の散在は、アベノミクスとやらに幾ばくかは貢献したのだろうか…?)とりわけスウェーデン滞在を理由にiPad mini用にと買い漁ったスタイラスペンの類は「全敗」でしたね。(これについてはスタイラスペンがいけないのか、iPad miniがいけないのか、はたまたそのアプリがいけないのか…はわかりません。手元に残ったスタイラスペン…どうしよう?)「買ってよかったなぁ。」と思う道具とは、使っていてそれが日頃の生活に知らず知らずのうちに溶け込んでいくものだと僕は思っています。使うときにあらためてエイやっと何か意識的にならざるをえないものは、思考の流れを途絶させるものであり、ストレスを生み出しがちです。(僕はウルトラスーパーハイパー短気なのです。阪大の教員になってから、その傾向は強まった感があります。とにかく、ちゃっちゃかと生きたい…否、生きざるを得ない。)と言うわけで、今年一年の皆さんのご厚情に感謝しつつ、こちらに(今年僕が世話になった)私的ベストバイを三つ掲げますので、年越し蕎麦でもすすりながら読んで頂けたら幸いです。よい年をお迎え下さい。

第一位 キャリーバーの高さを自由に調節できるストッパー付きハードキャリー(33L)

「フライング・プロフェッサー」とか揶揄されながらノマドな出張生活が続く身としては、身体にストレスのかからないキャリーバッグは必需品。加えて、金銭的にも懐にやさしいものがベストなわけです。二泊三日〜三泊四日の短期出張用に買い求めたバッグが、この無印良品のキャリーバッグです。特筆すべきは、キャリーバーの高さを自由に調節できる点。通常のバー調整は二段階、三段階でスライド式のものが多いと思いますが、これはストッパーを離したところで高さが調整できる。楽だなぁ。さらにカートのロック機構がバッグ裏面についていて、キャリーバッグが電車やバスのなかでころころと動き回らないところもよい。キャリーバーの収納部がバッグ内面にでている点は玉に瑕ですが、このサイズでは仕方の無いところでしょう。TSAロックにも対応しているので、短気の海外出張ならこれでOK。多少の傷をもろともせずガンガン使い倒せる「気分」にさせてくれる格安の値段設定もよい。

第二位 ギャツビー ヘアジャム タイトニュアンス

整髪料としては、忙しい朝の時間帯に寝癖も一気に直せちゃうUNOのフォグバーを愛用してきましたが、これに替わる一品として僕が注目したのが、今年登場したGATSBYのヘアジャムです。この種の手に塗るタイプの整髪剤は、手にネットリと残る感じが個人的にスキになれなかったのですが、これはベタつかずに髪の毛にスッと馴染む感じが絶妙です。フォグバーの場合、ちょっとした形をつくるには力が弱い…というか、僕のウルトラストロング直毛には弱い感じがあって、部分的に形をつくる場合には結局べとつく感じが嫌なのにワックスも併用せざるを得なかった。これはこれひとつで、一気にちゃっちゃかとそれなりに形がつくれる感じがストレスフリーでよい。なにせ、ちゃっちゃかと生きることを迫られていますから。



第三位 富士通 ScanSnap SV600

この秋にMacOS X用のドライバが発表されたのを待って、研究室に導入しました。巷で話題の非破壊式スキャナです。厚みのある本などをスキャンする際にブックプレッサーは必須ですが、スキャンの必要な箇所だけサッとスキャンできるのは実に便利。これまで歴代のScanSnapを愛用してきましたが、僕は本を裁断するのが忍びないので、結局A4紙にコピーしてからスキャンしていました。これはA4紙が無駄になるし、なによりコピーをとるプロセス自体が無駄。最新のScanSnap iX500がスマートフォンやタブレットとの連携も考えてWifi環境で使えるのに比べると、未だにUSB接続させた「母艦」となるPCをかませなければならないのは、こうした類の製品として初発であること考えると仕方が無いところかと思います。初発という点では、スキャンした本の画像を補正するソフトウェアのできが今一歩…というところもあるかも知れません。(それでもブックプレッサーを使えば、スウェーデン語や英語といった欧文文献の場合、現行の画像補正ソフトで、OCRも十分な精度で文字を拾ってくれる程度の十分なスキャンができます。)SV600の「絹布の上を這うような」スーッと流れるスキャニングプロセスは、雑事にかまけて「汚れちまった」勉強心を再び純粋無垢なそれへ「洗い流してくれる」ような気にもしてくれます。



(次点としては、GoogleのNexus7あたりが入るかも知れません。旧iPad miniよりは遙かに見やすい発色のよい液晶、手に馴染む7インチクラスタブレットのサイズ感、MicroSIMカードを替えれば世界中のどこでも使える安心感(…僕はLTEモデルを国内ではBIGLOBE LTE 3Gの月980円のエントリープラン で運用しています…)となかなか良いものですが、如何せん僕たちの要求する「ハードな知的作業」に耐えうるアプリの数が少なく、SlimPort経由で画像を出力してプレゼンテーションに使えるところまで至っていない点で、なかなかiPad miniをリプレースできないままです。(Android 4.4でのPowerPointプレゼンを実践されていらっしゃる方がいらしたら、ぜひご教示ください!)なので次点扱いですが、プライベートでの使用なら、値段も安くて僕は良いと思います。)


2013年7月 1日 (月)

ルンド大学歴史学部に滞在しています

この1学期、僕は大阪大学言語文化研究科よりサバティカル(研究専従期間)を頂いています。積み残しの仕事、とりわけ5月に京都大学で開催された日本西洋史学会までは大阪に滞在していましたが、6月より2ヶ月間の予定でルンド大学歴史学部に客員研究員として滞在しています。2000〜2001年の滞在以来のことです。当時博士課程の大学院生であった人たちの多くは職を得ており、今ここにいる院生たちの顔ぶれは変わりましたが、ハラルド・グスタフソン先生をはじめ、何人かの方々は当時とかわらず温かく僕を迎えてくれました。昔からのこうした温かい人間関係が日本だけでなく、ここスウェーデンにもあるというのがとても嬉しい。何というのか…「僕はまたここに帰ってきました。」といった感覚。研究所内に研究室と大学のアカウント(それと短期滞在用の宿舎)をあてがってもらい、充実した時間を過ごしています。

この発言では、この1ヶ月の報告をしましょう。今回の滞在の主目的は、日本とスウェーデンの歴史的交流のうち、何人かのキーパーソンの事績を追うことにあります。長年の懸案である「リネーの帝国」の構想実現にむけて、C.P.テューンバリの事績を追っていますが、そこから派生してウップサーラ大学歴史学部教授だったH.イャーネの事績も追っています。こちらに来てから、何人かのスウェーデン人の研究者たちにこの話をしてみると、現在のスウェーデン人の歴史学者の目から見て、とりわけ後者に高い関心を示してくれているので、ここ数週間は後者の調査に時間の多くを費やしています。H.イャーネは20世紀前半に2冊の日本史に関するモノグラフを公刊しています。一冊は近世に訪日した二人のスウェーデン人O.ヴィルマンとC.P.テューンバリの伝記、もう一冊は古代から19世紀末までの日本史概説ですが、両方ともにテューンバリの事績が扱われていますから、H.イャーネの研究はこれまでも重要な参考文献でした。

H.イャーネは、保守主義的な歴史学者として一時期のスウェーデンの歴史学界では批判される向きもありましたが、グローバル・ヒストリー(というよりはトランス・ナショナル・ヒストリーといったほうが正確ですが)の構築に熱心な若手の歴史学者の間では、彼の国際的な視点の在処に関心が寄せられています。H.イャーネは、一般的には近世におけるスウェーデン・ロシア関係史などの事績で知られています。国民主義的な歴史叙述が一般的だった時代の歴史学者のなかで、こうした国際的な感覚に裏付けられたH.イャーネの事績が、一部の歴史学者のなかで回顧され始めているのかも知れません。そうした感覚があったからと予想されるのですが、H.イャーネの日本史の叙述は、中国・朝鮮との関係のなかで日本の歴史的生成を語る特徴をもっています。また鎖国史観にとらわれることなく、江戸期における日欧の交流にも着目できている点は、ヴィルマンやテューンバリらの事績が遺されていたスウェーデンであればこそ可能になった視点かも知れません。

実のところ、こうしたH.イャーネの事績の背景には、20世紀初頭の日本とスウェーデンの関係が色濃く反映されていると、僕は考えています。日本(あるいは東アジア)にはじめて駐在スウェーデン大使が置かれたのは日露戦争直後の1905年(と記憶していますが)でしたが、その初代大使に任命されたのはG.ワレンバリという人物でした。スウェーデンのことに詳しい人ならば、ワレンバリと聞いてピンとくるでしょう…彼は近現代のスウェーデン経済を牽引してきたワレンバリ財閥の人間です。(彼の孫が、第二次世界大戦中にハンガリーでのユダヤ人救出に活躍したR.ワレンバリです。)ワレンバリ財閥の人間が東アジア初の駐在大使に任命されたことの背景には、1905年という時代背景を知る必要があります。スウェーデンの文脈で言えば、スウェーデンとノルウェーの同君連合が解体された結果、スウェーデンは海外貿易における新たな関係を構築する必要が求められていました。東アジアに関して、中国でも、朝鮮でもなく、日本に駐在大使が置かれた理由は、言うまでも無く日清戦争、日露戦争の結果を踏まえての選択です。G.ワレンバリは、日本においてはスウェーデンを宣伝するために、スウェーデンにおいては日本を宣伝するために、地政学を体系化したR.チェレーンや探検家のS.へディーンなど著名人を日本に招聘して講演させては、彼らの帰国後には日本のことを語らせています。こうした文脈のなかに置いて、H.イャーネの事績を僕は振り返ろうとしています。

とはいえ、この6〜7月は一年のなかでもスウェーデンで一番よい季節。6月だけでも建国記念日にはじまり、今年はマデレーン王女の結婚式があり、夏至祭があり…と諸々の行事が詰まっていました。また学生の街ルンドでは卒業関連のイベント(とりわけStudentenとして知られる)で、夜遅くまで学生たちのドンチャン騒ぎが続いていました。とてもありがたいことに、ルンドやコペンハーゲンに住む旧知の方々に何度となくお招きを頂き、家族ぐるみでの歓待の日々も過ごしました。一人、一人は、中世史、近世史、近代史、現代史…諸々の分野での一線級の研究者の方々ですが、こうした私的な繋がりを得て多くを語ることができ、それが将来への布石になるのだと確信する毎日です。(今回の滞在では、ぼちぼちとそれぞれの分野でリーディング・スカラーとして頭角を現しつつある人たちと仲良くできているのがとても嬉しいです。)大学への監査の話だとか、法人としての大学の資金の話だとか…行政関連では洋の東西を問わず皆忙しいわけですけれども、こうした繋がりを糧としながら、研究協力のための次のステップを図りたい。来年は5月にストックホルムでスウェーデン歴史家会議が、8月にはフィンランドのヨエンスーで北欧歴史家会議があるので、北欧の歴史学界としては確実にビッグイヤーになるのですけれども、例えば、来年の夏には僕たちの礫岩国家研究グループもルンドを訪問して、スウェーデンやデンマークの研究者たちとのワークショップを開催しようと画策しています。僕たちの研究にとっても、微々たるものでもビッグイヤーにしたい。こちらの研究者はみな関心を示して乗り気になってくれていることが僕はとても嬉しいです。今年はその準備のための「静かな年」となりそうです。

取り急ぎ、この一ヶ月のルンド報告です。古谷家の私的な動向については、むしろよしこん日記をご覧頂いたほうがよろしいかと思います。(これからスウェーデンに滞在される予定のある人にとって役に立ちそうなもう少し具体的な話は、短文でまた発言しますね。)夏至を迎えるにあたっては、ルンド大学の友人の研究者夫妻の招きで、かつてデンマークであったブレーキンゲ地方の海岸の町で夏至の祭と休暇を過ごしましたし、つい昨日まではユーテボリに滞在して、1658年までデンマーク・ノルウェーとの国境に位置したボーヒュースにも行っていました。季節的には白夜の時期であり…今週は末恐ろしいことに、北極圏へ向かう予定も控えています。(ヨーロッパ文明の来歴を体験するには地中海へ向かうのが穏当なのでしょうが、スウェーデン文化の来歴を体験するには北極圏(とそこに拡がる自然)を知る必要がある…リネーの北極圏探検の顰みに倣っての決断です。)また、折を見て発言します。

2012年4月29日 (日)

古賀謹一郎の伝記を斜め読み〜リハビリ的ブログ発言(3)

僕は自分のスウェーデン史研究が日本人たる自分史とも接点をもつべきだと常々思っている。例えば日本人でスウェーデンを勉強しているならば、ケンペル・テューンバリ・シーボルト…などのラインからはじまった江戸期における洋学摂取の過程に関心を持たざるを得ないだろう。自分との関係では世話になっている東大・阪大とのつながりにおいてもそうである。

ようやく入ったGW週末に、我が国初の洋学研究教育機関である蕃書調所(…東京大学の源流の一つである…)の頭取だった古賀謹一郎の伝記を一気読みしてみた。(彼のもとに二人いた蕃書調所教授のうちの一人が箕作阮甫で、阮甫と緒方洪庵の両名に弟子入りして蕃書調所教授手伝になったのが箕作秋坪。(教授手伝いほかにも西周や津田真道、加藤弘之、大村益次郎などここには諸藩の蒼々たる俊英が集っていて、幕末の幕藩の枠組みを超えた改革のひとつといえる。)阮甫の娘と秋坪の間に生まれたのが箕作元八で、東京帝国大学教授である彼が『西洋史新話』で書いたカール12世伝が「北方の流星王」で、伝記ではあるがおそらくそれが日本人による本格的な北欧史紹介の原点だろう。今はすごい…『西洋史新話』がPDFで読めてしまうのだから。)

古賀の伝記を斜め読みしていて、一番印象的だったのは大坂洋学校の構想に関するくだり。蘭学の私塾だった洪庵の適塾を洋学一般の学校にまで拡張し、他方で漢学主体の市井の懐徳堂と併せて大坂に洋学校を築き、洪庵を頭取とする構想を古賀はもっていたという。既存の環境を集約させることで一気に公的研究機関を整備しようとすれば、市井に自由に開かれた学知の雰囲気が溢れていた大坂は、まさに理想的な土地だったろう。もし実現されていたとしたら大阪と東京の二つの大学体制で明治は出発したことになるが…。

実際には洪庵の江戸出仕とその没後に適塾は閉鎖し、ほどなく懐徳堂も閉鎖。(閉鎖後に適塾関係者は大阪医学校の開校へ尽力、その医学の伝統がようやく阪大へ引き継がれる。)ここに蕃書調所頭取である古賀からも一目置かれた大坂の学知は衰え、大阪と言えば大陸市場向けに栄える経済にのみ人心が浮かれる「大大阪」なるものに変質してしまう。日本人のなかでの大阪のイメージは今でも大方は後者の「商都」としてのイメージを引きずるままだが、蕃書調所の末裔としては古賀が存命であれば、そうした今の大阪(ないしは洪庵の末裔たちの阪大)の変わりぶりをどのように見るか…伺ってみたいところである。


2011年5月 6日 (金)

スウェーデン歴史会議2011〜両極端にあるスウェーデンと日本〜

ゴールデンウィークを潰して、ユーテボリ大学で開催されているスウェーデン歴史会議2011に参加しています。僕自身ペーパーはありませんが、立場的にはこの会議中に開催される史学雑誌(Historisk tidskrift)の年次総会に国際編集委員の一人として参加するということもあります。

スウェーデン歴史会議は、史学雑誌の発行母体ともなっているスウェーデン歴史協会が3年に一度開催している学会で、スウェーデン中の歴史学者が一同に会する学会です。北欧諸国全体の歴史学会となると、これまた3〜4年に一度開催される北欧歴史家会議があります。後者は数カ国語が乱れ飛ぶ国際的な雰囲気に溢れ、各国の歴史学者の傾向の違いを比較できるのに対して、前者はほとんどが顔見知りで、スウェーデン語だけで対話が繰り返される親密な雰囲気に溢れています。

今回の学会の総合テーマは「スウェーデンにおける歴史〜ネイションのなかに把握できるもの」。日本と似たように、スウェーデンの歴史学界でもグローバル・ヒストリの構築という問題、ならびに歴史学という学問のグローバル化という問題をめぐって議論は盛んで、今回の総合テーマはそうしたグローバルな歴史学の展開を見据えたときに、あえてその前提として従来の研究が明らかにしてきたネイションのなかに、あるいはそうしたネイションを明らかにしてきた研究手法のなかに垣間見られるグローバル的要素を再考しようというものです。

「グローバル・ヒストリとは何か」とか、「歴史学のグローバル化はいかに実現されるか」とかいった議論は、確かに最近の日本の歴史学界でも、日本学術会議の提言や阪大の文学研究科の活動に見られるのですが、あえてネイションないしネイション研究を再考することからグローバル・ヒストリの議論を出発させる点が大きく異なり、これはいかにも「スウェーデン的」発想だと思います。

スウェーデンと日本の歴史学界と比較した場合、その問題関心のもたれ方が両者の歴史に対する意識の差から大きく異なると思います。日本の場合、歴史に対する意識は、例えば1868年の明治維新や1945年の太平洋戦争敗北…あるいは2011年の東日本大震災もそうなるでしょうか…といったターニングポイントが歴史を断絶し、転換したというイメージに強く影響されているため、歴史学における問題関心の持たれ方も、多かれ少なかれ「断絶か、連続か」を問うところから出発しています。

これに対して、スウェーデンにおける歴史への意識は、その連続性あるいは継続性に強く依拠しています。北欧諸国のなかでも、デンマークなら1864年のスレースヴィ戦争敗北や1945年のナチス・ドイツからの解放、ノルウェーなら1814年の独立や1905年のスウェーデンとの連合王国からの自立、フィンランドなら1917年の独立…といったように、大抵はそれらの国々における歴史への意識は、日本と似たように近代的ネイションの歴史的形成過程のなかで断絶ないしは転換を経験していますから、歴史学における問題関心の持たれ方も「連続か、断絶か」を問う場合が多い。

しかしスウェーデンだけは決定的に異なり、1809年のクーデタ以降、ここ2世紀にわたる近代的ネイションの形成過程において、歴史的に断絶や転換を意識させるモメントを経験していないのです。それゆえ、歴史学における問題関心の持たれ方も、そうしたネイションとしての連続性・継続性に立脚しつつ紡ぎ出される傾向にあるわけです。今回のスウェーデン歴史会議における総合テーマも、確かに世界的規模のグローバル化という今日的現象とそれに裏付けられたポストコロニアリズムのような思潮の拡散による伝統的ディシプリンの刷新の必要といった背景はありますが、そうしたときにグローバルな人的・物的ネットワークの展開などの議論にむかわず、あえてネイションの枠組みからグローバル性を問い直そうとするのは、いかにもスウェーデン的歴史意識に裏付けらたものと言えるでしょう。

連続性・継続性に裏付けられた歴史意識と対極に位置する意識をもった日本で生まれ育った僕からスウェーデン歴史会議における議論を見ると、ネイションのなかにグローバル性を見いだすとは言っても、結局、国語化されたスウェーデン語が紡ぎ出す議論でしかなく、そうした議論の枠組みそのものが近代的ネイションの思考枠にとらわれがちである…換言すれば、本来、多言語が縦横無尽に飛び交う時空間のなかで紡ぎ出されていたバルト海あるいはスカンディナヴィアの知の構造の実態を忘却しがちな傾向にある…といった印象を持ちます。

だからこそなのでしょう。今回の会議では、史学雑誌の編集メンバと話をする機会がありますが、彼らもスウェーデン歴史学のもつ限界…つまり強固な連続性の意識を否定できないがゆえに内在する思考枠の限界を意識していて、皆、口を揃えて僕のような存在との共同作業が今のスウェーデンの歴史学には必要なのだと言ってきます。一見、親密に見えるこの会議の裏には実はとても真剣な限界克服への意識が秘められているのです。そうした経験を踏まえて、僕は益々スウェーデンと日本の歴史学、あるいはそれを裏付ける歴史意識の極端な差異…対極性を意識するようになっています。

2010年11月 6日 (土)

日本学術会議『日本の展望―学術からの提言 2010』より

日本学術会議がこの春に出した『日本の展望―学術からの提言 2010』のなかで史学委員会が整理した報告「史学分野の展望 ―一国史を超えて人類の歴史へー」を読むと、「国際的感覚をもった若手研究者の養成と職の確保」の項に、「…このような大学院語学教育は、各大学院が個別に進めるのではなく、多くの大学院 が共同で利用できる「外国語教育センター」で行なう方が実際的であろう。この「外国語教育センター」は単に歴史学を専攻しようとする院生だけではなく、人文・社会科学の他の諸分野を専攻する院生にも等しく利用できるものにしなければならない。」(「史学分野の展望」、11頁)とある。

僕は前々から僕が属している阪大世界言語研究センターはまさにそうした全国の院生教育に開かれた教育機関としてもあるべきだと思ってきた。だから日本学術会議の史学委員会による上記の報告はまさに我が意を得たりである。

しかし現実には以下に紹介する筋道から難しい。「ある言語を学びたい他大学の院生が来る→初習レベルから学べる院生むけの授業がない→初習レベルから学べる授業は外国語学部で行われているが、学部で行われている授業は文法・講読・作文・会話などからなる週5コマワンセットで成り立っている→学部の授業に出てもかまわないが他大学の院生は5コマワンセットすべてに出席できない」…という流れだ。

この流れからして、学部における外国語教育カリキュラムの抜本的改革がない限り、他大学の院生むけに開放することが難しいことがわかってもらえようか。外国語学部における語学教育とは、他の学部における語学教育とは異なる。外国語学部の場合、専門教育とはまさに言語運用のエキスパートを教育することであって(…比較するならば、医学部の学生が医学の専門教育を受けるように、外国語学部の場合には語学の専門教育を受けるということ…)、専門教育を実現するために構築されたカリキュラムは、他大学の院生のニーズに合致するものではないだろう。

もちろん阪大内部のほかの院生や学生むけには共通教育などで語学教育が開講されているし、毎夏いくつかの言語に限ってだけれども院生・研究者対象の集中的な語学セミナーが開催されている。今後は、全国の他大学の院生が移動しやすい夏期休業期間中にでも、そうした集中的な語学セミナーの幅を広げていくだとか、高度言語教育情報配信プロジェクトが開発を進めているようなネットワーク上で自習できる語学教育コンテンツを積極的に公開していくといったような方向性で、日本学術会議の提言に応えていくことになろうか。

ただし語学セミナーの実施も教育コンテンツの開発も、みな僕たちの仕事となると、外国語学部や言語文化研究科での教育の一方で、各自の研究も国際的レベルで推進していかねばならない僕たちは、ますます忙しくなってしまう。正直、今でさえヘトヘトなのだ。だから、こうした日本学術会議の提言を実現させるためには、大学の組織も同時に考え直す必要もあるだろうと思う。僕などは自由な時間を増やしてもらえるならば、ちょっとだけ給料が減っても良いと思っていて、そうしたお金をかき集めてきて優秀な若手人材を適材適所で活かせてもらえる仕事場所を増やせてもらえたら、ありがたいけれど…。良い仕事しますので、とにかく時間をください!

2010年10月23日 (土)

新い住み処とiPadに関する発言の補足

次の新しい発言をする前に、先日の二つの発言をつなぐ補足を。iPadを仕事に使う際、PCに慣れた方がもっとも戸惑う点は、「USBメモリなどを使わずにPCとのファイルのやりとりをどうするのか?」という点でしょう。僕の場合、Dropbox、iDiskといったオンラインストレージを媒介させてファイルのやりとりをするようにしています。PCで作成したファイルはとにかく一切合切なんでもかんでもオンラインストレージに放り込んでおき、ネットワーク環境下にあるiPadから必要なファイルを取り出す…といった感じです。というわけですので、iPadの性能も、魅力も、それはネットワークに接続されていればこそのものであると言える。僕が愛用しているiPadは3G回線のないWiFiだけのものです。取り急ぎ、自宅と研究室には無線LAN環境を構築、出張も無線LAN環境の確保されている新幹線を多用します。(東京出張は、必ず無線LANのできるN700系のコンセントがある窓側の席。エクスプレス予約会員になれば、運賃も安いです。)町中で無線LAN環境のないところでのネット接続は、緊急避難的にイー・モバイルのPocket WiFiを使います。そうすることで、ほぼどこでもiPadはネットワークに接続されたかたちでその力を発揮できます。


そんなiPadを使っている僕が、バブル全盛期の頃に建てられた中古マンションを購入したとき、最初に頭のなかをよぎった不安は、「とりわけ頑丈な鉄筋コンクリート造りの建物のなかで、いかにして家庭内ネットワークを築くか?」ということでした。昭和末期の建物は、地震の到来を予想してつくられていても、21世紀のネットワーク時代の到来までは予期してつくられていなかったわけですから。しかしその不安も杞憂に終わりました。新たに引っ越した部屋は、建物の3階・4階を貫くメゾネット構造なのですけれども、光ケーブル回線は4階にしか来ていません。そこで昔から使い続け(…リコールとなった…)AppleのTimeCapsuleを有線でモデムにつないで、あとはAirMac Express ベースステーション with AirTunesを、TimeCapsuleから発信される無線の中継局として2つ立てました。1つは設置場所に試行錯誤を重ねて3階にある僕の書斎の直上にあたる4階の場所に立て、もう1つは液晶テレビとそのテレビにつなげているMac miniのネットワーク接続用にテレビ付近に立てました。AirMac Expressはコンセントに直づけできるので、中継局として適切な場所に簡単に移動させることができます。(海外出張の際にも、滞在先の部屋を無線化する目的で僕は必ずAirMac Eapressを持参します。)ですから、ちょっと古い建物で無線LAN環境を構築することをお考えの方があれば、移動も簡単、値段もお手頃なAirMac Expressを試されてみてはいかがでしょうか。


2010年10月11日 (月)

ご無沙汰しております

皆さま、ご無沙汰しております。お元気ですか?

体調不良や引越などが続いて、大阪を一歩も出られず…にもかかわらずPCにむかう時間を取れない(…マジで)日々を過ごしておりました。この数ヶ月、債務労働者になったことが大きいですね。そのかわり、新しい仕事の場・憩いの場を得られたのは嬉しいことです。この話はおいおいしていきましょう。

二学期も始まりました。なにより先日近世イギリス史研究会に出席した際に頂いたこのブログへの応援の言葉が嬉しかった。というわけでこちらのブログも少しづつ再開したいと思います。(Twitterは新しいアカウントを取得して、すでに再開しています。)また、よろしく。

2010年6月 7日 (月)

iPadをめぐる脳内妄想〜ある技術革新の歴史的位置について

巷ではiPadが発売されたということで、日本全国の同業者から「古谷さん、iPadはどう?感想を聞かせて?」という問い合わせが相次いでいる…(笑)。いやはや諸事情が絡んだため、僕はまだiPadを手に入れてはいない。本末転倒ではあるが、Apple純正のケースやVGAアダプタだけは届いているだけれども。というわけで脳内でiPadが手元にあることをイメージしながら、iPadについて僕が思うところを述べてみようと思う。

ここ数年の個人的な経験を踏まえて言うのだが、iPadは何も背景のないところから突如として創造されたのではない。最近のiPad 狂騒曲を扱うマスコミは、電子書籍の普及と出版業界の変質のことばかり報道しているが、それはあまりにも単眼的にすぎる。iPadは電子書籍端末として開発されたものなどではない。僕はこのiPadという道具はこれまでに存在した二つの道具の経験を踏まえて2010年という時期に満を持して登場したのだと思っている。ここで言う二つの道具とは、第一にタブレットPC、第二にiPhone(ないしiPod touch)である。

このブログを昔からご覧になっている方ならご記憶だろうが、僕は4〜5年ほど前から講義・講演でのプレゼン用にタブレットPCを用いてきた。iPadと比べれば重いし、筐体デザインも無骨だし、バッテリのもちも悪い。だからiPadが発売された今となっては、タブレットPCは前世紀の遺物といった感が拭えない。僕はタブレットPCを無線LANネットワークに接続させるだけでなく、無線でプロジェクタに接続させてきた。そうすることで躍動感のあるプレゼンにタブレットPCは最適のデヴァイスであると考えていた。

おおよその僕の見立て通りタブレットPCは働いてくれたけれども、タブレットPCは二つの「重さ」につぶされてしまった。一つは筐体自体の重さ、二つはWindows XPという基本ソフトウェアの重さである。重量1.5kgほどのタブレットPCを抱えながらの90分間ほどの講義は密かに僕の筋力アップに役立ったし、90分間ほどの講義のあとに僕は知的作業の結果としてではなく、左腕に溜まった乳酸の結果として疲労を感じていた。タブレットPCは疲労以上にいらつきを僕に覚えさせるものにもなった。それはWindows XPというOSの重さによる動作のもたつきによるところが大きかった。タブレットPCは、デスクトップ・ラップトップPCむけのOSをそのまま搭載してしまったがために、無駄な機能が多くて寸胴な道具になってしまったのである。

一時代を築いたWindowsという基本ソフトの将来がどうなるかは今回の発言の趣意ではないので論評は控えるが、少なくとも携帯端末用の基本OSのトレンドからは排除されていくだろう。すでにその兆候は、軽快と安定を求めるスマートフォン用の基本ソフトからWindows Mobileは徐々にそのシェアをAndroidやiPhone OSに奪われつつあることから覗える。僕たちのような人文系のナレッジワーカが求めるところは重厚長大な仕様ではない。「重さ」から「軽さ」へ。確実に携帯端末用の基本ソフトのトレンドは変わりつつあり、iPadはこの流れを決定づける道具に位置づけらることになるだろう。

(一頃巷を賑わせたネットブックと呼ばれる格安なラップトップPCの将来も、Googleが開発を進めているChrome OSのようなネットワークに接続されたクラウドコンピューティングを軽快にこなすオープンソースソフトの普及にかかっているだろう。MacOS Xにせよ、Chrome OSにせよ、その根幹はLinuxカーネルで構築されていることを思えば、L.トーバルズの考えた道が着々と21世紀のコンピューティング界に敷かれつつある。)

さてiPadの前史に位置づけられるもう一つの道具は、言うまでもなくiPhoneである。その前史を2001年のiPodの登場まで遡っても良い。僕はS.ジョブスという人の未来に対する構想力を推し量ることは毛頭できないけれども、iPadは、少なくとも2001年のiPod、2004年のiTunes Store(当初はiTunes Music Store)、2007 年のiPhoneという三つのステップを踏んで開発された、21世紀の最初の10年を締めくくるAppleなりのパーソナルコンピューティングの総括にあたる道具である。iPodが登場した当初は、それは単なる携帯用デジタルオーディオ機器ぐらいにしか映らなかったが、iTunes Storeが整備され、それが単に音楽配信だけではなくアプリケーション配信も行うようになっていった頃から、何となく「Appleは何か壮大なことを計画しているのではないか?」と思ってはいた。iPodはその後iPhone OSのテストベッドに位置づけられるiPod touchへと発展し、iTunes Storeにおけるソフトウェアの資産とiPod touchにおけるハードウェアの資産が融合するところで、満を持してiPhoneが登場した。iPhoneが革新的だった点はタッチパネル操作という新たなインターフェース技術を普及させただけではない。革新的なハードウェアをiTunes Storeという膨大なインフラ空間で相互補完するシステムを完成させたことこそが重要である。

しかしそのiPhoneさえ、iPadの前座でしかなかった…のかも知れない。iPhoneの登場以来、iTunes Storeには人文系ナレッジワーカの使用に耐えうる数多くのアプリケーションが揃った。そしてiPhoneの登場以来、iPhone OSは数度のアップグレードを果たして充実の度合いを高めた。(未だマルチタスク機能が実装されていないが、この機能は明日・明後日くらいに発表されるかも知れないiPhone OS 4.0で実装されていくに違いない。)そして何より、iPhoneの普及によってタッチパネル操作という新たなインターフェースが広く世の中に普及することになった。iPadはそうした前史を引き継いで世に出た。「iPadは大きなiPod touch、大きなiPhoneでしょう。」と言う人がいる。以上のような前史を踏まえるならば、それは事実である。しかし、iPod touchがそれまでのiPodとは異なる、iPhoneがそれまでのiPod touchとは異なる付加価値をもって世に受け入れられたように、iPadもまたiPhoneやiPod touchとは異なる付加価値をもった道具となっている。その付加価値は、第一にキーボードやマウスといった「敷居の高い」インターフェースではなく、タッチフェイスという直感的に扱えるインターフェースをもち(…ただしこのインターフェースは、身体的障害者には依然として「敷居が高い」ことを忘れてはならない…)、第二にiPhoneやiPod touchよりも大きな液晶画面を有していることから導き出されるものだ。

その付加価値がもたらす成果は、一言で言えば、パーソナルコンピューティングの革新ではないか。僕は1994年から本格的にパーソナルコンピュータを使ってきたけれども、それから15年以上を経てもコンピューティングの方法に根本的な変化はなかった。21世紀も10年が過ぎようとした今、ようやくその方法が変わるのではないか…と、まだ見ぬiPadでこなす仕事の数々を脳内で想像しながら、期待ばかりが膨らんでいる。今日のところはまだ現物が手元にないので、iPadの話はここまで。iPadが手元に届いた暁には、具体的なアプリケーションの数々を紹介しながら、人文系ナレッジワーカ(とりわけ欧米語と日本語を往来する必要のある者)にとってのiPadの有用性を発言してみたい。で…いつ届くのだろう?

2010年5月12日 (水)

教師冥利に尽きる授業

ここ何年か「北欧の地誌」というタイトルで実験的な授業をしている。北欧の都市や世界遺産などを事例に、僕は北欧語による情報の収集と整理の仕方を講義し、その後にはグループ単位でテーマを設定させ学生たちに調査してもらい、最終的には学生たちが調査内容を日本語でプレゼンする授業である。

北欧の都市や世界遺産など、通り一辺倒の情報なら日本語でも、あるいはネット上で英語などでも接することができるが、最終的には北欧語を運用せねばさまざまな情報の収集もかなわず、薄っぺらなプレゼン内容になってしまう。我が国で唯一の北欧語の専攻を有する阪大外国語学部の教員としては、(1)1〜2年生時に学んだ北欧語の学力を実践的に運用してもうらうということ、(2)日本社会に巣立っていった暁にはしかるべき北欧語による情報に基づいた…そして北欧語に接することの出来ない人たちに対してわかりやすい北欧の紹介が日本語でできるようにということ…そうした目的にたって、こうした授業をしている。

今日は、「北欧の都市の名前の由来」について各グループのプレゼン会を開いた。今までこの授業に参加してくれた学生たちもそれぞれに創意工夫を凝らしたプレゼンをしてくれた。しかし今回はまたひと味違った報告があった。スウェーデンのイェブレやフィンランド(オーランド諸島)のマリエハムンについて調べているグループからは、それぞれの市当局にスウェーデン語で質問をして得られた回答が報告された。パワーポイントのスライドには、そのスウェーデン語によるメールの原文も付されている。スウェーデン語によるやりとりの結果は的確な内容をもったプレゼンに結びつくだけでなく、例えばこの授業に参加しているデンマーク語専攻の学生たちには、デンマーク語とスウェーデン語の違いも意識させる体験になったことだろう。

もちろんデンマークのコペンハーゲンやオーデンセを調べているグループも、その情報源はデンマーク語で書かれたものに依拠しているだろう。自分たちが汗水流して習得した語学の知識を総動員して、それを武器としながら情報を処理し、そしてわかりやすい言葉でプレゼンを行う。授業の目的を学生たちが的確に汲み取ってくれて、それに応えてくれた今日のような体験は、教師冥利に尽きるものである。本当にここの学生たちはよくやってくれている。

(今年度からはプレゼン会で、報告内容の明瞭さやプレゼン資料のわかりやすさなどを基準に、プレゼンの順位をつけるようにしてみた。順位決定の際、自分が属しているグループへ「組織票」が流れるかと思いきや…僕のところの学生たちは「良い」と思ったグループの報告に正直に賞賛の票を入れていた。誠に清々しい連中だ…君たちは!)

Apple狂騒曲

Apple社の販売方針の変更で右往左往している。この春からのApple社の方針で、一般消費者むけ販売、教育機関・官公庁むけ販売など、それぞれの販売対象で認定を受けている業者しかApple製品を取り扱うことができないという話だ。

大学生協や某大手家電量販店の法人営業部などに問い合わせてみると、教育機関・官公庁むけ販売の認定を受けていないため、公費払いによるApple製品の機関むけ販売は行えなくなったというのだ。(一般消費者むけの販売はOK。)その後、生協からはiPadなどはダメだけれども、Macなどの従来品に関しては今まで通りの取扱いが可能だとの旨、連絡を受けたので多少安堵した。それでもiPadなどの新製品については公費を使う場合には立替払いしか方法はなく、その場合には「アプリケーション開発などの特別な理由がある」などの申立書を添えなければならないという。

アプリケーション開発のようなことをしていない人文系研究者の場合、確かにWindowsが動くPCでも仕事をこなすことはできるけれども、僕らのような人文系研究者は、人文系研究をしているというだけで、教育・研究に用いる機材にAppleを選択できないことに不公平感が残る。日本社会への研究成果の還元を前提に自らの知的生産力を最大限高めることができる機材を用意するところに公費執行の意義があるというのに…なぜまた…(この先の愚痴、自粛。)

正直なところ「これは困ったな〜」と思い、AppleStoreの法人事業部に直接問い合わせたところ、大阪大学担当という方から丁重な連絡を受けた。今はAppleStoreの法人事業部と僕の所属する研究機関の会計係との間でのやりとりがなされている最中。今後のAppleと大学の対応に注視している。みなさんのご所属の機関では、いかがですか?

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