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2007年2月

2007年2月28日 (水)

学生のみなさん、世界史はしっかりと勉強しておくべきです

昨日の昼間、僕が大学にいる隙を見計らったように、緊急にウズベク語に関する研究プロジェクトに関して立案するよう、勅命が下りました。「なぜ、僕が?」とは聞かないでください(笑)。みんなと盛り上がれるような、面白そうな企画を立てるのは、大好きです。(そんな僕の夢は劇場支配人で、面白そうな演目を経営ベースに則っりつつ、舞台にのせること。今でも、その夢はあきらめてはいません。)で、期限は明日の午前ということで、今日はやるべき仕事を一時すべて中断して、ガッと具体案を4つばかり練り上げました。その詳細はここでは明らかにできませんが、こういう作業をするときにいつも思うことは、「う〜ん、世界史をきちんと勉強しておいて良かった!」ということですね。

僕らはから簡単に「ウズベク語」と一括りにしますが、実のところ、現代ウズベク語とされているものは、サマルカンドなどオアシス地域の定住者が使用する方言、ブハラやタシケントなどに居住する遊牧ウズベクの使用する方言、ホラズムあたりのトルクメン語に近い方言の三つからなっているらしいんです。ウズベク語はテュルク語系の言語ですから、筑波大に移られた那須昭夫さんとたまに語っていたことだけど、母音調和が喪失していることにまず特徴の一つがあるらしいのですが、たとえば遊牧ウズベクの方言では母音調和は残っているらしい。それゆえに、定住や遊牧と言った生活様態の違いで、方言が異なることも興味深いのですが、僕としては、中世から現代にかけて中央アジアにおけるヘゲモニー勢力との関係で、アラビア語・ペルシア語・ロシア語からの語彙が多く含まれるという点にあります。

  1. テュルク系の民族と言えば、やはり歴史上最初に注目されるのは、イスラム帝国においてマムルークとして活躍したトュルクメンの存在で、ここにアラビア語との関係が始まるわけです。
  2. でもって次は、モンゴル帝国の後継国家としてのキプチャク=ハン国や、やがて彼らがテュルク系の在地勢力と融合して成立していったティムール朝など、テュルク・モンゴル系王朝の存在。サマルカンドあたりを中心とする近代ウズベク民族成立の基盤には、やはりティムールへの歴史的記憶の存在を抜きにしては語れないでしょう。
  3. そして、北大スラ研で活躍している僕の友人前田弘毅くんが研究しているサファヴィー朝ペルシアの存在。ウズベク系はここで傭兵として立身出世し、地方の有力士族として活躍していたので、少なくともここにペルシア語との関係が見られるわけです。
  4. でもって、19世紀以降はキプチャク平原のウズベク系国家がロシア帝国に服属していった訳ですが、ロシア・ソ連という現代の「帝国」体制のなかでロシア語との関係が深まる。この時期は、ヨーロッパ起源の記述文法体系が民族言語(いわゆる国語)の成立に大きな影響を与えたわけで、ここに現代ウズベク語が成立する過程が見られるという次第。(民族言語というもの構築する際に、ヨーロッパ起源の記述文法という論法を借用せざるを得なかったのは皮肉な話ですね)

以上は、高校世界史で教えられているレベルの知識から、ざっと中央アジア史の流れを概観してみて思いついたところ。世界史をしっかりと勉強できていれば、現代ウズベク語の成立につながるヒントは、中央アジアをめぐるヘゲモニー勢力とウズベク民族との歴史的接触・交流のなかから、いろいろと見いだせそうということを即座に類推できます。ほんの数時間集中するだけで。学生のみなさん、忘れないでください…僕は、スウェーデン近世史が専門だということを!

(あともう一つ。現代ウズベク語の文章語記述の原則は、サマルカンドあたりの方言を基礎としているらしいのですが、いわゆる「ウズベク」として一括りにす るもののなかにも、少なくとも定住・遊牧といった生活様態の違いがあって、最終的には定住者の論理が優越して現代語ができあがるのですが、ここらへんの 「ウズベク」内部での力学関係も、面白そうですね。大体、近代ってのは、生産力中心主義で、農業や陸地といったものを重視する見方が強すぎで…話が長くな るのでやめます。)

2007年2月27日 (火)

重いけど最強なモバイル機器

最近はMacBookを持ち歩く機会が多く、例えば、今日なども統合関連の会議ではMacBookでメモをとっていました。いつも会議でご一緒している某先生からは、「古谷さんは、いつもモバイルは何を?」と聞かれるから(…見ればわかると思うのに…)、「ヘビーな仕事を抱えているときには、ヘビーなMacBookを抱え、そうでないときには携帯電話だけです。MacBookは重いけど、安い、速い、賢いの三拍子そろっています。」と答えました。

私、個人的には大阪外大のどの先生よりも、モバイル機器に対する経験を積んでいると自負します。ThinkPad220やPalmTopPC110といったモバイル機器の草創期からの経歴があります…かれこれ15年ばかりになるのかな。あの頃は今のようにネットワーク環境が整っていなくて、普及しはじめたばかりのPHSで音声みなし通信なんてやってましたね。就職してから2〜3年くらいは、お給料をもらうと嬉しくて、あれや、これや様々なガジェットを使いまくりました。DOSを積んだMobileGear、WindowsCEを積んだMobileGearIIやJornada、Sigmarion、SimbianOSを積んだPSION、PalmOSを積んだPalmやVisor、Linuxを積んだZaurus。そして、Windows XPを積んだSony VAIO Uシリーズ。いやはや、今となれば自分でもあきれるほど、本当に多くのモバイル機器を使ってきました。

(念のために話しておくと、これらの機器は、新しいものが欲しくなったときに、その都度中古屋さんに売り飛ばして、それを元手にして新しいものを買うという方法をとっていた、今、手元には残っていません。)

そんな僕も、今は重いMacBookだけ。通信は基本的に携帯電話だけで十分で、キーボードを必要としない一日だったら、パソコンのメールを転送し、添付ファイルも閲覧できる携帯電話だけです。もしキーボードが必要な作業を外出先で行う予定がある場合には、MacBookを持って行きますが、それを広げるような大抵の場所には、今や無線LANの環境があるので、かつてのように、携帯電話やPHSをパソコンやPDAに繋げて通信をする必要がなくなりました。

いろいろなモバイル機器を使ってきたからこそ言うのですが、ハッキリ言って、小さな画面に小さなキーボード、非力な処理能力のマシンでは、ストレスばかりがたまって、仕事は効率的にできません。(僕はB5サイズ以下のノートパソコンについても懐疑的です。)小さな携帯機器に仕事の効率化を求めるのは夢のような話であって、実際に使ってみれば、モバイルなんてものはガジェットマニアの格好の道楽の対象でしかありえなかったことに気がつきます。僕が結局2.3kgもあるMacBookを持ち歩く理由は、重さを犠牲にしても、MacBookが提供してくれる作業環境が、効率的な仕事の進行に不可欠と考えるからです。

そんなMacBookですが、Parallelsも安定の度合いが高まって、2GBに増設したメモリ環境ではWindowsXPもサクサクと動き、僕個人のPC歴のなかでは最強の仕様に達しつつあります。今日は、ドイツのIO SPIRITという会社から出ているRemote Buddyというソフトを導入し、Apple Remoteによる遠隔操作機能を拡充しました。かつてICUの那須敬さんとこのブログでも話題にしたことがあるのですが、MacBookの場合、Apple Remoteというリモコンがついていて、赤外線によるリモートコントロールが可能です。KeyNoteならば、このApple Remoteを使って、プレゼンの遠隔操作ができます。もう何も望むことはありません。今のMacBookが最強です。

(Parallelsは、WindowsからMacへ移行する人にとってのキラーアプリケーションだと思いますが、やはり快適にWindows XPを動かすには、メモリを2GBに増設しておいたほうが良いですね。ケチって、メモリを1GBにしたMac miniでは、ちょっときついです。)

2007年2月24日 (土)

松江で語ったこと

というわけで今回の松江出張の主眼は、来年の日本西洋史学会におけるシンポジウム「近世ヨーロッパの戦争」へむけた研究会にありました。今年の千葉大学におけるシンポジウムでは準備時間に限りがあったのですが、今回はじっくりと問題意識を共有しながら、来年の本番に邁進したいところです。

今回のシンポジウムにむけては、その背骨となる議論として、1997年にアウグスブルク大学のJ.ブルクハルト先生によって公にされた近世ヨーロッパにおける戦争の恒常的状態に関するテーゼ(…これは70ページを超える長大な論文ですが、横浜桐蔭大学の鈴木直志さんの翻訳によって日本語でも読めるようになりました…鈴木さん、感謝!)があります。今回の出席者に共有されている意識としては、イタリア戦争以降その形が登場し、ウェストファリア条約で一定の形式を得たと理解されているいわゆる「主権国家体制」に批判的であること。その理由は、近世の戦争の主体である「国家」が集約化された国家経営機能を持った近代的な主権国家とは異なって、主権も、国家の意味するところも近代国家とは異なるいわば「近世国家」とでもいうべき独特なものであることにあり、近世における戦争は「国家間」の戦争というよりは、「国家形成」途上の試行錯誤の時期にあればこそ恒常化したといったところにあろうかと思います。

シンポジウム参加予定者の先生方からは、各々とても興味深い報告がなされました。(それらは本番を楽しみにしていてください。)僕は近世スウェーデン史研究をしているものですから、例の「軍事革命」論から出発するわけですが、「軍事革命」論を国家経営の観点から敷衍させたスウェーデン軍事国家モデルが、「スウェーデン」という存在を大前提としている点に問題があることを、17世紀の戦争を支えたバルト海世界に広がる人的・物的ネットワークの観点から指摘しました。

その理由は、「スウェーデン」と「バルト海帝国」が一致しないという点にあります。これを理解してもらうためには、「近世国家」の一つの特徴である「複合国家」論を、単に伝統的な独自の政治体制・社会体制が複合するという意味だけではなく、機能としてのstat、版図としてのrike、広域支配権としてのväldeという「近世国家」論を考察する際の三つのパースペクティヴの複合という議論へ拡張して考える必要があります。たとえば、スウェーデン軍事国家モデルは、あくまでも機能としてのstatから見える像に過ぎないのです。だから、実際に17世紀の戦争でバルト海に拡張したものは、「スウェーデン」ではなく、広域支配権をスウェーデン王が集中するいわゆる「バルト海帝国」なのです。

そうなると問題は、「帝国」という広域支配圏において、大陸での戦争に必要な人的・物的資源を動員する際の正統性がいかにして確立されたのかというところに行き着きます。ここに古代ローマ以来の帝権理念と接することのなかった(それゆえにEmpireにあたる語彙のない)スウェーデンにとって、独自の自己理解が生み出される背景が生まれます。ゴート主義、福音主義による宗派体制化、それらに基づく近世スウェーデンに独特な「祖国」論などが、この話に連なります。

ここからは、僕独自の解釈ですが、これまで近世における戦争の恒常化は、近代世界システムの創成だとか、主権国家体制の模索だとか、17世紀の全般的危機だとか、そうしたいわば近代国家の初期的形態である「近世国家」の存在をあらかじめ前提とした議論から説明されてきたわけです。もちろん、そうした議論も一理あるとしても、より近世ヨーロッパ社会の実態に即した議論としては、国家と呼ぶものの足下自体を疑ってかかる必要があると僕は思っています。つまり、この時期は、先に述べたように、戦争を通じて新たに生み出された自己理解を共有する者が「近世国家」を形成していく時期であり、つまり同時に自己と他者との差異化がはかられる時期であり、そうした自己・他者認識の新たな創出と競争こそが、戦争の恒常化の一因ではなかったかと思うからです。

6人もの第一線級の近世史研究者が議論するわけですから、内容も多岐にわたり、時間がいくらあっても足りない野心的なシンポジウムになりそう。今回はブレイン・ストーミング的な研究会でしたが、いずれいくつかのサブテーマを設けて、それにコメントするといった形になりそうです。僕としては、30代のうちにはまとめたいモノグラフへむけて、これまでの研究を整理するためのステップになればと思っています。西洋史学のディシプリンで育った者としては、近世スウェーデン史研究から「スウェーデンとは何か?」を地域研究的に主張するものではなく(…そんなんつまらんよね…)、やはり近世ヨーロッパ史研究への提言を「スウェーデン」から主張するものにしなきゃねと思っていて、そうなると近世の戦争と国家アイデンティティといったテーマになるんだろうな。来年の学会へむけては、今後も準備を兼ねて美しい松江へ行ける機会があるということですから、楽しみは続きます。さぁて、勉強、勉強っと。

2007年2月23日 (金)

松江は美しかった

松江出張から帰ってきてから、例によって忙殺状況にあり、このブログで肝心の松江出張の内容を発言できないでいました。申し訳ありません。まずは、来年の日本西洋史学会へ向けて一丸となって取り組まれている島根大学の皆様、年度末のご多忙な時期にもかかわらず、今回暖かいもてなしを頂いたことに深く感謝申し上げます。松江へは生まれて初めて訪れました。『功名が辻』でもお馴染みの堀尾氏以来の古い城下町ですから、時間があれば、ゆっくりと町並みを楽しみたかったのですが、そうした楽しみは今後にとっておくことにしましょう。それでも、バスやタクシーから垣間見る町並みは、軒の低い切り妻の町屋が列をなしており、地方の城下町としては往時の姿をよく保存しているところと見受けました。

島根大学のスタッフのみなさんの取組をはじめ、いろいろと感じ入ることが多かったのですが、(とりわけ西洋史系と日本史・東洋史系の先生方が連携・共同されている姿が印象的でした…研究・教育の対象が異なると普段のつきあいが疎遠になるものですが、西洋・日本・東洋という日常的な連携から、何か新しい知見が生み出される基盤になるやも知れませんね…)朝方、朝日を浴びてきらめく宍道湖の美しさには、夜型の僕もヤラれてしまいました。前の晩は、夜中まで島根大学のみなさんや今回のシンポジウムのメンバーと飲んでいたのですが…不思議なものです…朝の6時頃にはパッと目が覚めて、宍道湖を望む温泉で朝風呂を楽しみました。つい昨日結婚9周年を迎えた僕の妻に言わせれば、僕がそんな朝風呂を浴びるなんて信じられないと。僕自身も、これは松江の美しさが引き起こした奇跡だと思っています。

島根は、松江地ビールビアへるんや出雲路ビールなど、全国的にも知られた地ビールの産地でもありますが、(キースの山本さん情報によれば)松江は全国的にも名の知られたバーのある町でもあるのだそうです。図らずも島根大学の先生方にお連れいただいたバーは、松江でも老舗で知られるという「A Bar 山小屋」。松江では一番の飲食店街になるのでしょうか、東本町にあります。そのログハウス風の落ち着いた店内は、酒杯を手にゆっくりと会話を楽しめる、誠に居心地の良い空間がありました。僕にとっての一番の驚きは、「山小屋」さんにアクアヴィットが置いてあったこと。僕はいつもの癖で、入るなりバックバーを横目で一瞥しつつ…そして二階席へと通されたのですが、僕の目は、バックバーの最下段の左端に、一本だけ置いてあるデンマークのオールボーを見逃さなかった。う~ん、バックバーの並びから、このバーの「違い」を感じました。今度訪れる際には、そんなすてきな空間を作り上げているバーテンダーさんとお話をしてみたいものです。ここ松江にも、アクアヴィットがあったってだけで、俄然やる気になってきましたね…(笑)って、肝心の研究会のほうも、収穫は大きかったので、それは別項目で発言しましょう。

2007年2月22日 (木)

シニア世代獲得戦争

今年は暖冬の影響もあって、ここ大阪でもスギ花粉の飛散が例年よりはやく、多いような気がします。今日あたりから、古谷家では親子で花粉症の症状が出ています。(松江も一切、雪は見あたりませんでした。)

さて、今回の松江出張からの帰りがけの飛行機のなかでJALの広報誌を読んでいたら、印刷博物館館長の樺山紘一先生の写真をお見かけして、JALシニアーズ・アカデミーの存在を知りました。団塊の世代以上の第一線を退かれ、「第二の人生」を歩み始めた世代を最近はシニア世代と呼ぶことが定着してきましたが、樺山先生と小田島雄志先生の写真と言葉が添えられたその記事は、その世代を対象とした教養講座の記事でした。

いやはや、この講座、どうやってここまでの著名人を集めたのかと思うほど、世に名の知られた先生方の講義が揃っているんですね。ルネサンス関連で樺山先生からはじまり、ブルボン朝関連では長谷川輝夫先生や『ベルばら』の池田理代子さん、江戸の庶民文化で林望さん、現代中国で中嶋嶺雄先生、イギリス文学で小田島雄志先生、ギリシア神話や聖書関連で阿刀田高さん…あげたらまだきりがない。

ここでいうシニア世代は、大学で教育を受けたことがあり、退職金もある世代ということで、知的好奇心にお金をかけることを厭わない…そして体力もある世代ということで、世界の歴史や文化の知識を身につけたら、即、現場へと旅立つ世代ということで、彼らの獲得を巡って観光業界をはじめ、いくつかの業界は熾烈な競争を始めています。

僕も、 JTBカルチャー・サロンというところ(あともう一つ、今、関係を模索中)で長らく協力させてもらっていますが、いや~、JALシニアーズ・アカデミーの蒼々たる顔ぶれを見ると、恐縮しちゃいます。う~ん、それとも、このJALアカデミーは、受講者の世代に合わせた陣容ということ?JALシニアーズ・アカデミーの蒼々たる顔ぶれを見ると、僕らのほうは、現役バリバリの大学教員が講義をするというところに付加価値を求めるしかなくなっちゃうのです…「この青二才が!」と呼ばれても仕方がないかな。

2007年2月21日 (水)

今回のフライト

今回の松江出張は、伊丹空港と出雲空港の間を往復する国内の短距離便を使いました。これだけ航続距離が短い場合は、ジェット機ではなく、やはりターボプロップ機!ターボプロップエンジンの、あのグゥォオ〜ンという音と震動がたまらないんですよね。僕は、あまり高度も高くならず、のんびりと外の風景を楽しめるプロペラ機が好きです。国内の場合、戦後日本の復興を象徴した純国産の名機YS-11はもはやなく、その後継たちは(残念なことに)外国産。

今回は、行きはデ・ハビラント(今はボンバルディアかな?)のDHC-8-400。(そういえば、国土交通省はこの機体が昨年来いろいろと問題が出ていたので、ボンバルディア社のあるカナダに改善要求していたけど、どうなったのかな?)帰りは我らがスウェーデン航空機株式会社…Svenska Aeroplan AB…SAABの340B。どちらの機体も、双発ターボプロップ機としては長年の実績のある名機ですし、現在の航空業界で使われているプロペラ機の代表機種でしょう。

西日本のローカル路線といえば、日本エアコミューター(JAC)なわけですが(…JALグループのなかにはローカル路線を運行しているJALエクスプレス(JEX)もありますが、地方空港を結ぶものでもそちらはジェット主体ですね…)、JACの出資者には地方自治体などが入っているので、親会社のJALは世界の航空会社連合であるワンワールド・グループに入っていながらも、JACはそれに入っていません。これは北欧を例にして言うならば、デンマーク王国というグループに属しているグリーンランドやフェロー諸島といった自治領は、本国であるデンマークがヨーロッパ連合に属していても、地元経済を優先させる考えに立ってEUに属さないというのと、なんとなく似ているかな。

非接触型ICチップの威力

今回の松江出張では、携帯電話が本当に重宝しました。愛用しているauの携帯電話には、非接触型ICチップが内蔵されています。最近、航空会社のCMで目にすることが多いと思いますが、非接触型ICが内蔵されているならば、それに対応した各航空会社のチェックインサービスに事前登録しておけば、webチェックインとチケットレスでカウンターを経由せず、携帯電話を振りかざすだけで、手荷物検査だけ受けてそのまま搭乗口までスルーすることができます。

(領収書などが必要な場合には、後で時間があるときに発券できます。半券がわりになるものは、手荷物検査で発行されるレシート状の紙になりますか。こうした携帯電話による完全チケットレスが普及すると、出張精算の際に要求される半券も見直しが必要になるやもしれません。)

今回の出張では、この機能の恩恵を受けました。月曜日の朝、出雲空港行のフライトが7時40分だったのですが、目覚めてみるとなんと6時45分を回っていましてね。さすがに今回ばかりは、もう駄目か…と思いました。とりあえず顔を洗って、着替えて、官舎を出たのが7時すぎ。妻の運転で伊丹空港まで中央環状線を行ってもらい(ありがとう!)、車のなかから携帯電話を使って、7時10分頃Webチェックイン。7時20分前に空港に到着。携帯電話を振りかざしながら手荷物検査をスルーして、7時25分頃には飛行機の搭乗ゲートに到着。結果、何の問題もなく8時30分頃には出雲空港に降り立ち、9時頃にはJR松江駅に立っていました。

伊丹空港到着から飛行機の登場口まで5分とかからなかったという点が、今回の携帯電話から得た最大の恩恵。これで飛行機が、ますます電車やバスに乗る感覚へと近づきました。道具の使いようによっては、実に便利な世の中になったものです。

(ただし注意するべき点としては、あらかじめチケットを予約する際に座席まで確定していないと、Webチェックインははじかれることかな。帰りの便では、時間に余裕があったから良いようなものの、このWebチェックインが使えなかったんです。)

2007年2月20日 (火)

松江から

松江に来ています。朝の宍道湖はホントにきれいだ!いろいろあったが、島根大学のみなさんの暖かいもてなしを受けて、良い時間を過ごしています。携帯からなので、取りあえずここまで。午後には外大にトンボ帰りで会議っす。

2007年2月18日 (日)

Intel Mac への移行完了

久しぶりにPCネタ。自宅書斎用にIntel Core Duoを搭載したMac mini(コンボドライブの安いほう…Core 2 Duoの搭載を待てませんでした…)を導入しました。この1月にThinkPad X40が沈黙して以来、復旧させるにも時間がかかり面倒なので、自宅でも、外出先でも「虎の子」MacBookを用いていました。で、ようやくこれで自宅の作業はMac mini、出先の作業はMacBookという体制が整いました。Intel Coreプロセッサを積んでいれば、Parallels上でWindowsを快適に動作させられるので、Windowsによるスタンドアローンな環境は全く要らない。そこで、完全にWindows環境を自宅からなくしました。あ〜、すっきりした。

今回のMac miniの導入にあたっては、キーボード・マウス・iSightが余っていたのでそれを流用。今回、追加投資したものはモニタだけで、それもBenQの格安19インチワイドのFP93VW。WXGA+の解像度、デジタル・アナログの二系統の入力端子をもっていて2万円台で売られている。かなり安いですが、ドット抜けなどなく、今のところ順調。うちではBenQという名前が「便器」に聞こえるらしく、かな〜り、うけてます。デザイン的には不評ですが。

まぁ、人それぞれ、いろんな意見があるとは思いますが、最近の僕はお金がないので、いかに安価で効率よく仕事の環境を整えられるかに、関心が集中しています。そうなると、20数万円もするWindowsVistaの搭載されたラップトップPCを一台買うよりは、同じくらいお金をかけられるならば、MacBookとMac miniで二台体制をとったほうが相互補完的にバックアップも取れるし、精神的に良い気がします。MacBookなら一番安価なもので139800円、Mac miniだと74800円…。

それから、この春休みには、自分の研究室からパソコンを撤去しようと思います。酷い話だけど、どうせ大学に行っても、研究室でパソコンに向かって集中して研究をさせてもらえる時間などありませんから、パソコンなんて研究室に必要ないんですよ。(より正確に言えば、パソコンがない今様の大学教員のワークスタイルは、どのように実現できるかを探求してみようという野心もあります。いつまでもパソコンに縛られている時代じゃ、ありませんぜ。)メールやブログは、すべて携帯電話でできていますし。でも書庫や学生相談の場としての使い勝手はありますので、研究室自体は必要。で、僕の研究室にある自作パソコンですが、埃をかぶるよりは共同研究室に移設して有為な学生のみなさんに有効利用してもらったほうが良いと思うので、スキャナから、プリンタから、モニタ、キーボード、マウス…すべてを提供します。スウェーデン語、デンマーク語の学生のみなさん、今しばらくお待ちください。この春の新学期からは、共同研究室でパソコンを使える環境を完璧に整備しておきます。

2007年2月17日 (土)

久しぶりの梅田

久しぶりに梅田で学生たちとのゼミ・コンパ。いわゆる「追いコン」。いやはや、「追いコン」の場所となったとある居酒屋は、そうしたお店が集まっているビルの一角を占めていたのですが、そのビルと居酒屋さん群のこの週末の混み具合といったらすごかった。なかなかエレベータに辿り着けなかったほど。それに久しぶりに、若い学生のみなさんが飲みに行く居酒屋さんに行った感じ。客層が若く、どうやら合コンなんてやってるグループもあり、それは、それは微笑ましかった。

久しぶりに訪れたのは、若者向けの居酒屋さんだけではなく、梅田の某バーも。そちらのバーテンダー氏にお会いするのは本当に久しぶりだったのですが、僕のことを記憶してくれていて、うれしい限り。昨晩は、僕的には日本でも有数の旨いビールを造っていると思う「いわて蔵」のヴァイツェン・ボックでもてなしていただきました。アルコール度数高めのこのビールは、冬の寒い時期に体を温めるためのもので、この時期にしか飲めません。心も、体も温まるもてなしに感激しました。

で、そのバーテンダー氏はなんでもこの3月に、そのバーを辞めていよいよ独立するという話を伺いました。目指すはオーセンティックなバーというよりは、スペインのバル風のお店だと…実に楽しみです。いろいろな人が新しい人生へと旅立つこの時期。みなさんの未来が、幸多きものであらんことを。

2007年2月15日 (木)

第26回北欧歴史家会議…僕はレイキャヴィークへ行きたい!

今年2007年は、三年に一度北欧の歴史学研究者が一同に会する北欧歴史家会議が開催される年です。第26回大会となる今回の開催地は、レイキャヴィークのアイスランド大学。8月8日〜12日です。僕は前々回のオーフス(デンマーク)、前回のストックホルム(スウェーデン)と出席してきたので、今回も是非出席したい。懐かしい面々と再会できる機会ということもあるけれど、この期間中に数多く開催されるちっさなセッションで披露される若手・中堅の研究者による最新の研究プロジェクトのプレゼンが刺激的で、僕はこの三年に一度の北欧歴史家会議で受ける刺激を、次の三年間の自分の研究の方向性を見極める一つのステップとして考えています。

例えば、今回の場合、ルンド大学歴史学部で飲み仲間だった「ゴットランドは俺の島だ」でお馴染みの(…って歴史学部でしか通用しないネタだな…)Jens Lerbromが、近世デンマーク・スウェーデンの帰属意識について報告したりする…ゴットランド・ネタでしょうな、おそらく。Jensは2003年にルンド大学に提出された博論を、Mellan två riken - integration, politisk kultur och förnationella identiteter på Gotland 1500-1700(二つの国家の狭間ーゴットランドにおける統合、政治文化、国民意識の原像)ってタイトルでパブリッシュしたんだけど、僕が「大阪外大に入れてあげるから、日本でも二冊は売れることになる。」って話しただけですごく喜んでいたから、「君の北欧歴史家会議での晴れ姿を見に、地球のプレート活動の裏側から飛んできた。」なんて言ったら、それだけでビールを何杯酌み交わすことになるのやら。目に浮かぶよ…その光景。

(あれれ…!よーく見てみたら、なぜか最近日本で知名度の上がっている(…笑)、というか古谷家が家族ぐるみで世話になっているHarald Gustafsson先生も、中世から19世紀までの国家形成に関する半日セッションに名前を連ねているなぁ…昨春会ったときは体調良くないからレイキャヴィークは行けないと言ってたのに、大丈夫かな。そうなると彼は、オーフス、ストックホルムに続いての出陣となりますが、現在の北欧歴史学界を語る際に彼抜きでは始まらないということですね。それに講演のほうを見ていたら、ルンドでやはり一緒だったKalle Bergmanが、軍港都市カールスクローナを事例に近世スウェーデンの政治文化と市民的公共性を語る予定になっている。僕が留学したころ博論を書いてい たJensも、Kalleも、みんなしかるべき実績を残して、次代の歴史研究を担う者として活躍しているんですね。あ〜ん、それに比べて、僕は何をしているのやら。でも、こうして考えると、短期間だったけどル ンドで築けた人間関係は、今の僕にとって宝物です。そうそう、大阪外大にもいらしたことのあるアイスランド歴史学界の大御所Guðmundur Hálfdanarson先生は、今回大活躍のご様子。デンマークの原像としてのアイスランド、アイスランドの原像としてのデンマークってテーマでセッションされますね。彼はHaraldの友人でHarald経由で僕のことを聞いていたらしいのですが、大阪外大まで来訪してくれたことがあるのですから、今度は僕が表敬して訪問する番でしょう。それに近世デンマーク史研究の大家「二人のJespersen」の一人Leon先生が、セッション 終わった12日にひっそりと講演をすることにもなっている。こりゃ、阪大との統合協議を個人的に中断しても、ますます行かねば。ちなみに今回2007年の大会は、一応100周年を祝う大会になります。)

06092000_2 普段、このブログでは写真を掲載しませんが、懐かしくなったのでルンド大学留学時代によく飲んでいた仲間の写真を載せます。たまたまJensとKalleが一緒に写っている写真があったので。共にEva Österberg先生の門下。上で紹介したJensは一番右の腕組みしている男。Kalleは一番左のにこやかなおじさんで、彼の博論は、Makt Möten Gränser, Skånska kommissionen 1669-70(国家と境界の邂逅、スコーネ委員会)ってタイトル。ちなみに立っている女性が、近世・近代スウェーデンにおけるサガの位置づけを研究しているAnna Wallette。博論は、Sagans svenskar. Synen på vikingatiden och de isländska sagorna under 300 år(サガのスウェーデン人、3世紀に渡るヴァイキング時代とアイスランド・サガの意味) というタイトルで2004年に出版されています。この写真は、記念すべき第1回北欧歴史家会議の舞台にもなったルンドのグランドホテル前の、なぜか名前がJohn Bull Pubってところで撮ったものです。よく行ったなぁ〜。

この北欧歴史家会議は、北欧の歴史学研究の最前線を知るという学術的な意味だけではなく、北欧の歴史のなかで振り返ってみると、北欧における地域間協力の醸成に大きく貢献した歴史的な意義の大きい存在です。北欧歴史家会議は、ノルウェー・スウェーデンの同君連合が解体した1905年に第一回の大会がスウェーデンのルンド大学で開催されています。我が国の北欧研究では、北欧協力の歴史については19世紀におけるスカンディナヴィア主義の展開と、冷戦期以降の北欧会議などの事例がよく紹介される一方、1864年のシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン戦争でスカンディナヴィア主義が挫折して以降、1953年に北欧会議が成立するまでの間に、北欧協力の進展がどのようであったのかについては、あまり知られていません。いわばミッシングリンクになっています。

概念としての「北欧」が歴史上はじめて明確に謳われたスカンディナヴィア主義が挫折したからといって「北欧」が消えたわけではなく、またなんの前提もなくいきなり東西冷戦の緩衝地帯として「北欧」が北欧会議によって実現されたというわけではありません。スカンディナヴィア主義の挫折以降、概念としての「北欧」を形式として具体化させようとする試みは、19世紀末から20世紀前半にかけて行われていました。それぞれの北欧諸国の政府は国民統合と福祉国家の形成に関心が集中していましたから(…そして、それに呼応するように、日本の北欧研究者の目も、この時期のことになると国内の政策にばかり目がいってしまう傾向があります…)、実際にこの時期に「北欧」の連帯実現を試みたのは草の根の民間の活動でした。例えば、北欧議員間連合だとか、北欧歴史家会議だとか。ナショナリズムの流行に従って生み出された「北欧」という理念は、そうした活動に継承されるなかで次第に形式を得、それが冷戦期の北欧会議などへつながっていったわけですね。こうした意味から、北欧歴史家会議の存在は、「北欧」の成立を考えるうえでとても大きいのです。(史学史という観点から地域概念の成立を問うこのテーマは、いずれ僕が勉強しようと思っているテーマですので、パクらないよーに!)

前口上が長くなったのですが、今回の第26回大会の最大の特徴は…全日セッションのテーマでも、半日セッションのHaraldでも、研究プレゼンのJensでもなく、10〜11日に予定されているエクスカージョンの多さ!ブルーラグーンとか、そこかしこのギャオを巡るとか、そんなのはアイスランド的でわかるんだけれど、やれホエールウォッチングだとか、やれスーパージープサファリツアーだとか、乗馬ツアーだとか…なんだか、「そりゃ単なる観光ツアーでしょ」的なものが多い。(スーパージープサファリツアーってのは、つっこみどころ多いよな。スーパーが、ジープにかかるのか、サファリにかかるのか、はたまたツアーにかかるのか…というか、アイスランドでサファリってのは何?羊の群れに突撃か!?)日本人としては円安が急激に進行していて、アイスランドの物価がますます高く見える今日この頃ですが、アイスランドなんてなかなか行けるものでもないし、観光気分が強いのは北欧の学者たちも一緒なんでしょうね。

というか、北欧歴史家会議はアットホームな雰囲気でホスト側が歓待してくれて、期間中は連日飲み会が続き、なんか…こうホームパーティーの延長線上のような感じで公私にわたって楽しい学会なんですよ。僕が好きな、こじんまりとした暖かさのある「北欧」の知が、そこにあるって感じなのです。僕から言わせれば、「北欧」なんて概念は、同じ志を持つ者同士の関係、こうした暖かい雰囲気の中で酒杯を傾けたり、遠足いってみたりしてできあがった人間関係のなかにこそ実現しているんだと思う。だから、エクスカージョンも重要。地域概念なんて、それを共通に考えている人間関係以外の何ものでもない…とまた妄想チックな発言で申し訳ないけれども、僕にとっての「北欧」はそこにあります。だから、この夏はレイキャヴィークへ行きたい。

2007年2月14日 (水)

感心、感心

「頼むから、自分の仕事をさせてください…大学様」とぼやいてみても仕方がない。ところで、僕が髪の毛を染めたことに気がつく人が少ないのは、どうしてだ?自意識が過剰だったか?世の中、そんなもんだな。四柱推命的な占いによると、今日の僕はモテモテだったはずなのに…(爆)。僕はまだまだこの髪の色に違和感が強くて、あたかも「真っ黒なカツラ」をかぶっている感じがします。

で、昼は会議と資料作成、夜は成績づけという日々が続いています。海老一染之助流に言えば、「これだけ働いても、給料は一緒」…(笑)。いやはや、よく妻にする話なんだけど、不倫や浮気とかできる人ってのは、とにかく時間の余っている人なんだと思う。昨日よりは今日、今日よりは明日…といった形で、どんどんと忙しさの度合いが高まっていくので、自分の人生のなかでは未だ経験したことのない境地へと入っていっています。今後、自分はどうなっていくのだろう?これはきちんと見極めてみたい。例えば、昨年、一昨年のこのブログで「忙しい」なんて書いていた頃は、今から見れば「そんなにも忙しくはなかった」と断言できる。

で、今、北欧史講義の試験の採点をしていますが、今年の2年生の答案はよく書けているものが多く、感心しますねぇ。ある意味、「とても元気のある(…括弧付き注意…)学年だ。」と方々で言われているかも知れませんが、しかし、今年の僕の授業では、そんな彼ら・彼女らだからこそ、ざっくばらんに自由に突っ込んでもらって、わかるまでとことん話を聞いてもらったのが功を奏した形だと、採点をしながら嬉しくなっています。(僕の試験は、教科書の内容だけではなく、講義で話していることも踏まえないと点数がとれませんからね。)

2007年2月13日 (火)

ビ…ビルクって…

このニュース、みなさんはすでにお聞き及びでしょうか…!北海道の中標津で、牛乳を原料とした発泡酒が開発され…その名も「ビルク」がこの2月に発売されたということ!ビール党の僕には、衝撃的なニュース。開発の背景には、牛乳の過剰生産と大量破棄という大量消費社会の抱える問題の一つがあり、せっかくの牛乳という資源を有効活用しようという大志があるらしい。その意気は大いにかいます。

で、どうなのよ?馬乳酒ってのがあるけれど、そもそも今回のビルクは、牛乳にビール酵母とホップを入れているわけだから、製法も、味も、全く前者とは異なりますね。味は全く想像できません。製造過程における疑問点は、以下の三点に集約されます。

  1. ビール製法で重要な最初のステップは、麦芽を粉砕してデンプン質を糖化させることなのだけれども、ビルクの場合、原料の牛乳にデンプン質が少なそうだから、この糖化の過程はどう処理したのだろう?ニュースによると、「発酵を開始した段階では、色もにおいもミルクティーのようだったという」とあるけれど、この段階では牛乳が糖化されているだけだから、その姿を想像することは容易。(あとでわかったことですが、原料の3割が牛乳で、やはり麦汁を大分用いているらしい。うん、うん、納得。)
  2. ビールの場合、次に糖化させた麦汁を煮沸してこの段階でホップやコーンスターチを加えたりするのだけれども、ビルクの場合、原料の牛乳の沸点は低いはずでタンパク質が変質する性格ももっているはずだから、この煮沸の過程はどう処理したのだろう?ニュースによると、「牛乳の場合、沸点が低いのが仕込みの難点。「煮沸のときに噴かないように」と温度調整には気を遣った」とあるけど、当然だよね。
  3. ビールの場合、煮沸処理のすんだ麦汁にビール酵母を加えて発酵・熟成を進め、大雑把に言えば、熟成温度が常温に近ければ古いエールタイプ、冷却熟成をすれば僕らがよく飲むラガータイプになるのだけれども、ビルクの場合、これはどうなのだろう?ニュースによれば、「ところが発酵を終えて温度を下げていくと、まるでろ過したようなビール色に変身」とあるので、前者のような感じがするのだけれども、そうなると味もフルーティーな感じかな?

というわけで、肝心な味はどうなのよ?「フルーティーで女性好みの新感覚発泡酒として期待されている」らしいのですが…その前に、「ビルク」という、とーっても安易なネーミング。わかりやすすぎちゃって、思わず吹き出しちゃうんですが…この名前、いろいろと検討されたと思うんですが、ど、どうなの?これで、よかったの?このネーミングセンスを継承するならば、コマーシャルは、スウェーデンの世界遺産であるビルカを舞台に、アイスランドのビョークにでも出演願って、「ビルクを飲んで、「北」の荒涼を味わえ!」とでも、オヤジギャグのりのりでぶちあげちゃう…あげちゃう?!北海道の中標津のものなんだから、「北」テイストでよろしいでしょう…(笑)。いやいや、「北」を出すなら牛乳ではなくて、やはり山羊乳のほうがいいな…。いやはや、妄想はつきませんが、さすがは「ものづくりの国」日本。また、どえらいものを作り出しましたね。残念なのは、大阪では、買えそうにないこと。だ、誰か、この僕に…この僕に愛の手を!

2007年2月11日 (日)

もはやこれまで…

というのは僕の生活力。今日は無性にカップラーメンを食べたくなり、ふつうのお湯を注ぐタイプのものと、焼きそばタイプのものを買ってきてもらったのですが、最初のものは、ポットのお湯が冷めていることを知らず玉砕。二つ目のものはお湯はばっちり沸騰させたものの、かやくを混ぜることを忘れ、後から混入し玉砕。両方とも、なんとも香ばしい歯ごたえのあるカップラーメンとあいなり候。これはもはや料理の技術云々というレベルではなく、僕の生活力も落ちるところまでいった結果。まずかったです。

2007年2月10日 (土)

髪を染めた

今日、髪を染めました。真っ黒に。こんなに髪の毛が黒かった頃の自分がいつだったかほとんど記憶にないくらい黒々と、そして光沢をもつようになりました。ちょっと、あまりにも髪の色が変わりすぎたので、それが奇抜な色ではないものの、違和感があります。妻は「懐かしい」としきりに言っていますが…そうか、妻とは19歳のときに初めて出会っているから、17年前の僕を知っているということになるし、…おぉ、来年で結婚10周年を迎える!これは驚きだ。子供たちは、唐沢寿明さんを見る度に「お父さん」と呼ぶのを辞めて欲しい。ちったぁ嬉しいが、しかし恥ずかしい。あのね…だいぶ昔、学部生だった頃に言われたことがあるけれど、髪は染めたが僕は僕で変わりはない。

2007年2月 9日 (金)

些細な…しかし衝撃

卒論諮問が大詰めを迎えています。今年も?スウェーデン語の文献を読み込んだ力作が揃っています。僕らは日本の西洋史学のディシプリンを踏まえて問題設定を行うのが常ですが、(本当は問題があるのですが)そうしたところにとらわれず、ダイレクトにスウェーデンの研究史とスウェーデン語の情報に接することで、図らずも築かれた大阪外大の学生による斬新な発想には、教員というか、研究者の身からしても目から鱗が落ちる経験もあります。

(う〜ん、軍隊の連隊経営という側面に注目すると、「スウェーデン」という概念が成立していたのは19世紀末から20世紀半ばくらいと見ることができるのね。17世紀以来、スウェーデン軍の基本的な構造は、割当義務制度という制度を通じて、農村の生産力・担税能力に応じて兵員を農民から供出して州単位に構成された連隊から成ってきたんです。ま、その頃は、州単位で構成された連隊の経営は、中央の監督というよりは、連隊長の裁量が大きく、地方色が豊かだったと言える訳ね。

第一次世界大戦を目前に控えて、政治や文化といった側面で国民統合への動きが加速した時代になると、農民だけではなく「国民」から広範に兵員を徴募しようとする一般兵役義務制度が導入され、全国的スタンダードをもった「スウェーデン」軍がようやく登場するのだけれども(…遅いぜ、遅れてるぜ、「スウェーデン」…)、結局、ほどなくして高負担・高福祉で肥大化した「スウェーデン」政府は、軍隊経営に関してもいくつかの面では地方自治体にその権能を委譲して、財政負担を軽減し、結局、地方社会によって軍隊を経営させるかつての方向に復帰しつちゃってる。

とある軍隊経営の側面を論じた卒論の内容から、僕がインスパイアされたものだけれども、結局、「スウェーデン」軍の経営は、「地方→ほんの短い数十年の間だけ国家→地方」という流れで進んでいることになるわけですね。一般的に軍隊は「国家が独占する暴力装置」なんていう100年以上前に定式化された古典的なイメージがあまりに強いので、17世紀あたりに「スウェーデン」軍が活躍したなどと知ると、即ちイコール、近代国家経営のモデルをいち早く提供した「スウェーデン」国家なんて話になっちゃうんだけど。あらら、国家の権能を象徴するような軍隊の経営に着目しても、「スウェーデン」なんて概念は希薄になっちゃうのね。うぷぷ。でも、それならそれで、独自の裁量が大きい地方社会を糾合した「スウェーデン」ってのはなんなんだろう?

スウェーデン語の学生たちに、僕がいつも「スウェーデンを疑え」って指導してると、なんか学生たちにも伝染しちゃうんでしょうね。今後は、「スウェーデンを疑え…でもって、スウェーデンってなんなんだ」と指導します。)

と〜っても長〜い前置きになりましたが、今日の発言したかったことは、最近ものをよく落とすことにショックを受けているということ。この冬は暖かいのですけれども、朝夕は冷えるのでコートは羽織っています。昨年から愛用しているブルックスブラザーズのシングルトレンチなんだけれども、寒い日にコートのポケットに突っ込んだ手を出さなくてもスーツのポケットを探れるように、コートの裏地を貫通する穴が開いているんです。いやはや、それは確かに寒がりな僕にとっては便利なんだが、コートのポケットが外と内の二手に分かれているわけで、ものをよく落としてしまう。今日も携帯電話をコートのポケットに入れたつもりが、その穴からスッとーんと地面に落としてしまった。いやがらせじゃない…きっと親切心からデザインされたものだと思うのですが…あぁ、哀れ、我が携帯電話。やりばのない怒り。

2007年2月 8日 (木)

Rydeen 79/07

本日も外大構内を疾走していました。成績付けと卒論諮問の時期にもかかわらず、それとは別に徹夜して二つばかり共同研究のプロジェクト構想案を作文していましたが(…この時期に珍しいですよね…)、一つはあまり評判が良くなく、ショック。

それでも疾走できた理由は、iTMSから早速ダウンロードしたYMOのRydeen 79/07のおかげです。キリンビールのクラシックラガーのコマーシャル用に限定的にYMOが再結成され、かの名曲をセルフカバーしたものです。ネット配信しかされていない点、注意。1971年生まれの僕はリアルタイムでYMOの活動を知っていたわけではなく、彼らの音楽も、その意義も詳しくありません。ですが、古いライディーンは個人的に戦闘的なイメージをもっていたのですが、今回のカバーはアコースティック調な編曲でメロディアスな感じ。

今回のカバーでは、馬が疾走する蹄の音はあまり強烈ではありませんが、しかし、年度末に忙殺される大学教員を鼓舞して疾走させるすてきな贈り物であることに違いありません。

2007年2月 7日 (水)

衝撃の事実

今日の夕方のニュースで知ったのですが、箕面を全国的に有名たらしめている「箕面の滝」。な、なんと、最近は水量がめっきり減ってしまったので、ポンプで水をくみ上げて、滝を流しているんですってね!ポンプくみ上げの電力費が、年間3000万円近くかかっているという。

僕が大阪外大着任した頃から延々と続いていた新御堂の延長工事ですが、ようやく箕面トンネルがこの5月末に開通して一段落するらしい。そのニュースの報道によれば、このトンネルが箕面の滝のある箕面国定公園の下を通っていて、工事の結果、箕面水系の水量が減少しているというんです。いくつかあった川も涸れてしまった…と。

この巨大トンネルができることによって、豊能とか、能勢とか、北摂の北限に位置する界隈の人たちにとって便利になるのかと思いきや、通行料が600円もかかると言うし、第二名神とつながるという話も、当の第二名神はいつになったらできるのかもわからない状況だし。ま、また「大阪府…やっちゃったね」って感じで、あきれることはあれ、驚きはしないのですけれども。(先行き見境のない事業ばかりなので、慣れている…慣れているってのが怖いんですが。)

思い返せば、僕が大阪外大に来た頃、あるいは日本西洋史学会が大阪外大で開かれた頃、今、彩都と呼ばれて開発の進んだ地区はまだ手つかずで、北摂の山並みのなかにありました。しかし、ほんの数年しかたっていないのに、今じゃ立派なニュータウン。大阪モノレールも、この春に延伸します。(モノレールの駅が遠いので、大阪外大はその恩恵にあずかることは今のところ無理な感じですが。)あぁ…北摂どうなっちゃうんでしょう?

(うがった見方をすれば、地球温暖化の急激な進行で海水面の上昇がこれから一気に進むとなると、大阪の港湾部が水没する恐れが予想されるから、はやいうちに標高の高い北摂の山間の地域を開発し、やがてそこに都市機能を移す…なんて大阪府は考えていたのか知らん。いや、そんな未来のこと、考えずの都市計画だったのでしょうが。)

2007年2月 6日 (火)

頭に電撃走る!

可能な限り自宅研修を強行しようと思うのですが、なかなか難しいです。しかし、それでも書斎に籠もってほんの少しだけ集中すると、おもしろい発想が電撃的にひらめきはじめるようになりました。

島根大学での報告は、「近世ヨーロッパの戦争史へのバルト海帝国の問いかけ」に決定。今回の報告はあえてスウェーデン史がどうこう…を報告する戦術は用いません。より大きな「近世ヨーロッパの戦争の見方を再検討する」という戦略には、最新の「バルト海帝国」論を踏まえ、そこから近世ヨーロッパにおける戦争の恒常化がなぜ起きたのかという問題にあえて問いかけを試みる戦術をとりたい。報告の要は、主権国家を単位とした諸国家間体系を前提としては近世ヨーロッパの戦争の本質を理解できないのではないかという、例によって(僕らしい?)冒険的な主旨。

17世紀バルト海世界に覇を唱えた「バルト海帝国」の最大の特徴は、政治・経済・文化のハイブリッドな体制にあります。どうも諸国家間体系という概念は、近代国家を単位としたモダンな方法概念であって、近世ヨーロッパの実態をどこまでくみ取っている概念か、個人的に違和感があります。(もちろんいずれはそうなるのですが。)Multi-Nationalだとか、Inter-Stateだとかといった概念に見られるnationだとか、stateだとかがまだすっきりと「純血」性をもって整理される前の時代は、(もちろんその時代にもnationやstateの原型はあるわけですが、)むしろ戦争の主体である国家は「雑種」性こそが特徴的。

「軍事革命」論の中から今でも生き延びている主張を活かすならば、戦争の量的拡大は必然的に人的・物的資源の動員量を増大させましたが、おそらくその資源動員を可能にする権威の正統性を主張する議論が展開されるなかで、「雑種」性は「純血」性への転換を萌芽的に始めると感じています。「雑種」性から「純血」性への転換は、必然的に新たな自己の認識と、同時に他者との差異が生み出されるわけで、認識レベルでの自己・他者の新たな対立図式の生成こそが、近世ヨーロッパにおける戦争を恒常化させた背景かと…例によって、妄想チックですみません。近世になぜ戦争や反乱が頻発したのか、古典的な「17世紀の全般的危機」論争にはケリがついていない感じがするのですが、僕はこんなところから迫ってみたいと思っています。

もう一つ。新しい大阪外大の共同研究プロジェクト立案中。これはまだちょっと言えないんですけど、僕がかつてお世話になった某業界を巻き込んだ革新的なプロジェクトにしていけそう。大阪外大の世界に広がる教育研究網、メディアを巻き込んだ産学の連携、そして何より次世代の歴史教育に向けた社会的メッセージ。これらの柱を連携させたプロジェクトの構想に、個人的には興奮を覚えています。順調に根回しが進めば、詳細はこの春以降に報告できるかも知れません。

2007年2月 5日 (月)

Le Sucre-Coeur

週末は家族とともに過ごしますが、昨日は吹田界隈をぶらついていました。小腹を空かせて、いきつけの某洋風ラーメン屋さんの吹田店で腹ごなしをし、帰りがけにぶらっととあるパン屋さんに入ってみたら…なんとそこは、大阪…というか関西でも一、二を争う有名店のLe Sucre-Coeurでした。(クロワッサンなど、特に有名。あえて説明の必要もない有名店でしょう。)

僕はこのお店の名前は知っていました。それは、行きつけのバー『キース』の山本さんがときたま、Le Sucre-Coeurのカンパーニュなどをふるまってくれていたからです。わざわざ岸辺まで出かけて買いに行く…貴重な代物なんですよっていう話を覚えていましたし、なにより、『キース』での経験から舌がこのお店のとても豊かな麦の風味を覚えていました。普段、パン屋さんはおろか、食べ物の話など全くしない僕なものですから、妻に「この店、知ってるよ」と伝えたら、驚かれるのなんの…。

このブログでも、だいぶ昔、大阪粉もの食文化論について一言発言したことがあったかと思います。そんな大阪の食文化に裏付けられて、僕は大阪にはおいしいパン屋さんが多いと思っているのですが、こちらのお店はそんな市井の粉もの文化とは一線を画す、普遍的なパン文化を代表するお店であることは間違いないと思います。

2007年2月 4日 (日)

島根大学へ行きます!

今週末は、島根大学で開かれる公開研究会での報告準備で自宅に引き籠もっています。(論文脱稿は後回し。)大学行政で疲れた頭には、精神的リハビリとして昔なじみテーマの勉強がココロに落ち着きを与えてくれます。近世ヨーロッパのことを考えようとするときに、ホント、スウェーデンと戦争は、しっくりくるテーマだ。今年の僕は、しばらく戦争ってことで行かせていただきます。

公開研究会「近世ヨーロッパの戦争」のお知らせ

今回、この話で生まれて初めて山陰地方を訪れるので楽しみにしています。松江って、どんなところなのだろう?それ以上に、この公開研究会で顔を合わせる先生方とのやり取りを楽しみにしています。イングランド、フランス、神聖ローマ帝国、ポーランド、そしてスウェーデン。これにスペイン、ネーデルランド、ロシア、オスマンが加われば最強の布陣ですが、しかし国の名前をならべるなんざ、あまり意味はない。そもそも近世ヨーロッパの世界は、人や情報のネットワークが国を超えて相互に飛び交って、重層的・複合的なものなんだから。スウェーデンの役回りは、そんなところを示すことかな。もはや単に軍事革命を紹介するには止まりません。

これは、来年5月に予定されている日本西洋史学会のシンポジウム「近世ヨーロッパの戦争」へ向けた企画。それを楽しみにしていてください。(しかし、いつもながら世話役の渋谷さんは用意周到。見習わねばなりません。ありがとうございます。)このブログを見ている人なんているかどうかわかりませんが、島根大学のみなさん、よろしかったらどうぞ。(余談になりますが、島根大学にはプロジェクト研究推進機構というのがあって、地方国立大学における研究推進のあり方として僕は以前からとても興味をもっています。そういった面でも、勉強させてもらいたいですね。)

2007年2月 2日 (金)

揺れる心

今日は昨夜から徹夜していた某仕事が終わり、しかもそれとほぼ同時に昼間、とても嬉しいニュースの知らせがあったので意識朦朧としながらも、嬉しい気分でいたのですが、午後遅く大学に出向いて、学内行政関連の仕事に携わっていたときに、とある外大の先生が某委員会の仕事で学内をまわられているのを拝見し、粛然たる思いに返りました。

僕はその某委員会の委員でもあります。しかしその委員会は通常の学内委員会とは違うイレギュラーな日程で会議が行われています。今年度の授業は今週ようやくおわりましたが、その委員会の開催日と僕の授業時間が重なっていたために、この一年、僕はその委員会の活動にほとんど参加することができませんでした。

決してその委員会の活動を軽視していたわけではありません。学内行政の活動のすべては、大阪外大の教育・研究環境を維持するために必要なことなのですから。しかし、今日その先生のお姿を拝見し、その委員会の活動内容を全く追えていない自分に気がつきました。研究推進室や統合関連の仕事がいくつも重なっていてスケジュール管理ができていないというのは、言い訳にもならない。なぜなら、大阪外大のすべての教員・職員はそれぞれが自らの本来の職責を抱えながら、学内行政にも携わっており、条件は同じだからです。

みなさん、お忙しいなかを大阪外大のために一肌脱いでくれているのに、その委員会でこの一年僕一人が抜けたことによって、どれだけの負担と迷惑が他の方々にかかったことでしょう。今日のこの件から反省するに、最近の僕は専攻語の仕事や学生の指導といったところでも、手薄になってしまっていたところがあります。幸いにして、某委員会の委員としての任期はもう一年(あるいは半年)あります。今回の件は猛省し、委員のみなさんの批判を受けて今後の活動で補うしかありません。

2007年2月 1日 (木)

電子メールでレポートを提出した人へ!

大阪外大、関西外大で僕の授業を受講していた学生のみなさんへ!

大阪外大の北欧の地誌、デンマーク史ゼミ、スウェーデン史ゼミ、関西外大の地域研究VIIIの一切のレポート提出は締め切られました。本日午後2時の時点で、電子メールの添付ファイルで提出した人で、僕にきちんと届いている人にはすべて返答のメールを出しました。それが届いていない人は、僕のところにメールが届いていないことになります。大丈夫ですか?僕の返答がいっているか、どうか、確認してください。

引き籠もる2月

あ〜っという間に2月に突入してしまいました。しかしなんですなぁ…この冬は全く寒さを感じないですね。大阪ではマフラーも、手袋もいらない。激しく…わがままなほどに寒がりの僕が寒さを感じないのは、暖冬のせい?…それとも、僕が狂ってる?熱くなり過ぎ?今日は大学からどんな連絡が来ようと、断固とした決意をもって自宅勤務を敢行中。今日、明日は僕を捜さないでください。採点・成績付け、最後の最後で脱稿できない論文、日本西洋史学会へむけた企画構想などなど、「あっぷあっぷのいっぱいいっぱい」状態なので、外出する機会を極力減らして、2月は自宅に引き籠もろうと思います。2月もあっという間に過ぎ去りそうです。

久々に書斎に引き籠もろうと、ポテッチップスと清涼飲料水を買い込んだのは良いんだが、昼ご飯にコンビニ弁当とインスタントの焼きそばと食べて、おもいっきり炭水化物を摂取したら、誠に気持ちが悪い。コンビニ弁当って、あまりおいしいものではありませんね…。

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