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2009年5月22日 (金)

ルンドの友人たちに思う

ここ一週間ほど、僕は耳鳴りが酷い。そこで今週の水曜日に気分転換がてら8年前に留学したルンドへ行くことを思い立った。たまたまユーテボリ大学歴史学部にいる友人研究者のマーティン(現代思想史が専門)から、ルンド大学歴史学部にいる共通の友人ルースベ(近代イラン文化史が専門)の博士論文の最終口頭試問があり、その夜には彼のパーティーがあるという報せを受けたこともある。

(今回のルンド行きのために飛行機やら、電車やら、ホテルやらの情報をあれこれと検索して、旅行の計画をたて、予約をして…という作業に集中していたとき には、不思議と耳鳴りがやんだ。以前も発言したことだけれど、どうも今回のウップサーラ滞在では自由な時間がある一方で体調がおもわしくないときが多く、 はじめ僕はその理由を「年を取ったから」と思っていた。けれど、どうやら自由があると僕の体は自分の体の変調や不調を感じ、逆にやらねばならない事を抱え ているときはそれを感じないでいるようだ。自由だけれども体に問題があるのと、忙しいけれども体に問題がないのと…どちらが良いのだろう?)

この日の主人公であるルースベとは、彼の奥さんであるアグネタ(…彼女ももとは歴史学部の学生で、今でも覚えているけれどルンド大学歴史学部のキッチンで最初に声をかけてくれたのが彼女だった…)、息子のヘクトルとも、僕、僕の妻、息子と共に年齢が近いということもあって、ルンド滞在以来仲良くしている。それとアップル信者ということでも、僕たちはよき友人だ。彼は歴史学部のシスアド的存在で、歴史学部にとっては誰からも信頼されているPC関連のよき助言者。組織における僕のポジションに似ているが、彼は以前よりMac信者で、すべてのPCの問題を「Macならばそんな問題は起きない。」というのが口癖…僕はそんなことは一切口にしない…心に思っていても(笑)。当然お互いに使っている携帯電話はiPhoneなのだけれども、そこにインストールされたゲームに子供が興じる姿まで、僕のところとそっくり。

おそらくルースベは8年前に僕が滞在していたとき、学位論文執筆の資格保有者のなかで最も若かった。そんな彼がようやく博士論文を終えたというのである。この5月という時期にスウェーデンにいられたこと自体奇跡的なのだから、「ルースベに会いに行かなきゃ」となにやら運命めいたものさえ僕は感じていた。

急遽思い立ったルンド行きだったので飛行機も電車も予約がままならず、彼の口頭試問には間に合わなかったがパーティーには参加できた。ルンドはウップサーラに比べると暖かく、空に浮かぶ雲も高いように思う。スコーネの風景は、今が満開の菜の花の黄色い絨毯で彩られている。ウップサーラに慣れた身には、ルンドの町並みは随分とこぢんまりと感じる。

グランド・ホテル(…デンマークとスウェーデンの歴史家たちによって最初の北欧歴史家会議が開かれた場所。格安の部屋もあるが、そこを予約すると裏窓の長めの悪い部屋に通される…)にチェックインを済ませた後、パーティーまでの時間、歴史学部を訪れた。そこで早速、最近子供が産まれて夜のパーティーに参加できないミーア(冷戦文化史が専門)と会ってフィーカ。彼女と日本での研究連携について話をしていると、僕がいた頃は学部長をしていたキム先生(社会運動史が専門)がやってきて(…彼はこの日の主役のルースベの指導教授なのだけれども…)「お前が日本から来ると聞いた」と声をかけてくれた。夕方からのパーティーには、ルースベ・アグネタ・ヘクトル親子はもちろん、歴史学部の懐かしい面々が集まった。

僕が留学したときに世話になったハラルド先生(複合国家論でお馴染み、近世国家論が専門)やハンネさん(デンマーク史が専門)をはじめ、挙げたらきりがないけれど、さすがにエヴァ先生(現在の北欧歴史学界で誰もが敬意を払う女性研究者、近世社会史が専門)まで僕に声をかけてくれたときには感激した。今回、僕は誰にもルンドへ行くと連絡をしていなかったので、僕の「おしかけ訪問」はルンドの皆さんにはサプライズすぎて、いい迷惑だったかもしれない。けれど、ここの人たちとは話をするとその瞬間、すぐに打ち解けることができる。そんな温かさが、ルンドの良いところだ。

「なんでお前がここにいるんだ?」と問われる度に、「エラスムス・ムンドゥスでウップサーラ大学に滞在しているんだ。」と同じ答えを繰り返す。ここでわかったことはエラスムス・ムンドゥスというプログラムがルンドではあまり認知度が高くないということ。そりゃそうだ…エラスムス・ムンドゥスでもユーロ・カルチャーの協力校はスウェーデンでも今のところウップサーラ大学だけだから。

会話の流れとしては、ほとんどの人から「ルンドとウップサーラとどっちが良い?もちろんルンドだよな?」とか、「お前はいつからコンサバに転向したんだ?」なんて言葉をもらう。ここで、ウップサーラへのルンドの「対抗」意識が「冗談」や「からかい」のネタにされていることがわかる。日本の場合、例えば東大と京大はお互いの行くべき道の違いを各々尊重しているかのように見えるので激しい対立意識があるようにも見えないのだが、(…ちなみに東京と大阪との間に見られるような「対抗」は、スウェーデンにおいてはストックホルムとユーテボリとの間に見られる…どちらの場合でもセカンドランクにあるほうが強く「対抗」意識を見せている点、共通しているのだけれども…)ルンドとウップサーラの「対立」は「左対右」、「革新対保守」といったような型に従って仕立てられるので「からかい」の内容がわかりやすく、会話のネタとして使いやすい素材。僕の周りで実際の対立を感じたりはしないが、ルンドは「スウェーデン中央とは違う!」という自律精神を強く抱いている環境だということは事実だろう。僕はと言えば、単に寒がりだからということもあるのだけれども(…こんな寒がりでスウェーデンを研究しているのも皮肉だ…)、「スコーネの暖かい天気とみんなの暖かい気持ちがあるからルンドが良い。」なんて…スコーネの自然・ルンド大学の環境に対するルンドの人たちの自負に応えるような答えを返す。

ルースベが気を利かせてくれたのだろう…パーティで僕の席はハラルドの隣に用意されていた。ハラルドとの会話はいつも「体調はあいかわらずよくない…。」という言葉から始まる。僕も「耳鳴りが酷い…。」とか言う不健康話で最近は会話の糸口を見つけられるようになった。ハラルドと親しく話をするのは2007年にレイキャヴィークで開かれた学会以来だったので、ウップサーラで取り組んでいる話をした。ハラルドの専門は16〜18世紀までと範囲が広い。僕は複合国家の統合軸としてのゴート主義の創造とそれに基づいた18世紀以降のスウェーデン観の変化という『リネーの帝国』構想を語り、「政治史と文化史、17世紀と18世紀がうまく融合できないかと考えている。」と伝える。ハラルドも酒が入って気分が高揚していたのだろう…「リネーの事績はスウェーデン基準というよりは、世界基準だから、そのあたり注意するように。」とか、短い時間にもかかわらずブラブラっとアドヴァイスももらえた。酒は入ったものの、これも一つの研究交流の形と言えるだろう。

それにしても、こちらのパーティーで耳にするスピーチは、どれをとっても知的な言葉のなかにユーモアのセンスが溢れていて楽しいものばかりだ。退屈なんて考えられない。一次会のパーティーは4時間くらい続いたと思うけれども、あっという間に時間は過ぎ去ってしまう。で、ユーテボリ大学のマーティンが「これからSOLcentrumで二次会!」というので、「ん…SOLって何?僕は知らんぞ。」と思いながらも、ルンド大学図書館1号館(UB1)の裏手まで彼らについていく。SOLとはSpråk- och litteraturcentrum(言語文学研究センター)の略称で、僕がルンド大学にいた頃にはまだなかった組織…なんとなくそのミッションは阪大世界言語研究センターに近い感じで好感を持つ。

SOLのキッチンで深夜の3時近くまで、あれやこれや…と話が盛り上がった。僕は、思想史が専門のマーティンと…フーコーがどう、アドルノがどう、ハーバーマスがどう…と珍しくお互いに影響を受けた思想家の話を続けた。洋の東西の違いはあれ、言葉の違いはあれ、読んでるもの、影響をうけたものは確かに一緒なのだけれども、(…正直に告白して…)日本語翻訳で知った外国の言説をどう外国語で再び伝えるかという本末転倒な作業は酔った頭には大変な作業だった。

深夜にはSOLでのルースベの二次会パーティを用意していたSOL関係者ともすっかり打ち解けていたのだけれども…いったいどれだけの酒をみんなで消費したというのだろう…キッチンのテーブルは空き缶・空き瓶だらけだったにもかかわらず、僕の耳が確かならば、「朝には掃除の人が来て片付けてくれるから帰ろう…。」とかなんとかで、まんま「宴の後」状態でホテルに帰った。

昼に歴史学部でミーアと話していたときも、夜にSOLでマーティンと話していたときも、日本とスウェーデンの歴史学者の間による研究交流のことを真剣に話した。かつてのルンドの友人たちも、今はそれぞれが職をもっているので、ときにはお金の絡む協力話も多くなってきている。例えば、冷戦研究をしているミーアの場合には、「日本における冷戦研究の研究センターはどこなの?」とか、東西の国際交渉研究を進めようとしているユーテボリにいるマーティンの場合には、「ステファン(…かつてルンドで僕に研究室を貸してくれた人物で現代インドネシア史が専門…)がユーテボリで近世以降の東西交流で共同研究を進めようとしているけれど、誰にコンタクトすれば良い?」とか聞かれる。

そうした研究交流の話を受けた場合、僕がいつも困ってしまうのは日本には歴史学研究センターのような研究機関がないことだ。日本には、北大のスラヴ研究センターや東京外大のアジア・アフリカ研究センター、東大のアメリカ太平洋地域研究センターのように、地域研究という名目で分野横断的に当該地域の分析を進める研究センターがあって、それらは各々が特徴のある研究を実現していることを僕は認める。これに対してスウェーデンの場合、○○大学歴史学研究所に様々な時代・地域を歴史学という手法で研究する者が寄り集まっていて、例えば「冷戦」という歴史学上の方法概念を用いて共同研究を進めようとする場合、ヨーロッパ・アメリカ・アジアなど、対象とする地域の違いはあれ、歴史学上の方法概念を共有する研究者が集まって共同研究を構築する。彼らは、そうした歴史学上の方法概念・問題設定に従って研究交流の如何を僕に尋ねてくるが…僕はといえば、例えば…「日本でも「冷戦」という歴史概念は一般的であって研究者は多くいるけれど、そうした研究者は一カ所の研究組織に集まるのではなく、複数の大学に個人として散らばってしまっている。とはいえ、そうした研究者を束ねる研究会や学会のような組織はあるから、そうした組織にコンタクトをとるのが共同研究への近道だね。」と答えるしかない。日本の歴史学界が世界の歴史学者と質的にも量的にも実のある研究交流を実現させたいならば、国際的な歴史学界において標準とされている組織体系をもった研究組織を日本における「受け皿」として…一つぐらいは持つべきではないかと…ルンドの友人たちと語るたびに僕はいつも思う。

長々と書き連ねてきたけれど、今回の発言はたったの数時間でウップサーラへとんぼ返りしてしまったルンド滞在の話。とにかく、「ルースベ、おめでとう!」

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