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2006年2月16日 (木)

知的貪欲さ

僕自身、前の発言でスリル満点なギリギリ生活を送っていると書いたばかりですが、年度末の成績が発表される前のこの時期に卒業がかかっている学生のみなさんのなかにもギリギリ気分でヤキモキしている人たちがいるでしょう。東大の近藤先生が掲示板で、この時期に成績を強請ってくる輩を相当にきつい調子で非難されている発言を読みました。

確かにいます…そういう学生。大阪外大スウェーデン語・デンマーク語の場合、毎年年度初めの履修ガイダンスの際に卒業のかかっている学生には口を酸っぱくして、取得単位がギリギリにならないように保険の意味を込めて余裕をもって授業を履修するように指導しています(…しかも最近はアカデミックアドヴァイザ制度なんてのがあって、自分が担任する学生については事前に提出する履修届がそのように余裕をもって組まれているかまでチェックします…)が、ちょっと過保護にすぎるきらいもあるけれど、現実にそうした学生に出会います。

そのような学生に直面したときに思うのは憤慨の念以上に、理解不能の念です。近藤先生も書いていらっしゃいますが、どの大学でも魅力的な授業というのはたくさん用意されて、教員の自分でさえも勉強してみたいものが多い。なのに「なぜ単位数ギリギリしか登録しないのか?」ということがわからない。僕自身の学部生時代を振り返ってみれば、取得単位数なんてものに対する意識はかなり薄かったことを告白します。(教員としてあるまじき発言で申し訳ありません。)というのも、あれやこれやでいろいろな授業をとっていれば、単位なんてのは余り放題で、後から自然とついてくるものだくらいにしか感じていなかったからです。

こうした事態に直面して痛切に感じることは、一部の学生にみられる知的好奇心の希薄さ、あるいは貪欲さの欠如ということ。履修科目ということで言えば、(制度上複数のゼミを履修できないところもあるかもしれませんが)僕は学部時代にはドイツ語購読が基本だったドイツ史、ロシア語購読もたまにはあったロシア史、フランス語購読が基本だったフランス史のゼミを掛け持ちしていました。(確か近藤先生はロンドンへ留学中だったので、イギリス史のゼミは学部時代には出ていませんでした。)プライベートではアルバイトもしていたし、彼女なんかもいてしょっちゅうデートもしていたけれど、それでも十分に勉強はやっていけた。それもこれも「でなきゃ損損…」とばかりに、どんな授業もおもしろいと思っていたからです。

もしここで、「自分から見ておもしろい授業なんて用意されていない」と反論する学生がいたら、「自分にとっておもしろいと思えるものはいろいろな授業に参加してみて自分で見つけ出すものだ」と答えたい。大阪外大の場合、なぜ一つのゼミにしか参加していないだけで泣き言を言うのかわからない。自分の専門とする分野の知識は、関連する周辺分野の知識を知って、例えば比較のような視点からはじめて深まるものです。それにレポートの採点などしていて思うことは、文献検索の方法や基本文献の情報などを提示しているのに、なぜもっといろいろな文献や情報にあたって自分なりの主張を膨らませることをしないのかわからない。

知力は自分を守る懐刀…いくらもっても荷物になりません。単位なんて以上に、たくさんの授業に出て得られた知識は、なにかにつけ自分の人生を豊かに彩ってくれるものです。(例えば僕がよく飲み屋でネタを披露するように…不謹慎で失敬。)同じ授業料を払っているんだったら、人生豊かにできる授業を多くとっといたほうがコストパフォーマンスが良いよね。そうした態度でいたら、単位なんて問題はそんな深刻な問題には映らなくなります。単位を強請るような横柄な性格があるというならば、その横柄さを知識の習得にむけてもらいたいものです。というか知的貪欲さがあれば、そんなことにもならないわけだから、この結語は本末転倒なことを言っていますがね。

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