最近のトラックバック

2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008年5月30日 (金)

現代北欧地域論4a

休講が続いてだいぶ時間があいてしまいましたので、北欧史の講義についてすっかり講義ファイルをアップロードすることを忘れていました。学生のみなさん、迷惑をかけて申し訳ありません。ここに今日5月30日の講義ファイルをアップロードします。

なお、教科書をまだ購入していない5人の方。今日の授業で3000円で買ってください。よろしくお願いします。

5月30日の講義ファイルをダウンロード

2008年5月29日 (木)

ScanSnap S300Mについて

出先での文書スキャン用に購入したScanSnap S300Mについて。これのいいところは、軽量コンパクトな点の一点につきるかと思います。ペットボトル1本分くらいの大きさで、出張鞄が大きければ十分に持ち運ぶことができるでしょう。電源の確保できない出先での文書スキャンのためにも配慮されていて、データ転送用のUSBケーブルとは別に、PCからの電源供給用のUSBケーブルが用意されています。つまりPC本体に、USB端子が二つ確保されていれば、ACアダプタに接続させなくても文書スキャンができます。(もちろん、通常通りのACアダプタも付属していて、これで直接電源をとることもできます。)

しかし、まさにUSBケーブル二本を使ってPCから電源をとるという長所が、このS300Mの短所にもなってしまってもいるかと思います。これまで使ってきた据え置きタイプのScanSnapと比べますと、USBケーブルで電源をとる場合、文書の取り込み速度が「カタログ値」通り、遅くなっています。ACアダプタで直接電源をとっている場合の取り込み速度は、感覚的に据え置きタイプのScanSnapと比べて若干遅くなった程度の乾燥ですが、USBケーブルで電源をとるとかなり遅くなったと感じます。(今回は、バッテリ駆動させているiBook G4にS300Mを接続して試しました。これは、完全に電源ケーブルレスの形を実現していますが。)しかも、もしMacBooc AirのようなUSB端子が一つしかないPCの場合には、このUSBケーブル二本差しの電源供給ができません。この場合、S300MをACアダプタでコンセントにつなげる必要があるわけで、MacBook Airのせっかくの可搬性が無駄になってしまいます。

USBケーブル一本で電源供給も、データ転送もできれば理想的ですが、高速度の文書スキャンを売りにしているScanSnapでは、通常のCIS型のスキャナで実現されているPC本体からのUSBによる電源供給は、難しいのでしょう。でも、このコンパクトな筐体はなかなかいかしていますし、なによりスピードは遅くとも、ScanSnap本来の文書取り込みの作業のしやすさにはかわりがありません。

2008年5月28日 (水)

ソレラの会のこと

これまでこのブログで発言することはあえて避けてきたのですが、今年に入ってから自分の幅といいましょうか、自分の可能性を広げてみる新たな挑戦として、ソレラの会という企画をぼちぼちとはじめました。

ソレラの会は、大阪の町中の酒場を舞台にして、実際に酒と食を嗜みながら世界の文化についてざっくばらんに語り合おうとする会です。会の名前にある“ソレラ”とは、シェリー酒が熟成されるときに貯蔵樽を積み上げる“ソレラ・システム”に由来しています。趣味と実益を兼ねていると言われれば確かにその通りです。が、僕は以下のように考えて、趣旨に賛同してくれた大阪の町中の人たちと(…今のところ、大学関係者は皆無です…)この会を立ち上げました。

つまり、酒はどの時代、どの地域、どの文化にも存在するものであり、人間を語るうえで切っても切れない関係にあるものと考えています。だからこそ、酒は、時間や空間を超えて人間や世界を知る格好の切り口を僕たちに与えてくれる有効な素材ではないでしょうか。酒を通じて得られる人間や世界への教養は、酒場での時間をより楽しくしてくれるだけではなく、僕たちの人生や僕たちの生きる社会への見方をより豊かにしてくれるものと僕は考えています。

酒場は酒を嗜むだけでも楽しい時間を提供してくれる空間ですが、啓蒙期のヨーロッパではコーヒーハウスや酒場で語られた議論が、新しい時代をつくりあげる原動力の一つになったとも言われていますよね。シェリー酒の芳醇な味を育む“ソレラ・システム”のように、一つ一つは小さな教養も少しづつ蓄積され、酒場に集う仲間との対話のなかで熟成されていけば、人生を豊かにする大きな力をもつものになる。酒場がつくりあげる「語らい」の力。21世紀の大阪の町中を活性化させるためにも、今一度この酒場のもつ「語らい」の力を再発見できればと思い、僕と僕の趣旨に賛同してくれた方々はソレラの会を立ち上げました。

大阪の町中でのちょっと野心的な企画ではありますが、個人的には、大学を越えたところで、町中に生きる人とともにある知のあり方を模索する試みとして位置づけています。興味のある方は、ソレラの会のブログをご覧頂ければ幸いに思います。

(ソレラの会は、僕自身の本業に負担とならないよう、3~4ヶ月に一度会を開催するようにしています。参加費についてはこの10月以降、印刷代や飲み物代に必要となる分だけワンコイン500円を徴収する運びになりました。もちろん未成年者の参加は厳禁で、あくまでも知的な大人のための勉強会です。なお、この件につきましてはソレラの会のブログがございますので、僕自身の本業とのけじめをつけるためにも今後こちらの古谷のブログでは一切発言を控えたいと思います。)

2008年5月26日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん!こちらに来週の講義ファイルをアップロードします。来週の講義ファイルで今学期の授業の前半戦(現代北欧諸国の基礎的な情報)は一通り終わります。比較的順調に講義は進んでいますね。よろしくお願いします。

来週の講義ファイル(1)をダウンロード

来週の講義ファイル(2)をダウンロード

2008年5月25日 (日)

出先で気軽に無線LAN環境を手に入れる

出張など外出先での無線LAN環境を確保する目的で、AirMac Expressを購入しました。比較的安価で小型な無線LANのホットスポットです。

日本、スウェーデンあたりならば、出張先でLANは有線でほとんどの場合提供されることが多くなりました。僕はこれまで巻き取りリール型のLANケーブルを持参してきましたが、多くの場合には机に張り付いて作業をせねばなりません。ゴロ寝作業の愛好者としては、「無線化できればなぁ」といつも思っていました。有線LANにつないでホットスポットを据え付けるAirMac Expressの存在は前々から知っていました。これはACアダプタほどの大きさで、コンセントに直づけして電源をとり(…直づけできない場合にはケーブルに付け替えることも可能です…)、そのLAN端子にケーブルをつなぐだけで簡単に設置できます。僕は、これの無線の規格が最新の802.11nに対応するのを待っており、ようやく今年初めに対応がかなったので購入に踏み切りました。

一言、これは良いです。まず取り回しと設定が簡単。設定は付属のCD-ROMからAirMacユーティリティをとりこんで行いますが、その指示通りに設定をすすめれば簡単に無線LANのホットスポットをたてることはできるでしょう。この週末は、取り急ぎ自宅の環境で設定を試みました。

自宅では、僕の書斎にTime Capsule (500GB) がすでに無線LANのホットスポットとして立っているので、取り急ぎリビングにAirMac Expressを置き、そのオーディオジャックにアクティブスピーカをつないで、書斎にあるMacBook ProのHDDに溜め込んだiTunes内の音源をとばして、リビングで聴くことを試みました。AirMac Expressを中心に立てなくても、既存の無線LANネットワークにこれを加えることもできます。AirMacユーティリティでの設定を終えて、一度再起動させ、iTunesを起動するとその最下段に音楽を出力するスピーカの項目が登場します。これでAirMac Expressを選択すると、あまりにもあっけなく簡単にリビングでiTunesに溜め込んだ音楽、Podcast(東大の講義なども含めて)をきけるようになりました。(家族は、突然リビングのスピーカから普段聞いたことのない音が聞こえてきたので、かなり驚いていたようです。)

また、一台目のAirMacユーティリティで設定をしたあとは、なんの設定をしなくても2代目以降のMacBookともAirMac Expressを共有することができました。妻は妻でMacBookに子供向けの英語教材などを溜め込んでいるのですが、これも問題なく無線で飛ばしてリビングで聞くことができました。(理論的にはアクティブスピーカだけでなく、3.5mmのオーディオジャックで接続できるならば、そのほかのステレオ機器、USBポートを媒介させるならばプリンタの無線化もできます。)

なによりACアダプタ1つ分の大きさであるコンパクトなAirMac Expressですから、これからは出張の際の必需品になりそうです。もちろんこれだけ気軽に無線LAN環境を作れるとなれば、一台目のホットスポットとしてもお薦めできますね。これは良いですよ。

(出張用の道具としてはもう一つ、スキャナになりますが富士通PFUのScanSnap for Mac S300Mも購入しましたので、その感想もいずれ発言したいと思います。出張用のプリンタとしては、5年ほど前に購入したキャノンのPIXUS 50iが未だに現役です。古ぼけてきましたが、なかなか堅牢です。キャノンからは最近PIXUS iP100が出ましたね。電気屋さんで実物を見ましたが、なかなかコンパクトでよさそうです。)

2008年5月24日 (土)

現代スウェーデンの国家戦略に触れる〜スウェーデン留学フェア2008を終えて

昨日はスウェーデン大使やSvenska Institutet(以下SI)の方を招いてスウェーデン留学フェアを行いました。昨日の大阪はとても暑かったのですが、結構な盛況ぶりで足を運んでくださったみなさんには感謝の言葉を申し上げます。僕は主に裏方担当でしたけれども、大使をはじめ大使館関係者のみなさん、SIの方もみな気さくで(次の仕事の展望も開けそうですし)、彼らとざっくばらんに話もでき、とても良い時間が過ごせたと思います。この企画の実現に力を貸してくださった阪大の事務方のみなさん、スウェーデン語の学生のみなさんに心から感謝申し上げます。

とりわけスウェーデン語専攻の学生のみなさん。大使たちとの懇談の場において、僕たちの学部のスウェーデン語専攻の学生のみなさんに対し、何の前振りもなくアドリブで大使館側から「なぜスウェーデン語を勉強しようと思ったのか?」とスウェーデン語で質問がなされたとき、何の事前準備もない学生のみなさんがスウェーデン語で的確に自分のことを応えている姿を見て、実に頼もしく見えました。(大使館の人も、思わず「すごい!」と感想を述べていた光景を忘れられません。)

今回の留学フェアは、スウェーデン留学について具体的な情報を提供することを目的に開催されたため、講演や質疑応答はそうした情報に焦点が置かれていました。そのなかでも、僕が個人的に「スウェーデンは末恐ろしい凄い国だ!」と思わず唸ってしまった講演があります。それは、SIの方によるSIという団体に関する講演で、現代スウェーデン国家のイメージ戦略が明確に述べられ、SIという団体はその戦略を支援・実現するための組織だという説明があったくだりです。

SIは、海外諸国におけるスウェーデンへの関心を促進する目的で1945年に設立された団体で、スウェーデン外務省と密接な連携を採りながら海外の教育研究機関と文化的・教育的交流を支援しています。(昨年は、僕たちの阪大外国語学部スウェーデン語専攻がアジア・オセアニア諸国でははじめてSIから海外においてスウェーデン文化の普及に貢献した教育研究期間として表彰を受けました。)SIは様々な海外における教育研究の支援事業を展開していますが、今回の講演では、それらの施策が「スウェーデン・イメージの普及」という戦略にたって行われていることが明確に述べられていました。

「スウェーデン・イメージ」。現代スウェーデンは世界の人口の0.1%を締めるに過ぎない小国ですが、民主・平等といった理念や制度、経済や技術といった点で先進的なイメージとインパクトを世界に与えているとSIは主張します。これは外国人である僕の目から見ても妥当なところだと思います。SIは、この現代スウェーデンの先進的国家としてのイメージは、「公開性」・「創造性」・「信頼性(真正性)」・「相互扶助性」の4つの価値観に立って築かれているものであると考えています。この4つの価値観に基づいた肯定的・積極的な「スウェーデン・イメージ」を国際的に普及させる(SIの場合には教育研究、文化面で)ことで、小国でありながらも、グローバル化した世界に大きなインパクトを与える国家を目指しているというのです。

ここまで具体的に現代スウェーデンの海外に対する国家戦略を聞いたのははじめてでしたので、この講演には思わず唸りました。小国でありながらも、世界に大きな地歩を占めるための戦略としての、「国家イメージ」の普及。僕は、これまで社会福祉だとか、男女共同参画だとかいったことは、当然どこの国でも進められるべきものであって、これらの点でスウェーデンが特別だとか、先進的だとかか、スウェーデンを過度に高く評価することはしてきませんでした。しかし、今回の講演で聞いた小国ゆえの「国家イメージ」戦略に立った教育研究の支援というスウェーデンの施策は、長期的に見て国際社会にスウェーデンが大きな地歩を占め、生き残るためのヴィジョンに触れた思いがして、「スウェーデンは末恐ろしい凄い国だ!」との思いを得たのです。

翻って、僕たちの国はどうなのでしょうか?僕たちの国のことを、ここでとやかくは言いません。確かに僕らのようなスウェーデン語専攻も、SIの言う「スウェーデン・イメージ」戦略の日本における先兵として踊らされている部分があることは認めざるを得ません。しかし、僕たちは僕たちで現代スウェーデンに接する際に、小手先の制度的改革の模範としてばかりそれを見るのでは、それこそスウェーデンのイメージ戦略の術中にどっぷり漬かったまま、スウェーデンをとらえてしまっていると言えるでしょう。むしろ天下国家百年の計に立って僕たちの国の存亡を見据えた戦略を採ろうとするときに、今回の講演で垣間見たスウェーデンの国家戦略のようなもの、あるいはそうした国家戦略をも公にして堂々と語れるスウェーデンの姿をこそ、学び取るべきなのではないでしょうか。そう…国家生存の戦略を清々しくも展開しているところこそ、スウェーデンは尊敬に値する。

いやはや、暑かったですけれど、汗も一杯かいて汗臭くもなりましたけど、現代スウェーデンの一端を勉強できた良い一日でした。

2008年5月23日 (金)

スウェーデン留学フェアのため休講です!

今日午後2時から阪大吹田キャンパス銀杏会館で、スウェーデン大使や大使館関係者、スウェーデン本国からSwedish Instituteの関係者、阪大からは総長先生などをお招きして「スウェーデン留学フェア2008」を行います。(銀杏会館は大阪モノレールの阪大病院前駅から歩いて5分ほどのところです。入場料は無料。)「スウェーデン留学フェア2008」のため、今日の3、4。5時間目の授業は休講になります。よろしくお願いします。

なお、金曜4限の北欧史講義に出ている人で、教科書を発注したのに、まだ買い取りに来ていない人が5人います。引き取りと支払い3000円のほう、よろしくお願いします。来週の授業のときでもOKです。

2008年5月22日 (木)

近世スウェーデンの"politik"概念について(ゼミ補遺)

ゼミなんですけれどもね、スウェーデン史も、デンマーク史も、近世女性史関連の論文、議論白熱しています。僕が一人で興奮しているだけでしょうか?いえいえ、学生のみんなもしっかりと議論に食らいついてきてくれています。例えば、豊田さん、コメントをありがとう!「警察のpoliceとの関係は?」とは、とても良い点に気がつきましたね。先生、とっても嬉しくて、座布団を10枚くらいあげたい気分です。スウェーデン史ゼミのCharlottaさんの論文ですが、さすがに気鋭の若手研究者ということもあって、女性の「位置づけ」などを前面に出すのではなく、近世ヨーロッパに独特な政治文化のあり方を論ずる雰囲気に溢れています。昨日は概念史的手法を踏まえて、スウェーデン語で"politik"とあらわされる概念についてゼミで熱く議論していました。

"politik"を現代スウェーデン語・英語辞書の意味の筆頭にある「政治」と単に訳してしまうのでは、近世スウェーデン(あるいは近世ヨーロッパ)で共有されていたその概念イメージからかけ離れてしまうでしょう。従来の女性史研究は、「国家・政府が提供した政治的枠組みから外れ、そうした枠組みに参画する正統的権利をいかに獲得してきたのか」という、いわば「上からの視点」を先験的に内在した問題関心にたって進められてきた経緯があります。もし"politik"を単に「政治」と訳し、しかも「政治」という言葉を近代的な意味でとらえてその意味を近代とは異なる近世に適用してしまったならば、この"politik"に女性が制度的に参画する余地は近世という時代にはほとんどなかったということになってしまうでしょう。

近世における"politik"概念は、フランス語に言う"politique"を考えてもらえばわかりやすいと思うのですが、ある「関心」を共有する者が「深慮」して「知謀」をめぐらし、その実現にむけた「方法」を議論するなかで生みだす「紐帯」といったイメージで語られていたものです。「関心」、「知謀」、「方法(→いみじくも近代ヨーロッパ哲学の父と言われたデカルトが『方法叙説』のなかで近代的思惟の4つの規則的方法を論じましたが、デカルトの言う"méthode"もある意味、近世における"politique"概念を踏まえたものだったかもしれませんね)」、「紐帯(→公的なものに限らず私的なものも含めた政治形態という意味まで含みます)」といった意味が、"politik"には含まれます。「関心」に対して「知謀」をめぐらし「方法」を論ずることは男性だけでなく、女性も普通に行うわけですし、そうした「関心」に対する「方法」を論ずる「紐帯」としてはサロンをあげるまでもなく、女性も参画するものがあったわけで、このようなイメージで"politik"をとらえればこそ、近世という時代における"politik"への女性の参画も十分に理解できるわけです。

ところで、豊田さんからあげられた”police"との関係は、ブログで論じるには問題が深すぎます!本来ならば、「警察」と現在訳されている言葉に入り込んできているドイツ語に言う"Polizei"概念の歴史的展開を論じなければならないからです。これはこれで重大な概念史・国制史・法制史上の問題で、それこそ数多くの研究者が取り組んできたテーマです。(来週のゼミでそうした研究史上の話は補足しましょう。)僕は門外漢なのでそうした点を理解してもらって読んでもらいたいのですが、今この場で簡単に"Polizei"概念のイメージを説明するならば、「公共体の善き秩序を維持すること」というくらいのものになるでしょうか。この概念はよく近世のドイツで発展したものとして知られていて、この概念を基としながら「公共の秩序維持」を目的に、警察だけではなく、風俗や衛生、教育、経済など、多方面にわたって社会生活を律する法令が出されました。僕たちの時代には「警察」というイメージだけが強くなっていますが、それも「公安の維持」という"Polizei"概念の一部から派生したものと言えるでしょう。"Polizei"概念では「公共の維持」が前提になっていますが、「公共の維持」という「関心」を持った者が「知謀」をめぐらした「方法」という意味では、近世という時代にあって"politik"や"politique"概念と思想的な水脈を一にしていたと言えるかも知れませんね。

ね。こんな感じで、僕らの学部ゼミ、なかなか面白そうでしょう?

2008年5月21日 (水)

新たな電子辞書の構築にむけて

ナレッジワーカのためのiPodという発言に対して、小林様、コメントをありがとうございました。PDFの閲覧を含めてiPod touchの研究教育目的での活用を図るべく、動いていきたいと思います。まだ手元にiPod touchはないのですが、これが届きましたら僕のところでどのように環境を構築し、どのように活用しているかをご報告申し上げたいと思います。今しばらくお待ち下さい。

PDFの閲覧も目的ですが、最近Wikipediaのオフライン閲覧に関する方法がネット上で盛んに議論されていることもあって、同時に電子辞書環境の構築も図りたいと思っています。取り急ぎ、WikipediaのEPWING化されたデータを用意しました。(これは二次配布は禁止だと思いますので、あくまでも個人的使用の範囲で使います。)EPWINGは古くからある電子ブックの統一データ規格で、かつてはスウェーデン語やデンマーク語などの辞書データもありました。

僕は大学の学部生の頃からこつこつとEPWINGのデータを購入し、今でもそれら集めたデータを様々なデジタルデヴァイスで使い回しています。かつてPDAにはまっていた頃は、PDAに様々な辞書データを組み込んで自分なりの電子辞書をつくっていました。僕が大阪外大に着任した頃には、スウェーデン語やデンマーク語の電子辞書のCD-ROMも売られていたので、学生のみなさんにも電子辞書の構築方法を教えていましたが、今は肝心のEPWING化されたデータが売られていません。(ネットオークションに古いCD-ROMが出品されるのを待つしか入手の方法はないでしょう。)

スウェーデン語専攻やデンマーク語専攻の学生のみなさんには、そうしたEPWINGのデータを二次配布することはできませんので、実際に使えるようにはならない点、申し訳ありませんが、今回僕はiPod touchを一つの電子辞書に見立てて環境を構築し、どれだけそれが実用に耐えうるものなのか試みたいと思います。

2008年5月19日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん、ご無沙汰しています。今日の講義ファイルは4月28日の発言にあります。ここに来週の講義ファイルをアップロードします。それでは、4・5時間目にお会いしましょう。

5月26日の講義ファイル(1)をダウンロード

5月26日の講義ファイル(2)をダウンロード

2008年5月16日 (金)

スウェーデン語Ia

金曜日5時限のスウェーデン語講読の授業に参加されているみなさんへ!こちらに次回以降に読むテキストをアップロードします。来週23日はスウェーデン留学フェア2008で休講ですが、再来週(5月30日)にはサクッと読みましょう。予習のほう、よろしくお願いします。

5月30日のテキストをダウンロード

2008年5月15日 (木)

「リンネの帝国」への道(1.5)

クラクラしています。歴史学研究者としての幸福な時間は松江で終わり、それ以外の仕事であっちゃこっちゃを駆けて回っています。(今日一日でMacを三台もセットアップしているのはどういうことだろう?)今思うと、やはり学会は楽しかった。充実していた。自分の属性が何に求められるべきなのか、あらためて再確認できた経験でした。とか言ってたら…よき同僚のYさんの研究室に休暇で訪れていた、在アフガニスタン日本大使館で一等書記官を務めていらっしゃる我らが大阪外大のOBさんから、アフガニスタンの乾燥イチジク(フィグっていうんでしょうか?)を頂き…これがくどくない甘さの美味で元気をもらいました!見かけは荒縄で穴の開いた古銭を通したもののようで、荒縄で乾燥イチジクを連ねたものから一つ一つイチジクをとって食べるのですが、一口食べて体に熱を得たという感じ。現地の山間部では、日持ちのするこの乾燥イチジクが貴重なカロリー源となっているという話で、納得。こういう体験を日常でできるから、箕面の仕事はたまらない!

反省すべき点の多い学会でしたが、備忘録的に「リンネの帝国」にむけた今回の学会の位置づけをメモしておきます。「リンネの帝国」にいう帝国とはスウェーデンを核としたバルト海世界の秩序(政治社会的編成でもあり、認識論上の観念的世界観も意図していますが…)のことですが、その前提としては、バルト海世界を舞台とした「戦争」をプラットフォームとして、そのプラットフォームの変質に応じた「国家」というアーキテクテュアが変容する過程、そして「国家」というアーキテクテュアの上で走らされている人間の「認識(あるいはその世界観)」の変質(もし人間の「世界観」が人間の行動を生み出す「装置」だとするならば、「世界観」をもってソフトウェアと言うことができるかもしれません…)を追うことにあります。

グスタヴ3世の啓蒙専制を近世スウェーデンの一つの到達点と位置づけ、あるいはこれが近世から近代へのスウェーデンの架け橋となったレジームだととらえるならば(グスタヴ啓蒙専制を準備した「自由の時代」の末期にあたる七年戦争頃に画期があると思っていますが)、そこに至るスウェーデンの政治文化・政治社会の変容は、これまでのスウェーデンの時代区分でいう「大国の時代」と「自由の時代」との経験を結びつけて総括的に論じなければなりません。リンネ(あるいはリンネ学派)にみられる世界認識・自然認識が、啓蒙ヨーロッパに北のスウェーデンを起点として広範な影響力をもった視点を投げかけたとしても、彼らの認識の前提は「バルト海帝国」と通称された複合的国家編成の勃興と崩壊を経験したあとのバルト海世界に独特な政治風土・文化風土の変容、あるいは「帝国」瓦解後の政治経済の戦略をふまえた世界認識を反映したものであると考えています。

だからこそ、今回の学会報告は、啓蒙期スウェーデンの前提にあたる17世紀スウェーデン国家の変容を、その背景で導き出していった国際戦争の質的変化にもっと踏み込むべきであったようにも感じています。とりあえず、今回は「リンネの帝国」への道の(1.5)ということで、「戦争」・「国家」・「世界観」をどのように結びつけようとしているのか、その筋道をごくごく簡単に整理しました。

2008年5月13日 (火)

「江戸ロン」に思う

今日は久々の自宅研修で、Windows XPにService Pack 3を適用したりしながら、 明日からの授業に備えて静養していました。それとちょっとAmazonなど眺めたり。そのきっかけは松江で学会を終えた直後、大阪のよしこんから一通のメールをもらったことに始まります。その内容は、東大の近藤和彦先生と伊藤毅先生が編集にあたられた『江戸とロンドン』(山川出版社)をうちの5歳になる長男が、「江戸ロン」とか言いながら手にしているというものでした。

長男が『江戸とロンドン』を手にした経緯は想像に難くありません。鉄道オタク(鉄)の道を驀進している長男は、おそらく大江戸線あたりの文字から「江戸」を「えど」と呼ぶことを覚えており(…江戸が東京の古名であることも知っていました)、また鉄ゆえにとにかく地図に関心があることから、『江戸とロンドン』の中に所収されている都市図・古地図の数々に興味が惹かれたのでしょう。今晩、久しぶりに長男と一緒にお風呂に入ったとき、「『江戸ロン』はどう?」と聞いてみました。これに対して長男は、「声を出して読むには長すぎる。」という意外な回答を返してきました。なるほど…5歳の子供が音読するには、漢字が多すぎてそりゃ音読にはむかないですよね。そもそも『江戸とロンドン』は素読を目的にしては書かれていないません。

思えば、NHKの教育番組でも最近は素読を奨めるものがあり、子供たちは絵本や図鑑のたぐいを良く声に出して読んでいます。古谷家には漫画というものが一切ありませんが、漫画は素読にはむきませんから、今のうちの子供たちはあまり興味を示さないでしょう。で、今まで地理の本は息子自身が興味をもっていろいろ読んでいたみたいだけれども、せっかく『江戸とロンドン』に興味をもってくれたのだから、ここらで歴史の本でも読ませてあげようと子供むけの歴史の本をAmazonで検索してみたら…これが驚くほど少ない。大抵は「まんが日本の歴史」とか。伝記物はありますけれどもね。

歴史的思考の訓練と醸成にはいくつかのステップが必要だと考えているのですけれども、そのうちの一つは文字で綴られたテキストに親しむということです。膨大な文字情報にアレルギをもたず親しませることが、文献資料にあたる人文学的方法の出発点だと思うのですが、この点、歴史を漫画という手法で伝えることは限界があるように思っています。文字で綴られたテキストを読み込むことを通じて、歴史の生き生きとした情景に触れることができるということを子供に知らせてあげたいと思うとき、今の日本には、それに適した子供向けの歴史の本があまりに少なすぎる気がします。

どなたか、よい本を知っていたら教えてください。あるいは、どなたか、子供向けに書いてみませんか?

2008年5月12日 (月)

松江はやはり「美しかった」…日本西洋史学会第58回大会を終えて

松江から大阪に日本西洋史学会を終えて帰ってきました。まずは島根大学の関係者のみなさん、学生のみなさんのご尽力に心から感謝申し上げます。僕はちょっとした個人的な感慨とともに今回の学会で得られた経験は忘れることができないものになると思います。

学会に参加するのは二年ぶりのこと。昔なじみの面々…これまでもお世話をいただいてきた先生や編集者の方々、今は各地に散らばってしまって普段お会いできない先輩・後輩のみなさんと(いろいろと不義理を働いてきたにもかかわらず)今回の学会で久々にお会いしたとき、皆さんから暖かいお言葉を頂けたこと、これが一番嬉しかったことです。会う度、話す度、目頭の熱くなることを感じました。すみません、松江の美しい景観にもほだされて感傷的な気分になっています。けれど、皆さんのお気持ちは僕に爽やかなやる気を与えてくれたことは確かです。だから、心から「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べさせてください。

さて、肝心の学会ですが、日曜日の午後に小シンポジウムを控えていたこともあり、土曜日の基調講演を除けば、シンポジウムにむけて最後の最後まで準備作業に時間を費やしていました。小シンポジウム「近世ヨーロッパにおける戦争と国家〜「軍事革命」の彼方へ」にご参加下さった皆様、あらためて感謝申し上げます。松江からの帰りがけにお会いした方々の話を聞きますと、小シンポジウムは古代史の衰退のセッションも、近世の気候変動のセッションも、なかなかの盛り上がりだったようで、嬉しく思います。(個人的には、「ブドウ栽培とワイン醸造」の話を聞きたかった…というか、「戦争」と「気候」のセッションを結びつければ、17世紀の全般的危機論争を総括できそうでさらに面白かったと思うのです。)

「戦争」の小シンポジウムはいかがでしたでしょうか?皆様から頂いたご助言は今後の僕たちの共同研究に必ずや反映させていきたいと思います。僕個人の報告は、ちょっと無難すぎたでしょうか?かみかみのプレゼンではありましたが(…自己演出をリハーサルするだけの余裕はありませんでした…)、スウェーデンにおけるモデル的な「軍事革命」の整理→スウェーデンにおける軍事経営の実態の整理→バルト海世界における戦争の経験がスウェーデン国家の展開に与えた影響という流れをスッキリと整理することに努めました。いみじくも僕が卒論→修論→就職以降現在で勉強してきた内容を総括したようなものだったことは、セッションが終わった後、僕を古くから知る人たちから鋭く指摘されました。確かにそうだったかもしれません。ある意味、今までの自分を総括して新しい自分へ向かいたい(…つまりこのブログでの発言で言えば、「リンネの帝国」へと…)気持ちの表れだったかもしれませんので。

「戦争と国家」と「軍事革命」論の批判との関係については、小シンポジウム全体でより明確に話しを進めても良かったかなと個人的には思っています。今回のシンポジウムでの議論の出発点に置かれたJ.ブルクハルトの所説は、彼自身がドイツの研究者だということで、O.ヒンツェやM.ウェーバー以来のドイツ国制史の伝統を踏まえたものです。近代国家に関するウェーバーの有名なシェーマを挙げるまでもなく、この伝統には戦争が国家構造に与える影響を論ずる視角がすでに内包されていました。これに対して、戦時における「軍事革命」論は、アングロ・サクソン系の研究者によって主に主張されてきた議論です。アングロ・サクソン系の研究者の論調も、一方では軍事経営の技術論を中心に展開するものと、他方では集約化された国家構造論を中心に展開する歴史社会学のものとにわかれているところがあります。後者の議論は、その発想の源泉の一つにウェーバーの存在がありますから、その部分で「戦争と国家」と「軍事革命」論はなんらかの結びつきを得られるということになります。

軍事経営の技術論に限定された「軍事革命」の説明と、その結果としての戦争の変質に伴う集約的な国家経営の発展というシェーマは、大変理解しやすい考え方であり、「近代以降の国家経営がいかにつくられてきたのか?」という先験的に設定されてしまっていた問題関心に、格好のモデルを提供してきました。僕たちは歴史学者ですから、モデル化されたイメージを先験的に有してそれを歴史事象に当てはめるということは極力さけねばなりません。「軍事革命」論が「近世の戦争の変質が近代国家の原点をつくる」というイメージをあまりにも強烈に植え付けてしまったが結果、近世の戦争と国家の関係の実態が見えにくくなってしまっていたのです。そこで今一度、僕たち近世史研究者の目をまっさらな状態にして近世の戦争に絡む史料群を再検討し、戦争に絡むところで近世の国家・社会・文化の実態はどうだったのかを解明しようということが、「「軍事革命」の彼方へ」というサブタイトルの真意だと思います。

そもそも「軍事革命」論の嚆矢となったM.ロバーツの議論が17世紀の全般的危機論争のなかから生まれてきた経緯を思うならば、もともとこの議論が生み出されてきたときにあった問題関心は「近代国家の原点を措定する」ということではなく、ルネサンス・宗教改革・いわゆる「大航海」の後を受けた17世紀の時代文脈(そこには気候変動という要因も含まれる!)における政治・文化・社会の実態を問うということに置かれていたはずです。そして、16世紀から17世紀にかけてに存在した近世ヨーロッパ独特の政治文化なり、政治社会なりを問うことこそが僕たちがやるべきことなのであって、それであればこそ複合国家や混合王政といった近世国家の実態に、戦争という現象(あるいはその時代に共通するプラットフォーム)から肉薄することが求められていると言えるのでしょう。そういう意味で、近世ヨーロッパの実態に即した「戦争と国家」の研究は、「軍事革命」論を批判(あるいは批判的に継承)し、「軍事革命」論の彼方にこそはじめて求められるものなのです。

というわけで…誰とどこで飲んだとか、誰とどこではっちゃけてたとか、「あれ、なんでパワポで飛び道具を出さなかったの?」とか(…WindowsのOffice 2003はだめ、本当にだめ!MacのOffice 2008でつくったパワポファイルがまったく再現されない!みなさん!なんでマイクロソフトはOffice 2007以降、docxとか、pptxとか、XTMLの集合体であるファイルに移行したか知っていますか?それこそ、異なるプラットフォームの上でも読み書きの可能なXTMLという共通言語でつくられたファイルにすることで、ファイル内容の再現を完全にするためという理由によるのですよ!結局、Office 2003が使われ続ける限り、そんなマイクロソフトの意図は全く実現されないままになってしまうことになりますが…)、そんな裏話は一切なしで今回の学会の発言を閉じます。今回の学会の思い出は本当によいものだったから、個人的に「美しい」ままの記憶として心に秘めておきたいので…。(でも最後に一言。今回の学会で爪切りは買いませんでした…爪も「美しく」切り揃えられていましたからね…ということでこお発言のオチはつきましたね?!)

2008年5月10日 (土)

学会と爪切り

今晩は猛然と明日に迫った学会報告の最終的な詰めをしています。(20分という報告時間では、正戦論まではきつそうです。)日本西洋史学会というと、個人的には「爪切りを買う」という思い出があります。なんというのでしょうか…いつも学会ギリギリまでなんだかんだと忙しく過ごし、ふと学会の開催されている場所に着くと、大抵爪が伸びきっている(…いえ、決して「詰め」が甘いということではないですよ…)ことに気がつく経験を何度となくしているんです。日本西洋史学会は…なんというのでしょうか…普段行ったことのない土地の大学で開催されることが多く、また昔なじみの仲間が集まるという和やかな雰囲気もあるからなのでしょうか、普段の大学での日常よりもゆったりとした時間が流れている気がするのです。そうしたこともあって、優秀な研究者の方々を前にしながら、あらためて自分自身を見つめ直す良い機会になっているということなのでしょう。自分の爪が伸びていることを気がつくというのも、そうしたことの反映かもしれません。で…問題はですね…日本西洋史学会へ出かける度に、そこの土地で爪切りを買って爪を切るということが多かった。でもって、当然購入した爪切りは自宅へ持って帰るので、なぜか、学会に参加する度に自宅には爪切りがいくつも溜まっていくのです。ご当地の土産用の爪切りとかではなく、普通にコンビニで売られている何の変哲もない爪切りが。「あぁ、あの爪切りは福岡で買ったものだ。」、「この爪切りは札幌で買ったものだ。」と一つ、一つの爪切りを眺めると、その時々の学会の思い出が蘇ります。そんな僕に対して、学会へ出かける度に爪切りが増えて困っているのは僕の妻で、昨晩も早速、「松江でまた爪切りを買わないように、爪ぐらい切って行きなさい。」と諭されました。はい、今回は手の爪も、足の爪も切り終えて、スッキリとした身で松江に向かいます。

2008年5月 9日 (金)

パワーって、すばらしい

って、別に「権力」っていう意味ではなく、漠然と「力」って意味ですが。いろいろな仕事を同時にこなすためにはシームレスに事を運ぶことができるスピードが必要になるわけですけれども、それなりのスピードを確保するには相応のパワーが必要というわけです。体力、知力、気力…いずれにせよ、それらが充実していなければ、「もっとスピードを!」とはなりません。学会の準備を抱えながらも、同時に公務もこなさなければならないわけで、そんなときにふと自分の仕事環境を振り返ってみると、例えどんなに重たくとも、結局もっとも高い処理能力をもっているMacBook Proを運んで吹田や箕面を行き来していることに気がつきました。

今週もMacBook Proではいろいろ仕事をこなしています。例えば(自分でも何をやっているんだかと思うのですが)イラストレータなんていうソフトウェアを立ち上げて某所のロゴをつくったり、(そんなの准教授のやることじゃないだろうと思うのですが)某所のホームページを新たに立ち上げたり。そんなときにパワーがあればこそ、ストレスなく仕事をこなせることに気がつきました。それらの仕事に共通することは、いずれも突然「緊急に!」と条件付けられた仕事ということで、そうなってくるととにかく処理能力重視とならざるをえないわけです。

先ほども、下の発言でアップロードしたデンマーク語の論文とスウェーデン語の論文をAcrobat Professionalに流し込んで、「自分」用にデンマーク語とスウェーデン語のOCRをかけてテキスト認識可能なファイルにしたばかり。Acrobatを使用したOCRでそれなりの高い精度をもってテクストを認識させようとするならば、最低でも300dpiくらいでテキストの原稿をスキャンして画像化(PDF化)し、600dpiくらいの精度でAcrobatのOCR機能をかける必要があるかと思います。(このブログをご覧の他のナレッジワーカーの方々は、どうされていますか?)この設定でいくと通常は結構時間のかかる作業なのですが、(円高効果のおかげを受けてちろん自腹で)メモリを4GBに増設したMacBook Proだと面白いようにみるみるうちに認識が終わり、特殊文字の読み落としなどもほとんどなく読み取り精度はなかなか。

結局、パソコンのことになるのだけれども、昔は「軽量が良い」だとか、「高解像度が良い」だとか、いろいろとわめいていましたが、今の自分は「ハイパワーが良い」という一点。振り返ってみると、自分が置かれている状況に応じて「何をベストな選択とするか?」の基準も変化するというわけですね。そういう意味でパソコンの選び方の基準は本来相対的なものだと言えるわけで、いずれそのようなことを僕に相談すると、「今の自分をよく振り返りなさい。」なんていう人生相談への回答のような抽象的な言葉が返ってくることになるかも知れませんね。

【重要】今日は休講です

今日の授業は、3〜5時間目まで休講にさせてもらいます。4時間目の北欧史講義のほう、山川出版社様から「北欧史」が昨日届きました。(山川様、いつも迅速な対応を頂きありがとうございます。)以前にもお話したように、「北欧史」を注文した人は、来週16日の授業の際に3000円で頒布します。お金のほう、忘れないでくださいね!よろしくお願いします。

2008年5月 8日 (木)

北欧文化演習Va, VIaに参加されているみなさんへ!

というわけで、下で発言したように今学期は女性史いきます。ここに論文のPDFファイルを掲載しますので、各自ダウンロードして読み進めてください。よろしくお願いします。デンマーク史の人はNina Koefoedさんの論文、スウェーデン史の人はCharlotta Wolffさんの論文です。

N. Koefoed, "Kvinder i politik 1500-1800, forskningens status i Danmark", Å. K. Sjögren (red.), Kvinnor och politik i det tidigmoderna norden, Reykjavik 2007, s. 15-34.をダウンロード

C. Wolff, "Aristokratiska kvinnor som aktrörer i 1700-talets svenska och franska makt- och partipolitik", Å. K. Sjögren (red.), Kvinnor och politik i det tidigmoderna norden, Reykjavik 2007, s. 175-193.をダウンロード

ゼミのみんな、女性史やってみようか?!

昨日はスウェーデン史も、デンマーク史もゼミは休講でした。で、今学期に読む文献ですが…なんとなく女性史を読んでみたい気がするんですが、どうでしょう?いや正確に言えば、いわゆるフェミニズミ的な観点に立った女性史というのではなく、近世ヨーロッパ世界に特有な政治文化における女性の位置づけを問うた昨夏のアイスランドでの北欧歴史家会議でのシンポジウムのコロークに収められている論文なんですけれどもね。デンマーク史のほうはデンマーク語で書かれた16〜18世紀のデンマーク政治における女性の位置づけに関する論文、スウェーデン史のほうは(最近飛ぶ鳥を落とす勢いで、スウェーデンの学界で注目されている)Charlotta Wolffさんがスウェーデン語で書いた「自由の時代」の政治アクターとしての貴族身分の女性という論文。北欧世界の政治文化を論ずる際に、やはり女性というアクターは外して考えられないわけで、なんとなくゼミのみんなと読んでみたくなりました。ゼミのみんな、どうかな?デンマークとスウェーデンとでほぼ同じ時代の女性史をそれぞれに勉強してみると、今学期末の合同打ち上げ会のときには、デンマーク史のゼミ生とスウェーデン史のゼミ生の間でどんな議論が交わされるのかな?なんだか、楽しみじゃない?

2008年5月 5日 (月)

日本西洋史学会まで

みなさん、ゴールデンウィークをいかがお過ごしですか?日本西洋史学会まであと一週間を切りました。それゆえ、発言が滞ります。僕は正戦論をまとめています。これ、とっても議論が難しくて、それゆえに久々に知的な格闘を展開中。アウグスティヌス、トマス・アクィナスといったキリスト教神学の系譜、キケロやリヴィウス、タキトゥスといった古典文明に源を発する人文主義の系譜、そしてそれらの系譜の上にたって軍事革命にからむ近世ヨーロッパの話として、サラマンカのスアレスに、オクスフォードで活躍したジェンティーリ、フランシス・ベーコンやグロティウスは言うまでもなく…といった話。正戦論は、あたかも近世ヨーロッパ世界を構成していた知的空間の諸相を一挙に凝集しているかの構造をもった議論で、これはオモロ〜!な議論ですが、到底今度の報告ですべては論じられません。でも、良いんです。これ、スウェーデンの話ですから。スウェーデンの正戦論は、決して北の世界の特殊性に依拠して主張されていたのではなく、キリスト教神学や人文主義といった大陸ヨーロッパの言説を横領・摂取することによって成り立っていたことが言えれば、軍事革命批判にはつながると思うので。なんていうのかな、古代から近世、地中海からバルト海で育まれてきた論拠が、スウェーデンで結びつくイメージ。さてさて、どうなることやら。(ん?プレゼンはPowerPointでとのお達しが…Keynoteで眩惑効果をねらっていたのですが。)では、みなさん、お元気で!

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »