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2009年3月11日 (水)

思えば遠くへ来たもんだ

脚注部分に日本語とスウェーデン語を混在させるとすぐに落ちてしまうワードは、今日もダメである。で、気分転換に夕方の大阪ローカルのニュースを見ていたら、1985年に阪神タイガースが優勝した際に道頓堀に投げ込まれ「行方不明(笑)」になっていたカーネル・サンダース人形の上半身が発見された…と速報されていた。そんなことに速報としてのニュース・ヴァリューが求められるなんて…(以下、僕の心情はご自由に想像してください…溜息)…きっと僕がまだまだ大阪から見ればエトランジェで、カーネル・サンダース人形の「行方不明」にこめられた大阪の人の思いを知らないだけなのだろう。

で、昨晩、郷ひろみさんがゴールドフィンガー99を熱唱する姿をテレビで見て、あの歌が流行ってからもう10年も経つのか…と過ぎゆく時のはやさに驚いていた。(郷ひろみさん、「自分を他人と比べると、劣等感を抱くだけか、つまらない優越感が生じるだけなので、自分は他人と比較はせず、過去の自分と比べて将来を考える」みたいな、とても良いことを言っていた。これはすばらしい発言だ。)あの頃、10年後に大阪で自分が生活していることなどまるで想像がつかなかった。あの頃とかわらず近世スウェーデン史研究を続けているけれども、10年後に自分がウップサーラ大学の(…よりによって…)神学部に招かれることになるとは想像がつかなかった。そして…iPhone(笑)。

前置きが長くなって申し訳ないが、この発言、要はiPhoneがますます手放せなくなっている状況を伝える内容である。僕が近世スウェーデン史研究を志すことができたのは、ひとえにIT技術の進展に負うところが大きい。10数年前、まだDOSなどという真っ暗な画面でコマンドを入力する作法が一般的だった頃、Telnetなんてものを使って僕はスウェーデンの大学図書館のOPACに入り込んで、むこうのしかるべき研究文献の書誌情報を集めまくり、それが今へ至る僕の研究の…そしてITスキルの基礎になった。僕自身の研究は未だ未完成で人に誇れるところなどこれっぽっちもないけれど、けれど、試行錯誤を繰り返して現地の研究のしかるべき研究史と最新の研究情報を直に得られた利点は大きかった。

例えば、はじめてルンド大学歴史学部に留学したとき、スウェーデンの研究者たちから「あの人のコレ知ってる?」とか聞かれると、(日本にいてもそういう情報はしっかりとおさえることができていたから)「うん、ソレってこういう内容だったよね。」と答えたりして、研究仲間としてすんなりとむこうの環境に溶け込むことができたし、とりわけ歴史学部のシステム・アドミニストレータと(コンピュータの技法は万国共通だから)ITのことで盛り上がって、仲良くなれた。(たまにはむこうの研究者のPCの面倒をみたり…あぁ、人様のPCのお手伝いをする状況は10年前も今もかわらないな。)そう考えてみると、ルンドの仲間は今でも再会する度に「クレイジーな日本人」と僕を呼んでくれるのだが、確かに古いことから、新しいことまで世界的に見ればマイナーなスウェーデンのことで話が通じている日本人は、ある意味クレイジーに映ったのだろう。

(だからこそ思うのだが、今の学部学生、少なくとも大学院進学を志望する学生のみなさんは、お願いだから研究史を踏まえたしかるべき文献目録の作成から出発するべきだ。10年近く学生を指導していて、そんな学生に出会ったのはほんの1、2名。こんなにもIT技術が進展しているというのに、誠に寂しい限りだ。)

前回の発言でも触れたが、21世紀に入ってからのIT技術の進展は歴史学研究の作法を劇的に変えている。とりわけデジタルデータ化された史料の活用は、研究実践の重要な方法として欠くべからざるものになった。今はPDFがデジタル化された史料様式のデファクト・スタンダードになっているかも知れない。(PDFだけが絶対的なフォーマットではない。たった今スウェーデンの王立文書館から届いたニュースレターによれば、グスタヴ1世期の1523〜42年のRiksregistraturetのデジタル化処理が終わって、王立文書館の運営するSVARからそれが閲覧できるようになったのだけれども、例えばSVARで閲覧できる史料の多くはDjVu技術を使っている。)

増える一方のPDF化された一次史料、二次文献なのだけれども、PDFファイルの管理について僕はPapersというMacのソフトウェアに全面的に依存している。Papersについては以前このブログでも触れた通りだけれども、この2月にアップデートされた最新のVer.1.9からはiPhoneとPapersで構築したプライベート・データベースを連動させ、PDF化された史料をiPhoneで持ち出せるようになった。iPhoneにはPDFを閲覧できるソフトウェアが無数に存在するが、iPhone版のPapersのPDF閲覧機能は、しおりを挟んだり、読みかけのページをそのまま保存できたり、メモをとったり…で、なにより動作が機敏である点、実にすばらしい。もちろんPapersのオフセットだから、文献データの編集も可能だし、(これはまだ使えていないのだが)Google ScholarやJSTORといったレポジトリにiPhoneから接続して情報を得、PDFを単体で得ることさえできる。

ネット上で配信されている電子ジャーナルは全く問題ないが、自分でスキャナを使って取り込んだ史料の場合、そのフォーマットがA4であることが前提であったり、プライベートな文献データベースを構築しているMacintoshとの連携は無線LANに限られていたりと、まだいくつか問題は残る。しかし、一度転送してしまえば、これほど軽快に手のひらの上で膨大な文献資料を持ち出せ、必要とあらば、いつでもどこでもデータ検索できるようになっている点、10年前には考えられなかったことだ。10年前は、やはりDOSで動いていたMobileGearでモバイルしていたと思うけれど、携帯電話で通信は試みるものの、そもそもネット上のレポジトリが整備されていなかったからいつでもどこでも検索できる状況ではなかった。それが今では手のひらの上の端末に世界に拡がる史料の海があるというのだから、思えば遠くへ来たものだ。

10年前には、自分がMacintoshだけで仕事をするようになっていることも想像できなかったことだ。本格的にスウェーデン史研究(…スウェーデンの史料のデジタル化はかなり恵まれていると聞いているので、歴史学研究全般とまでいえる、どうかわからないから限定するけれど…)を志そうというならば、Papers(とiPhone版のPapers)があるだけでもMacを使う利点は大きいと思う。年度末にあたる最近、通算2名の同僚のVAIO type Pのセットアップをお手伝いしたのだが、その処理速度の遅さとOSの操作性の非効率さを知ってしまうと、やはりもうWindowsには戻れないと思う。

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