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旅行・地域

2010年2月 7日 (日)

スカイマーク茨城・神戸便、就航決定!

来た!茨城空港の開港があと33日と迫った昨日、国内航空会社としてはじめてスカイマークが、茨城空港・神戸空港間の定期便を就航させることを発表した。普通運賃でも12000円、前割21ならば5800円。航空自衛隊百里基地の滑走路を利用して造られた茨城空港だが、これまでのところアシアナ航空のソウル便しか乗り入れが決まっておらず、伊丹空港の近くに住み茨城への帰省にかかる運賃に悩んできた古谷家は、真剣に茨城へ帰省するときには伊丹→仁川→茨城を考えていた。(気分転換に、韓国への小旅行も良いものだろう。)このスカイマーク便の実現によって、茨城への帰省はかなりやりやすくなる。しかも神戸空港だというわけだから、三宮から神戸空港へむかう途中でIKEAに寄ってスウェーデンのものをお土産に持参する…なんてことも可能というわけだ。すばらしいの一言に尽きる。茨城空港だとか、神戸空港だとか、こうしたJALショック後の地方空港の「ねばり」を応援したい。

2009年4月17日 (金)

Systembolagetで世界を思う

というわけで、気分爽やかに迎えた週末なので、Systembolagetがらみの話をひとつ。

スウェーデンでもっともスウェーデン的な場所は、おそらくSystembolagetの酒類小売店舗だと思う。ここで僕が言うスウェーデン的という言葉の意味は、体系化された管理システムで得られる安定ということである。

スウェーデンではおよそアルコール度数5%以上の酒類を小売店舗にて自由に販売・購入することはできず、その流通と小売はSystembolagetによって管理されている。例えば、隣国デンマークのように酒類を自由に買えないということが不自由かといえば、そうではない。スウェーデンの都市部にあるSystembolagetの店舗には、Systembolagetが買い付けた世界中の酒類が網羅的、かつ体系的に販売されている。その販売カタログは季刊発行の全体カタログに加え、最近は毎月新たに販売される酒類リストも月刊で配布されるようにもなった。ウップサーラでいえば、世界の体系だった知は、かつてウップサーラ大学にてフランス語教員を務めていたフーコーが彼の学位論文となった『狂気の歴史』を執筆するために通い詰めたことでも知られる大学総合図書館(Carolina Rediviva)に集約されていることは言うまでもない。そして、もしその次に世界の文化が集約されている場を求めようとするならば、おそらくSystembolagetになろうと僕は思う。

僕も年を取ってスウェーデン語の知識と酒の知識が増えるにつれて、スウェーデンでSystembolagetを訪れる度に新たな発見をするようになった。例えば、今回のウップサーラ滞在では、意外にもスウェーデンで、スペインのヘレス地方で生産されている酒精強化ワインであるシェリーが豊富に、しかも安く販売されていることを知った。Systembolagetで売られているシェリーは、辛口のフィーノ、酸化熟成が進み褐色がかったアモンティリャード、滑らかな口当たりで甘口のオロロソ…といったように、大抵の小売店舗の陳列棚では、辛口から甘口へとその種類別に並べて売られている。そこは生物分類の体系化を果たしたカール・フォン・リネーを生んだお国柄。彼の『自然の体系』よろしく、Systembolagetにおける酒類の陳列は、酒の世界が見事に体系化されている。そして今回、そうした様々な種類のシェリーのなかに、イングランドでは良く知られたハーヴェイ社のブリストル・クリームが、ここスウェーデンでも売られていることに気がついた。

シェークスピアが『ウィンザーの陽気な女房』のなかでファルスタッフの愛飲した酒として描いているように、シェリーはスペインのヘレス地方で生産されるものの、「イングランドのワイン」として人気を博した酒である。その背景には、百年戦争でフランス領を失った後のイングランドに対する純正ワインの輸入量減少と、レコンキスタを完成させた後のスペイン王国によるイングランドへのシェリー輸出振興政策があるとされているが、ここでは深追いはしない。「フランスのワイン」ではなく「イングランドのワイン」としてシェリーが好まれていたということだけ、理解していただければよい。現在のように樽を幾重にも並べるソレラ・システムでシェリーが生産されるようになったのは19世紀以降とされているが、19世紀はイングランドでアフタヌーン・ティーや食前酒・食後酒の習慣が普及した時代でもあった。(シェリー樽を使うスコッチ・ウィスキーの話や、この時期にフランスで猛威をふるったフィノキセラの話についても深追いはしない。)例えば、ハーヴェイ社のブリストル・クリームは食後酒としてよく提供される。その特徴は、クリームのように滑らかで甘美な味わいにあり、ここで言うクリームとは、シェリーの一種類を指す名前である。それは、辛口のフィーノ、褐色がかったアモンティリャード、甘口のオロロソをブレンドしてつくられる。ブリストル・クリームを生産しているハーヴェイ社は、アフタヌーン・ティーや食前酒・食後酒の習慣が普及しはじめた頃にブリストルに設立された会社であった。

ブリストルはイングランド西部にあって、古来スペインなどのヨーロッパ大陸諸国と、16世紀以降はアメリカ大陸との交易の拠点となった港町。ブリストルは、もともとアイルランドから輸入された羊毛を原料として毛織物を生産し、それを輸出することで栄えていた。毛織物の輸出先の一つにはスペインがあり、スペインにむけて毛織物を積んだ商船は、シェリーの生産されるヘレスを後背地にもったスペイン南部の港町カディスに達し、毛織物を積み出した後にはヘレスで生産されたシェリーを積んでブリストルに戻ってきた。いわばブリストルは、イングランドにとってシェリーの玄関口にあたる港町だった。かつてのハーヴェイ社は、フィーノやアモンティリャード、オロロソといったシェリーを購入してブリストルに持ち帰り、ブリストルでクリームを生産していた。今ではハーヴェイ社はブリストル・クレームをスペイン・アンダルシア地方のヘレスで生産しているが、それでもその銘柄にブリストルという名前を冠しているのには、そうした背景がある。

そもそもブリストルを出航したイングランド商船の寄港先だったカディスは、今から3000年ほど前にヘレスで酒精強化ワインを作りはじめたフェニキア人が交易拠点としてつくった港町であり、かのコロンブスが新大陸アメリカを目指して出立した港でもあった。スウェーデンとの関係で言えば、かつてユーテボリより出航したスウェーデン東インド会社の商船団が中国の広州を目指す長い航海の前に必ず寄港した港町が、カディスだった。シェリーは長期間に及ぶ大航海を支えた酒としても知られているが、紀元前の昔にあっては地中海を支配したフェニキア、今から500年ほど前にあってはアメリカからアジアにまたがる「陽の沈まぬ帝国」を築いたスペイン帝国、そして今から200〜100年ほど前にあっては七つの海を支配したブリテン帝国と、それぞれの時代にあって世界を支配した帝国に愛された酒だったのではないか…と僕は陳列棚に並べられたブリストル・クリームを手にしてふと思った。

ことほど左様に、Systembolagetとは、酒という世界が体系化された場所であるがゆえに、ヨーロッパの北の辺境にあってもそんな世界への思いの馳せ方ができる場所である。

2009年4月13日 (月)

北を実感する旅

イースター休暇を利用したノッランド旅行から昨日帰ってきた。僕はスウェーデンのことを勉強しているけれども、これまでは最南端のスコーネへの滞在が長く、北へ向かうのはこれがはじめての経験である。

伝統的なスウェーデンの地方区分は北から大きく分けて、ノッランド、スヴェーアランド、ユータランドの三つに分かれる。(伝統的な区分ゆえ、本来スコーネは南部のユータランドには含まれないが、現在の地方区分ではそれに含まれる。)ノッランドは面積的に言って一番広いが、今回の旅行はそのなかでもボスニア湾北部に面するヴェステルボッテンとノルボッテンのみ。(ちなみに伝統的レーン区分に言うウステルボッテンはフィンランドに含まれ、○○ボッテンとはボスニア湾を取り囲むレーン区分を指す。)

往路はアーランダ空港より空路でヴェステルボッテンの中心都市ウーメオーへ。ここでの滞在目的は、かつて根津に住んでいた頃、スウェーデン語を教わったスウェーデン人の家族に再会するため。ウーメオーは大学町として20世紀後半に急激に発展した町だが、今回の滞在では日本人のご主人とその子供たちとともに、ウーメオー郊外のいまだ雪に閉ざされた深い森のなかでもっぱら雪遊びに興じる。真冬には氷点下十数度に落ち込むという環境のなかにあっては屋外に出るのも死活問題。こういう環境にあっては長く家屋のなかに閉ざされる時間も長くなり、あれこれと想像をめぐらす力もたくましくなるだろうと実感。

(スウェーデンには「プラモデルをつくる」ことを趣味とする人は少ないようだが、現在のように日本のサブカルチャーがとても流行している状況にあっては、寒く暗い冬の時間を楽しむ習慣として「プラモデル」など、きっともてはやされるのではないか。)

ウーメオー滞在の後、バスにてノルボッテンの中心都市であるルーレオ—へむかう。SJの鉄道路線では直接ルーレオーへむかう路線が限られ、大抵は途中フェレフテオーで乗り換えを求められる。バスで揺られること4時間半あまり。途中では、とても小さな集落であるビュグデオーにもバスは立ち寄る。ビュグデオーは、近世スウェーデン軍事国家研究の泰斗であるウップサーラ大学のJ.リンデグレーン教授が学位論文で、農民の兵員徴発による人口動態論的観点を含む資源搾取論を検証した村。それを知らなければ、ただ通り過ぎるだけの土地だと実感。

ルーレオー滞在の目的は、世界遺産に登録されているガンメルスタードを訪れること。ルーレオーはボスニア湾北端のルーレ川河口に位置し、ノッランド交易の拠点として中世以来栄えた港町。ただしスカンディナヴィア半島の隆起の影響を受けて、17世紀半ばに港湾機能を備えた都市部は移動させられ、結果的に現在世界遺産として登録されているガンメルスタード(旧市街)は、現在の都市部より10kmほどルーレ川の上流に位置している。

日本で言えば、盆か正月かというようなイースター休暇の時期。ガンメルスタードどころか、ルーレオーの市街地にも人は少ない。挙げ句の果てに時機を逸した水分混じりの降雪。ガンメルスタードへの訪問は、肉体的にも精神的にも寒いものであったが、だからこそ、教会を中心に教会訪問者の滞在用コテージが数百も集まって建てられているシュルクスタードと呼ばれるガンメルスタード独特の集落構造の意味を、身をもって知ることもできる。そうしたコテージをコンディトリとして改装している店に入ったときには、「家屋のなかで得られる暖」のありがたみを実感。

ルーレオーには、サーミ文化の蒐集で著名なノルボッテン博物館があるも、なにせイースター休暇ということで見ることができず。しかしかわりに、凍てついたルーレ川(というか、ほとんどボスニア湾)の上につくられた「氷の道」の上を雪橇でめぐる。ここでいう橇とは、スウェーデン語で言うスパルク(キック式橇)で、足で雪面を蹴り上げながら滑るもの。これまでも、このスパルクについては(…たぶんO.マグヌスの『北方民俗誌』か何かで…)知っていたのだけれども、実際に凍てつくボスニア湾の氷上を快適に滑ってみて、これならば氷上が凍てつく冬のほうがボスニア湾の東西南北をめぐる人と物の移動は円滑だったろうと実感。

復路はルーレオ—駅よりSJの寝台列車に乗って、12時間以上かけてウップサーラへと戻る。寝台列車は、SJが世界に誇る振り子式特急のX2000とは異なり、振り子式の台車ではないから、揺れること、揺れること…揺れること。夜中に遠心力で体が押し出されたり、引き戻されたりする感覚を何度となく味わう。それは、森林地帯を縫うように鉄路が敷設されたがゆえ、スウェーデンの鉄道にはカーブが多い結果である。それゆえ、いかにX2000がそうしたスウェーデンの地勢に対応する形で開発された画期的な特急だったかということを実感。

戻ってみれば、ウップサーラの気温はセ氏15度を越えている。ルーレオーでは考えられないことだが、ここのスウェーデン人たちは夏支度の服装でカフェや中庭でたむろをはじめている。北欧神話の昔から、北欧の季節に春や秋はなく、夏と冬だけと良く言うが、酷寒のルーレオーから初夏を思わせる陽気のウップサーラへ戻ることで、冬から夏への季節の移り変わりを一気に実感。

復路の列車のなかでスウェーデンの地図を眺めながら思っていたことだが、南北に長いスウェーデンを今一度北の視点から眺めてみると、その中間はスンズヴァルあたりにあって、ストックホルムやウップサーラなど伝統的に人口の集中した地域はだいぶ南に位置し、ルンドやマルメーのあるスコーネはもはや南国(…もとはデンマークなのだから当然異国というべき…)のようだ。あくまでも気候と地勢の面から言うのだが、伝統的な区分で言うスウェーデンとデンマークはやはり別世界。むしろフィンランドを含むスウェーデンと、スコーネを含むデンマークの区分こそが、そうした気候と地勢の面から言って自然な区分だと実感。

ことほど左様に、文献から培った知識を体の五感を活かして感得する歴史学の醍醐味を実感できる旅だった。

2009年1月28日 (水)

大阪ミュージアム構想

橋下徹さんが大阪府知事に就任されて一年。彼の手腕とその成否について価値判断を下すには今はまだ時間が浅すぎると思うけれど、これまでの大阪府で「なぜこんなことができなかったのだろう?」と思えることが、ようやく今になってちらほら出てきていることは事実だ。大阪府にぎわい創造部の大阪ミュージアム構想推進チームが起ち上げた大阪ミュージアム構想のホームページもその一つ。このホームページは、大阪を知りたいと思う者にとって本当によくできていると思う。個人的に秀逸だと思う部分は「映像室」だ。橋下さん自身が大阪各地の伝統行事や建造物などを紹介する映像クリップを集めている。背後にどのようなメディア・プランナーがついているのかわからないが彼のキャラクターを活かしたこのページは、為政者自身が統治地域の隅々をめぐることで統治住民の信用をひろく獲得する水戸黄門的あるいは王の巡礼的な手法の現代版のような気がする。「学芸員」を大阪府民に開放してバーチャルな大阪ミュージアムの運営に府民を巻き込もうとする手法はちょいとばかりポピュリズム的志向があからさまな気がしないでもないけれど、下衆の勘ぐりもここまで。小難しい政治の世界の話は僕にはま〜ったくわからないから、「映像室」だけでなく「展示室」の部分も含めて、今は大阪府の術中にはまって、このページのままに「大阪っておもしろいところだ」と魅せられてしまおう(笑)。お見事。

2009年1月16日 (金)

グルジアの現在と歴史・文化を知る

大阪大学世界言語研究センターで進められている民族紛争の背景に関する地政学的研究が、一週間後の23日金曜日に梅田で公開セミナー「グルジアの現在と歴史・文化を知る」を開催します。以下にその概要を示します。この公開セミナーは、地政学的研究プロジェクトの研究成果を市民向けにわかりやすい形で提供するものです。とりわけ今回の公開セミナーは、昨年夏にいわゆる「グルジア紛争」が勃発したグルジアの現在のみならず、その歴史や文化についても、駐日グルジア大使館の協力を得てご紹介します。

グルジアは、最近はロシアとヨーロッパとの政治的力学関係のなかでクローズアップされましたが、歴史的に考えてみますとローマ帝国がキリスト教を公認するのと同じ頃にキリスト教に改宗した国(グルジア正教会)ですし、ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界の東の境目として、あるいは文明の十字路として位置したために独特な文化が育まれてきた地です。それゆえ、日本ではまだ知られることのない世界遺産もありますし、近年、世界無形遺産に登録されたことでも知られる多声音楽歌謡をはじめ独特な民族文化も育まれてきました。生活文化という点では、例えばグルジアはワイン発祥の地の一つとされていて、そこで生産されるグルジア・ワインは古くはクレオパトラ、最近ではチャーチルが愛飲したことでも知られています。今回の企画でも、グルジア大使館の協力を得てグルジア・ワインが紹介されることにもなっています。

また今回の企画は、阪大世界言語研究センターとこれまで学術的観光コンテンツの開発研究で産学連携関係を築いてきたJTBカルチャーサロン大阪梅田教室の協力を得て、週末金曜日の夕刻に会場を梅田で開催するという点も特筆すべきところで、普段は北摂まで足を運ぶことのできない大阪の町中の方にも是非参加していただければと思います。参加費は無料ですので、関心のある方はふるってご参加下さい。

(ちなみに下のフライヤーはチャチャッと僕がつくりました。iWorkのPagesというソフトは、DTP的な編集の可能なソフトで、時間と手間をかけることなく、即席で下のようなフライヤーをつくることができるのでお薦め。)

gurujia090123.jpg

日時: 2009年1月23日 18時30分~20時30分

詳細:セミナー第一部:グルジアの現在を知る

   イヴァネ・マチャヴァリアニ(駐日グルジア大使)予定

   前田弘毅(大阪大学世界言語研究センター特任助教)

   セミナー第二部:グルジアの歴史・文化を知る

   初めて聞く見る「グルジア音楽・舞踊」の楽しみほか

参加費:無料(座席数50席強)

会場: JTBカルチャーサロン 大阪梅田教室