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2010年3月

2010年3月27日 (土)

『リネーの帝国』への道(5)こちらは発言未完!

今月最後の出張で上京する新幹線の車中にてこの発言を書いている。とにかく今月は外で人と会う機会が多かった。昔からよき付き合いのある方々が大阪を訪れてくれて、その都度楽しい話に花が咲いた。今月お会いできた方々にあらためて感謝を申し上げたい。で、そうした方々との話のなかで聞かれたことの一つが、「『リネーの帝国』はどうなった?」というものだ。はい!仕事で忙しかったり、体調が悪かったり…が続いたことは事実だが、時間をとれる車中やトイレ中、就寝前のソファーの上で『リネーの帝国』の構想を着々と進めている。

この春は3年前に研究代表者として獲得した科研「近世ヨーロッパ周縁世界における戦争と「帝国」再編」の最終年度にあたり、僕なりの「バルト海帝国」論と『リネーの帝国』とを結ぶ構想メモを兼ねる意味で成果報告書を書き上げたりもしていた。僕の『リネーの帝国』構想における「帝国」とは、第一に近世バルト海世界におけるスウェーデン王権を頂点とした広域支配圏(いわゆる通称「バルト海帝国」)に見られた複合的国家編成を念頭においてもちいている。『リネーの帝国』構想では、大北方戦争や七年戦争といった国際戦争での経験によって複合的国家編成がいかなる変化をとげたのかに注目したいと思っている。第二に比喩的な意味でもあえて「帝国」という言葉をもちいている。それは、スウェーデンに拠点を構えたリネーを頂点としながら、世界中に派遣された弟子たちと共に築かれた(…それは軍事組織にも喩えられるものかも知れない…)新たな世界認識を用意した万物分類の「帝国」といった意味である。

(深夜に帰阪するも爆睡して朝を迎えてしまいました。この発言、また時間のあるときに続けます。)

2010年3月26日 (金)

『リネーの帝国』への道(4)

どうしたことか、ブログ閲覧数のインフレ状態が続いている(笑)。気分転換に、久しぶりに近いうちに執筆したいと思っている『リンネの帝国』あらため『リネーの帝国』(…日本ではリンネと呼んだほうが圧倒的に通じるのだけれども、スウェーデン語に近いカナ表記としてリネーで統一しようという機運が高まり、やはり正しいものを追い求めようとするならば僕もそれに与するものだから…)の構想に関連することを書いてみよう。


年度末ということで今日は今年度最後の大学院の授業があったのだが、この授業では昨年のウップサーラ大学滞在の成果を踏まえて、ここ数ヶ月は昨年4月にカリフォルニア大学リヴァーサイド校の美術史学部にいらっしゃる近世美術史研究者のK.ネヴィルさんが書いた"Gothicism and Early Modern Historical Ethnography", Journal of the History of Ideas, April 2009を輪読していた。これがとてつもなく面白い論文で、近世における「もう一つの普遍的ヨーロッパ」観を下支えしたゴート主義の広域的展開が論じられている。


僕の専門は近世スウェーデンだから、近世スウェーデンにおけるゴート主義の展開に関心があるけれども、かつてのゴート族の移動が北欧から東欧・南欧へと広域的に展開したことに鑑みれば、自らをゴート族の末裔と主張するゴート主義は、北欧だけでなく東欧・南欧においても多発するものである。それゆえ、ネヴィルさんは国際ゴート主義なる概念が近世に存在していたかどうかと問うのであるが、僕の関心はむしろ近代におけるナショナリズムへの連続性を考えたときに、近世におけるゴート主義の地域的偏差の由来へとむかう。


この論文のなかでとりわけ興味深いのは、神聖ローマ帝国におけるハプスブルク家の権力拡張の過程において、(例によって語源学的説明による歴史・地理叙述の横領を積み重ねながら)ハプスブルク権力の正統性の歴史的根拠が、中東欧に拡がるハプスブルク家領がゴート族由来の土地であるという点から求められていたという主張だ。ある意味、全ヨーロッパ的観点にたつと16〜17世紀という時代は、スペインでも、ドイツでも、スウェーデンでも、競って自らの民族の歴史的起源としてゴート族を主張するような「ゴート族の争奪」の時代だったように見える。


問題は、神聖ローマ帝国におけるゴート主義とスウェーデンにおけるゴート主義の比較において、ゴート族の系譜につながろうとする古代性の追求のための手法が語源学的知識に基づいていたために、17世紀も後半くらいになると結果的にゲルマン系言語を使用している地域はいずれもがゴート族の末裔を謳うようになってしまい、地域的偏差が曖昧になる点だ。例えば、17世紀後半にハプスブルク家領の歴史叙述を担ったH.J.ワグナー・フォン・ワーゲンフェルスなどは、もともとは16世紀にスウェーデンのJ.マグヌスあたりが言っていた言説を横領しつつも、独自のゲルマン系言語の解釈からドイツにおけるゴート主義の正統性を唱えている。「ゴートという名辞はドイツの言葉に言うグート(英語で言うグッド)であり、ドイツの言葉で現在ウー(u)とされている箇所はかつてはオー(o)と用いられていた。この傾向は現在でも古代のゴート族が発祥した北方の地域では地名に残されている。例えば、そうした地域ではAltenburgやKreysburg、Dickburgといったように都市を呼ばず、AltenborgやKreysborg、Dickborgなどのように呼んでいる。このような事例からゴートとグートは同じ意味をもつ単語であり、ゴート族とドイツ民族(Teutschen)は単一の民族としてみなされる。」といった感じだ。


このような17世紀後半における語源学的知見に基づいたゴート主義の争奪戦とも言うべき情況を踏まえて、スウェーデンにおけるゴート主義を振り返るならば、そうした知見に基づく民族の古代性の追求では、同じゲルマン系言語を用いているドイツとの差別化が図れなくなっていたとも言える。つまり僕がこの発言で言いたいことは、16世紀のJ.マグヌス以来築き上げられ17世紀後半のO.リュードベックによって体系化され、スウェーデン史に言う「大国の時代」におけるバルト海支配の正統性の論拠を用意したとされるスウェーデンのゴート主義は、17世紀後半の時点でドイツに生きる者と比較して自らの民族の特殊性を主張するには、主張の論拠の提示方法に限界があったということだ。言語的知見などに立った古代性の追求に基づいたゴート主義の限界こそ、次の時代にリネーらによる新たな世界観呈示の前提条件になっていたのではないかと思うのだ。


今回の発言はここまでにしておこう。


2010年3月24日 (水)

阪大デンマーク語・スウェーデン語専攻を卒業されるみなさんへ

Daisuke_1
この連休の最終日に今月末に閉館する京阪奈の私のしごと館に行ってきました。「はたして今の仕事が僕の適性にあっているのか?」と思うところもあったので、物は試しとばかりに職業適性検査を受けてみたら…どんな結果がでたと思いますか?数多い職種のなかから僕の適性にあった職業の第一位に出てきたのは…よりによって「大学学長」というものでした。(その瞬間、妻と二人、だだっ広い館内に大きな苦笑いの声が響き渡りましたが。)その結果を受けて、僕は少しは体のことにも気をつけながら、大学での仕事を続けてみようと思いました。

確かアインシュタインか、誰かが、「忘れたあとになお残ったものが本当に学んだものだ。」とかいうようなことを言っていたと思います。正直に言って、この日本のなかでデンマーク語やスウェーデン語を卒業後に使う機会は少ないでしょうから、忘れてしまうこともあるでしょう。でも、それでもなお卒業後5年、10年、20年…と経て、大学で学んだもののなかで皆さんのなかに残るものは何なのか…僕としては卒業後も皆さんの先生としてそれを問い続けてみたいと思っています。だから5年後、10年後、20年後…にまたそうした話をしに僕のもとを訪れて、皆さんの話を聞かせてください。そのためには一つだけお互いに約束をしましょう。それはそのときどきまで僕も、皆さんも元気でいること。卒業、ほんとうにおめでとう。

それから、ここに掲げる僕の似顔絵を描いてくれてありがとう。普段あまり物真似をされるだとか、似顔絵を描かれるだとかされないので、とても嬉しく思いました。僕の研究室は箕面キャンパスのB棟にちょうど引っ越したばかりですが、新しい研究室に飾るに相応しい素敵な贈り物だと思いました。早速飾らしてもらいます。それにしても…本当にこの似顔絵はよく似ている。僕が皆さんを見ている以上に、皆さんが僕をよく見てくれていたということですね。ほんとうにありがとう。

2010年3月 1日 (月)

近況報告と3月の予定

大学教員にとって2月〜3月は一番忙しい時期でしょう。だから僕だけが忙しいわけではないので、こういうことを書くと「情けない!」とお叱りを頂きそうですが、しかし2月中は1日箕面へ出かけて仕事をすると、翌日は決まって発熱するという体調が続きました。正直に告白して、代役が効かない仕事の連続だったので、辛かった。

一年中で一番神経を注がなければならない仕事の数々もおおよそ片付いたところで、今月は3日(民博友の会午餐会)・4日(朝日JTB文化交流塾)・28日(ソレラの会)での講演がありますが、そうした代役のきかない仕事以外は極力外出を控え、自宅でこなせる仕事を粛々と進めたいと思っています。

(あ!研究室がこの3月の半ばに引越します。同じ箕面キャンパス内でA棟6階からB棟8階へと移ります。これまた頭を抱える仕事ですが、引越がすみましたら美しい古谷研究室へぜひお越し下さい。「ニュー研究室は伊達じゃない」ところをお見せします。)

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