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2007年3月

2007年3月31日 (土)

Macと気分転換

研究室の掃除は延々と続いています。まだ進行状況は半分くらいですが、それでも訪れた人たちからは、驚愕されます。(今までが、書類と本に埋もれた部屋でしたからね。)それも気分転換の意味が大きいわけですが、最近は自宅でも、子供用にMac miniの設定を変更することで気分転換をしています。

自宅リビングに接続してある初代Mac mini(コンボドライブの一番安かったもの)ですが、購入以来、テストベッドとしていろいろなソフトを導入しては、消していったりしていたので、一念発起して環境を一から作り直しました。その作業の楽なこと、楽なこと。しこたま撮りためてあった子供番組をDVDに焼いたあと、一気にすすめたシステムの入れ替えは30分もかからないで、終わったんじゃないかな?なんでこんなに楽なのMacOS。(最近、ぼちぼちと始めたThinkPad X40のWindows復旧の作業など、一週間過ぎた今でも終わりませんぞ。)

最近、写真を撮ることに興味を持ち始めた息子にはデジカメを与えて遊ばせているのですが、とりあえずまっさらなMac miniの環境には、iLife'06とiWork'06という二つのApple純正のソフトウェアしか入れていません。無粋なMicrosoftのソフトは入れていません。(本音のところ、メモリが512MBしかありませんので。)それにしても、デジカメを接続させるだけで、子供でも簡単にアルバムが作れてしまうiPhoto、おそるべし。あっというまにリビングの液晶テレビでアルバムショーを見ることができます。

今回、普段はKeynoteの陰に隠れてしまいがちなPagesというワープロといいましょうか、DTPソフトといいましょうか、まぁそんなソフトをいじくって気分転換をしていたのですが、これが軽快なソフトにもかかわらず、なかなかの使い勝手。通常のワープロという感覚で見ると操作方法に戸惑いを覚えますが、あらかじめテキストを作っておいて、画像などとともにPagesに流し込んでみると、自由自在にレイアウトを組むことができる。DTPソフトっぽいですね。パンフレットなどを作る際には便利かも。

最近、長男はだいぶ成長して、自分の欲しいおもちゃなどを声高に主張するようになりました。Mac miniを君用にセッティングしてあるわけだから、どうぞKeynoteやPagesを使って、欲しいおもちゃがある際にはプレゼンしてください。

2007年3月29日 (木)

国立大学法人法改正案の参議院採決

本日、今期参議院本会議で国立大学法人法の一部を改正する法律案(閣法第五二号)が、賛成二〇一、反対〇にて全会一致をもって可決されました。国立大学法人法改正の骨子は、以下の通り。

一、国立大学法人大阪外国語大学を国立大学法人大阪大学に統合すること。
二、この法律は、附則の一部の規定を除き、平成十九年十月一日から施行すること。
三、国立大学法人大阪外国語大学は、この法律施行の時において解散するものとし、その一切の権利及び義務は、国が承継する資産を除き、国 立大学法人大阪大学が承継すること。
四、この法律施行の際現に大阪外国語大学に在学する者は、大学卒業又は大学院の課程修了に必要な教育課程の履修を統合後の大阪大学において行うものとし、同大学はそのために必要な教育を行うものとすること。

いよいよ残すは衆議院本会議での採択のみ。統合、いよいよまったなしといった情勢です。

2007年3月24日 (土)

大阪外国語大学の卒業生の皆さんへ

ご卒業おめでとうございます。この大阪外大を卒業される人たちを見ているといつも思うことは、スウェーデン語やデンマーク語といった特殊な外国語の習得にむけて、一丸となって取り組んできたことの結果、自分たちの帰属意識がこの大阪外大スウェーデン語専攻やデンマーク語専攻に強く根ざしているということです。大阪外大は阪大との統合が計画されていますが、みなさんが学んできた専攻語の環境はこれからも必ずや生き続けます。みんなと勉強できたこと、みんなから勉強させてもらったことを思うと、今年の卒業生のみなさんにも僕は感謝しなければなりません。だからこそ、そうした感謝の念を与えてくれるこの大学の環境の存続と発展は、お約束します。みなさんは新たな人生のステージに立たれますが、厳しい専攻語の教育課程を終えられた経験は、今後の人生のなかで揉まれ、辛い立場に置かれたときに、それを乗り越えようとする際の糧になると思います。この大阪外大のスウェーデン語専攻、デンマーク語専攻を卒業したという事実を自信にもって、これからの人生に勇躍羽ばたいてください。

2007年3月23日 (金)

ちょっと待て!アフリカって超難しい

う〜ん、アフリカ難しい!なんなんだ…この言語の多さは!部族社会って事実は、なんとなく推測していたけど、これでは、言語を基準にして国家や民族を単位とした研究なんて、とてもじゃないが見通しが立たん!バルカン半島以上に、すっきりとした研究上の見通しを示す「方程式」を導き出すのが難しい。言語のもつ位置づけが、僕らがイメージする「国民」的国家や民族概念におけるものとは、まるで違うということ!すんごいね…アフリカ。どう料理してくれようぞ…アフリカ。これが終わらなければ、今晩の謝恩会もお預けだ!

2007年3月22日 (木)

ノマドな卒業式の終焉

明日は大阪外大の卒業式です。今日は熱を出して寝込んでいます。久しぶりに節々が痛くて、苦しい。ヨルバ語か、ハウサ語あたりのプロジェクト、待ってください…って、なにやってんだか>自分。

今年の大阪外大の卒業式は、おそらく「大阪外大」として最後の卒業式になるのでしょう。大阪外大の卒業式と言えば、豊中・吹田・高槻といった北摂の市民会館を、遊牧民のごとく、毎年、毎年場所を変えて、集団移動しながら行うのが通例。最後の卒業式は、高槻の現代劇場とありなりました。こんなノマドな生活も、これで終わりかと思うと万感迫る思いがあります。(と言いますか、阪大と統合すると、教員と学生を含めてキャンパス間でのノマドな生活が待っているのですが。まぁ、東大で駒場と本郷を往復していた身からすると、どうってことないんですがね。)

今回、デンマーク語専攻は最後の卒業式ということで、駐日デンマーク大使が来訪するらしい。ここらへん、ちょっと声を掛けてみて、日程が合えば気軽に付き合ってくれるところが、北欧流。スウェーデン語は残念ながら、「ロイヤルな人が来る時期かも知れない」ということで大使は来ないけど。大阪外大の卒業式は、外国からの来賓もあれば、学生のなかに専攻語の民族衣装を着込む連中もいて、ちょっとふつうの卒業式とは雰囲気がありました。しかし、それも終わり。

というわけですが、僕個人は明日午前は会議、午後から新聞社への対応と大学におらねばならず、夕刻の謝恩会へ直接合流します。謝恩会…なんとも甘美な響き。去年はスウェーデン出張で参加できなかったので、二年ぶりの参加。体調が回復していれば、「大阪外大の撃墜王」の力をいかんなく発揮したい。(謝恩会…そういえば、東大西洋史には「謝恩会」という儀式はありませんでしたね。僕の記憶が確かならば、「卒業生を送る会」だった。この期に及んで大学教員からも経費を巻き上げようとする強かな魂胆。僕が幹事をやったときの「送る会」での、今をときめくT田M子さんのコメントは忘れられません。)

2007年3月21日 (水)

なんで1月1日が正月なのか?

子供がお箸の握り方を覚えるために矯正用の箸を使い始めました。僕もそれに倣って、大人向け矯正用のお箸を使い始めました。さて、イラン暦に従えば、昼と夜の時間が等しくなる春分の日は、新しい年の始まりの日です。合理的だよね。よくわからないのは、なんでグレゴリオ暦を採用している僕らは、1月1日を新しい年のはじまりと考えているんだろう?そもそもユリウス暦で1年が365日とされたときに、1月1日が、あの日になったのだろう?太陽暦だとするならば、イラン暦のように春分の日を新年の第一日としたほうがわかりやすいと思うのになぁ?誰か、1月1日が設定された理由を教えてください?

2007年3月20日 (火)

泣ける教授会

今日の教授会は、退職者・離職者の発言を聞きながら、思わず泣けました。(昨年はこの時期にスウェーデンへ行っていたので、橋場さんとか、那須さんとか先輩たちの離職の挨拶は聞けなかったけど…聞いてたら、ボロボロ涙を流していただろうな。)

僕の近いところでも、僕が大阪外大着任以来いつも教授会で隣に座ってくださっていた菅原邦城先生が定年退職されます。我が国における北欧神話研究の泰斗として知られる菅原先生は、奉職40年。(現在では現代スウェーデン文学がご専門ですが。)大阪外大が上本町にあったころから、つまり僕が生まれるずっと前から、我が国における北欧語教育と北欧文化研究の第一線に立たれていた先生です。今でも大阪外大への就職が決まったときに、「あの菅原先生がいらっしゃるところでしょ?」と北欧研究を知っている人から言われたことを覚えています。スウェーデン語・デンマーク語はもちろん、アイスランド語にまで堪能な先生は教育・研究には厳しいが、しかしとても気さくなお人柄で、公私にわたっていろいろと楽しいお話を伺い、勉強させてもらう機会が多々ありました。

僕たちのスウェーデン語専攻は、今から四半世紀ほど前に、もともとあったデンマーク語専攻から独立してできあがった専攻です。デンマーク語専攻を支えてきてくださった間瀬英夫先生とともに菅原先生が作り上げてきてくれた環境は、教育・研究の面でまさに希に見ぬ価値をもったものと僕は思います。例えば、デンマーク語・スウェーデン語専攻に属する教員は、大学に来ているときの昼ご飯は大抵菅原先生の研究室に集まって、一緒にお昼ご飯を食べますが、そんななかから教員間の強い結束が生まれて、教育や研究に対する意見醸成がそんなところから自然と図られています。ここのデンマーク語・スウェーデン語専攻にある民主的な同僚関係はすばらしいものだと思うし、それに裏付けられた専攻語の教育体制も誇らしいものだと思う。

これ、これ…これこそが、本来大阪外大出身の人間でない僕が、どんなに過酷な仕事が課されたとしても、「守っていきたい」と我が身を奮い立たせるものの一つなのです。菅原先生がご退職されたとしても、先生が作り上げてきたものは、僕らの手によってしっかりと守り続けることをお約束いたします。

2007年3月18日 (日)

彩都西駅にて考えたこと

今日は大阪モノレール彩都西駅のオープニングセレモニーに行ってみました。朝早かったのですが、鉄道好きな息子のたっての願いで。彩都は箕面市と茨木市の市境部に建設されているニュータウン(もはや死語ですか?)で、正確には「国際文化公園都市」。その南西端には、我らが大阪外大が位置します。彩都西駅の開業で大阪外大と千里中央を結ぶ公共交通機関は、阪急バスに大阪モノレールも加わることになります。現在工事中の大阪外大北通用門と彩都西駅を結ぶ連絡路、すでに通れるようですね。今日は使えませんでしたが、目算では徒歩10分ちょっとといった感じでしょうか。

今日のセレモニーですが、国と府の力のいれ具合がよくわかる来賓のお歴々がいらしていましたね。阪大の一部の研究施設もあるものですから、阪大総長も紹介されていましたね。セレモニーの場では、我らが外大学長もお見かけしたものですから、「学長先生も休日なのに朝も早くから大変ですね。」と僕は声を掛けましたが、阪大総長とは扱いが違って、国際文化公園都市の一翼をなす教育・研究機関の長であるというのに植樹祭の場では紹介されず、何とも非礼千万というか、寂しさが募る思いに。大阪外大は、まだ阪大の一学部ではありません!大阪モノレールを彩都まで通すことに尽力されてきた国や府の関係者の皆さんには申し訳ありませんが、僕は憮然とした思いを得ました。

先週後半は、隔年に一度僕ら大阪外大デンマーク語・スウェーデン語研究室が刊行している紀要『IDUN 北欧研究』の編集作業をしていました。その作業を踏まえつつ、また今朝の新聞で見かけた「経済財政諮問会議で国立大学法人への運営費交付金の配分額決定に競争原理を導入せよとの提言」という記事を読んで、今日、彩都西駅から僕たちの大阪外大を眺めながら、一つの不安がよぎりました。大阪外大で生活している人なら誰しも、今後をめぐって不安を抱かない日がないと思います。いろいろな問題が山積していますが、なかなか研究体制の今後についてまでは思い至らないでしょう。例えば、紀要刊行の問題です。

大阪外大は外国語学部が一つしかない単科大学です。しかし専攻・専攻語の数は30近くあって、そのほとんどが独自の紀要を発行しています。(大阪外大全体でも『論集』という紀要が別にありますし、大阪外大には言語社会学会という学内学会があってそこでも研究誌が公刊されてきました。)単科大学で、ここまでヴァラエティに富む紀要を数多く公刊している大学は、国の内外を問わず非常に珍しいでしょう。各専攻・専攻語単位というところに、長所もあれば、短所もあるのですが、紀要発行という点に限れば、それぞれの専攻における研究活動は盛んだったと言えます。

大阪外大には、ここにしかない専攻がいくつもあります。ですから、そうした専攻が独自に発行している紀要は、国内でも非常に貴重な専攻言語による研究誌ばかりです。僕たちの『IDUN 北欧研究』もそう。すでに30年以上の発行の歴史があるし、投稿条件の一つとして必ず北欧語で要約を付さねばならないし、前号からは査読制度も導入して、我が国でも数少ない北欧学の研究誌としての質を向上させるために努力しています。こうした紀要の発行を財政的に支援してきたのは、これまで大学当局から交付されてきた研究費でした。我が国でも大阪外大にしかない専攻の価値は、単純に市場原理における需要と供給の関係では図ることができないため、大学から交付される研究費から発行に必要な経費を捻出して、どの専攻も紀要発行に努めてきたと思います。

今期通常国会で審議される国立大学法人法の改正をまって、大阪外大は阪大と統合される可能性が高くなってきました。統合後、総合大学の一部局に配分される研究費がどのようになるのか、これはまだ見通しの立たない話です。これまで大学単体として財政的に保護されてきた感の強い専攻単位の研究活動には、厳しい裁定が下る可能性もあるでしょう。総合大学の部局としては、自然科学系も含めて他の部局と比較されていくそうですから。そして、経済財政諮問会議では、自然科学系も、人文・社会系も垣根なく、競争原理に基づいて運営費交付金の配分を行うべしとの意見がでてきているという。しかしながら、この原理で動かれてしまうと、市場原理でその存在価値を計ることのできない僕たちの大学は厳しい評価を受けてしまう。世界の文化と言語を理解するための我が国における最終的な唯一組織として、僕らは少数精鋭で教育・研究活動を行っています。国内では需要が少なくとも、この大阪外大にしか我が国では学べる環境がないということで、専攻語教育に全身全霊を尽くしている先生方も多いでしょう。そうした環境でも、市場原理は絶対の原則でしょうか?僕らは、その原理から逃げて、甘えているのでしょうか?

大阪外大における普段の研究推進活動のなかでは、科研をはじめとする学外の競争的研究資金の獲得について、口を酸っぱくして(時には人に恨まれながら)発言をしている研究推進室の室長代理が、このようなことを言うと矛盾しているかも知れません。しかし、競争原理という点だけで教育・研究実績が評価されてしまうと、例え、学外の競争的資金を獲得したとしてもそれが少額であり、しかもその成果は特殊な言語・文化圏の理解にしか役立たない(と見られてしまう可能性のある)僕らの研究に対する研究費の配分は、ますます減額ということになってしまいます。となると、これまで大阪外大80年の歴史のなかで育まれてきた、数多くの貴重な学問的価値(それは希少価値と見られても仕方ないかも知れませんが)をもつ紀要の刊行も、先行きが厳しいものになってしまいます。これは大いなる不安です。

個人研究費から捻出する余裕がなくなるほどに研究費が少なくなっても、それでも紀要を発行するという選択を迫られる場合、例えば、紀要発行母体を研究会組織に改め、会員や紀要購入者から会費や雑誌代を徴収するという方策も考えられますが、一回の発行につき印刷代だけで50万円くらい(編集過程で必要になる消耗品費や紀要の発送代は除きます)がかかるのに、それほどの資金を集めることができるのか?僕らの研究分野は、自然科学系の人たち、あるいは市場経済に浸かっている民間・財界の人たちから見れば、雀の涙ほどにしか見えないだろう研究費の有無が、研究活動の将来にとっての死活問題となるのです。一体何億円の巨額が投入されたのかわからない彩都西駅に佇みながら、僕はそんなことを考えていました。

2007年3月14日 (水)

ヨッパライとフィッシュ&チップス

入試が終わったと思ったら、間髪入れず会議な日々が始まりました。今日は外部からいくつか仕事の話もあったのですが、なかでも「スウェーデン語で許可書のことをクルクルパーと言いますか?」という確認依頼がありました。クルクルパー…不覚ながら、日常的なスウェーデン語のなかで、こうした音をもつ言葉を僕は知りません。スウェーデン語にお詳しい方々にも確認しましたが、やはり同じ。で、その後、情報を募っていたら、どうやらお隣の…とは言っても、まったく言語の系統と構造が異なるフィンランド語では、通行許可のことをkulkulupaと言うそうですね。フィンランド語では、酔っぱらいのことも、juoppolalliと言うらしい。良い意味で脱力感のある仕事依頼でした。

この3月は送別会や慰労会が立て続けに入っているので出費を抑えねばならず、仕事もいろいろと抱えているものですから、個人的に飲む機会を減らしており、フィンランド語で言うところのヨッパライにはなっておりません…(笑)。が、今日はハッピーアワーな時間帯にちょっと時間が空いたので、『キース』へ伺ってみましたら、そこでとてもおいしいフィッシュ&チップスを頂きました。もとより僕は熱々のフィッシュ&チップスに、せっかくカラッと揚がっているのも顧みず、モルトビネガーを「これでもか!」というくらいたっぷりかけて頂くのが大好きなのです。だから、いろいろなところでフィッシュ&チップスを食べてきた経験があるのですが、今回のはピカイチでしたね。一般的なフィッシュ&チップスは、白身魚のなかでもタラなどを揚げてあるものでしょうが、山本さんのところ、今回はサワラをお使い。それは、それはとても肉厚で、そのボリューム感とジューシーさで僕の味覚は圧倒されました。サワラは、漢字で書くと「鰆」ってわけで、まさに春が旬な魚。粋な選択です。付け合わせのフライドポテトも、付け合わせと呼ぶには失礼なくらい、しっかりとした味のものでしたが、あのジャガイモはいったいなんだったんだろう?ファストフードなフィッシュ&チップスとは一線を画す、一品料理として独立したフィッシュ&チップスを、この大阪で頂けるとは誠に幸せです。ちょっとの時間滞在しただけで、今回も元気を頂きました。

2007年3月13日 (火)

う〜ん…やっぱボンバルディア

今日は高知龍馬空港で全日空系列エアーセントラルの飛行機が胴体着陸する事故がありました。乗員乗客がみな無事でなによりでしたが…やっぱボンバルディアのDHC-8-400でしたね。エアーセントラルも、JAL系列の日本エアコミューターも、短距離国内線ではYS-11の後継として重用している機体です。前々から油圧系統・電子系統の事故が多発している機体でしたが…個人的に嫌いな機体ではないのですが。ここまで事故がこの機体に集中してくると…どうなんでしょう…運行経費云々の前に航空会社も、何を最大限優先すべきか、決断が必要でしょうね。

2007年3月12日 (月)

すみません…疲れています

今年の入試日程もすべて終了しました。これで大阪外大としての入試はすべて終了ってこと以外に、入試に関しては何もコメントすることはありません。しかしなんですね…研究推進室なんていう仕事をしていると、人から恨まれちゃうもんです。この一年働いてきて、よくわかりました。業績とか、研究費とか関わってくると、人は正直で、その人の本性で対応してくれるようになる。(僕はただの歯車にすぎず、決定権も何もないんですけど。どうもみなさん、法人組織における組織運用だとか、意思決定だとか、そういうことに無頓着すぎます。)最近は教授会など、先生方が集まる場所へはどこに行ってもそうなんですが、今日も入試業務で集まった先生方から、この齢三十五の弱輩へ投げかけられる冷たい視線といったら…そりゃ、まぁグサグサと。いえいえ、こちらは冷たい視線をお寄せくださる方には、それが物言わぬ助言・批判だと思って、いつも以上に感謝の笑顔で対応です…そんな僕が一番いやらしい(笑)。さて数ヶ月かけた論文もスウェーデン語要約を添えてようやく終わりました。と思っても…休む暇はなく、間髪入れず今晩はセルビア語か、ヨルバ語あたりのプロジェクト立案中。ミネルヴァの『軍隊』企画では、関係者の皆様に多大な迷惑をかけております。心よりお詫び申し上げます。個人的にはこれから三月中は、「軍事革命」論のサーベイに集中します。それにしても…疲れました。

2007年3月10日 (土)

息子の選んだネクタイ

徹夜が続くのはいけません。この週末は想像以上にリバウンドが大きく、眠い、眠い…ひたすら眠い。久しぶりにサンソン・フランソワなドビュッシーなんて聴いてみら、なんだか、ボーッとしながら音の波にたゆたう感じが、疲れた心身には優しくってよい。眠いっちゃ〜、眠いんだが、今日の昼間は天気が良かったので、もったいないんで午前中は早起きし、久しぶりに息子の相手。種まきにつきあい、近所を散歩して、カフェで散財。最近の息子は、コーヒー片手の会話相手としても楽しくなってきました。午後は某所に家族で出かけ、昼ご飯はラーメンに、チャーハンに、餃子に…ってことでかなり安価に炭水化物をこれでもかと摂取した後、たまたま立ち寄ったコムサで物色。今年は細身のネクタイが流行りそうということで、息子に選んでもらったら、なんだかキンキラキンな水玉もの。うーん、センスまで共有することはできないか…な。試しに、明後日、大学にしていってみます。

2007年3月 9日 (金)

結局、眠っちゃいました

今日は徹夜三日目を完遂することができるかと思ったのですが、研究報告を朝8時を過ぎたところで提出した後、猛烈に眠くなって目覚めたら10時…『なるとも』がはじまっていました。「こりゃ、遅刻だ!」と思い、ガバッとと飛び起きて最終交通手段を使って11時頃に大学についてみると、ちょうど前期日程の合格発表をしていましたね。大阪外大にしてはすごい人だかり。というか、大阪外大としては最後の前期日程入試の合格発表になるんだな…。僕はといえば、その人混みのなかを「髪を染めたばかりだし、合格者に間違えられるかな?」と一寸期待していたのですが、髪の毛を黒く染めてみても、もう合格者とは間違えられません…雰囲気がしっかり三十路に染まったということですね、よかった。(合格者のみなさん、おめでとうございます。一緒に勉強しましょう。)午後の二つの会議の前に片付けねばならないことが多々あったので、昨日のコメントにあげたWaMComはダウンロードしただけ。今日も研究室で座って仕事ができた時間は、30分とありませんでした。

2007年3月 8日 (木)

古い道具を愛する

なにがなんだか、徹夜続きのハイテンションでMacBookに向かっていると、はやく夜が明けて大学へ行きたい気分になってきました。今日開催が予定されている教授会でも、僕は、一つ、二つ、三つ…え〜っと、一体いくつやればいいのだか、記憶に残せないほどの事項を報告することになっています。それでもはやく大学へ行きたい理由は、研究室にある古い道具に、再び新しい命を吹き込んでみたいと思っているからです。

(昨晩は、研究報告に集中しようと思っていたら、今住んでいる官舎の部屋に設置している洗濯機のホースが外れて、玄関からトイレ、官舎の階段まで、水浸しになってしまいました。この水難事故、築30年にもなるこの官舎の部屋ではよくあることです。今住んでいる官舎には、排水設備をもって洗濯機を設置する場所がありません。従って、玄関わきの本来洗面所であるスペースに洗濯機を置いて(…つまり洗面所は使えません…)、洗濯機を使うときにホースを風呂場の排水溝に引き延ばします。厄介なのは、洗濯機の置いてある床と風呂場の床とに段差があり、洗濯機側が低いということ。つまり排水する際に水は低いところから高いところへと昇っていくわけです。こんなんだから、よくホースが外れて水浸しになります。その場合には、赤ちゃん用の紙おむつをいくつかつぶして水を吸い取ります。紙おむつの吸水力には驚愕するばかりで、このようなものがこの世にあってとても助かります。)

さて、東大の近藤先生の主宰される掲示板で、このブログで一昨日にした発言への批判を頂きました。先生、ありがとうございます。そうですね…僕自身は古い道具を愛用しているつもりなのですが。パソコンのスキルがまだ未熟な人で、いろいろなことにパソコンを使ってみたいと思う人は、新しくなんでもできるパソコンを使うと楽でしょうし、そうした高性能なパソコンの移り変わりは激しいものです。一昨日の発言の中でも書いたことですが、研究室からパソコンを撤去した後、昨日の研究室での作業は、10年もののPowerBook 2400を出してきて、研究報告を書いていました。このPowerBook 2400は、僕が大阪外大に着任する前に赴任していたスウェーデン人教員が使っていたものでしたが、僕が着任したときにはボロボロの状態で研究室にうち捨てられていたものを、僕が引き取り、自腹を切って一つ一つのパーツを交換し、現状回復させたものです。10年前の機種ですが、今ではUSBや無線LANも使えるようにしてあります。テキストだけを扱うなら、まだまだ現役ですし、本当に手になじんだ道具こそが(…それは毛筆でも、万年筆でも…)、知的生産活動の向上と真の効率化に資するものと思います。僕はそうした活動に集中するための時間を、今、心底欲していますが、先ほど、気分転換にネットサーフィンをしていたら、Old Mac用のブラウザでWaMComというMozillaをOlad Mac用に改変したブラウザがあることを知りました。一昨日、PowerBookに火を入れて、すぐに引き出しに締まってしまった理由は、Gmailなどのブラウザメインのサービスが使えなかったからなのですが、このWaMComというブラウザには期待大です。

う〜ん、このようなことを考えていると、眠くならないのが不思議です。

2007年3月 7日 (水)

北極圏から見るバルト海帝国

完徹二日目…そろそろ三日目に突入か?!意外といけるもんです。昨晩から取りかかった研究報告は、「世界遺産が語るバルト海帝国」というテーマで、軍事国家やら、複合国家やら、抽象概念を振りかざして論じられるバルト海帝国(という、これまた抽象的存在)を、世界遺産という今に伝わる歴史の現場を通じて考えてみると、具体的に何が見えてくるのかを論じちゃおうとする、少々野心的な取り組み。書き始めたら、筆が止まらなくなって、今もなお執筆中。締め切りはあと数時間。

いろいろと検討した項目はあるのですが、今回の新機軸は、バルト海帝国の複合性を論ずるために、スウェーデン北端の北極圏に位置するノルボッテン地方を対象の一つに選んでいるところですね。従来、バルト海帝国を複合国家として理解しようとする場合、その研究の対象は、バルト海帝国の版図の中でも、スカンディナヴィア半島南端のスコーネ地方やバルト海東岸のエストニアなど、近世以前はスウェーデン王権に服属することなく独自の政治・社会秩序を有していて、スウェーデンと対立するデンマークやロシアとの境界を接した地域に置かれてきたわけです。

そこを北極圏の世界から論じちゃおうという逆転的発想のきっかけは、たまたまそこにルーレオのガンメルスタード教会集落とサーミ人地域という二つの世界遺産があるからなんですが、ルーレオが南方から植民してきたスウェーデン人の町である(都市自治の特許状が与えられたのは、グスタヴ2世アードルフから1621年のこと)のに対して、サーミはスウェーデン・フィンランドという南方からの入植者によって追いやられた者たち。この対比が、バルト海帝国の時代にとりわけ明確なんですよ。

近世におけるスウェーデン王権は、(まぁ、この当時の税は物納が原則なんですけど)それまでサーミからトナカイのような家畜そのもので税を支払わせていたのに対して、すぐに西欧市場に移送して換金可能な毛皮や乾物(鮭など)といった商品化された物で税を支払わせるようになる。これは大陸での戦争に資金が必要だった王権としては必要な策だったろうけど、自給自足の生活を送っていたサーミからすれば、毛皮や乾物なんてたくさん作ったって自分の生活に必要ない商品作物だから、彼らの生活基盤がそこらへんから崩壊し、変質していくんですよ。

一方で、ノルボッテン地方へのスウェーデン系の入植者は、1673年に徴税・徴兵を免除される特権が認められ、これを機にグッと北方への進出が拡大する。で、1695年には、物納による納税はかわらないのだけれども、サーミへの課税方法が集落ごとの財産に応じて決定されるようになっていくので、サーミは一部だけど定住が求められるようになる。そして、スウェーデン系の入植者と定住化をはじめたサーミは経済関係を軸とするならば融合していくといった感じ。バルト海帝国の経験を通じて、スウェーデンへと同化させられていった事例は、南方のスコーネ地方の「スウェーデン化」論が有名ですが、北極圏の場合にも、こうした同化過程が確認できるんですね。

でもって、現在のサーミ・アイデンティティに根ざした世界遺産としてのサーミ人地域ってのは、逆説的だけれども、言語などを基準としたヨーロッパ・ナショナリズムの論法をサーミ人が後年摂取して作られていったものですね。だって、サーミはもともとは現在のサーミ人地域などより、ずーっと南方の地域までが生活圏だったのですから。

ルーレオという町は、キルナなどで鉄鉱石採掘が本格化する19世紀末以前は、こうしたサーミからの漁業資源をステープルとして南方のストックホルムなどへと輸出する港湾市として重要でした。だからノルボッテン各地から人が集まるようになる。これを宗教面で見た場合、このノルボッテン地方を管轄したルーレオ教区はてても広大な教区だったのだけれども、人口もまばらだったため教区教会は唯一ルーレオのネーデルルーレオ教会にしか置かれなかった。だから、宗教行事が執り行われるとなると遠方から皆ルーレオに集まる必要があって、そうしたことから、ネーデルルーレオ教会を中心にして教区民の宿泊施設がたくさん建設され、これが北方スウェーデンの都市景観を代表するものとして世界遺産に登録されているわけなんです。

ルンドのハラルドも聞いたら思わず目を丸くするだろう北極圏から見た複合国家論ですが、さてさて、これをどうまとめあげようか…そろそろ執筆に戻ります。

2007年3月 6日 (火)

まだだ…まだ終わらんよ!

…とは、クワトロ大尉の名台詞(でしたっけ?)。そして、今の僕の気持ちを代弁する言葉でもあります。今朝方、ようやく一本、論文を脱稿…いや、正確にはスウェーデン語による要旨ができていないので、まだ完成とは言えないのですが。けど、ひとまず今晩は、「最後通牒」を突きつけられた(構想は頭のなかにありつつも、まだ一文字も書いていない)研究報告が先。まだだ…まだ終わらんよ!(…ちょっと意味が違いますね。)

今日は徹夜明けでヘロヘロになりながら、投稿先の編集長に論文原稿を渡したまでは良かったものの、研究室では茫然自失の状態。そこで気分転換に思い立って、エイやっと研究室で使っていたデスクトップパソコンを撤去しました。液晶モニターも、ワイヤレスなキーボードやマウスも、アクティブスピーカーも、インクジェットなプリンタも、スキャナも…個人的にこれまでこだわって厳選してきた機器の類のすべては、スウェーデン語・デンマーク語専攻の共同研究室へ!エェい…大盤振る舞いで、プリンタの換えインクもごっそり、おまけでつけちゃう!共同研究室での孤独な移転作業は、意識朦朧とするなかで進められたので、気がついてみたら、指を二カ所、ざっくりと切っていて、いつの間にか血だらけになっていました…それさえ気づかないとは…。

いざ自分の研究室からパソコン一式を撤去してしまうと、やはりなんと言いますか、手持ち無沙汰で仕方なく、そこでリストアしたまま保存状態にあったPowerBook 2400に、久方ぶりに火を入れてみたりしていました。今となっては、古色蒼然たるMacOS 8.6ですが、MS Office 2001やJeditなどサクサク動くし、無線LANも快調そのもの。10年近く前のものになりますが、今でも十分に現役で使えそう。とはいえ、Internet ExplorerがVer.5程度では、GmailをはじめGoogleが提供する様々なサービスが使い物にならず、哀れ、早々に引き出しの奥へ。

明日から研究室での新たなワーク・スタイルを、あれこれと模索していこうと思います。スウェーデン語・デンマーク語の学生のみなさんは、共同研究室に移したパソコン、今しばらくお待ちください。(まだパスワードがかかったままなので、みなさんでは起動できないものと思います。)『パソコン入門』なんて書いている人間がパソコンの撤去とは皮肉に聞こえる話かもしれませんが、今の大学では腰を落ち着けて高価なパソコンと向き合って仕事に集中できる環境に僕はありませんから、むしろ志のある学生たちに有効活用してもらったほうが費用対効果はずっと大きいと思います。パソコンってのは消耗品ですからね…旬のうちに使える人に使ってもらわないと、すぐに腐ってしまう代物ですから。(僕は古いので十分。)ですから、スウェーデン語・デンマーク語の勉強に必要な動作環境を完璧に仕上げた上で、この春以降、みなさんに引き渡したいと思います。楽しみにしていてくださいね。

2007年3月 5日 (月)

酷い、辛い花粉症

あいかわらず引き籠もっています。メールの返信など、滞っています。申し訳ありません。今日も一歩も外出しませんでしたが、花粉症は酷い。僕はキャリア20数年になりますが、今年は特に辛い。目も、鼻も…今日は目と鼻の奥の方の…耳の奥まで痛くなってきました。うぐぐぐぐ…。

国立大法人法改正案の閣議決定

もう一週間近くも前の話になりますが、2月27日の閣議で、10月1日付の阪大と大阪外大の統合に関する国立大学法人法の一部改正案が決定されたそうです。改正案では、10月1日に国立大学法人大阪外大が解散し、国が承継する資産を除くすべての権利や義務を、国立大学法人阪大が承継することが盛り込まれたそうです。いよいよ後は今期国会での審議を待つのみですか。そうですか、そうですか。しかし、こんな重要なニュースを見逃していたとはショック。

2007年3月 4日 (日)

よくやった!

この週末は春を思わせる暖かい陽気ですが、締め切りの過ぎた論文・報告書の類が山のようにあって、部屋に引きこもっています。そんななか、個人的にうれしい知らせが一昨日届きました。僕のスウェーデン史の学部ゼミ生の一人が、大学院進学を決めたという報せです。

僕が指導した学生としては、はじめての大学院進学生になるので、自分のことのようにうれしく思っています。大阪外大の学部における教育カリキュラムは、大学の性格上、当然!語学教育が優先であるのに対し、歴史学のような学問のディシプリンを陶冶するという点では限界があります。たとえば、スウェーデン語は「読む、書く、話す」の初歩ができるようになっても、それを使って「どういった研究を進めるのか」、そうした「研究の方法」については、時間の制約や1・2年生の頃に扱っているテキストと歴史学論文のレベルの差もあって、教える側も、学ぶ側もなかなか難しいのが現状です。それゆえに、大阪外大の限られた環境のなかで培った力で大学院進学を決めてくれたのだと思うと、うれしさもひとしおなのです。

(僕は個人的に学部1・2年生の頃から外国語教育のほかに、別途「歴史学概論」のような共通教育科目を設置して、研究方法の基礎を同時並行的に教える場が あって良いと思っています。現状で学部1・2年生の頃に行われている北欧史の授業は、はっきり言って概説史に過ぎません。北欧の言語と文化を勉強する基礎 情報の提供ということでは、そうした概説も意味はあります。しかし、それでは歴史学研究としての北欧史はできません。共通教育科目、実は研究力の養成という意味 でも、学部1・2年生の頃にやることが大切なのだと思います。やらせてくれないかな?)

今回、東大駒場の大学院に進学を決めた学生の場合、はやくから研究マインドが高かったということ、スウェーデン語に関して問題がなかったということから、先行業績を網羅的に調べさせ、ディシプリンをたたき込む指導をしてきました。大学院へ進んでからの研究で、資料批判を行う際にスウェーデン語力が求められるのは当然なのですが、しかし、大学院へ進む最初の関 門になる院試ではスウェーデン語で受けられるところはありません。そうなると、大学院進学に際してクリアせねばならないポイントは、院試で課せられるメジャー外国語、卒業論文の学術的精度、面接における研究関連の質疑応答だと思います。この三点をクリアするには、先行 研究にあたって、とにかく内外の学界動向を網羅的に把握すること(その過程で研究言語に関する語学力もつく)、その動向における自分の研究の位置づけを確認することに尽き るのだと思います。

もちろん、これを達成するには、本人の意思の力こそが大切。よくやったと思います。(東大の場合、学部前期日程の合格発表が、毎年10日のはずだから、その前までには下宿先を決めておくのがベターですね。良いなぁ…井の頭線かぁ…渋谷、下北、吉祥寺…なっつかし〜いなぁ〜・)

2007年3月 1日 (木)

「歴史」は難しい

子供の成長過程を見ていると、興味深いことをいろいろと見いだします。4才になる長男ですが、これまで電車に始まり、人体、宇宙といった即物的な対象に対する関心が強かったのですが、最近は世界地図と国名に関心をもっているようです。漢字がまだ読めませんので、彼にとっての国名は東アジアを除いたものになり、それゆえに日本の隣国は、ロシア連邦だけに未だ限定されていますが。無垢にして、鋭敏な知的好奇心は、なかなか鋭い質問を投げかけるものです。「ロシア連邦の連邦はなに?日本は連邦じゃないの?」とか、「ニュージーランドやアイスランドやアイルランドにはランドってあるのに、日本にはランドはないの?」とか。年端のいかぬ子供の質問とは思えない鋭い視点です。地図という資格化できる対象を得て、平面的な地理感覚が養われてきている息子ですが、父が歴史学を研究しているというのに、歴史の話には一切興味をもちません。というか、父は努めて歴史の話をしようとするのに、息子には、まだ過去・現在・未来といった長いスパンでの時間感覚が理解できないようです。もちろん、時計の意味は理解できていますが。ここではたと僕は、歴史とは、高度に抽象的な思考作業が必要なものだと気がつきました。

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