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2006年6月22日 (木)

小田中さん、ごめんなさい

小田中さん、ごめんなさい。コメントを頂いておきながら、回答をする時間がとれません。「これは新手の若手つぶしか」と疑いたくなるほど、猛烈に忙しいのです。よくお邪魔しているバーでは、「忙しいってのは幸せなことじゃないですか」とバーテンダーさんから慰められます。確かにありがたいことですが、これが景気の良さと直結しないところが大学人の悲しいとことですね。何が忙しいって…大学の統合話で忙しいわけですが、新しい大学を作れるなんて機会は人生のなかで滅多に経験できる機会ではありませんから、そういう意味では楽しいといえば楽しい。飲み屋にでかけるくらいの心の余裕はまだあります(笑)。

さて、頭のなかには、「タブレットPCや電子黒板を用いた講義・プレゼンスタイルは確かに効果的なのだけれども、(1)我が国での教育環境では、講義・プレゼンをする場にネットワーク環境が整備されていないので、話者の一方的な押しつけになる可能性がある、(2)我が国におけるプレゼンの発想は、いまだに紙媒体をデジタルデータに置き換えればよい…すなわちプレゼンに用いる資料形態の発想方法が二次元的に規定されているという二点において、問題を抱えている」って答えを用意しているのですが。

(1)については、本来コンピュータの活用はネットワークによって各々のクライアントが同一環境で等価な関係を結んでこそ有効になり、その関係があってはじめて話し手と聞き手が双方向的関係を取り結ぶことができる…つまりそうした関係がなければ、教員がどんなに先進的な技術を駆使して講義をしたとしても、それは一方向的なものに終始してしまい、学生からのリプライ・リアクションをプレゼンの現場で取り込むことはできないということです。例えば、無線LAN化した教室において、あらゆる学生にタブレットPCをクライアント端末としてもたせ、電子黒板(あるいはプロジェクタでもかまわない)を教壇の上に立てて授業をしたとしましょう。この教室に参加している者は、学生・教員の違いを問わずネットワークで結ばれ、電子黒板(あるいはスクリーン)を通じて、各自のPCのモニタに書き込まれた情報を共有できるようになります。はたしてこのような環境が実現されている教育の現場が我が国にありますでしょうか。

おそらく我が国では(2)の考えが当然視されているために、(1)のような理解が乏しいのではないかと思っています。コンピュータを駆使した講義・プレゼンは、単なる模造紙や黒板に文字情報を書き込んで提示するという古来の授業スタイルを置き換えればよいのではなく、マルチメディアという言葉が示すように、写真・音・動画など、あらゆる表現形態をデジタルデータ化して等価に扱える点こそが革新の最大のポイントです。これは時に二次元的表現を超えて、三次元的理解を可能にする場合もあります。例えば、僕は地誌の授業を持っていますが、ある都市の地勢を理解させるためには、平面的な地図を見せるだけでは学生にその都市の来歴を支えた場の雰囲気を伝達できません。一見、平板化して見える都市空間にも地勢上は高低差があり、そうした地勢の差が社会的結合関係の様態にも影響を与えるからです。しかし、写真や動画を交えることで…本当ならば二次元で表現された地形図が、アニメーションをもって適宜三次元化できるような方法があればベストなのですが…地図上で平面的に処理されてしまう情報も立体的に表現することができます。単なる紙媒体の置き換えではないということです。

とりあえず、こんな感じで仮の回答をしておきます。

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コメント

なーるほど、これだけくわしくコメントしていただければ十分すぎるほどです。猛烈にお忙しいご様子、どうぞご自愛ください。

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