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2008年3月

2008年3月31日 (月)

『見える歴史』を見ましたか?

今晩会議を終えて帰宅してみると、5歳になる息子と2歳になる娘がテレビ番組を見ていました。それは小学6年生むけの『見える歴史』という番組でした。どうやらこの新学期に合わせてスタートした番組らしく、今晩は初回で例によって縄文時代の話でしたけれども、なかなか魅せる番組内容になっています。といっても、小学6年生というよりは幼稚園生が惹きつけられるという意味でです。人形劇とCGによる歴史再現が番組の主たる構成ですから、幼児たちでも集中できる内容表現でした。ちょっと、小学6年生向けには幼すぎる表現ではないでしょうか?しかし内容は幼稚園児でも理解できるほどに内容がよく咀嚼されています。三内丸山遺跡などの出現によって縄文時代のイメージはだいぶ変化しつつありますが、例えば栗の計画的植林の話なども述べられていました。衣食住といった生活面についても。しかし驚いたのは、息子による「時代を変えた米は中国から渡ったんだよね。」というコメント。(その後、息子はおそらく餃子問題やチベット問題を念頭に置いて、「昔は中国は良い国だったんだよね。」という驚愕の一言まで発していました。価値判断は今は下すべきではないと諭しましたが。)僕はまだ一度も息子に歴史の話をしたことがありませんが…おい、お前。いつの間にそんな話を知ったんだ?いつの間に歴史的思考が身についているんだ?妻の話では図書館に行けば日本の歴史の本なども読んでいるらしい。好奇心と関心さえあれば、自然とそうなるものなのでしょうか?父の手を借りるまでもなく、なにやら密かに読書家風情の息子です。

2008年3月28日 (金)

万能細胞としての「言語」の研究

ここ数日、新しい研究プロジェクトの草案づくりで籠もっています。いけいけ!どんどん!…といった感じです。世界言語研究センターで働いているとハッと目の覚めるような発言に勉強させられる機会が多くありますが、昨日は地政学プロジェクトで来てくれた特任助教のYさんから良い話を聞きました。(僕は言語学に詳しくないので語弊があったら申し訳ないのですが)「(認知言語学的に言えば)言語の定義は、それぞれの言葉のプロパティ(特性)の総体であるとしか言えない。」なるほど、示唆溢れる言葉です。

○○語は××文字で記述され、△△語族に属し…という定義は、確かに19世紀以来の「言語」を定義づけてきた基準で言えばそうとも言えるでしょうが、そもそも××文字といったような言い方はそうした基準が入ってくるまではまったくされていなかったわけで、そうした基準をもって実体的に「言語」を論ずることはできない。(これを仮に言語の存在論的検討としましょう。)

す、すみません…大学へ行く時間がぁ…この続きは仕事の合間に書きます…と思ったら、研究室に来てみたら、書いている暇がありません。ということで、今晩帰宅してから発言します。

2008年3月25日 (火)

アーサー・C・クラーク

ときたま僕は大きな既視感を得る…あるいは、予測不能なことを感覚で結果的に看取していたといったような経験があり、その体験に怖くなるときがある。

すでに報道されているように3月19日にSF作家のアーサー・C・クラークが亡くなった。さて、このブログでもすでに発言したようにこの18日〜19日は世界言語研究センター主宰の国際シンポジウム『コトバの力学〜他者表象としての「外国語」』をやっていた。このシンポジウムに参加してくれた人は気がついただろうか?19日のワークショップでの報告の際に…あのときは僕のMacBokk Proをスクリーンに映し出していたのだけれども…そのデスクトップの壁紙が、地球越しに太陽の昇る"2001: A Space Odyssey"のものだったことを。これは普段から使っている壁紙ではなく、18日の晩に報告の準備作業をしているとき、「明日のワークショップでの、僕たちの心意気を表象するもの」として何気ないイタズラ心から壁紙に設定したものだった。

『2001年宇宙の旅』で描かれた人類の進化のように、僕たちの世界言語研究センターは大阪外国語大学のDNAを受け継ぎつつ新たな進化を迎える。新たな研究活動の進化への「序曲」としての「民族紛争の背景に関する地政学的研究」プロジェクトであり、「序曲」としてのシンポジウム「コトバの力学」であり、研究分野の異なる(…歴史学・文学・社会言語学…インド・パキスタン・スィンディー・スウェーデン・デンマーク・ラテンアメリカ…)世界言語研究センターの若手研究者の初のコラボによるワークショップだった。僕らの地政学プロジェクトの野心は、単なる紛争研究・地域研究の延長にあるものではなく、現地語に立脚することによって、英語を頂点として築かれた近代の言語ヒエラルキーとそれに依拠した近代の学問体系に再考を促すものでもある。

だから、僕は、僕たちのできたばかりの世界言語研究センターの旅立ちの「序曲」にふさわしい壁紙として"2001: A Space Odyssey"を選んだ。しかし、それが折しも原作者であるクラークの命日と時を同じくするとは…。

卒業式と謝恩会とデンマーク史の強化

阪大外国語学部デンマーク語、スウェーデン語専攻の卒業生のみなさん!

ご卒業おめでとうございます。卒業は一つの区切りにすぎず、最後の別れではありませんから、特別なコトバをかけるのはどうかなと思います。みなさんは厳しいデンマーク語、スウェーデン語専攻の課程を修了して晴れて学士となられましたし、これからは教員としてではなく仲間として気軽に声をかけてくださいね。そうですね…コツコツと勉強を積み上げる生き方を学んだという点、これがきっとこれから生きていくときに一番の財産となりますよ。そんな生き方を梃子としながら自信をもって生きてください。以上。

昨日は大学が統合されて最初の卒業式。午前中は別の会場で式が行われ、午後に箕面キャンパスで学位授与を専攻語に別れて執り行うなど、総合大学の卒業式に変わったと実感しました。(昔、東大が安田講堂で式をして、研究室で学位をもらったから、そんな感じだったなぁ…。)学位記の書かれ方も、学部長と総長の連名でした。学位記の左肩に「外第○○号」という連番が記されていて、そこに外大のDNAを引き継がれているのかなと思いました。こういった書面に書き込まれたメッセージ性をどう読み解くか…興味深いです。それと箕面キャンパスの中庭に集まってきた卒業生たちのカオス状態…これも今までなかったことですね。旅立ちのエネルギーが満ちていて、「なるほど新しい秩序はこうしたネビュラ状態から生み出されるのか…」と眺めていました。

変わったと言えば、謝恩会。(昔、東大では謝恩会ってなく、卒業生を送る会だったなぁ…かたくなに。)今までは、高槻とか、吹田とか、豊中とかで卒業式を行った後に、「梅田で現地集合!」が常道でした。けれど、今年は学位授与が箕面であったので箕面からキタまでバスをチャーターして移動。これを実現した学生諸君の企画運営力には感嘆します。すばらしい。昨晩の滞りない移動・謝恩会・二次会の企画運営力があれば、十分に社会で通用しますよ。勉強させてもらいました。実力に年齢は関係ありません、ただただ脱帽です。昨晩は、数時間、ずっと笑いっぱなしで、笑顔を絶やすことがなかったし。たぶん、眉間のしわもなかったろうし。そんな時間を過ごせたのも、みんなのおかげ。ありがとうございました。

さて、謝恩会(というか、厳密に言えば二次会)で要望のあったことなのですが、この春からは少々デンマーク史ゼミを強化します。一頃、忙しくて忘れていました…僕はスウェーデンとデンマークの両方のゼミを担当しているから、いわば僕自身が「オーレスンド海峡大橋」みたいな存在なんだな。前々から言っているようにスウェーデン史ゼミは史料論から入ります。デンマーク史ゼミの場合、これを実現するによいテキストがなくて困っているところがあるのですが…なんとかしましょう!デンマークを選ぼうが、スウェーデンを選ぼうが、歴史学をやるなら「自由だ〜っ」。(…って古い?) というか、昔みたく北欧史ゼミというかたちに戻して、共通の問題をデンマーク、スウェーデンの双方から論じてみるというのが、一番理想的なんだとは思う。(でもゼミ生の数が増えてしまったから、ゼミ運営的に無理。)そう…歴史を振り返ってみて、デンマークとスウェーデンは一度も統合されたことはないのだけれども、ここ箕面では北欧が実現されているってわけでね。よろしくね、みんな。

2008年3月24日 (月)

気分屋の僕…やっぱり続けます

新たな外国語学部の卒業式におけるネビュラ状態にエネルギーを得て、気分がよくなってきている…と言いましょうか、文章を書きつづるという表現形態がないと張り合いもなくなるので、前言を撤回してしばらくできる範囲でブログの発言を続けます。(なんだか、ぶれてて申し訳ありません。)

そうそう、昨晩の謝恩会では一部の学生諸君から、「あれ、先生、またケータイ替えました?」と指摘されました。「どーも、すみません。」 でも、Infobar2は2年縛りの契約ですから、iPhoneがでるまではこのままだと思います。Infobar2はツルツルな表面加工で、落とすのが怖いのでシリコン製のソフトケースを被せてみました。ピアノというもの。「せっかくシルバーを買ったのに、シルバーの意味ないじゃん」との突っ込みはよしてくださいね。

どうも僕は気分屋で、その日の気分でSIMカードを入れ替えて、Media SkinとInfobar2を使い分ける生活があっている感じがします。

(仮)スウェーデン留学フェア2008

今年の5月23日(金)午後に大阪大学(おそらく吹田キャンパス)で、阪大世界言語研究センターと駐日スウェーデン王国大使館の主催で、「スウェーデン留学フェア2008(仮称)」が開催されます。参加者は阪大の学生に限りません。この催し事の主旨は、スウェーデン留学を考える人に留学の具体的情報を提供するということにあります。日本では、なかなかスウェーデン留学に関する情報が詳しく知られることがありません。ましてや、関西圏では初めての試みです。ですから、関西圏の学生のみなさんをはじめ、スウェーデン留学の情報に接したい方々、ぜひご参加ください。このフェアの詳細(例えば、タイムスケジュールやどのような講演があるかなど)固まり次第、こちらのブログのほうでも随時情報を更新していきます。

2008年3月20日 (木)

コトバは平等ではない

さて、今回のシンポジウムの企画と運営に携わってきて、感じていたことがあります。それは以下の通りです。(この直前の発言から読んでいただくと、この話の流れがわかっていただけると思います。)

世界中で何千というコトバが話されていますが、それらは残念ながら平等ではなく、それぞれの時代・それぞれの世界で普遍的影響力を獲得した普遍言語と、特定地域における生活言語として使われている個別言語の間にヒエラルキーがあります。それゆえに、どの時代・どの地域でも母語と呼ばれるものは、単なる個別言語の層だけからなるものではなくて、より広域的な世界に参画するための前提条件として、普遍言語の語彙を独自的・戦略的に個別言語は横領 し、その結果として母語と呼ばれるものがつくられていくという筋道があると感じています。

そうした目に見えない言語ヒエラルキー(言語帝国主義とも言えるのか?)については、19世紀以来はいうまでもなく英語・独語・仏語・露語などを頂 点としたヒエラルキーであって、実のところ、僕たちの学問体系はこの言語ヒエラルキーの構造にのっとってつくられてきたものです。だから、もともとヨー ロッパ言語的な発想である記述文法や正書法、国家語といったものがなかったアジアやアフリカ、ラテンアメリカなどを研究する場合、英語・独語・仏語・露語 などによる研究、あるいはそうした言語に裏付けられて作り上げられてきた学問的関心による研究は数多くあっても、現地語による現地語に裏付けられた問題関 心にたった現地の政治・社会・文化に関する研究は少ないのですね。(現地語による一次資料はもちろんありますが。)地域研究という研究分野を考える場合、 それが抱える方法論上の最大の問題点は、まさにこの言語ヒエラルキーから逃れられないという点にあると感じています。

西洋史学のようにヨーロッパを対象とした研究をしているとなかなか見えてこないことだけれども、僕たちはこうした言語ヒエラルキーのなかにあるとい う点では、どんなに格好の良いお題目を唱えて価値相対主義的にポスト・モダンを気取ってみても、近代主義の呪縛からは逃れられていないんだな。

これが、今回のシンポジウムを通じて、僕が感じていることです。

スウェーデンとデンマークの間

スウェーデン出張から帰ってきて突っ走り続けています。昨日は国際シンポジウムが終わりましたが、ヘトヘトです。まずは東京や北海道など、遠方より足を運んでいただいた研究者のみなさん!みなさんの報告、質疑応答、興味深いものを頂きありがとうございました。今回、僕も報告もしましたが、みなさん、Keynoteで作成した美麗なプレゼンテーションをお楽しみ頂けましたか?

ロスキレ条約350周年じゃないけれど、僕は、「スウェーデンとデンマークの間」というテーマで、言語や宗教や歴史的記憶が似通っている二つの国家がなぜ一度とたりとして一つの国家に統合されたことがないのかを報告しました。格好良く言えば、二者の異化作用を促す背景は何かというテーマです。二者の相違を検証する際にその視座を二者間(自己と他者)という比較においてしまうと、「アイツとは宗教が違う、言語が違う」といった二項対立的比較しかできませんよね。だから、その視座にたってしまうと、スウェーデンとデンマークの異化を論じることはできません。そこで、僕としては、以下のような筋立てで論を組み立てました。

(1)まずはスウェーデンとデンマークそれぞれの文化的構成・政治的構造を腑分けしてみると、そこで見出される政治的・文化的要素のなかに、スウェーデンとデンマークの双方で共有されている要素があることがわかる。それら両者に共有されている政治的・文化的要素は、大陸ヨーロッパ世界を中心としてバルト海世界までを包含するヨーロッパ文明における普遍言語から横領・摂取された語彙である。(ここでいう言語や語彙は、論理や理念と言っても良い。)

(2)諸国家間と政治的・経済的・文化的競争を繰り広げるためには、大陸ヨーロッパ世界を中心としてバルト海世界にまで拡がるヨーロッパという舞台にスウェーデンやデンマークが参画する必要がある。ヨーロッパへの参画の際には、ヨーロッパ文明の参画者としてヨーロッパ文明で共有されている文化的コードを共有することが必要であり、それゆえに普遍言語の横領・摂取が行われてきた。

(3)普遍言語の横領・接収により個別言語によるスウェーデンとデンマークの政治・文化的構造は強化されるが、この個別言語による政治・文化構造の確立過程が両者の異化をもたらす。スウェーデンとデンマークが競争に参画しようとするヨーロッパ世界(あるいはその周縁であるバルト海世界)の政治力学上におけるデンマークとスウェーデンの立ち位置の違いによって、個別言語への普遍言語の横領をめぐる戦略は異なるものになる。それゆえ、ここにスウェーデンとデンマークの政治的・文化的構造の差異が生まれる。

以上の論旨を、12世紀のルンド大司教座の設置と分裂、15〜16世紀のカルマル連合の成立と分裂、19世紀のスカンディナヴィア主義の勃興と挫折などを事例に論じました。ローマ・カトリックや福音主義ルター派の宗教的語彙、歪曲された古典文明や市民社会の政治的語彙など、ことの詳細はここでは省略しますが、以上が僕の主張の骨子です。今回は、言語と自文化創生というテーマでしたから、このような話になりました。

2008年3月19日 (水)

学会道具考

国際シンポジウム『コトバの力学』が終わったところですが、最近の学会に参加すると思うのは、なんだかパソコンの品評会みたいになっているということ。配付資料は、今はネットワーク上にあるPDF配布が主流になっていますしね。一時期は一部の国際学会ではCD-ROMでの事前配布もあったけど、CD-ROMのようなメディアによる配布はもう完全に古い。学会会場の選定条件の一つはやはりネットワークへの接続性に置かれるべきであって、ネットワーク上のストレージに常に接続できる状態にしておいて、学会参加者はそれに自由にアクセスできるようにする…もちろん、学会中の情報検索と参照手段としてもネットワークは大切ですし。このように考えると、DVD/CDドライブのようなものが内蔵されているラップトップはいらなくなるわけで、なるほど最近話題のeeePCのような格安ラップトップで十分なわけです。

今回のシンポジウムでも、いろいろな人がもちこんでいる最新のラップトップには驚かされました。最近のVaioの液晶画面の薄さやLet's Noteの小ささって、すごいですね。でも、Windows VistaっていうOSは、本当に動作が重たい。データの移行だけで、数分も待たされたりで、頭抱えましたよ。やはりその点、まだまだXPですね。ラップトップ本体が薄型軽量なだけに、中味が重たいVistaでは残念です。液晶15インチ越えのフルスペックなラップトップを持参していたのは、たぶん僕くらい。しかもMacBook Proだし、重い。でも、実際にプレゼンテーションするには、無粋なPowerPointではなく、Keynoteで表現できる効果を求めたから、それはそれで仕方がないですね。それにApple Remoteでリモートコントロールできますし。けれどMacBookやProの場合、アナログの15ピンD-Subケーブルの端子をもっていないので、プロジェクタに接続する際には必ずアダプタをかませなければならないのは不便です。

ところで、僕は、僕が学会で最初に報告した福岡大学での日本西洋史学会とのき以来(…あのときは僕はドコモユーザで、P205っていうのを使っていました…あの頃はiモードなんてなかったな…)、報告の際には携帯電話をタイマーとして使うことが多いです。国際シンポジウムのほうですが、0円で替えたばかりのInfobar2のバイブレーション機能、これがあまりにも高音・高速で、報告中頻繁に届くメールの着信でこのバイブレータがうるさいくらい…実にまいりました。設定を弱くする必要がありますね。さてさて、携帯電話の進化を見ていると、やがて学会へはパソコンも持参せずに、携帯電話で配付資料を閲覧しながら、プレゼンテーション・ファイルの操作も携帯電話で行う(…実のところ、千葉大学での日本西洋史学会のときにはノキアの702NKですでにそのどちらも実現していたのですが…)ようになるのでしょうか。少なくとも今のauの端末は、この点、学会での使用には不向きです。

2008年3月18日 (火)

なぜスウェーデンの子供たちは土曜日にだけお菓子が与えられるのか?

今日、明日と所属先の世界言語研究センター主宰の国際シンポジウム『コトバの力学〜他者表象としての外国語』です。いまだにストックホルム時間な体内時計を良いことに、シンポジウム報告の準備やいくつかの原稿を書いています。はぁっ…と、ここで気分転換にひとつ。

ことの発端はストックホルムに先日滞在していたときに、大阪に残っていた妻とSkypeで会話をしていたら、「子供のおみやげに土曜日にお菓子を買うなんて、まさにlördagsgodisを地でいっていて通だね。」と妻に言われたことにあります。スウェーデンでは、親は子供たちに土曜日にだけお菓子を買い与える習慣があります。これをlördagsgodis(土曜日のお菓子)と言います。そのときには何気なく、まぁ、確かに町中のスーパーでも、お菓子やさんでも土曜日になるとlördagsgodisむけのお菓子が売られているよな…と思うくらいでした。で、「何で、土曜日だけなんだろう?」という疑問は残りましたが…。

この週末の土曜日に予定している非公開の講演の準備(…いろいろな仕事を同時進行マルチタスクしています…)で調べ物をしていたら、とある文献で何気にlördagsgodisという習慣の起源について書かれているものを目にしました。曰く、確かにこの習慣は子供の虫歯予防という目的があるのだけれども…それはヴィーペホルム実験の結果である…と。ヴィーペホルム実験?これ歯学の世界では有名な実験らしいのですが、1945年から55年にかけて、ルンドにあるヴィーペホルム精神病院に収容されていた患者400人以上を対象にして行われた人体実験だったのだそうです。実験内容は、患者を数グループ(普通の食事を採らせるグループ、食事と間食を与えるグループ(このグループは、キャンディーやチョコレートなど、間食させられたものの内容に応じてさらに細分化されます)、そしてなかには毎日キャンディーだけを与えられたグループ)にわけ数年間の長期間にわたって摂食させ、糖質と虫歯の相関関係を明らかにしたのだそうです。(僕だけが知らなかった話ですか?誰からも聞いたことがない話です。)

で、この実験の内容が知られた結果、スウェーデンでは過度なお菓子の買い与えを控えるになったそうな…。って、今の倫理感から言ったら絶対に認められない実験ですが、lördagsgodisという一見ほほえましスウェーデンの習慣の背景には…なんていうのかな、オーウェルの『1984年』的世界の究極を言っていた一時代のスウェーデン福祉国家の側面をここにも見出して…絶句。ドイツは第二次世界大戦の敗北とナチス的思想の断絶によって(東ドイツはわからんが)、こうした「健全なる血統」を残そうとする優生学的発想は断たれたかもしれない(…断たれていなかったら教えてください、門外漢なもので…)のですが、スウェーデンは1945年はまったく断絶を意味しないので19世紀後半以来の発想がそのまま純粋培養されて20世紀後半まで残ったところがあり、精神病患者や先天的障害者などに対する非人道的扱い(優生学的発想ではスウェーデン民族の「健全なる血統」を守るという意味では「人道」的だったかもしれませんが)の事例が散見されます。ひょっとしたら、スウェーデンにおける福祉国家の一時的な成功も、こうした負の側面からとらえなおしてみる必要があるかもしれませんね。

って、この調子で現代スウェーデンにおけるこうした話を集めていったら、『本当は怖いスウェーデン』とかいうタイトルの本が書けそう…なのが怖い。というか…そろそろシンポジウムの報告草稿を仕上げないと与太話になりそうなのが怖い…ので、今回の話はこのあたりにしたいと思います。ブルブルっ…。

2008年3月17日 (月)

衝動買い…というか衝動替え

やってしまいました…衝動買い、というか今のところ費用は全く発生していないので…つまり0円なので、衝動替えと言うべきなのでしょうが。ケータイ…替えちゃいました。

いえね…ストックホルムから帰ってきてみたら千里中央に大きな某家電量販店(階上にはレストラン街あり)ができたっていうんで、昨日家族ででかけたんですよ。最近はMacばかりでそこはApple Store以外は関係ないし、デジカメもセンスがないと言われる自分には宝の持ち腐れっぽいし…なんだか、家電量販店っていっても白物家電くらいしか興味は沸かなかったんですよね。そしたら、見事にはまってしまいましたよ…携帯電話に。

(一言、あのお店に意見したいのは、携帯電話の陳列方法。たぶん、何も携帯電話について知識をもたない人むけに、機能別だとか、メーカー別だとかで陳列を工夫してくれているのは、まぁ、その努力は認めるけれども、逆に携帯電話について情報をもっていてピンポイントで目的の携帯電話を探そうとするとそこに行き着けない…少なくとも、僕はね。でも、機種交換の応対をしてくれたお兄さんは、テキパキと仕事をこなして無駄がなく的確だったなぁ。)

いえですね…去年の1月にキャリアをauに替えてから十数ヶ月たっていて機種交換でもだいぶ安く買えることにはなっていたのですよ。そしたら、なんだか最近の購入制度では、auの場合、機種交換価格は7ヶ月以上でOKらしくて、いわゆる「契約2年しばり」のフルサポートっていうコースならば、型落ちの一部のモデルならば価格0円で交換できるっていうもんだから…。(契約解除料にはポイントを流用することもできるっていうしね。)

いえですね…つまり、ストックホルムで心機一転して新たな気持ちで新年度を迎える…と申しましょうか…ほら、新学期もはじまるしさぁ…って、説得力がないのですが。まがり間違ってもauからiPhoneはでないだろうし、どうせauはiPhoneがでるまでのつなぎならば、今のうちに機種交換しちゃおうってノリです…だって0円ですから。

っていうわけで、昨年の年末に鳴り物入りで登場したInfobar 2。僕はこれまでMedia Skinを使っていたので…またまたau design projectのデザイン・コンシャスにはしっちゃって…というか、auの術中にはまってしまってすみません。(adpのあるところ、auを認めます。)機能面など全く気にせず、「やっぱ見てくれだよな、見てくれ…どうせ0円。」という感じで決めちゃいました。

これまでがちっさなMedia Skinだっただけに、Infobar 2の広い2.6インチ液晶と大きなボタンは、実に快適だな。携帯電話って、こんなに使いやすかったんだね。それとInfobar 2は、フルスペックな携帯電話だったのですね。ワンセグも、非接触ICも、機能的に妥協がない。それとオートフォーカスなカメラ機能。もとはサンヨー製らしいのですが、スキャナ機能や文字を認識して辞書を引く機能なんてのもついていたりする。表面がつるつるしていて、落としそうになるのが怖いですけれど。(もちろん海外での使用など、微塵も考えていません。)

妻に言わせればボタンの文字が大きくて、「老人むけ携帯電話みたい。」ってことですが、まぁ、いいじゃないですか、0円だったんですから。(しかしまぁ、思えば、このブログをはじめた頃は、やれ、「これからはスマートフォンだ!」みたいなことで息巻いていたけれど、結局、Googleのサービスが使えれば普通のケータイだけで全く問題がなくって、今じゃ、すっかり普通人になりました。どうせ、ここは日本だし、日本で生活している以上は、日本の規格が適してるわけですね。)

2008年3月15日 (土)

帰ってきました

帰ってきました。帰国後、17時間以上。泥のように眠りました。およそ24時間ぶりくらいにメールを開けたら…現実生活が待っていました。取り急ぎ、MacBook Proのメモリを4GBに増設し(…ここ数週間のメモリ価格の暴落はすごいですね…円高も対米ドルでは進んでたんですね…)、再び籠もります。発言滞ります。このブログを更新するとアクセス数が正直に跳ね上がるので、「あぁ、みなさん、読んでくれているんだな…」と思うと、すみません。僕の本業は北欧史の研究者ですから、そのアウトプット作業に集中します。

取り急ぎ、18日と19日は阪大世界言語研究センター主宰の国際シンポジウム『他者表象としての「外国語」』の2日目の小シンポジウムで話します。宗教も、言語も、精神も…なんだかとても似通っている…ように見えるデンマークとスウェーデンがなぜ統合の歴史的事実がないのか?「デンマークとスウェーデンの間〜バルト海世界の政治力学と北欧諸国の自文化形成」というテーマ。22日はソレラの会で話します(これはクローズドです)。

2008年3月12日 (水)

これから帰ります…

ウップサーラから戻ってきました。ウップサーラにゆっくりと滞在したのは7年ぶりくらい。雨交じりだったけれども、今は大ルードベックやリンネの事績を踏まえているので、地図など見なくても足取りは軽かった。ウップサーラでは、最近ウップサーラ大学歴史学部で博士号ととった学位論文をいくつか目を通したのですが、もう衝撃的。1990年代の10年間よりも、2000年代に入ってからのほうが、僕の関心を刺激する研究が多くなっている…気がする。まぁ、「スウェーデン」性に懐疑的になる時代精神を彼らも僕も共有しているわけで、あれも、これも問題関心の通じるところがあるのは当たり前だよね。う〜ん、う〜んと唸る研究ばかり。問題関心の設定の仕方はこちらもすぐに理解できますが、史料の扱い方は目から鱗が落ちるものばかりです。大学行政が忙しいなどと弱音を吐いてウダウダしている場合ではありませんね。

(一言言えるのは、前々から直感していたのだけれども、もはや「大国の時代」だとか、「自由の時代」とかいう、スウェーデン史の時代区分が過去の遺物になっていること。当たり前だよね、国民主義的なスウェーデン史が崩壊した現在なのだから、それはロスキレ条約350周年をめぐる議論をみても一目瞭然のように、「大国」っていったってそれはスウェーデンだけの話ではない。冷静に考えてみても、スウェーデン軍が圧倒的優位だったのは、1630年代前半と50年代後半の合計10年弱ぐらいの期間でしかないのに…なんで、スウェーデンが「大国」だとか、「軍事的覇権を築いた」とか言えるんだ?それこそ、「大国の時代」という神話に踊らされてきたんだ、僕たちは。今や、「複合国家」論を前提として、その統合軸として古代性に依拠したスウェーデン性の模索といったものが当然の研究動向の流れになってきたし、軍事面の研究だって、もはや「大国の時代」というスウェーデンにとって異常だった「お祭り騒ぎ」みたいな時代より、それが終わった後の平常時における研究が主流になっている。)

晴耕雨読な研究滞在も今日でおしまい。これから帰ります。帰りも乗り継ぎが悪くて、フランクフルトで足止めくって、足かけ24時間の長旅になります。文書館の収蔵状況も、最新の研究動向も、追いかけることで精一杯でしたが、自分の問題が明らかになったということでは良い滞在。問題山積だけれども。これだけ長文のブログが書けるくらい、復活しています。って、ふと我に返ると、確か…来週あたり、なんか国際シンポジウムで報告があったような?もうお金がないので、フランクフルト観光はあきらめ、空港で仕事します。もう…頭抱えるよ。

2008年3月10日 (月)

伝えるべきこと…ロスキレ条約締結350周年

どうも、最近このブログでどうでもいいことばかり書き連ねてしまった気がします。が…今回のストックホルム滞在に際して、どうしても書いておくべきこと、伝えておくべきこととして、ここに1658年2月26日にデンマークのロスキレで締結されたロスキレ条約から、「北欧」はちょうど350年にあたる日を迎えたということを書いておくべきでしょう。王国文書館でもロスキレ条約350周年を記念して外交文書の画像処理が済んで公開されていますし、こちらのメディアでもルンド大学の友人たちの発言がとりあげられていますし。

ロスキレ条約は、1658年2月26日にデンマークとスウェーデンの間で結ばれた条約です。これによってスコーネ、ブレーキンゲ、ハッランドという三つの地域がデンマークからスウェーデンに帰属がかわることになりました。これら三つの地域がスウェーデン領となることでスウェーデンの領土はスカンディナヴィア半島南端にまで拡大し、スウェーデンとデンマークとの間の境界は現在のようにウーレスンド海峡に引かれることになりました。我が国ではほとんど知られることのない条約ですが、近代的な領域国家の概念で考えるならば、北欧における諸国家間の一つの境界線がこれによって確定されることになったという意味で、北欧史では重要な条約であり、この2月末に締結350周年を迎えたということになります。

この条約締結後のスコーネ地方のスウェーデンへの併合による国家編成の問題は、近年の近世北欧史研究の一つのトピックとされてきました。従来、この条約がスコーネ地方に与えた結果は、後世の歴史家が「スウェーデン化」として呼んだ方法概念に従って理解されてきました。「スウェーデン化」という概念は、長らくデンマーク統治下にありつつも独自の地方文化を育んできたスコーネ、ブレーキンゲ、ハッランドはスウェーデン併合後、一つのスコーネ州としてスウェーデン中央から派遣されたスコーネ総督によって統治される地域となり、政策・言語などの面で急速な「スウェーデン」化が図られ、その結果として中央集権的な「スウェーデン」統合が完成されたという考え方です。この概念は20世紀以降、国民主義的な見地に立つデンマーク、スウェーデン双方の歴史家によって共有され、広く世論に普及した結果、現在にもな生きる二つの神話をもたらしたといえます。一つは、スコーネ総督府の政策はスコーネ住民に対して慎重にしてかつ巧妙なものであったために、急速な「スウェーデン」統合を可能にしたのだという神話。もう一つは、スコーネ住民のなかには本来反「スウェーデン」的な感情を強く抱いた者がおり、彼らは1670年代に起きたスコーネ戦争でデンマークに与する義兵としてスウェーデン軍と戦ったものの、スウェーデン軍による苛烈な追討の結果、悲劇的な結末を迎え完全に掃討されたのだという神話です。後者は、現在でもなおスコーネ地方の政治的自立を主張する右翼集団によって繰り返し主張される「物語」であり、2006年にはこの「物語」に従って「Snapphanar(追いはぎたち)」というテレビ・ドキュメントが作成されたほどです。

しかしながら近年の北欧史研究では、こうした「スウェーデン化」概念が国民主義的な見地に立ってつくりあげられた解釈であり、近世バルト海世界の実態に即した理解ではないとする研究が主流となっています。国民主義的な解釈に立つスコーネ研究の嚆矢となったK.ファブリシュースは、スコーネ問題を南ユランの国境線問題の参照系として論じました。すなわちファブリシュースは、1920年の住民投票の結果、デンマークに帰属することになった北スレースヴィの住民がいかに「デンマーク化」されるべきかという問題関心を背景としつつ、4巻本からなる浩瀚な『スコーネの国替(Skaanes Overgang)』(1906–58)を表してスコーネ総督府の「スウェーデン化」政策を論じたのです。彼は、ロスキレ条約によってウーレスンド海峡に「鉄のカーテン」がひかれた後、スウェーデン語による言語政策、スウェーデン教会に従う教会政策、ルンド大学の設置に代表される教育政策、騎兵義務の強制に代表される軍事政策などがスコーネで実施され、スコーネの「デンマーク」住民は「スウェーデン」住民にさせられたと論じました。彼の示した「スウェーデン化」論はおおよそ20世紀のスウェーデン、デンマーク双方の歴史家によって共有される見方となりました。

はたして17世紀半ばから後半の時代にあって、スコーネに生きた民は自らが「デンマーク」人であるとか、「スウェーデン」人であるとかいった意識をもっていたのでしょうか?近年のルンド大学を中心とした歴史学研究では、17世紀半ばから後半のスコーネに生きた人々の行動の実態が具に検討されています。それらの成果によると、従来の「スウェーデン」化論が論じてきたような「デンマーク」か「スウェーデン」といった「国民」性を前提とした行動はほとんど見られないため、従来の「スウェーデン」化論は国民主義的な神話に基づく歴史解釈だったという結論が導き出されています。例えば、スウェーデンへのスコーネ併合後、デンマークの馬市場に関係をもっていたスコーネの住民たち自らが総督府にスウェーデン中央への馬の交易を主張していたとか。スコーネ戦争における「追い剥ぎ」掃討を逃れてスコーネ住民の3割〜4割はデンマークなどに逃亡したといわれていますが、実のところスコーネ戦争後はそうした住民もすみやかにスコーネへ復帰したたとか。最近は、従来スコーネ地方の文化面における「スウェーデン」化の先兵として考えられていたルンド大学の創設さえ、スコーネ地方の優位性を保証するために、リンシェーピングやユーテボリに先んじてスコーネ住民自らが大学設置を王国議会で主張したとか。このような研究成果は、17世紀半ばから後半におけるスコーネ住民にとって、自らが「デンマーク」であるか、「スウェーデン」人であるかということなどよりも(おそらくそうした意識は希薄であるか、この時期には全くなかったといえるのですが)、スウェーデン中央の国家権力とスコーネ住民の利害関係が共通するところで行動をともにしようとしたという結論を導き出します。これをスウェーデン中央の国家権力の視点から見れば、スコーネ総督府の政策は中央集権的な「スウェーデン」化を推し進めるというよりは、スコーネ住民の利害をくみ取ることで新たな統合者への忠誠を生み出すことに主眼が置かれたということになります。このような事例を土台としながら、近世のスウェーデン国家を解釈する方法概念として、国民主義的なナショナリティを前提としない(このブログでは何度か言及している)「複合国家」論が整理されているわけです。

こうした議論が、冷戦崩壊後、移民の増加やヨーロッパ統合といった北欧をめぐる新たな状況を背景としながら、従来の国民主義的なスウェーデン・ナショナリティの動揺に直面する歴史学界でなされた一方で、冷戦崩壊後のリージョナリズムの勃興に刺激される形で右翼ポピュリズムに訴えるスコーネ主義の台頭もあったことを指摘しなければなりません。スコーネ主義者による主張の基盤は、19世紀以降の国民主義の台頭によって強化されたスウェーデン・ナショナリティへの反駁にあります。今回のロスキレ条約350周年にあたっては、ルンド大学の研究者たちが現在の歴史学研究の最前線から「スウェーデン化」は神話であったと論ずる一方で、右翼的なスコーネ主義者はすぐさま19世紀から20世紀半ばにかけて活躍した歴史家の研究を根拠として反駁を行っています。彼らにしてみれば現在の歴史学研究の成果によって「スウェーデン」化という神話が葬り去られてしまうと、自らの主張の基盤である「虐げられたスコーネ」という主張を行う論拠を失ってしまうわけで、片や論理的にそれを導き出しているルンド大学の歴史学研究者たちの論陣たるや堂々たるものです。(「複合国家」論を10年前に提唱したハラルドなどは、今回の350周年にあたって、「ファブリシュースが言及した「鉄のカーテン」はもはや錆びついている。」とまで言っています。念のため言っておきますが、ファブリシュースはスコーネ主義者によっても言及されますが、決してスコーネ主義を唱えていたわけではないので誤解のないように。19世紀から20世紀後半にあっては実証主義的な歴史学者もまた国民主義的な時代精神を当然のごとく前提としていたというだけです。)こうした2008年のロスキレ条約350周年をめぐる議論を見ていると、「なるほど歴史学研究とは、こうした戦略にたって現実の社会に対して変革を促す力をもっている学問であり、生気みなぎる学問であるのだな。」と思わせてくれます。

2008年3月 9日 (日)

持つべきもの…

知識に裏付けられた経験と経験に裏付けられた知識に適うものはないわけですが、後学のために今回の研究滞在のためにスウェーデンへ持ち込んだハードウェアのメモ書き…最近お気に入りのベイ・シューを聞きながら。

ラップトップ、デジタルカメラ、携帯電話、以上。

(電子辞書がわりのPDAは重い「お守り」にしかならないのでもうもってくるのはやめようと思う。iPodは飛行機のなかで使えることは使えるのだけれども、町中を歩いたり、空港で時間をつぶすときには、意外と「耳から入ってくる情報」に頼って動いているので、あまりお薦めできません。ストックホルムっ子をきどってiPod聞きながら、目的の駅を乗り過ごすなんてことのないように!)これら三種はいずれもACアダプタが240Vまで対応しているもので、結果的にCタイプのプラグだけ持参。(可変タイプのものが最近は一般的だね。)

携帯電話は、今回出発前にTelia社のプリペイドSIMカードを国内で発注していたのだけれども、納入が間に合わず結局auの国際ローミングサービスを使い、Nokiaの端末を借りています。(みなさん、買おうと思えば、日本国内でもTeliaのSIMカードは買えるんですよ!)docomoの905i以降や、softbankの端末なら、代替機を借りなくてもそのまま使えるようになってきましたね。それに、ヨーロッパを往復する飛行機会社によっては、そのサービスのなかにヨーロッパでの携帯電話を貸し出してくれるところもある。(もちろん通話料は別料金だけど。)ただしこうした国際ローミングサービスでは、auでも、docomoでも、softbankでも電話番号がかわらない利点はあるけれども、受信も着信も料金が高い。(だから、今、僕の携帯電話に電話かけないでね。)

本来ならば…本来ならば!SIMロックが解除されたNokiaの端末(うちにはなぜかそれが二つある)あるいは格安で売られているSIMロックフリーな端末(…通話だけの目的ならばGSMの2バンド帯域用のものが日本国内でも1万円以下で買えます…)をあらかじめ用意しておいて、スウェーデンのキャリア会社のプリペイドSIMカードを別途購入し、スウェーデンに着いたらスーパーなどでポイントを購入すれば、通話料は国際ローミングに比べれば格段に安く収まります。ただし、この場合には携帯電話の番号は、日本で使っているものとは変わってしまいます。料金の安さをとるか、電話番号の共通性をとるか…懐具合とか、滞在日数によって決まるのかな。

デジタルカメラは、メモをとる用途、コピーをとる用途ということでは、10年前も、今もかわらりません。むしろ今はコンパクトなデジカメでも手ぶれ防止機能が強化され、液晶モニターも大型化されたから、メモをとる用途なら十分すぎるように思います。僕はここ3年くらいカシオのEX-S600を使い続けていますが、もともと僕は写真を撮るセンスもないので、これで十分だなぁ。風景写真などを撮ることは一切考えず、メモをとる用途だけで良いというならば、スパイ道具ではないけれど可搬性がよいものが良い。そうそう、僕がカシオのEXLIMのSシリーズを選んでいるのは、文書撮影機能が強いということもあるのだけれども、動画撮影にも力を発揮してくれるということもある。重たいビデオカメラのかわりってわけです。

ラップトップは、言うまでもないですね。ストックホルムの町中には意外と公衆無線LANも張り巡らされてるから、カフェなんかでもネットができる…かもしれない(やってないのでわかりません。)飛行場では、絶対に無線LAN。だから、無線LAN機能が搭載されていることが必須。今回滞在しているホテルは本当に設備がよかったけど、有線LANだけなんだなぁ。スウェーデンは比較的ネット環境が良い方だけれども、安い宿とかはどうだろうか?予約のたびに、確認が必要ですね。僕の場合は、自炊・洗濯ができるところという条件で真っ先に宿を選びますから、そういうところではネット環境も整備されているところも多い。その場合でも有線が一般的だから、LANケーブル(巻き取りリールのあるもの!)は必需品。(今にして思えば、無線LANが普及していたアイスランドは、すごいネット先進国だったということになるね。)僕は本当ならベッドに横になりながらもラップトップを使いたいのですが、そんなずぼらな人ならば有線LAN端子につなげて無線LANのアクセスポートをつくるAirMac Expressは、これからの必需品になりますね。

今回は重たかったけど15インチワイドなMacBook Proを持参して正解だったかな。これだけPDFをはじめ、画像処理された文献・資料が多くなってくると、それをモニタで眺めながら辞書を引き、ネットを引き、メモをとることが同時に必要になってくる。もし狭い画面のラップトップだったなら、いちいちアプリケーションを切替える必要があったけれど、15インチワイドくらいだとさすがに一つの画面で切り替える必要もなく作業がシームレスにできる。軽さをとって軽量のサブノートにするか、作業効率をとってフルスペックなラップトップにするか…悩ましい選択だけれども、滞在目的を考えれば今回は後者の選択で吉だったな。(とはいえ、僕はPDFとかをサクサク使えるサブノートなど一台も持っていないので…東芝とか、SonyとかのWindowsマシンはそういうところはうらやましいですね。)

こんな発言でもなんらかの参考になればありがたいです。

認めたくないもの…

今日のストックホルムの天気は雨です。よかった、これで外出しない理由ができた。週末は、洗濯をしたり、買い物をしたりしています。(洗濯機とりわけ乾燥機の性能は、文書館のアクセス方法と同じように最近向上しているのかな?一時間もかからず、縮まないでフワフワに乾いてしまった。それと最近は日本食が本当に定着したのかな…ICAのようなどこにでもある大手スーパーチェーンで日本蕎麦が売られるようになっているし、調味料も豊富だ。)週末の気分転換に怪しいものを二点、ここでご紹介。

Cimg0511 まずご紹介するのは、スウェーデン人ならおそらく誰でも好きであろうKalles kavierの…バナナ味!スウェーデンではキャビアはチョウザメの卵ではなくて、タラの卵つまりタラコのことを言います。Kallesのオリジナルは、タラコをクリームチーズですっぱしょっぱく和えてあって、日本で言えば、タラコのマヨネーズ味ペーストといえば一番想像しやすい代物です。これをクネッケという薄い乾パンや普通のパンに塗って、そのうえにトマトやキュウリや卵の載せて食べます。オリジナルは日本人の味覚にもよくあい、留学時代にはこれでスパゲッティを和え、タラコマヨネーズスパゲッティもどきをよくつくってました。しかし…今回発見したのは、それのバナナ味。Randigaというのは「しましまストライプ」っていう意味でしょうが、そうなるとタラコとバナナのストライプ?全くわけがわかりません。写真をよくご覧下さい。Kalle少年もなぜかバナナから頭を出しているし…大丈夫か、お前?内容物も確認しました。タラコが40%、バナナペーストが17%、ちゃんと含まれてます!驚愕の一品ですが、これはここでは開封しません。感想は後ほど…こうご期待。

Cimg0512 次ぎにお見せするのは、スウェーデン独自の発酵乳であるフィルの…緑茶味!フィルというのは、言うなればブルガリアで言うところのヨーグルトみたいなものであって、発酵にかかわっている菌がブルガリアとスウェーデンでは違うらしいので、厳密にはフィルと言わねばならないらしい。で、ストックホルム周辺の乳製品製造組合は、以前からONAKAというブランドのフィルを作っていました。ONAKAはかつては「日本のフィル」というふれこみで売られていて、一部コアなスウェーデン・マニアの間でも噂の一品でした。今売られているONAKAのパッケージには、さすがに「日本のフィル」と堂々と謳われることはなくなりましたが、それでも日本にインスパイアされたとかで、おなかにやさしいという意味でしょうか…「穏」という一文字が書かれていたり、芸者ガールが描かれていたりします。で…今回遭遇したのはそのONAKAの緑茶味!我が目を疑いましたが、これは試す必要があるだろうと妙な使命感を燃やして、購入してみました。なにやら読めば、「日本の茶道にインスパイアされた」だとか、「茶は健康に良い」とか、描かれています。う〜ん、茶道で頂くのは抹茶ですが、そんなのここではお構いなしです。肝心の味なのですが…これがとっても飲みやすい!正直に言いましょう…これはおいしいです。爽やかな酸味とほのかな甘みがうまく混じっています…あまり酸味がどぎつくない。なぜ?内容物を確認してみると、オリジナルにはないものが含まれています。緑茶抽出成分はもちろんですが、蜂蜜が含まれている!どおりで飲みやすいわけです。ヨーグルトが苦手な方にも、一度ためしてもらいたい一品です。

認めたくないものだなぁ…こうしたスウェーデンの感覚とやらを。

2008年3月 8日 (土)

メーラレン湖のほとりにて(裏バージョン)

表があれば裏がある!(ふふふ…実のところ、今回の滞在記は某所のブログでアップしています。僕という人間をプロファイリングしてその裏ブログを見つけてくれたら、一杯おごります。)さきほどオフィスにもっどってきました。金曜日の夕方ということでストックホルムの地下鉄も軽いラッシュアワー。そうそう、ここはスウェーデン…ということでお酒が自由に買える国ではないので、思い立って週末に飲む分のクラス3のビールを買ってきたところ。週末夕方のシステムボラーゲットはたくさんの人でごったがえし…レジの行列では、「これから、この人はパーティーかな」とかいろいろ想像しつつ…いやぁ、なんていうのかそんなスウェーデンの人たちに乾杯

独身で自炊生活するのは久しぶりのこと。ここぞとばかりに、大好物のスウェーデン料理であるピッティパンナ(もとは残飯を賽の目状に刻んでフライパンで炒めた料理です)や赤ビーツの漬け物などをそこらのスーパーで大量に買い込んでは作っています。よせばいいのに中央のドロットニングガータンあたりの繁華街まででて、日本で言えば銀座三越みたいなデパートの地下のスーパーなんかで買い込んだり。(フィルというスウェーデン独自の発酵乳があるのですが、ストックホルムのフィルというと「日本のフィル」との触れ込みでかつて売られていたONAKAというフィルがあって、今回はそれも買い込みました。飲みたかったんだよね〜というか、僕の見間違いでなければ、緑茶風味のフィルがあったような?!)

自炊生活をして数日、実際に生活に必要なことでスウェーデンの人たちと接触するのは、実に心地よい。ストックホルムは都会とはいえ適切な都市の規模だからかな。文書館や図書館の使いやすさは言うまでもありません。今回、移動はストックホルム・カードを使った公共交通網と徒歩ですませていますが、インフラがしっかり整備されていることとスウェーデン語で会話するなら人当たりもいいから、例えはじめて来る街区であっても、地図無し全く問題ありません。

(僕は、地図だとか辞書だとか、そんなものがあるとなんの裏付けもない安心感だけが先験的に植え付けられてしまい、町そのものを把握することができなくなってしまうという持論があって、世界中どこへ行こうにもいつも地図無しです。ていうかね、歴史の現場がなぜその現場になったのかなんて問題はそれが起きた街区の特性に依拠している場合が多いわけで、その特性がそこ独特の都市環境に応じたものならば、そんなものは地図をいくら見ていても何も見えてこない。だから…「歩け、そして感じろ!」…正確には、事前にしっかりと地図を頭にたたき込んでおいて、現地を歩くときには地図を頼るなってことですが。)

本来僕はスウェーデンには何の思い入れもなかったはずなのだけれども、「あぁ、こんなところで人生をやりなおせたら…」などと思ってしまうのは…いけないことかな。小田中さんのブログで、近々フランスへ行かれることが書かれていて、そこに「命の洗濯」と書かれていたけれど、なんとなく「命の洗濯」の意味が実感できています。今回は現金を一切もたずの生活を送っているけれど、言葉と知識と直感があれば、地図や電子辞書などもたずに十分に歩き回ることができ、ここが外国とはとても思えず、リラックスできています。(そういえば、今回の滞在では、いまだに一人として日本人には会っていない。かつて世界に勇名を馳せた日本人はどこにいっちゃったのだろう?)

問題らしき問題はひとつ。今滞在している部屋は本当に快適で、いかにも今様スウェーデンの一般的なライフスタイルにあわせてつくられています。例えば、洗濯機は地下階にあってそれは事前予約制だとか…こんなことは経験からわかる。これまでで経験が浅かった部分は自炊に関することで、ここにきてコンロの問題。こちらのコンロはどこへいっても電熱線コンロ。従って、微妙な温度調整はできないし、たとえスイッチをオフにしても余熱はしばらく残る。ヘトヘトになって到着した次の日、勇躍僕はパスタをつくったのだけれども、そのことを忘れてしばらく鍋をコンロに置きっぱなしにし、プラスチック製の杓子が溶けて鍋底についてしまった。これは、僕の未熟さからくる失態。

今は便利でSkypeの映像つき通話を使ってこの話をヨーロッパ滞在の経験が長い後輩のKくんに話したら、「古谷さん、そういったコンロの場合、フライパンをずらしておけば低温を維持できて、パスタもパンでつくれますよ。」との助言。早速試してみたら、これがどんぴしゃりで、鍋はなくともフライパン一つで今はご飯をつくっています。もつべきものは、経験に裏付けられた知性をもつ友ですね。ありがとう、Kくん。友と言えば、ここはルンドではないので知り合いが全くおらず、従って週末も一人、集中できます。そうね…本当なら王立オペラで土曜日にはワーグナーの『神々の黄昏』が上演されるっていうんで、北欧神話の国でラグナロックなんてなかなか見られる演目ではないから行きたかったんだけど…チケットはすでに売り切れで…正直残念なんだが、まぁ、これは、「勉強しなさい!」っていうストックホルムの思し召しかとも思ったりして…うん、そんなこんなで、ありがとう、ストックホルム。(こんなに長い文章がかけるくらい、癒されてます。)

2008年3月 7日 (金)

メーラレン湖のほとりにて(表バージョン)

今回のストックホルム滞在も半ばにさしかかりました。こちらは冷気の心地よい晴れた日が続いていて、町中を歩く気分も爽やかです。今回はノルマルム島とクングスホルメン島あたりを歩き回っており、数日にして赤ら顔になってきました。日焼けでしょうか?

王立文書館などに通ってみましたが、結局のところ、新しい研究をはじめようとする場合、まずはそれに関する史料の収蔵先がどこにあるかから情報収集をはじめねばならず、今のところ、データベース化されている史料情報と睨めっこの状態が続いています。恥ずかしい限りですが、これは仕方がないことです。本来ならば日本にいるときにそうした所蔵状況を調べておくべきだったでしょうが、残念ながら大阪ではそのような時間はとれません。ですから、今は史料の所蔵状況を把握する地道な作業に自分の時間を集中できることに幸せを感じています。

スウェーデンにおける文書館のアクセス方法はここ数年で劇的に使いやすくなっており、年間約15000円くらいのエントリ料金を支払えば、ネットを経由して収蔵データを確認して別途コピーも発注できます。教会関連の文書や王国議会の文書、条約など主要な外交文書などはすでに画像処理もなされ、アクセス権さえあればPC上から閲覧・印刷することもできます。

(リンネやその弟子たちの書簡などは王立図書館にもあることはあるけれど、やはりウップサーラ大学図書館に収蔵されているものが多い。来週はウップサーラでさわりを見て、今秋のウップサーラ滞在で本格的に調査する必要があります。)

とはいえ、昨年のリンネ・イヤーの直後ということもあって、リンネとその弟子の業績に関する研究文献は、数多く出版されています。そういう意味では、やりやすい研究テーマでしょうか。たまたまこの時期が、スウェーデンではbok reaという本のバーゲンの時期にあたり、新刊本・古本を含めて収集したものはすでにゴソッと大阪へ送り返しました。今回のようにたった一人の研究目的でのストックホルム滞在は7〜8年ぶりということもあって、昔なじみの古本屋にもじっくりと腰を落ち着けていられます。

昔は国制史や軍事史関連の文献を渉猟していましたが、ここ数年近世スウェーデンの思想史に強い関心をもっていること、またリンネに関心をもちはじめたことで、図書館や古本屋では今までとは違うコーナーに入り浸っています。当然のことですが、スウェーデンではスウェーデン史は国史ですからスウェーデン史のコーナーに目的の文献があるわけではなく、とりわけ思想史や科学史はまったく違った独立したコーナーに並んでおり、そこに並ぶ文献の数々はとても新鮮です。スウェーデンにおける思想史研究・宗教史研究の厚みは、驚くべきものです。

とはいえ、僕が今妄想しているような大国の時代から自由の時代を一貫する近世スウェーデンの政治文化の文脈からリンネとその弟子の業績を検討するような研究は皆無です。近世スウェーデンの政治文化は思想史研究、政治経済学は経済史研究、リンネは科学史・自然史研究といったように研究分野が別れており、これらを総合するような研究はなく、メーラレン湖のほとりを歩きながら「これはいける!」と自信に思う一方で、「野心的すぎるのか?」と不安にも思います。

もちろんこの春以降の大学での仕事のことも忘れてはいません。昨年のスウェーデン史ゼミで試みに史料論を扱ってみて、史料の厳密な読みこみはもちろん大前提なのだけれども、史料を叙述している外国語をただ日本語に機械的に訳すだけではなく、一つ一つの語彙や語法のレベルもそれが書かれた時代やそれを書いた人の背景に迫って意味を紡ぎ出す訓練が必要だと感じました。

例えば、18世紀のスウェーデン語による文章を扱う際、スウェーデン語・英語辞典を見て機械的に英語の意味を知り、その後で機械的に日本語に訳し治し、日本語の文章ができたからといっても、その結果はおそらく無意味です。英語にはOEDがあり、スウェーデン語にはSAOBがあり、それぞれの時代の意味や語法はそれらを使えばなんとか追える。でも、それでもその結果はおそらく不十分です。「祖国」だったら「祖国」という単語が時代・場所・人物によってどのような「戦略」の違いをもって扱われているのか。それを想定しながら読むには同時代の関連する文献を数多く読んで、その語彙のもつイメージに対して直感を得ておかねばなりません。おそらく歴史学教育(…歴史教育ではありません、念のため…)は、そうした歴史的な語彙イメージの助言を学生に与えつつ、単純に機械的に日本語に外国語の文章を訳すだけではない歴史的テキストの扱い方・接し方を学生に訓練する必要があるのでしょう。

そういう意味では、電子辞書にばかり頼って機械的な日本語訳に陥らないよう、言語感覚と時代感覚を鍛える史料論教育は、今後のヨーロッパを対象とした歴史学の展開を考えるうえでとても重要だと思うのです。軍事文書館や王立文書館では、文書館に所蔵されている史料の読み方、意味の取り方、解釈の方法などを論じたテキストブックが用意されています。この春からの僕のスウェーデン史のゼミは手始めにそれを扱おうと思います。学生のみなさんは心して…(笑)、楽しみにしていてください。

(電子辞書って、どうなんだろう?僕は、電子辞書は役に立たないと思っています。ちょっとした意味の確認くらいなら良いのだけれども、それがあたかも言葉の万能ツールのような信頼感を使用者に植え付けているのは、外国語で書かれた史料に向き合う人間としてはむしろ犯罪的ツールにさえ見える。)

今回は一人、MacBook Proだけを抱え、薄氷いまだ漂うメーラレン湖のほとりにてこのようなことをつらつらと思う次第です。(このようにいろいろなことを考えられるくらい、今は余裕ある時間がとれているということです。)

2008年3月 4日 (火)

着の身着のまま…

伊丹を出て25時間…ようやっとストックホルムのホテルに着きました。伊丹→成田→フランクフルト→ストックホルムというコースは、乗り継ぎ時間に難があるのでお薦めしません。目は真っ赤に充血し、ヘトヘトです。そういえば成田のバーでお会いしたスペイン人の言語学者や東海大学のM先生はよいご旅行ができただろうか。業界は狭いですね。スペイン人に僕が北欧史をやってるって話をしていたら、M先生がお隣だったんですもの。他にもどなたかいらしたかもしれませんね、そういうシーズンですものね。飛行場と飛行機は、卒業旅行と思しき若い衆で溢れていました。

さて結局仕事抱えたままなので、いつもと変わらない出張スタイルにMacBook Proだけ携えてストックホルムへ来てしまいました。ただしリンネの伝記だけは分厚いけれど持ち込んだ。機中酒量を控えてむさぼり読みました。(例の『べーオウルフ』をはじめて見たけれど、つまらなくてすぐにやめた。)スウェーデン・クローネをおろしてみたら、100クローネ紙幣に描かれたリンネに見つめられて、ドキッとした。今まで、リンネなんてどうでも良いと思っていたから、それほど気にならなかったんだね。それにしても、円は弱くなった。フランクフルトの空港でも、ストックホルムでも、日本円の感覚で考えちゃうと高くて何も買えない。「僕って、貧乏?」と感じます。

今回はネットやキッチン完備の部屋で完全自炊。文書館など行く以外は、宿に引き籠もって執筆活動に専念します。この宿、今は深夜なのでよくわからないのですが、メーラレン湖を望む部屋らしい。しかも中心街にとても近い…というか王立文書館ならすぐ近所、明日探検してみますが。このホテルは立地条件も良いけれど、部屋も家財道具一式が完備され、しかもこぎれい。10日弱のオフィスにはすばらしい。高橋さん(同僚です)、紹介していただきありがとうございます!

2008年3月 2日 (日)

「リンネの帝国」への旅

明日から13日までストックホルムとウップサーラへ史料調査へでかけます。これは、まさに「リンネの帝国」へ向けての旅です。数名の方から「リンネの帝国」とは何かという質問を受けました。これは僕のモノグラフ整理へむけた構想段階の産物ですが、よい機会なのでこの妄想めいた構想をここに整理しておきます。

(1)博物学者・植物学者として知られているリンネは、17世紀後半からウップサーラ大学に保たれた知的風土から生まれたと言えます。これは、バルト海帝国と通称された近世スウェーデンの統合理念として、ウップサーラ大学のルードベック(リンパ系の発見者としても知られています)によって体系化されたゴート主義の知的風土から出発していると言えます。リンネは若き日に、スカンディナヴィア半島南端のスコーネや北極圏のラップランドへ探査旅行を行いますが、これは北の世界における「スウェーデン」の自然風土の特殊性を博物学的視点から解明するためのものでした。(「北」の世界の特殊性を近世に見るという話はこのブログでも発言しましたし、これまでゴート主義ということで調べていたものです。)


(2)リンネの議論は、大北方戦争敗北後のバルト海帝国再編の時代にあって、「祖国」に動員可能な人的・物的資源を把握するという点から、政治経済学の分野に資する客観的な自然・社会の情報集積という役割を担いました。(「帝国」再編の問題は現在科研で取り組んでいるテーマですが、近々公にされる『歴史的ヨーロッパの政治社会』の後半において、政治経済学における帰属概念の展開を整理しました。)このようにリンネの世界観は、バルト海帝国におけるスウェーデンの特異性を正当化し、18世紀における帝国経営上必要とされた情報を収集すべく総合的に集積された結果だったと僕は考えているのです。

(3)それら経験の総合として完成されたリンネの世界観は、一般的には啓蒙ヨーロッパの思潮を代表するものとして知られ、彼の弟子の活動や彼自身の著述のなかにアメリカや日本も含むことで「世界」を包括しています。リンネの世界観はグローバルな啓蒙という観点から概説されますが、しかしリンネの「グローバル」が意味するところ、それは我々が理解するグローバルとは異なる基準、すなわちバルト海帝国における「ローカル」な論理(ゴート主義や政治経済学)に依拠した「グローバル」な世界把握だったというのが大凡の見通しです。

「リンネの帝国」にむけて、ゴート主義や政治経済学などの個別研究は30代半ばまでに行ってきましたが、北米にむかったカルムや日本を訪れたトゥンベリなどの弟子の活動を踏まえたスウェーデン発の世界観の拡張についてが今後の課題です。リンネの研究は科学史上は知られるものですが、その世界観あるいは彼流のeconomyのあり方を近世スウェーデンに独特な政治文化から読み解く研究はこれまでになく、おそらくそれを行うには17世紀から18世紀を一貫するバルト海帝国の存在を背景に置かねばならぬのであり、ここにきてリンネを研究の統合軸にもってくることで、ようやくマイケル・ロバーツなどとは違う、僕なりのバルト海帝国論を整理できそうな気になってきました。

2008年3月 1日 (土)

文系学生・研究者のお役立ちツール(5)

最近の研究スタイルでは、電子化された史料・資料・論文を蓄積することが一般的になり、どなたもそれらが膨大な量になりつつあることでしょう。みなさんは、例えばPDF化された論文をどのように管理していますか?僕は、Papersで決めうちです。そもそもPDFの操作についてはその軽快さからMacに一日の長があるわけで、それゆえにこのPapersもMacのソフトウェアであることをお断りしておきます。

PDFの管理はEndNoteやiTunesなどでもできるのですが、Papersの便利なところは、PDFの登録の簡単なことは言うまでもありませんが、Google BooksやGoogle Scholar、ProjectMuseといったレポジトリにある情報を検索して、そこにあるPDFがダウンロード可能ならばダイレクトに取り込み、自動的に登録される点はすばらしい。それに、研究者が論文を読みながら地道に勉強する姿に即して、「痒いところ」に手の届いている点。例えば、フルスクリーン表示(Macならとても軽快)にPDFを展開しながら、同じ画面でノートがとれる…。MacOS XがLeopardならばデフォルトの辞書検索機能と連携させて、単語検索も一発でできる…。そして、徐々に蓄積されていく書誌情報はEndNoteにエクスポートできるし、Copy as EndNote Citationも直接ワードに流し込める…。

とにかく便利。これを研究活動で使わない手はないでしょう。もし、これから真剣に研究作業のデジタル化を考えている方がいるならば、Papersをキラーソフトとして考えてMacに移行するのも良いかもしれない…そう思わせるくらい優秀なソフトで、僕はお薦めします。

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