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2010年3月26日 (金)

『リネーの帝国』への道(4)

どうしたことか、ブログ閲覧数のインフレ状態が続いている(笑)。気分転換に、久しぶりに近いうちに執筆したいと思っている『リンネの帝国』あらため『リネーの帝国』(…日本ではリンネと呼んだほうが圧倒的に通じるのだけれども、スウェーデン語に近いカナ表記としてリネーで統一しようという機運が高まり、やはり正しいものを追い求めようとするならば僕もそれに与するものだから…)の構想に関連することを書いてみよう。

年度末ということで今日は今年度最後の大学院の授業があったのだが、この授業では昨年のウップサーラ大学滞在の成果を踏まえて、ここ数ヶ月は昨年4月にカリフォルニア大学リヴァーサイド校の美術史学部にいらっしゃる近世美術史研究者のK.ネヴィルさんが書いた"Gothicism and Early Modern Historical Ethnography", Journal of the History of Ideas, April 2009を輪読していた。これがとてつもなく面白い論文で、近世における「もう一つの普遍的ヨーロッパ」観を下支えしたゴート主義の広域的展開が論じられている。

僕の専門は近世スウェーデンだから、近世スウェーデンにおけるゴート主義の展開に関心があるけれども、かつてのゴート族の移動が北欧から東欧・南欧へと広域的に展開したことに鑑みれば、自らをゴート族の末裔と主張するゴート主義は、北欧だけでなく東欧・南欧においても多発するものである。それゆえ、ネヴィルさんは国際ゴート主義なる概念が近世に存在していたかどうかと問うのであるが、僕の関心はむしろ近代におけるナショナリズムへの連続性を考えたときに、近世におけるゴート主義の地域的偏差の由来へとむかう。

この論文のなかでとりわけ興味深いのは、神聖ローマ帝国におけるハプスブルク家の権力拡張の過程において、(例によって語源学的説明による歴史・地理叙述の横領を積み重ねながら)ハプスブルク権力の正統性の歴史的根拠が、中東欧に拡がるハプスブルク家領がゴート族由来の土地であるという点から求められていたという主張だ。ある意味、全ヨーロッパ的観点にたつと16〜17世紀という時代は、スペインでも、ドイツでも、スウェーデンでも、競って自らの民族の歴史的起源としてゴート族を主張するような「ゴート族の争奪」の時代だったように見える。

問題は、神聖ローマ帝国におけるゴート主義とスウェーデンにおけるゴート主義の比較において、ゴート族の系譜につながろうとする古代性の追求のための手法が語源学的知識に基づいていたために、17世紀も後半くらいになると結果的にゲルマン系言語を使用している地域はいずれもがゴート族の末裔を謳うようになってしまい、地域的偏差が曖昧になる点だ。例えば、17世紀後半にハプスブルク家領の歴史叙述を担ったH.J.ワグナー・フォン・ワーゲンフェルスなどは、もともとは16世紀にスウェーデンのJ.マグヌスあたりが言っていた言説を横領しつつも、独自のゲルマン系言語の解釈からドイツにおけるゴート主義の正統性を唱えている。「ゴートという名辞はドイツの言葉に言うグート(英語で言うグッド)であり、ドイツの言葉で現在ウー(u)とされている箇所はかつてはオー(o)と用いられていた。この傾向は現在でも古代のゴート族が発祥した北方の地域では地名に残されている。例えば、そうした地域ではAltenburgやKreysburg、Dickburgといったように都市を呼ばず、AltenborgやKreysborg、Dickborgなどのように呼んでいる。このような事例からゴートとグートは同じ意味をもつ単語であり、ゴート族とドイツ民族(Teutschen)は単一の民族としてみなされる。」といった感じだ。

このような17世紀後半における語源学的知見に基づいたゴート主義の争奪戦とも言うべき情況を踏まえて、スウェーデンにおけるゴート主義を振り返るならば、そうした知見に基づく民族の古代性の追求では、同じゲルマン系言語を用いているドイツとの差別化が図れなくなっていたとも言える。つまり僕がこの発言で言いたいことは、16世紀のJ.マグヌス以来築き上げられ17世紀後半のO.リュードベックによって体系化され、スウェーデン史に言う「大国の時代」におけるバルト海支配の正統性の論拠を用意したとされるスウェーデンのゴート主義は、17世紀後半の時点でドイツに生きる者と比較して自らの民族の特殊性を主張するには、主張の論拠の提示方法に限界があったということだ。言語的知見などに立った古代性の追求に基づいたゴート主義の限界こそ、次の時代にリネーらによる新たな世界観呈示の前提条件になっていたのではないかと思うのだ。

今回の発言はここまでにしておこう。

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