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2006年3月

2006年3月31日 (金)

で、楽しいのかい?

スウェーデンのこの冬は四半世紀に一度とか言われる寒さが続いていて、スコーネの平原もそれが雪原になっている姿をはじめて見ました。僕が滞在した3月後半にルンドで雪が降ったり積もったり、昼間でも摂氏にして氷点下の気温が続いていたり、ダイヤモンドダストが舞っていたり…そんなのははじめてだと、ルンド大学歴史学部の友人たちが語っていました。ルンド大学歴史学部では僕が留学していた2000年当時も今もかわらず、毎週月曜日の午前と木曜日の午後にはキッチンに集まってコーヒーブレイクの時間があり、名誉教授から院生まで含めて垣根なくコーヒーを飲みながら雑談に花を咲かせる習慣があります。歴史学部のコーヒーブレイクに顔を出すたびに、「あぁ、自分はまたここに帰ってきたんだなぁ」と感じます。

さて、この3月後半、僕の周りではいろいろなことが起きました。とりわけ23日に発表になった大阪外国語大学と大阪大学の統合推進に関する基本合意は大きな出来事でした。学生の皆さんからすれば単なる春休みかもしれませんが、この時期、大阪外大の教員・事務員の多くは、肉体的にも精神的にもギリギリになりながら、僕たちの大学の未来を真剣に議論していました。スウェーデン出張がたまたまこの時期に重なったとはいえ、僕はそうした議論に我が身を尽くすことができない忸怩たる思いを抱えながら、スウェーデンに滞在していました。

スウェーデンの人たちの顔色って、長い冬が続くこともあるのでしょうが、冬も終わりを迎え春の到来を今か、今かと待ち望んでいるこの時期が、一番青白く不健康そうに見えます。そんな彼らに今僕の、あるいは僕らの大学の置かれた立場を正直に話してみれば、「で、それは楽しいことなのかい?(あるいは良いことなのかい?)」って、多くの友人たちは聞き返してくれました。一見すると青白い顔色の連中も、実は人生を楽しむということを指針として行動しているんだなと思った瞬間です。

統合協議は膨大な事務的手続きを踏む作業ですから、どうしても「楽しさ」なんてことを忘れてしまう仕事の連続です。困難な議論のただ中にいることのできなかった自分に、そんなことを言う資格が毛頭ないのは承知しています。しかしながら、自分たちの教育や研究の環境に「楽しさ」を感じられない話では、人間正直な生き物ですから精神的にも、肉体的にも長続きできないでしょう。僕が出張していた間に困難な議論に全力を傾注されてきた方々には敬意を表します。しかしそうした議論のなかにも「楽しさ」の光を見いだせる部分を見いださなきゃ、法人としての大阪外大がつぶれる前に、みんなが先につぶれてしまう。それに僕たちの大学の魅力的な将来像も見いだせないままの議論におわっちゃう可能性だってある。そんなことでは、いけない。

今回スウェーデンに滞在した当初は、箕面キャンパスのことで後ろ髪引かれる思いが強かったのですが、ルンドの友人たちから聞いた「楽しいのかい?」という言葉は救いになりました。人間ってちょっとした困難に直面したときにでも、それを笑ってなんとかやり過ごすことのできる楽天主義って英知をもってますからね。(もちろん問題を笑って忘れるというのではなく、笑いながらも責任をもって問題を完遂せねばなりません。)で、「楽しいのかい?」っていう問いかけは、統合協議の話はもちろんなんですが、自分の研究のことでもそう言えるわけです。教育も研究も自分の人生に直結してなんぼの魅力がでてくるものでしょうから、そこに皆で共有できる「楽しさ」がなけりゃ、そりゃ自己満足の独り言に終わっちゃう。

今回の滞在はたったの二週間(しかも週末が2度も入った)の短期間でしたから、文書館滞在であまり成果はあがったとは言えません。しかしルンド大学歴史学部に属するスウェーデン・デンマークの研究者たちから最新の研究動向をどっさり紹介してもらった結果(…貴重なのは、それぞれの研究者が公刊を終えた研究の情報ではなく、それぞれの研究者が今リアルタイムに取り組んでいる未だ日の目を見ていない研究の情報なんですよね…)、情報収集という意味では短期間にもかかわらず大きな成果はあったと言えます。もちろんこの期間に集めたものを、これから逐一腑分けして、吸収していかねばならず、成果があったかどうかは判断できないことなのですが。(少なくとも5月の日本西洋史学会は乗り切れるかな。)短期間で効率的に情報収集ができたのは一も二もなくルンド大学の先生や友人たちのおかげなのですが、そうした情報以上に、北欧の厳しい冬に生きる友人たちの口から、「で、楽しいかい?」という言葉を聞くことができたことが僕のなかでは一番ありがたかった成果です。

今日から「待ったなし」で通常業務復帰なのですが、阪大との統合協議も、新学期からの教育も研究も、大いに楽しませてもらおうと思います。スウェーデンに出張して知力も体力も温存させていただきました。ですからこれからフル稼働でいかせてもらいます(笑)。

どうにかならんかね?

完全なジェットラグ状態です。帰国直後の馬鹿話をもう少し。いえねぇ…今回のスウェーデン滞在で直面した技術的問題のことなんですが。

Vodafone 3Gの国際ローミングサービスなんですが、これは契約さえしておけば、何も意識することなく滞在先の携帯電話キャリアの電波を拾ってきて、日本とかわらず端末もそのままで使えちゃう…そりゃすごいサービスなんです。しかしねぇ、今回ばかりは、国境を越えて毎日膨大に送られてくる迷惑メールの数々に悩まされました。

携帯電話での迷惑メールのフィルター設定を僕が忘れたままスウェーデンへいっちゃったとこりにも、問題があるっちゃぁ、あるわけです。しかし今回15日程度の出張で250通近く携帯電話への迷惑メールが届き(…悲しいことに僕の携帯電話宛には誰からもメールが届かず、結果、その250通近くのメールはすべて迷惑メールだった…寂しかった…)、しかも国際ローミングでは削除するだけでも料金がかかるという話。

そこで、ずーっと迷惑メールを溜め込んで帰国後に一気に消去しようと思ったら、今度は一度に複数の迷惑メールを削除できない携帯電話の仕様だということに気づき…(これってノキア端末だけの問題?)、結局、関西空港からの帰りのバスのなかから一通、一通メールの削除をするはめに。すべての迷惑メール削除が終わったのは、なにやら引田天功(プリンセス・テンコー)さんの知られざる食生活なんていうテレビ番組を見ていた午後8時ころ。(うーん、日本は平和だ。)腱鞘炎になるかと思いましたよ。

国際ローミングサービスは料金が高額な点を除けば、国境を意識することなく携帯電話を使えるすばらしいサービスなのですが、それゆえに国境を越えて飛び交う迷惑メールの削除くらいは海外滞在中にも無料でできるようにしてもらいたいですね。

2006年3月30日 (木)

で、帰国しました!

今朝方帰国しました。シャルル・ド・ゴールでのトランジットで、「おいおい、スト大丈夫か?」と戦々恐々としていましたが、無事関西空港に降り立ちました。スウェーデンから帰国する際にいつも悩むのは服装のギャップのことですが、今日の大阪は寒い様子で問題なし。スウェーデンからダウンジャケットのままで降り立ちましたが、季節はずれの服装とは思われずほっとしました。

今回のフライトではパリの離陸直前で急病人が出て、「この機内にお医者様はいらっしゃいませんか?」っていう事態に直面したのですが、いやはや意外とお医者様っていうのは飛行機に搭乗されているものなんですね。急病人の方も問題なく、無事定刻通り関空に着いたわけですが、その方には申し訳ないのだけれども、僕は頭のなかで性懲りもなく、「この機内に歴史者の方はいらっしゃいませんか?」というアナウンスメントがあったらどうだろうと妄想をふくらませていました。

結構、歴史学者もパリからの帰国便ならば乗っていることは想定できます。今回の緊急事態のときに、お医者さんが3人も集まっていらしたのですが、まぁ、それくらい歴史学者が集まってきてもおかしくはない。で、今回の事態では目の急病だったらしいのですが、なにやら集まってきたお医者さんたちは「自分の専門は○○だから」という話をしてましたね。これも、まぁ、歴史学者だったら、「自分の専門は近世スウェーデン史だから」とかそれぞれの専門を披瀝し合い、で、自分の専門とは直接関係なくても、事態をなんとか好転させようと自分の知識をフル動員して関わろうとする。お医者さんって偉いよね…ほぼ定期的に様子を見にいらしていましたもの。

しかしこの妄想がはたと行き詰まってしまうのは、飛行機のなかで自らが関わろうとする事態が一体なんなのか…つまり、そうした緊急に飛行機の機内で歴史学者が招集されるというシチュエーションがありえないって、根本的なことに気がついたときです。そもそも緊急に歴史学者を必要とする事態を想定できないわけ…そんなのあったりまえだろう…とおしかりを受けそうですが、それは社会における歴史学の任務とは何かを感じさせる妄想でもあったわけです。まぁ、まぁ目くじらを立てずにお聞きくださいな…それはそれ、10時間以上もフラ イトして、狭いエコノミークラスシートに縛り付けられていたぁ暁には、それくらいの妄想も許されなければ、やってけないでしょう?

で、どう思いますか?飛行機で緊急に歴史学者を招集せねばならない事態…いったいどういう理由が考えられますかね…って帰国直後からお馬鹿な話で申し訳ありません。

2006年3月29日 (水)

明日、帰国します!

皆様、ご無沙汰しています。今、コペンハーゲンのカストルップ空港に面したホテルに滞在しています。この二週間、日本語環境のない生活が続き、結果的にこのブログを放置することになっていましました。今、ようやく日本語も通るネット環境(…しかしかなーり高額…)があるので、久しぶりに発言します。

この二週間、自分の身の周りで「これでもか!」というほど、いろいろなことが起きており、どこから…どう整理して話しをしていけば良いのか、わからないくらいなのです。まぁ、スウェーデン滞在だけに限って話をすれば、かなりストイックに過ごした結果、今後それなりの成果(…こればかりはこの滞在で集めたものを今後整理して、結果を出さないと本当は成果があったとは言えないのですが…)も期待できそうなものだったと思います。

それにしても、カストルップ空港はいつ来ても素晴らしい空港だ!空港好きな僕が世界で一番好きな空港です…機能的にも、居心地的にも。北欧にアクセスするルートはいろいろありますが、個人的なお勧めはやはりカストルップですね。で、名残惜しいのですが、明日朝に帰国します。またこのブログでぼちぼちと今回の滞在のことを発言していこうと思います。帰国後はまたかなり忙しくなりそうです…(汗)。

2006年3月24日 (金)

大阪外大デンマーク語・スウェーデン語を卒業されるみなさんへ

(今現在スウェーデンにあって日本語を使える環境にありません。しかし、この文章だけはどうしても掲載したかったので、ちょっとした工夫を凝らしてなんとかアップロードしてみました。)

みなさん、ご卒業おめでとうございます。

謝恩会へご招待を頂きながら、スウェーデンへの出張と重なってしまったため、皆さんの晴れの日に一緒に祝杯を挙げることができず、誠に申し訳ありません。いつもなら古今東西の名言をもって、はなむけの言葉にするのですが、今は遠くスウェーデンにあって、これぞという言葉も見つかりませんので、自分の人生に照らして、みなさんに言葉を贈ろうと思います。

みなさんは大阪外大でのスウェーデン語やデンマーク語の勉強を通じ、こつこつと努力を積み重ねて、卒業を手にされました。スウェーデン語やデンマーク語の知識ももちろん大切ですが、努力を積み重ねて結果を得るという生き方を学んだことが、今後の人生の糧になると思います。

僕の人生は決して華やかではありません。しかし、良き同僚・良き友の言葉に耳を傾け、こつこつと努力してきた結果、皆さんのような学生を世に送り出すことができる今の仕事に、この上ない幸せを感じています。卒業されるみなさんは僕の人生にとって誇りであり、そのような誇りを得るに至った僕の生き方は、間違っていなかったと断言できます。

みなさん、本当にありがとう。

こつこつと努力を積み重ね、結果を得るという生き方には、時間と忍耐が必要です。ですから、健康には気をつけて長生きをし、ちょっとしたことで挫折することなく、目標にむかって前進してください。大阪外大でスウェーデン語とデンマーク語を修めたみなさんなら、多少のことでもくじけず、目標を実現できる力があると信じています。

機会があれば、一緒に飲みにでも行きましょう。今日は本当に、ご卒業おめでとうございます。

2006年3月14日 (火)

お、終わらない…でも、いってきます

明日離日するというのに、今日も緊急の件で大阪外大に来て、仕事をしています。(報告書の類は、いずれも完遂。)そんなこんなで、『クリオ』への原稿が遅れています。関係者の皆様、本当に申し訳なく思っています。おそらくスウェーデンへ行ってから、完成原稿を送るということになりそうです。ほかにもちらほらと、離日までに終わらせておきたかった仕事が、事実上終えることができず、そのままスウェーデンへ持ち込みになりそうです。しかしスウェーデンへ行ってしまえば雑念から離れますから、集中の度合いも高まるでしょう。それに海外へ行くと、時間を有効に使おうとするからなのでしょうか、不思議と早起きになって、精力的に頭と体を使えるんですよね。目的が明らかな旅ですから、これも集中の産物と言えるのでしょう。さてさて、どうなることやら。僕を知っている人から見ると意外に思われるかもしれませんが、僕は全くネットジャンキーではないので、ネットに繋げずとも一・二週間は問題ありません。これは2004年にストックホルムとケンブリッジに一ヶ月近く滞在したときに明らかになった事実で、そのときはメール関連も放置しっぱなしで、でも問題ありませんでした。むしろ外からの雑音が何も聞こえてこなくて、よかったくらい。今回、もちろんスウェーデンではネットのある環境に滞在しますが、とはいえ日本語が使えるかどうかはわからない。日本語が使える環境ならば、スウェーデンに渡ってからの様子をまたブログに発言するかも知れませんし、そうでなければこれから3月末まで、このブログは新たな発言もなく放置されることになります。そのときには4月の新学期のときに、またお会いしましょう。


というか、今日のルンドの気温摂氏マイナス8度!

箕面の雪交じりの天気なんて甘っちょろいね。

2006年3月13日 (月)

箕面は雪交じりの天気です

ココログのアクセス障害のせいもあって、ブログ更新が遅れ気味です。後期日程入試、各種報告書の執筆、『クリオ』原稿の執筆で忙殺されているということもありますが、明後日からスウェーデンへ行ってきます。あちらはだいぶ寒い模様。これからようやく渡航の準備にとりかかろうと思うのだけれども、気分的には国内出張とかわりありません。

今回の海外出張に際しての準備作業としては、まず読まねばならない史料や論文の類はすべてPDF化し、ノートパソコンのハードディスクに放り込みました。こうしたことができるようになって、だいぶ荷物も減りました。また書きかけの文章や作業中のファイルなどは、ノートパソコンのハードディスクに入れておくことはもちろんですが、不測の事態も考えられますので、それらのコピーをGmailのストレージに放り込みました。Gmailはネットに接続した環境があれば、ブラウザを通じて世界中どこにいてもアクセスできるので、とても簡単なリモートアクセスストレージとして利用できます。

スウェーデンへ行くにあたってコンピュータ関連で準備しておくのはこれくらい。あとは堅牢なThinkPadと、ダウンロードやアップロードするファイルのやりとりを行うUSBメモリ、メモ・コピー代わりに使う手ブレ防止機能のついた薄型デジカメ(…最近は動画撮影機能も充実してきたので、ビデオカメラをあえて持参するまでもない…)を持参するだけです。

2006年3月 9日 (木)

合格発表と花粉症

今、外大へ向かう阪急バスの車中。やたらと混雑しているなと思えば、今日は前期日程の合格発表!みんな、どうりで緊張の面もちが多いはず。今日は麗らかな春の日だけど、合格発表のこの季節、緊張しているのは受験生のみなさんだけではない。僕も一緒です、なぜなら花粉症の季節も到来したから。さっそく今日はでがけにくしゃみの第一波来週。今年はスギ花粉の飛散が少ないと言われているけど、花粉症の悲惨の度合いにかわりはありません。僕はもとよりスウェーデンをユートピア的に考える態度には批判的ですが、この時期ばかりはスギ花粉に悩まさないスウェーデンがパラダイスに思えてきます。(とはいえ、スウェーデンの人たちって、会うと必ず時候挨拶のかわりに、お互いのアレルギー自慢合戦をはじめる、奇妙な健康志向を持つ人たちなんですが。)

というか、今日のルンドの気温摂氏マイナス11度!とてもパラダイスとは思えん寒さだ。

2006年3月 8日 (水)

本郷ありがとう…闇は晴れたよ

(現在@niftyのココログにアクセス不能が続いています。今ようやく制限つきながらアクセスできたので、前回のこの発言を大幅に修正します。申し訳ありませんでした。)

昨日遅く帰阪し、今日は教授会に、会議…。スウェーデンから、どさっと書籍が届いたりして、またてんやわんやな生活に復帰。ところでハードな仕事の間隙をぬっての今回の東京出張でしたが、昔からの先生・先輩・同輩・後輩に会って、いろいろと正直な話をすることができたことで、心のなかの憂さも完全に晴れました。本郷に帰ると、自分の原点に回帰することができ、心が落ち着く。帰阪して、古くからのよき付き合いのある人たちから頂いた言葉や顔を思い出すと、ここ大阪で生きる僕の気持ちは再び粛然とする。だから、今日の教授会も、会議もなんのその。出張での仕事から得られた情報を通じて今後の展望を見いだすこともできたから、今回の東京出張も充実していた…みなさん、ありがとうございました。


2006年3月 6日 (月)

今日の上京

某科研の成果報告書をなんとか終わらせ、今日~明日と上京。今日は日本西洋史学会のシンポジウム、明日は軍隊と社会の歴史研究会の打ち合わせ。

最近ゴート起源説(ゴート主義)の話をほうぼうの研究会や研究者の方々にしてみるのだが、この議論、スウェーデン発の議論のわりには皆様に興味をもっていただけそうなテーマだとの手応えがある。近世における複合国家の統合軸はなにかという視点から切っても良いだろうし、宗教改革以降のプロテスタント国家の秩序理念として切っても良い議論だろうし、ここでいう言説の作られ方を諸地域で比較することで、それぞれの地域の社会構想における準拠枠がどのようなものに置かれていたのかという視点から切っても面白い議論になりうる。

この15日からスウェーデンへ渡るのだけれど(例によって基地はルンドになる)、現地でゴート起源説(ゴート主義)とバルト海帝国の秩序理念を落ち着いて整理し、5月の西洋史学会のシンポジウムで発表し、前々から取り組んできた祖国論と組み合わせて、現在着々と進行中の某大論文集へもっていこう。しばらく気が滅入っていたけど、とある方からも「スペインなどと比較して普遍的な議論へ」などと激励されたりして、こんなとこからぼちぼち腰を上げる気になってきた。

2006年3月 5日 (日)

プッチーニを聴きながら…

仕事が貯まっているにもかかわらず、昨日は一切仕事が手に着かなかった。精神的な不安感と焦燥感…これが軽い鬱ってもんかと思った。一夜明けて、もう仕事に集中するしかあるまいと改心。勉強に集中し、時間が経過しているのを知ると、仕事が進んだということよりも、嫌なことがあった時点から、ただ単に時間が経過していることのほうが今は嬉しい。こうした感覚は正常なことではないけれど、今は何よりものリハビリテーションになっている気がする。というか、こういうことをブログに書き込めるんだから、それなりに立ち直っているということか。

で、勉強はプッチーニを傍らで延々流し続けながら続けています。荒川静香のトリーノがどうこうではなく(…オリンピックで浮かれることができた人たちは幸せです…)、僕はもとよりプッチーニが大好きなのです。音楽市場の需要を睨みつつシンクレティズムとオリエンタリズムの粋をいった確信犯的な音楽の作り方。ほぼ同時代の国民学派と呼ばれる偽善的音楽技法(…その楽派に属するとされている作曲者のどの程度が心から国民的とされるものを理解し、国民的とされるものを追い求めたのだろう…)より、よぽっど正直な音楽家に思う。ルッカの宗教音楽家の家系に生まれた彼の音楽技法のベースは宗教音楽にありつつも、世俗的な音楽の流行にも敏感、とはいえただ通俗的かといえばそうではなく、いちはやくシェーンベルクの音楽技法などの分析と評価を行ったりしている。プッチーニの作品のいくつかを西洋と非西洋(アメリカもあるからね)の邂逅という立場からオリエンタリズム的に捉えるのではプッチーニを解釈するには限界があり、実のところ上に行ったような様々な音楽語法のシンクレティズム的可能性がプッチーニの真の魅力と思っている。

今ごそごそっと書棚から発掘して聞き流しているのは、『ラ・ボエーム』(パバロッティ/フレーニ/カラヤン指揮BPO/1972年)、『トスカ』(リッチャレッリ/カレーラス/カラヤン指揮BPO、1979年)、『蝶々夫人』(カラス/カラヤン指揮ミラノスカラ座/1955年)、『トゥーランドット』(ニルソン/コレッリ/プラデッリ指揮ローマ歌劇場/1965年)くらいかな…。カラヤンが多いのは許してください…カラヤンは少年時代の僕のアイドルだったんです。でも『トゥーランドット』だけは、個人的には、録音は古くなってもニルソンの歌うトゥーランドットが最高。「誰も寝てはならぬ」となれば、デル・モナコの1955年盤も有名だけど、僕はコレッリも良いと思っている。

「誰も寝てはならぬ」…はっ、僕も寝てはならぬ…明日締め切りの報告書を仕上げなくちゃ。明日は日本西洋史学会の打ち合わせで東京出張です。

2006年3月 4日 (土)

涙を癒すもの

大学教員も一人の人間ですから、いろいろと思い悩み、ときには一人涙を流してしまうこともあります。ここ数日ちょっとした問題がおきて久々に涙しましたが、しかしその涙を癒してくれるものも確実にあります。

大阪に赴任して5年が経ちますが、友達なんていなかった大阪にあってこれまで常に僕を支えてくれ、そして僕が頼れた存在は、大阪外大の同僚の方々です。僕にとってのかけがえのない財産は、尊敬できるすばらしい同僚の方々が身近にいてくれることなのです。自分の属するデンマーク語・スウェーデン語の同僚や、西洋史系の同僚。

昨晩はこの春に他大学に移られる先生を囲んでの送別会に参加しました。そのときに西洋史系の先生が集合したわけですが、本当に楽しかった。その送別会がはけた後、いろいろと思い悩むことがあったので一人でバーに籠もりましたが、こうした同僚に恵まれたことに感じ入り、また涙してしまいました。バーテンさんがそっと差し入れてくれたポークソテーがこれまた感涙ものの美味しさだったということもありますが。

大阪外大を巡る状況がとやかく言われていますが、こうした同僚とならばどんな難局も越えていけるだろうと、あるいは涙することがあっても決して将来に悲観することはないだろうと、強く思っています。

2006年3月 1日 (水)

福井雑感の二

最近、自分の体に悪いだけではなく、人様にも迷惑をかけるとされている常習性の高い或る行為をやめた(…この行為は公的にはないことになっていたので、このような言い方をさせていただきますが…)こともあるのかどうか、片付けなければならないものが多いにもかかわらず、どうにもこうにも集中できません。何から手をつけて良いのかわからないといった感じ。

で、ぼーっと福井のことを続けて書きます。福井なんですが、先日出張で訪れた福井大学があるのは足羽川の北のほうなので、どうしても足羽川を越えて南の足羽山のほうへいくことができませんでした。しかし、やはり福井にいったならば、足羽山界隈に足を運ぶべきではないかと…かなり後悔しています。

古代史に思いをはせる北摂の住人ならば継体天皇像を見に行っても良いだろうし、やはり北摂がらみでいくならば中世は『太平記』とのつながりで、最期はここで殉じた新田義貞を祀る藤島神社(後年義貞のものと鑑定された象嵌の兜はこの神社にあるらしい…というか前々から感じていることなんだが、楠公と比べると義貞公の扱いは冷たいよね…特に『神皇正統記』とか…なんで?)、近世ならば北の庄の柴田勝家とお市の最期に思いをはせられるし、幕末ならばなんてったって橋本左内だよな、左内…。皆様、足羽山のふもとの左内公園で、安政の大獄で若くして死んだ左内に涙しましょう。(水戸の者としてはだな、大獄…近代日本の歩みのすべての誤りはあそこにあると思っちゃうよ…なんてことはないけどね(笑)…信じないよーに!)

というか、ここまで書いてみて気がついたのだけれど、なんだか足羽山ってとこは歴史のなかで非業の死を遂げた者の追憶にふける場所のように思えてきた。うん、福井はいいとこだ、いいとこだ。

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