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2008年3月 7日 (金)

メーラレン湖のほとりにて(表バージョン)

今回のストックホルム滞在も半ばにさしかかりました。こちらは冷気の心地よい晴れた日が続いていて、町中を歩く気分も爽やかです。今回はノルマルム島とクングスホルメン島あたりを歩き回っており、数日にして赤ら顔になってきました。日焼けでしょうか?

王立文書館などに通ってみましたが、結局のところ、新しい研究をはじめようとする場合、まずはそれに関する史料の収蔵先がどこにあるかから情報収集をはじめねばならず、今のところ、データベース化されている史料情報と睨めっこの状態が続いています。恥ずかしい限りですが、これは仕方がないことです。本来ならば日本にいるときにそうした所蔵状況を調べておくべきだったでしょうが、残念ながら大阪ではそのような時間はとれません。ですから、今は史料の所蔵状況を把握する地道な作業に自分の時間を集中できることに幸せを感じています。

スウェーデンにおける文書館のアクセス方法はここ数年で劇的に使いやすくなっており、年間約15000円くらいのエントリ料金を支払えば、ネットを経由して収蔵データを確認して別途コピーも発注できます。教会関連の文書や王国議会の文書、条約など主要な外交文書などはすでに画像処理もなされ、アクセス権さえあればPC上から閲覧・印刷することもできます。

(リンネやその弟子たちの書簡などは王立図書館にもあることはあるけれど、やはりウップサーラ大学図書館に収蔵されているものが多い。来週はウップサーラでさわりを見て、今秋のウップサーラ滞在で本格的に調査する必要があります。)

とはいえ、昨年のリンネ・イヤーの直後ということもあって、リンネとその弟子の業績に関する研究文献は、数多く出版されています。そういう意味では、やりやすい研究テーマでしょうか。たまたまこの時期が、スウェーデンではbok reaという本のバーゲンの時期にあたり、新刊本・古本を含めて収集したものはすでにゴソッと大阪へ送り返しました。今回のようにたった一人の研究目的でのストックホルム滞在は7〜8年ぶりということもあって、昔なじみの古本屋にもじっくりと腰を落ち着けていられます。

昔は国制史や軍事史関連の文献を渉猟していましたが、ここ数年近世スウェーデンの思想史に強い関心をもっていること、またリンネに関心をもちはじめたことで、図書館や古本屋では今までとは違うコーナーに入り浸っています。当然のことですが、スウェーデンではスウェーデン史は国史ですからスウェーデン史のコーナーに目的の文献があるわけではなく、とりわけ思想史や科学史はまったく違った独立したコーナーに並んでおり、そこに並ぶ文献の数々はとても新鮮です。スウェーデンにおける思想史研究・宗教史研究の厚みは、驚くべきものです。

とはいえ、僕が今妄想しているような大国の時代から自由の時代を一貫する近世スウェーデンの政治文化の文脈からリンネとその弟子の業績を検討するような研究は皆無です。近世スウェーデンの政治文化は思想史研究、政治経済学は経済史研究、リンネは科学史・自然史研究といったように研究分野が別れており、これらを総合するような研究はなく、メーラレン湖のほとりを歩きながら「これはいける!」と自信に思う一方で、「野心的すぎるのか?」と不安にも思います。

もちろんこの春以降の大学での仕事のことも忘れてはいません。昨年のスウェーデン史ゼミで試みに史料論を扱ってみて、史料の厳密な読みこみはもちろん大前提なのだけれども、史料を叙述している外国語をただ日本語に機械的に訳すだけではなく、一つ一つの語彙や語法のレベルもそれが書かれた時代やそれを書いた人の背景に迫って意味を紡ぎ出す訓練が必要だと感じました。

例えば、18世紀のスウェーデン語による文章を扱う際、スウェーデン語・英語辞典を見て機械的に英語の意味を知り、その後で機械的に日本語に訳し治し、日本語の文章ができたからといっても、その結果はおそらく無意味です。英語にはOEDがあり、スウェーデン語にはSAOBがあり、それぞれの時代の意味や語法はそれらを使えばなんとか追える。でも、それでもその結果はおそらく不十分です。「祖国」だったら「祖国」という単語が時代・場所・人物によってどのような「戦略」の違いをもって扱われているのか。それを想定しながら読むには同時代の関連する文献を数多く読んで、その語彙のもつイメージに対して直感を得ておかねばなりません。おそらく歴史学教育(…歴史教育ではありません、念のため…)は、そうした歴史的な語彙イメージの助言を学生に与えつつ、単純に機械的に日本語に外国語の文章を訳すだけではない歴史的テキストの扱い方・接し方を学生に訓練する必要があるのでしょう。

そういう意味では、電子辞書にばかり頼って機械的な日本語訳に陥らないよう、言語感覚と時代感覚を鍛える史料論教育は、今後のヨーロッパを対象とした歴史学の展開を考えるうえでとても重要だと思うのです。軍事文書館や王立文書館では、文書館に所蔵されている史料の読み方、意味の取り方、解釈の方法などを論じたテキストブックが用意されています。この春からの僕のスウェーデン史のゼミは手始めにそれを扱おうと思います。学生のみなさんは心して…(笑)、楽しみにしていてください。

(電子辞書って、どうなんだろう?僕は、電子辞書は役に立たないと思っています。ちょっとした意味の確認くらいなら良いのだけれども、それがあたかも言葉の万能ツールのような信頼感を使用者に植え付けているのは、外国語で書かれた史料に向き合う人間としてはむしろ犯罪的ツールにさえ見える。)

今回は一人、MacBook Proだけを抱え、薄氷いまだ漂うメーラレン湖のほとりにてこのようなことをつらつらと思う次第です。(このようにいろいろなことを考えられるくらい、今は余裕ある時間がとれているということです。)

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