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2015年5月21日 (木)

「礫岩国家」論へ立石博高先生から頂いたコメントへの回答

東京外国語大学の立石博高先生から、大変貴重なコメントを頂きました。「礫岩国家」論をどのようにわかりやすく知って頂くかをあらためて再考するうえでよい機会ですので、あらためてこちらに僕の所感をまとめます。

「あれからGustaffson氏の1998年論文(The Conglomerate Sate)と2006年論文(A State that failed)を読み直しました。後者の論文ではほとんどこのConglomerateを使っていませんね。いったい氏は、Conglomerateをどのようなイメージで(それがどのような日本語に相当するかたちで)使っているのか、はっきりとつかめませんでした。どうも「地質学」イメージではなくて、漠然とした「コングロマリット」、つまり集積・集塊といった印象を受けますが・・・。その後に、氏はなんらかの地質学的な意味合いでの定義をしているのでしょうか。氏がいう、それぞれの地域政治体に対して王権が異なった対応・統治戦略をとった、という指摘は大切ですし、そのことは今後充分に検討しなければなりません。ただ、この王権の支配領域全体を問題にする場合には、「複合王朝国家(複合王政)」と規定し、一円的でないかたちでの領域編成原理(二宮氏の言う「領域的結合」の複雑さ)を問題にしたほうが、一般には分かりやすいというだけです。その意味では、5月18日の投稿で貴方が書かれている、貴方の構想する「礫岩国家論」の姿勢には、まったく異存ありません。」

「礫岩国家」なる言葉を学界に初めて提起したのは2013年の京都大における日本西洋史学会でのことでした。このときのシンポジウムは、2010年より立石先生も研究分担者として参画して頂いた「近世ヨーロッパ周縁世界における複合的国家編成の比較研究」の共同研究の成果を披露する場でした。2010年にはじめた当初、composite monarchyやconglomerate stateという概念を僕たちは共有していましたが、最初から後者を「礫岩国家」などと表現していた訳ではありません。また後者の提唱者だったグスタフソンも、僕との会話のなかで「conglomerateには礫岩の意味があることは認識している」とは語っていましたが、もちろんより「一般的に流布している複合企業体をいう意味もある」とも語っていました。彼の研究は逐一フォローしていますが、地質学のアナロジーとして「礫岩」を明言しているものはありません。それは、むしろ日本での僕らの共同研究が紡ぎ出した言葉です。

そもそもグスタフソン自身はconglomerate stateに関する定義も1998年の論文で試みたくらい(…その説明もcomposite stateやcomposite monarchyとの明確な使い分けには触れていませんでした…)、あとの業績では一般的に流布しているような集塊や集積といったイメージでしか使っていないかと思います。これは立石先生のご指摘の通りです。このイメージでのconglomerateは少なくとも語感のニュアンスを共有している北欧諸国の学界ではいまでは定着しています。2006年の"A State that failed"は、カルマル連合の崩壊過程とオレンボー朝君主国・ヴァーサ朝君主国の構築過程を論じたものですが、これは2000年に公刊された"Gamla riken, nya stater(古き王国、新しき国家)"というモノグラフのエッセンスを英語で整理しなおした論文です。

この論文ではconglomerate stateという概念は明確に提示されれていません。と申しますのも、この研究は、デンマークやスウェーデン、ノルウェーのような先験的な国家概念・地域概念を前提として史料を分析するのではなく、「それぞれの地域政治体に対して王権が異なった対応・統治戦略をとった」こと、そして逆に「王権に対してそれぞれの地域社会も異なった対応と戦略をとった」こと、「それぞれの戦略の応酬のなかで王権側も地域社会側も自分自身に関する理解をあらたにしていった」ことを明らかにするために、従来から知られた史料をあらためて読み直すことに努めた実証研究だったからです。このような史料分析の方法をプラグマティックな言説分析だと彼と彼の仲間たちは呼んでいます。彼がこの「古き王国、新しき国家」で実践した方法は、いささか曖昧に示されたconglomerate stateの方法概念(そのなかでも「地域政治体に対して王権が異なった対応・統治戦略をとった」ことを明らかにするための手法として流布するに至っています。

さて日本側の「礫岩国家」論はどうだったのかといえば、確かにグスタフソンの議論に刺激された点は大きいのですが、そのままだた単なる現地研究者による修正主義的な近世史解釈を紹介するだけとなってしまうわけで、これとは別の我が国の近世国家研究で長らく残されてしまった課題への対応という点から、少しづつ「礫岩」という言葉が紡ぎ出されていったと思っています。一言で言えば、立石先生も先日の講演会で二宮先生の(手書きの!)ハンドアウトを紹介されていましたが、東北大での日本西洋史学会での議論との関係です。常によき研究仲間である中澤達哉さんや小山哲さんとは、「僕たちの世代は『近代国家形成の諸問題』の所収された論考から受けた衝撃から出発している」といつも話していました。

二宮先生の「統治構造」論に見られた日常的な社会的結合関係が取り結ぶ空間的・地縁的社団と機能的・職能的社団の双方への視点を結びつけた絶対王制の統治構造理解は実に美しく、魅力を失いません。これに対しては、柴田三千雄先生や近藤和彦先生なとが、先験的な共同体感覚を越えて、「出身の違いや利害・信仰の対立と併存を前提に、どういった公共性が形成されてくるのか?」といった視点から意見されていたかと思います。(二宮先生は「統治構造の社団的編成」と慎重に語られていましたが、柴田先生は『近代世界と民衆運動』で、近代的な領域編成を前提とするような社団国家・名望家国家・国民国家を用いられました。柴田先生の問題設定は別のところにあり、近代世界システム論などを見据えながらヨーロッパ広域の問題を論じるところでそれぞれの国家はその単位でしたから単純に批判はできませんけれども、多くの人たちは二宮先生の「社団的編成」と柴田先生の「社団国家」を混同して使うようになってしまいました。混同するのはいけない。)

二宮先生の議論は今でも説得的であり、「複合王朝国家」においても地縁的社団が統治権力との交渉経路をもった場合、「本国と服属地域」の関係を見る上で採用されるべき理解です。しかし実際には、立石先生も書かれているように領域的結合の実際は一円的に整序されたものではなく、誠に複雑怪奇な合従連衡の様相を呈します。こうした一円的な領域的結合を前提としては理解することが難しい、整序されない領域的結合をイメージさせる言葉として僕たちは「礫岩」という言葉を採用したのでした。ここで観察できる地域社会が、その時々の状況と交渉に応じて、時にはあちらの普遍君主へ、時にはこちらの普遍君主へ…といった具合に変動するのか。こうした問題を考える上で忘れてはならないもう一つの議論は、二宮先生の論考と同じく収録されていた成瀬治先生の「近代国家形成の諸問題」だと思っています。

両者は両輪のごとく相互に補完しあって、いまだに僕たちに発想と関心を捉えています。成瀬先生は、「主権概念の確立者として自他ともに認めるジャン=ボダンそのひとが、すべての身分的な社団および共同体を排除すること、それは国家を破滅させることであり、国家を野蛮なティラニーにしてしまうことだと述べていた」と、新たな主権概念と伝統的な社団・共同体理念の二重性を指摘した上で、「今日のヨーロッパ絶対主義研究は、ようやくボダンの真意を「近代国家」の形成過程についての構造史的な再検討のなかで、あらためて認識しつつあるといえるのではあるまいか。」と述べています。これに対して二宮先生は、成瀬先生のボダン論への書評のなかで、主権と伝統的な市民社会概念の二重性に賛同しつつも、「この二つの側面が、何ら矛盾するものではなく、整合的に組み入れられているのだろうか?自権者たる家長の共同体としてのciteやcollegeと、臣民一般に対しかれらの同意なしに法律を与える最高権力としての主権との間では、少なくともヴェクトルが逆になることがありうるのではないか?」と議論を展開されました。しかし「構造史」的な観点でこの問題の再検討は課題として残されたままのように思います。

一言で言って、僕たちは、領域的結合の複雑さ(一円的とは言えない領域編成)を生み出す決定的なモメントとして、普遍君主の理念と伝統的な秩序理念(特権も含む)との拮抗関係に着目する必要があり、そうすることが、「領域的結合の複雑さを構造史的に再検討する」という課題につながると思っています。そうした問題から出発した礫岩国家研究の対象は、立石先生が記してくれているように「一円的でないかたちでの領域編成原理をもつ「複合王朝国家」です。この複雑怪奇な領域的結合にこそ、『近代国家形成の諸問題』が残してくれた普遍君主の理念と伝統的な秩序理念の二重性がもっとも明らかに示されていると思うからです。先のグスタフソンとの関係で言えば、こうした日本の学界で1970年代までに育まれた課題に肉薄しようとするとき、先験的な国家概念や領域概念を前提としないプラグマティックな言説分析が魅力的に映る次第です。そういう意味で、立石先生から頂いた「5月18日の投稿で貴方が書かれている、貴方の構想する「礫岩国家論」の姿勢には、まったく異存ありません」との言葉に勇気づけられました。ありがとうございます。

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