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2009年4月22日 (水)

研究室までのなが〜い道のり

ウップサーラ滞在も一ヶ月を過ぎ、研究・教育双方にわたって順調だからだろう、翻って日本を思うと思わず過呼吸気味になる。そんな最近の調子はさておき、気分転換に研究室までの道程を紹介。(写真はすべて妻によるもの。提供ありがとう。)

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一枚目はウップサーラ大学図書館の本館であるCarolina Rediviva。ウップサーラの中心街を北東から南西につきぬけるVaksalagatanの南西端の小高い丘の上にある。いつも歩いて登るこの丘にも、小さなクロッカスの花がそこかしこに咲き始めた。そしてこの丘を登ったの頃にウップサーラ大学五百数十年の学知の集積するこの建物がある。この建物自体は19世紀前半に建造されたもの。名前は"再建されたカロリーナ"を意味する。ウップサーラ大学はヴァーサ王朝以来スウェーデン王室の篤い保護を受け、17世紀には歴代国王の名前にちな、"Academia Carolina"と呼ばれた。17世紀はスウェーデンにおけるゴート主義がウップサーラを拠点として発展した時代でもある。ここには東ゴートのテオドリック大王のために(と言われている)ゴート語へ訳された聖書や、16世紀に編纂されたスペイン語(!)歌謡集など、ゴート関連の資料が集められた。このゴート語訳聖書は、そもそもは三十年戦争時にプラハへ侵攻したスウェーデン軍によりハプスブルク家から掠奪されたもの。「永遠なるローマを荒らすゴートの末裔」というイメージは、自ら標榜するまでもなく、そうした行為から他者によっても作り上げられたに違いない。しかしながら、Academia Carolinaの時代は、スウェーデンの「大国の時代」が幕を閉じるのと同じ頃、1702年のウップサーラの大火により終焉を迎える。この大火は、(大ルードベックによる"Atlantica"第4巻をはじめ)Academia Carolinaの図書館も焼いた。その後の啓蒙期に再建の計画が練られては頓挫を繰り返し、図書館再建は19世紀前半の"Carolina Rediviva"を待たねばならなかった。(ある意味、1世紀以上にわたって大学図書館がなかったことも驚きだけれど、)なればこそ、例えばリネーはウップサーラ大学の図書館に学ばず、彼の教授だった小ルードベックを通じてゴート主義の系譜の中枢に位置したルードベック家の蔵書と、スコーネやラップランドなどへ実際に足を運びスカンディナヴィアの自然のなかから多くを学んだ。

(19世紀前半に”再建されたカロリーナ”。19世紀前半といえば、ウップサーラの知的雰囲気を代表した歴史家イェイイェルらがゴート協会を結成して、スウェーデン・ナショナリズムを支える理念として再びゴート主義を標榜した時代だけれども、まさか「かつての大国の栄光を「再建する」」という含意まではなかったよね?講堂の前に銅像の立つイェイイェル先生、そこのところ、どうっすか?)

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次の写真は、Carolina Redivivaの裏手に広がるEngelska Parken。その名の通り、18世紀末に造成された英国式庭園なのであるが、ストックホルムにあるハーガ公園や世界遺産にも登録されているドロットニングホルム王領地の英国式庭園に比べると、まったく手入れされている雰囲気がない。スウェーデンに英国式庭園が本格的に導入されたのは18世紀後半のことと言われているから、長い伝統のある英国式庭園の歴史を振り返るならば、人工的に計画された風景を庭園に再現する風景庭園の技法が一般化した時代と思われる。一見するとただ木立が並び、その間を縫うように遊歩道が走るだけで、全く人の手の加わっているように思えないここのEngelska parkenは、そうした風景庭園の技法と意図を忠実に反映しているものかも知れない。(と、オーバーに語っているけれども、本当に雑然としきっている。)そしてこのEngelska parkenを抜けると、"Engelska parken キャンパス"と通称されるウップサーラ大学人文学センターにたどり着く。1990年代以降2000年代初頭にかけて、このキャンパスには神学部・歴史哲学部・言語学部の研究・教育施設が集められた。この写真の正面左手が神学部と歴史哲学部で教育を行う神学研究所・歴史学研究所の所属研究者の研究室が集められている建物。この建物の位置する通りは、その名もThunbergsgatan。18世紀末にオランダ東インド会社の医師として日本に来訪し、桂川甫周らにオランダ語を教え、帰国後はウップサーラ大学総長にもなったリネーの弟子シュンベリーに由来している。翻って、日本人である自分がシュンベリーの生きたウップサーラで、ヨーロッパの学生を前にスウェーデン史と日本史を結ぶ講義を行うことになるとは、因縁めいたものを感じざるをえない。ただしシュンベリーは33歳で来日し、弱冠38歳にしてウップサーラ大学総長に就任した傑物。僕は今年シュンベリーが大学総長になった38歳になるけれどもウップサーラに来たばかりの弱輩だ。(ちなみに講義室はこの写真のさらに奥まったところに広がった建物にあり、その建物には学食もある。)


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この建物は4階建て。OTIS製の新しいエレベータもあるが、僕は4階にある僕の研究室まで螺旋階段を使っている。スウェーデンでの学究生活を円滑にしたいならば、一も二もなくfikaと呼ばれるコーヒーブレイクに参加してコーヒーとおしゃべりに興じることだとは、前もこのブログで述べた。この建物でfikaするキッチンは3階の一番南側。この建物にはいくつか螺旋階段があるのだけれども、一番南側にはfikaするキッチンと4階の廊下を結ぶ(隠されたような)螺旋階段があり(その階段のあるところは外から見ると中世の城塞に見られるような物見櫓のような部分)、僕はちょっとコーヒーを飲みたくなると研究室から抜け出して、その階段を使ってキッチンにむかい、コーヒーサーバにむかう。サーバは一応"無料"だが、ひょっとすると一年のはじめには料金を徴収しているかもしれない…が知らない。キッチンには、たくさんのカップ、グラスが用意されているので、それを使って飲む。飲み終わったら、ちょっとだけ濯いで自動食器洗い機に使い終わったカップを入れておく。そうするといずれ掃除担当の人が食器を片付けておいてくれる仕組み。自動コーヒーサーバが置かれている以外は、かつてのルンドと同じ。午前10時と午後3時になるとfikaをしに、あたかも冬眠から醒めた動物がねぐらから起き出すように、研究者たちは集まってくる。私書箱は1階、コピー機とプリンタは各階にある。(しかし、4階のコピー機は運悪く故障中。)かつてルンドにいた時はコピーカードがあったが、ここではなし。研究者用のコピー機が、学生たちがまず入ってこないだろう奥まったところに用意されている。プリンタはネットワークで各端末とつながっている。ルンドでもそうだったけれども、プリンタを個人所有している人は少なく、大抵は各階に1台配置されているネットワーク・プリンタを使う。


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ようやく研究室。この研究棟の4階は屋根裏のスペースに位置する。(あたかも東大本郷の法文1/2号館のようだ。)僕の部屋にも屋根の部分に窓があって、そこから入る陽射しで十分に明るい。ルンドに滞在していたとき割り当てられた研究室は、他の研究者との共有だったが、ここでは幸いなことに個人研究室が与えられた。さらには大学のシンクライアント・システムに接続されたクライアント端末まで貸与されている。ウップサーラ大学のネットワーク環境はたいそう充実していて、様々な用途にわけて数種類のIDとパスワードが付与されている。それぞれの使い分けが唯一面倒だ。端末単位でストレージをもち、アプリケーションとデータを保存する独立したパーソナル端末を使っている研究者もいるが、ほとんどの場合、Windows Server 2003で運用されたシンクライントの端末が使われている。これだと中央のサーバにアプリケーションの管理が任されるから、勝手なアプリケーションのインストールやアンチウィルス・ソフトの入れ忘れなどもない。とはいえ僕は日本語環境を用いるので、いつもMacBook Airを持参して無線LANに接続して使っている。この写真からもわかるように研究室のドアはガラス張り。なかで何をしているのか丸見えである。ルンドに滞在したときもそうだったが、こちらでは研究室で作業をしているときはドアを開けはなって作業をし、電話などで声を出す場合にのみドアを閉めるのが一般的である。そうそう…ノートや鉛筆、ペン、付箋、ノリ…などなど、およそ研究作業に必要となる文房具の類は、私書箱の置かれた1階で、無料で配られている。(妻の話では、小学校でも文房具は無償配布だと言う。)

今回の発言で紹介した写真を撮影した昨日は、来月4歳になる娘と一緒だった。研究者が子供を研究所に連れてくる(そして子供の面倒のために研究所を留守にする)のはよくあることだけれども、ウップサーラはルンドほどではないような気がする。ルンド大学の歴史学研究所の建物では、よく子供が駆けてまわっていた。あの頃、僕には子供はいなかったけれども、今はこうして子供と一緒に研究所まで歩くようになった。子供とともに行くウップサーラでの研究室への道のりは、スウェーデンの歴史そのものの道のりとも、自分自身の人生の道のりともオーバーラップする。

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