最近のトラックバック

2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月24日 (火)

阪大デンマーク語・スウェーデン語専攻を卒業されるみなさんへ

スウェーデン語・デンマーク語専攻を卒業されるみなさん、おめでとうございます。

3年前にも出張が重なっていてブログ上から挨拶した記憶があるのですが、今年もまた海外出張と重なり、みなさんの卒業を共に祝うことができなくなりました。申し訳ありません。この場をかりて、みなさんに心から祝福の言葉を贈りたいと思います。

外国語学部での語学を中心とした勉強は、日々の積み重ねなくして修めることのできない点に特徴があることを、卒業される皆さんは十分わかっていることと思います。で、皆さんは忍耐力を発揮されて、そうした生き方ができることを見事に証明されたのだと僕は思っています。地道な努力を積み重ねたうえに大きな結果が生み出される…外国語学部での勉強の醍醐味はそんなところにあると思うのですが、卒業されるみなさんにとっては、実のところ、自分は努力を重ねる生き方ができるんだということを卒業で証明したにすぎず、それを活かした成果はこれから見いだされていくものなのかも知れませんね。そう思えば外国語学部での勉強は卒業で確かに一区切りがつくのだけれども、それを踏み台としてこれからどういった成果をこの世界で生み出すことができるのかという点、勉強はまだ続くのでしょう。

そういう意味では僕もみんなと同じく勉強中の身です。だから、これからは大学の教員と学生という関係ではなく、同じ社会人同士、一緒に勉強できることを楽しみにしています。(こう考えるから、僕は卒業をみなさんとの別れだとは思っていません。)体に気をつけて。元気であれば、(君たちが外国語学部で経験したような)見知らぬ世界を知ることのできる楽しい機会が増えるのだから。じゃ、またね。

2009年3月23日 (月)

思えば(本当に)遠くへ来たもんだ

18日からスウェーデンのウップサーラ大学に滞在している。今回の滞在期間は比較的長く5月末まで。滞在目的はErasmus Mundus Euro Culture で講義をすることと、それ以外の時間は研究滞在。所属はウップサーラ大学神学部になっている。

関西空港を発ってフィン・エアでヘルシンキを経てアーランダ空港に到着し、ウップサーラのアパートへ至るまでは何も問題がなかった。(フィン・エアはアジアとの最短旅程を提供することを売りにしているだけあって、とても快適だった。)問題は、大学研究者向けに大学が借り上げているアパートのネット環境がまるでダメということ。逗留先となったアパートはおそらく戦後の高度経済成長期に建てられたものだろう。80平米くらいの広さがあるスウェーデンの標準的なアパートだけれども、ちょっと設備に古さが目立つ。で、スウェーデンより来る前からブロードバンドの設置を依頼していたのだけれども、おそらく回線自体の問題で未だに逗留先ではネットに接続できないでいる。10年前ならいざ知らず、なんでもかんでもネット環境が前提になっている今にあっては、ネット中毒ならずとも誠に不便な状態が続いている。(それ以外は快適。)

今日になって神学部に出頭してコンタクトパーソンと会い、あてがわれた研究室でネットが使えるようなった。ウップサーラ大学の人文系の研究施設は、研究室や教室を含めて、そのおおよそが二、三年ほど前に大学図書館の裏手にあるEngelska Parkenキャンパスに移っている。願ってもいなかったことだけれど、今日はじめて神学部へ来てみたら、すでにここの建物に個別の研究室が用意されていた。いつものことであるけれど、スウェーデン人の親切には心から感謝。すばらしい対応と合理的なシステムの連続。あっという間に研究室で仕事ができている。さすがウップサーラ大学なので、ウップサーラのアカウントを使うと歴史関係の史料データベースも、電子ジャーナルも、閲覧し放題な点はさすが。あれも、これも…と…リネー関係はここで稼がないと…。今回の滞在は講義もするけれど、やはり主眼は研究滞在なので。

僕が研究室をあてがわれたこの建物は歴史学部と神学部の研究室が集まっていて、歴史学部の人たちとの交流も容易だ。紹介される人の多くが、今はまだ神学部の人たちばかりなので、「宗教史の専門家?」と繰り返し尋ねられるけれど、そのうち顔が割れてくればそんな質問もなくなるだろう。それにしても、今回のコンタクトパーソンはラテンアメリカの専門家だし、紹介された何人かの研究者はインドだったり、中国だったりの専門家で、神学部とは言えどもなんだかワールドワイド。もちろん歴史学部に属する研究者も、世界を対象にしている人が多い。良い意味で、スウェーデンの懐の深さが凝縮されている感じがしている。

ちょっとしたら、例によってのコーヒーブレイクでキッチンにでも顔を出してみようと思う。スウェーデンの研究者と交流するのは、そこでおしゃべりするのが一番の近道だと思うから。

2009年3月11日 (水)

思えば遠くへ来たもんだ

脚注部分に日本語とスウェーデン語を混在させるとすぐに落ちてしまうワードは、今日もダメである。で、気分転換に夕方の大阪ローカルのニュースを見ていたら、1985年に阪神タイガースが優勝した際に道頓堀に投げ込まれ「行方不明(笑)」になっていたカーネル・サンダース人形の上半身が発見された…と速報されていた。そんなことに速報としてのニュース・ヴァリューが求められるなんて…(以下、僕の心情はご自由に想像してください…溜息)…きっと僕がまだまだ大阪から見ればエトランジェで、カーネル・サンダース人形の「行方不明」にこめられた大阪の人の思いを知らないだけなのだろう。

で、昨晩、郷ひろみさんがゴールドフィンガー99を熱唱する姿をテレビで見て、あの歌が流行ってからもう10年も経つのか…と過ぎゆく時のはやさに驚いていた。(郷ひろみさん、「自分を他人と比べると、劣等感を抱くだけか、つまらない優越感が生じるだけなので、自分は他人と比較はせず、過去の自分と比べて将来を考える」みたいな、とても良いことを言っていた。これはすばらしい発言だ。)あの頃、10年後に大阪で自分が生活していることなどまるで想像がつかなかった。あの頃とかわらず近世スウェーデン史研究を続けているけれども、10年後に自分がウップサーラ大学の(…よりによって…)神学部に招かれることになるとは想像がつかなかった。そして…iPhone(笑)。

前置きが長くなって申し訳ないが、この発言、要はiPhoneがますます手放せなくなっている状況を伝える内容である。僕が近世スウェーデン史研究を志すことができたのは、ひとえにIT技術の進展に負うところが大きい。10数年前、まだDOSなどという真っ暗な画面でコマンドを入力する作法が一般的だった頃、Telnetなんてものを使って僕はスウェーデンの大学図書館のOPACに入り込んで、むこうのしかるべき研究文献の書誌情報を集めまくり、それが今へ至る僕の研究の…そしてITスキルの基礎になった。僕自身の研究は未だ未完成で人に誇れるところなどこれっぽっちもないけれど、けれど、試行錯誤を繰り返して現地の研究のしかるべき研究史と最新の研究情報を直に得られた利点は大きかった。

例えば、はじめてルンド大学歴史学部に留学したとき、スウェーデンの研究者たちから「あの人のコレ知ってる?」とか聞かれると、(日本にいてもそういう情報はしっかりとおさえることができていたから)「うん、ソレってこういう内容だったよね。」と答えたりして、研究仲間としてすんなりとむこうの環境に溶け込むことができたし、とりわけ歴史学部のシステム・アドミニストレータと(コンピュータの技法は万国共通だから)ITのことで盛り上がって、仲良くなれた。(たまにはむこうの研究者のPCの面倒をみたり…あぁ、人様のPCのお手伝いをする状況は10年前も今もかわらないな。)そう考えてみると、ルンドの仲間は今でも再会する度に「クレイジーな日本人」と僕を呼んでくれるのだが、確かに古いことから、新しいことまで世界的に見ればマイナーなスウェーデンのことで話が通じている日本人は、ある意味クレイジーに映ったのだろう。

(だからこそ思うのだが、今の学部学生、少なくとも大学院進学を志望する学生のみなさんは、お願いだから研究史を踏まえたしかるべき文献目録の作成から出発するべきだ。10年近く学生を指導していて、そんな学生に出会ったのはほんの1、2名。こんなにもIT技術が進展しているというのに、誠に寂しい限りだ。)

前回の発言でも触れたが、21世紀に入ってからのIT技術の進展は歴史学研究の作法を劇的に変えている。とりわけデジタルデータ化された史料の活用は、研究実践の重要な方法として欠くべからざるものになった。今はPDFがデジタル化された史料様式のデファクト・スタンダードになっているかも知れない。(PDFだけが絶対的なフォーマットではない。たった今スウェーデンの王立文書館から届いたニュースレターによれば、グスタヴ1世期の1523〜42年のRiksregistraturetのデジタル化処理が終わって、王立文書館の運営するSVARからそれが閲覧できるようになったのだけれども、例えばSVARで閲覧できる史料の多くはDjVu技術を使っている。)

増える一方のPDF化された一次史料、二次文献なのだけれども、PDFファイルの管理について僕はPapersというMacのソフトウェアに全面的に依存している。Papersについては以前このブログでも触れた通りだけれども、この2月にアップデートされた最新のVer.1.9からはiPhoneとPapersで構築したプライベート・データベースを連動させ、PDF化された史料をiPhoneで持ち出せるようになった。iPhoneにはPDFを閲覧できるソフトウェアが無数に存在するが、iPhone版のPapersのPDF閲覧機能は、しおりを挟んだり、読みかけのページをそのまま保存できたり、メモをとったり…で、なにより動作が機敏である点、実にすばらしい。もちろんPapersのオフセットだから、文献データの編集も可能だし、(これはまだ使えていないのだが)Google ScholarやJSTORといったレポジトリにiPhoneから接続して情報を得、PDFを単体で得ることさえできる。

ネット上で配信されている電子ジャーナルは全く問題ないが、自分でスキャナを使って取り込んだ史料の場合、そのフォーマットがA4であることが前提であったり、プライベートな文献データベースを構築しているMacintoshとの連携は無線LANに限られていたりと、まだいくつか問題は残る。しかし、一度転送してしまえば、これほど軽快に手のひらの上で膨大な文献資料を持ち出せ、必要とあらば、いつでもどこでもデータ検索できるようになっている点、10年前には考えられなかったことだ。10年前は、やはりDOSで動いていたMobileGearでモバイルしていたと思うけれど、携帯電話で通信は試みるものの、そもそもネット上のレポジトリが整備されていなかったからいつでもどこでも検索できる状況ではなかった。それが今では手のひらの上の端末に世界に拡がる史料の海があるというのだから、思えば遠くへ来たものだ。

10年前には、自分がMacintoshだけで仕事をするようになっていることも想像できなかったことだ。本格的にスウェーデン史研究(…スウェーデンの史料のデジタル化はかなり恵まれていると聞いているので、歴史学研究全般とまでいえる、どうかわからないから限定するけれど…)を志そうというならば、Papers(とiPhone版のPapers)があるだけでもMacを使う利点は大きいと思う。年度末にあたる最近、通算2名の同僚のVAIO type Pのセットアップをお手伝いしたのだが、その処理速度の遅さとOSの操作性の非効率さを知ってしまうと、やはりもうWindowsには戻れないと思う。

2009年3月 9日 (月)

そろそろ脱稿?

北海道大学スラブ研究センターでの研究報告を終えた後、その報告をすぐさま活字化しようと思い立ち、一切外との連絡を絶って引きこもって論文を書いていた。例によって、ある程度の分量をもった日本語・スウェーデン語の混在する文書を執筆すると突然落ちてしまうWordと格闘しながらである。今回の報告ならびに論文で扱った一次史料は旅行記が多いのだけれども、議論の参考にした二次文献を含めて、結構多くのものをネット上で獲得した。なかでもありがたかったのは、ウップサーラ大学でリネーの薫陶を受け世界探検に出かけた弟子のうちロシア帝国で探検事業を行ったファルク(Johan Peter Falck)の旅行記が容易に入手できたこと。彼は1768年から1774年にかけてロシア、中央アジアを経て清との国境線まで探検し、ヴォルガ川に臨むカザンにて没した人物で、彼の旅行記は彼の死の10年の後にドイツでHerr Joh. Pet. Falck, Beyträge zur Topographischen Kenntniss des Russischen Reichs,s.n., 1786として公刊されている。今回はローザンヌ大学が所蔵している出版当時の版を得た。公務の合間を縫って研究時間を捻出している者にとっては、ありがたいことこのうえない。そんな技術に裏付けられながら、僕は「リンネの帝国」への道を着々と歩んでいる(…と思いたい)。

2009年3月 1日 (日)

アクアヴィットとインベンションの試み

本来なら国際シンポジウム(とりわけワークショップ…東京からも多くの方々にお越し頂き貴重なコメントを頂いたので…)へのコメントを書くべき所だけれども、この2月半ば以来、睡眠時間もろくにとれない生活が続いている。それは3月に入っても同じことで、休む暇もなく今も今週に抱えた北海道大学での研究報告の準備中。ここ数日は、身体の各所がパンパンに張っている…ような感じがする。

それでも昨日は一つ大きな仕事をやり終えた後、「よくやった」と自分で自分を褒めるべく、行きつけのバー「キース」に立ち寄った。バーテンダーの山本さんは僕にとっては『美味しんぼ』の岡星にあたる方で、創意工夫に満ちた仕事ぶりに(…そしてときには相談相手としても…)信頼を寄せている。昨晩はスウェーデンのアクアヴィットO.P.Anderssonが入ったということで、久しぶりにそれを頂くことにした。けれども、なにせこちらはハードワークが続いて疲弊しきった身体状態。アクアビットの飲酒スタイルはストレートが基本だけれども、こんな体調でアルコール度数40%をストレートで頂くのはさすがに毒だ。そこで昨晩は、アクアヴィットをベースとした飲み方に創意工夫を凝らしてもらった。

アクアヴィットといってもその種類は実に多種多様。一般的にはジャガイモを原料とした蒸留酒と言われるが、現在ではジャガイモだけではなくトウモロコシ・ベースのものもあり(…スウェーデンでも、デンマークでも、主原料が記載されていない場合が多いが、ここが一つ目の企業秘密的な部分になっている…)、さらにその銘柄はそれぞれの香り付けに用いられている香辛料の種類や調合の割合によって香味も様々である。スウェーデンで最もポピュラーなアクアヴィットの銘柄の一つO.P.Anderssonの場合、キャラウェイ、アニス、フェンネルが用いられている。ジャガイモ(ないしはトウモロコシ)を蒸留した際の土臭さを和らげ、身体にも好影響を与える香辛料のバリエーション(…ここが二つ目の企業秘密的な部分になっている…)こそが、実のところ、アクアヴィットのそれぞれの銘柄を楽しむ醍醐味と言える。例えば、世界で最もポピュラーなデンマークのAalborg Taffel Akvavitならばキャラウェイ主体の香り付けなので比較的飲みやすいが、これがスウェーデンのO.P.Anderssonになるとフェンネルが加わってくるために胃薬のような香りがどうしても強くなってしまう。もしアクアヴィットの味が土臭いと感じる人がいるとするならば、それはそうした香辛料による香味の反作用だと思う。

昨晩のキースのカウンタにおける創作の試みは、ジンベースのカクテルを代用することからはじまった。というのも、アクアヴィットは、フレーバード・ウォッカを別とすれば基本的に香り付けされることのないウォッカというより、セイヨウネズの松かさを用いて香り付けをしているジンと味と香りの性格が似ていると考えたためである。肉体疲労時にトニック・ウォータを頂くのはヨーロッパの食文化の知恵…ということで(笑)、まずはジン・トニックを代用することからはじめた。これは、個人的にはアクアヴィットの香味とトニック・ウォータの香味(…トニック・ウォータはただの炭酸水とは香料が添加されている点で異なる…)、さらにはライムの香味が三者三様にぶつかり合って、錫杯のなかでコンフリクトが起きているように感じた。

次に日本が誇るカクテルである水割りを試すことにした。おそらくただ水で割ったとしたら、アクアビット独特の土臭い香味だけが強調される結果に終わったことだろう。そこは山本さんの経験と勘が活かされ、彼はとっさに蜂蜜を混ぜた上で水割りを作って下さった。結果、これはスーゥッと胃袋に入っていく、とても飲みやすいものに仕上がった。ただし蜂蜜の香も味もアクアヴィットの香味に打ち消されており、あくまでも味はアクアヴィットそのままであったから、アクアヴィットの独特な香味が苦手な人には無理な代物だろう。

結果、昨晩のシメは、いつものようにデーニッシュ・メアリに落ち着いた。デーニッシュ・メアリとは、本来ウォッカとトマト・ジュースでつくられるブラッディ・メアリを、アクアヴィットに代えてつくるものある。幼い頃より僕は無類のトマト・ジュース好きということもあるけれど、僕はシメにブラッディ・メアリを注文することが多い。そもそもブラッディ・メアリは店によっては塩やコショウ、ときにはソースやタバスコなどを加えることもあって、夕方の仕事帰りに腹を空かせた身からすると一種の冷製スープのように思えるカクテルであるからだ。バーテンダの創意と工夫によっては、ブラッディ・メアリにセロリやニンジンなどを加えるところもあるだろう。ことほど左様にブラッディ・メアリは味と香りの調整を楽しむことができるカクテルだから、ジン・ベースならブラッディ・サム、ビール・ベースならレッド・アイ…といったように様々なヴァリエーションがある。アクアヴィットをベースとしたデーニッシュ・メアリも然り。お腹を空かせたアクアヴィット好きにはたまらない極上の冷製スープを頂くといった感じだ。デーニッシュ・メアリの場合には、香草類の性格が強いので、レモングラスやコブミカンの葉などを用いるトムヤンスープのような感覚に近い。

そうしたアクアヴィットをめぐる創造の試みは、仕事で疲れた僕の灰色の脳細胞に再び想像力の喝を与える。キースで頂く一品料理もまた格別だけれども、いずれ貝が入る機会があったら、ブラッディ・メアリに貝のエキスを加えるブラッディ・シーザーのアクアヴィット版を試してもらおう。ここまでくると本当にスープのようだ。

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »