最近のトラックバック

2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« スウェーデン史ゼミの次回のテキスト | トップページ | メモ帳が欲しい! »

2007年6月 6日 (水)

歴史教育の将来を夢想する

一昨日から大学の統合の話でちょいとドタバタっとしています。一昨日、すでに新聞報道されている件で一つの山を越えたから、そろそろ会期末を迎えようとしている国会(参議院選挙の関係で会期延長はないらしい)でのもう一つの山を越えると、統合もまったなしで進みそうな予感。で、大学の将来戦略を想い描きつつ、今なすべきゼミでの教育や研究指導の戦術を考えるとき、最近ゼミで読み始めたハラルドの歴史教科書は、歴史教育のあり方について考える格好の素材になってる。さすがはハラルド…日本で言えば高校生の世代を対象に、ちょっとした分量だけど的確な史資料を選んで、充実した歴史学の方法論を披瀝しているんだよね。

ていうか…、日本の高校生が(半)強制的に覚えこまされている事件名だとか人名なんかは、はっきり言って本来「読書」してればどうにかなることで、あまり歴史を勉強する際には重要ではない…と思う。(そうした「読書」が嫌いというならば、歴史に自分は向いていないと考えて、勉強の選択肢から外せば良いだけの話じゃん。)でも、日本でそうせざるをえないのは、大学受験で点数をとらねばならない地歴入試があるからで、そう思うと歴史教育のボトルネックとなっている原因の一つは、大学側の変わろうとしない地歴入試のあり方にあるんじゃないかな…とも言える。

僕なんかは、点数をとらせる…つまり高校卒業レベルの学力判定の数値化は大学入試センター試験に任せて、それを各大学の個別試験受験のための資格試験にしちゃい、各大学の個別試験は学生受け入れ方針(アドミッション・ポリシー)に応じて求める学生像を自由に模索できる考査方法にしてしまえばよいと、個人的には思ってる。歴史教育のあり方を変えようと思うならば、一度入試方法を大学側で試しに変えてみたら良いんじゃない?真剣に歴史教育の今後を考えるならば、大学側の人間が「大学行政が忙しい」なんて言って逃げてる場合じゃないと思う。

で、大学に入る前の段階で歴史を教えるってのは、本来、大学以降(あるいは大人になって)歴史を考える際の「考え方」の筋道を、史料や客観的文章を読ませて鍛錬させるっていうことじゃない?あったりまえの正論をはくけれど、これがなかなかできないでいるわけだな…今の受験システムでは。例えば、日本史の場合、日本語の史料や客観的文章を素材にして、歴史の考え方を教えることができるよね。史資料の選択は、とりわけ現代史では難しいと思うけれど。ここらへんは、高校の地歴科の先生方の指導方法にかかってくるね。

そんな歴史教育を高校レベルで行おうとするときにむしろ問題になるのは、世界史だな。例えば、世界史を教える素材ってのが問題。とりあえずは日本語に翻訳された史料や日本人研究者の文章を素材としなければいけないよね。でも、日本語や日本人のヴァイアスのかかった素材が、どれだけ世界の諸地域の「現場」を客観的に伝えるものか…そこに二重、三重の認識上の問題がでてくる。かといって、いきなりラテン語だとか、スウェーデン語だとかの原典を読ませることもできないし。そうなると世界の諸地域の歴史を考える作業ってのは、そうした外国語を習得する大学生になって以降、はじめて可能になるってこと?ん?大学に入るまで世界史は勉強不可能ってこと?

いや、そうじゃなくって、歴史の考え方を教授するという意味で高校レベルまでの歴史教育をとらえた場合には、日本史・世界史といった枠組みに限界があって、そうした歴史教育を模索するならば、たぶん「歴史」という授業しか成り立たない。素材としての史資料は基本的に日本語あるいは日本語訳されたものを用いる。最初の段階は、歴史学的方法や歴史学的発想の基礎を、日本語史料による日本の歴史を題材にして陶冶する。で、次の段階には「それじゃ、その考え方にたった場合、世界の○○の地域はどう見える?」って感じで、歴史学的方法や発想の応用を図る。

そんな感じでいくしかないんだろうな…。なんてことを、大学の統合と将来の戦略を考えながら、夢想していました。あくまでも「夢想・妄想」です。「何でも好きなことして良いよ?」と聞かれたら、「布団の上で寝てみたい。」とだけ思う今日この頃ですから、こんな夢想もお許しください。

« スウェーデン史ゼミの次回のテキスト | トップページ | メモ帳が欲しい! »

コメント

はじめまして。
自分は歴史が好きでこの前まで大学でも歴史学を専攻した者です。

ただ歴史学が何の役に立つのか、と今でも考える事があります。
過去から学び現在や未来を考える。
そういう事は知っていても、実は具体的にはよく分かっていません。
多くの一般の人も同じような認識だと思っています。

おっしゃる通り大学入試を変えれば歴史教育が変わるでしょうし、
歴史学についての一般の人々の評価も変わってくると思います。
実際、具体的にどういう試験問題を想定されているのか、いつかこのブログにでも書いてもらえると嬉しいです。

今日はスウェーデンのnationaldagですね。かつてはGustav Vasaの日と呼ばれていたそうですが。毎年この日には、スウェーデンのナショナリズムについて考えてしまいます。
ところで、今年のスウェーデン史ゼミは抜群に面白そうですね。外大ではどっぷりスウェーデン史に浸かれたのですが、東大では外堀を固めながら、スウェーデンを外からもう一度見直してみようと思っています。
p.s.
しかし、もし今Esaias Tegnérが生きてたとしたら、彼の詩はどう評価されたんでしょう?

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 歴史教育の将来を夢想する:

« スウェーデン史ゼミの次回のテキスト | トップページ | メモ帳が欲しい! »