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2007年7月 1日 (日)

熱にうなされて…

ボーッとしながら、昔のことを思い出してた。いえね…最近、共同研究室のパソコンが壊れたとき、そのパソコンは「僕が一つ一つ部品を厳選して作ったんだよ…。」なんて話をしたら、学生から間髪入れず、「先生って、アキバ系?!」とか言われたり。それから、僕が外大で指導し、この春に東大駒場の大学院に進学したS君が、本郷で僕の指導教官だったI先生にお会いしたとき、「古谷?…あぁ、あのパソコンマニアか。」という答えが返ってきたという話をきいたり…で。

東大の大学院生をしていた頃は、根津駅と不忍池にほど近い池之端というところに住んでてね。そこは、自転車を駆れば秋葉原に10分とかからない場所で、1990年代半ばから後半にかけては、よく秋葉原に通ってた。でも、僕は巷でおもしろおかしく言われているようなアキバ系ではなかったな。あの頃は、スウェーデン人も興味津々のメイド喫茶なんて代物もなかったし。秋葉原も歴史ある街区だから、結構老舗の食べ物屋とかあったりして、そういうところを巡るのも好きだった。

(東京は自転車で巡ると良い…神田・秋葉原・御徒町・上野・鶯谷、湯島・根津・谷中・千駄木…あぁ、懐かしい。)

小さい頃の僕は、父から教わって、半田ごてとか握って鉱石ラジオとか自作するような子供だった。(半田ごてとかわかる?)機械の分解や組み立てには小さい頃から慣れ親しんでいたということ。僕の田舎は茨城だったから、僕にとっての東京の玄関口は啄木よろしく上野駅で、秋葉原といえば、小さい頃から部品を買ったり、電気製品を買ったり…大きくなってからは石丸電気のようなところで輸入もののCDを買ったりする場所だった。(昔はHMVとかなかったし。)

僕にとってのパソコンってのは、そうした小さい頃からの「機械」観と「秋葉原」観の延長線上にあって、速くて安定した研究の道具を得るには、とにかく秋葉原へ行って安くて良い部品を見つけて、くみ上げれば良いんだって感じだった。昔は秋葉原のジャンク屋で投げ売りされていたり、粗大ゴミとして捨てられていた古い機種を得ては、分解して、抵抗をつけかえてクロック周波数をアップさせるなんて、涙ぐましいことをしていたよな。

僕が学生だった頃は、インターネットとパソコンの草創期。あの頃はまだWWWもよちよち歩きの段階で、通信速度の遅いアナログ電話回線を使っては重くて使い物にならなかった。そんなときにTelnetという手段を使えば、スウェーデンのウップサーラ大学やルンド大学のOPACにアクセスできることを知り、「この手段があれば、スウェーデンの書誌情報や研究動向もリアルタイムに、網羅的に知ることができる。」と思った。Telnetを使ってむこうの図書館に、ハッカーよろしくアクセスし、文献情報を得られたときの興奮は、あたかも宝の山を見つけた感じで、今でも忘れられない。

日本にはスウェーデン語によるスウェーデン史のしかるべき研究文献が少ないかったから、とにかくそんなところから、僕自身の研究を成立させることとコンピュータの知識・技術を向上させることが一致して、今ある僕になったというわけ。決してマニアじゃないよ(汗)。大学院以降の僕を知らない学部生の頃つきあっていた彼女なんか、たぶんそんな僕の姿、思いもよらないだろうな。

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