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2007年10月12日 (金)

会心の授業

1年365日生きていれば、こういう会心の一日という日があっても良い。今日の授業は地誌も、ゼミも会心のできでした。地誌については、(今までもやろうと思えばできてはいたのですが)ようやくわが大阪大学外国語学部でもネットに接続したプレゼンができるようになって、Google Earthを連動させた世界遺産の授業。これはすでに関西外大で実験済みだったので、効用が大きいことは承知しており、おりこみ済みのできでした。やはり地誌の授業にあって、地形図や都市図がネット上の画像・動画情報と連動しているライブ感覚に溢れる情報がなければ、最終的に功を奏しません。

スウェーデン史のゼミは、まぁ、輪読しているH.Gustafssonのコラムの示唆する内容が鋭いからこそ、議論が盛り上がった結果ではあるのですが、歴史学方法論を普段講義できない身としては、柄にもなく(笑)歴史学方法論とスウェーデン語資料を連動させる「アカデミック」な雰囲気の授業を展開でき、満足感は大きかったです。今回は、「問題関心がなければ歴史は何も語らない」というテーマで、19世紀末を代表するC.T.Odhnerの『スウェーデン史』におけるグスタヴ2世アードルフの叙述がいかなる歴史認識と問題関心を背景として書かれていたか、そして、それがE.ÖsterbergやJ.Lindegrenといった20世紀後半から21世紀の研究者によってはどのように書かれるように変化しているのかという話でした。

偶々、我らがルンド大学歴史学部の偉大なる教授であったC.T.Odhner(…E.Österbergも、H.Gustafssonも、その系譜にあるわけです…)が、後年王国文書館に出仕するようになった(さらには例のスウェーデン・アカデミーの主宰にまでなっている)という話をしていて、文書館という存在と歴史学者の仕事ぶりにまで話が及び、「それじゃ!」ということでスウェーデンにおける文書館制度の話から、急遽研究室に戻って文書館史料とはどのようなものかを見せ、ただスウェーデン語が読めるだけではなく手書文書の場合にはパレオグラフィのような技術を習得する必要があることなどを示し、こうした一見些末に見える文書館史料を再構成する歴史学者の仕事ぶりを示しました。

歴史学者も一人の人間であり、ハイデッガー風に言えば「世界内存在」としてある以上、時代性・地域性に影響された事実認識しか可能ではなく、それゆえに歴史学者の設定する問題関心も時代性・地域性の枠組みに応じて変幻すること、文書館に蓄えられた同じ史料であっても何の問題関心もなければその意味するところは無であり、その意味を紡ぎ出す作業はそれを観察する歴史学者の問題関心によってはじめて生み出され、しかも紡ぎ出された結果としての意味は歴史学者の事物認識に基づいた問題設定によって多様であることなどを語り合いました。

外国語学部で授業をしていると、第一にスウェーデン語の正確な運用力向上、第二にスウェーデンの歴史・文化に関する事情理解に集中してしまいがちで、なかなか歴史学概論のような方法論につっこめる授業の機会はないのですが、しかし今日はそれができました。思うのですが、今このゼミで読んでいるテキストは、むこうの大学生ちょっと手前レベルの歴史教科書ですから、こういった議論をむこうの一般教養人とスウェーデン語でできる知見をもつことができるようになれば、外国語学部の学生としては万々歳なのではないかな。今日は、議論の素材としてスウェーデンにおける歴史叙述を利用しつつ、今を生きるスウェーデン語専攻の学生たちと抽象的な歴史論を展開できたのだから、それは至福の90分でした。いや〜、授業って本当に楽しいものです。

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