最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 何もかも、懐かしい… | トップページ | 激しく不味いピザ »

2007年5月13日 (日)

子守歌に見る複合国家

大阪外大で教員という仕事をしていてとても幸せだと思うことは、日々のスウェーデン語講読の授業もただ漫然と教えるのではなく、スウェーデン語の基礎をしっかりと学んだ学生のみんなから挙げられる指摘の数々に対応するなかで、こちらもスウェーデン語やスウェーデンのことについて勉強させてもらえるということです。この発言のきっかけになったのは、ゴールデンウィークに入る前のスウェーデン語講読の授業で、そのテキストに出てきた子守歌の話に対する質問からはじまります。

その子守歌とは、スウェーデンでは今でも子供をあやすときに歌われる「走れ、走れ、お馬さん」という歌です。この子守歌はポピュラーでスウェーデン人ならば、おおよその人が子供の頃この歌であやされたことがあるそうです。さて、そんな子守歌が、その日のテキストでは、なぜか14世紀半ばに活躍したマグヌス・エリクソン王(1316-74, 彼は、現在につながるスウェーデンの基本法の原型をつくった王として知られていますが)のくだりで登場しました。そのテキストでは、マグヌス・エリクソン王に嫁いだフランドル出身のブランカ・アヴ・ナミュール(1320-63)という王妃のことが説明され、その王妃の名前は「よく知られた子守歌「走れ、走れ、お馬さん」のなかに登場する」として、子守歌の歌詞が突然でてきました。それ以外にはテキストでは、一切子守歌の説明はありませんでした。

「走れ、走れ、お馬さん、お馬さんの名前はブランカ…」

そんな歌詞で始まる子守歌で、我が優秀なる大阪外大のスウェーデン語の学生たちはすぐに正確な訳をつけてくれたわけです。普通なら「それでは先に進みましょう。」ということになるのですが、その日は、「先生!なぜブランカという女王様が、お馬さんになっちゃったんでしょう?」という誠に正鵠を射る質問が挙げられました。「なにやらなぞめいていますね。ただ残念ながら今はわかりません。ゴールデンウィーク中の僕の宿題とさせてください。」とその場は取り繕いました。

で、これを調べてみたらすごいことになっている!

まず19世紀後半に活躍したスウェーデン系フィンランド人画家のA.エーデルフェルトが1877年に描いた有名な歴史画「王妃ブランカ」をご覧ください。

Blankaこの絵は、スウェーデン・スウェーデン系フィンランド人の中に保たれているブランカ・アヴ・ナミュールのイメージをもっともよく具象化した絵として知られています。王妃の太ももの上に乗せられて、あやされている子供は、マグヌス・エリクソン王との間に1340年に生まれたホーコン王子とされ、彼は1355年にホーコン6世としてノルウェー王に即位した人物です。もう、みなさん、おわかりでしょう。この絵は、「走れ、走れ、お馬さん」を歌いながら、ホーコン王子をあやすブランカであり、ブランカ自身をお馬さんに見立てて子供をあやしているわけです。ブランカという女王様の名前が、お馬さんの名前になっている理由はそれで説明がつきます。

さて、この子守歌の歌詞の一番は、「お馬さんはどこへ行くの?ふとっちょの少女マルガレータのところよ」という歌詞で閉じられます。僕的な驚きは、ホーコン王子を乗せたお馬さんがマルガレータのところへ向かうという内容です。マルガレータという名前はありがちな名前ですから、たんなる子守歌と見なすならばその名前の意味を見落としてしまうでしょう。しかし北欧史の文脈に立って、この子守歌がホーコン王子をあやす歌となると、このマルガレータの意味を見落とすわけにはいけません。

ホーコン王子は齢13歳のときに、デンマーク王ヴァルデマー4世(…14世紀におけるデンマーク隆盛を築いた王で、再興王と呼ばれます…)の娘マルグレーテと結婚します。ホーコンに輿入れしてきたとき、マルグレーテはまだ10歳でした。ノルウェー王となったホーコン6世とマルグレーテとの間には、オーラヴという子供が1370年に生まれました。母方の祖父にあたるヴァルデマー4世には男子が産まれなかったため、ヴァルデマーの死後、このオーラヴが1376年に若干7歳でデンマーク王オーロフ3世として即位します。そしてオーラヴは、父のノルウェー王ホーコン6世が死んだ後、1380年に11歳でオーラヴ4世としてノルウェー王に即位します。少年王オーラヴの後見人となった人物は、母のマルグレーテでした。このオーラヴも若くして亡くなり、やがて後見人を務めていたマルグレーテはデンマーク王、ノルウェー王の継承者として、自分の妹の孫であるドイツ・ポンメルンのエーリックを指名し、やがてこのエーリック・ア・ポンメルンが1397年にスウェーデン王として迎え入れられることで、最初のデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの連合王となります。

北欧史に詳しい人ならここまで説明するともうおわかりでしょう。「走れ、走れ、お馬さん」で王妃ブランカの馬に乗せられた王子ホーコンが向かったマルガレータとは、後にカルマル連合と呼ばれる国家連合を築き、エーリック王の後見人として連合の実質的支配者になったマルグレーテ女王のことだったのです!「ふとっちょの少女マルガレータ」のふとっちょとは、14世紀のバルト海世界の文脈で言えば、ハンザ同盟と抗争してデンマークがヴァルデマー再興王のもとでバルト海に覇を唱えようとしていた時期であり(…例のバルト海に浮かぶ最大の島ゴットランドにある世界遺産の都市ヴィスヴィー侵略を行ったのも、ほかならぬヴァルデマー再興王…)、デンマークの隆盛を比喩したものと受け取るべきでしょう。

さて、かくのごとくカルマル連合は築かれ、ブリテンやスペインなどとならんで複合国家の典型例だとされるわけですが、この子守歌についてはマルグレーテ時代のデンマークではなく、その義理の父であるマグヌス・エリクソン王時代のスウェーデンで歌われていることが、次に興味深い点となります。

確かにカルマル連合は、デンマーク王という一人の人格がノルウェー王とスウェーデン王を兼任したことで、北欧三王国の王位を束ねたという点で歴史上はじめての事例です。しかし、王位に限定しなければ、こうした国家連合の事例はカルマル連合が最初ではありません。この子守歌を歌ったとされるブランカが嫁いだマグヌス・エリクソン王も、ノルウェー、スウェーデン=フィンランド、そして当時はデンマークの一部だったスコーネ(彼はスコーネの質権をデンマーク王から購入しました)を同時に支配しました。この14世紀半ばに実現したマグヌス・エリクソン王によるスカンディナヴィア支配圏は、面積の点で言えば、当時のヨーロッパ世界で一人の人格が支配する領域としては最大でした。

このマグヌス・エリクソン王の広域支配圏は、最近は「中央スカンディナヴィア帝国」などとも言われます。例えば、それぞれの王国には国法と王国参事会があって、それらは廃止されず、国王はそれぞれの王国でそれぞれの国法と参事会の助言に従って政治を行う形式など、マグヌス・エリクソン王が実践した方式はカルマル連合の原型としても知られています。北欧史の事実としてはここまでですが、マグヌス・エリクソン王に嫁いだブランカ王妃が歌う子守歌で、「ブランカという名前のお馬さんがマルグレーテのもとに向かう!」という歌詞がいみじくも歌われているという点は、中世後期にあって諸侯の合従連衡が激しかった複合国家の本場(あるいは近世という世界を準備した中世の黄昏の地)から嫁いできた王妃ブランカを通じて、北欧に複合国家を確立したマルグレーテの政治的手腕が育まれたような気がしてなりません。

« 何もかも、懐かしい… | トップページ | 激しく不味いピザ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 子守歌に見る複合国家:

« 何もかも、懐かしい… | トップページ | 激しく不味いピザ »