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2006年7月

2006年7月31日 (月)

ブツ届く

発注以来一ヶ月半が経過した今日、ようやく黒いブツが手元に届きました。持ち出し用途のボロボロになった黒いThinkPad X40をリプレースするもの…黒いMacBook。これから2年以上はどこに行くにも持ち歩こうと決心したスマートだが図体の大きな相棒。(かつてはちっさなもの好きのガジェットマニアだった僕も、思えば遠くへ来たものだ。)しかし、この高揚感のなさはなんなのだろう?(ネット上の様々なレヴュー記事を読むと、「良い!」っていうのが多いのに。)結局、精神的余裕がなければ、どんなに道具も魅力的に映らないということか。その逆、つまりよい道具に触れることで知的高揚感が感じられるに至るには、今の僕は少し忙しすぎる。結局、お盆くらいまではどうにもならないということ。合掌。

守るべきもの

最近、阪大との統合協議で躍起になって働いていると、個人的に批判されることも多くなりました。そこで、僕がなぜ外大のために働いているのか、その理由をここで明らかにしておきたいと思います。

一言で言えば、僕には守るべきものが見えているからです。それは、外国語の徹底した理解を通じて、その言語が話されている文化圏の実態に肉薄しうる教育と研究の場です。これは長い目で見て、国際社会とともに生きる我が国の知にとって必要不可欠なものです。僕は歴史学者ですから、当該言語で書かれた資料を厳密に的確に読みこなすことの大切さを知っています。歴史学をはじめとする人文系の学問にとっては、これがすべての出発点になるでしょう。それは東大で勉強していたころ、歴史学というディシプリンの出発点として徹底的にたたき込まれました。

しかし、それだけでは、例えばスウェーデン語圏を理解するには到達しない。ここ大阪外大は歴史学を教育・研究する場ではなく、そうした学問のディシプリンを応用しながら各言語圏の実態を客観的・批判的に論ずる場です。各言語圏に肉薄するには、言語・地誌・歴史・社会といった様々な視角から当該言語の話されている文化圏に沈潜せねばなりません。これは、スウェーデン語の高度な運用力をもって言語学や社会学、歴史学、文学といったディシプリンを基盤に研究する人材を擁する大阪外大でしかできないことです。

だから、僕は大阪外大にとっては外様の人間ではあるけれども、人文系研究者の良心に照らしてみて感得することのできた大阪外大の真価を信じるがゆえに、今は歯を食いしばって働いているのです。歯ぎしりしすぎて、最近奥歯が痛いです。合掌。

2006年7月30日 (日)

「北欧」イメージの歴史的生成

今年も大阪教育大柏原キャンパスでの集中講義は充実した三日間でした。猛暑のなかを真剣に講義に参加してくれた学生のみなさん、ありがとう!最近はなにかと雑音の多い仕事が多くて、自分の研究と教育に正面切って向き合える時間が限られていただけに、この三日間は僕自身にとってかけがえのない経験でした。(大阪外大では教えることのできない「西洋史」という枠組みから「北欧」を論じられるという部分も大きい。)

今回の集中講義のテーマは、「北欧」という地域概念の意味が歴史的に変幻する歴史的概念であるという前提に立ち、例えば、今の日本社会において好意的に受け止められている「北欧」イメージが、北欧の歴史的経験のなかでどのように築かれてきたのかを批判的・客観的にたどることに主眼を置きました。(学生のみなさんにとっては、「北欧」は決して地理的概念ではないという点からはじまって、過激な主張に溢れる講義だったと思います。)

福祉、中道、民主主義…と、「北欧」をぼくたちが好意的にイメージしてしまう要素は様々ですが、それらは(1)ヴァイキング時代以来現代にいたるまでの時間軸、(2)デンマーク・スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドが直面した空間軸、この二つの軸の交わるところに育まれてきた多様な政治文化の帰結です。現代にあっては北欧に生きる人たちも自ら賞揚するようになった「北欧」を構成する要素は、おおまかにいって民衆を基盤とする政治社会、集産主義を是認する宗派体制、現実主義に立つ運命共同体としての民族観などに依っています。北欧史においてこれらの要素をつぶさに観察してみるならば、それは決して「北欧」を語る際に普遍的な意味をもつ「北欧」の属性ではありません。それは、個別の問題として北欧に生きる人たちが自ら体験した歴史的経験のなかから作り上げてきたイメージです。

少なくとも19世紀以降の歴史のなかで、これらの個別的な要素を総合することによって「北欧」観が北欧に生きる人たちによって自覚的に主張されるようになります。ナショナリズムのスカンディナヴィア主義に見られる「北欧」民族と冷戦期の第三の道としての「北欧」観などです。この二つの事例においては、「北欧」を総合する基準は異なります。前者が言語や歴史の記憶などを基準とした「北欧」を構想したのに対し、後者は混合経済や「北欧」型福祉、民主主義などを基準とする。「北欧」を構想した二つの段階に通底する背景は、カウンターアイデンティティとしての大陸ヨーロッパ(ないしは「西欧」)であり、自ら「北欧」とは、「西欧」とは異なるものとして構想される。(しかし実際のところ、自らを語る論法や準拠枠は、「西欧」伝来のものである場合がほとんどですが。)つまり「西欧」とは何かということが意識される時代が到来せねば、「北欧」とは何かという意識も到来せず、「北欧」を論ずることは実のところ「西欧」とは何かを反照的に論ずることにもなるわけで、ここに西洋史学としての「北欧」研究の一つの意義もでてきます。

しかし、例えば、EU統合の波が欧州全体を覆おうとしている現在、本来理念上の対抗関係にあった「西欧」に「北欧」の一部も取り込まれつつある現状にあっては、少なくとも19世紀・20世紀に構想されてきた「北欧」像が動揺しつつることは、容易に想像してもらえるでしょう。このように「北欧」という地域概念は、あくまでも理念的構想物にしか過ぎず、変幻自在なもの。北欧にはデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、フィンランドの五カ国が厳然として分立し、外交・軍事・経済政策などで決して北欧諸国が統一路線を図れないことからも、「北欧」は理念的構築物にしか過ぎないことがわかると思います。そして、例えば、スカンディナヴィア主義や冷戦の時代に理念としての「北欧」が語られるのと同時代に、実のところそれへの反作用としてデンマークやスウェーデン、ノルウェーといった個別の意識が強められていくこともわかります。「北欧」においては統合と分裂が同時に起きていくということです。「北欧」とは、こうした二律背反な論理(西欧vs北欧vsデンマーク、スウェーデン、ノルウェー…)の複合の上に構想された概念です。ですから、日本で理解されているように、単純に地域間協力が進んだ「北欧」なんて、実際のところ言い切れるはずもない。

3日で15時間の独演会。(キューバのカストロ議長が老いてもなおひとたび演説となるや数時間も話し続ける理由がわからないでもない。)さすがに体力的にはがたがきて、最後は膝もがくがくしている状況でしたが、言いたいことも言えてすっきりしました。大阪教育大学のみなさん!また、どこかでお会いすることがあったら、気軽に声を掛けてください。

2006年7月26日 (水)

比較政治経済史・西洋史特講II

大阪教育大の学生のみなさん、今回の講義で僕が用いた講義ファイル(とりあえず今日と明日の分)をPDF化して以下に アップロードしますので活用してください。PDF作成にあたってはAcrobat Reader Ver.5以降のファイル形式で作成しましたが、もし開くことができないときにはAdobe Readerの最新版を導入してください。

7月26日の講義ファイル1をダウンロード
7月26日の講義ファイル2をダウンロード
7月26日の講義ファイル3をダウンロード

7月27日の講義ファイル1をダウンロード
7月27日の講義ファイル2をダウンロード
7月27日の講義ファイル3をダウンロード

7月28日の講義ファイル1をダウンロード
7月28日の講義ファイル2をダウンロード
7月28日の講義ファイル3をダウンロード

成績評価は出席点とレポートの点数を基準として算出します。レポートについては、講義の最終時間に課題を4題発表しますので、そのうち1題を選択してもらい、それについての解答をレポートしてもらうことにします。締め切りは8月7日(月)午後5時。原則として提出先は大阪教育大教務課に設置されるレポート提出ボックスへお願いします。

2006年7月24日 (月)

大阪教育大のみなさんへ!

大阪教育大で「比較政治経済学」(教養学科)、「西洋史特講II」(教員養成)を受講されるみなさんへ。以下の内容で集中講義を行う旨、連絡します。

  • 7月26日(水)〜28日(金)(初日の26日は午前9時から開始)
  • 教室はA棟208講義室

授業運営上最低限の印刷物を配布する予定ですが、僕の講義スタイルの基本はパワーポイントによるプレゼンテーションですので、印刷物に頼らずパワー ポイントと話に注目してください。授業での配布資料は、このブログにおける7月26日の発言でアップロードします!

(今年も鶴橋を経由して柏原へ行けることを楽しみにしています!)

久々の休日

「青と黄」でスウェーデンっぽいイメージのデザインテンプレートへ変更してみました…どう?この週末、ひーさしぶりに、意図的に一切の仕事に手を付けず、ゆっくり過ごしてみました。クリーニング屋さんに行ってみたり、靴を磨いてみたり。無心になって靴を磨くって良いよね…なんか、心が落ち着きます。

何気に思い立って、息子と阪急バスに乗って阪急豊中駅まで向かい、おもむろに(というか息子の言うがままに)十三駅で阪急千里線に乗り換え、山田駅で下車して「鬼門」のトイザらスを経由し、大阪モノレールで少路駅まで巡回してみました。息子はいつの間にかしっかりと成長していて、バスや電車のルートを完璧に把握していて、道中とても落ち着き払っています。トイザらスに行ってもだだをこねるなんてことがなかったので、僕は大いに感動してマクドナルドでフライドポテトをご馳走してしまった。(僕がマクドナルドでハンバーガーを食べたかったという話しもある。)息子はえらくそれが美味しかったらしい。後から合流した妻からは、「そんなものを買い与えて!」と叱責されましたが。

娘については、前々からどうも女の子っぽく見えないと思っていて、鋭い眼光に獅子鼻、への字口といった彼女の容姿は、かつての同僚のデンマーク人教師(ヤーヌスね)を彷彿させると思っていたのだけれども、数週間ぶりにまじまじと娘の顔を眺めていたら、その広いおでこのありようから、ヤーヌスではなく、僕の子供時代に似ているのだということに気がつきました。妻からは「色白は七難隠す」などとの言われぶり。容姿だけではないんです。テレビにかぶりつく姿も僕にそっくり(らしい)なのですが、うちのウタさまは夕飯になると、僕が飲もうとしている缶ビールを手にとって離そうとしない。封の開いていないビールを抱きかかえながら、明かに「開けて!」と思しき言葉を叫んでいる。血は争えないとはこのことでしょうか。ごめんよ…ウタさま。

2006年7月23日 (日)

リニューアルされた史学会のホームページ

東京大学の近藤和彦先生の掲示板で、『史学雑誌』の刊行母体である史学会のホームページがリニューアルされたことを知りました。新しいホームページは、近藤先生もコメントを寄せられているように、実に清新なイメージで史学会の目指す新たな活動を予兆させるようでよいと思います。(大阪外大のスウェーデン史の学生のみなさんには、一昨日のゼミの時間に民衆文化・政治文化関連の話で近藤先生をご紹介しましたね。一学期最後のゼミは、ラッ セ・ハルストレム監督の出世作『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』で知られるスモーランドのガラス工場での労働者世界を事例に、福祉国家ができるくらいま でのスウェーデンにおける政治文化の変遷をみんなで議論しました。楽しかったですね。)

思えば、この史学会のホームページを最初に作ったのは僕でした。1999年頃のことだと思います。あのころはスタイルシートなんてものさえ知らず、今はもうこの世に存在しないAdobeのPage Millというソフトウェアに依拠しながら、HTMLだけでボチボチと作り上げました。そのときの話では、えんじ色を基色としたページの評判が悪くて、「これはテスト的に作ったものだから…」、すぐにでもHTMLの知識のある人にリニューアルさせるという話があったことを記憶しています。しかし、僕が本郷から身を退いてルンドへ留学し、大阪へ呼ばれた後も、結果的には古いページが引き継がれていました。

2006年になり近藤先生が史学会の理事長に就任されたこともあって、いよいよ史学会も新たなステップを踏み出したということでしょう。試験的に作られたホームページも、いよいよ本格的に継承しうるページへと更新され、なんだか東大でやり残してきた課題の一つがようやく片付いたような思いに駆られています。とはいえ、新しいホームページもソースを確認してみると、なんとAdobeのPage Millでまだ作られているようですね。うーむ、これには驚き。「Web2.0」という言葉が盛んに喧伝されている今、こうしたページを作るとするならば、Page Millのようなパッケージソフトウェアに依拠するのではなく、オンラインで提供されているサービスで高度な外見と機能をもったページにするかも知れません。(ひょっとすると史学会の場合には、史学会用のファイルスペースが国立情報学研究所のサーバのなかに確保されているため、FTPソフトを使わざるを得ず、オンラインでのサービスが受けられないという事情があるのかもしれませんね。)団体としての方針もあるかも知れませんが、ブログやwikiといった手法で所属会員との意見交換を行うルートも検討されても良いかも知れません。

そんなことを言ってる僕ですが、5年越しの懸案事項が一つ。肝心の大阪外大デンマーク語・スウェーデン語専攻のホームページ作成はどうなった?って話が。ホームページができあがる前に、大学がなくなっちゃいそうな勢いですが…(^_^;)

2006年7月20日 (木)

最近のラップトップPCって軽い!

はい、今日も会議、会議、会議…で大学から帰宅したのはだいぶ遅くなりました。なにかと「もめ」まくってますね。で、今日はそんな会議の合間を縫いながら、お隣の研究室のウタ先生がデンマーク出張に合わせて導入された軽量ラップトップPCをサクッとセットアップ。僕としては、限られた時間のマルチタスク状態で、いかに的確に環境構築を行いうるかを楽しんでいました。こういうスリリングな時間の使い方は好きです。(大阪外大に来てから5年が過ぎました。しかし僕は東大時代以来のあいも変わらぬ「パソコン屋さん」。大学がなくなってもいつでも「人文系研究者に特化したパソコン屋さん」にまじめに転業できそう。「進むべき道、間違えだんじゃないか?」という突っ込みはやめてください(汗)。今日はメモリ増設からはじめて、ネット設定、各種ソフト導入で賞味30分かからなかったかな。)

さて今日セットアップしたのは、NECのLaVie J LJ700/EEという機種でしたが、最近のラップトップPCってのはとても軽量にできているんですね。驚きました。ウタ先生の機種なんて、12.1インチの液晶や十分な大きさのあるキーボードも搭載されていて1kg少々。手にしてみるとあまりの軽さに、思わず「これ、中身、スカスカなんじゃないですか?」と言葉が出ちゃうほど。デンマーク語・スウェーデン語専攻の同僚も、皆が手にとっては「軽い、軽い…」の大合唱。(その傍らで、「哀れ!」、僕が普段持ち歩いている古ぼけたThinkPad X40は「重い、重い…」と指弾され…。)ウタさんに伺うと、あまり高価でもなかったらしい。僕は出先での仕事に耐えうるラップトップってのは、液晶が12.1インチ以上のものじゃないと使い物にならんと確信しているのですが、このLaVie Jは十分使えますね。天下の日電の底力ってやつでしょう。(最近よく出先のビジネスマンが抱えているパナは絶対イヤ。)僕個人はWindows XPというOSのヘッポコさ加減を見限っているので、もはやWindows系のラップトップPCに戻ることはありません。しかし、どうしても仕事に使える軽量ラップトップが必要という人がいらっしゃるならば、このLaVie Jという選択肢はお奨めですね。

2006年7月19日 (水)

体内の危機

春先にヘルスメータで内臓脂肪や体脂肪率、基礎代謝などを測ってみたら、体内年齢が18歳とでた…という馬鹿話は以前このブログでも発言したかと思います。あの頃は、「古谷くんは18歳からさっぱり成長していないようだね」なんて同僚から鋭くつっこまれても、笑って返せる余裕がありました。さて、今朝シャワーを浴びた後、久しぶりにヘルスメータで測ってみて、その結果に愕然としました。体重が61kgまで激減。この4月から3ヶ月あまりで7kgも痩せたということになります。最近人から「痩せましたね?」とよく聞かれますが、数値としてこのように示されると愕然。こんなに痩せているのは、一人暮らしで浪人していた18歳の頃以来です。なんとしても60kgを切るのは避けねばなりません。そのほか体脂肪率が10%、内臓脂肪がレベル1、基礎代謝が1700代。これでは例え燃焼しやすい体でも、いざというときのエネルギーが沸いてきません。ちなみに体内年齢は17歳と算出されましたが、もはやこの年齢は当てにはできません。ちょっと春先から突っ走りすぎましたかね…。秋以降の仕事のことを考えると、この夏はしっかりものを食べ、体重増加に励まねばなりません。

2006年7月18日 (火)

いずれ来る道

この夏の「決戦」(…大阪に籠もって論文執筆に集中します…)を控え発注している新たな「黒い相棒」は、4週間も過ぎても音沙汰なし。そんな欲求不満のたまる今日、マイクロソフトがブラウザ上で動作するオンライン版の2007Officeのベータ版を月末から試験的にサービス開始をはじめるとのニュースに接しました。

『クリオ』にも書いたことですが、個人が使うコンピュータ環境が単体として活きる時代はもはや過去のものであり、個人にとってのコンピュータ有効活用の核心はネットワーク環境に接続されたクライアント端末としての性格を引き出すことにあります。すでにグーグルがネットワーク上で提供してきた様々なサービスとそれの志向する方向性が、未来を指し示していたということでしょう。ネットワーク環境に接続された端末ならば、世界中のどこにいても普遍的に等価な機能を利用できる。マイクロソフトもOfficeをオンライン化することによって、その方向性に追従するといったところでしょうか。結局、僕たちにとってのキラーアプリケーションは、セキュアなウェブブラウザの一つだけで事足りるということです。辞書ソフトも、メールソフトも、表計算ソフトも、プレゼンテーションソフトも、ワープロソフトも…なにもかもが、ブラウザソフトで置き換えられるということです。ストレージもネットワークにおいておければ、いずれ自分でノートパソコンを持ち歩く意味など、なくなってしまうかも知れません。

ま日本における教育・研究の現場において、早急なるネットワーク環境(とりわけ無線化)の充実化をますます望みたいと思います。ブラウザですべてが事足りる時代が到来するならば、液晶画面の解像度と文字入力の効率化を解決し、フルブラウザを搭載した携帯電話が登場した暁には、それであらゆる仕事を代行できるようになる…とまで考えられるわけですね。

死のロードの終了と総括

先ほど本郷から豊中へ無事帰着し、これにて過酷なロードは終了。ロードは、連休に東大本郷で開催された柴田三千雄先生を囲んでの『フランス史十講』合評会と、近世・近代ヨーロッパの政治社会研究会にて大団円。昨晩の『世界遺産』は、本郷のホテルで一人で正座しながら見ていました。いやはや、今回はヴァイキングという非常に曖昧で難しいテーマだったために、製作は企画の段階から難しかったです。それゆえ、ようやく放映された昨晩の回では、ちょっと感極まって最後の最後で涙してしまいました。最後の台詞、「ヨーロッパはヴァイキングによって奪われたのではなく、むしろ多くを与えられたのです。」ってところ。今回の『世界遺産』については、ビルカやら、オスロやら、イェリングやら、ちょっと情報量が盛りだくさんすぎて、カットがちょくちょく切り替わってしまったがために、落ち着かなかった点が反省点ですね。

このロードの間、JTBカルチャーサロン、軍隊と社会の研究会、放送大学、合評会、政治社会研究会でのそれぞれの経験を積んで学ばせてもらったこと、僕の頭(というよりは心)に一貫して去来していたことは、「バルト海帝国」とは何か?、あるいは「バルト海帝国」をどう考えるべきか?という問題。それぞれの場で頂いたご意見、ご批判、ご助言などは、いずれ時間ができたら整理して発言したいと思います。が、一言。古代ローマ帝国以来のインペリウム理念に触れることなく、それが継承されなかった地域においても、複合的な国家編成が実現された場合、よく「○○帝国」と表現されることが多くあります。それは「通称帝国」とも言われるもので、実際には同時代の文脈において正式な国名として用いられることはなく、後年の歴史学研究者が便宜上用い、一般に流布した名称です。例えば、「バルト海帝国」と通称される近世のバルト海世界においてスウェーデンを核として実現された広域支配圏を、果たして「帝国」と呼ぶべきなのか。あるいは、それでもあえて「帝国」と呼ばねばならない場合には、インペリウム理念に代替する統合軸こそを明らかにすべきであり、それはどのようだったのか?それこそが、「北」の世界の自己表明の一つの形式ではないのか?

JTBカルチャーサロンにおける一般向けの「バルト海帝国の興亡」講座からはじまり、「軍隊と社会の歴史」研究会における近世スウェーデン王権の表象分析(…これまでの「自由の時代」における言説分析から、再び「大国の時代」を対象とした分析に回帰した報告でしたが、新機軸として「戦争と帝国」の議論に女性性への視点を加えることで、クリスティーナの肉体性と政治性の乖離が帝国の転換点となったことを論じました…)、放送大学における北欧アイデンティティの歴史的展開(…このなかではバルト海帝国の経験から体系化されたゴート主義が「北」の自意識の転換点として決定的契機だったと主張しています…)、政治社会研究会での議論(…今回は報告はしませんでしたが、これまで取り組んできた祖国論とナショーン論はどうも収まりが悪いので、来るべき活字化の際には、ナショーン論は思い切って切り捨て、ゴート主義と祖国概念の展開に集中することで北の「帝国」流の統合理念を整理する方向にもっていく…と表明しました。)を総括すると、この7月の死のロードは、「バルト海帝国」をいかに論じるか?というテーマが一貫していたことに気がつきました。

このロード中に出会ったすべての人に感謝します。確かに肉体的にはハードな一週間ちょっとの日程でしたが、不思議とあまり疲れは感じていないんですよね。それはおそらく、様々な機会に出会った人たちから頂いた助言や批判や討議が本当に楽しいもので、それを通じて今、知的に活性化しているからだと思うんです。大阪外大にいると没交渉になりがちですが、外に出て多くの人との交流があってこそ、自分の議論を高めていくことができる。当たり前のことですが、箕面の山に籠もっていると当たり前のことさえ、忘れてしまいがち。そういう意味でも、何が大切なことかをあらためて知ることのできたロードでした。(もちろん、この期間、二人の幼子を守ってくれていた妻には一番の感謝です。)明日から通常業務に復帰。月末の大阪教育大学における集中講義が終わるまでは、まだまだ気は抜けません。

2006年7月14日 (金)

『世界遺産』~イェリングの墳墓、ルーン石碑と教会、ビルカとフーブゴーデン

7月16日にTBS系(大阪ではMBS)の午後11時30分から、『世界遺産』~イェリングの墳墓、ルーン石碑と教会(デンマーク)、ビルカとフーブゴーデン(スウェーデン)が放映されます。以前もこのブログでは発言しましたが、今回はデンマークとスウェーデンの二ヶ所の世界遺産が特集されますが、番組を貫く裏のテーマは「ヴァイキング」です。オスロやトレレボーなどの周辺取材も踏まえて、単なる略奪や植民活動だけではない多様な側面をもったヴァイキング活動を伝え、そヴァイキングたちがキリスト教化していくまでの過程をたどります。ただし、この日は、『世界遺産』の裏でNHKもフランスの世界遺産をたどる番組を放映するんですよね。こちらは、北欧の風景や世界遺産など、滅多に見られない貴重な映像資料であることを、監修者として携わった立場から自負します。なお、現在、バルト海に浮かぶゴットランド島の中世都市ヴィスビーの回の作成が進んでいます。これも放映日が決定したら、お伝えします。

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義IIの試験問題

大阪外大の学生のみなさん!ようやく@niftyのメンテナンスが終わりましたので、ここに来週18日5時間目に予定されている試験問題をアップロードします。試験会場はいつもと同じ教室です。それでは。

試験問題をダウンロード

2006年7月11日 (火)

氷川きよし話

最近よく読んでいて痛快な気分を味わわせてもらっている勝海舟の『氷川清話』(江藤淳他編のものです)なんですが、机の上に置いてあったそれを見て、よしこん曰く「なにこれ?氷川きよし話って、氷川きよしの話?」そうくるとは、思わなんだので、思わず爆笑。

確かに、氷川きよしさんの芸名の由来は、Wikipediaによれば以下のようであり、海舟の隠遁していた場所のご近所の氷川神社と関連があるけど…。(以下、Wikipediaより「氷川きよし」の項より引用。)

  • 「氷川きよし」の名付け親は映画監督タレントのビートたけし(北野武)である(たけしがまともに芸名を付けた唯一の例である)。
  • 「氷川」 は東京都港区赤坂にある氷川神社から、「きよし」は本名の清志から採った。これに関し名付け親のたけしは「自分の相方ビートきよし)と同じ「きよし」で大丈夫か?」と言って周囲を和ませた。
  • 氷川神社は、たけしがバイク事故にあった時母が回復を願ってお参りした神社。

僕はひょっとしたら、世界の北野武様は、『氷川清話』のことを知っていたんじゃないかと思っていますが。しかし、高校世界史とかで、竹林の七賢らの清談とかの話は習わなかったんかいね…?根深いね、この「氷川きよし話」問題は。

死のロード…再び

現在、過酷なロードに突入中。これがブログの発言が停滞している理由。

6日:JTB(梅田)で講義→外大で会議→7日:外大で授業→8日:「軍隊と社会の歴史」研究会(東京)で報告→帰阪→9日:休日→10日:関西外大で授業→11日:阪大との会議→外大で授業→12日:放送大学でスタジオ収録(東京)→帰阪→13日:科研説明会で司会→会議、会議、会議→14日:外大で授業→オープンキャンパスの準備→15日:オープンキャンパス→16日:東京出張

ざっと、こんな感じ。この一週間で東京出張が三回あるのが体力的に辛い。もはや休講はできない切迫した状況。うひょ。

すべての学生のみなさんへ!

今日・明日と@niftyのメンテナンス作業で、このブログの更新ができなくなります。とりわけ火曜5限の北欧史講義の試験については、後日問題をアップロードすることになりますから、まずは今日の授業に出て試験についての説明を受けてください。

2006年7月10日 (月)

地域研究VIII 第一学期末課題について

関西外大のみなさん!一学期末の課題を以下のようにします。

  • 北欧諸国について日本語で書かれた文献を一つ以上読み、その内容について自分の意見を反映させながらレポートする。
  • このレポートの対象とする文献は、単行本や研究論文として公刊されているものとし、インターネット上で書かれた文章は対象としない。
  • 各自がレポートする文献、ならびにレポート執筆上用いた参考文献の書誌情報を必ず付記する。
  • レポートの分量は図版込みで原稿用紙換算7枚~10枚程度とする。
  • 提出方法は、原則として直接手渡しに限られる。提出期限は、1学期最後の授業である7月10日
  • 7月10日までに直接手渡すことができない理由がある場合に限り、その理由を申告した上で僕が妥当と判断した場合には、電子メールあるいは郵送でのレポート送付を認める。ただしこの提出方法は、何らかの事情でレポートが僕のもとに届かない場合があるので、好ましい提出方法ではない。

以上です。

2006年7月 9日 (日)

届いたもの、届かないもの

おそらく7月中唯一の休日です。昨晩深夜に帰宅してみたら、発注していたHieroのメガネが届いていました。よしこん、それを見て曰く、「厚い…。」僕は極度の乱視と近視もちなので、メガネのレンズは厚くなってしまうのです。昔で言う牛乳瓶の瓶底ってやつですね。それでも野暮ったいイメージにならないHieroのデザインセンスはさすが。かけてみると、ちょっときついイメージになるメガネなので、今度の阪大との会議は、これをかけて威圧してみよう。

メガネが届いた一方で、発注以来、数週間が過ぎ、今か、今かと届くのを首を長くして待っている「黒いブツ」があります。(あまりにわがままな要求で発注してしまったから、時間がかかっているのかな。)でも、今はたとえそれが届いたとしても、しばらくは玩ぶことができない状況ですから、まだ届かなくても良いんですけど。さぁてと、それはなんでしょう?僕の愛用する「黒いブツ」をリプレースする「黒いブツ」。みなさん、想像してお待ちください。

2006年7月 4日 (火)

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

大阪外大のみなさん!ここに来週の講義ファイルを二つアップロードします。忘れずに両方持参してください。それでは、5時間目に!

来週の講義ファイル(1)をダウンロード

来週の講義ファイル(2)をダウンロード

2006年7月 3日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん!来週の講義ファイルをアップロードします。それでは、3時間目にお会いしましょう。

来週の講義ファイルをダウンロード

2006年7月 2日 (日)

Hieroのメガネ

今日はとても蒸し暑く、湿気が高いということもあるのでしょう…体調最悪です、頭が痛い…がんがんする。(昨日大阪外大へ言った帰りに、トイザらスに寄っておむつを買って帰ったんですが、トイザらスに行くたびに頭が痛くなります。おもちゃのケバケバしい色のせいでしょうか?それともおもちゃになんかやばい薬品が使われていたりするのでしょうか?トイザらス、鬼門です。)妻も体調が悪いというので、散歩がてら近所のトンカツ屋さんで昼ご飯をおごり(…妻にとって、この世の中でもっとも美味しい料理とは、トンカツなのだそうです…)、その後、近所の眼鏡屋さんで眼鏡をお互いに新調。僕は、東大大学院の博士課程に在籍していた最後の年に眼鏡をあつらえて以来なので、かれこれ6年ぶりの新調。最近は使い捨てコンタクトレンズを愛用しているのですが、ときたま気分転換に眼鏡をかけたくもなります。変身願望ってやつでしょうか。それに夜間コンタクトレンズを外しているときは、眼鏡が必要になりますから。今回は、福井の鯖江が世界に誇るHiero Houseのフレームです。はやく届くのが楽しみ。妻の場合は度数もきつくないレンズで、値段が安く済んだのですが、僕は例によって極端な近視に乱視なので、レンズ代が高い。そんなことも大阪に来てからは、ずっと忘れていました。

2006年7月 1日 (土)

外大の夏祭り

大阪外大には、7月に開かれる夏祭りと11月に開かれる間谷祭という二回の学園祭があります。梅雨空の生憎な天気でしたが、今日は家族と一緒に大阪外大恒例の夏祭りに出かけて、世界中の(というか専攻語で出している)食事に舌鼓を打ちました。スウェーデン語はköttbullar(肉団子)を出品していましたね。まずまずのできだったと思いますが、値段設定が明かに高すぎ。それから肉団子のソースは、ほかにブラウンソースと、リンゴンジャムの計3つのオプションを設定しておくべきだったと思う。(来年にむけての反省点をしてくださいな。)デンマーク語のpølse(ソーセージ)は良かった。おなかがすいたこともあるのだけれども、古谷家は4本立て続けに食べました。他にも結構、飲み食いしました。滞在時間1時間半弱で、3000円くらいは出費。例年になく厳格な夏祭り委員会による交通統制・立ち入り禁止区域の進入制限は教員も例外ではなく、エレベータさえ使えずじまいの完全封鎖状態で(…やりすぎだろ…まさか、教員排除ってことじゃないよね?)、研究棟の6階までぐずる子供を抱えて階段で上りました。しかしバリケードはれば、これは攻城戦も可能ってことですね。勉強になりました。夏祭りは、外大音頭や世界の料理など、気軽に楽しめる企画が多く、学生たちにとっても、ここで新たな出会いや接近があって夏休みに突入!ということもあるだろうから、来年以降も続いて欲しい企画です。

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