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2007年12月

2007年12月31日 (月)

よい年をお迎えください

というわけで大晦日です。公言していた学術的弁済行為はいまだ果たされておりません。一つは今晩中にでも終わらせたい。二つは三が日中、三つは7日に授業が始まるまでに。逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ…。

正直、2007年は忙しすぎて混乱を極めた一年でした。「年男」だったにもかかわらず、あまりいいめを見なかったな。けれども、何が問題なのかを省察できる機会が与えられた年だったとするならば、貴重な一年だったのかもしれない。

うんうん…愚痴っていても未来は開けませんから、過去の省察をもとに将来を切り開くのだという意味で、よい年だったと結びましょう。多少酔狂めいた発言ですが。伊達と酔狂で生きる?うん、これ来年の目標にしようか。

どうぞみなさん、ニコニコっとよい年をお迎えくださいますよう。

2007年12月25日 (火)

フィンランドは、うまくやってる

仕事柄、クリスマスになるとよく質問されるのは、「北欧になぜサンタクロースがいるの?」ということなのですが、いつもこの時期になると偶像破壊的で夢を壊すような言動ばかりくりかえさざるをえず心苦しい限りですけれど、北欧にはサンタクロースはいません。そもそもフィンランドを含めて北欧は非キリスト教圏でしたし、そもそもクリスマスという語彙さえない地域ですし。いるとすれば、森の妖精というか、農場の守り神みたいなトムテ(ニッセ)なんだけど、それはクリスマスとか、キリスト教とかとは一切関係がない北欧の民間信仰。だいたいサンタクロースのモデルになった聖ニコラウスが小アジアで活躍していた頃、フィンランドは北の最果ての地でキリスト教のキの字も知らなかった。だから、20世紀になってフィンランドはこのサンタの話を利用して、世界のサンタマネーをうまく利用したって言えるよね。

思うに、サンタクロース伝説は、「伝言ゲーム」みたいなもので小アジア→地中海世界→大陸ヨーロッパ→ネーデルラント→大西洋世界→アメリカ(北欧系移民も多いぜ!)といった感じで広まるに従って、話に尾ひれがついて今あるような形になっている。エドガール・モランじゃないけど、うわさ話がどうやって誇大妄想化するのかって過程が興味深く、しかもアメリカだとか、フィンランドだとか、最終的にその話を完成形態にもっていったところが、本来のキリスト教圏の中核ではなく、周縁だったところが興味深い。サンタクロースは学生のみんなにとってはレポートによくある対象なのだけれども、こうした観点から論じてくれないと全く面白くないね。

昨晩あたりはNHKあたりでフィンランドはロバニエミのサンタクロース村というちょっとしたテーマパークの映像が流れてました。けれど、なんだか奇妙奇天烈なのは、本来アメリカで完成されたサンタクロースの話では、まだそれでも北欧神話の雰囲気にことよせようとしていて、オーディーンの駆る8本足の神馬スレイプニールよろしく、サンタクロースは8頭だてのとなかいの橇にのっていて、それぞれのとなかいに名前や性格まできちんと設定されているのだけれども、現在のフィンランド・ロバニエミあたりの本家サンタクロースは1頭立てのとなかいの橇にのっているあたり。21世紀のサンタは、動物愛護の精神にのっとってるのか?それからロバニエミあたりの人たちが着ていた伝統衣装!ありゃ、サーミのでしょう!もともと北の大地に住んでいたサーミを紹介せずして、サンタ、サンタと失礼な。もう一つついでに、NHKもトゥルクの映像を流すのだったら、そこがかつてはオーボと呼ばれて、スウェーデンによるフィンランド支配(あるいはフィンランドのキリスト教化)の拠点であり、スウェーデン系フィンランドの拠点だったことくらい説明してほしい。サンタクロースの話をトゥルクあたりからはじめるあたり、ある意味、そこからフィンランドのキリスト教化が始まったと仮定すれば、正しいといえば正しいといえるのだけれど。

この時期、クリスマスをめぐっては本当に嫌な男になってます。(というか、家族揃ってサンタクロースの番組をみながら、いちいちつっこみを細かく入れてるクリスマスイブの夜って、お前のところが一番へんだ…とつっこみをいれられれば、確かにそのとおり。)

2007年12月18日 (火)

最悪かもね

緊急に大学に出頭。最近、目の調子が悪いです…さらに今日は良いことない!

まず、あろうことか、論文執筆中のMacBookのパームレストが断裂。こんなことってある?あるの?もしあるとしても、なぜ今じゃなきゃいけないの?なぜ?なぜなの?仕方ないので、割れたままで作業しています。次に、あろうことか、学生とエレベーターでぶつかって、某出版社へ緊急に送り返さねばならない初校にコーヒーがぶっかかりました。念のためコピーをとっていましたので、急遽それで対応中。あせってる僕がいけないのです。意気消沈。

2007年12月13日 (木)

誠に申し訳ありません

いろいろな方面から、「今、忙しいらしいね?」と声をかけられます。ときに、「えっ!どうして?」って思われる方面から。どうやらこのブログを読んで暗さっている方々が想像以上に多いらしいのです。ありがとうございます。

さて、すべてのことが終わりません。最近、ブログの更新が滞っているのはそのためです。誠に申し訳ありません。今しばらくは、引きこもって本来あるべき仕事に集中します。

(ん?あるべき仕事というのは、研究?教育?行政?はたしてどれ?引きこもっている結果、すっかり無精ひげも伸びてしまいました。)

人の信用を損ねる日常は今年一杯で打ち切りにします。もう心苦しい不健全な日々は送りたくありません。そのために、今しばらくこのブログのほう、更新が滞ると思います。

2007年12月 8日 (土)

引きこもる週末

研究会で上京の予定も、神戸で旧友に会う予定もすべてキャンセル。引きこもって、書きまくっています。目が乾いて、視界が霞んで、書き損じが多いな。でも、待ったなし。

二つのスウェーデン農民観

やばい…寝ている暇などないのに、帰宅後寝てしまった。コンタクト入れたままだったので、目が痛い。それはさておき、昨日のスウェーデン史のゼミは、16世紀ヴァーサ朝成立当時のスウェーデン農民に関する二つの報告が学生からなされて、それが実に興味深かったです。

一つは、グスタヴ1世ヴァーサ時代の農民生活の一年間のサイクルや農民の余暇などに関する報告。出典はおそらく、グスタヴ王の義理の弟にあたるPer Braheによって書かれたOeconomia eller Hushållsbok för ungt adelsfolk にある叙述。これは、ヴァーサ家との姻戚関係を基盤に当代きっての権勢を誇った家門であるブラーエ家にりょう若き貴族子弟むけの家政指南書。当時のスウェーデン中央において領地経営に求められた知見が整理されているもので、ここに領地農民に対する接し方なども触れられている。(…はず。僕自身がまだ原典にあたってないので、未確認だけど。)

もう一つは、有名なオラウス・マグヌスによる北方民族誌に見るスウェーデンの農民生活と森に関する報告。こちらの出典は、グスタヴ王が断行した宗教改革の結果、イタリアへの亡命を余儀なくされた後のウップサーラ大司教オラウス・マグヌスが、ローマ・カトリック世界にスウェーデンのカトリック教徒の窮状を訴えるべく、北方の風俗・生活・自然などを紹介する目的で叙述されたもので、16世紀に至るまでの農民生活に関して百科事典的に多岐に渡る項目が詳細に描かれている。(初版はラテン語だけれども、谷口幸男先生による記念碑的な邦語訳あり。)

で、16世紀当時の農民生活がどのようだったかという事実認定というよりは、ほぼ同時代に描かれた農民生活に関する叙述の視点(あるいは描かれ方)が、筆者の立場によって異なることが推測され、二つのゼミ報告を聞きながらこの点に気がついたとき、睡眠不足で死んでいた灰色の脳細胞が一気に活性化する感覚を覚えました。つまり、前者はヴァーサ家を支えたブラーエ家の視点。もちろん、実際にあった農民生活を参考にして書かれたとは思うけれども、新たに形成されていくヴァーサ王権を頂点としたルター派国家において国家エリートに属する視点から、監督に資する担税農民の暮らしぶりの理想的モデルが整理されていると言えるわけです。

これに対してオラウス・マグヌスのほうは、従来その多岐に渡る項目の内容が客観的であるとの評価もないではなかったが、あらためて読んでみると「北では○○○であるが、これは南のイタリアでは×××であって(異なる)」といった叙述箇所が多く、意図的に大陸のローマ・カトリック世界とは異なる北方世界の独自性が誘導されていることに気がつきます。なるほど、17世紀後半にO.ルードベックがゴート主義を体系化していく際に、オラウスの叙述を一つの根拠としていることがよくわかります。となれば、意図的な北方民族の独自性の構築というオラウスの動機を踏まえて、僕たちはこの北方民族誌をあらためて読み直す必要があるでしょう。

さてさて、昨日のゼミは、そうしたヴァーサ朝スウェーデンの国家中枢にあってオーソドクスとされていく農民観と、ヴァーサ朝体制から除外されていった者による農民観がはからずも対比されたということです。これらの報告をしてくれた二人の学生さんは、是非この内容をそれぞれ深めて、できれば二人ワンセットで整理されたら実に面白いと思う。ルター派国家とカトリックの双方からスウェーデン農民がどのようにイメージされていたかを比較するなんていう研究は、スウェーデン本国では全くなされてこなかったと思います。

で、そうした研究をするには意義があります。近世スウェーデン国家は、カルマル連合の自立を果たした「農民」叛乱の延長線につくられたものとして、国王は「農民」共同体の指導者として権力の正統性が与えられ、「農民」という存在に立脚しながらバルト海覇権の基盤を形成していきます。ここでいう「農民」とは何か?もちろん実態としてではなく、国家経営に資する理念化された「農民」像でありますが、その原像は、まさに昨日の報告にあったヴァーサ朝草創期につくられていったものと言えるでしょうね。

今年のスウェーデン史ゼミがひと味違うのは、学生たち自身による問題設定もさることながら、常に原典(二次文献ではなく可能な限りスウェーデン語による一次史料)にあたりながら史実を解釈していこうとする傾向が、学生たちの報告のなかに醸成されていることです。単なる二次文献の紹介ではありません。これは一学期に、現在のスウェーデンで教えられている歴史方法論をもとに、「歴史学の作法」を議論した結果なのではないかと思っています。

(だからこそ、教養課程(あるいは共通教育科目)でしっかりと歴史学方法論(あるいは史学概論)を教授し、勉強しておく必要があるんだ!四年生でしっかりとした卒業論文をものにしようと思うなら、一年生のときに受ける史学概論こそが実はもっとも大切な授業なんじゃないか!う〜ん、阪大でやらせてもらえないかな〜。)

スウェーデン語の史料を使いながらスウェーデン史を解釈していくなんてゼミは、おそらく…いや絶対に今の日本ではここ大阪大学外国語学部だけの話。学生のみんなが苦労して習得したスウェーデン語が、歴史学の方法論に従ってうまく活かされているようで…だから、先生、心の底からうれしかったよ。

2007年12月 7日 (金)

Googleグループのススメ

グループ学習に取り組んでいる学生のみなさんへ、Googleグループによるプロジェクト形成の方法をお勧めします。

Googleグループは、Gmailのアカウント(Googleのアカウント)を持っている人があるひとつのテーマでグループを形成し、そのグループのメンバーに参加権利を与え、グループ構成員同士であるトピックを立てて、それに関するウェブ・メールを使った複数人によるチャット、共有されたファイルの閲覧・修正などができるサービスです。このグループは、主催者の意向で公開・非公開の設定もできます。もし実際に大学でグループ学習のメンバーが同時に集まることができなくても、このGoogleグループを使うとネット上でヴァーチャルに構成員同士で議論をして、共同作業が可能になります。もちろん使用料はタダ。これを使ったヴァーチャルな共同プロジェクトの作成をお進めします。

(というか、これを使えば、遠隔で邂逅を果たすできない人、多忙を極めている人とも、新たな研究会を十分に立ち上げることもできるわけで・・・いずれ、やりましょう!)

深夜に渇を入れる

深夜に渇を入れようとiTunesで、例えばストコフスキーの編曲ものなどを聞きまくっています。誇大妄想的変態の極致。で、何気なくiTunesのpodcastのところを弄んでいたら、東大podcastがブラッシュアップされたようで、安田講堂で開催された公開講座も見られるようになっています。ポッドキャスト配信を教育に応用することの効果は、だ〜いぶ前、かな〜り前にこのブログでも発言した通りで、先進的な技術導入に意欲的な内外の大学では一般的になりつつありますよね。

で…そこに近藤先生による昨秋の公開講座「人口」における「人口停滞の世紀とその後」も配信されているではないですか!近藤先生の講義を久方ぶりに拝見し、そりゃぁ〜一気に目が覚めましたよ。というか、これ動画閲覧できるiPodならば、いつでも携帯して見られるわけですよね。

もう世界中の大学の講義をこれで公開しちゃいましょう、教務・学務関係の情報管理はmoodleあたりにお任せして。少なくとも学会などでの著名な研究者による公開講義・講演は、本人の承諾が得られるならばどんどん配信してもらいたい。さすれば、どんなに仕事が忙しくて箕面の山を離れられないといっても、いつでもどこでも勉強できるようになるのだから。たとえそれが阪急バスのなかであっても近藤先生の話が聞けるなんてすてきだし、もしスウェーデンの大学での講義がポッドキャスト配信されていれば、たとえ大阪モノレールのなかでもむこうの講義を受けられる。今まではSveriges Radioどまりで、まぁ時事ネタも耳の練習には良いのだけけれど、活字媒体ではなくそれを語る研究者の語り口を目の当たりにしながら、学問の最前線を見たい、知りたい、勉強したい。

う〜ん、ポッドキャストも音声だけではなく、動画も閲覧できるiPodがやはり必要かな。近藤先生の講義も、やはり先生の身振りなどがあって目が覚めましたし。iPod touchならばネット接続もできてGoogleの提供するサービスもほぼ使えるし、ゴニョゴニョとやればスウェーデン語の電子辞書も使えるし。(ただし、もととなる辞書データはもう入手することは不可能でしょうが。)それに携帯電話の機能なんかついていたら最高なんだけれども。となると、やはりiPhone待ちという結論かな。ん?結局この発言も物欲的?

2007年12月 6日 (木)

共同研究室のMac mini運用開始です

デンマーク語・スウェーデン語専攻の共同研究室に配置したMac mini、運用開始します。学生のみなさん、どうぞご自由にお使いください。(マウスが動かないと思ったら、マウスパッドにあたるものを敷いてください。)

しかしコンピュータというのは、使う者の精神的・肉体的状態を反映して変調を来すものらしい。出先での仕事には必ず携行する愛用の初代MacBookの調子が激しく悪い。Leopardをアップグレードインストールした結果だと思うけれども、PowerPointのスライドショーを実行すると百発百中でPowerPointが落ちるようになってしまった。とりあえずKeyNoteでPowerPointのファイルを読み込んで急場をしのいでいるけれども、はっきり言って、これでは仕事にならん。はやいうちにバックアップをとって、クリーンインストールが必要。そんな時間、どこでつくったらいいのだろう。

これだから、コンピュータは信用できないし、嫌い。こちらの状態が悪いときぐらい、道具であるコンピュータくらいしっかりしていて欲しい。いくら僕が愛情を深くMacBookに注いでいる(…笑)からといっても、そこまで使用者に追従する必要はない。

2007年12月 4日 (火)

現代北欧地域論4b

阪大外国語学部のみなさん!今日の授業、休講にします。急な話で誠に申し訳ありません。(今のペースで年度末までに20世紀末までたどり着けますのでご安心下さい。)

鬱だ…

大学統合だとか、研究センターの立ち上げだとか、なにがなんだかわっけわからないままそんな時流に巻き込まれこの数年を過ごしていたら、昔の仲間の多くが博論を書いて、きちんとしたモノグラフを仕上げている。すばらしい。ものにされた皆さん、おめでとうございます。けれど我が身を振り返れば、何もできておらず、一言、鬱だ。悔しい。「忙しい」を逃げ口上としてきた自分からすると、やはり博論を仕上げられた方々のねばりには心から脱帽、感服します。でも、もう僕も逃げません。ちょっと遅れるかも知れないけれど、見ていて下さいね。

2007年12月 3日 (月)

INFOBAR2、見たよ〜

二週間ぶりの関西外大、楽しかったですね〜。激励の言葉ありがとう。関西外大は学生のみんなと話すのも楽しいけど、待ち時間に非常勤講師室でいろいろな人生経験を積んでいらっしゃる先生方とお話させていただくのも楽しいですね。今日は、アイスランドへの駐在経験もある先生と話しをさせていただきました。それから、今日は久しぶりに関西外大の構内にあるマクドナルドでハンバーガーとポークバーガーを食べ、久しぶりにジャンキーな味に感涙。ホットコーヒーを含めて、たったの300円。アイスランドでは考えられない低価格だ…すばらしい。たまにはいいじゃん。(つか、気温12度くらいの今が、アイスランドの真夏の気温だった。ようやく、日本の気候がアイスランドの真夏に近づいた感じ。)

で、ちょいと気分転換に購買部で最新の携帯電話のモックをいじりまくる。au のINFOBAR2がありましたね〜。いやはや…想像以上に縦長な端末で、今使っているMEDIA SKINのコンパクトさには及ばないですね。もちろん、キーは大きいから入力はしやすそう。画面も大きいし、あの縦長の大きさを許容できるなら、良いのでしょう。僕は、それよりもINFOBAR2の隣にあったW53Hという日立の端末に惹かれたな。あれ、薄くて全部入りで…auでこの冬の最新モデルを買い求める方がいらしたら、たぶんW53Hが無難で「勝ち」でしょうね。

え?この一年、僕がなぜ携帯電話のキャリアをauのままでずっといられたかって?そうですね、海外出張が多ければ、Softbankやdocomoに乗り換えても良いのですが、なにせ国内で使うだけならば、携帯電話専用のWebサービス(EZweb)上で、Gmailだとか、Googleドキュメントだとか、Googleカレンダだとか、Googleマップだとか、Googleニュースだとか、Google Readerとか…とにかくGoogleが提供しているサービスにもっとも対応しているのがauだからでしょうかね。普段からGoogle中心なネット生活を送っているならauでしょうね。で、あとは多言語の文字コードに対応したブラウザが搭載されれば、文句なしなんですけど…。これだけ日本国内に外国人の方々が増えているのだから、例えば災害時の情報配信などむ含めて、日本語至上主義といった考え方は改めてもらいたいなと思います。けど、どうなの?

(つか、docomoの905iの「攻勢」には正直惹かれるところもあるのは事実だけど…ここまできて、Softbankに全く惹かれないのはなぜだろう?とりあえずiPhone待ちですが。)

地域研究VIII

関西外大のみなさん。先週は突然の休講申し訳ありませんでした。今日の授業は、先々週に配っている講義ファイルをお持ち下さい。また、ここに今週と来週の講義でも用いるファイルをアップロードしますので、よろしくお願いします。補講の日程も、今日の授業で決めましょう。

今週と来週の講義ファイルをダウンロード

2007年12月 1日 (土)

2007年の極私的ベストプロダクツ

半田健人さんの発言、ようやく書き終えました。さて、はやいもので今年も師走になってしまいました。この一年は振り返るのも嫌になるくらい多忙を極めましたが、そうしたなかでも我が物欲人生は、成功・失敗を繰り返しつつ継続されました。今年入手したもののうち、1万円以下の出費にもかかわらず日々の大学生活のなかで費用対効果が高かった道具、とりわけ個人的に好いているデザイン性と機能性の両立が図られている道具について、私的ベスト3を!

(1) Apple Wireless Keyboard (US) MB167LL/A

理由はまた後で!

(2) Apple iWork '08

iWork '08はワープロのPages、プレゼンテーション作成のKeynote、表計算のNumbersからなるオフィススイーツソフトウェアです。Keynoteによる軽快にして美麗なプレゼンテーション作成については、以前からこのブログで紹介していたと思います。さて、この10月に大学が統合されてから、それまで以上に様々な仕事を任されるようになりましたが(汗)、そのうち民族紛争の背景に関する地政学的研究プロジェクトと大阪大学言語社会学会については、「ありがたい」ことに実務的仕事をいただいております。どうせなら、「クサクサしてないで、おもしろいことを!」と思って、パンフレットやポスターをたまに自分でデザインしています。(言っておきますが、それらのすべてではありませんから。「おぉ、綺麗だな」って思うものがあったら、それこそ僕がつくったものだ!…ととりあえず豪語しておこう(笑))研究会や学会のちらしは、業者に頼めばそれ相応のものができますが、自分でつくると無味乾燥な(ただのワープロ書きの延長程度)の「醜悪と価値判断するにもお呼ばない程度」のものしかできませんよね。そうしたとき、iWork '08にあるPagesを使うと簡単に美しいチラシができます。チラシの美麗さのポイントは、おそらく「余白」の使い方にあって、PagesだとDTPソフトのように文字も、画像も、一つ一つのモチーフをオブジェクトとして自由に配列させられるから、「余白」を自分の感性のおもむくままに決定できる。Keynoteもそう。きっと多くの同業者の皆さんが、できるならば美しい仕上げの仕事をしたいと考えていると思います。けれど、新しいソフトは使い方を覚えるのに苦労するし、何より忙しくて時間がない。そのような人にむけて、美麗な仕事を短時間で直感的に仕上げたいと思うならiWork '08だと僕は思っています。(いつまでも○○の一つ覚えでMicrosoft Officeではないなと思わせる一品。)

(3) ymsk 名刺&メモホルダー

以前にもこのブログで紹介したものです。今、箕面キャンパスの世界言語研究センターの先生方の間で、密かにA7メモブームが巻き起こっています(え、そんなこと知らないですって?…笑)が、その火付け役になったのが、この名刺&メモホルダーです。筆記の即応性にかけるザウルスなどのPDAはもはや過去の遺物であり、スマートフォンもこれまたどうにも不細工なものばかり(…W-Zero 3 advanced es もまだまだ不格好…はっきりいってあんな大きさのものでは持ちたくない… )、となると普段使いには紙とペンが一番ということです。「最近は会議や授業、研究の資料が多くて鞄も重く、システム手帳も大きすぎて…」とお嘆きの同僚の方々に、手ぶら通勤を励行する僕が使っているA7メモ帳を軸にコンパクトにまとめられたライティングシステム、つまり名刺&メモホルダー、ロディア11番、110mm級万年筆の三点セットは大ウケ。結局、これで十分なんですよ。一日の仕事を終えたときに、このメモ帳に書き留められた情報をMacや携帯電話に入力して、データ管理も問題なし。なめした皮に傷が付きやすいですが、最近は使い込んで良い牛革の風合いも出てきました。

仕事で一番役に立っているのは圧倒的なパワーと処理速度を誇るMacBook Proだと断言できますが、金をかければ良いものが手には入って当然だとも思いますから、今回は除外します。おしいものとしては、au design project の MEDIA SKINという携帯電話端末。手ぶら通勤励行者としてはどういう携帯電話を選ぶかは最重要課題の一つです。で、2007年の後半はずっとMEDIA SKINを使っていました。非接触型ICやワンセグ対応で100gそこそこの重量とスリムな筐体。デザインコンセプトはすばらしいのですが、とにかくキーが打ちにくい。デザイン面だけからいけば、個人的にこれからも使い続けようと思う端末なのだけれども、機能性が両立されでいないのでボツ。

半田健人賛

僕がこの年齢になっても積極的に欠かさず視聴しているテレビ番組の一つは『タモリ倶楽部』ですが、『タモリ倶楽部』で高層建築を扱う回になると出演される半田健人さんには、若く麗しい外見から発せられる鋭いコメントの数々から、以前より大変感心させられてきました。僕は小さい頃から特撮もの(とりわけ仮面ライダー系)には全く関心がなかったので知りませんでしたが、半田さんは仮面ライダー555で活躍された大変美麗な俳優(しかも芦屋出身)です。その彼は若干23歳というのにもかかわらず、昭和40~50年代のいわゆる昭和歌謡曲に関する造詣が深いということでも、注目されています。

最近、ネット上で公開されていたテレビ番組の動画で、たまたま彼による昭和歌謡曲の解説を見ました。まず一つは、この7月にNHKで放映された『通』という番組におけるピンクレディーの「サウスポー」解説。もう一つは、この9月に関西ローカル(ABC)で放映された『ビーバップ!ハイヒール』における山本リンダの「狙い撃ち」やペドロ&カプリシャスの「五番街のマリーへ」などの解説です。前者は生前の阿久悠氏が半田さんの解説プレゼンを見ながら、思わず「やるな、小僧、気に入った!」と発言した回のものです。

気がつく人は気がつくと思いますが、これらの歌謡曲は、阿久悠作詞&都倉俊一作曲といういわば昭和歌謡曲のゴールデンコンビのものが多いわけですが、(これは半田さん個人がお二人を心から敬愛している現れなのでしょう)とにかく半田さんによる解説がとてもわかりやすく、一発で引き込まれました。

半田さんの歌謡曲解説は、まず楽曲のアナリーゼに置かれています。都倉節とでも言いましょうか、その節回しに見られるメロディー・動機の特徴はもとより、とりわけ各パート別の編曲技法に重点を置いた解説は説得力抜群。フルオーケストラで奏でられていた昭和歌謡曲であるがゆえに、編曲者(都倉氏は作曲も、編曲も手がけていますが)の能力に着目し、半田さんは「30人のプレーヤーあるいはパートがあれば、一つの歌謡曲は30通りにあるいは30回楽しむことができる」と主張します。

僕が見た「サウスポー」と「狙い撃ち」のアナリーゼについて、半田さんはほぼ同じパターンを踏襲して解説されていましたが、彼が単に楽曲部分にだけ鋭い分析の目をもつのではなく、歌詞部分にも鋭い目をもっていることは「五番街のマリーへ」の解説でわかりました。サザンオールスターズ以降、現在に至るまでのいわゆるJ-POPの歌詞は、作詞する者の個人的な情景・心情をいわば独白し、その内容に他者(聞き手)の介在する余地のない“日記・ブログ”的存在なのに対して、昭和歌謡曲においては他者(聞き手)の誰もが自由に歌詞に描かれた世界を空想可能ないわば“映画脚本”的存在であるという主張。なるほど、「五番街」なんて地名は日本にはどこにもない話だし、サウスポーだって「魔球は魔球はハリケーン」なんて言われたって、それははっきり言って無意味だけれども、無意味だからこそ想像力の自由は確保されているわけですね。

大学の世界で生きる者として半田さんに惹かれる理由は、それら分析内容のプレゼンテーションにおける振る舞い方です。上に紹介した楽曲・歌詞の分析については、「それくらいのことなら自分でも説明できる」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、半田さんはこれらの説明をされるときに実に堂々と語り、ときにカッと見開いた大きな瞳で聞き手をとらえながら、わかりやすい言葉を投げかけます。歌謡曲に関する深い洞察とそれに依拠した自信が、プレゼンにおける説得力を増す根拠になっていることはいうまでもありません。それゆえに彼の説明に用いられる言葉は、歌謡曲の本質を聞き手に共感してもらうために、実に簡潔な表現が選ばれている。簡潔な言葉や表現はややもすれば陳腐に聞こえがちになるものですが、彼の場合、それがとりわけ説得力をもつのは、堂々とした言葉の投げ方・振る舞いにあり、その部分にこそ僕は惹かれました。

「おたくの勝ち組だ」とか、「やっぱり外見よね」とかいう半田さん評もあります。確かに彼のような美麗なイケメンの外見的魅力が、上に掲げるような聞き手を魅了するプレゼンを可能にしているのかも知れません。しかし、果たしてそれだけのことでしょうか?もし、それを認めてしまうと、イケメンとほど遠い者のプレゼンはどうあがいても聞き手をとらえられないということになってしまいます。外見的魅力に聞き手をひきこむプレゼンの理由を求めるというよりは、外見的魅力に欠ける僕らもただ自信をなくして引き籠もるというのではなく、半田さんの歌謡曲解説にみられるプレゼンの振る舞い方をまずは参考すべきではないでしょうか。

(1)分析対象に対する深い洞察→(2)聞き手が共感しやすい簡潔な表現の選択→(3)分析内容に対する自信に基づく堂々とした振る舞い。およそ、この3点に集約される半田さんの振る舞い方は、僕らが外向けに情報発信する際にも常に留意すべきことではないでしょうか。(1)と(2)くらいは多くの大学関係者も腐心しているところだと思いますが、(3)はなかなかできない部分ですよね。せっかくすばらしい意見をもっていたとしても、それをうまく公開の場で表現できなければ、その意見は独り言に終わってしまう。表現者という点では、俳優も、教員も変わりがないわけで、分析表現の達人という点において僕は半田健人さんを賞賛します。

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