最近のトラックバック

2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« You are so beautiful | トップページ | 狂ったショパン »

2008年8月20日 (水)

原点回帰を試みる

みなさん、お元気ですか?大阪はお盆を過ぎても暑い日が続いています。この8月は月初めの合評会での体験からはじまって、落ち込んだ日々を過ごしています。(落ち込みを決定づけたのは、来月の海外出張でかかる燃料サーチャージの金額だったのですが。校務は順調ですよ。一昨日の会議なんて、海洋堂のフィギュアの話で盛り上がったりして。阪大は多士済々ですね。)人は誰でも好調な時期と不調な時期は交互に巡ってくるものでしょう。落ち込んだ時期がなければそれを踏み台にして次のステージへステップアップすることもできないのですから、むしろ落ち込みの到来はありがたいものと思っています。「楽天的な未来指向の落ち込み」ということですから、僕の場合、躁鬱というより分裂してますね。

そんななか、あらためて「ロッキー」なんて見てました。「ロッキー・ザ・ファイナル」もようやく見ました。なんだかこっぱずかしいけれども、昔から苦しいときに僕は無性に「ロッキー」を見たくなるんですよ。あんなボクシングはありえない、それはフィクションだとはわかっていても、打たれても打たれても、痛いだろうに何度も立ち上がってくる姿。決してクールな生き方じゃないかもしれないけれど、不器用でも汗水ながす生き方がいい。何度1作目を見たかわからないのですが、今回は「ファイナル」も込み。1作目の最後の台詞"Yo, Adrian! I did it."に呼応するかたちで、「ファイナル」の最後の台詞はエイドリアンのお墓の前で"Yo, Adrian! We did it."で閉じられるんですね。最後は"We"なんですよ!泣きました。"If I can change, you can change. Everybody can change."という「ファイナル」でのメッセージも、今の自分の心に響くものがありましたね。アメリカ映画って本当はCGとかなくても、懐の深い映画をつくれる力があるよね。でもって"Gonna fly now"とか、"Going distance"だとか、ビル・コンティの名曲をがんがんかけまくっています。

(ビル・コンティといえば「ライト・スタッフ」でアカデミー賞作曲賞を獲っているけれど、なぜ「ライト・スタッフ」のサントラはiTunes Storeにあがってこないのだろう?「ライト・スタッフ」のサム・シェパードとかいい。彼はチャック・イェーガーっていう飛行士の役を演じているんだけれども、このイェーガーってのはX-1型実験機に乗り込んで世界で初めて音速の壁を越えた人物で、少年の頃からの僕の憧れの人物の一人でした。というか「ライト・スタッフ」たちの葛藤と格闘の姿が好き。「ロッキー」も、「ライト・スタッフ」も、苦悶しつつも壁を越えようとして戦いをあきらめない姿勢が好きです。)

勉強の仕方も原点回帰させています。この間の合評会のときに近藤和彦先生から、「なにか今日の合評会では新兵器が出てくるのかな?アナログの?」と声を掛けられたことに触発されていますが、A5版のロディアNo.16に手書きメモをとりはじめました。ロディアの場合、文献メモをとったらそれぞれのページを切り離すことができます。それぞれのページには索引になる見出しをつけておいて、あとから項目別に関連するメモをクリップでまとめる。卒論を書いていたころ京大式カードでやっていた方法をロディアでやっているということです。しばらく勉強ではPCを封印。今はアナログ的方法に落ち着くことで、頭と心を落ち着かせることが大切と思っています。

原点回帰は研究の方法的枠組みにも及んでいます。このお盆の時期は、僕が学生時代から「お手本にしたい!」と思っていたオームスの「徳川イデオロギー」やコシュマンの「水戸イデオロギー」をかるく読み直していました。ついでにアルチュセールやテルボーンあたりも。何が原点回帰かと言えば、昔々から頭のなかにある実践としてのイデオロギーというイメージや思想構造と意図的行動の連関のイメージをどう今のスウェーデン研究に結びつけるかということなのですが。近世スウェーデンだと、ブルンナーやコゼレックらによるGeschichtliche Grundbegriffeの影響を受けたB.リンドバリやP.ハルベリあたりによって思想史研究が進められているけれども、しかしアルチュセール的な枠組みまでは行っていない…というか、思想構造の解明には厚い研究史があっても、それが実践との関連にまで結びついていない感があり、僕らなりの政治社会研究に達するには、例えば18世紀のリンネらの実践を事例として、それとスウェーデン特有の近世的「イデオロギー」の往還が明らかにされるべきのではないかなんて思っています。

長くなってしまいました。収拾が付かなくなりつつあるので発言を閉じます。というわけで、ぼちぼちやってます。一言、落ち込んでいる人には、「ロッキー・ザ・ファイナル」。なかなか良い薬になりますよ…って、結論はそれだ。(ロッキー、チャック・イェーガー、シカゴ学派、いずれも僕の原点にかかわるものですが、みんなアメリカってのはたまたまです。この並びも、かなり分裂してますね。)

« You are so beautiful | トップページ | 狂ったショパン »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« You are so beautiful | トップページ | 狂ったショパン »