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2006年7月18日 (火)

死のロードの終了と総括

先ほど本郷から豊中へ無事帰着し、これにて過酷なロードは終了。ロードは、連休に東大本郷で開催された柴田三千雄先生を囲んでの『フランス史十講』合評会と、近世・近代ヨーロッパの政治社会研究会にて大団円。昨晩の『世界遺産』は、本郷のホテルで一人で正座しながら見ていました。いやはや、今回はヴァイキングという非常に曖昧で難しいテーマだったために、製作は企画の段階から難しかったです。それゆえ、ようやく放映された昨晩の回では、ちょっと感極まって最後の最後で涙してしまいました。最後の台詞、「ヨーロッパはヴァイキングによって奪われたのではなく、むしろ多くを与えられたのです。」ってところ。今回の『世界遺産』については、ビルカやら、オスロやら、イェリングやら、ちょっと情報量が盛りだくさんすぎて、カットがちょくちょく切り替わってしまったがために、落ち着かなかった点が反省点ですね。

このロードの間、JTBカルチャーサロン、軍隊と社会の研究会、放送大学、合評会、政治社会研究会でのそれぞれの経験を積んで学ばせてもらったこと、僕の頭(というよりは心)に一貫して去来していたことは、「バルト海帝国」とは何か?、あるいは「バルト海帝国」をどう考えるべきか?という問題。それぞれの場で頂いたご意見、ご批判、ご助言などは、いずれ時間ができたら整理して発言したいと思います。が、一言。古代ローマ帝国以来のインペリウム理念に触れることなく、それが継承されなかった地域においても、複合的な国家編成が実現された場合、よく「○○帝国」と表現されることが多くあります。それは「通称帝国」とも言われるもので、実際には同時代の文脈において正式な国名として用いられることはなく、後年の歴史学研究者が便宜上用い、一般に流布した名称です。例えば、「バルト海帝国」と通称される近世のバルト海世界においてスウェーデンを核として実現された広域支配圏を、果たして「帝国」と呼ぶべきなのか。あるいは、それでもあえて「帝国」と呼ばねばならない場合には、インペリウム理念に代替する統合軸こそを明らかにすべきであり、それはどのようだったのか?それこそが、「北」の世界の自己表明の一つの形式ではないのか?

JTBカルチャーサロンにおける一般向けの「バルト海帝国の興亡」講座からはじまり、「軍隊と社会の歴史」研究会における近世スウェーデン王権の表象分析(…これまでの「自由の時代」における言説分析から、再び「大国の時代」を対象とした分析に回帰した報告でしたが、新機軸として「戦争と帝国」の議論に女性性への視点を加えることで、クリスティーナの肉体性と政治性の乖離が帝国の転換点となったことを論じました…)、放送大学における北欧アイデンティティの歴史的展開(…このなかではバルト海帝国の経験から体系化されたゴート主義が「北」の自意識の転換点として決定的契機だったと主張しています…)、政治社会研究会での議論(…今回は報告はしませんでしたが、これまで取り組んできた祖国論とナショーン論はどうも収まりが悪いので、来るべき活字化の際には、ナショーン論は思い切って切り捨て、ゴート主義と祖国概念の展開に集中することで北の「帝国」流の統合理念を整理する方向にもっていく…と表明しました。)を総括すると、この7月の死のロードは、「バルト海帝国」をいかに論じるか?というテーマが一貫していたことに気がつきました。

このロード中に出会ったすべての人に感謝します。確かに肉体的にはハードな一週間ちょっとの日程でしたが、不思議とあまり疲れは感じていないんですよね。それはおそらく、様々な機会に出会った人たちから頂いた助言や批判や討議が本当に楽しいもので、それを通じて今、知的に活性化しているからだと思うんです。大阪外大にいると没交渉になりがちですが、外に出て多くの人との交流があってこそ、自分の議論を高めていくことができる。当たり前のことですが、箕面の山に籠もっていると当たり前のことさえ、忘れてしまいがち。そういう意味でも、何が大切なことかをあらためて知ることのできたロードでした。(もちろん、この期間、二人の幼子を守ってくれていた妻には一番の感謝です。)明日から通常業務に復帰。月末の大阪教育大学における集中講義が終わるまでは、まだまだ気は抜けません。

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