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2006年4月29日 (土)

長崎出島とバルト海ネットワーク

東京本郷から発言します。放送大学の打ち合わせが昨日あったのですが、急遽ロケ撮影で長崎出島に行くことになりました。(来月ですけど。)

放送大学の講義(というか収録)はまだ先の話になりますが、昨日の打ち合わせのなかで同じ講義を担当される一橋大の土肥恒之先生(近世ロシア史)が長崎出島でロケをするという話になり、「これは!僕も・・・というかスウェーデンも!」と是非土肥先生との共同撮影を提案したんです。

長崎出島といえば「鎖国」時代にオランダとだけ交易が許されていた唯一の場所ですが、そこにやってきていたオランダ東インド会社の社員はさまざまな地域の出身者がいました。実のところ、江戸時代には何人かのスウェーデン人がこのルートで日本に来ていて、歴史上名を残す業績を残しています。出島のオランダ商館長を務めた後、最後の台湾ゼーランディア城城守になったコイエットや、リンネの弟子で蘭学者たちとも交流があり、ペリー来航以前の欧米にあってもっとも読まれていた日本紹介の書籍を記したトゥンベリなど。出島には、彼らを顕彰する記念碑も建っています。

今回の土肥先生の話では、ケンペルというドイツ出身の医者がらみで絡んでいきます。ケンペルはドイツ出身ですが、スウェーデンのウップサーラで医学と植物学を修め、スウェーデンの外交使節としてペルシャに赴き、そのままアジアに残って、オランダ東インド会社に医者として入社し、長崎出島にやってきた人物です。彼はロシアとも絡んでいるんだそうです。そう・・・長崎出島におもむいてみれば、オランダ・スウェーデンそしてロシアをつなぐっ近世バルト海のネットワークを垣間見ることが出来るのです。

面白いことになってきました・・・。では、これから学会の打ち合わせにいってきます!

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