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2009年5月 2日 (土)

ウップサーラの春のなが〜い一日


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4月30日は、スウェーデン(というかゲルマン圏)の暦で言えば、「ヴァルプルギスの夜」(スウェーデン語ではValborgと略す)の日。長い冬を終え森に閉ざされた地にようやく訪れた春を祝う祭りである。ゲルマン圏では、おおよそ5月1日に祝われる五月祭の前夜祭として4月30日の晩にかがり火が焚かれる。ローマ・カトリックでは5月1日がイングランド出身の聖ワルブルガの日とされてきたが、これはキリスト教が伝来する以前のゲルマン圏で春の到来と生命の息吹を祝った五月祭にかぶせられたと推測されており、さらにはキリスト教の伝来以前より五月祭の前夜祭として火祭りが行われていたとも考えられている。長い冬の闇に閉ざされた森の世界にだんだんと春が訪れると、魑魅魍魎の活動も活発になる。そこで、生を祝う五月祭を迎える前日に、あらためてかがり火を焚くことで魑魅魍魎の世界と人間の世界を区分したというのが、ヴァルプルギスの夜の起源に関する一般的な説明である。この時期になると冬眠から醒めた獣たちの活動も活発になるから、かがり火は実際のところ人間の生活圏を守るという機能も有していたのだろう。僕は、この祭がそうした一年の季節のリズムに応じた生活習慣の反照だと常々考えている。

今回のウップサーラ滞在で僕はこの祭をウップサーラ郊外のガムラ・ウップサーラで体験した。ガムラ・ウップサーラとは「古ウップサーラ」という意味で、もともとウップサーラと呼ばれていた土地である。(現在のウップサーラは、メーラレン湖からフューリス川を遡上しガムラ・ウップサーラへと至る道程にあって上陸拠点となった地であり、「東のアーロス」と呼ばれていた。ちなみに「西のアーロス」が現在のヴェステルオースである。)ガムラ・ウップサーラは、キリスト教流入以前のスウェーデンにあって政治と信仰の中心に位置する地であり、「ウップサーラの王」という呼称こそがかつてはスウェーデンの王そのものを指し、スウェーデン全土から出席者を招いた民会もここで開催されていた。今は12世紀半ばに最初に大司教座の置かれたガムラ・ウップサーラ教会(現在のウップサーラ大聖堂ではない)と幾人かのスウェーデン王の王墓と伝えられている塚が残されている。そんなキリスト教流入以前のスウェーデンの雰囲気の残る場所で、古いゲルマン文化の縁を今に伝えるヴァルプルギスの夜のかがり火を僕は見た。一枚目の写真は、ガムラ・ウップサーラの墳墓群に囲まれたワルプルギスのかがり火の写真である。

さて、一般的に言って4月30日はそうした五月祭の前夜祭としてかがり火が焚かれる日として知られているものの、かつてスウェーデン王権を頂点としてバルト海世界に築かれた広域支配圏に属した地域(…スウェーデン、フィンランド、エストニアなど…)で、大学のある町(…スウェーデンならウップサーラ、ルンドなど、フィンランドならヘルシンキなど、エストニアならタルトゥ…)においては、この日は学生祭の日ともなっている。この日ばかりは、朝から学生たちは酒(…伝統に従えばシャンパンだが、今はビールも、ワインも、アクアヴィットも、なんでもあり…)を飲み、一日中乱痴気騒ぎを町中で繰り広げる。スウェーデンは5月1日は五月祭としてではなく、労働者の祝日とされているが、大学町で生活していると、あたかも5月1日の祝日は4月30日の学生祭の疲れを癒す休日として設定されているのではないか…と思えるほど、4月30日の乱痴気騒ぎは激しい。4月30日の学生祭の祝い方(…それは「大学生の時代」とも呼びうる19世紀に形作られたものだけれども…)は、スウェーデンの場合、例えばウップサーラはウップサーラの伝統的方式、ルンドはルンドの伝統的方式…といったように、各大学で異なる。

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ウップサーラの場合には、朝7時頃から「シャンパンの朝食」といってシャンパンを飲みながらの朝食が振る舞われる。町中にメーラレン湖へと流れ込むフューリス川が流れるウップサーラの場合には、朝10時から学生たちによる筏下りが催される。ウップサーラ中心街に流れ込んむフューリス川は、17世紀頃(かのゴート主義で知られるリュードベックの発案とも言われているが)水車小屋と堰が設けられた。この堰下りが、手製の筏下りでの一つの見所とされている。ウップサーラの市民たちも酒を片手にフューリス川のほとりに大勢詰めかけ、ビールやシャンパンなどを…男女関係なくラッパ飲みし、野次とゴミを飛ばしながら筏下りを観戦する。それが終わると、ニシンをメインとした昼食をとる…もちろんシャンパンを飲みながら。午後3時になると、すっかり酔いのまわった学生と市民たちは大学図書館Carolina rediviva前の広場に集まり、redivivaの二階テラスに登壇したウップサーラ大学総長自らが学生帽を手にとって振るのとあわせて、自らの学生帽を振り合う「儀式」が催される。午後3時過ぎには大学本堂内でスウェーデンで最も有名な(…かつてかの作曲家H.アルヴェーンが指揮していたこともある…合唱好きな人ならE.エリクソンが長らく指揮をしていたと言ったほうがわかりやすかな…)Orphei Drängarが、学生歌として歌い継がれてきた様々な春の歌を披露し、中に入れない学生や市民たちも本堂前の広場(…かの国民主義的歴史学の父E.G.イェイイェルの堂々たる立像のたつ…)でスピーカを通じて流れる歌を共に楽しむ。その間、学生たちは、自らの属するナショーン(…学生の出身地域ごとに結成されている団体…)の建物で、シャンパン・ファイトやダンス・パーティーに狂ったように興じる。午後9時頃にはウップサーラ城のグニッラ時計と呼ばれているの時計の側で各ナショーンから選ばれた学生たちが春の演説会を行い、ようやく午後10時頃になって「6時の食事」と名前のついている夕食会が各ナショーンではじまり、宴は延々と夜中まで続く。

二枚目の写真は、午後3時過ぎに大学本堂前の広場で春の歌の合唱を聞く学生や市民たちの姿。左側に立つ像は、19世紀初頭にあって「ゴート協会」を主催し、『スウェーデン国民の歴史』を記したことで知られるスウェーデン国民主義歴史学の父イェイイェルの像。そしてイェイイェルの視線の先(…この写真では左奥に見える建物…)が、かつてイェイイェル自身も教授を務めたウップサーラ大学歴史学部の建物。この写真の右には、17世紀に建てられゴート主義を体系化したO.リュードベックが解剖実験などを公開したことでも知られる、かつての大学講堂グスタヴィアヌムが写っている。そして、そのさらに奥にはスウェーデン最大のゴシック式教会であり、福音主義スウェーデン教会の総本山であるウップサーラ大聖堂が写っている。つまり、この写真が撮影されたウップサーラ大学本堂前の場所には、福音主義・ゴート主義・国民主義…とスウェーデンの地に生きた様々な出自の人々を「国民」としてまとめあげた統合理念が一カ所に集約されている。そんな場所に4月30日の午後には、こうしてスウェーデン「国民」が大挙して押し寄せ、春の歌に耳を傾ける。

(この発言のタイトルにもあるように「なが〜い一日」の話は、まだまだ「なが〜く」続きます!。せっかくの機会ですから、休憩がてら、スウェーデンの春の歌のなかでも最も有名な…春の歌といえば必ず最初に歌われる"Vintern rasat ut!"(冬は過ぎ去った!)を紹介。Orphei Drängarの録音があれば良かったのだけれどもYoutubeにはなかったので、毎年この時期になると僕が箕面の研究室で愛聴しているルンド大学学生合唱団の録音でどうぞお聞き下さい!この合唱団による春の歌のCDはBISレーベルからリリースされていますし、最近はiTunes Storeからダウンロード購入もできます。


  upsala.jpg     lund.jpg 4月30日の一日の流れは上に記した通りだが、これがスカンディナヴィア半島南端のスコーネ地方に位置するスウェーデンで二番目に古いルンド大学になると、朝食でいきなりニシンがふるまわれるし(…もともとスコーネ南岸はニシン漁で有名だった地域である…)、学生帽を振る「儀式」は、夕方の5時45分きっかりに詩人テグネール(…19世紀はじめに活躍したスウェーデン国民主義を代表する詩人でルンド大学で古典学の教授職にあった…)の銅像の建つルンド大聖堂裏手の広場で行われるなど、大きな違いがある。その差は、ウップサーラに対するルンドの対抗意識のようなものに裏付けられていると言えようか。興味深い点は、このヴァルプルギスの夜の日を境にして9月末までの「夏」の期間にのみ被られる学生帽にも、ウップサーラ大学モデルとルンド大学モデルとの間で違いが見られることだ。そもそも北欧で大学生が被る学生帽の起源は、「一なる北欧」の創出を目指したスカンディナヴィア主義が最も盛り上がっていた頃の1845年に、コペンハーゲンで開催されたスカンディナヴィア学生祭典へ出席したウップサーラ大学の学生が被ったものとされている。この学生祭典へは他の北欧の大学からも参加者があったが、その翌年以降、自らの属する大学を同定するための道具として、学生帽が普及した。それゆえ厳密に言えば、各大学の間で学生帽には違いがあることになる。(…だからスカンディナヴィア学生祭典は「一なる北欧」の雰囲気を醸し出す祭典だったけれども、そのなかでは各大学の学生が個性を主張することで、分裂の可能性をはらんでいた…とも言えるね。)ここでご覧頂く写真は、左側がウップサーラ大学モデルの学生帽、右側がルンド大学モデルの学生帽である。ウップサーラ・モデルは、白い頭頂部に膨らみがあって柔らかく、その下に黒い帯がまかれ、正面に黄色と青色の紋章が配置されている。ウップサーラ・モデルの一番の特徴は、裏地がスウェーデンの国旗のように青色と黄色の十字模様で布が織り込まれていること。これがルンド・モデルになると、白い頭頂部はウップサーラ・モデルよりも若干高みがあり堅い。帯は黒色というよりも本来紺色が一般的で、そしてなにより裏地が赤色の布である点が異なる。外見的には帽子の正面に配置された黄色と青色の紋章など、ウップサーラ・モデルもルンド・モデルも同じであるのに、目に見えない裏地の部分でかつてデンマークに属していたスコーネにあるルンド大学は、スコーネ旗の色である赤を使っているあたり、さりげない自己主張が見え隠れしていておもしろい。(というか、日本でもよく田舎の中学生たちが自己主張をしようとするときに学生服の裏地に工夫を施すけれども、外装に見る学生の自己主張の方法が洋の東西を問わずそうした裏地の利用方法に共通して見られる点は、実に興味深い。)

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最後にご覧頂く写真は、ウップサーラ大学の伝統に従って4月30日午後3時にCarolina rediviva図書館で行われる学生帽振りの「儀式」。このテラスの中央には、ウップサーラ大学総長が自らの学生帽を手にして振っている。この写真に写っているように、大抵の学生はウップサーラ・モデルの学生帽を被っている。(…だから、ここで帽子振りの「儀式」のときに、もし裏地が赤色であることがばれたら、「お前は潜りだ!」と非難されるに違いない…笑。)さらに、この写真ではredivivaの正面玄関の前にウップサーラ大学の学生たちが所属するナショーンの旗が写っている。旗をもった女子学生の威風堂々たる姿は、ヴァルハラを守るヴァルキリアを思わせる。ナショーンは、スウェーデンの大学のなかでも本来、ウップサーラとルンドにしかない学生互助団体。学生の出身地別にそれら団体は構成され、学生は自らの出身地の名前をもったナショーンに属することが義務づけられていた。(…今はそうした義務はなく、日本人の留学生でもウップサーラ大学の学生IDを持つ者ならば、希望を申し出て会費を支払えば、どのナショーンにでも所属できる。残念ながら僕はもう学生ではないので、入会していない…。)新たに加わったナショーン、廃されたナショーンもいろいろとあるけれど、おもしろいことにウップサーラでも、ルンドでも、現在大学の学生連盟に属するナショーンは両方とも13。(ちなみにナショーンのある大学はウップサーラ大学とルンド大学の他には、フィンランドのオーボ・アカデミー(現在のヘルシンキ大学)とエストニアのタルトゥ大学。ウップサーラを別とすれば、ルンド・オーボ・タルトゥの三つはスウェーデンがバルト海に広域支配圏を築いていた17世紀にスウェーデン王権によって開かれた大学だから、かつての帝国の遺伝子は各大学のナショーンに保たれているとも言える。現在のIKEAやH&Mもそうだけれど、スウェーデンという国は人々の生活文化に溶け込むソフトウェアを提供するハードウェアの世界展開が実にうまいと思う。僕は常々、そうした点こそがスウェーデンが小国でありながら世界に堂々としていられる要因ではないかと思っている。)

ナショーンはウップサーラやルンドでは学生生活の基盤となる団体で、ナショーンはそれぞれ自らの建物をもち、そこにはナショーン構成員専用のパブやレストランもあり、劇団や楽団、スポーツチームなど、文化会系・体育会系のサークルはおおよそナショーン単位で構成されている。ほとんどのナショーンは17世紀以来の歴史があり、この400年近くウップサーラやルンドの学生たちはこのナショーンとともに歴史を刻んできた。4月30日の学生祭もそうしたナショーンが主体となって作り上げられてきた伝統行事である。この日は朝から各ナショーンの建物では酒が振る舞われ、大音響で流される音楽とともにダンスパーティーが続けられている。それは、長い冬を終え春を迎えた若者のエネルギーが爆発している感じだ。「実にもったいない!」と思いながら僕は遠目で眺めていたけれども、実際、壮絶なシャンパン・ファイトとともに酒の瓶もたくさん割られ、ウップサーラの町中にあるナショーンの建物を通る度、エネルギー爆発の結果たる強烈なアルコール臭が鼻をついた。(…さすがの僕も、多くのスウェーデンの女子学生たちが朝っぱらから町中でシャンパンやワインのボトルをラッパ飲みする姿を目の当たりにしたときには…本当に参った、驚いた…。)ナショーンは19世紀以来のスウェーデンの政治・社会・文化に影響力を果たしてきた社会団体の一つと言えるけれども、なるほど今となってははるか昔のこととなってしまった革命騒ぎも、スカンディナヴィア主義の運動も、こうしたナショーンの乱痴気騒ぎの延長にあるものかと実感。そう思うと、ナショーンに支えられた4月30日の学生祭とは、ウップサーラ大学に歴史的に保たれてきた独特な政治文化の有り様が、一年に一度、飲酒の力による無礼講を通じて、目に見える形になってあらわれる希有な機会だ…と言えるね。

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