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2009年12月16日 (水)

井内太郎先生へのお答え

当初この発言は先週のアウグスブルク滞在で学んだことを書こうと思いましたが、今日久しぶりに箕面キャンパスへ行ってポストを開けてみるとそこに『史学雑誌』第118編第10号が届いていて、そこに先週アウグスブルクで数日間を共に過ごした広島大の井内太郎先生の筆で2008年5月に刊行された近藤和彦編『歴史的ヨーロッパの政治社会』(山川出版社)の書評が掲載されていたので、発言内容を急遽変更。(その前には橋本くんの筆による書評が掲載されていました。)『政治社会』は浩瀚な論文集であるから、それぞれの内容を把握して的確に評することは大変な作業だったろうと思います。論集が浩瀚ならば書評も労作ということです。だからまずはこうして書評を整理いただいた井内先生に心から感謝します。その書評のなかで井内先生が「古谷氏の見解を聞いてみたいところである。」という点が二つほどあげられていたので、今回の発言は井内先生へのお答えにしようと思います。(というか、先週アウグスブルクでお会いして酒杯まで酌み交わしていたのだから、先生ったらそこで聞いてくれればよかったのに!この話をする暇がないほどにアウグスブルクでの時間は濃密だった…ということにしておきましょう、ね、先生!。)

(1)「これをスウェーデンの近代ネーションの一つの到達点と見てよいのか、たとえば一九世紀以降に近代性(モデルネ)などの影響をうけて、その意味内容がさらに変容していくことになるのか。」(117頁下段より抜粋)

まずこの点についてですが、この論文は啓蒙専制体制を迎える時期までを対象にしていますけれど、その後の近代性との関係においてスウェーデンにおける帰属概念を論じようとするならば、ナショーンというラテン語起源の概念とともにフォルクというゲルマン語系概念もくわえて検討されるべきだろうと思っています。つまりこの論文で論じられているナショーンは一つの到達点ではなく、別の議論も加わることで近代においても変容をとげるということです。ここで近代性をどのように定義づけるかによって井内先生からのご指摘への回答も変わってきますが、例えば18世紀後半のヘルダー以降、ゲルマン語系文化圏にて新たに普及した「共通の言語を基礎に歴史的に生成した特有の個性をもつ文化的共同体」としての「フォルク」理解を、19世紀から20世紀半ば(ナポレオン戦争から第二次世界大戦)のゲルマン語系文化圏における帰属意識を基礎づけた「近代」的思潮の特徴だとするならば、スウェーデンの帰属概念の近代的展開としてナショーンだけではなく、フォルクというまた別の帰属概念を論ずる必要があろうかと思います。この論文については、ひろく『歴史的ヨーロッパの政治社会』を扱う共同研究から問題関心が陶冶されたため、他地域・他時代との比較して頂く際に考えて頂きやすいナショーン概念に議論を集中しましたが、スウェーデン語におけるナショーンとフォルクの概念の差異と各々の歴史的展開については、『政治社会』における論文の落ち穂拾いのような形で「スウェーデンにおける民族概念の歴史的展開〜民族理解と自然認識」、『EX ORIENTE』16巻、2009年に簡単に整理しました。実のところ、近代以降のスウェーデン語の用法では、「国民」や「民族」を言う場合に「ナショーン」よりも「フォルク」のほうが多用される実態があります。「ナショーン」がラテン語由来の概念であるとともに、それぞれの時代にスウェーデンが直面した政治的・社会的課題の克服を同時代のイデオローグたちが論じる際に「あるべきスウェーデン人」像を示す帰属範疇の枠組みとして「ナショーン」は用いられる傾向があり、他方「フォルク」は、スウェーデンという独特な自然環境に生き、集産主義のような文化的・社会的性向を等しく持つに至った人間集団そのものを叙述する際に用いられる傾向があります。20世紀に入りスウェーデン社会民主労働党は、スウェーデン型福祉国家の設立目標として「フォルク・ヘンメット(国民の家)」という言葉を掲げましたが、(あるいはナチスにおけるフォルク観なども比較対象として含めるとおもしろいと思うのですが)スウェーデンをはじめゲルマン語系文化圏における近代ネーションの一つの到達点としては、そうした用法に見られる「フォルク」をさらに考える必要があろうかと思います。

(2)「また複合国家論の立場からすると、かつてのスコーネの固有のナショーンと新たなスウェーデンの普遍的なナショーンがいかなる関係を切り結ぶことになるのだろうか。」(117頁下段より抜粋)

複合国家論の立場からすると、複合国家を編成した各々の地域に懐胎した帰属意識は重層性をもっていることになります。つまり地域固有のネーション集団としての帰属意識と、それらが包括される国家のような広域圏への帰属意識は重層的に重なり合って存在していると考えられます。それぞれの地域に生きる民衆に懐胎する重層的な帰属意識のうち、具体的にどれが、どのように表明されるかは、それが表明される場での立ち位置によって変幻します。王国議会のような場において他地域・他身分に対抗する言説の際には、複合国家を構成している(A. スミスの言い方を借りればエスノ・テリトリアルな)地域固有のネーション集団各々の立場が主張されます。しかし戦争のように他国家との対抗が論じられる言説では、愛国主義的な立場で複合国家を統合する広域圏への帰属意識が主張されます。カルマル連合末期の北欧三王国間の対抗関係を見ても、パトリオティズムは近世以前から確かにあったと言えると思います。しかしそうしたパトリオティズムの対象については、慎重にならざるをえません。広域的な帰属範疇の対象たる国家の捉えられ方が、中世・近世・近代では異なるからです。地域固有のネーション意識をもった集団は、中世以来のスウェーデン国法の適用される「王国」への帰属意識が確かにありますが、これは『政治社会』で論じた18世紀以降の新たなスウェーデンの普遍的なナショーンとは別ものであり、S. レイノルズの言い方を借りれば中世以来伝統的に地域住民に共有されてきたrealmへの帰属意識の継続と理解すべきものです。近世以降、スウェーデンの場合には戦争を経験するなかでstateとしての機能系がバルト海全体に広がる範囲で構築されましたが、それは中世以来のrealmの範囲を越えるものであり、そのズレこそが複合国家としての「バルト海帝国」を単純にスウェーデンと定義できない大きな理由でした。しかし大北方戦争以降、stateの権能が及ぶ範囲と住民に共有された中世以来のrealmの範囲がほぼ一致することによって、まずはstate運営上の必要から新たなスウェーデンの枠組みが同時代のイデオローグたちによって語られ、複合国家を統合する「あるべきスウェーデン人」の姿があれこれ議論されるようになったわけです。『政治社会』の論文では、そうしたイデオローグたちの言説分析に基づいた議論でしたので上からの視点に終始した話になりました。ですから、地域固有のナショーン意識をもった住民が、伝統的な広域的帰属範疇であるrealmとの関係において新たな「あるべきスウェーデン人」像をどのように受容していったか(あるいは馴化されていったか)を解明することは今後の1つの課題と言えるでしょう。幸いにしてスウェーデンの場合には伝統的なrealm概念を下支えし、地域固有のナショーンが多数参加した王国議会が存在します。ここは地域固有のナショーンの自己表明の場であり、自らが帰属するに理想化された広域的範疇であるrealmを語る場であり、国家指導層からすれば複合国家を構成する各々のナショーンの立場を調停する場であり(…複合国家の君主は対内的も、対外的にも調停者として振る舞うことが多いのではないでしょうか…)、stateとしての施策を実現するための国家指導層と地域固有のナショーンとの合意形成の場でもありますから、realmからstateへの国家像の変化に対応した帰属意識の変化を見るには絶好の検討対象と言えます。(こうした議論のなかでスコーネが興味深い理由は、スコーネ・ナショーンにとってのrealmが本来ならばデンマークだと思われるのに、どうも彼らが語る理想的「王国」とはデンマークとは別にあるようだということにあり、彼らの理想的「王国」が新たな帰属先となったスウェーデンに直接投影された…それゆえ、スコーネ・ナショーンの意図を汲み取ったすみやかなるスコーネ統合だったような気がしています。)

いずれにせよ近世スウェーデンを対象とした複合国家、ないしはそれを統合する軸としての帰属意識の問題は、近代主義的なナショナリズム論を批判し、近世の実態により即した形で近世に独特な国家形態・帰属意識を析出しようと、ここ10年ほどにスウェーデン本国で盛り上がってきたものです。(ナショナリズムという概念については、近世においてはパトリオティックで、エスノ・テリトリアルなレグナリズムとでも言う概念で置き換えられねばならないと思っています。)ブリテンや神聖ローマ帝国といった複合国家の厚みのある研究史から刺激されるところは大きいので、是非今後ともご指導のほどよろしくお願いします。

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