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2008年10月 8日 (水)

バルカンをめぐる(2)

スカンディナヴィアからバルカンを訪ねて一番のショックは、ザグレブとベオグラードの町の雰囲気の差でした。ザグレブは(ある意味)「戦勝国」の側にあると言えるかも知れませんが、来歴をたどれば、長らくハプスブルク帝国の一地方都市として発展してきた経緯がありますから、ザルツブルクやグラーツのような雰囲気もある。しかし、サヴァ川とドナウ川を越えて、その合流点につくられたベオグラードは、かつてのNATO軍による空爆の爪痕もいまだに残り、(そして、自動車の排気ガスによる大気汚染の結果、黒ずんだ町の外観もあり)これはどう見ても、ヨーロッパの都市とは言えない雰囲気をもっている。ベオグラードは長らくオスマンの支配下にあったことからくる雰囲気…アジアとも言えない、ヨーロッパとも言えない…それは「ベオグラード的」としか言えないなんとも形容しがたい町でした。結局、ローマ帝国以来のサヴァ川・ドナウ川の境界が、ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界の境界をいまだに形成しているのだと実感させられた瞬間でした。そして、昨今のコソボ問題を見ても明らかなように、動乱の地としての「バルカン」のイメージは決して相克されていない。この8月にグルジアで問題が起きたけれども、実際にバルカンの地に立ってみて、バルカンも、コーカサスも、パレスチナも、僕たちはそろそろ百年をむかえようとしている第一次世界大戦が抱えていた問題…ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界との文明間の対立、あるいは近代秩序を担ってきた諸帝国の対立を相克できずに今にあるのだと実感しました。つい数日前に東京で津田塾大学名誉教授の百瀬宏先生とお話する機会があったのですが、百瀬先生が60年代〜70年代にバルカンに訪れた頃は、冷戦構造の重しの下で一つのまとまった「バルカン」的世界が実現されかかったように見えたと語られていました。それがなくなった後に再び「バルカン」(…それだけではなくコーカサスも含めて)が分裂の極みにあるのは、「20世紀という時代はいったいなんだったのか?文明論的に考えてみれば大いなる停滞の時代だったのではないか?」と、歴史の皮肉を感じます。そうした時代に対する感慨とともに、地域概念というものがそれぞれの歴史的文脈に応じた地政学的状況に即して変幻する実例をバルカンで僕は実際に見た思いがします。

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