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2009年7月10日 (金)

壮大な思想史とはこういうものだ〜互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール〈言語学〉の孤独、「一般言語学」の夢』

最近、思わずニヤっとさせられる本に出会う機会が減っていた。ニヤっという表情は、凝り固まった自分の頭に鉄槌を喰らったとき思わず出てしまう、知的歓喜を得た瞬間の条件反射的な反応である。一昨日、河合塾時代の古い知り合いから彼の博士論文を基とする本を頂いた。互盛央くんによる『フェルディナン・ド・ソシュール〈言語学〉の孤独、「一般言語学」の夢』(作品社)である。パラパラと見ているうちに一気にその内容に僕はひきこまれた。今は僕も時間がないから、昨日、今日…と仕事を終えて帰宅した後の「楽しみ」としてこの書をとっておき、一文、一文、ニヤニヤしながら読み進めている。

この本はソシュールと彼の有名な「一般言語学」講義を題材とはしているけれど、序論を数行読んだだけで、丸山圭三郎以来よく見られるようになったソシュール論とは一線を画すものだとわかった。言語学が生み出される知的背景にあった哲学・歴史学の状況、ヨーロッパの文化・社会の状況を絡めつつ、いわば「一般言語学の成立」というフィルターを通してみた、近代ヨーロッパの精神的状況を総合的に俯瞰する思想史。最近、これほどまでに稀有壮大な内容をもった日本語による思想史(…とりわけ近代ヨーロッパを主題とする…)の叙述を、僕は知らない。だから、思わず「やるな!」という感じで、ニヤっときた。

互君とは河合塾時代に哲学・思想・歴史の話をあれこれ語り合ったことを懐かしく思い出す。この本に見られる「ソシュール」というフィルターを通じた近代の「総合」は、「あの頃のお互いの議論を与太話に終わらせず、実際に形にしたのだな。」と思わせてくれ、個人的には感慨深い。人間の文化(…ここで言う文化は単なる文化ではなく、政治「文化」、経済「文化」といった語彙で表明されている「文化」…)をめぐる諸局面を「総合」し、時代精神に肉薄するという知的営為は、「リネーの帝国」構想をぶち上げる僕には馴染みやすい。だから互君の『ソシュール』における浩瀚な議論は、肉体的に疲れていてもすんなりと頭に入ってきて、むしろ心地よい。

研究とは別に責任ある仕事を持って忙しい日々を送りながらも、互君がこの書を通じて若き日の夢を実現させたこの本は、大学という環境に生きながらいまだそれができていない僕からすると、尊敬の書でもある。(この書を読めば、「仕事が忙しくて、博論が仕上がらない。」というのは単なる泣き言にすぎないということを痛感する。)そして、最近どっちの方向に進んでいるのかよくわからず、元気があるんだかないんだか、希望があるんだかないんだか…まったく理解不能な日本という国にあって、三十代の人間によってこうした知的営為がなされたという事実は、この国の知的将来に「真剣」の光をもたらす希望の書でもある。

そんな本を手に出来て、僕は実に痛快だ。互君、ありがとう。そして、おめでとう。

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