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2008年5月15日 (木)

「リンネの帝国」への道(1.5)

クラクラしています。歴史学研究者としての幸福な時間は松江で終わり、それ以外の仕事であっちゃこっちゃを駆けて回っています。(今日一日でMacを三台もセットアップしているのはどういうことだろう?)今思うと、やはり学会は楽しかった。充実していた。自分の属性が何に求められるべきなのか、あらためて再確認できた経験でした。とか言ってたら…よき同僚のYさんの研究室に休暇で訪れていた、在アフガニスタン日本大使館で一等書記官を務めていらっしゃる我らが大阪外大のOBさんから、アフガニスタンの乾燥イチジク(フィグっていうんでしょうか?)を頂き…これがくどくない甘さの美味で元気をもらいました!見かけは荒縄で穴の開いた古銭を通したもののようで、荒縄で乾燥イチジクを連ねたものから一つ一つイチジクをとって食べるのですが、一口食べて体に熱を得たという感じ。現地の山間部では、日持ちのするこの乾燥イチジクが貴重なカロリー源となっているという話で、納得。こういう体験を日常でできるから、箕面の仕事はたまらない!

反省すべき点の多い学会でしたが、備忘録的に「リンネの帝国」にむけた今回の学会の位置づけをメモしておきます。「リンネの帝国」にいう帝国とはスウェーデンを核としたバルト海世界の秩序(政治社会的編成でもあり、認識論上の観念的世界観も意図していますが…)のことですが、その前提としては、バルト海世界を舞台とした「戦争」をプラットフォームとして、そのプラットフォームの変質に応じた「国家」というアーキテクテュアが変容する過程、そして「国家」というアーキテクテュアの上で走らされている人間の「認識(あるいはその世界観)」の変質(もし人間の「世界観」が人間の行動を生み出す「装置」だとするならば、「世界観」をもってソフトウェアと言うことができるかもしれません…)を追うことにあります。

グスタヴ3世の啓蒙専制を近世スウェーデンの一つの到達点と位置づけ、あるいはこれが近世から近代へのスウェーデンの架け橋となったレジームだととらえるならば(グスタヴ啓蒙専制を準備した「自由の時代」の末期にあたる七年戦争頃に画期があると思っていますが)、そこに至るスウェーデンの政治文化・政治社会の変容は、これまでのスウェーデンの時代区分でいう「大国の時代」と「自由の時代」との経験を結びつけて総括的に論じなければなりません。リンネ(あるいはリンネ学派)にみられる世界認識・自然認識が、啓蒙ヨーロッパに北のスウェーデンを起点として広範な影響力をもった視点を投げかけたとしても、彼らの認識の前提は「バルト海帝国」と通称された複合的国家編成の勃興と崩壊を経験したあとのバルト海世界に独特な政治風土・文化風土の変容、あるいは「帝国」瓦解後の政治経済の戦略をふまえた世界認識を反映したものであると考えています。

だからこそ、今回の学会報告は、啓蒙期スウェーデンの前提にあたる17世紀スウェーデン国家の変容を、その背景で導き出していった国際戦争の質的変化にもっと踏み込むべきであったようにも感じています。とりあえず、今回は「リンネの帝国」への道の(1.5)ということで、「戦争」・「国家」・「世界観」をどのように結びつけようとしているのか、その筋道をごくごく簡単に整理しました。

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