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2014年1月14日 (火)

『リネーの帝国』への道(7)〜「科学と祖国」への視線

巷の三連休、僕は神大で缶詰になり、今年度末で大団円を迎えるパトリア科研の研究会を過ごした。事前に報告の整理が間に合わず、ようやく徹夜して報告原稿を書き上げたりした。途中dropboxのダウンという事態にも見舞われたが、旧知の皆さんと充実した時間を過ごした。(そう思うと反面、家族サービスの「か」の字もない三日間だったから、家族には申し訳ないことをした。)遅まきながら阪大もようやくeduroamサービスを本格運用し始めたタイミングでの研究会となったから、阪大で取得したeduroamのアカウントがフル活用される機会ともなった。(これまでは、あろうことかルンド大学で頂いたeduroamのアカウントを、神大や北大など、国内でeduroamサービスを提供している場では使っていた。阪大の研究環境も少しづつグローバル基準に追いつきつつある。)

正直、一夜明けた今も頭の中はミルク粥状態だ。けれども、個人的には『リネーの帝国』にむけた次のステップについて、「祖国」論と絡めてこれを展開させる大きな示唆を得る機会となった。このブログで『リネーの帝国』への道について記す機会がすっかりなくなってしまっていたけれど、それをあきらめた訳ではない。とりわけ昨年頂いたサバティカルを通じて、少しづつだけれども『リネーの帝国』の実現に向けた歩みを続けている。今年度中には、18世紀後半に訪日したC.P.テューンバリを例に『リネーの帝国』の概要を論じた論文と、ヨーロッパとアジアの媒介者としてのリネー学派の意義を論じた論文が出るはずだ。ただ、僕は『リネーの帝国』を掲げた構想について、リネーとリネー学派の事績を紹介するものとして考えている訳ではない。それは、「大国の時代」と呼ばれた「バルト海帝国」の経験を継承することで、他のヨーロッパ世界と比べて独特な自己認識を実現するに至ったスウェーデンの道をまとめ上げようとするものだ。そういう意味で、この三連休の経験は有益だった。

2008年に刊行された『歴史的ヨーロッパの政治社会』以来、僕はいろいろなところで18世紀スウェーデンにおけるパトリア論を発表していた。パトリア論については共和主義的自由を明らかにするポーコックやスキナーらケンブリッジ学派の概念史研究が知られている。それが史料上に残された「言葉」を同時代の政治文化的コンテクストに位置づける点で示唆溢れる研究であるには違いない。けれど僕は、「言葉」のコンテクスト化の過程が社会経済的背景まで繋がらない点にそうした概念史研究の陥穽の一つを感じている。例えば「祖国」のような言葉を発した人物が、もし同時代の社会生活の基準において奇人変人で誰からも見向きもされず、修道士のように同時代の社会経済から隔絶した生活を送っていたような場合、彼らの発した「言葉」にはどこまで説得力を認めることができようか。

「やがて私の時代が来る」的に彼らの言葉の将来性を信ずるというは、楽観的に過ぎるというものだろう。

だから、18世紀スウェーデンの「祖国」を検討する上で大切になるのは、そうした「言葉」を発した人たちの生きた場の確定となる。僕たちは論文のなかで、よく「スウェーデンは…」といったように、「スウェーデン」を主語として語ってしまう。近世において「スウェーデン」を主語として語ることは、現在のような主権国家としての意識が生まれる前だから、実際には御法度だ。けれど、現在の読者が理解できるように文章を紡ぎ出さねばならないから、便宜的にそうせざるをえない。ここは難しいところだけれど、この矛盾を回避するには、近世における独特な秩序観について「言葉」を発した人そのものを主語として語ることが有効だと思っている。だから、概念史研究は有用だと僕が確信しているのだが、先に記したように、ある「言葉」が実は独り言であるような危険性を含んでしまう。

要は、ある人が発した言葉が独り言なのではなく、同時代のコンテクストにおいてオーソライズされていたものだと、現在の読者が納得できる「場」を確定すればよいのだろう。今回の科研では、啓蒙期ウップサーラ大学で活躍した人たちの「祖国」論を追いかけていた。しかしウップサーラを語ると近世スウェーデンの「祖国」にはフィンランドも含まれていた筈なのに、「スウェーデン」だけでオーソライズされた言葉というイメージが強くなってしまう。(実際には、ウップサーラもまた文芸共和国の時代にあって国境線など関係のないコスモポリタンな知性を共有し、そして情報を発信する場だった。)今回の研究会で気がついた点は、ゴート主義にはじまって、啓蒙期のスウェーデンやフィンランドで社会的有用性の追求を「祖国愛」の条件としたイデオローグも、抽象的概念だった「祖国」を探検事業を通じて可視化したリネー学派の学者たちも、いよいよ19世紀に入ってフォルクの文化的特徴を語り出した者も、王立科学アカデミーの会員だったということだ。

王立科学アカデミーでオーソライズされた「祖国」という言葉は、大北方戦争敗北後の復興期にあって社会的有用性の模索と関連している。「祖国」という言葉はそこに生きる者に求められた「当為(なされるべき)」の対象だったから、同時代の社会経済的コンテクストとの関係も示しやすい。それだけれなく、18世紀のパトリオティズムから19世紀のナショナリズムへの変容を見るうえでも有用ではないか?18世紀の文脈においては、「礫岩」のような複合的編成をもった政治秩序をまとめるうえで、抽象的で汎用性の高い「祖国」という言葉が多用された。しかし19世紀以降のイデオローグたちは、スウェーデンに生きるフォルク(民族)の政治的・文化的特徴を示しつつ、彼らに課せられた歴史的運命の「物語」を構想することで、「祖国」に生きる民族を個別具体的に論じた。この変化を促したものとして僕が注目しているのが、「祖国」の可視化という過程であって、それは社会的有用性の探索を「祖国への奉仕」として求められていた啓蒙期に、まさに王立科学アカデミーの支援を受けてリネーや彼の「使徒」たちが行っていた活動の所産なのである。

忘れないようにメモしておこうと思い、長々と書き連ねてしまった。要は(…督促されている幾つかの仕事を終えた後…)次に書く論文は「科学と祖国〜王立科学アカデミーにおける「祖国」論の歴史的展開」だという話。それぞれ忙しいだろうに、こういう話に真摯に耳を傾けてくれ、拙い議論を鍛えてくれる先輩や同輩の皆さんの存在に心から感謝したい。

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