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2008年10月

2008年10月24日 (金)

現代北欧地域論4b

金曜4時限の北欧史講義に参加されている皆さん。今回ないしは次回の講義で扱う講義ファイルをアップロードします。いよいよ19世紀にはいりますが、おそらく今日の授業では前回の講義ファイルを使って啓蒙専制について概説することになると思います。よろしくお願いします。

今週の講義ファイルをダウンロード

2008年10月21日 (火)

iPhoneの憂鬱

これを完全な出来心と言わずして何と言うべきか…。そしてその出来心に由来する憂鬱。

いま僕の手元にはiPhoneがある。先週土曜日のこと。およそ一ヶ月ぶりくらいで何の予定もはいっていない休日らしい週末を家族と過ごした。自由な時間を欲しいといっている妻を自宅に残して、子供たちと千里中央にでかけた…までは良かった。そこから先、しばらくのことは…何と言ったらいいのか…休日の解放感に誘われた電撃的行動でiPhoneを一気呵成に手にいれた。子供たちには契約変更の手続きの間、カフェへ連れて行ってしっかりとご機嫌をとった。帰宅すると妻も、無言のうちに僕がiPhoneを手にして帰宅した状況を受け入れてくれた。10年以上一緒に暮らしているわけだから、僕のどうしようもない物欲への耐性のなさをあきらめているといった様子。何人かの同僚や学生からは、「やはり買うと思った…」と決まり切った定型句のような同じ内容のコメントをもらった。あぁ…僕はやはりそういうふうに見られているんだ…と思うと鬱になる。そう言えば先日某所で報告をした際に、僕の報告よりもMacBook Airが気になったというコメントももらった。それは冗談だから良いのだけれども、おそらく新しいモノ好きな僕のイメージはそう容易には払拭されないだろう。

(それはそうと、昨日腕時計の竜頭でMacBook Airに深い傷をつけてしまった。これも鬱の原因だ。)

iPhoneの憂鬱はそれだけではない。契約変更の際のとても煩雑な手続きの数々。アドレス帳など、ケータイからのデータ移行が容易にできなかったことに伴う面倒な作業の連続。これでは、iPhoneはなかなか一般には普及しないだろう。またまたそんなマニア向けのガジェットを手にしている自分が嫌になる。先週iPhoneを手にした前日の北欧史の講義では、iPod touch をMacBook Airにピアツーピア接続して、プレゼンファイルをリモートコントロールし、意気揚々と新しい技術を活用していくことのすばらしさを説いていたのに。iPhoneのコンセプトはすばらしいが、それを使いこなすには相当の知識と忍耐が必要で、その状況がまた鬱を深める。(そう、知識とは忍耐に裏付けられねばならないものだ!)およそ一日ほどでiPod touchで蓄積した様々なアプリケーションをiPhoneに移行し、ケータイのアドレス帳もいったんCSV形式でMacOS Xのアドレスブックにおとしこみ、逐一データを修正して今は問題なく使えている。けれどiPhoneとともに過ごす時間が増えれば増えるほど、その道具としての未熟さを強く感じてしまう。

ビューワとしてのiPhoneの性能はすばらしく、PDFやOffice系のファイルも何の問題もなく閲覧できる。無線LANだけではなく、携帯回線でも常時ネットワークに接続できているから、インターネット上のリソース、例えば、しかるべき定評のあるスウェーデン語の辞書や人名事典、百科事典の類、研究に必要な情報も即座にアクセスできる。それこそが、今の僕にとってiPhoneのもつ最大の魅力だ。しかしそんなiPhoneを得たにもかかわらず、僕は爽快感を得ることができないでいる。現状のiPhoneでは、そうした魅力を覆い隠してしまう短所が多すぎるからだ。なかでも特筆すべき短所は、バッテリー駆動時間の短さ。昨日は朝から晩までフルタイムiPhoneを活用してみた。ことあるごとにメールをチェックし(…メールはgmailのアカウントに僕がもっているすべてのメールを転送し、gmail からi.softbank.jp というiPhoneむけのメールアドレスへ転送することで擬似的にプッシュ配信の形をとっている…)、ネット上のリソースにアクセスし、iPod機能で音楽を聴き…という使い方をすると、およそ5時間強でバッテリー切れを起こした。なんとも心許ない。

心許ない理由は、iPhoneの言語表現の限界にもある。現状のiPhone OSでは、文字情報のコピー&ペースト機能が実装されておらず、ちょっとしたテキストを執筆しようにも億劫になる。(コピー&ペーストの機能など、今から20年ほど前のDOSの時代にすでに実装できた機能ではないか!)文字変換のスピードは現状のiPhone OS 2.1で改善されたが、連文節変換はもとより高い精度を望んではいなかったけれど、単語レベルでの誤変換もまだまだ見いだせる。(例えば、准教授は準教授と変換された。)ケータイ・メールの感情表現でいまや一般的になった絵文字が現時点で実装されていないのも意外と穴だ。現時点でiPhoneは友人や学生からもらうケータイメールの顔文字を表記することはできない。絵文字なんて稚拙な…と思われる人も多いかも知れないが、21世紀の日本語表現はもはや漢字・仮名文字だけでは感情のすべてを的確に表現できない状況にある。このことを認めるならば、iPhoneは日本語変換の以前に現在の日本語固有の表現形態に全く不寛容な道具ということになる。

iPhoneを使い始めて様々なことを経験すると、これが一般には普及しにくい道具である感をますます強める。これはケータイではない。もちろんパソコンではない。iPhoneの中途半端さを割り切れる人には面白いガジェットになろうが、今の僕はその中途半端な性格を目の当たりにして鬱を感じている。僕がS.ジョブスの示す未来に適応障害を起こしているということなのだろうか。ジョブスの提示する未来像は、それこそ啓蒙期の自然法思想ではないが「人類みな兄弟」的な楽天的な前提があったうえで、Appleの示すコンセプトが普遍性をもって世界中の人間を導くといったような性格をもっているような気がして仕方がない。人間はその生活環境の差に応じて、実はみなが等しく同じような生き方をしているのではない。その差異を前提としつつ、その差をいかにして認め合うかが、21世紀に生きる僕たち人間にとって大きな課題になっているはずだ。僕はiPhoneの憂鬱を、そのスマートなデザインと先進的な技術でもって、人間の差異(この場合は、知識の差、忍耐の差、練度の差、言語の差など)を強引に隠蔽しようとする装置性に感じているのかも知れない。(かなりオーバーな表現だね。)少なくとも現状のiPhoneでは「これが未来を切り開く創造的な道具だ」と断言できる爽快な感覚を僕は得ることができない。

2008年10月16日 (木)

新しい仲間のこと

このブログを本格的に復活しようと思った理由は、まずなにより小田中さん、鮎方さん、栗田さん、MSさん、川本さん、福田さんのように、このブログに言葉を寄せてくれた方々、そうではなくても、方々へ出かける度に「楽しみにしていたのに寂しい。」と様々な方々から頂いた言葉に勇気づけられてのことです。だから、このブログのデザインも一新して、またこのブログの取組を始めます。デザインの一新にあたっては右下欄のリンクも増やしました。(Mt-KBさんのブログは、ちゃんと最近のエディンバラ留学記にリンク先を修正しました。今まで、ごめんなさい。)リンク先に増えている人たちは、工藤さんは阪大で進んでいるグローバルCOE「コンフリクトの人文学」に着任した特任研究員、前田さん、吉村さん、MOMORIOさんは阪大世界言語研究センターで進められている「民族紛争の背景に関する地政学的研究」に特任助教として着任した気鋭の若手研究者たち。ありがたいことに僕は、吹田キャンパスの人間科学研究科にもよく訪れる機会があり、その関係で「コンフリクトの人文学」に参画している若手の特任研究員の人たち(ここにすべてを紹介することはできませんが)と知り合うことができました。「地政学的研究」については、大阪外大時代でその立ち上げから関与していたこともあり、(…今となっては懐かしい記事ですが、大阪外大の研究推進室長代理をしていたときには、こんな紹介をされていました…)そこにいらした研究者の方々(ここにすべてを紹介することはできませんが)とは常日頃よきパートナーシップを築くことが出来ています。学界での競争がますます厳しさを増す昨今、こうして特任として着任した方々の実力と能力は高く、もし僕だけだったら破綻していただろう仕事がみんなと共に仕事をするようになってよくまわるようになったし、それに北欧のことだけで閉じこもっていては僕が知ることが出来なかったであろう世界のことを、そうした方々とめぐりあうことで、知ることができるようになったことは幸せなことです。すべてのことに蒙が啓かれる経験の連続。彼ら新しいよき研究の仲間から受ける刺激とともに、僕は北欧のことを、あるいは日本のことをどう考え直すか問いかけなおす日々を過ごしていますが、それと同時に(いささか心ぼそいものの)みなさんをつなぐ「橋」のような役まわりにやりがいを感じています。どうぞみなさん、同じ志をもつ仲間として、これからもよろしくお願いします。(ここに紹介できない、すべての仲間にもむけて!)

ものづくりの国はいま何処?

海外出張から帰ってきて二週間以上経つのに、休むことなく未だに時差ボケ状態の生活を送っている。(そもそも大学院生時代からヨーロッパ時間で生活しているだろうという突っ込みがあるならば、その突っ込みを甘んじて受け入れます。)そのおかげで昨晩はカリフォルニアのクバティーノで開催された新しいMacBookシリーズの発表会をリアルタイムで見ることができた。今回は、MacBook Proは2004年のPowerBook G4以来の、MacBookは2006年の初代MacBook以来の筐体デザインの大幅変更を伴うフルモデルチェンジ。すでにネット上で話題になっているから、チェック済みの方も多いだろう。すでに2004年のPowerBook G4でこれ以上に変更の必要がないデザインに達したからだろう、基本的なデザイン・コンセプトに変更はないものの、着実な進化を遂げている。僕が一番注目したのはアルミ素材一枚を圧延・成形する手法でつくられた、つぎめのない筐体…頑丈と洗練を両立させた美しい仕事だ。(どこかに我が国発の技術が活かされていることを期待するけど。)さらに昨日のS.ジョブスのプレゼンで繰り返されていたのは、このMacBookがいかにエコ・フレンドリーであるかということ。それと可笑しかったのは、「今日のスティーヴのスペック」とかいって彼の血圧値が示されたこと。金融恐慌に世界がおののくなかで需要を喚起すべく、次世代を見据えた新たなイノベーションを常に模索し、しかもそれを「良い仕事だ」と誇らしげに語るプレゼンは余裕。僕は最近はやりのネットブックの必要も認めるが、しかし不景気に妥協するかのごとく、枯れた技術を再利用して安価路線だけを求めるようなネットブックは、なんとなく時代に逆行する道具のようで心踊るものを感じない。昨日のプレゼンの質疑応答で、ジョブスが「ネットブック市場は未成熟」とばっさり切り捨てていたのが印象的だったが、そもそもMacBookだろうが、ネットブックだろうが、話題の表舞台に日本が登場してこないところが実に寂しい。ものづくりの国とやらはどこへ行ったのだろうか?思えば、僕の身の回りの勉強道具で日本製のものと言えば、ツバメノートの大学ノートとカシオのデジタルカメラだけになってしまっている。例えばこの二つの会社の道具を使ってみて、その会社の仕事ぶりを身をもって知ったときに、そこにこの国の希望をほんの少しだけ感じることができるから…だから僕はそれらを愛用し続けるのかもしれない。MacBookはすばらしい。が、悔しいがそうした感慨はおきない日本人としては寂しい道具である。

2008年10月15日 (水)

カクテルとダンディズムの関係をいかに論ずるか?

以前一度だけこのブログでも言及したことのあるソレラの会のブログで、「カクテルはなぜダンディの象徴なのか?」について簡単な内容の文章を書きました。もし関心がございましたら、ご覧下さい。産業社会の発展を背景とした新たな消費の傾向…それは、例えばダンディを気取るような一定階層の人々の再生産過程ととらえれば、「カクテルを飲む」ふるまいも一つの文化消費と言えるのかも知れませんが…新たな文化消費の流行にともなう社会的コノテーションの変化に応じて、記号化されたカクテル消費のパターンも変化するといったことについては、平易な言葉で説明できたと思います。しかし、そもそもダンディを志向する人々がどうして登場したのか、その社会的背景にはあまり踏み込めていません。おそらく1980年代のマッケンドリックの「消費革命」論にはじまり、それを受けたブルーワらの消費主義の議論を踏まえておくべきだったのでしょうが…イギリス史の人たちに混じって、The Birth of a Consumer Societyあたりをきちんと勉強しておくべきでした。商業社会の進展とともに市民的公共圏を生み出す新たな文化的競争関係のなかに、そうしたダンディを気取る人々の登場の可能性はあったと言えるのでしょうか?みなさんはどう思われますか?

ココログの「改悪」への対処

元夏迪さん、ご無沙汰しております。そして、ココログの「改悪」に関してアドバイスを頂き、ありがとうございました。取り急ぎ、LaCoocanにファイルスペースを確保しまして、そこにftpを使って講義ファイルを蓄積していく方法を使っていこうと思います。LaCoocanに美麗なページ、wiki、ブログを作っても良いのでしょうが、今はちょっと時間がないのでしばらくブログは従来通りの形を継続しようと思います。(ちょっとだけiWebを使ってページを作ることを試みましたが、やめました。僕は、Webデザインのセンスがなさすぎです。)

今日15日の僕の授業は休講です

念のため発言しますが、今日15日の午後は豊中にノルウェー大使館の方がいらして講演される関係で、ゼミならびに北欧地誌の講義は休講にしています。ゼミも、地誌も、誰があたるということはなかったと思うので、一週間まるまるずれるということでよろしくお願いします。地誌の授業に参加している人は、先週も申し伝えたように自らのグループで調査することになった対象の世界遺産について、その選定理由を調べておいて下さい。これは宿題です。

シェーバーを買い換えた

僕の日常生活においてほぼ必需品(僕はカミソリが苦手)だから、それが壊れてしまうと例え海外出張後で金欠気味だろうと、有無を言わさず購入せざるをえない道具の一つ…それがシェーバーだ。海外出張から帰ってきた直後の今月はじめ、それまで愛用していたブラウンのアクティベータX BS8785の調子がもうどうにも耐えきれないぐらい悪くなったので、思い切って松下電器(今はパナソニックと言うのかな?)のラムダッシュ ES8801を購入。(千里中央に大きな家電量販店ができた関係で、ついつい財布の紐がゆるくなりがちだ…という点は勘弁して!)僕は長らくブラウンのシェーバーの「信仰」者で、とりわけアクティベータXはかなりの深剃りができて、洗浄機能もついていつも清潔…だったよーな気がしていたので愛用していた。確かに深くそることはできた…しかも頻繁にお節介にも肌まで剃ってくれて血だらけになるくらい。けれど、あご下やえら下の部分などはどんなに繰り返しても髭をそることができずそり残しがでてしまう。洗浄機能は確かに便利なのだけれども、洗浄液を定期的に購入せざるをえないからランニング・コストが高い。それと高温の温風乾燥を行う洗浄機の構造欠陥からか、シェーバー本体の塗装が溶けて剥げ落ちて、ボロボロになる始末。ボロボロつながりでは、剃った髭がそのままシェーバー本体からこぼれ落ちる構造で、僕が髭剃りを終えると黒い粉状の髭が散乱しているらしく、家族からは大不評だった。たまたま一年ほどくらい前から僕は、鼻毛カッターとしては無駄に「超高級」な松下電器のER430を使っていて(鼻毛カッターで3000円くらいするのは明らかに高価だが、これにはカット後の鼻毛を吸引するファンがついていて鼻毛カッターとしての完成度は実に高い)、それとコーディネートしようと思い今回のシェーバーの買い換えでは松下電器にしようと思っていた。で、バルカン半島からの帰国直後の時差ボケで意識朦朧とするなか、いざ千里中央の家電量販店にいってみると、パナソニックのラムダッシュ・シリーズの高いこと、高いこと…。たまたま四枚刃の新製品ラッシュの次期と重なっていたのかもしれないけれど、ヨーロッパ帰りの懐状況ではちょっと高くて手が出ない。それでも今回は高速リニアモータで肌に優しいそり心地という評判のラムダッシュが欲しかった。そこで、三枚刃で縦方向にヘッドは動かないけれども、ラムダッシュ・ブランドでは一番コンパクトな(そして安価な)ES8801を購入。結果的にはMacBook AirやInfobar2など、最近出張する際に持ち運ぶ身の回りの道具が銀色系のデザインで統一されているので、図らずもこのシェーバーは銀色のコンパクトなデザインなので、それらとコーディネートできたことになる。このES8801には洗浄機はないから、直接水洗いする手間はあるが、その分維持費はかからず将来的な運用コストは安く収まるだろう。驚きはバッテリ駆動時間のもちのよさで、一時間ほどの充電で一週間弱くらいは動いてくれる。肝心なそり心地は、いままでのブラウンと比べるととても繊細。剃り終わったあと、肌がツルッとする感じ。肌にヘッドがよく密着するからだろう、あご下やえら下のそり残しはゼロ。もちろんカミソリ負けもない。けれど繊細なそり心地ゆえ、シェーバーヘッドと皮膚の圧着面について慎重にならないと、すぐに外刃と内刃を傷めてしまいそうだ。それと高速リニアモータ特有の甲高い音は、馴れるまで耳につくうるささだ。デザインがよくそり心地もよいとなれば、これは個人的に良い買い物だった。シェーバーはそれを使う人の肌の特性が人それぞれ違うので、「これが良い!」と万人にお薦めできるものではないけれど、このES8801は発売が2005年というからもう3年以上もモデルチェンジすることなく売られ続けているということになる。万人にお勧めできるかはわからないが、隠れたベストセラーであることは事実だろう。(そうそう、意外とシェーバーとかプレゼントされると男性は嬉しかったりしますよね。僕なら、もらったら嬉しいと思う。家電量販店では、結構カップルでシェーバーを選んでいる人を見た。消費対象としてのシェーバーには、なんらかの社会的記号性ってあるのだろうか?)

近世イギリス史研究会に参加して

先日、近世イギリス史研究会に招かれて、指昭博編『王はいかに受け入れられたか』(刀水書房)の合評会にコメンテータとして参加しました。30人近く参加されていたでしょうか。近世、しかもイギリスに限定して銘打った研究会、しかも報告者は近世イギリスだけではなく、近世フランスに、近世スウェーデンなのに盛会でした。それでも、門外漢でも暖かく迎えて下さった研究会のみなさん、ありがとうございました。懇親会に至るまで、久しぶりに僕は自分の専門を活かす時間を過ごすことができ、とても楽しかったです。(実はその日、子供の運動会があって、お昼まで運動会に参加し、ヘロヘロ状態で研究会に臨んだ筈だったのですが、疲れは最後には消えていました。)僕は、国家儀礼やメデイアなどで「スウェーデン王はいかように表現されたか」ではなくて、カルマル連合以来のスウェーデン固有の歴史的経緯を縦軸に、近世バルト海世界における地政学的状況を横軸にして、「バルト海世界でスウェーデン王はいかに受け入れられたか」を報告しました。確かに、(1)「王をいかように表現しよう」とも、その表現の仕方は表現者の戦略によって多様であり(…二宮宏之先生はかつてそれを国家儀礼やメディアといった複数の回路で分類していた…)、(2)さらにそうして表現されたものを受けとる側が「王をいかに受けいれたか」については、表現者の戦略とはズレがあるはずで、それを確認することは研究方法論上なかなか困難であるということはあるでしょう。とはいえ個人的には、イギリス、フランス、スウェーデンといった、各々の複合国家編成をいかに維持するかの戦略性の違いに応じて、王の受容イメージにだいぶ差があることがはっきりしました。とりわけイギリスとスウェーデンは、大陸ヨーロッパからみれば辺境に位置する北海・バルト海をつないだ北方ヨーロッパ世界の成員として大いに比較されるべきところですが、例えば、16世紀以降の古典文化の受容の仕方も、宗教改革以降の宗教と王権の位置づけも、おそらく帝国的編成をめぐる意図の差から異なります。最近の僕は東欧と北欧(あるいはバルカンとスカンディナヴィア)の比較検討のための連携に傾注していましたが、それを一つの軸としつつも、他方でブリテンとスカンディナヴィアの比較検討も一つの軸に据えたいと思いました。なんというのか、僕らは、天路歴程のあるべき姿を西洋世界に求めた明治以来の歴史学のイデオロギとその残滓によって、実はヨーロッパ世界のより実態に即した姿を知らなさすぎる側面があるのだけれども、今回、近世イギリス史研究会に出てみて、良い意味でヨーロッパ世界の一地方の政治文化研究が落ち着いて進んでいる姿を思ったとき、「これはそうした人たちと連携することで、僕たちはようやく狭い「公」の考え方に捕らわれてきたヨーロッパ観を越えて、はじめて腰を落ち着けてヨーロッパ世界の実態解明に結びつく諸地域連携の立体的研究ができる地平に立てたのだなと思いました。だから、この研究会に参加できて嬉しかったです。

2008年10月14日 (火)

第1回大阪大学21世紀懐徳堂シンポジウム

大阪大学の一員となってはや一年。いろいろな仕事に取り組んでいますが、個人的に「オモロー!」と思って取り組んでいる仕事の一つは、阪大の社学連携事業の一つである大阪大学21世紀懐徳堂の仕事です。21世紀に“あの”懐徳堂の精神を阪大に復活させようという野心的な試み。(まだまだ暗中模索にはありますが)その概要については21世紀懐徳堂のホームページをご覧頂くとして、第1回大阪大学21世紀懐徳堂シンポジウム「地域と大学が一緒に考える“まち育て”」が、今週木曜日10月16日午後1時から、場所は中之島の“あの”大阪市中央公会堂で開催されます。参加は無料。当日参加も可能ですが、人数把握の点から大阪大学21世紀懐徳堂までe-mailで連絡をいただけると幸いです。シンポジウムの詳細は、こちらにアップロードしたフライヤのPDFファイルをご覧ください。おおよその内容は以下のとおりです。僕は、第一部の司会を担当します。後ほど確認しますが、第二部のタウンホールミーティングでは鷲田清一阪大総長も参加されると伺っています。総長先生と直接語れるというのは貴重な機会かも知れませんね。ふるってご参加ください!

【挨拶】 大阪大学21世紀懐徳堂学主 武田 佐知子

【第1部】 未来に引き継がれる“まち”の記憶

基調講演 小さな雑誌で町づくり ~東京の文化遺産を守り、活かす~
作家・地域雑誌「谷中・根津・千駄木」編集人 森 まゆみ
パネルディスカッション 大阪で学ぼう 大阪を学ぼう ~未来に引き継ぐ“まち”の記憶~
財団法人サントリー文化財団上席研究フェロー 佐藤 友美子
大阪市ゆとりとみどり振興局総務部集客プロモーション担当課長 花田 公絵
立命館大学産業社会学部教授・雑誌『上方芸能』編集代表 森西 真弓
関西学院大学大学院経営戦略研究科教授・大阪大学名誉教授 宮本 又郎

【第2部】 一緒に考えるこれからの地域と大学の“社学連携”

プレゼンテーション1 チャイルド・ケモ・ハウスの試み ~小児癌の子どもたちのための専門病院設立を目指して~
NPO法人チャイルド・ケモ・ハウス理事・ダイバーシティ研究所代表 田村 太郎
プレゼンテーション2 大学の使い方、教えます ~サイエンスショップってなに?~
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授 平川 秀幸

タウンホールミーティング 大阪の“まち育て”とりあえず、一緒に 考えましょ

第1回大阪大学21世紀懐徳堂シンポジウム(1)

第1回大阪大学21世紀懐徳堂シンポジウム(2)

2008年10月 9日 (木)

現代北欧地域論4b

阪大で金曜4限の北欧史講義を受講されているみなさん!こちらへ先週と今週の講義ファイルをアップロードしますので、各自ダウンロードして明日の授業に臨んでください。(ココログの仕様変更でアップロードできるファイル容量が1MBに限定されたことに、どのように対処しようか悩んでいたために、遅れてしまいました。申し訳ありませんでした。とりあえずPDFファイルを作成する時点でダウンサイジングを行うことで対処します。)それと、阪大との統合も一周年を迎えましたので、授業に関する記事のカテゴリーを「大阪大学」に変更しますので、よろしくお願いします。

先週の講義ファイルをダウンロード

今週の講義ファイル(1)をダウンロード

今週の講義ファイル(2)をダウンロード

2008年10月 8日 (水)

地域秩序論特定演習Ⅱ

大阪大学大学院人間科学研究科グローバル人間学専攻地域研究講座の大学院生のみなさん!月曜日2時限目に、この10月より着任された大谷順子先生とともに、地域秩序論特定演習Ⅱ/特別演習Ⅱという授業を開いています。一昨日、初回の授業を開きましたが、参加者が一人もおらず、その日は閉じました。残念なことです。この授業は、「地域秩序へのアプローチ」ということで、大谷先生は現代の社会政策学の立場から、僕は比較歴史社会学の立場から話しをします。僕は、アメリカの歴史社会学者であるB.ムーアJr.やT.スコッチポール、C.ティリーらの国家論に関する論考を読んでみようと思っています。来週は体育の日でお休みですが、再来週20日には一応42番教室に詰めるつもりです。今学期の人間科学研究科における履修登録締切は22日と聞いていますので、関心がある場合には様子を見に来て下さい。

バルカンをめぐる(2)

スカンディナヴィアからバルカンを訪ねて一番のショックは、ザグレブとベオグラードの町の雰囲気の差でした。ザグレブは(ある意味)「戦勝国」の側にあると言えるかも知れませんが、来歴をたどれば、長らくハプスブルク帝国の一地方都市として発展してきた経緯がありますから、ザルツブルクやグラーツのような雰囲気もある。しかし、サヴァ川とドナウ川を越えて、その合流点につくられたベオグラードは、かつてのNATO軍による空爆の爪痕もいまだに残り、(そして、自動車の排気ガスによる大気汚染の結果、黒ずんだ町の外観もあり)これはどう見ても、ヨーロッパの都市とは言えない雰囲気をもっている。ベオグラードは長らくオスマンの支配下にあったことからくる雰囲気…アジアとも言えない、ヨーロッパとも言えない…それは「ベオグラード的」としか言えないなんとも形容しがたい町でした。結局、ローマ帝国以来のサヴァ川・ドナウ川の境界が、ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界の境界をいまだに形成しているのだと実感させられた瞬間でした。そして、昨今のコソボ問題を見ても明らかなように、動乱の地としての「バルカン」のイメージは決して相克されていない。この8月にグルジアで問題が起きたけれども、実際にバルカンの地に立ってみて、バルカンも、コーカサスも、パレスチナも、僕たちはそろそろ百年をむかえようとしている第一次世界大戦が抱えていた問題…ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界との文明間の対立、あるいは近代秩序を担ってきた諸帝国の対立を相克できずに今にあるのだと実感しました。つい数日前に東京で津田塾大学名誉教授の百瀬宏先生とお話する機会があったのですが、百瀬先生が60年代〜70年代にバルカンに訪れた頃は、冷戦構造の重しの下で一つのまとまった「バルカン」的世界が実現されかかったように見えたと語られていました。それがなくなった後に再び「バルカン」(…それだけではなくコーカサスも含めて)が分裂の極みにあるのは、「20世紀という時代はいったいなんだったのか?文明論的に考えてみれば大いなる停滞の時代だったのではないか?」と、歴史の皮肉を感じます。そうした時代に対する感慨とともに、地域概念というものがそれぞれの歴史的文脈に応じた地政学的状況に即して変幻する実例をバルカンで僕は実際に見た思いがします。

バルカンをめぐる(1)

このブログを休止している期間にいろいろな仕事をしていましたが、とりわけ思い出に残った仕事は、9月中のバルカン半島への出張でした。最初ストックホルムに渡り、ウップサーラ大学で所用をすませ、それからザグレブへ渡り、カンファレンスをこなし、陸路ベオグラードへ渡り、さらにカンファレンスをこなすという日程。「バルカン研究者でもない者がなぜ?」と思われるかもしれませんが、そのカンファレンスは、今、僕の所属している阪大世界言語研究センターが進めている「民族紛争の背景に関する地政学的研究」がザグレブ、ベオグラードの研究機関と連携し、日本のバルカン研究者と現地の研究者との研究交流を図るべく開催されたものであり、僕は阪大側の人間として参加した…という次第です。(司会者、報告者…クロージングリマークまでこなしましたよ。)会合で僕が行った報告は、明治以降の近代日本史学史とアイデンティティ模索に関するものでしたが、とりわけ戦後日本の復興に伴うアイデンティティ構築の問題では、旧ユーゴの研究者の関心も高く、議論ももりあがり…クロージングリマークでは阪大世界言語研究センターとそのミッションについても宣伝することもできて、充実した出張だったと言えます。(もちろん、このカンファレンスの実現には、何人もの方々のご尽力があったからこそであって、とりわけ、現地語で円滑にコミュニケーションをとる若手研究者の存在に、「コトバ」の力を感じた次第です。みんな、ありがとう。)しかしあまりに日本に対するイメージが良すぎて、僕の報告など、混沌に近いかたちで多様化している現在日本におけるアイデンティティ分裂の状況について話をすすめたにもかかわらず、「なぜ日本は世界をジャパナイゼーションしないのか?」という質問を現地研究者から受けたときには、(1)「ジャパナイゼーションという概念を使う場合の核になる「日本」とは今僕たちも何かわからない(…あるいは人によりそのスタンスは多様だ)。」、(2)「東アジアにおいて共有されるべき近代史の総括(あるいは近代史を相克する価値の共有)がなされない限り、日本が「日本」的価値を主張することには他国がアレルギをもっている。」と答えるのがやっとでした。こうした質問がでる背景には、バルカンという地域は、それぞれの歴史的文脈において、例えば、「ヨーロッパの火薬庫」のように他国から与えられた外発的な「バルカン」概念のうえに生きざるを得ず、結局のところ、「バルカン」を包括する(あるいはその地域に生きるものが共有しうる)内発的論理を生み出し得ず、現在でも分裂にあえぐ状況にあるのかなと思いましたが…。(1)、(2)をまとめると結局、「東アジアで共有されるべき、あるいは共有可能な「日本」的価値とは何なのか?」という問題を、遠く内的分裂を歴史的に繰り返しているバルカンの地でつきつけられたことが、今回の出張で最大の成果だったかも知れません。(まるで北欧とは関係ない話で恐縮です。)みなさんは、どう考えますか?

ココログの「改悪」

この2ヶ月あまりのブログ休止期間のなかで、見過ごしてしまったココログの仕様変更があります。アップロードできるファイル容量が1MBに制限されてしまったということです。これでは画像を多用し、容量の大きくなったプレゼンファイルを事前に配ることができません。ブログ自体の容量はだいぶ大きくスペースがあるのに。(従って、阪大外国語学部のゼミ講読用のファイルを分割せざるをえませんでした。)さまざまな不正に対処するためとはわかりますが、僕などは一応お金を払って、あらかじめ様々な学生にURLを教えてブログを開設している者ですから、ココログからの移設となるとこれがまた面倒なので、どうにかしてもらいたいものです。フリーのファイルストレージを別途用意して講義ファイルはそこにアップし、このブログからリンクをはってダウンロードしてもらう形をとろうかと思っています。なにかよい知恵があれば、どなたか×ご教授→○ご教示(ご指摘ありがとうございます)下さい。

ぼちぼちと復活させます!

みなさま、ご無沙汰しております。すでに若干の更新作業を行っていたのですが、再び、このブログのほう、ゆっくりと、しかし着実に復活させていこうと思います。「ブログの閉鎖は残念です。」との言葉をほうぼうからいただきました。ありがとうございます。実際には閉鎖ではなく、休止としたつもりでしたが。学生のみなさんとの情報伝達の手段としては、やはりブログが一番良いような期がして、復活に踏ん切りがつきました。ただし、本格的復活まではまだ少しお時間を頂きたく、発言更新も以前よりはゆっくりとしたものにしたいと考えています。まずは9月中の話からいきましょう。今後ともよろしくお願いします。

2008年10月 4日 (土)

スウェーデン史ゼミ、デンマーク史ゼミに参加している人へ

スウェーデン史ゼミに参加されているみなさん!今学期のゼミで講読する論文をアップしますので、各自ダウンロードして読み進めて下さい。今学期は180頁下段の新しいセクションからいきます。

スウェーデン史ゼミ論文の1をダウンロード

スウェーデン史ゼミ論文の2をダウンロード

デンマーク史ゼミに参加されているみなさん!今学期のゼミで講読する論文をアップしますので、各自ダウンロードして読み進めて下さい。今学期は18頁の新しいセクションからいきます。

デンマーク史ゼミ論文の1をダウンロード

デンマーク史ゼミ論文の2をダウンロード

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