最近のトラックバック

2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 琉球人か、倭人か | トップページ | 北欧文化特殊研究I »

2007年11月13日 (火)

境域を論じる

先の発言に続く発言です。現在の北欧歴史学界(というか、とりわけオレスンド/エアソン・リージョンの研究者たち…彼らにデンマーク、スウェーデンの研究者たちと言ったら「アナクロ!」って一笑に付されそう…)で頻繁に掲げられるテーマがあって、それは"över gränsen"という言葉に集約されます。直訳すれば、脱領域(あるいは脱境界、「境界を越えて」)。もはや世界観に中心点・固定点をもてなくなった現代社会において、あたかも浮遊するかのごとく生きている私たちにとって、「自らは果たして何者なのか(あるいは何者だったのか)」という問題設定は、存在論的にも認識論的にも時代が求める必然的関心だと言えるでしょう。それゆえに、琉球人か、倭人かという問題も現在性をもって論じられうるテーマだと思うし、世界中にいろいろと比較可能な対象があるでしょう。北欧でもスコーネや南ユランをはじめ、大陸でもピレネーやアルザスなど枚挙にいとまがないし、最近、個人的に関心をもっているものとしては、(また最新のニュースでも話題になっている)パキスタン・アフガニスタンの間のパシュトゥーンの帰属性の問題だとか、面白そう。境域、あるいは従来の世界構造にあって中心点からみて狭間とされた地域の帰属性を論じることは、逆にこれまで中心点とされてきた世界の中心性を逆照射することになるのだから、現代的に論じる意味は大きいと思います。そういえば、ぼくもそろそろ青年と中年の境にさしかかりつつある年齢になりました…ってところで、ニッチな境域史研究会でもたちあげてみるのも、悪い話ではないですね(笑)。(北欧史的に言えば、デンマークってのは、狭間と狭間に挟まれた狭間って…語義矛盾おこした表現で恐縮ですけれど、面白い対象になりえますね。北の世界と大陸の世界との狭間としての南ユラン、北の世界における中心点をめぐるスウェーデンとデンマークの狭間としてのスコーネ。国の南と東で帰属性をめぐる問題にあふれている。帰属性が多義的・重層的な地域の狭間にあったデンマークそのものってのは、一体どのように意識されてきたのでしょうかね?面白い問題です。)

« 琉球人か、倭人か | トップページ | 北欧文化特殊研究I »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 境域を論じる:

« 琉球人か、倭人か | トップページ | 北欧文化特殊研究I »