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2006年2月21日 (火)

「東欧」も「北欧」も悩みは深い…

週末は土曜日に東京外大本郷サテライト(!)で催された東欧史研究会で報告をするために上京していました。東欧史との関係でいえば紆余曲折のあった僕の研究人生ですが、伝統と実績のある東欧史研究会で報告できたことは個人的に大変嬉しいことであり、お招きいただいた研究会の方々には感謝申し上げます。研究会自体もその場に集っていただいた若手の論客の方々と厳しくも有意義な議論を展開することができ、実にすばらしい時間を共有できました。

当日の報告会を反省すると、第一に今回の研究会で設定されていた中近世史における地域概念の方法というテーマからすれば、僕が扱ったアイデンティティ論はテーマ上「ズレ」があったと思います。とはいえ、東欧史研究会の方々との議論を通じて、地域に接する視覚・関心の「見えざる」差に気がつかせてもらった点は最大の収穫です。従来のナショナルな歴史叙述や東西二項対立的な歴史叙述を相克する方法として、地域概念という方法枠をもって臨むという態度は有効である点に、「東欧」も「北欧」も差はありません。しかし冷戦崩壊以降「東欧」の示す意味・範囲が崩れてしまった東欧史研究の抱える「「東欧」とは何か?」という問題への深き悩みは、未だ当然のように「地域」の一体的存在が神話的に語られる「北欧」の研究の比ではありません。この問題は、例えば山川出版社の新版世界各国史に「東欧史」がなく、『バルカン史』、『ドナウ・ヨーロッパ史』・『ポーランド・ウクライナ史』に分裂していることからもわかってもらえるでしょう。

地域を示す「北欧」という言葉の場合、日本語では「欧(ヨーロッパ)」という概念が明示的に現れますが、しかし北欧語では地理的概念(あるいはラテン的世界概念)に起源をもつSkandinavienと、19世紀に起源をもつNordenが存在するだけです。東欧史研究会では、「西欧」や「ロシア」との歴史的・文化的な接触・対抗関係が重視される「東欧」概念を念頭に、「北欧」ではEuropaという概念がなぜ明示されないのかという問題が提起されました。もちろんNordenという語彙の場合、それが暗に「西」、「南」、「東」といった概念に対置させられているわけで、「西欧」や「東欧」の歴史的展開を背景として、Nordenとしての「北欧」の意味も相対的に決定されていることは僕も理解できていました。しかし、より大きな準拠枠としての「欧(Europa)」とは何なのでしょうか?これに僕は答えることができませんでしたが、この「欧(Europa)」という準拠枠の同時代的な有り様が示されねば、「東欧」も「北欧」も「西欧」も「南欧」も加わった地域概念の検討という方法が可能にならないでしょうし、逆にそれら東西南北の相互の相違点や相似点を示すだけでは、「欧(Europa)」が何なのかという問題に迫ることもできないでしょう。例えば、今回の東欧史研究会で北欧史研究者である僕が報告したような試みが成功を収めるには、その点を共通の問題にする必要があるでしょう。

第二に「北欧」のアイデンティティ論については、「東欧」という概念が方法概念としても実態概念としても批判されている現状に比較して、「北欧」という概念は歴史的にも今日的にも批判の対象とされてきていない点がアイデンティティ形成のパターンを論じる上で重大な違いだということに気づかせていただきました。「北欧」アイデンティティが形成される際の構成要素は、ヴァイキング期、中世、近世と「北欧」の過去の事例から参照されている場合が多く、(…無論、それらアイテムをつなぐ「接着剤」は大陸ヨーロッパで開発された社会思想を横領している場合が多いのですが…)今に至る「北欧」アイデンティティのアイテム自体は「北欧」史のなかで自明なものとして準備されているものですから、「北欧」は方法概念として単に現在相対化されるものではなく、中世だったら中世の「北欧」、近世だったら近世の「北欧」といったように、同時代的な実態概念を伴う歴史的概念としても説明しうると僕は判断しています。それゆえに『「北欧」アイデンティティの歴史的展開』と論題を銘打って、今回の東欧史研究会では報告しました。しかし、アイデンティティとしての「北欧」が歴史的概念だとする議論は、「東欧」という概念自体が成立していない現在に「東欧」批判を行う人から見れば、地域概念としての「北欧」を批判する方法の視角としては、批判のベクトルがどこに向かうか曖昧であるようにに映ったようです。

批判のベクトルがどこに向かうのかわからないという批判は、「北欧」を考える者の思考の枠組みを客観的に考えるうえでは重大な批判です。今「北欧」を批判しようと試みる者は、一体なにを批判しようとして「北欧」を対象とするのでしょうか?確かに冷戦崩壊とEU拡大の後、「北欧」を批判する論調は盛んになりましたが、しかしそれは所詮第二次世界大戦以降の「北欧」概念が成り立たなくなったことに対して、それを代替するものを模索しようとする試みでしかありません。この論調のなかで、「北欧」はいぜんとして「北」の「ヨーロッパ」として残り続けています。つまり「北欧」を批判するからといって、それを作り上げてきた構成要素自体は「東欧」のように否定されるわけでもなく、「北欧」の場合にはそれら構成要素が「北欧」を構成している五カ国によって共有されているものがほとんどだから、ナショナルな歴史叙述が相克されるわけでもありません。それゆえに、今回の研究会で「北欧」を歴史的概念として取り上げる点に頂いた批判からは、「北欧」を研究する者がなぜ「北欧」に対して不感症になる傾向があるのか(…あるいは「北欧」へのユートピア的イメージがなぜかくも我が国で払拭されずに拡大再生産され続けるのか…)ということの理由になるとの閃きをいただきました。

僕としては「北欧」アイデンティティの歴史的展開を追うことで、様々な時代における地域住民の自己理解形成のパターンを示し、そのパターンのいくつかは「東欧」を考えている人たちと比較検討できると考えています。研究会の場で僕の報告をフォローしてくださった方のコメントを引用させてもらうならば、「北欧」を歴史概念として扱うことの有効性は、歴史概念としてのフェーズをいくつかに腑分けして発揮されるものだろうということ。これは今後の課題ですが、それぞれのフェーズを分割・整理すれば、「北欧」も「東欧」も比較可能な部分も見いだせるはず。そして、ここで言う地域住民に懐胎されてきた歴史概念としての地域を意識させる局面(フェーズ)の一つ一つが、「欧(ヨーロッパ)」というより深く広い準拠枠を構成し、成立させる要素なのだろうと感じています。こうしたことに迫るためにも、例えば僕のような北欧研究者が東欧史研究会で報告したり、逆に東欧研究者がバルト・スカンディナヴィア研究会で報告したりする試みに意義があります。いろいろと厳しい批判と反省すべき点のあった今回の報告ですが、東欧史研究会の懐の深さと論客の方々の明晰な議論を通じて、その可能性を感じた次第。僕はといえば、最終的には東欧史と僕の紆余曲折の理由も話のネタにして(…飲み会でこの話しを聞いた人には、なぜ僕がこのような視点から研究をしているのかはっきりとわかってもらえた筈です…)、しっかりと交流は果たしました。

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