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2013年10月 3日 (木)

水戸一高校歌雑感

僕の母校は水戸一高。そして、その校是は「至誠一貫」と「堅忍力行」。この二つの言葉は、水戸を離れてだいぶ時間が経った今でも好きな言葉です。とりわけ苦しいときに、この言葉の意味を噛みしめることが多いです。それと母校の校歌。以下にその歌詞を紹介しますが、疲れたり、フルボッコされたり…(笑)すると、今でも自然と口ずさんでしまう誠に中毒性の高い歌です。

僕の母校の校歌については、一見(一聴)するとアナクロニズムにみえる歌詞の内容から、その改廃の是非をめぐって数度にわたって生徒たちの間で激しい議論が戦わされてきました。水戸一高卒業生には馴染みの「水戸一高校歌問題」として知られるものです。(Cf. Wikipediaより水戸一高校歌問題

僕の高校生時代にも「校歌問題」は激しく議論されました。その様子を遠巻きに眺めながら、高校生時代の僕はこんなことを考えていました。(以下は、高校生時代の記憶を辿って記すものです。)

この投稿の前提として、以下に水戸一高の校歌の歌詞を紹介します。

「1.旭輝く日の本の
   光栄(はえ)ある今日のそのもとは
       義人烈士の功績(いさおし)ぞ
   忠孝仁義の大道を
      貫く至誠あるならば
        天地も為に動きなん

2.世界にきおう列強と
   ならびて進む帝国の
       基礎(もとい)は堅忍力行ぞ
   花朝月夕つかのまも
      古人に恥じぬ心して
         ゆめ怠るな一千人」

二番にある「列強と競う帝国」とは、帝国主義時代の偏狭なナショナリズムを想起させるものですが、高校生の僕はそうとは思っていませんでした。一番にある「日の本の礎は義人烈士の功績」という言葉があるためです。「至誠一貫」にある精神は、当時の僕は「公への忠誠」と理解していて、これは歴史学や政治学を勉強した今となっては、近世にみられた「愛国主義」に近いものと言えます。

(「愛国主義(パトリオティズム)」は、近代以降のナショナリズムとはことなり、ヨーロッパ文明の文脈で言えば、ローマ共和政以来の公共精神を近世の文脈に応じて復活、独自に読み替えたもので、「それぞれの地域で公なるものと解釈されていた価値への忠誠」といったものです。)

僕の母校の源流にある旧制水戸中学で学んだ明治・大正頃の水戸の教養人にとって、アインデンティティを支える精神的な柱に水戸学があったことは、校歌の二番の歌詞にある「古人に恥じぬ心して」という一節に顕れるように、想像に難くありません。水戸学のなかでも、後期水戸学とよばれる学問は、歴史のなかに天皇を核とした日本固有の「国体(コンスティテューション)」を見出そうとした学問とされています。中には、水戸学の歴史学としてのあり方を、「国体」という結論を導き出そうとして恣意的に歴史を解釈したのだと断罪する向きもあるでしょうけれど、高校時代の僕は、安易な断罪には慎重であらねばならないと思っていました。

後期水戸学のひとつの結論は「国体」の発見だったかも知れませんが、高校生時代の僕は、校歌の一番にある「忠孝仁義の大道」という一節に託けて、「公と私(自分)との関わり方/あるいは間合いのとり方」を模索する姿こそ水戸学の精髄だと思っていました。

私(自分)の忠誠の対象として「公」を発見する過程は、ただ単に水戸にこもって議論がすすめられていた訳ではありません。パトリオティズムを「愛郷心」ではなく「愛国心」と理解したいのは、例えば、後期水戸学が盛んに論じられた頃、忠誠の対象たる「公」を見出す過程で、常に日本の外にあるものが意識され、外との相対的な関係をもって内なる「公」(「国体」)が発見されているためです。会沢正志斎の『新論』は、とてもわかりやすい例でしょう。「謹みて按ずるに、神州は太陽の出づる所…」ではじまる『新論』の「国体」の章は、「而るに今西荒(せいこう)の蛮夷、頚足の賤しを以て、四海に奔走し…」と日本の直面する外の状況把握から論が説きおこされています。

「鎖国」という神話を暴いてみれば、江戸後期における欧米事情は豊かなものだったことは明らかですが、大切なことは、常に「外」を意識しながら忠誠の対象たる公と私(自分)の関係・距離を理解しようとする態度が、後期水戸学にあったという点です。そう考えた高校時代の僕は、一見アナクロニズムの極致に見える「忠孝仁義の大道」という一節に、インターナショナルな世界認識に裏付けられる水戸の先人の視覚を見出していました。

なんとオーバーな奴…と笑ってください。多少今の立場で内容を補足しましたが、なにせ中二病の最たる頃の考えですから。結局、高校生時代に必要な歴史教育は「暗記」などではなく、こうした事例をもって歴史認識を陶冶することで十分ではないでしょうか。僕は高校で「日本史」という科目を教わったことがありません。担当の先生の個性に依りますが、「国史」という授業でした。最初の宿題は天皇125代を覚えることだったことを記憶しています。受験対策や指導要領など度外視でしたが、そうした教育を受けても歴史学者は育つ。その授業については、歴史の語りはそれを見る者により様々だということを学べた点で得がたい経験だったと思います。水戸にいながら日本を学びながらも、十分に世界との接続に思いを馳せることができていました。

僕にとって水戸は、「歴史を考える」ということのルーツに位置づけられる場所です。

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