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2008年6月

2008年6月30日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん!北欧の世界遺産に関する来週の講義ファイルをアップロードします。来週は二つ具体的に紹介します。よろしくお願いします。

来週の講義ファイル(1)をダウンロード

来週の講義ファイル(2)をダウンロード

2008年6月29日 (日)

箕面のビール

先日、科研関連で世話になっている院生を連れて阪急箕面駅に近い「箕面物語 耀」を訪れた。院生たちが「ビールは苦い」とばかり言うものだから、「ビールはいろいろだ」ということを教えようと思って訪れた店だったが、実に居心地のよい時間を過ごすことができた。

こちらは、箕面ビールの直営店の一つであり、箕面ビールの数ある商品を実際に味わうことができる。先日はリアルエールはなかったが、ボトリングされたものはほとんどが置いてあり、ラガー、ダークラガー、ピルスナー、スタウト、ヴァイツェン、ペールエール、カベルネエールあたりをあけた。(カベルネは、麦汁にカベルネソーヴィニヨンの果汁を添加させたオリジナル発泡酒。)まぁ、スタウト、ヴァイツェン、ペールエールあたりの甘みで、院生たちはビールの深さを知ってもらえたようでよかった。

(箕面ビールはいろいろとつくられていて、かのエカチェリーナ2世が愛飲したことで知られる甘〜いインペリアルスタウトや、大英帝国を語る上で欠くことのできないIPA(インディアン・ペールエール→しかも強さをその二倍にしたダブルIPA)なども作られている。ダブルIPAは確かに絶品。)

しかし、この「箕面物語 耀」の良かったところは、決して箕面ビールが飲めるだけではなく、箕面の地場産業と密な関係をもって、僕たち訪れる者の舌と胃を楽しませてくれるところだ。例えば、サラダなどで何気なくだされる野菜。これは、やなもり農園というところのものだという。確かに、生トマトの甘く、美味いこと、美味いこと。例えば、メンチカツのお肉。これは箕面商店街の老舗の肉屋サンエイからのものだという。他にも、行者蕎麦なんかもあったりして、シメにはそれが良い。

これもまた箕面に来なければ味わえない食と時間の話。

(大阪大学外国語学部の最寄りの駅を千里中央ではなくて、阪急箕面駅にしてしまおう!そうすれば、ゼミの打ち上げなども、箕面でできるようになる!)

箕面の豚カツ

久しぶりの休日に家族と箕面へ豚カツを食べに出かけた。東京に住んでいた頃は、谷根千界隈に住んでいたこと、妻が大の豚カツ好きということから、上野あたりまで出ては、よく「美味い」とされている豚カツ屋さんに出入りしていた。けれど、大阪に来てからは、「ここだ!」と言える豚カツ屋はなかった。

(同じようなことは、ラーメン屋、蕎麦屋にも言える。蕎麦屋は北摂にボチボチと良い店を紹介してもらっていはいるが、ラーメン屋はまだまだ。)

昨日、箕面へ訪れた豚カツ屋は「豊か」という店。(知っている人は知っているのだろう。このあたりでは大変有名な店だ。)サクサクの豚カツに塩を振って食べる形。塩で喰わせるなんて、濃厚なソースの味で豚カツの風味をごまかすことができないわけだから、よほどの自信がなければできないこと。しかしその自信は、そっと添えられている塩の控えめな存在に隠れている。塩はほんのりと甘からく、付け合わせの梅干しも甘さと塩辛さが良い塩梅。個人的な感想を言えば、この店の内装、照明、対応、味のすべてが、「良い塩梅」。奇をてらわず、勝を誇らず。箕面にこれほどの「美味い」豚カツ屋があるとは!

飲み物には、「豊かオリジナルプレミアムビール」をいただいた。一口、これはどこかでいただいたことのある味だと思い、ラベルを見るや、製造元がA.J.I.Beerとなっている。これは、ブランドネームとしては「箕面ビール」を作っているブルワリ。なるほど、箕面ビールでいえば「心友ビール」という名前で売り出されているピルスナータイプに近いわけだ。ラベルはオリジナルのラベルがついていて、それとはわからないけれど、無濾過処理なので日持ちはしない。

箕面でつくられ、箕面でしか味わえない味。この豚カツも、このビールも。

2008年6月27日 (金)

現代北欧地域論4a

北欧史講義を受講されているみなさん。今日の講義ファイルをアップロードします。が、これはおそらく来週で使うことになるでしょう。今日の講義では先週アップロードした講義ファイルを持参してください。

来週の講義ファイルをダウンロード

2008年6月26日 (木)

Régiment Royal-Suedois 連想ゲーム

昨日のゼミも面白くて、とりわけ18世紀の啓蒙的言説を支えた出版業界の報告。その余韻、未だ冷めやらず、ついつい早朝の連想ゲーム。で、自由の時代→ハット党→反ロシア外交→フランスとの同盟→フランス軍スウェーデン連隊→軍務を通じた啓蒙的言説。(ハット党→ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン→スウェーデン連隊購入→マリー・アントワネットに接近、なんて連想も可。)スウェーデン連隊に属した軍人のプロソポできそう。パリとストックホルムを往還する軍人ネットワークに啓蒙期の政治的言説の伝播を見てみようって…あれれ、なんだか面白そうじゃない?政治経済学とは別文脈で「祖国」なんて概念が出てきそうだったりして。ひらめくときは、一瞬にひらめく…Régiment Royal-Suedoisは、軍事史研究はあっても、それ以外に史料は活用されていないみたいだし。やれるなぁ、この研究は。この夏、ベオグラードやザグレブに行ってる時間があるならば、パリに行きたくなってきた。北摂のキャンパスでドタバタしていても、頭のなかは18世紀のことで一杯で、脳内的には幸せ。あとは、神様、仏様、僕に時間をください。

2008年6月25日 (水)

スウェーデン語Ia

金曜5時限のスウェーデン語講読に参加されているみなさん。すみません。次回のテキストのアップロードが遅れました。こちらにあげておきますので、明後日よろしくお願いします。ドタバタ続きで、本当に申し訳ありません。


6月27日のテキストをダウンロード

2008年6月24日 (火)

これでは日本は勝てない

週末は休日返上で外回りだったので、今日は梃子でも動かぬ自宅研修。さて、巷のガジェット好きの間ではiPhone 3Gの話題で持ちきりだけれど、なんとなく暗澹たる気分にとらわれています。どうも日本の携帯メーカ再度のiPhoneに対する評価は、(悔しさ半分というところもあるのだろうけれども、)的を得ていないと思えるものが多いです。某社は、「ワンセグや電子マネー機能が搭載されていないものは日本では受け入れられない」とか、某社は、「親指入力に対応していない日本語入力機能は日本では受け入れられない」とか。

日本の携帯メーカは、それぞれがすばらしい技術力をもっています。ワンセグや電子マネーといった個別的な端末機能の高さから言えば、それは立派だと思います。しかし、そうした個別的技術での「勝利」にのみ目が奪われることは、局所的な「戦術的勝利」にのみ満足して大局的な「戦略」面での勝負を忘れるということに繋がりかねません。

今回のAppleによるiPhone 3Gがどえらい製品である本当の理由は、(1)iPhoneというハードウェア、(2)iPhoneを作動させるMacOSというソフトウェア、(3)iTunes Storeによる音楽・映像ソフトの提供サービスなどが、トータルとしてApple社の手元にあるものであって、Apple社がハード・ソフト・サービス(プラットフォーム)のすべてをたった1社で牛耳るという総合的ビジネスモデルを明確に示した点にあると思います。携帯端末を用いた情報メディア市場において勝利を得ようとする場合の大局的な「戦略」が今のApple社には存在するということです。

日本の携帯メーカは上記の(1)の部分で各個撃破を続けるだけで、世界的なこの分野の市場で勝利を収めることができるでしょうか?さらに言うならば、iPhone 3Gの導入をめぐる騒動を見ていると、携帯電話キャリアがこの市場では誠に存在の薄いものになりつつあることさえもわかります。Apple社がiPhone 3Gに対してつけた値段に販売価格を抑えるためにソフトバンク社がどれだけ多額の「上納金」をApple社に払っているのか。つまり、Apple社はハード・ソフト・サービスのすべてを牛耳るがゆえに、Apple社の言い分に携帯電話キャリアは従わざるを得ないわけです。(もしその言い分に従わなければ、Appleは、「いいよ〜、別のキャリアに鞍替えするから」ってわけになるから、今のソフトバンクを見ていると、「絶世の美女」をえんがために彼女の数々のわがままを唯々諾々とすべて受け入れるしがない男に見えて、実に涙ぐましく思えます。もてない男を応援したくなる気持ちで、「がんばれ、ソフトバンク!」と言いたいです。)

日本がこの分野でApple社と申しましょうかアメリカに対して、勝利するというのでなくても、少なくとも競争相手として認められようとするならば、Appleのような総合的ビジネスモデルを提供できる企業があらねばならず、もし日本で各個撃破のみをめざす企業ばかりになってしまうとすると、単に技術部分の下請け企業としてAppleの戦略に従属する未来しかないと思えます。それが、どうも日本のメーカの経営者たちのを見ていると、個別的な技術の勝利を積み重ねれば、いつかは世界市場でも勝てるといったような発想しか見えてこない。Appleも2000年代に入ってからは、iPodやら、MacOS Xやら、iTunesやらを個別的に開発してきた経緯があるのですけれども、最終的にはiPhone 3Gによってそれらの個別的技術を結びつけて情報メデイア市場を牛耳るような大局的戦略に結びつけたわけですから、本当に末恐ろしい企業であります。こういう戦略の建て方を僕らは学びたいものですよね。

2008年6月23日 (月)

地域研究VIII 学期末課題の件について

関西外大のみなさん!今学期末の課題について情報を整理します。

北欧諸国、北欧の都市、北欧の世界遺産のうち、自分の関心のあるものを一つ選んでレポートする。

そのレポートでは、

(1)自らが選んだ対象・テーマの基本的な情報
(2)それをレポートの対象として選択した理由・根拠


を必ず内容として触れること。なお、参考情報は文献、ネット情報など自由選択で構わず、特に制限は設けない。ただし

(3)レポート執筆上用いた参考情報の出典を必ず付記する。

レポートの分量は図版込みで原稿用紙換算 10枚程度(10枚以上は認める)とする。

提出方法は原則として直接最後の授業のときに手渡しに限る。やむを得ない事情があって事前連絡をもらった者にのみメールによる添付ファイルでの提出を認める。

締切は、今学期最後の授業である7月17日。もちろんそれ以前の授業の日に提出してもらっても構わない。ただしメールによる提出は、原則として手渡しができないことを事前に連絡してくれた人にだけに限定する。メールでの提出希望者は、今後の授業で申し出ること。それ以外は、原則としてメールによる提出を認めない。

以上です。

地域研究VIII

関西外大のみなさん!来週の講義ファイルをアップロードします。来週からいよいよ世界遺産に入ります。お楽しみに。

来週の講義ファイルをダウンロード

2008年6月20日 (金)

現代北欧地域論4a

北欧史講義を受講されているみなさん!来週の講義で用いる講義ファイルをアップします。今日の4時間目の授業では先々週と先週の講義ファイルを持参してください。よろしくお願いします。

来週の講義ファイルをダウンロード

2008年6月19日 (木)

都市から見るデンマークの「海上帝国」

とうとう研究室にあるHPのTabletPC 1100(もとよりヒンジ部は破断してキーボードのない状態でしたが)が電源を入れてもOSが立ち上がらなくなりました。東大の近藤先生のところも古いPCが調子悪くなったという話を聞きます。伝染するわけではないでしょうが、4年間酷使してきた(しかもその間不調は一度もなかった)ので、そろそろ限界でしょうか。研究室に残るは、これまた4年もののThinkPad X40と3年もののiBook G4。いつ壊れてもおかしくない状態ですから、使い続けるのは怖いですね。頃合いを見て、完全退役させたいものです。

(近藤先生はテキストデータベースでメール管理を考え、新しいPCには秀丸メールを導入されたとのこと。それであればこそ、テキストデータベースならばデータ検索も容易ですし、堅牢なライティング環境を確保できます。僕も、最近「文章執筆に集中する術」というどこかの記事を読んでから、JDarkRoomというテキストエディタを試用しています。(Windowsユーザだったころは、僕も秀丸エディタを使っていました。)黒い背景に緑色の文字。フルスクリーンで文字しか出てこないので、余分なアイコンなどの視覚情報が入らず、雑念なく文書執筆に集中できます。意外と良いかも。そういえば、東大の石井先生はWindows時代に入ってからも、長らくMS-DOSの走るPC98でVz Editorを愛用されていたことを記憶しています。このJDarkRoomは、文書執筆ツールとしてのVz Editor的雰囲気を感じさせてくれます。)

さて、昨日の北欧の地誌の授業は、学生諸君によるグループ学習報告の会で、コペンハーゲン、マルメー、レイキャヴィークの都市機能の変遷に関する報告がなされました。一見するとそれぞれの報告は何の関連性も見いだせないセッションだったかも知れませんが、落ち着いて関連してみると、デンマークの「海上帝国」としての性格から全体とまとめ上げられる報告会でした。

デンマークは一般的には農業国として知られるがゆえに、耕作地の拡がるユラン半島・フュン島・シェラン島などを中心にしてデンマーク国家のイメージが作られています。しかし、中世にはバルト海東岸からゴットランド、スコーネなどをその領域に含めてバルト海世界の東西を縦断する国家だったわけですし、近世以降はアイスランド・グリーンランド・フェーロー諸島をはじめ、西インド諸島・南インド・トランケバール諸島などまでを領土に含むいわば「海上帝国」を形成し、遠洋航海とその貿易でも栄えた国家だったことを忘れてはなりません。

コペンハーゲンが首都化をはじめるのは、デンマークがハンザ同盟との経済覇権抗争の渦中にあったカルマル連合期の15世紀半ば以降のことですが、それが大陸ヨーロッパにおける「軍事革命」に見られた要塞建築技術を援用しつつ、中世以来の都市構造の外延部を保塁で補強し、一大城塞都市に変貌するのは17世紀以降のことです。城内にクリスチャン4世の治世下でオランダ・ルネサンス様式の建築が数多く建設されたこの時代以降、コペンハーゲンには西インド会社やグリーンランド貿易会社などの特権商事会社の本社も置かれ、「海上帝国」の核として、いわばバルト海世界における「世界の港」として発展し、これを防御するために城塞強化が図られます。

まさにデンマーク王権による独占的貿易事業によって築かれた「海上帝国」に服した一つの地域がアイスランドであり、都市としてのレイキャヴィークの発展は、17世紀以降のデンマーク王権によるアイスランド交易の拠点に起源の一つを有しています。とはいえ、「火の国」アイスランドにおけるレイキャヴィークの本格的発展は、中世以来の南アイスランドの政治・宗教の拠点であった内陸のスカウホルトが1783年のラキ山の噴火によって壊滅的打撃を受け、スカウホルトにあった拠点機能が海岸部のレイキャヴィークに移ってからのことでした。しかも18世紀末の啓蒙改革期のことでしたから、デンマーク・アイスランドの交易も自由化の道を歩み始めていたことにより、レイキャヴィークの急速な発展に拍車をかけます。

これに対して、エーアスン海峡を挟んでコペンハーゲンの対岸に位置するマルメーは、確かにスコーネの南東岸におけるニシン市場の拠点としてルンド大司教のもとで、カルマル連合期にはカルマル連合王(すなわちデンマーク王)のもとで庇護を得て都市化が始まりますが、コペンハーゲンのような「海上帝国」の核ではなく、あくまでもスコーネの地方経営におけるエーアスン海峡に面した一つの拠点にしか過ぎませんでした。(ランスクローナ、ヘルシンボリなどもそうした位置づけで語れるでしょう。)それゆえに、デンマーク期においても、1658年以降のスウェーデン期においても、「軍事革命」の所産である幾何学的な要塞建築による都市の補強はなされることはなく、基本的には15世紀半ばに築かれた都市プランが残ります。

マルメーは17世紀後半にはスウェーデン領になりますが、デンマークとは異なって「海上帝国」としての性格をもてなかったスウェーデン(「バルト海帝国」はあくまでも「内海の帝国」であって、アメリカ(一時期を除く)・アフリカ・アジアに植民地はなく「外洋に開かれた帝国」ではありませんでした)では、軍港都市として築かれたカールスクローナを別とすれば、コペンハーゲンのような「世界の港」ゆえに要塞機能ももった都市はほとんどなかったと言えるでしょう。(例えば、スウェーデンが「世界に開かれた港」として築いたユーテボリの規模と都市プランは、コペンハーゲンのそれとは比較にならないほど素朴なものです。スウェーデンには、コペンハーゲンに匹敵する「世界の港」は存在しなかったと言えると思うのですが、それはスウェーデンがデンマークのような外洋に開かれた「海上帝国」ではなかったためだと言えるかも知れません。)

デンマークの「海上帝国」としての性格は、ナポレオン戦争期にフランスと同盟した結果、その後のウィーン体制のなかで多くのアメリカ・アジアの植民地がイギリスなどに譲渡され、瓦解します。コペンハーゲンは、ナポレオン戦争期に二度イギリス海軍から攻撃を受けます。(1801年と1807年。)とりわけ二度目の攻撃のときには、17世紀以来築かれてきた城塞の防御構造が長い射程距離を誇ったイギリス海軍の火力にかなわず、コペンハーゲンに甚大な損害がもたらされたと言われています。

「海上帝国」としてのデンマークの終焉が、イギリス海軍による攻撃と「帝国の核」を守るコペンハーゲンの要塞機能の限界と重なっていたことは興味深い点です。かくして19世紀半ば以降はコペンハーゲン西部の城壁撤廃と堀の埋め立て、鉄道網の拡張などが進み、コペンハーゲンが中・近世の枠組みを超えて、近代都市として郊外へと市域を拡張し始めます。それはあたかも、中・近世の「海上帝国」としてのデンマークの性格からの脱皮のようにも見えますね。

(実のところ、19世紀後半におけるコペンハーゲン要塞の整理縮小と新たな都市整備計画そしてそのための予算審議という問題は、近代デンマークにおける議会政治の展開を考える上で重要な問題になってくるのですが、この問題は今回の発言の主旨とずれますので、この発言はこのあたりで閉じることにしましょう。いや〜、しかし、学生のみんなは、本当によく調べてきてくれるものです。感心、感心。)

「リンネの帝国」への道(2.5)

先日、学術的見地において厚く信頼する後輩のOくんから、長らく疑問に思っていたことについて実に的確な回答を頂き、しばらく頓挫していた山川リブレットの執筆が一気呵成に進み始めました。従って、これからしばらくの間は「リンネの帝国」への道からそれることになります。とはいえ、「リンネの帝国」と密接に関連する、あるいは個人的にはそれへの露払いの位置づけとしているのが今、執筆を進めている山川リブレットです。

もちろん、山川リブレットではリンネのことも終章近くで登場させます。「バルト海帝国の残照」について扱う箇所では、「帝国」原理を思想的に用意したゴート主義の継続という点で、リンネによる「日の沈まぬ地」ラップランド探索などが加わります。「バルト海帝国」の統合理念を用意したゴート主義が18世紀にも継続され、「神から約束された土地」としての「アトランティス・スウェーデン」の解明ということが、リンネの業績の出発点になっていますので。

さて、しばらく僕が悩んでいた問題は、ヴァイキングという名辞の位置づけに関することでした。僕たちの「北欧史」のイメージでは、ヴァイキングという名辞は「北欧史」の原点を飾るものとして絶対的な意味をもつものです。しかしながら、近世「バルト海帝国」に懐胎した歴史認識・歴史区分を見ると、そこにヴァイキングという名辞は登場しません。ゴート主義の言説を見れば明らかなように「異教時代」と「キリスト教時代」が大きな区分であって、しかも、ゴート主義の言説においては「異教」と「キリスト教」が渾然一体となって首尾一貫した論理を構築しています。

ここにヴァイキングを含めて考えるとなると、ヴァイキング(800~1050年)の時代とその前史としてのゴートの時代をどう結びつけるか、これが大きな疑問として残ります。僕は、これまで世界遺産や昨年のユリイカの文章を調べていた経験から、北欧ではキリスト教と北欧神話の世界が融合している歴史認識と歴史叙述がふつうであって、ヴァイキングという名辞は、ナショナルロマンチックな近代的言説、あるいは大陸ヨーロッパと北欧の差違をことさら強調しようとしたときに見いだされた名辞に思えて仕方がありませんでした。そこでO君には、「バイキングという名辞が、北欧の人にとって自己意識の起源として強く意識されたのはいつからか?」というストレートな質問をしてみました。

膨大な学知を有するO君は即座に的確な回答を寄せてくれました。O君曰く、「本来、800~1050年頃の時代は鉄器時代・異教時代というくくりが一般的だったのだが、この時代の遺跡などがナショナル・シンボルとして見いだされていった19世紀半ばの雰囲気を受けて、1870年代に800~1050年代が特別な時代として区分され、ヴァイキング時代・ノルマン時代という区分が一般化した。」と。無論、O君は13世紀に編纂されたサガ群の存在に触れ、アイスランド移住者などについては13世紀当時には特別な意味が求められていただろうという正鵠を射る留保も頂きました。

なるほど、このようにヴァイキングという名辞がナショナル・ロマンティックな雰囲気に基づいた創造であるとするならば、現在のヴァイキング研究の先端的課題が、ナショナル・ロマンティシズム的問題設定の相克という点に置かれるているということも合点がいきます。最近の日本におけるヴァイキング研究の先端はO君たちに任せるとしても、僕もつきあいがある現代スウェーデンの若手・中堅研究者たちが、近世に文献学・考古学的見地を援用して「異教時代」の古代性を回顧しようとした傾向を検討して、従来のヴァイキング・イメージを相対化する研究をしていることも、すぐに理解できました。

ここで山川リブレット(あるいは「リンネの帝国」)に話を戻すと、このようにナショナル・ロマンティックな言説におけるナショナル・シンボルとして19世紀におけるヴァイキング概念の創造を踏まえるならば、「バルト海帝国」の時代における歴史意識は、いわゆるヴァイキング時代も含めて「異教時代」ということで一貫させて考えられるわけです。ここに「バルト海帝国」の前提となる近世の歴史認識(民族の起源認識)に関して、僕の頭のなかでは一つの明確な解答が得られました。ありがとう、Oくん。

2008年6月16日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん!来週の講義ファイルをアップロードします。当初のシラバスによりますと世界遺産に突入する日なのですが、せっかくはじめた都市論と世界遺産論を有機的にむすびつけるために、一日分、「北欧の首都を巡る」というテーマで講義内容を新たに準備しました。一方で首都論を、他方で首都に見られる(それがある場合には)世界遺産論を語ることで、世界遺産論の導入部としてこの講義ファイルについて来週は語りたいと思います。講義内容の変更についてご寛恕くださるようお願いいたします。なおファイルは二時間分で一つです。

来週の講義ファイルをダウンロード

2008年6月13日 (金)

現代北欧地域論4a

金曜4時限の北欧史講義に出ているみなさん!こちらに今日(というか来週)の講義ファイルをアップロードします。先週の講義ファイルを必ず持参してください。お願いします。

6月13日の講義ファイルをダウンロード

はてた…

文芸共和国のことで発言しようと思ったら、昨晩帰宅して気がついてみると朝になっていました。いわゆる爆睡…眠かったのです。ごめんなさい。今日もしっかり授業しましょう。

2008年6月11日 (水)

目が回る〜

今日は卒業アルバムの撮影があるとかで、ゼミの学生たちから撮影時の服装のレギュレーションとして「ユニクロ・ファッションで決める!」とされていたので、とてもラフな格好で大学へ行ったら、とある学生さんから「今日は若々しくて良いですね。」だって(笑)。「今日も」ではなくて、「今日は」ってところで大笑い。さて、仕事のほう凄いことになっていて、自分が何者であるのか、思わず見失うような時間の過ごし方をしています。iPod touchどころの話ではない。(iPod touchの補足。例えば、メールへの添付ファイルについて。今日確認したところ、デフォルトのメールというアプリケーションですべてのメールをGmailアカウントで送受信していますが、添付ファイル、ワードくらいならば、デフォルトのメールで閲覧確認できます。)

ゼミに出ているみなさんには本当に申し訳ないのですが、ひっきりなしに僕の携帯電話が机の上でブルブルしていましたよね。(時計代わりにも使っている携帯電話のInfobar2なのですが、バイブレーション強すぎ。ありゃ、肩こりには良いかもね。)もうひっきりなしに、多方向から「あの話はどうなった?」、「この話をよろしくね!」といったメールの嵐。すみません、すべての返答・回答を処理できず、(帰宅後数時間かけて返信うちまくってますが…妻から「徹夜でメールをうってるの?」って指摘…う、違いない。)目が回るばかりです。

箕面キャンパスの良いところなんですが、海外からいらっしゃっている方(留学生・研究者を含めて)が増えているような気がして、もう日本語やら、英語やら、スウェーデン語やら…が飛び交う世界。(今日のデンマーク史ゼミでは、「先生のデンマーク語はスウェーデン語だ」と言われましたね。難しいですよ、デンマーク語の発音。勉強しますから、教えてください。)挙げ句の果てに、今進めている大型共同研究の打ち合わせを、箕面での授業がはけてから千里中央に場所を移してしていたら、そこではモロッコ出身の研究者(やはり阪大)が隣にいらしてフツ〜にコソボ問題を話したりして。リンガ・フランカは結局のところ英語だけれど、目が回るばかりです。

スウェーデン史も、デンマーク史もゼミは、今読んでいる論文がとても刺激的な女性をめぐる政治文化論なので盛り上がっているのですが、外国語学部の場合、社会思想史だとか、哲学史だとかの基礎的教養に関する導入的授業に積極的に時間がさかれていないため(…もちろんしっかりとした授業は用意されていたのだろうけれども、まずは専攻語の運用力獲得ということから専攻語の教育が重視されるのが外国語学部の特徴です…それゆえに阪大になって行われている共通教育の効果に期待するところ大です…)、結局のところゼミでは多くの時間をそれを補足することに充てざるをえません。

でも正直に言って、この作業、この時間、僕は楽しい。学生のみなさんのためにもなることでしょうが、僕も僕なりに歴史学の基本に立ち返るということで良い時間を過ごせるから。今日は何を語ったっけ…。今読んでいる論文にたまたまK.M.ベイカーやら、R.ダントンやらの懐かしい名前が何の前振りもなくポンポンと出てくるのでフランス革命の学説史にふれ…、マルクス主義的歴史解釈の見地から「サロンはアンガージュマンに欠ける」と批判されるなんてことがサラリと出てくるからマルクスやら、アンガージュマンがらみでサルトルやらに寄り道し…あぁ、途中でD.グッドマンの「文芸共和国」なんて話もしたなぁ…「お手紙の共和国」じゃないっすよ…最後は日常の権力構造がらみでフーコーでしめた。えぇっと、授業が終わってみてこれが何の授業だったのかと振り返ってみれば、あららこれはスウェーデン史やデンマーク史のゼミだった。あっちゃこっちゃ話が飛ぶわけだから、目が回りますね〜。

結局、学術的内容の伴うしかるべき研究文献を読みこなすためには、外国語を知っておく必要はあるのだけれども、それと同時にその研究文献の筆者と方法概念や基礎的教養を共有しておかなければ読めないわけで、今学期のゼミはそうしたことを体験してもらうにはとてもよいものになっています。で、ゼミに参加してくれている学生のみんなは、(…最初は知らないものだからわからなくて当然なのだけれども…)本当はマルクスのことや、サルトルのことや、フーコーのことや…そんなことを体系立てて知りたがっているんですね。スウェーデン語やデンマーク語ができたとしても、それだけではスウェーデン語やデンマーク語で書かれた論文の内容が把握できないことを身をもって知れば当然の気持ちだと思うので、彼女たちは良く成長してきてくれてると思います。目が回りつつも、そんな学生のみんなの姿を知ることができて、僕は嬉しい。

2008年6月10日 (火)

iPod touchがようやくナレッジワーカーの道具になった

苦労の連続を経験しているiPod touchですが、その後、いくつかのソフトウェアを加えることでなんとか仕事に使える環境を完全に構築できました。(iPhone G3が発表されましたが、その一方でiPod touchにはなんら新しい機種の発表もなく、ちょっと安心しました。同僚からは、「あれだけiPhone、iPhoneと騒いでいたのに、なぜiPod touchを…。」と呆れられていますが。でも、先端的語学ツールの前衛を行くためには必要なことだったのです…って、説得力はないですね。)

例によってiDicと同じように、ゴニョゴニョとOSの内部を弄ぶ作業を経て、ブラウザのSafariにインプットタグのfile://を使用できるパッチを当て、DocsというiPod touchのローカル環境におけるドキュメントリーダとなるフロントエンドを組み込みました。このフロントエンドを加えると、SafariでPDFをはじめMicrosoftのWord、Excelで作成された文書ファイル、AVplayerを同時に加えるとMP4やMP3などのメディアファイルを閲覧できるようになります。とりわけPDFの閲覧については、PDFをPC側でJPEGに変換する必要もなく直接iPod touchに取り込んで読めるようになり、またJPEG化したファイルでは大きな問題となった合焦速度もとても快速となり、なんの問題もなく論文講読ができるようになりました。

このように、ゴニョゴニョとiPod touchに付け加えたアプリケーションは、他にMobileFinder(ファイラ)、MobileTextEditJ(テキストエディタ)、WiFiSwitch(Wifi機能のオン・オフを切り替えるユーティリティ)、NemusSync(iPod touchのカレンダとネット上のGoogleカレンダとの情報を同期させるユーティリティ)くらい。これだけあれば、と言いましょうか、iDicとDocsの二つが完全に動くようになって、iPod touchはようやくナレッジワーカーのための道具として使えるようになりました。しかし、こうして考えてみると、PDFをここまで軽快に閲覧することのできるSafariというブラウザの実力はすごいですね。

あぁ、大変でした。かつて取った杵柄でPDAを弄ぶような作業をしてしまいましたが、もう二度とこのような作業はしたくないというのが正直なところ。なんていうんでしょうか…昨晩のSteve Jobsによるプレゼンを見ているとやはりiPhoneは魅力的です。iPhoneであるならばネットワークにも常時接続できるわけですし、アプリケーションもApple社の認めるところ、正々堂々とインストールできるわけです。iPod touchだけをとってみても、いずれファームウェアのアップデートがなされた新版がでれば、それでアプリケーションを加えられるようになる。(ただし、iDicのようなEPWINGビューワがいつ出てくるかはわかりませんが。)今回の困難な経験を踏まえて、確かにiPhoneないしはiPod touchの可能性は大きなものを感じましたが、しかし今あせって困難なiPod touchの使用に走るよりも、7月11日以降を待ったほうが得策だと思います。(無論、ソフトバンクがどのような料金設定をしてくるのかにもよりますが。しかし、iPhone 3Gの本体価格は安い。日本の携帯電話がふっとんでしまう価格設定です。)

モノとしてのiPod touchの評価

昨日は午前箕面→モノレールと京阪電車→午後枚方。一年の間に滅多にない箕面と枚方の掛け持ちなので、帰宅して食事を採った後、いつの間にか爆睡していました。疲れました。あぁ…枕草子ではないですが、夏至も近いこの季節、この時間にはもう東の空がうっすらと明るくなるのですね…素敵かも。

昨日から箕面や枚方への移動時間を利用して、iPod touchの運用を本格化させましたので、個人的な感想を整理します。一言で結論を言いましょう。電子辞書やら、PDF(→JPEG変換)閲覧やら、本来iPod touchに想定されていない使い方をするのでなければ、これは実によくできたガジェットです。ただし、それも常時ネットワークに接続されていればこその快適さでしょうが。

通常のiPodにはないtouchの良さは、無線LANによるネットワーク接続の機能ですが、ブラウザ、メールソフトはよくできています。とりわけメールの操作性の良さと軽快さは、かつて使っていたWindows Mobileの比ではありません。ブラウザもSafariベースなので、文字化けなど一切ありません。本当によくできています。ソファーでゴロ寝しながらのWebやメールのチェックなどにはiPod touchが快適。もはやPCには戻れないでしょう。意外だったのは、デフォルトで付いているカレンダーの使い勝手の良さ。意外にサクサクと入力できるので、携帯電話によるスケジュール管理をやめてiPod touchベースに変えようと思います。

メールやカレンダーの使いやすさを感じさせる理由は、おそらく仮想キーボードによる入力が快適であるからと思います。大人の男性の指では、最初のうちは文字入力や変換候補の選択の際に隣の候補に触れてしまい、入力ミスが頻発することでしょう。しかしそれも馴れ。携帯電話のように予測変換候補が出てきたら、爪先で軽くつつくように入力すると意外といけるようになります。とはいえ、確かに携帯電話よりは文字入力は快適ですが、しかし長文入力にはむきません。あくまでもちょっとした単語の入力程度の話です。

iPod本来の音楽と動画の機能は何も言うことはありません。これ以外のものは考えられない。とりわけ動画はとても閲覧しやすいです。まったく手のひらサイズの小ささを感じません。ただし、(動画は別ですが)Web閲覧でも、音楽でも、本体を横向きにするとモーションセンサがそれを感知して自動的に表示が90度転倒するのですが、最初はこのギミックに驚いたものの、馴れてくるとその反応はすこし遅く感じます。遅いと言えば、Web閲覧でも、写真(JPEG)閲覧でも、画像を拡大・縮小する際のレンダリングと合焦の遅さは、いかんともしがたい。一度画像データを取り込んで、レンダリングが修了してしまえば、その後の操作は快適ですが、この点は不満です。

昨日、往復4時間の大阪府内大移動のなかでiPod touchをいろいろと使ってみて、Apple社が想定している範囲内での用途ならば、これは本当によくできた道具だというのが僕の正直な感想。比較する対象ではないかも知れませんが、入力方法が煩雑で液晶画面も小さい携帯電話よりはずっとスマートな時間の過ごし方ができる道具かも知れません。昨日の僕は携帯電話の存在を完全に忘れ、iPod touchを用いてだいぶ生産的な時間を過ごすことができたと思います。論より証拠、帰宅後確認してみると携帯電話のバッテリはほとんど減っておらず、iPod touchのバッテリはほとんどゼロに等しかったですから。iPod touchのバッテリのもちは、ほぼ公称値通りかと思います。無線LAN機能をONにしたまま、動画ばかり閲覧していると4時間ももたないのではないかと思います。

(いえね…行き帰りの電車のなかで、ずっとレナード・バーンスタインの伝説的な"Young People's Concert"を見まくっていたがゆえの結果なのですが。字幕なしですから、リスニングの良い訓練になっています。いつでもどこでも、バーンスタインのレクチャーを「お守り」のように懐に入れておき、いつでもバーンスタインを見られるというのがなにより嬉しい。動画、Podcast、電子辞書(→導入はかなり困難だが)…これだけの機能を考えてみても、iPod touchは語学学習のツールとして最適でしょう。)

携帯電話の機能が省かれたiPod touchでさえ、これだけよくできたガジェットなのです。近々発表されることが噂されている3G対応型iPhoneが日本でも発売された暁には、iPod touchで実現されている機能に常時ネットワークに接続できる機能が加わることになるわけであって、盲点の少ない洗練されたガジェットになることは必然。(iPhoneはソフトバンクから発売されることが発表されています。僕は非接触型ICやワンセグなどの携帯電話の機能はそれはそれでなかなか便利なものですから、予想される我が国でのiPhone狂騒ブームが去るまでは、携帯電話とiPod touchの二刀流でいこう…と思ったら、今晩の発表だったのですね、iPhone2.0と言いましょうか、iPhone3G。日本では7月11日ソフトバンクから発売だそうです。う〜ん、スペックを確認すると、iPod touchになくてiPhoneにあるものとして手書き入力機能にはあまり魅力は感じないけれど、iWorkやMS Officeのドキュメントに対応する仕様なんてのがある…。う〜ん、ソフトウェア的に対処できるものなら、是非touchにも導入できるようにして欲しい…。う〜ん、ソフトバンクでなければ…とは言わないが、う〜ん、SIMフリーならスウェーデンでも使えるわけだが…しかし、ロックはかかっているんだろうし…。えぇぇ!アメリカでは8GBのiPhoneが$199ですか!う〜ん、アメリカでこの値付けなのに対してソフトバンクはいくらぐらいの価格設定をしてくるものか…。う〜ん、ぐらつくけれど、いまいち踏み出せない何か…。

それにしてもなんですなぁ…。不可解で気分の悪くなることばかりの世の中ですが、こういう道具に関するコメントは誰も傷つけることのないもので(…その道具の開発者くらいは傷つくかな…?)、情報を必要としている人以外にとっては無意味なものだから、独り言としては最適かも知れません。時たま、こういう発言が繰り返されるときは、そんなものだとお許し下さい。

2008年6月 9日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん。来週の講義ファイルをアップロードします。よろしくお願いします。

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2008年6月 8日 (日)

問題が残るiPod touchの電子辞書化

この週末は、iPod touchの環境設定に時間を費やしました。ようやく使える程度にはなりましたが、昨日発言したように本当に難しい。いえ、正確に言えば、それなりに僕の仕事に使える電子辞書を整えようとすると難しかったということです。もし意外とすんなりと事が運ぶようでしたら、iPodを使った電子辞書の作り方を学生のみなさんにもわかるようにお知らせしようかと思ってもいましたが、この作業は無理です。WindowsやMacの知識はもちろん、途中でUNIXやMS DOSの知識も必要になりましたから。それでもやりたいという人はそうそういらっしゃらないと思いますが、以下に気がついた点を(僕個人の備忘録もかねて)整理しておきます。

現行のiPod touch(ファームウェア1.1.1から1.1.4)に対応したEPWINGビューワはiDicしかありません。最初、ビューワのインストール自体は簡単(ただし、iPod touch側へSFTP転送した後にパーミッションを0755に変更したことを必ずチェック!)で、そのあとはiPod touch内に作成した辞書データ保存用のディレクトリにどんどん手持ちの辞書ファイルをインストールしていきました。しかし、それでは、なぜか辞書のタイトルが表示されないどころか、すべてのインストールされているはずの辞書で串刺し検索ができませんでした。

はじめこの問題が起きていた頃(それは昨日の発言をした頃でしたが)、それは辞書データファイルの要領の問題かと考えていました。一つ一つの辞書データを加えていくと、およそ3GBを越えたかたりから辞書タイトルの非表示と検索ができない問題が起き始めたからです。しかし問題はそこにはありませんでした。この辞書ビューワで閲覧可能な電子辞書のファイル形式はEPWINGです。これを圧縮したEBZIP形式も処理可能です。そこでMacOS Xでも使用可能なEBZIP作成ユーティリティであるDicCompressorJを使って、すべての辞書ファイルを最高圧縮値の4で圧縮しました。(圧縮値4でも、検索スピードはそれほど落ちません。これは立派。)この操作の後、2GB程度までデータを圧縮しましたが、それでも問題は起きてしまいました。

そこで、圧縮した辞書データを一つ、一つ、iPod touch側へ転送して、どの辞書データが転送された段階で問題が発生するのかを確かめました。(一冊や二冊程度ならば、問題なく動作はしていました。)そうすると、三修社の十二カ国語辞書をまとめた(これは35冊ほどの電子辞書の集合体なのですが)EPWINGデータを転送させたところで問題が起きることがわかりました。また三修社のデータを入れず、ほかの辞書データを入れてみると、辞書のタイトル数が19冊のところでエラーが発生することがわかりました。問題はデータ容量ではなく、このiDicというビューワで扱える辞書データの見出しタイトル数に上限(19冊)があることから起きていました。

普段、PCでは40タイトル近くの電子辞書を串刺し検索して使っていますが、iPod touch側で扱える辞書タイトルの数に制限がわかったことからiPod touch側に入れる辞書の選別をはじめました。三修社の十二カ国語辞書については、Esselteのスウェーデン・英/英・スウェーデン、Gyldentalのデンマーク・英/英・デンマークの4タイトルにだけしぼりました。(ノルウェー後やフィンランド語、そのほかのヨーロッパ語は今回はあきらめました。)この十二カ国語辞書の辞書タイトルに切り分けには、CDW2EPWというMS DOSのユーティリティを使います。さて、そのほかには、百科事典系では平凡社、小学館、ブリタニカ、そして今回はウィキペディア(日本語版)、語学辞書系では英語はランダムハウス、リーダーズ(+プラス)、研究社中辞典(英和・和英)に、英辞郎、和英辞郎(…それにしても英辞郎、和英辞郎の用例数は圧倒的ですね…)、クラウン独和・仏和などを入れました。

日常業務で使う電子辞書はこれくらいで十分かなと思っていますが、検索できる辞書タイトル数が20以下に制限されてしまうのは残念なところ。これについては、今月にでも発表されるだろうiPhoneなどに採用される新たなプラットフォームの登場と、その上で開発されるであろう新たなEPWINGビューワにおいて問題が克服されることを期待しています。それにしても、iPod touch上での電子辞書の検索速度や表示フォントの見やすさなどは大変満足に足るものですが、使えるようになるまでには、ここまでややこしい導入作業が必要となると、お薦めできません。途中で投げ出そうかと思うくらいでした。本当に疲れました。(それ以外のところでのiPod touchの感想については、また後ほど整理します。)

困難なiPod touch

目の調子が悪く、文字が良く見えません。そんな調子だからでしょうか…この週末にはじめたiPod touchの環境設定に手こずっています。ここから先は、何か問題が起きたとしてもApple社の保証対象外となる作業の話です。僕はそれをわかったうえでの自己責任でしていますが、どうもこの作業は想像以上に困難なようなので、追従者がでないように作業の核心はぼかします。以下に掲げるアプリケーションの導入、データ転送は、FTPなどの知識をもたないと困難な作業であることを付言します。取り急ぎ、iDicというEPWINGリーダとiComicというJPEGビューワを入れました。前者はiPodで電子辞書を用いるため、後者はiPodでJPEG化したPDFを閲覧するためです。

前者については、どういう理由かわかりませんが、僕は4GB以上のEPWINGデータを転送しているのですが、一気に転送すると辞書データのすべてが反映されません。一つ、一つ、地道に転送していく必要があります。現在は、まだすべてを転送できていないのですが、ひょっとするとあるデータ容量を越えた時点でオーバーフロを起こしてこのiDicがEPWINGデータを認識できなくなるのかもしれないので、今は一つ、一つ転送作業を繰り返して、そのタイミングなどを見計らっています。

いや〜、FTP(正確にはSFTP)を使ったiPod touchとMacとのデータ転送の遅いこと、遅いこと。この作業があと何時間続くのかと思うと辟易としています。

後者については、iPod touchのファームウェアヴァージョンが1.1.4の場合には、iComicの最新版のフォルダ1.1.1に含まれているファイルを導入すれば、問題なく使えます。が…、iPod touch側は、ピンチなどの作業によって、JPEGのサイズを変更した際、画像ファイルの拡大・縮小のレンダリングにものすごく時間がかかる。わかりやすく言えば、画像を拡大・縮小する際に、文字のピントがぼけるわけですが、iPod touchの非力さゆえか、合焦するまでの時間があまりにかかりすぎて使い物になりません。これはPDFからJPEGへの変換の際に、母艦となっているPC(Mac)側で高解像度の変換作業をするなどして、ピントがぼけないような工夫が必要と思われます。この点はこれからの課題です。

とにかく、手懐けることにかなり苦労しています。iPod touchをナレッジワーカのためのツールとして改造することは、コンピュータの知識に詳しくない方にはあまりお薦めできませんね。

2008年6月 6日 (金)

現代北欧地域論4a

北欧史の講義のほう、6月6日付けの講義ファイルをアップロードします。が、今日の授業では、先週の講義ファイルを持参してください。今日は北欧における複合国家の話をしましょう。よろしくお願いします。それと、教科書購入、ありがとうございました。みなさんの協力を得て、先週金曜日に無事に山川出版社のほうへ代金の振り込みも完了したことをここに報告します。

6月6日の講義ファイルをダウンロード

スウェーデン語Ia

金曜日5時間目のスウェーデン語講読の授業に出ているみなさん!明日いけるかどうかわかりませんが、念のため次に読もうと考えているテキストをこちらにアップロードしておきます。全く難しい文章ではありませんから、サラッと目を通しておいてください。

6月5日のテキストをダウンロード

2008年6月 5日 (木)

デンマーク史ゼミ補遺

デンマーク史ゼミに参加されている皆さん!昨日のゼミで最後時間切れになってしまった文章の解釈について、僕の理解をここに記します。

"Kunsten i at arbeide med denne definition af politik ligger i at undgå politikbegrebets udvidelse til det meningsløse."

近世デンマークの女性史研究における研究動向の三つの潮流を整理している節で、その第三の流れの説明を締める文章です。ここで言われているpolitikは政治と訳すのではなく、ポリティークとしておくほうがよいと思いますが、この第三の研究の潮流では、ポリティークを単純に上意下達の権力関係(例えば、公の王権・国家から私の臣民・市民へ)として捉えるのではなく、例えばフーコーの言うがごとく社会・日常のあらゆる側面に権力関係が存在している(例えば、ときには権力関係のベクトルは下意上達といったような場合も考えられる…ありとあらゆる日常の場に多方向の権力のベクトルが存在している…)と考えられている点が特徴なのですが、この文章はこうしたデンマークにおける第三の研究の潮流の特徴の一つ、それはフーコー的な日常の権力関係への視点から見れば短所と考えられる部分かもしれないデンマークにおける女性史研究の特徴を述べていると思います。そこで、

「(しかし)こうしたポリティークの定義を用いた(定義に立った)研究の手法は、意味のないもの(意味のないものとされているもの)へとポリティーク概念を拡張することを避けるものである(傾向にある)。」

(「…研究手法は、…することにある。」と訳すと、この第三の潮流の研究手法が狭い意味で限定されてしまう気がするので、ぼかして良いのではないかと思います。これは、デンマーク語で言うligger i のニュアンスの問題ですが…?)

といったくらいの訳ではどうでしょうか?「意味のないもの」の意味については、来週のゼミの時間に討論しましょう。

2008年6月 3日 (火)

「リンネの帝国」への道(2)

今日は久しぶりに自宅に引き籠もって、一日中、七年戦争のことを考えていました。これは先々月来の正戦論、先月の日本西洋史学会における小シンポジウムで頂いたご意見(例えば、17世紀と18世紀の戦争はどう違うのか?)、それに今進めている科研の研究に絡むためです。(決定的だったのは、日本西洋史学会での近藤和彦先生によるご講演の内容で、先生は内田義彦などにも触れつつ、先生のマンチェスタとヨーロッパ世界を往還する実証研究の成果として18世紀中葉における一つの転換を見ていらっしゃる話を聞いたことによります。)

なんとなく、1750年代から60年代が近世から近代へと至るヨーロッパ文明の一つの画期である気がしていました。で、この時期のヨーロッパ世界が経験した一大事件は七年戦争ですから、いずれは七年戦争に取り組もうとも思っていました。七年戦争は、一般的には、ヨーロッパ大陸ではいわゆる「外交革命」直後の国際紛争であり、プロイセンとオーストリアのシュレージェンをめぐる対立だとか、アメリカ・インドでのイギリスとフランスの植民地抗争だとかが注目されてきました。ここで、あらためてこの七年戦争を真剣に考えてみますと、スウェーデンやスペインも含めてヨーロッパ主要諸国がこれに参戦した結果、戦場はヨーロッパ・アメリカ・アジア(例えば、フィリピンのマニラなどもイギリスによって占領されていますね)に及び、おそらくチャーチルあたりが言ったことだと思うのですが、この七年戦争こそが「最初の世界大戦」だったのかも知れません。

学部生の頃、20世紀という時代は「世界戦争の時代」であって、20世紀国家は世界戦争に対応する形で形成されてきた国家だと勉強しましたが、論理的飛躍を許してもらうならば(ほら、ブログの文章っていうのは決して根拠のある文章ではないですからね…妄想も含まれますよ…気をつけてくださいね…)、「世界戦争の時代」というのはすでに18世紀半ば以降に到来していたのかも知れません。(無論、18世紀半ばの「世界戦争」はイデオロギ対立や対抗文明といった座標軸はまだ形成されていなかったでしょうから、あくまでも原初的な形ですが。)

ここからは、完全に妄想ですよ、妄想。注意して呼んでくださいね。で、ヨーロッパ世界が最初に直面した「世界戦争」が七年戦争だったとするならば、それへ対応する形(あるいは七年戦争後の国家再編)で模索された「世界戦争」対応を目的とした最初のレジームが、「啓蒙専制体制」ということになるでしょう。啓蒙専制は従来「市民社会形成の遅れたヨーロッパ周縁部における絶対主義国家の延命措置として君主主導で実施された上からの改革」と定式化されてきました。しかし、実際に七年戦争後のほとんどのヨーロッパ諸国における国家経営の方策が「啓蒙専制」的政策だったことに注目するならば、むしろフランス革命に至ったフランスこそが「世界戦争」対応の「啓蒙専制」的な国家・社会の再編に失敗した例外的事例だったとさえ極論することもできます。(僕の炸裂する妄想を続けざまに語るならば、「啓蒙専制」の失敗としてのフランス革命が行き着いた果てに、ようやく近代・現代ヨーロッパ文明を語る上で必要になるもう一つの「対抗文明」が形成されたというわけになるのかな。)

近世バルト海世界における戦争を背景とした国家統合の論理展開を問うことが「リンネの帝国」のテーマの一つであるならば、近世スウェーデンが直面した戦争の性格がそれぞれの時代に応じてどのように違ったのかを前提として論じ、それに対応した国家像を検討することが必要になります。三十年戦争はヨーロッパ主権国家体制内でスウェーデンが関わった最初の本格的国際戦争、大北方戦争はバルト海世界という周縁世界での覇権交代をうながした局地戦争、そして七年戦争は「世界戦争」という新たなヨーロッパ世界の抗争のアリーナだった。そんなふうに近世スウェーデン国家の枠組みを基底する戦争の性格の差を今は論じておきます。

無論、七年戦争と七年戦争後の国家経営戦略は、各国のおかれた事情によって詳細は異なります。スウェーデンの場合には、啓蒙専制君主グスタヴ3世の父王であるアドルフ・フレドリック(…セムラというケーキの食べ過ぎで崩御した国王です…)が即位したときの国際関係によって、アドルフ・フレデリック出身のホルシュタイン・ゴットープ家を支持したロシアとの関係で反イギリス・反プロイセン側で参戦し、ポンメルンを主戦場として戦います。(かのエカチェリーナ2世とアドルフ・フレドリックはいとこになります。互いの母親がホルシュタイン・ゴットープ家の人間で姉妹でした。)反プロイセン側で参戦したもう一つの理由は、アドルフ・フレドリックの后としてプロイセンから招かれたロヴィーサ・ウルリーカの存在です。(七年戦争当時の王国議会における政党間の対応は、今後の勉強の課題とさせてください。)さて、彼女はプロイセンのフリードリヒ2世(大王)の妹にあたりますが、1751年に夫王を立てて王国議会停止と絶対的王権の復活を求めたクーデタを企てだものの、失敗します。その結果、スウェーデンはスウェーデンの国権を牛耳ろうとして策動したプロイセンに反対して参戦したとも言われています。実際には七年戦争のポンメルンにおける戦局はスウェーデン側の圧倒的不利で、このロヴィーサ・ウルリーカの人脈に頼ってはじめてプロイセンとの講和が実現されるのですが。あぁ、無情。

スウェーデンにおける啓蒙専制は、1772年のグスタヴ3世のクーデタ以降、彼の治世で実現されたことになっています。スウェーデンは、大北方戦争の敗北の後、王国議会におけるハット党とメッサ党との二つの政治グループが拮抗し、王国議会によって国政が担われる「自由の時代」と呼ばれる時代を迎えていました。まぁ、ハット党は冒険主義的な外交政策をとり、メッサ党は国内情勢の安定を模索する政策をとっただとか、ハット党は反ロシアで親フランス・プロイセン(…そうそう、『ベルサイユのばら』で有名になったハンス・アクセル・フォン・フェルゼンの父親ってのは、また名前がハンス・アクセル・フォン・フェルゼンなのだけれども(…だから便宜的に父は大フェルゼン、子は小フェルゼンと呼ぼう!…)、大フェルゼンはハット党のリーダーを務めていたこともあって、だからフランスで、ベルサイユ宮殿で、小フェルゼンとマリ・アントワネットの…って話にもなるわけですね…)だったとか、メッサ党は親ロシアだったとか言われてますけれど、七年戦争の頃から経済自由化だとか、公民権の開放だとか、言論出版の自由化だとか内政改革を進めていたことは事実。王国議会では、七年戦争を境として広範な資源動員が必要と考えられていたわけですね。

ただし七年戦争参戦の失敗あたりから、二大政党を引っ張ってきた王国議会を舞台とした貴族の集団指導体制には、やはり王国議会の構成者だった農民層や一部の市民層から批判が出てきていて、(スウェーデンの場合、王権が独裁的な権限を認められるときには、大抵、市民・農民が結託して王党派を結成し、王権を支持することが普通なのですが…グスタヴ・ヴァーサの擁立のときも、カール11世の絶対王政確立のときも、そしてグスタヴ3世のときも…)結果的に、市民・農民の支持を基盤としてグスタヴ3世の啓蒙専制体制が確立されます。グスタヴ3世は、1751年にクーデタを起こそうとして失敗したフリードリヒ大王の妹ロヴィーサ・ウルリーカの息子ですが、自らの夫ができなかった体制を息子が確立したわけですから母から見れば本懐を遂げたことになるのでしょうが、大切なことは、結果的にグスタヴ3世の確立したレジームは、七年戦争後の内政改革を継承しつつ、市民・農民の支持を集中させることによって確立されたスウェーデン国内の資源総動員体制だったと論じることもできるという点。このように考えると、グスタヴ3世の統治モットーがスウェーデン語を使って「祖国」だったということ、「祖国」というコトバを用いてどのようなスウェーデン国家を模索しようとしていたのかも納得できる話になります。

う〜む、妄想猛々しい話で恐縮ですが、そんなこんなで七年戦争と啓蒙専制の関連を背景に含めつつ、「リンネの帝国」の勉強を進めています。(そういえば、戦前にはかの石原莞爾がおそらくフリードリヒ大王の戦術研究との関係だと思いますが、石原自身の手でフリードリヒ大王による『七年戦争史』が翻訳されていますね。七年戦争、かくも奥深し。)

2008年6月 2日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん、来週の講義ファイルをアップロードします。来週からはちょっとした都市論をはさんで、そして世界遺産へとなだれこみましょう。

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