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2012年5月16日 (水)

北欧史への扉(1)〜グリーペンステッドとワレンバリのこと

今年度の院ゼミでは、デンマーク史では絶対王政研究の史学史に関する論文を、スウェーデン史ではストックホルム大学のTorbjörn Nilssonによる19世紀の社会エリートに関する論文を手始めに輪読している。大学院生とともにじっくりと論文を読んでいれば、あれやこれや…と面白そうな論点が見つかるものの、残念ながら自分の頭と体はひとつ。あれやこれや…とそれらの論点に手をつけることは毛頭できそうにもなく…それならばということで、北欧史研究を志そうとするする後学の士にむけて何らかのヒントになればと思い、これから時間の余裕があるときに思いついたままを「北欧史への扉」と題して、このブログに記そうと思う。

今日のスウェーデン史の院ゼミでおぼろげながら感じていたことは、もしスウェーデンにおける福祉国家の歴史的展開を検討してみたいと思うならば、現在のスウェーデンにおける歴史学研究の動向を踏まえ、我が国でも19世紀中葉におけるスウェーデン資本主義社会の本格的勃興期の研究がなされるべきだろうということだ。スウェーデン福祉国家を支える政治経済システムをネオ・コーポラティズムと称すべきかどうかは、我が国でも数多く存在する社会科学系の研究者の説に任せるが、そうしたシステムを下支えする政府・経営者団体・労働組合の協調関係の中核にワレンバリ財閥の存在が大きかったことは論の異同はなかろう。我が国の福祉国家研究では、全国展開した各種の国民運動やその言説を吸収していく社会民主党に関心が集中するが、スウェーデンにおける歴史学研究の動向に従えば、1930年代に先鞭がつけられる福祉国家形成の前史として、将来的にネオ・コーポラティズム的システムの中核を担うことになるワレンバリ財閥とスウェーデン政府との相互依存関係は研究史の一つの核を形成してきた。

19世紀から20世紀の転換期を境とした労働運動をはじめとする国民運動の展開は、ネオ・コーポラティズムの一翼を担うことになる労働組合とその支持を受けて発展する社会民主党の勃興を論ずるには十分だが、このシステムのスウェーデン的起源を論ずるにはもう一つの核として経営者団体の問題も論じねばならないし、それらの利益集団がいかに政府・議会による政策過程に組み込まれていたのかも論じられねばならない。そうした問題を歴史的な観点から検討しようとする場合、僕たちはとりわけ19世紀中葉の「資本主義の組織化」にむけたスウェーデンにおける経済システムの制度的改革に注目すべきだろうと思う。1850〜60年代にかけての「資本主義の組織化(organiserande av kapitalismen)」という議論は、1990年代にスウェーデンの歴史学界で議論されたテーマのひとつで、例えばストックホルム大学歴史学部で進められた「福祉社会における国家と個人(Stat och individ i välfärdssamhället)」などの研究プロジェクトが知られている。

そもそもスウェーデンの資本主義社会の勃興過程において、市場における民間からの資金調達システムの生成は他のヨーロッパ諸国と比べて遅れたが、1850年代に一人の意欲的な財務大臣が登場するによって状況は急転することになる。J. A. グリーペンステッド(Johan August Gripenstedt)である。ホルシュタイン公国出身のこの男爵は、スウェーデンにおける資本主義経済の勃興を目指した…というよりは、熱烈な自由主義改革論者である彼が主導した改革の結果として、Per T. Ohlssonが1994年に刊行した近代スウェーデン経済史の概説書が言うところの「成長の百年(Hundra år av tillväxt)1870−1970」に先鞭がつけられたと理解すべきである。一般的に、彼の財務大臣時代の改革のアウトラインは、貿易の自由化と企業の自由化を二つの柱としてスウェーデン資本主義が花開くとする1857年議会における「花の絵(blomstermålningarna)」演説に示されるとされる。

この「花の絵」と称されるグリーペンステッドの自由主義改革プランは一見すると楽天的論調に溢れるものだが、1990年代の歴史学研究を経て「資本主義の組織化」の先鞭をなすものと近年では理解されている。例えば、この改革の恩恵を受けて開いたひとつの花こそ、まさにワレンバリ財閥だったと言って良い。ワレンバリ財閥の勃興は、海軍あがりのA. O. ワレンバリ(André Oscar Wallenberg)がスウェーデン最初の民間銀行であるストックホルム民間銀行(Stockholms Enskilda Bank)を開業したことに始まる。1856年に裁可された開業許可は、このグリーペンステッドによる改革の最初の策だった。ストックホルム民間銀行の特徴は、女性を含め個人が自由に口座を開設することができることにあり、ワレンバリは、この銀行に集積される預金を元手としながら数多くの企業へ投資し、コンツェルン体制の起源を形成することになる。グリーペンステッドは、市場における企業勃興を刺激する施策をとる一方で、内国関税の廃止による流通の自由化に踏み切るだけでなく、フランスやドイツ関税同盟を相手とした関税を減じることで外国との貿易や外国からの投資をも刺激しようとした。彼の改革の時代に、スウェーデンにおける鉄道網は一気に拡大したが、それは外国資本に対してスウェーデン市場の魅力を開いた彼の成果によるものだと言える。

このグリーペンステッドの話で興味深いのは、彼が同時代に問題となっていたデンマークとドイツとの南ユランの国境問題(そして第二次スリースヴィ戦争)へのスウェーデンの介入に否定的な論陣を張ったことである。第二次スリースヴィ戦争の開戦前夜において、デンマーク王位を得ることで「北欧」連合王国の構築を目論んだスウェーデン/ノルウェー王カール15世は南ユラン問題への積極的な介入論者であり、スカンディナヴィア主義の論調に従うならばスウェーデン軍は第二次スリースヴィ戦争への派兵直前の状況にあった。これに対して、グリーペンステッドや法務大臣L. ド・イェールら、閣内の自由主義者の反対にあい、軍の最高指揮官でもあるカール15世は派兵を思いとどまるに至った。1850年代以来の改革によってようやく勃興するに至ったスウェーデン資本主義にとって、戦争による海外からの投資活動や国内企業の輸出の停滞が懸念されたためである。ナポレオン戦争以来、スウェーデンは国際戦争に参画せず非同盟・中立主義の外交政策を貫いてきたことが知られているが、おそらく、そうした中立主義外交の最大の危機であった第二次スリースヴィ戦争におけるこの話から理解されるべき点は、「成長の百年」を支えてきた非同盟・中立主義という外交政策は、スウェーデン市場における「組織化された資本主義」経済の恒常的継続を担保する上で必要な条件であると、その当初から理解されてきたということである。(…後にはいわゆる混合経済体制を恒常的に持続するための前提条件として、戦争や革命などによる経済活動の停滞は徹底して回避されていく…。)

市民革命を経験することなく「近代」化を達成したスウェーデンにおいて、自由主義がもつ意味はこの小文では整理できない…さらなる検討の余地がある。19世紀前半から中葉において一般的であった「アンチ正統主義としての自由主義」という歴史的意味に従うならば、スウェーデンにおける自由主義は、「資本主義の組織化」によってもたらされる体制変革として、確かに旧来の正統的な身分制社会の構造を打ち崩すものであった。そこにワレンバリ財閥のような、旧来のスウェーデン王国には存在しなかった新たな社会の主人公が登場し、世紀転換期にもなれば「資本主義の組織化」という意味での自由主義的体制変革の最終的な産物として、後年のネオ・コーポらティズムの一翼を担う様々な国民運動組織(とりわけ労働組合)が登場するからである。

(果たして、ここまで論ずると議論の飛躍になろうから、妄言として簡単に記すにとどめるが、今や古典となったI・T・ベレンドとGy・ラーンキの『ヨーロッパ周辺の近代』のように、北欧と東欧の歴史的展開の差異がどのようなところに生まれるかを比較して考える上でも、このグリーペンステッドの「資本主義の組織化」の話は参考になろうし、北欧という文脈に限って言えば、スカンディナヴィア主義的な「北欧」の理念的統合とスウェーデンにおける「資本主義の組織化」の現実的選択は常に相容れないのではないかという推論も考え得るところだ…妄言だけど。)

さてさて…僕の本来の専門は近世の国家形成史だから、近現代を専門とする人の目からすれば、この発言に誤解や短絡も見出されるだろうけれども、豊富に先行研究もあることですから、どうぞグリーペンステッドやワレンバリのようなスウェーデン的自由主義者の観点から、福祉国家の歴史的起源を探る「資本主義の組織化」の議論を、どなたか研究してみてください。

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