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2009年11月17日 (火)

恐るべき質問〜父が子に語らされる歴史

(タイトルはもちろんネルーをもじってみた。今の学生たちはネルーの世界史なんて知らないだろうけれどね。)普段より昼夜が逆転する生活を送っており、懸命に働いて衣食住を満足させてあげるくらいのことしか子供たちには親らしいことを何もしてあげられていない。先週もドイツ出張で一週間近く子供に会えない生活を送った。帰国して久しぶりに子供たちと一緒に風呂に入った。6歳になる息子が「昔ドイツはどうして2つに分かれていたの?」と聞いてきた。ちょうど今回のドイツ出張がベルリンの壁崩壊20周年と時期がかぶったこともあって、ニュースを見てそうしたことを知ったのだろう。「アウグスブルクは西?東?」とかいうような感じで、21世紀に生を受けた子供には珍しく、息子は東西談義にはまっていた。

「昔はね、自由にやりたい生き方と平等でいたい生き方で世界が2つに分かれていたんだよ。」と答えると、「ドイツが2つになる前は1つだった?」と息子は間髪入れず聞いてくる。「そうだね、明治時代に日本が1つに新しくまとまったように、ドイツも同じ頃に1つの国としてまとまったね。」と答えると、「それじゃぁ、1つになる前はばらばらだった?」と切り替えされる。「そうだね、ドイツはちっさな国にバラバラにわかれていて、200年くらい前から1つのドイツをつくろうってがんばったんだよ。」と答えると、「ドイツという国はもともとなかったんだね。それじゃぁ、ドイツっていう名前は何だったの?」という深い質問が寄せられる。さすがに神聖ローマ帝国の複雑な話をするに及ばず…帰国直後でミルク粥状の僕の頭には、「ドイツ語のもとになる言葉を話していた人のことを指して、そうした人たちが住んでいた土地の名前だったんだよ。」と答えるのが精一杯。

ドイツという名辞が近代的な統一的国家概念とは別ものだと直感したのだろう…その質問を聞いたときには正直驚いた。なかなかハードな質問が熱い浴槽のなかで続いた。さらに息子は「ポーランドも昔はバラバラになって国がなかったんだよね?」と聞いてきた。な、なに?ポーランド分割の話まで知っているのか…この6歳児は!いつも時刻表とにらめっこをして鉄道のことしか頭にないのかと思っていたら、いつの間にか地域と歴史に対する関心も深めていたらしい。どこからそのような情報を得てきたのか…子供向けの歴史ものの本も傍らに見つからないから、全くそんなことに気がつかなかった。どうやって次世代を担う子供はそうした歴史的な事実に関心をもつにいたるのか。これこそ歴史に携わる人間としては究極の問題だろう。言語学者は自らの子供を対象として「いかに言語獲得が行われるか」を観察しているという話をよく聞く。そもそも歴史は生まれおちたばかりの自然状態にある人間にとって先験的に所有されている対象ではなく、高度に抽象的な思考作業の結果として後天的に感得される産物だとするならば、歴史学者も言語学者と同じように、先験的な「歴史」イメージをもたないまっさらな思考回路の子供たちがいかに「歴史」を獲得するのかという問題にもっと意識的になっても良いはずだ。

(なるほど、日本における歴史教育の貧困は、子供がいかに歴史を獲得するのかという視線が欠けているところにも起因するのかも知れない。いろいろな大学で歴史学の授業を見聞きしているけれども、言語学には言語獲得という分野が確立されている一方、歴史学の授業で歴史獲得という分野があるという話は聞いたことがない。(教育学にはあるのだろうか?)もちろんある「民族」が自らの「歴史」を創造するという意味での歴史獲得の話はよくあることだけれども、ここで言う歴史獲得とは、かつて言語獲得の話が生成文法の発展、あるいはそれを批判する認知言語学の発展を生んだように、客観的に見て無垢な人間がいかに歴史という抽象概念を獲得するのか…その思考過程を考えてみるということだ。)

いよいよ最後に息子からスウェーデン史研究者として究極の質問が寄せられる。「昔どうしてスウェーデンはドイツやポーランドと戦争をしたの?」実はこれと同じ質問を今回の出張先であるアウグスブルク大学でJ.ブルクハルト先生や京都大の小山哲先生からも聞かれていた。後世のスウェーデン史研究者は福音主義の擁護だとか、バルト海制海権の獲得だとかいろいろと理由を論じてきた。しかしそれは結果的にスウェーデンの参戦をそう解釈できるだけで、そもそも金も資源もない貧しいスウェーデンに生きた人々が、どのようなきっかけでお金のかかる「バルト海帝国」の建設にむけてはじめの一歩を踏み出したのか…それは謎のままなのである。

(例えば、スウェーデンは福音主義ルター派の保護を目的にバルト海世界に進出したのだという解釈は、暴言を許してもらえれば、日本は神国日本の道理を世界に普及すべく八紘一宇の構築を目的にアジア世界に進出したのだという論理が先の十五年戦争の理由としては眉をひそめるものであるのと同じように、個人的には違和感の残る解釈である。スウェーデンにせよ、日本にせよ、戦争に参加した一般の人たちが、そうした宗教的道理を絶対的な行動基準として動いていたようには思えないからである。)

息子よ、恐ろしすぎる質問を繰り返してくれるなよ。出張帰りで疲れたお父さんは、ゆっくりとお湯につかりたいのだから。取り急ぎ、最後の質問については、「ほら、スウェーデンにいたときには、ご飯がおいしくなかったでしょう?昔のスウェーデン人は、ドイツやポーランドの美味しい肉やパンでおなかいっぱいになりたかったんだと思うよ。お父さんも、出張中にドイツでおいしい肉とビールでおなか一杯になったからね。」と…ぶっちゃけ、スウェーデン実証主義歴史学の長い学説史を根本からひっくり返すような答えを返してしまった。(与太話のレベルでよければ、それは的を射ていると思っているが。)次の発言では、そんな質問も寄せられたドイツ出張で学んだことを紹介しよう。

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コメント

あなたの息子は時刻表と同じくらい長年(と言ってもまだ人生6年あまりだけど)地図も見ています。世界地図帳の後ろについていたヨーロッパの昔の国境みたいなのもよくみているので、たぶんそれでいろいろ知ったり考えたりしているのかな。

J・ブルクハルト先生の論文、昔読みました。懐かしい名前を見てついコメントしてしまいました。

しかしご子息……栴檀は双葉より芳しといいますか、将来どれだけ優秀な歴史学者(鉄道研究家かもしれませんが)になるのか、楽しみにしております。

なるほど、歴史地図の影響ですか…って、夫婦間の会話ですむ話をこんなところでやめましょう。

続くん、久しぶり!ブルクハルト先生、めっちゃ良い先生やった。70歳近いのに、ビール、肉、ビール、肉…と延々続いたよ。オペラまで一緒に行って、楽しかった。アウグスブルクは、いろんな意味でヨーロッパ史の結節点にある町だから、ミュンヘンまで行く機会があったら行ってみると良いね。

で…だな、「一家に二人も歴史学者はいらない!」というのが古谷家の総意。(だったよね?妻?)個人的に「やりたい」というのなら、また別だけれども。親としては決して薦めたりしない…(;;;´Д`)

古谷先生、

アウクスブルク出張お疲れ様でした!
いきなりシンポジウムにお邪魔しました渡邉です。じつはこれまでも(こっそりと)先生のブログは読ませてもらってましたので、じっさいにお会いできてとても嬉しかったです。
じつはぼくも、こちらに来て「留学日記」なるものを書きはじめました。シンポジウムに突然お邪魔した記事も書きましたので、お時間のあるさいにでも(とてもお忙しいと思いますが…)寄ってみてください。
http://schembart.exblog.jp/
それでは、今後ともブログの記事を楽しみにしております!(それにしても、息子さまの今後がほんとうに楽しみですね。きっとこれからも恐るべき質問がどんどん飛んでくるかと思いますが、またその御様子も書いて下さいね!)

スウェーデンのまずい飯をひたすら避けて在住しつづけているものです(笑)。息子さんの質問に、ノルウェーのロフォーテン諸島にあるバイキング博物館での館員の説明、なぜバイキングはいろんな所まで遠征したのか、今の英国アイルランドあたりで勝負にでたのか、などを思い出しました。そういった熱い血が流れてるんじゃないでしょうかね。北欧人。

息子様、恐るべし・・・・!(称賛です)

実は半田健人さんを検索してやって参りました。
(もちろん、彼の容姿ではなく、造詣の深さに言及しているログを巡って)

先生様の他ログを読み込んでませんので、細かいコメントはできませんが、

半田さんの幼少期もかくもあらんや(=息子様)と。
将来が楽しみでございます。


北欧史、詳しくありませんが、他女子が“赤毛のアン”を読み過ごす頃、
リンドグレーン女史著作を友としておりました。
(などと書くと偉そうですが“やかまし村、カッレくん、ピッピ”等の岩波のリンドグレーン全集です…笑)

大変失礼いたしました。

通りすがりさん、はじめまして。コメントをありがとうございます。僕も、「やるな!」って感じでテレビでお見受けする半田さんの言動には一目置いています。あの若さであの蘊蓄。年をとって経験を積まれたら、どれだけのイデオローグになられるのか、今後の半田さんが楽しみです。

アストリッド・リンドグレーン、良いですよね。赤毛のアンがモンゴメリーのプリンス・エドワード島への思い入れから書かれているならば、やかまし村はリンドグレンの故郷スモーランド地方(スウェーデンの南です)の思い入れがたっぷり。今をときめく映画監督ラッセ・ハルストレムが撮ったやかまし村の映画(二作)は、一昔前のスウェーデンの農村はこんなだっただろうと思わせてくれてお薦めです!

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