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2013年10月

2013年10月28日 (月)

西洋近世史特殊研究1・西洋史特殊講義・西洋近世近代史・西洋史

神戸大学の人文学研究科・文学部で、月曜4限に西洋近世史特殊研究1・西洋史特殊講義・西洋近世近代史・西洋史を受講されるみなさん!こちらに今日の講義ファイルをアップロードします。今日の講義は、先週のさまざまな「複合国家」論について説明をしたあと、スウェーデンを事例としながら「礫岩政体」の話をします。なお、この発言では、同じ内容のファイルをふたつアップします。その理由は、先日アップデートされたKeynoteで、配布資料の作成機能に変更があり、従来のレイアウトだとかなり読みにくくなったためです。申し訳ありませんが、ふたつのファイルのうち読みやすいほうを使ってください。

10月28日の講義ファイルをダウンロード

10月28日の講義ファイル(別バージョン)をダウンロード

2013年10月21日 (月)

西洋近世史特殊研究1・西洋史特殊講義・西洋近世近代史・西洋史

神戸大学の人文学研究科・文学部で、月曜4限に西洋近世史特殊研究1・西洋史特殊講義・西洋近世近代史・西洋史を受講されるみなさん!こちらに今日の講義ファイルをアップロードします。今日の講義のテーマは、普遍君主と礫岩政体。これまでの近世を対象とした国家形成研究をふまえたうえで、今学期にあつかう個別テーマの通奏低音として響き続ける話をします。

10月21日の講義ファイルをダウンロード

2013年10月18日 (金)

北欧史概説b

阪大外国語学部で金曜4限に北欧史概説bを受講しているみなさん。こちらに11月以降の講義で用いる講義ファイルをアップします。今週を含めしばらくは、先週の発言でアップしたファイルを使ってスカンディナヴィア主義関連の話をします。で、よろしく。

講義ファイル(3)をダウンロード

2013年10月11日 (金)

北欧史概説b

阪大外国語学部で金曜4限に北欧史概説bを受講しているみなさん。こちらに来週以降の講義で用いる講義ファイルをアップします。今日の授業は、先週の発言でアップしたファイルを使います。で、よろしく。

講義ファイル(2)をダウンロード

2013年10月 7日 (月)

西洋近世史特殊研究1・西洋史特殊講義・西洋近世近代史・西洋史

神戸大学の人文学研究科・文学部で、月曜4限に西洋近世史特殊研究1・西洋史特殊講義・西洋近世近代史・西洋史を受講されるみなさん!こんにちは。今日は初回の授業ですので、今学期のこの授業の計画についてお話します。(昨日の授業で話した授業日程やレポート課題、参考文献などについて、以下に初回の講義ファイルとしてアップします。)

10月7日の講義ファイルをダウンロード

また取り急ぎ、11月18日と11月25日の授業で検討するFrostの論文と、12月2日と9日に検討するMitcellの論文を以下にアップロードします。ダウンロードと予習をよろしくね。(以下のPDFファイルの公開は、時限付きとします。)

R.I. Frost, "The Limits of Dynastic Power: PolandLithuania, Sweden and the Problem of Composite Monarchy in the Age of the Vasas, 1562-1668", Tonio Andrade & William Reger eds., The Limits of Empire: European Imperial Formations in Early Modern World History, Ashgate, 2012をダウンロード

A.Mitchell, ""Por Dios, Por Patria:" The Sacral Limits of Empire as Seen in Catalan Political Sermons, 1630-1641", Tonio Andrade & William Reger eds., The Limits of Empire: European Imperial Formations in Early Modern World History, Ashgate, 2012をダウンロード

2013年10月 5日 (土)

「1.714…倍返し」で働いています

『半沢直樹』が流行っていた頃、僕はサバティカル期間にあって人と会う機会も少なく、流行語となった「倍返し」という言葉を使う機会がなかったので、今頃になって、人目を憚らず「いまさら」感たっぷりで「倍返し」という言葉を使っています。みなさん、苦笑されていますが。

「サバティカル明け、倍返しで働きます。」と言ってしまった手前、ちょっと今学期の計算をしてみました。今学期、僕は大阪大学だけで学部8コマ+院4コマ=12コマの授業を受け持っています。(ただし豊中の文学部でのリレー講義はのぞきます。ほかに神戸大にも今学期はいきます。)僕の所属する部局では通常5コマ+2コマ=7コマなので、「倍返しで働く」ということならば14コマなのですが、正確には通常の1.71428571428571…倍増しで授業をしていることになります。客観的に見て、旧帝国大系の国立大学の常勤教員としては考えられないコマ数の多さだと思います。(常勤教員の場合、給与はコマ単価で計算はされませんので、コマ数の多少にかかわらず給与は同じです。)

今回の僕のサバティカル取得については、昨年度に旧大阪外大・旧世界言語研究センターから言語文化研究科に組織再編された者にははじめて導入された制度で(…サバティカルはそれまで憧れの制度でした…)、それゆえテストケースの意味あいが濃く、制度運用の問題を明らかにする目的もありました。現状で大阪大学あるいは僕の属する研究科から代講の非常勤講師代は一銭も措置されていません。(スウェーデンに二ヶ月研究滞在しましたが、その出張費についても一銭も措置されていません。別に科研費のような大学外部の研究資金があったので、それを旅費の一部に充てることができましたが。)サバティカル運用は部局単位で異なるので、大阪大学でも他の部局の事情は異なるかも知れません。(僕は、自分の個人研究費の全額投入とスウェーデン語・デンマーク語専攻の同僚の皆さんの個人研究費から資金カンパを頂いて、なんとか2コマ(2二人)の非常勤講師を頼むことができました。スウェーデン語・デンマーク語の同僚のみなさんのご理解には、心から感謝しています。)

スウェーデン語や北欧史は日本でも学べる環境が少ないのですから、不開講によるコマの軽減などという学生の不利益に繋がることは、そもそも考えられません。代講を依頼できる専門家が見いだせないという特殊な事情もあるけれど、このようにサバティカルが終わった後、過度の授業負担がかかるようにデメリットが強調されては、たぶんこの制度への申請者も増えないでしょう。この仕事を抱えつつ、当然ながら論文や本を書いたり、「礫岩国家」のような学界を震撼させる(…笑)報告をしたり、適塾記念センター運営のような行政業務が加わります。(論文執筆や報告準備、そうした研究の下地となる勉強は深夜から早朝にかけてしていることが多いので、通常業務といえるかどうかはわからないのですが。)

これが大学で生きることだと分かっているので愚痴っているわけではありません。(愚痴って何か情況が改められるならば、多いに愚痴りますよ〜。)超ポジティブ思考なので、こういう点を改革すれば良いというわけです。ただ、これが改革すべき問題点としてひろく認識されるかどうかは別の問題です。「結局サバティカルをとるのは自分の責任」などと思われてしまうことが問題で、似たような状況にある東京外大をはじめ、他の大学での運用例を参考としながら改革ができるはずなのに、これまで一つの声もあがらなかったということは、おそらく蔓延している意識の問題なのではないかと思っています。(トムソンロイターの世界大学ランキングが話題になりましたが、このような情況で大学ランキング云々を議論するのは100年はやいぞ〜。)

これは、世界に互する研究教育内容を充実させるために、すべての研究者に与えられた当然の制度と誰からも思われるようにならなくっちゃ。という次第で、毎日プレゼン用にiPad miniを持ち歩いて、(例えば「礫岩国家」シンポのように)「サバティカルでこんなことできました」と充実した成果を笑顔たっぷり話すことで、今は雰囲気づくりに努めています。

2013年10月 4日 (金)

北欧史概説b

阪大外国語学部で金曜4限に北欧史概説bを受講するみなさん。こちらに来週使う講義ファイルをアップします。今日の授業は初回ですので、授業の内容そのものにははいらず(つまりこの講義ファイルを使わず)北欧史を考えることはどういうことかや、この授業についての説明などをします。よろしく。

講義ファイル(1)をダウンロード

2013年10月 3日 (木)

スウェーデン語Ⅱb

金曜5限にスウェーデン語IIbを受講する阪大外国語学部の学生のみなさん。こちらに今学期輪読するテキストをアップロードします。各自ダウンロードして授業にのぞんでください。

B.Edström, "Svensk diplomat i Yttersta Östern Gustaf Oskar Wallenberg", B.Edström och I. Svanberg red., Fjärannära, 2001, s.92-108.

水戸一高校歌雑感

僕の母校は水戸一高。そして、その校是は「至誠一貫」と「堅忍力行」。この二つの言葉は、水戸を離れてだいぶ時間が経った今でも好きな言葉です。とりわけ苦しいときに、この言葉の意味を噛みしめることが多いです。それと母校の校歌。以下にその歌詞を紹介しますが、疲れたり、フルボッコされたり…(笑)すると、今でも自然と口ずさんでしまう誠に中毒性の高い歌です。

僕の母校の校歌については、一見(一聴)するとアナクロニズムにみえる歌詞の内容から、その改廃の是非をめぐって数度にわたって生徒たちの間で激しい議論が戦わされてきました。水戸一高卒業生には馴染みの「水戸一高校歌問題」として知られるものです。(Cf. Wikipediaより水戸一高校歌問題

僕の高校生時代にも「校歌問題」は激しく議論されました。その様子を遠巻きに眺めながら、高校生時代の僕はこんなことを考えていました。(以下は、高校生時代の記憶を辿って記すものです。)

この投稿の前提として、以下に水戸一高の校歌の歌詞を紹介します。

「1.旭輝く日の本の
   光栄(はえ)ある今日のそのもとは
       義人烈士の功績(いさおし)ぞ
   忠孝仁義の大道を
      貫く至誠あるならば
        天地も為に動きなん

2.世界にきおう列強と
   ならびて進む帝国の
       基礎(もとい)は堅忍力行ぞ
   花朝月夕つかのまも
      古人に恥じぬ心して
         ゆめ怠るな一千人」

二番にある「列強と競う帝国」とは、帝国主義時代の偏狭なナショナリズムを想起させるものですが、高校生の僕はそうとは思っていませんでした。一番にある「日の本の礎は義人烈士の功績」という言葉があるためです。「至誠一貫」にある精神は、当時の僕は「公への忠誠」と理解していて、これは歴史学や政治学を勉強した今となっては、近世にみられた「愛国主義」に近いものと言えます。

(「愛国主義(パトリオティズム)」は、近代以降のナショナリズムとはことなり、ヨーロッパ文明の文脈で言えば、ローマ共和政以来の公共精神を近世の文脈に応じて復活、独自に読み替えたもので、「それぞれの地域で公なるものと解釈されていた価値への忠誠」といったものです。)

僕の母校の源流にある旧制水戸中学で学んだ明治・大正頃の水戸の教養人にとって、アインデンティティを支える精神的な柱に水戸学があったことは、校歌の二番の歌詞にある「古人に恥じぬ心して」という一節に顕れるように、想像に難くありません。水戸学のなかでも、後期水戸学とよばれる学問は、歴史のなかに天皇を核とした日本固有の「国体(コンスティテューション)」を見出そうとした学問とされています。中には、水戸学の歴史学としてのあり方を、「国体」という結論を導き出そうとして恣意的に歴史を解釈したのだと断罪する向きもあるでしょうけれど、高校時代の僕は、安易な断罪には慎重であらねばならないと思っていました。

後期水戸学のひとつの結論は「国体」の発見だったかも知れませんが、高校生時代の僕は、校歌の一番にある「忠孝仁義の大道」という一節に託けて、「公と私(自分)との関わり方/あるいは間合いのとり方」を模索する姿こそ水戸学の精髄だと思っていました。

私(自分)の忠誠の対象として「公」を発見する過程は、ただ単に水戸にこもって議論がすすめられていた訳ではありません。パトリオティズムを「愛郷心」ではなく「愛国心」と理解したいのは、例えば、後期水戸学が盛んに論じられた頃、忠誠の対象たる「公」を見出す過程で、常に日本の外にあるものが意識され、外との相対的な関係をもって内なる「公」(「国体」)が発見されているためです。会沢正志斎の『新論』は、とてもわかりやすい例でしょう。「謹みて按ずるに、神州は太陽の出づる所…」ではじまる『新論』の「国体」の章は、「而るに今西荒(せいこう)の蛮夷、頚足の賤しを以て、四海に奔走し…」と日本の直面する外の状況把握から論が説きおこされています。

「鎖国」という神話を暴いてみれば、江戸後期における欧米事情は豊かなものだったことは明らかですが、大切なことは、常に「外」を意識しながら忠誠の対象たる公と私(自分)の関係・距離を理解しようとする態度が、後期水戸学にあったという点です。そう考えた高校時代の僕は、一見アナクロニズムの極致に見える「忠孝仁義の大道」という一節に、インターナショナルな世界認識に裏付けられる水戸の先人の視覚を見出していました。

なんとオーバーな奴…と笑ってください。多少今の立場で内容を補足しましたが、なにせ中二病の最たる頃の考えですから。結局、高校生時代に必要な歴史教育は「暗記」などではなく、こうした事例をもって歴史認識を陶冶することで十分ではないでしょうか。僕は高校で「日本史」という科目を教わったことがありません。担当の先生の個性に依りますが、「国史」という授業でした。最初の宿題は天皇125代を覚えることだったことを記憶しています。受験対策や指導要領など度外視でしたが、そうした教育を受けても歴史学者は育つ。その授業については、歴史の語りはそれを見る者により様々だということを学べた点で得がたい経験だったと思います。水戸にいながら日本を学びながらも、十分に世界との接続に思いを馳せることができていました。

僕にとって水戸は、「歴史を考える」ということのルーツに位置づけられる場所です。

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