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2013年7月 1日 (月)

ルンド大学歴史学部に滞在しています

この1学期、僕は大阪大学言語文化研究科よりサバティカル(研究専従期間)を頂いています。積み残しの仕事、とりわけ5月に京都大学で開催された日本西洋史学会までは大阪に滞在していましたが、6月より2ヶ月間の予定でルンド大学歴史学部に客員研究員として滞在しています。2000〜2001年の滞在以来のことです。当時博士課程の大学院生であった人たちの多くは職を得ており、今ここにいる院生たちの顔ぶれは変わりましたが、ハラルド・グスタフソン先生をはじめ、何人かの方々は当時とかわらず温かく僕を迎えてくれました。昔からのこうした温かい人間関係が日本だけでなく、ここスウェーデンにもあるというのがとても嬉しい。何というのか…「僕はまたここに帰ってきました。」といった感覚。研究所内に研究室と大学のアカウント(それと短期滞在用の宿舎)をあてがってもらい、充実した時間を過ごしています。

この発言では、この1ヶ月の報告をしましょう。今回の滞在の主目的は、日本とスウェーデンの歴史的交流のうち、何人かのキーパーソンの事績を追うことにあります。長年の懸案である「リネーの帝国」の構想実現にむけて、C.P.テューンバリの事績を追っていますが、そこから派生してウップサーラ大学歴史学部教授だったH.イャーネの事績も追っています。こちらに来てから、何人かのスウェーデン人の研究者たちにこの話をしてみると、現在のスウェーデン人の歴史学者の目から見て、とりわけ後者に高い関心を示してくれているので、ここ数週間は後者の調査に時間の多くを費やしています。H.イャーネは20世紀前半に2冊の日本史に関するモノグラフを公刊しています。一冊は近世に訪日した二人のスウェーデン人O.ヴィルマンとC.P.テューンバリの伝記、もう一冊は古代から19世紀末までの日本史概説ですが、両方ともにテューンバリの事績が扱われていますから、H.イャーネの研究はこれまでも重要な参考文献でした。

H.イャーネは、保守主義的な歴史学者として一時期のスウェーデンの歴史学界では批判される向きもありましたが、グローバル・ヒストリー(というよりはトランス・ナショナル・ヒストリーといったほうが正確ですが)の構築に熱心な若手の歴史学者の間では、彼の国際的な視点の在処に関心が寄せられています。H.イャーネは、一般的には近世におけるスウェーデン・ロシア関係史などの事績で知られています。国民主義的な歴史叙述が一般的だった時代の歴史学者のなかで、こうした国際的な感覚に裏付けられたH.イャーネの事績が、一部の歴史学者のなかで回顧され始めているのかも知れません。そうした感覚があったからと予想されるのですが、H.イャーネの日本史の叙述は、中国・朝鮮との関係のなかで日本の歴史的生成を語る特徴をもっています。また鎖国史観にとらわれることなく、江戸期における日欧の交流にも着目できている点は、ヴィルマンやテューンバリらの事績が遺されていたスウェーデンであればこそ可能になった視点かも知れません。

実のところ、こうしたH.イャーネの事績の背景には、20世紀初頭の日本とスウェーデンの関係が色濃く反映されていると、僕は考えています。日本(あるいは東アジア)にはじめて駐在スウェーデン大使が置かれたのは日露戦争直後の1905年(と記憶していますが)でしたが、その初代大使に任命されたのはG.ワレンバリという人物でした。スウェーデンのことに詳しい人ならば、ワレンバリと聞いてピンとくるでしょう…彼は近現代のスウェーデン経済を牽引してきたワレンバリ財閥の人間です。(彼の孫が、第二次世界大戦中にハンガリーでのユダヤ人救出に活躍したR.ワレンバリです。)ワレンバリ財閥の人間が東アジア初の駐在大使に任命されたことの背景には、1905年という時代背景を知る必要があります。スウェーデンの文脈で言えば、スウェーデンとノルウェーの同君連合が解体された結果、スウェーデンは海外貿易における新たな関係を構築する必要が求められていました。東アジアに関して、中国でも、朝鮮でもなく、日本に駐在大使が置かれた理由は、言うまでも無く日清戦争、日露戦争の結果を踏まえての選択です。G.ワレンバリは、日本においてはスウェーデンを宣伝するために、スウェーデンにおいては日本を宣伝するために、地政学を体系化したR.チェレーンや探検家のS.へディーンなど著名人を日本に招聘して講演させては、彼らの帰国後には日本のことを語らせています。こうした文脈のなかに置いて、H.イャーネの事績を僕は振り返ろうとしています。

とはいえ、この6〜7月は一年のなかでもスウェーデンで一番よい季節。6月だけでも建国記念日にはじまり、今年はマデレーン王女の結婚式があり、夏至祭があり…と諸々の行事が詰まっていました。また学生の街ルンドでは卒業関連のイベント(とりわけStudentenとして知られる)で、夜遅くまで学生たちのドンチャン騒ぎが続いていました。とてもありがたいことに、ルンドやコペンハーゲンに住む旧知の方々に何度となくお招きを頂き、家族ぐるみでの歓待の日々も過ごしました。一人、一人は、中世史、近世史、近代史、現代史…諸々の分野での一線級の研究者の方々ですが、こうした私的な繋がりを得て多くを語ることができ、それが将来への布石になるのだと確信する毎日です。(今回の滞在では、ぼちぼちとそれぞれの分野でリーディング・スカラーとして頭角を現しつつある人たちと仲良くできているのがとても嬉しいです。)大学への監査の話だとか、法人としての大学の資金の話だとか…行政関連では洋の東西を問わず皆忙しいわけですけれども、こうした繋がりを糧としながら、研究協力のための次のステップを図りたい。来年は5月にストックホルムでスウェーデン歴史家会議が、8月にはフィンランドのヨエンスーで北欧歴史家会議があるので、北欧の歴史学界としては確実にビッグイヤーになるのですけれども、例えば、来年の夏には僕たちの礫岩国家研究グループもルンドを訪問して、スウェーデンやデンマークの研究者たちとのワークショップを開催しようと画策しています。僕たちの研究にとっても、微々たるものでもビッグイヤーにしたい。こちらの研究者はみな関心を示して乗り気になってくれていることが僕はとても嬉しいです。今年はその準備のための「静かな年」となりそうです。

取り急ぎ、この一ヶ月のルンド報告です。古谷家の私的な動向については、むしろよしこん日記をご覧頂いたほうがよろしいかと思います。(これからスウェーデンに滞在される予定のある人にとって役に立ちそうなもう少し具体的な話は、短文でまた発言しますね。)夏至を迎えるにあたっては、ルンド大学の友人の研究者夫妻の招きで、かつてデンマークであったブレーキンゲ地方の海岸の町で夏至の祭と休暇を過ごしましたし、つい昨日まではユーテボリに滞在して、1658年までデンマーク・ノルウェーとの国境に位置したボーヒュースにも行っていました。季節的には白夜の時期であり…今週は末恐ろしいことに、北極圏へ向かう予定も控えています。(ヨーロッパ文明の来歴を体験するには地中海へ向かうのが穏当なのでしょうが、スウェーデン文化の来歴を体験するには北極圏(とそこに拡がる自然)を知る必要がある…リネーの北極圏探検の顰みに倣っての決断です。)また、折を見て発言します。

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