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2007年1月30日 (火)

新しいプロジェクト「妄想」中

研究推進室というところで働き出してからというもの、研究プロジェクトの形成ということが常に頭から離れなくなりました。科研で実践されているような地に足のついた専門性の高い研究プロジェクトももちろんですが、どうも最近は大学の存立に資するという観点からのプロジェクト形成のことばかり頭に浮かびます。申請が直後に迫ったグローバルCOEもにらんでいますが、もっと長期的なヴィジョンで。30年後、50年後をにらみつつの話なのですが。

ときに、「自分はこんなことをやりたくて研究者の道を選んだはずではない。」と思いながらも、「いや、これからの時代に大学という学問の府が生き延びるためには、研究室に籠もって資料と格闘し、論文を書いていれば十分というものではない。」とも思うわけで、自問自答の毎日。うん、そうだ、そうだ…大学で生きていこうとしている人間に求められる要件が、今やがらっと変わってしまった。自らの研究力は大前提なのですが、そこから出発して、それを十全に応用して何かをプロデュースする力(時にはセルフ・プロデュースする力も含めて)が求められているんだ…と後輩のみんなには言っておきます。(もちろん自分の研究を充実させることが一番大切です。でも、いろんなことに目を配っておいて、自分の研究が社会的に評価されるにはどのような戦略が必要かも、いつも頭の片隅においておくといいんじゃないかな?)

研究・教育・社会貢献、この三位一体のバランス関係がとれているプロジェクトが理想的で、例えば、大阪外大が2年前から取り組んできた「学術的観光コンテンツ開発」プロジェクトは、地域研究の実践、観光業界・放送業界との連携、学部教育・生涯教育への還元とのバランス関係を背景にうまく進んでいて、以前このブログでも述べたようなJTBとの連携講座まで話が発展しました。この事例のほかにも、人文系もやりようによっては社会に訴求力をもつ三位一体のプロジェクトを立てられると思っていますが、今、ここでは言いません(笑)。「研究者の学内連携→科研などを通じた研究者の国内外連携→いくつかの外部資金などを通じた産学連携事業→COEのような研究教育拠点」へと発展させていくアイデア(…というよりも妄想に近い…)があるのですが、それはここではヒ・ミ・ツ。妄想だから、公開するのは気恥ずかしい。

そうですね…あなたが大阪外大にいる人間だったとして、考え出せそうな案を一つ、試しに挙げてみましょうか。大阪外大の場合、語学教育のノウハウが厚いので、折角の阪大との統合を期に、これを単なる海外事情に詳しい実務者養成のためにだけ使うのではなく、一次史料の批判能力を養成する教育プログラムにまで発展させられれば、阪大の各研究科に蓄積されたディシプリン教育と連携して誠におもしろい研究者養成の課程を作り上げることだってできる…という案。(例えば、阪大と大阪外大に属している西洋史系研究者の面子を考えてみると、時代も、地域も、ほぼ世界を網羅する。大学院・学部の教育組織も持っていますし。考えてみれば、どえらいものを作ろうとする要素は揃っています。日本には、ヨーロッパ史研究センターとみたいなところがないでしょ?)

でも、この案は研究の実践と研究者の養成という二つの柱がマッチングしているんだけれど、欠点が一つあって、そもそも歴史学とか、西洋史学とかが日本社会で必要とされていなければ、その存立も認められず研究を実現させていくプラットフォームを運営できるような資金を獲得できない。日本社会を巻き込んでいく貢献の部分を明白にしなければ、研究・教育機関としては動かないし、動けないんですよね。そもそも日本社会から絶大なる支持を得ている自然科学系に対して、人文系が生き残ろうとするには、そりゃ、大変な絡繰りが必要です。大体、総合大学ならば、自然科学系の声が半分以上を覆っているんだから、社会に支持を求める前に大学のなかで支持を得なければ、大型の資金獲得のための申請さえできない。

(だから科研というのはありがたい。純粋に学問の専門性を主張することで評価され、個人から出発して研究費を獲得できますから。うん、この点、すばらしい制度だ。でもって後輩のみんなについでながら言っておくと、学振とかには積極的に申請していくことが大切だ。通る、通らないとかが問題じゃないんだ。前に述べた文脈から言うと、自分の研究の意義をいかに他者に対して説得するか、まずは申請書の書き方から出発して、セルフ・プロデュースの力を磨いていくとてもよい訓練の機会だし、今後、大学で研究者の道を進もうというならば、そうしたプロデュース力が重要なのだから。)

というわけで、今日も一つ、ある業界を巻き込んだ三位一体型のプロジェクトを妄想しつつ夜明かししてしまいそうなのですが…。齢35にしてこの妄想の日々ははたして、ぼくの人生に有用なのか?博論・モノグラフが先ではないのか?…うーん、やはり、ぶれるな。将来のことは、今の時点では見えないからね。少なくとも、今書きかけの論文をはやく脱稿することと、日本西洋史学会のシンポジウムにむけた新たな企画を整理することが先だ…というよりも今年度末の試験・レポートの採点と成績付け。あ、校正の仕事も…。64bit処理が可能な中央演算処理装置を100個ぐらい、頭に埋め込みたいです。

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