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2006年2月

2006年2月28日 (火)

福井雑感

昨日福井から帰って今日は谷四のパスポートセンターへ行った後、外大へ直行しミーティング。福井の水ようかんは一部の人(というか、正確には一名)に評判がよくなく、挙げ句の果て自分で消費することに…。はじめて水ようかん「だめ」って人に会って、やはり土産選びは難しいと勉強させてみらいました。おかげさまで、うーむ、腹がかなりもたれてます。

さて福井なのですが、そこは先の大戦末期の空襲と終戦直後の大地震で町並みが完全に破壊され、「不死鳥」のごとく復活した町。それゆえ、今ある道路は昔からある地方の城下町にしては幅広で、すっきりとした空間を感じさせる町です。(水戸など、ウナギの寝床にたとえられるくらい、狭い路地が東西に連なっているのですが、そんなんとは大違い。)ちょっと散歩してみましたが、福井城趾の脇にある終戦前の旧体制下最後の官国幣社(格としては別格官幣社になります)で春嶽公を奉る福井神社は、ある意味呆然。

高度経済成長期の昭和30年代末〜40年代初頭に再建された現在の社屋は、福井大学工学部のデザインによるバリバリ機能主義なコンクリートうちっぱなし。そのスタイルは例えばアスプルンドの森の火葬場ににているけれども、あろうことか社を守るべき杜は存在しない。八百万の神は現代には鉄筋コンクリートにもおわします…って感じ。そこが福井…白山信仰・平泉寺白山神社・永平寺…森の霊験と密に関わってきた土地柄を知れば、実に矛盾した社屋に思えます。建築はただ単に機能重視で意味が完結するものではなく、その意味についてはその地の風土・風俗と知ってはじめて補完されるものではないでしょうか。

2006年2月27日 (月)

福井出張中

「東欧」史研究者の人たちと研究合宿のため、昨日より福井入り。(昨日は外大の仕事を中途で抜け出さざるを得ず、申し訳ありませんでした。)天気は悪いのですが、福井大学での議論も楽しく、町もよい。時間を割いて、やってきてよかった。今日は江川の水ようかんを買って、帰阪します…。我が偉大なるとんぼ返り人生。名残惜しい。

2006年2月25日 (土)

よくやった!KBS京都!

土曜日の深夜12時といえば、KBS京都のスタートレックなんですが(個人的に…ゼミ生にひたすらスタートレックのすばらしさを説いていたりするんですが…)数年続いたヴィイジャーが終わってどうなるのかなと思っていたら、エンタープライズが今日から放映開始!す、すばらしい…。関西圏では関西テレビで打ち切られてしまったエンタープライズなだけに、是非是非続けてもらいたい…大英断。

今日も働いた

更新滞ると言っておきながら、気分転換に発言。今日は大学入試。本来は外大で監督待機だったのが、別会場である関大へ急遽出動…。(移動時間30分ちょっと。)おおいなるパシリと言わないように…こちらが望んだ仕事です。はい、今日もしっかり働きました。

2006年2月24日 (金)

しばらく更新滞ります

学部入試前期日程を明日に控えた今日の北摂は、春を思わせるうららかな陽気です。受験生のみなさんを思えば、明日もこの天気が続いてくれることを祈るばかりです。

この陽気とは裏腹に心が重たいのは、これから一週間ちょっとの間、入試、研究会出張、成果報告書・投稿論文の執筆、出張講義…とこなさねばならない予定がめいいっぱい詰まっていることです。しばらくは発言が滞る(んじゃないかな)と思います。また時間ができたら書きまくりますね。

2006年2月22日 (水)

文献管理方法

昨日の発言で史学史の意義を述べたところですが、「古い」文献に価値を見いだすならば、それを網羅的にそして効率的に管理する作法も必要になります。『クリオ』への文章(「パソコン作法」)をそろそろ準備せねばならないのですが、そのなかでは文献管理方法も一つのテーマになるはずです。そこでここで簡単にEndNoteのことを整理しておきます。

例の国立大学におけるソフトウェア不正コピー事件をうけて、『クリオ』の文章も大幅に内容を見直そうと考えています。つまりOSのことは別として、それ以外の研究に必要な環境を、フリーウェアソフトを中心にできる限り安価に構築する方法を紹介しようと考えているのです。しかしながら文献管理ソフトだけは、どうしてもフリーのものを見いだすことができません。こればかりは非常に高価なのだけれども、EndNoteほど圧倒的な効果を発揮するソフトウェアはありません。

Ver.8で日本語にも対応するようになったEndNote(現行はVer.9)で、研究作業の過程で凄い効力を発揮するようになった理由は、ネット上の文献データベースと連動して書誌情報をキーワード検索し、自分の必要と思われる文献情報をほぼ網羅的に、そして瞬時に取り込んでデータベースを構築できるようになったからです。医学関連の分野では、さらにPDFなどデジタル化された研究業績を取り込んでしまうことさえ可能です。歴史学関連の分野では、まだまだPDF化された業績の数は多くはありませんが、それでも書誌情報にPDFデータのリンク先があれば、その情報を取り込むことも可能ですし、自らのローカルな環境にダウンロードしたPDFファイルをオブジェクトとして文献データベースに組み込むこともできます。MacOS XのSpotlightようにOSとデスクトップ(キーワード)検索が連動していれば、取り込んだPDFファイルのテキスト検索まで(論理的に)可能なはずです。

もちろん文献のデジタル化がそれほど進行していない現状においては、EndNoteで文献データベースを作っただけでは不完全で、データベースを作ったのちは逐一文献の現物収集に汗水を流す必要があります。とはいえほぼ網羅的にネット上の書誌情報を得られるようになったのですから、研究作業は大幅に効率化されました。僕など最近はコピーをとった論文は、逐一PDF化(…その際は後々のキーワード検索を見越して、必ずペーパーキャプチャ(OCR)をします…)してハードディスクにため込んでいますが、EndNoteならば上述したような過程を踏んでそれらを一元的に管理できます。そしてノートなどをとった後、実際に論文を清書する段階で、このEndNoteのデータベースから投稿論文の脚注形式に合った脚注スタイルを選んで、脚注を張り込んでいきます。参考文献リストが要求される場合には、それもEndNoteから一気に自動作成できます。

こうしたEndNoteの機能を活用することによって、僕たちはより精度の高い書誌情報をもった研究史を整理することができるわけです。ただ…最初にも述べたように、問題はEndNoteがかなり高価なこと。学部生や大学院生を対象に『クリオ』で紹介するには、実に悩ましいソフトウェアです。(僕は院生時代にバイト代を貯めては、まだ日本語の通らなかったEndNoteの旧版を買っていましたが。)

2006年2月21日 (火)

史学史の意義

東大の近藤先生がご自身の掲示板の発言番号1228で、古い研究を「古い」からといって安易に切り捨ててしまう院生の発言に批判を加えていらっしゃいます。それに関して僕も思うところを一言。この間東欧史研究会で報告したときをはじめ、北欧史を研究していていつも感じることは、北欧の研究者たちの研究のなかでは常に古い研究の価値が生き続けているということです。もちろん北欧は第一次世界大戦や第二次世界大戦、冷戦といった歴史的分断の転機を経験しておらず、ほかの地域と比べれば現在につながる歴史学研究の流れに断絶がなかったという特色があります。それゆえに今でも19世紀から20世紀の研究が「参照」されたうえで、そのうえに現在の研究が成り立っているのだとも言えます。

しかしながら、僕は、そうした北欧の歴史学に特有な性格はここではあまり意味をもたないと思っています。むしろ歴史学の営みのなかでは、常に「参照」という行為が普遍的に重要な行為なのだと思っています。アイテムとしての個別の研究はそれ自体(例えばデータに欠損があったりして)精度に問題があった古いものだとしても、現代における歴史学研究者の依ってたつ立場に応じて、その価値の「生死」の度合いは変幻します。つまり古いからといって全くその研究の価値がゼロ(ときにはマイナス)になるのではなく、「参照」という批判的作業を通じて一見古い研究にも現代的な意義が与えられるのです。「参照」とは自らの今ある立場に対象の価値が反照する行為です。例えば北欧のような歴史的断絶の少ない地域で古い研究が「参照」されるのは、現代的な自らのアイデンティティを省察し、さらにはそれを再構築する過程で、意図的に「参照」という反省行為が重視されるからと言えるでしょう。そういう意味で史学史の「参照」は、現在(あるいはそれを引き継ぐ未来)に対して創造的な行為だと言えるでしょう。

歴史学研究の根本的な問いかけとは、現在において自らが何者であることを問いかけることから出発するのだと考えるならば、自らの生きる時代のコードに立脚した「参照」という行為は、僕たち歴史学研究者の知的作業における創造性の大きな部分を司ります。換言すれば、古い研究を「古いから」とばっさり切り捨てるというのは、歴史学研究のもつ創造性の一部を切り捨てることになります。そしてそうした切り捨て行為を行える者は、歴史学がなぜ、どのようにしてなされるものなのかに対する意識が曖昧なのではないかとまで疑問を抱かせます。つまり、史学史の意義を否定することは、知的創造行為としての歴史学の意義を否定することに匹敵する蛮行ではないかと思うのです。というわけで学生のみなさん、僕がレポートの評価などで参考文献や出典脚注をなぜ重視するのか、その理由はわかってもらえますよね!

「東欧」も「北欧」も悩みは深い…

週末は土曜日に東京外大本郷サテライト(!)で催された東欧史研究会で報告をするために上京していました。東欧史との関係でいえば紆余曲折のあった僕の研究人生ですが、伝統と実績のある東欧史研究会で報告できたことは個人的に大変嬉しいことであり、お招きいただいた研究会の方々には感謝申し上げます。研究会自体もその場に集っていただいた若手の論客の方々と厳しくも有意義な議論を展開することができ、実にすばらしい時間を共有できました。

当日の報告会を反省すると、第一に今回の研究会で設定されていた中近世史における地域概念の方法というテーマからすれば、僕が扱ったアイデンティティ論はテーマ上「ズレ」があったと思います。とはいえ、東欧史研究会の方々との議論を通じて、地域に接する視覚・関心の「見えざる」差に気がつかせてもらった点は最大の収穫です。従来のナショナルな歴史叙述や東西二項対立的な歴史叙述を相克する方法として、地域概念という方法枠をもって臨むという態度は有効である点に、「東欧」も「北欧」も差はありません。しかし冷戦崩壊以降「東欧」の示す意味・範囲が崩れてしまった東欧史研究の抱える「「東欧」とは何か?」という問題への深き悩みは、未だ当然のように「地域」の一体的存在が神話的に語られる「北欧」の研究の比ではありません。この問題は、例えば山川出版社の新版世界各国史に「東欧史」がなく、『バルカン史』、『ドナウ・ヨーロッパ史』・『ポーランド・ウクライナ史』に分裂していることからもわかってもらえるでしょう。

地域を示す「北欧」という言葉の場合、日本語では「欧(ヨーロッパ)」という概念が明示的に現れますが、しかし北欧語では地理的概念(あるいはラテン的世界概念)に起源をもつSkandinavienと、19世紀に起源をもつNordenが存在するだけです。東欧史研究会では、「西欧」や「ロシア」との歴史的・文化的な接触・対抗関係が重視される「東欧」概念を念頭に、「北欧」ではEuropaという概念がなぜ明示されないのかという問題が提起されました。もちろんNordenという語彙の場合、それが暗に「西」、「南」、「東」といった概念に対置させられているわけで、「西欧」や「東欧」の歴史的展開を背景として、Nordenとしての「北欧」の意味も相対的に決定されていることは僕も理解できていました。しかし、より大きな準拠枠としての「欧(Europa)」とは何なのでしょうか?これに僕は答えることができませんでしたが、この「欧(Europa)」という準拠枠の同時代的な有り様が示されねば、「東欧」も「北欧」も「西欧」も「南欧」も加わった地域概念の検討という方法が可能にならないでしょうし、逆にそれら東西南北の相互の相違点や相似点を示すだけでは、「欧(Europa)」が何なのかという問題に迫ることもできないでしょう。例えば、今回の東欧史研究会で北欧史研究者である僕が報告したような試みが成功を収めるには、その点を共通の問題にする必要があるでしょう。

第二に「北欧」のアイデンティティ論については、「東欧」という概念が方法概念としても実態概念としても批判されている現状に比較して、「北欧」という概念は歴史的にも今日的にも批判の対象とされてきていない点がアイデンティティ形成のパターンを論じる上で重大な違いだということに気づかせていただきました。「北欧」アイデンティティが形成される際の構成要素は、ヴァイキング期、中世、近世と「北欧」の過去の事例から参照されている場合が多く、(…無論、それらアイテムをつなぐ「接着剤」は大陸ヨーロッパで開発された社会思想を横領している場合が多いのですが…)今に至る「北欧」アイデンティティのアイテム自体は「北欧」史のなかで自明なものとして準備されているものですから、「北欧」は方法概念として単に現在相対化されるものではなく、中世だったら中世の「北欧」、近世だったら近世の「北欧」といったように、同時代的な実態概念を伴う歴史的概念としても説明しうると僕は判断しています。それゆえに『「北欧」アイデンティティの歴史的展開』と論題を銘打って、今回の東欧史研究会では報告しました。しかし、アイデンティティとしての「北欧」が歴史的概念だとする議論は、「東欧」という概念自体が成立していない現在に「東欧」批判を行う人から見れば、地域概念としての「北欧」を批判する方法の視角としては、批判のベクトルがどこに向かうか曖昧であるようにに映ったようです。

批判のベクトルがどこに向かうのかわからないという批判は、「北欧」を考える者の思考の枠組みを客観的に考えるうえでは重大な批判です。今「北欧」を批判しようと試みる者は、一体なにを批判しようとして「北欧」を対象とするのでしょうか?確かに冷戦崩壊とEU拡大の後、「北欧」を批判する論調は盛んになりましたが、しかしそれは所詮第二次世界大戦以降の「北欧」概念が成り立たなくなったことに対して、それを代替するものを模索しようとする試みでしかありません。この論調のなかで、「北欧」はいぜんとして「北」の「ヨーロッパ」として残り続けています。つまり「北欧」を批判するからといって、それを作り上げてきた構成要素自体は「東欧」のように否定されるわけでもなく、「北欧」の場合にはそれら構成要素が「北欧」を構成している五カ国によって共有されているものがほとんどだから、ナショナルな歴史叙述が相克されるわけでもありません。それゆえに、今回の研究会で「北欧」を歴史的概念として取り上げる点に頂いた批判からは、「北欧」を研究する者がなぜ「北欧」に対して不感症になる傾向があるのか(…あるいは「北欧」へのユートピア的イメージがなぜかくも我が国で払拭されずに拡大再生産され続けるのか…)ということの理由になるとの閃きをいただきました。

僕としては「北欧」アイデンティティの歴史的展開を追うことで、様々な時代における地域住民の自己理解形成のパターンを示し、そのパターンのいくつかは「東欧」を考えている人たちと比較検討できると考えています。研究会の場で僕の報告をフォローしてくださった方のコメントを引用させてもらうならば、「北欧」を歴史概念として扱うことの有効性は、歴史概念としてのフェーズをいくつかに腑分けして発揮されるものだろうということ。これは今後の課題ですが、それぞれのフェーズを分割・整理すれば、「北欧」も「東欧」も比較可能な部分も見いだせるはず。そして、ここで言う地域住民に懐胎されてきた歴史概念としての地域を意識させる局面(フェーズ)の一つ一つが、「欧(ヨーロッパ)」というより深く広い準拠枠を構成し、成立させる要素なのだろうと感じています。こうしたことに迫るためにも、例えば僕のような北欧研究者が東欧史研究会で報告したり、逆に東欧研究者がバルト・スカンディナヴィア研究会で報告したりする試みに意義があります。いろいろと厳しい批判と反省すべき点のあった今回の報告ですが、東欧史研究会の懐の深さと論客の方々の明晰な議論を通じて、その可能性を感じた次第。僕はといえば、最終的には東欧史と僕の紆余曲折の理由も話のネタにして(…飲み会でこの話しを聞いた人には、なぜ僕がこのような視点から研究をしているのかはっきりとわかってもらえた筈です…)、しっかりと交流は果たしました。

2006年2月20日 (月)

TUFS言語モジュール

東欧史研究会が東京外大の本郷サテライトで開催されたことで、東京外大の最新の情報に接することもできたのですが、そのなかで一番関心をもったのは、TUFS言語モジュールのこと。これは21世紀COEプログラム「言語運用を基盤とする言語情報学拠点」の成果だということですが、その成果の一部はすでにネットで公開されているというので早速アクセス。いまは言語の核たる音声の問題を中心に発音と会話のモジュールが断片的に公開されている段階ですが、今後は文法、語彙と公開が進む模様。

いわゆる言語教育に関するe-learningシステムの試験的開発は大阪外大でも進められています。東京外大の場合、この言語モジュールで映像化された部分の出演者は学生や留学生であるという部分など、大阪外大のものと酷似している部分も多いですね。(というか、後発の大阪外大が参考にした?)もちろん東京外大と大阪外大とに違いはあって、前者が小中学生など初学者の学習を念頭に置いているのに対して後者は学部生の学習を念頭に置いている点と、各言語におけるモジュール開発におけるe-learningのプラットフォームがオープンになっているかどうかという点は明らかに異なります。

しかし大阪外大の計画は描かれている構想はよくても現実的になかなか進まないのが現状。東京外大におけるCOEの組織形態をみると、言語モジュール開発推進のヘッドクォーターにあたる言語情報学班の下に、言語理論の基盤を提供する言語学班、言語教育のプログラムを構想する言語教育班、そしてe-learningという新たな情報技術分野を切り開くための情報工学班があって、その三つのグループがそれぞれの役割分担をきちんと担っているらしい。大阪外大の場合、そうした組織構成も曖昧で、情報工学にあたる組織に充てられる人材が少ないことはまだしも、新たな言語教育e-learningシステムの素地をつくるプログラムがきちんと固められないまま、各専攻語に丸投げという形だから円滑にプロジェクトが進まないのかなと思ったりしています。

知識の蓄積云々、研究の実績云々以上に、(「軍事革命」論に関連して軍隊と国家の組織を論ずる者の目かすれば)こうしたプロジェクトを進める際の組織形態のあり方、作り上げ方に外部から大型研究資金を獲得できている東京外大とそうでない大阪外大の根本的な差を感じてしまいます。

2006年2月16日 (木)

知的貪欲さ

僕自身、前の発言でスリル満点なギリギリ生活を送っていると書いたばかりですが、年度末の成績が発表される前のこの時期に卒業がかかっている学生のみなさんのなかにもギリギリ気分でヤキモキしている人たちがいるでしょう。東大の近藤先生が掲示板で、この時期に成績を強請ってくる輩を相当にきつい調子で非難されている発言を読みました。

確かにいます…そういう学生。大阪外大スウェーデン語・デンマーク語の場合、毎年年度初めの履修ガイダンスの際に卒業のかかっている学生には口を酸っぱくして、取得単位がギリギリにならないように保険の意味を込めて余裕をもって授業を履修するように指導しています(…しかも最近はアカデミックアドヴァイザ制度なんてのがあって、自分が担任する学生については事前に提出する履修届がそのように余裕をもって組まれているかまでチェックします…)が、ちょっと過保護にすぎるきらいもあるけれど、現実にそうした学生に出会います。

そのような学生に直面したときに思うのは憤慨の念以上に、理解不能の念です。近藤先生も書いていらっしゃいますが、どの大学でも魅力的な授業というのはたくさん用意されて、教員の自分でさえも勉強してみたいものが多い。なのに「なぜ単位数ギリギリしか登録しないのか?」ということがわからない。僕自身の学部生時代を振り返ってみれば、取得単位数なんてものに対する意識はかなり薄かったことを告白します。(教員としてあるまじき発言で申し訳ありません。)というのも、あれやこれやでいろいろな授業をとっていれば、単位なんてのは余り放題で、後から自然とついてくるものだくらいにしか感じていなかったからです。

こうした事態に直面して痛切に感じることは、一部の学生にみられる知的好奇心の希薄さ、あるいは貪欲さの欠如ということ。履修科目ということで言えば、(制度上複数のゼミを履修できないところもあるかもしれませんが)僕は学部時代にはドイツ語購読が基本だったドイツ史、ロシア語購読もたまにはあったロシア史、フランス語購読が基本だったフランス史のゼミを掛け持ちしていました。(確か近藤先生はロンドンへ留学中だったので、イギリス史のゼミは学部時代には出ていませんでした。)プライベートではアルバイトもしていたし、彼女なんかもいてしょっちゅうデートもしていたけれど、それでも十分に勉強はやっていけた。それもこれも「でなきゃ損損…」とばかりに、どんな授業もおもしろいと思っていたからです。

もしここで、「自分から見ておもしろい授業なんて用意されていない」と反論する学生がいたら、「自分にとっておもしろいと思えるものはいろいろな授業に参加してみて自分で見つけ出すものだ」と答えたい。大阪外大の場合、なぜ一つのゼミにしか参加していないだけで泣き言を言うのかわからない。自分の専門とする分野の知識は、関連する周辺分野の知識を知って、例えば比較のような視点からはじめて深まるものです。それにレポートの採点などしていて思うことは、文献検索の方法や基本文献の情報などを提示しているのに、なぜもっといろいろな文献や情報にあたって自分なりの主張を膨らませることをしないのかわからない。

知力は自分を守る懐刀…いくらもっても荷物になりません。単位なんて以上に、たくさんの授業に出て得られた知識は、なにかにつけ自分の人生を豊かに彩ってくれるものです。(例えば僕がよく飲み屋でネタを披露するように…不謹慎で失敬。)同じ授業料を払っているんだったら、人生豊かにできる授業を多くとっといたほうがコストパフォーマンスが良いよね。そうした態度でいたら、単位なんて問題はそんな深刻な問題には映らなくなります。単位を強請るような横柄な性格があるというならば、その横柄さを知識の習得にむけてもらいたいものです。というか知的貪欲さがあれば、そんなことにもならないわけだから、この結語は本末転倒なことを言っていますがね。

2006年2月15日 (水)

NM850iGのこと

気がついてみればバレンタインデーなんてものも無縁のまま2月も半ばを過ぎ、成績付けと研究報告の準備で引き籠もっています…というか引き籠もらざるを得ない状況。あらゆる局面で、いつもスリル満点なギリギリ生活を過ごしています。

そんななか気になった話題を一つ。NTT docomoからNokia製のスマートフォンをベースにしたNM850iGという携帯電話が発表されました。前々からこのブログでは、フルブラウザが使えたりするスマートフォンの効用を主張してきましたが、このNM850iGは僕が使っている702NKと祖型は同じNokia 6630というもの。最大の特徴は、海外で使われている携帯電話の電波の規格と国内の規格の両方(それぞれGSMとW-CDMAと言います)に対応していて、内蔵されているFOMAのSIMカードを交換することなく国内外でこの端末一つを使い回しができる点。

Nokia 6630という端末はイギリスのSymbian社のOSを使っていて、その上で動く様々なアプリケーションが開発されていますから、自分の仕事・生活スタイルに合わせてその環境を自在に替えていくことができます。少なくともvodafoneの端末である702NKではそれができ、この柔軟なカスタマイズ性が最大の魅力です。しかしながら、今回発表になったNM850iGは、どーもNTT docomoの独自仕様が厳しそうで、それができない可能性も残されています。だとするならば、本来のNokia 6630の魅力である自分に合わせた携帯環境づくりができなくなってしまうので、魅力は限りなくゼロに近くなってしまう。

スマートフォンへの潜在的需要は、WillcomのW-ZERO3のヒットでも明らかなように結構高い。だとするならばスマートフォンとしての基本仕様を自由に開放しなければ、ただ単に海外でも使えるW-CDMA/GSMを実現しただけでは、「携帯電話環境の鎖国状態」はなんら変わりがないままという結果になってしまいます。

(vodafoneの702NKなんですが、かつてスウェーデンで使っていたComviq社のSIMカードを受け付けなかった(つまりSIMロックがかかっている)ので、この春のスウェーデン・デンマーク滞在ではvodafoneのSIMカードままでいかなければならなさそうです。SIMロックの壁は高いのです。)

2006年2月13日 (月)

大人買い

最近、子供の頃欲しくても買えなかったものを大人になってから財力にまかせてドカッと買い込むことを「大人買い」と言うそうですが…やっちゃいました、「大人買い」。それは『トインビー著作集』全8巻(月報込み)。まぁ、世界政府とか世界宗教とかの実現めいたことを主張していたり、アジアの宗教活動なんかを持ち上げすぎていたりと、いささか時代錯誤的な主張も見られて最近はまったく顧みられなくなったアーノルドJ.トインビーの著作集。かつてはトインビーはマスコミで「20世紀最大の歴史家」なんてもてはやされていて、この著作集は彼の名声が巷でとても高かった1960年代後半の代物。

いえね、最近うちの子供が本屋さんごっことか言って、本棚の本を無作為に取り出して遊んでいるんですが、週末に現代教養文庫(な、なつかしすぎる!)の『世界と西欧』だとか、『試練に立つ文明』だとかがおもちゃがわりにされていて、そうしたらパラっと落ちてきた高校生の頃自分で作ったしおりに目がとまり、高校生の時代以来だから十数年ぶりにそれを読んでみたら読み物としておもしろくて、歴史を勉強したくてたまらなかった高校生時代を思い出して懐かしくなってしまったんです。とりわけ『世界と西欧』と『試練に立つ文明』に所収されている宗教論なんですが、僕たちは冷戦終結や9.11後の世界に生きているわけで、こんな時代にトインビーが生きていたら、どのように世界を想像したのだろうかと…。

トインビーといえば『歴史の研究』が有名なわけですが、そこで一貫して主張されている世界文明の盛衰という歴史への大局的な把握の態度は高校生の時代にえらく影響を受けたことを、(なんだか馬鹿にされそうで嫌なのですが)告白します。高校世界史の勉強といえばチャート式の世界史なんか全く読まず、山川出版社の『用語集』とこの『歴史の研究』だけだったなぁ…。(って、絶対こんなんでセンター試験の点数は取れるようになるわけではないので、受験生の人たちに決してお奨めできる勉強方法ではありません、念のため。)受験生のときに一度だけ某私立大学の面接試験を受けたことがあるのですが、エントリーシートの愛読書の項に『歴史の研究』を書いちゃって、面接官に梅棹忠夫の『文明の生態史観』との比較を論じてみよって言われたときには、かなりあせった記憶がある。19歳の受験生には酷な質問ですよ…っていうか「知ったかぶり」はいけないという教訓。でも、みなさんならどう答えますか?実証主義的には問題だらけ、解釈につぐ解釈の連続だから「何を根拠にここまで断言できるのか!」と高校生でもわかっていましたが、しかし一介の歴史好きな高校生としてはフツーに彼のパースペクティブあるいは歴史観にも魅了されていたことも事実。その頃は「やっぱ文明論だよな、文明論…」と根拠もなく息巻いていたけど、実際にはお金もなく、現代教養文庫から出ている文庫本を手に入れるのが精一杯。経済往来社から出ていた全24巻の『歴史の研究』も学校の図書室で読むしかなかった。

で、今になりふとトインビーを思い出し、なんだかムショーに欲しくなって一気に大人買いへと至った次第。しかしなんですなぁ…今やトインビーの翻訳書はほとんど廃刊なんですね。かなり驚きましたが、トインビーが考えていたようには世界は発展せず、それとは真逆な方向へと進んでいるんだから、そりゃ当然といえば当然か…。ってことで、個人的には『世界と西欧』の訳者である吉田健一の慧眼と訳文に感服する次第。トインビーは今じゃすっかり忘れ去られたというか、完全に過去の人になっちゃっているわけですが、一時期の我が国におけるブームの先駆けには吉田健一が1959年に翻訳した『世界と西欧』がありました。(おそらくそれがトインビーの翻訳ものの最初です。)吉田といえばかの吉田茂の長男として知られていますが、中村光夫だとか河上徹太郎だとか小林秀雄だとかとならぶヨーロッパ文学評論の大家。

うーん、我が国にも文明論を構想できる評論家たちの時代があったのですよね。やっぱりちっさいころからヨーロッパ文明に浸って育ってきた人の嗅覚ってやつは、ぽっとでの田舎もんから見るともうどうしようもなくかなわない部分というか…知的にノックアウトされちゃう部分がある。ぐーの音も出ないっていうか…。吉田健一は確か戦前のケンブリッジのキングス・カレッジで勉強してたんですもんね。2年前の夏にケンブリッジに逗留しましたが、学問への霊感漂う場所でぞくぞくしましたよ。ビール片手に二重らせんとか思いつきそうな(笑)。吉田がトインビーにはまることはなかったけれども、それも彼の慧眼というべきで、なんともそんな彼の颯爽とした知性は格好がよろしい。そんな颯爽感は、悔しいけど、どう逆立ちしたって田舎もんが醸し出すことはできない…ないものねだりで、あこがれる部分。結局最後はトインビーから離れて吉田健一を賛美する文章になってしまいましたが、というわけで次の大人買いは集英社から出ていた『吉田健一著作集』にターゲットを絞ろうかと考えています。

2006年2月12日 (日)

菜の花忌

今日は菜の花忌。大阪外大的に言えば、おそらく最も有名な卒業生である司馬遼太郎の命日です。(とりわけ今年は没後十周年でしょうか。 )小説家としての司馬は粗い表現・内容が多く好きになれませんが、文筆家としての司馬についてはとりわけ『街道をゆく』で紹介される「ネタ」 の数々がおもしろいと思っています。それくらい。

で、菜の花忌が近づくと我が大阪外国語大学の本部棟入り口には、司馬の肖像写真と菜の花生けられた花瓶が飾られるのですが、 最近不思議に思っているのは、本部棟を訪れる度にその位置が、エレベータを挟んで右へ、左へと移動していること。 何の意味があるのかわかりません。誰が動かしているのかわかりませんが、ご苦労様です。おかげさまで、この菜の花を見ると「あぁ、 春が近いのだなぁ」と感じることができます。

そういえば、今晩の『巧妙が辻』で、筒井道隆さん演ずる竹中半兵衛が菜の花を生けるシーンを目にしました。さりげないシーンでしたが、司馬へのちょっとしたオマージュだったのでしょうか。

司馬が道ばたに人知れず(しかし凛として)生えている菜の花やたんぽぽを好んだから、彼の命日は“菜の花忌”ということになったらしいのですが、菜の花は 人知れず外国語教育と地域研究に集中している山深い箕面キャンパスに似合う花かも知れません。まさか司馬が大阪外大のことを考えていたとは思えません(彼自身大阪外大に入りたくて入ったようではないので)が、毎年ここ箕面キャンパスに春到来の指標をもたらしてくれたという意味では、司馬に感謝します。

2006年2月11日 (土)

いくつかの新しいソフトウェア

最近は定番ソフトといわれているソフトウェアはおおよそ一年単位でアップグレードが繰り返されます。その度に継続して必要と思われるものは購入していますが、それって感覚としては一年単位でライセンスの更新をしているといった感じ。で、ここ数日でATOK2006iWork'06などが届いたので、早速アップグレード。

ATOKは入力効率が毎回良くなっていきますから、僕が毎年更新を欠かさないソフトウェアの一つ。今回のATOK2006も改善点がいろいろと謳われていますが、新しい操作をあまり意識させることなく改善されていることに感心することしきり。とはいえ、ここ数年のATOKの進化については、以前このブログでも紹介したことですが、入力効率というよりは辞書連携機能の充実に注目しています。角川類語事典による連想変換機能については、ありきたりな日本語表現を回避させる目的で、僕にとってはもはや必須の機能となりました。まだ届いてはいないのですが、これに岩波書店の広辞苑や大修館の明鏡国語辞典が加わると、日本語変換時に単語の意味や用例がポップアップ表示される(らしい)ので、正確な日本語表現に努めようとする者には必携のソフトウェアではないかと感じています。

iWork'06については、この春からの講義におけるプレゼンテーションを従来のPowerPointからKeyNoteに置き換えてみようと画策しているので購入。「映画のような美しいプレゼンテーションを実現する」と謳われているKeyNote3ですが、デモンストレーションを見る限り映画のトレーラーのようなプレゼンファイルが作れることは事実のよう。要はPowerPointと比べて、スライド間のトランジッションやスライドにおけるテキストエフェクトといったアニメーション機能が、PowerPointと比較にならないほど美麗な効果を産み出すということ。(ただしビデオ関連機能の差からPowerBookではいけるけれども、iBookやMac miniでは一部使えない効果もある。)KeyNoteやMacの環境がない場合でも、KeyNoteのファイルをWindowsでも使えるQuickTimeムービーに書き出しておけば、KeyNote独自のアニメーション効果も再現されます。(この場合、スライドの切り替えやアニメーションは、QuickTimeの一時停止と再生を繰り返すことになります。)僕は絵心はないけれども、春以降の講義でどこまで美しいプレゼンができるものか、ちと挑戦してみたいと思っています。

とはいえ今回のアップグレードで一番驚いたのは、ATOKの名前の由来。僕は1993年のATOK8以来ATOKを使ってきましたが、ずーっとATOKというのはJustsystem社のある“阿波・徳島”の略なんだろう(…この説が有力だったと思うのですが…)と思っていました。ところが実際のことろは、“Advanced Technology Of Kana-Kanji transfer”の略称なんだそうな。正確な日本語表現をサポートしてくれるATOKの正確な名前の由来がわかったことが、今回のアップグレードでの最大の収穫だったかもしれません。

2006年2月10日 (金)

地域概念としての「北欧」雑感

昨日は比較的会議が少なく3つだけ(笑)。成績付けや成果報告執筆も山場を迎えているけれども、それ以上に気になっているのはこの18日に開かれる東欧史研究会での報告準備。東欧史研究会の方々には、北欧研究者の自分を招いて頂けることに感謝申し上げます。で、地域概念の再検討というテーマで北欧の事例を語ることになっていますが、とある科研の(とはいっても軍事関連ではない)成果報告や他大学での講義準備も含めて、網羅的に準備中。

地域概念としての「北欧」は、先日のデンマークに対する戯画問題でも述べたように(おそらく)世界中どこでも多かれ少なかれ一なる「北欧」というイメージで想起されていると思います。少なくともスカンディナヴィア三カ国については言語的にも、歴史的にも、社会的にも比較的共通の要素が多いから、そうしたイメージはあながち間違ったものではないですし、当の北欧に生きる人たちもそうしたイメージを共有して自己意識を作り上げていると思います。

厳密に「北欧」概念の歴史的な展開を追えば、地理的概念としてのスカンディナヴィアは古代ローマの頃から知られていたものの、政治的概念としてのノールデン(北欧)は一般的には19世紀のナショナリズムの時代にドイツやロシアとの対抗関係のなかで起きたスカンディナヴィア主義以降普及した概念だと議論されています。そうは議論されているものの、最近の僕の考えでは、東欧や中欧、南欧などと比較した場合、北欧はナショナリズム以前から一なる文化的概念として北欧に生きた人々に議論されてきた経緯があったと思っています。

宗教的枠組みとしては12世紀初頭のルンド大司教座の設置に伴う北欧大司教区が一つの起源であり、政治的枠組みとしてはドイツのハンザ同盟との対抗関係のなかで14世紀末以降模索された同君連合としてのカルマル連合が一つの起源です。そして文化的起源としては、ルネサンス・宗教改革以降、とりわけスウェーデンの「バルト海帝国」の経験のなかではぐくまれた、ラテン的文化の対抗者としてのゲルマン的文化の担い手としての自己意識が起源にあると考えています。

数年前から、例えば「祖国」意識などを事例にスウェーデン意識の歴史的展開を研究してきましたが、そのときにどうしても触れざるを得ないテーマとして近世スウェーデンにおけるゴート主義(あるいはゴート族起源説)というテーマがあります。ゴートとは例のゲルマン民族の大移動のなかでイベリア半島まで到達したゴート族のことですが、近世スウェーデンで「帝国」の拡張の際に自らの正統性を論証する言説としてゴート主義はことさら強調されました。それによればスウェーデンは旧約聖書におけるノアの孫のマゴグの末裔(マゴグはフィンランドあたりに移住したと考えられていました)で、それゆえに神に祝福された民族であり、ヨーロッパ文化の起源はギリシアではなく、ゲルマン民族の移動と中世ゴシック世界の展開とともに北のゴート(スウェーデン)からもたらされたというのです。

それゆえに神に祝福された民族の住まう北欧は主にスウェーデン人たちによって一種の「ユートピア」として解釈され、O.ルードベックのような17世紀に活躍した思想家はプラトンが『ティマイオス』などに記したアトランティスとは北欧だったというような主張までしました。そしてゴート主義は19世紀のナショナリズムの時代にも生き続け、スウェーデン国民主義史観の父E.G.イェイイェルらがつくったゴート協会は自由や尚武を尊ぶ精神性をもったスウェーデン民族の育成を掲げ、そうした文脈からヴァイキングの歴史も想像され、余談としては健全なるゴート精神を肉体的に実現する目的からスウェーデン体操みないなものまで作られていった次第。

一見胡散臭いゴート主義なのだけれども、それがナショナリズム以前の時代において、少なくとも17世紀以降に創造されていった自己意識を明らかにしようとする言説だったということから、地域概念としての「北欧」が近代以降つくられた新しい概念ではなく、歴史的にそれなりに古い起源をもった、だからこそ人口に膾炙してきた概念だったことを示す一事例になりそうと考えています。

で、この発言の最後に強調したいことは、このゴート主義に見られるようなアイデンティティの表明も、決して自分自身のオリジナルな議論としてつくられたものではなく、同時代の(ときには対抗関係にある)他地域・他文化における言説を横領しながらつくりあげられていっているという点。例えば、ゴート族のような本来キリスト教と結びつかない者のオリジンを語る際に旧約聖書の言説を借用していたり、バルト海世界とは本来相容れないプラトンの言説を借用して北欧をユートピアとして語っていたり、西欧起源の市民社会に対抗して自由や平等といった古ゲルマン的価値観の優位を唱えた近代ナショナリズムも実はフランス革命起源の自由・平等・博愛といった理念を借用していたりする点。

こうした文化的混交関係から歴史的に地域概念としての「北欧」は想像され、次第に共有されていった(…しかも現代になれば福祉だの、平和だのといったような肯定的価値と結びついて…北欧が福祉社会だってのは制度上事実だと思うけど、それをユートピア的に解釈するってのはルードベックのアトランティス論の現代版だよな、まさに…ルードベックの術中にはまっている日本人のなんと多いことか…)のだとと、僕は思っています。

2006年2月 8日 (水)

「軍事革命」論雑感

試験シーズン突入、成績付け…とまたまた忙しくなってきましたが、さらに輪をかけるようにこの年度末は最終年度を迎えた科研の成果報告を3本抱えています。そのうち一つは軍事史関連のもので、先月末にようやく仕上げました。そのテーマはずばり「軍事革命」論。近世スウェーデン史のヨーロッパ史における古典的な意義は、1956年に非スウェーデン系の近世スウェーデン史研究者として名高いM.Robertsが、ベルファストのクイーンズ大学の教授就任講演で「軍事革命」を提唱して以来、一も二もなく軍事と社会の関係から模索されてきたわけです。

古典的な「軍事革命」論は、スペインのテルシオ戦術にネーデルラント独立戦争で対抗したオラニエ公マウリッツによる戦術改革、ならびに三十年戦争におけるスウェーデン王グスタヴ2世アドルフによる三兵戦術など、火器の効果的使用と規律的な隊形展開を組み合わせた戦術上の革新とその普及が主張の焦点とされました。

しかしながらヨーロッパ世界北縁のスウェーデンが近世バルト海世界において「大国」化した背景を考えようとするならば、この戦術上の革新だけに理由は求められず、それを支えた徴兵・徴税などの国制上の改革を通じた社会構造の変革にまでも目を向けねばなりません。(ここまでの内容が僕の学部卒論のテーマ。)

とはいえ実際には近世のスウェーデン軍は、三十年戦争をはじめとして大陸ヨーロッパに転戦したわけで、国内の制度改革を論ずるだけでは近世の大陸ヨーロッパにおける戦争経営の実態を把握はできない。そこで軍資金の流れを追うことで、ネーデルラントからバルト海東岸にまで至るスウェーデン軍と関係をもった財務取扱人のネットワークの存在をかつて論じたことがありました。(ここまでの内容が僕の修士論文のテーマ。)

ルンド大学への留学、大阪外大での生活…と自らをめぐる環境の変化にかまけて、この近世スウェーデンと軍隊をめぐる研究テーマから離れていた時期があったのですが、とある科研の共同研究プロジェクトに参画させていただいた経緯から…そしてその先には某出版社からの軍事史関連の論文集の企画もあるので、密かに「軍事革命」論について勉強を再開してきました。

で、今回はバルト海世界における「軍事革命」の展開を支えた人的ネットワークについてを、かつて論じていたような財政的な視点ではなく、ネーデルラントを起点とした情報ネットワークの存在とそれを支えた人脈の観点から探ってみました。バルト海世界における軍事情報ネットワークの存在については、第一にスウェーデンとブランデンブルク=プロイセンの軍法の内容比較(両者はおどろくほど似通っています。リプシウスの新ストア主義の強い影響下に策定された1621年のスウェーデン軍法は1632年にマインツでドイツ語版が公刊され、ほぼ内容の共通したプロイセン軍法が1656年に公布されました。)、第二に恒常的な軍事組織を維持するために導入された農村を基盤とする兵員徴募システムのスウェーデンとプロイセンの内容比較(前者は1680年代に導入された割当義務制度、後者は1732年に導入されたカントン制度として知られています)、以上の二点からその共通性を指摘することで情報ネットワークの存在が確認されるのではないかと考えています。で、それを裏付けるために、実際にスウェーデンで軍務に就いたブランデンブルク=プロイセンの将校たちの人脈・家系を辿ることも試みています。

修士論文のテーマは完全に軍資金の還流にのみ視点が限定されていたのですが、今回はバルト海世界におけるプロテスタント国家の人的ネットワークを指摘することで、近世における文化的・政治的交流の実態を「軍事」という側面から照らしだそうとした次第。で、その真意は、僕は従来の「軍事革命」論の最大の陥穽は一国史単位での戦術変革にのみ焦点が当てられがちだったことにあると思っているのですが、これを転倒させて考えてみると「軍事革命」という視点からバルト海世界に拡大するプロテスタント・ネットワークの存在を論ずることができるわけで、そこに「軍事革命」論の将来的な可能性を見よう…ということにあります。

2006年2月 7日 (火)

朋遠方より来る

ウェールズのスウォンジー大学で博士号を見事取得された東大時代の友人Nくんが、一時帰国した次いでに豊中に遊びに来てくれました。彼との付き合いは駒場の文III-12組以来だからかれこれ十数年。東大時代の最後の頃僕は根津に住んでいたのですが、Nくんも近所に住んでいたということもあって、妻ともども仲良くしてくれた友人です。前に高槻へ遊びに来てくれたときは長男が産まれたばかりの頃。今はその長男も言葉も、意志もはっきりと示すようになりましたから、時間の過ぎゆくことのはやさに共に驚いていた次第。昨日は新たに家族に加わった娘も、すっかりNくんになついていた様子。昨日は、有閑マダムでごったがえす箕面の韓国豆腐チゲの店「オッキ」で昼食を食べた(…昨日は雪も舞う天気でしたが、ここは掛け値なしに美味い…本店はうちの宿舎の近所にあります…)後、ちょっとばかり大阪外大の研究室へ。「研究室の写真を撮る」と申し出があったときには、(あまりにも研究室が乱雑なために)「事前申請が必要」と申しましたが、しっかりと写真に納められてしまった…恥ずかしいったら、ありゃしない。(研究室への来訪は大いに歓迎しますが、アポなしはやめてね(笑))ちょっと研究室に立ち寄っただけなのに、あれやこれやと学内外から連絡が舞い込み、忙しなく研究室を後にして仕事を片付けざるをえなくなったことに嘆息。(しかしこれが大学教員の現実というものです。)

Nくんは西洋古典学が専門ですが、最近は文献学の視点から近世ヨーロッパにおける古典文学の受容についても研究の幅を広げているとのこと。ふむふむ…ラテン文化への接触と反動というテーマについては、近世スウェーデンのアイデンティティ形成にどのような影響があったのかという視点から僕も関心があるので、すぐさま「共同研究なんてどう?」なんて話をもちだしてしまうところ、いつも人に会うたび、話をきくたび、共同研究のことばかり考えている自分の、いささか職業病のような感じに気づいて嘆息。そして(声を大にして訴えたいのですが)彼のような確実な言語運用に基づき着実な研究実績をあげている優秀な古典学者が、日本で活躍できる環境がなかなかない現実に大いに嘆息。短期的に成果が明らかになる自然科学のことばかりに目がいっている我が国の文部行政ですが、古典学や文献学、歴史学といった息の長い学問が長い目で見て国家百年の計を支える知的基盤になりうるはず(…と心の中で大いに息巻く)。Nくんの短い滞在日程のなかでは、やはり東大時代の友人たちに会う予定が目白押しのよう。古くからの友人の元気な姿に接することほどうれしいことはありません。Nくん、どうぞ皆さんによろしく伝えておいてください。

2006年2月 6日 (月)

「北欧」は大変なことになっている…

昨日日曜日は天気もよく、何も予定もなかったので部屋の掃除をしました。以前このブログで妻が気を利かせてくれて僕の部屋を掃除してくれた…という窮状を訴えたことがありましたが、それ以来妻はまたまた気を利かせてくれて一切掃除をしなくなったため、仕事の忙しさにかまけて荒れ放題になっていたのです。少しは綺麗になったかな?で、本来ならば、綺麗になったこの部屋で、『世界遺産〜森の墓地』の余韻に浸りながらゆったりとした気分で、科研の某成果報告書にも書いた「軍事革命」論のことでも話題にしようかと思ったのですが、なにやら中東では北欧がらみで大変なことが起きているようなので、ごくごく簡単にコメント。

Jylland-Postenに掲載されたイスラム教風刺画に端を欲するデンマーク、ノルウェー大使館の焼き討ちがダマスカス、そしてベイルートへと拡大しつつあり、一向に沈静化する動きが見られません。第二次世界大戦後、デンマークがこれほど国際的な非難を受けた事態はこれまでなかったのではないでしょうか。北欧メディアの大勢は、表現・出版の自由を盾に(つまりデンマーク政府の態度は正しいとして)、むしろ暴徒化した大衆を統御できないシリア当局への非難が集中しているのですが、この事件を通じて北欧諸国でさえ宗教的攻撃の矛先になりうるのだということが図らずも判明しました。デンマークはEU諸国のなかでももっとも「従順」な英米寄りの姿勢を貫き、昨今のイラク問題についても積極的に派兵していましたから、こうしたことがきっかけに何か起こるだろうことは十分に予測できていました。中東圏からの移民も増え多民族社会化が進行している北欧諸国でさえ、Jylland-Postenのようなメジャー新聞がイスラム教の戯画をさほど意識を払わず掲載してしまうような、利益第一主義で「風刺」とは名ばかりの言論の自由の真意をはき違えた安直な宗教観・異文化観が存在していることのほうが問題のような気がしています。北欧諸国のなかに移民に対する根強い不信感があることは事実だと思いますが、まさかそうしたこの裏返しによる戯画化だったとは思いたくはない。(実際、どういう文脈の記事で問題のカリカチュアが掲載されたのか、知りたいところです。)

EUに属さない(ただしNATO加盟国である)ノルウェー大使館までもが焼き討ちされていますが、こうしてみると中東の人々にとっても、日本人と同様に「北欧」というのがなんだか一つのまとまったイメージでみられているのかなという気がします。となると、事は深刻。一貫して英米寄りのデンマークは別にして、スウェーデンなどはこれまでの中東紛争ではイスラエルへ武器輸出をして儲けてきた国だから(…例えば第三次中東戦争(六日間戦争)でイスラエル軍に使用されたスウェーデン製の地対空ミサイルはばんばん中東陣営のミグ戦闘機を打ち落としていたことなど有名…)、ノルウェーあたりがノーベル平和賞がどうのこうのなど平和活動に躍起でも、「北欧」ひとつを考えてみれば、それは中東の人たちにとって「西欧」諸国と同様に不信感の対象になるでしょう。`今回の騒動が対ヨーロッパといった抗議行動へ発展すればEUレベルでの対応が迫られるでしょうが、対デンマークレベルの抗議行動だと、例えばスウェーデンなどでは言論の自由が優先されるべきといった建前論が繰り返されるだけで動かない。現に福音主義ルター派スウェーデン教会は現時点でこの問題に何もコメントを出す用意はなく、傍観する姿勢を発表しています。下手に深追いすると逆に二律背反的なスウェーデンのあり方が鋭く批判され、中東の抗議行動がこれまで温和しかったスウェーデンの移民層にまで飛び火してしまう可能性がある…だから傍観ていうのが本音でしょう。でもって、スウェーデンはデンマーク大使館が焼かれていても動かないんじゃないかな。

一番危惧するのは、言論の自由といった西洋流の価値観を墨守するあまり、「ほれ見たことか!イスラム教徒なんていう輩は戯画のユーモアのセンスもわからない「野蛮」な連中なのさ。」といったような閉鎖的な雰囲気が、今回の事件を通して北欧社会に形成されてしまうこと。担税者としての移民の存在に積極的な北欧諸国の現実主義的態度からして、そうした雰囲気の拡大は公式には抑制される(隠蔽される)だろうけれども、なにせ良きにつけ、悪しきにつけ民主主義的雰囲気にあふれた北欧諸国だから、世論がどう転ぶかはわからない。とまれかくまれ、今回の焼き討ち事件は、北欧メディアで大々的に取り上げられていることからもわかるのですが、遠く極東で北欧学に接する者としては、現在の北欧諸国における現実主義的外交政策と国内政策の試金石となる事件のような気がしています。

2006年2月 5日 (日)

『世界遺産』~スコーグスシュルコゴーデン(森の墓地)

いよいよ今日の23時30分から放映ですので、宣伝。TBS系列の『世界遺産』で、今日「スコーグスシュルコゴーデン」が放映されます。「スコーグスシュルコゴーデン」と題されていますが、本来ならば「森の墓地」とすべきところでしょう。僕は監修をしてはいませんが、オダギリジョーさんがアテレコする直前の台本原稿を読ませてもらった限り、なかなかよい構成の作りになっていますので、関心のある方は是非ご覧ください。

2006年2月 4日 (土)

合体変形ThinkPad

久しぶりに何も予定のない週末です。千里中央で散髪し、勢いで今川焼を4個立て続けに食べ、今胸焼けがひどいです。で、気分転換に一言。例によって「物欲」ネタで恐縮ですが。

最近どこへ行くにも持ち歩いているThinkPadですが、そんなことができるのも拡張バッテリーをいくつか増設できる仕様だからです。最近のラップトップパソコンはPanasonicのLet's noteを代表格としてバッテリー駆動時間が飛躍的に延びました。標準仕様でもバッテリー駆動時間お長いLet's noteに比べると、僕の愛用してきたThinkPadの駆動時間は標準仕様ではだいぶ短い。ThinkPadの熱烈な支持者である僕も、この欠点は認めざるを得ません。とはいえThinkPadの堅牢さとキータッチの良さを知ってしまえば、たとえどんなに巷の「モバイラー」と呼ばれる人たちの間でLet's noteがもてはやされようとも、ThinkPad以外のものを使う気にはなれません。今僕が使っているものはThinkPad X40という機種で今から1年7ヶ月ほど前に導入したもの。もう外装もぼろぼろですが、12インチXGAの液晶画面に18.5mmピッチ2.5mmストロークの7段配列キーボードは、外出先でも妥協なく仕事をこなすうえで僕には最適な環境であり、外出用途の機器としてこれ以外の機種を考えられません

そんなThinkPadのバッテリー駆動の短さという欠点を補うのが、用途に応じて様々な周辺機器をとっかえひっかえできる拡張性の高さです。最近は標準バッテリー(これだけだとバッテリー駆動時間は2時間ももたず本当に心許ない)に替えて、標準バッテリーに置き換えるタイプの拡張バッテリーと本体下部に貼り付けるタイプの拡張バッテリーを併用することでようやく10時間ほどの駆動時間を確保しています。(Let's note愛好者からは笑われてしまいそうですが。)これで重量は軽く2kgを超えてしまい、「重量級」の軽量サブノートという…なんだか本末転倒状態に陥っているのですが、それでもいつでもどこでも妥協のない仕事環境が保証されている点で安心です。もし出先でDVDが必要になれば本体下部の拡張バッテリーを外して、ウルトラベースX4と呼ばれる拡張装置を取り付ければよいし、もし体調が悪かったり、書籍が多かったりして重いPCを運べない場合には、すべての周辺機器を外して標準状態に戻せば軽量薄型の状態にもなる。つまり、そのときどきのニーズに合わせて合体変形を行い、機能を最適化できる点が今使っているThinkPad X40の魅力の一つなのかも知れません。

で、結論としては、こうした拡張性で機能を補うならば、数年前のPCでも十分に現役として使用に耐えうるということ。こうしたThinkPadの「合体変形」的要素は、今から6〜7年ほど前にあったThinkPad 570以来のものだと思うのだけれども、その後ThinkPad Xシリーズにはウルトラベースという形でずっと継承されてきた要素です。前も発言したことですが、例えば中古パソコンやさんやオークションでThinkPad 570(ではちと非力かな)やThinkPad X20シリーズなどを、ウルトラベース類をオークションなどで安く購入し、Linuxなどを導入していけば、大変安価に外出用仕事マシンを用意することができるのではないかと思っています。

2006年2月 3日 (金)

「バルト海帝国」雑感

でもって前の発言から続けます…というか、コメントで「ながーい括弧の文章は読みにくい」と指摘されたので以下の内容を別の発言として整理します。

最近僕は17世紀におけるスウェーデンのいわゆる「バルト海帝国」の勃興は、従来の軍事史に言うようなグスタヴ2世アドルフによる軍事改革だとか、伝統的な外交史が説明するような三十年戦争での勝利だとかだけで説明できるものではないと思っているんです。20世紀以降における「北欧」的価値観の(とりわけ日本では無条件な)肯定的イメージの伝播を念頭に置きながら「北欧」の歴史を論じるには、ヴァイキング時代以来「野蛮」や「未開」といった言葉でしか大陸ヨーロッパで意識されてこなかった「北欧」イメージの歴史的転倒が、どこかで説明されなければなりません。

ここで想起されるのが中世も一段落ついたルネサンス以降のゴシック的世界観の問題で、それは一般的にはルネサンスによる古典ギリシア・ローマ(ラテン的)価値観の到来によって駆逐されたとされているわけです。しかし僕は17〜18世紀にはラテン的価値観への有力な対抗価値としてゲルマン的価値観の再発見され、三十年戦争以降、国制・軍制改革に裏付けられた北東欧諸国の活動にアクセラレートされる形で「北欧」的価値観の創造と肯定化への転換が起きていったのではないかとおぼろげながらに考えているんです。でもって、こうした肯定的な「北欧」的価値観の流布があってこと、多種多様な人材と地域を複合する「バルト海帝国」も実現しえたのではないかと感じているんですね。(モンテスキューが『法の精神』のいずこでかそんなあことをいってたなあ…。)

こんなことを想像するときに、例えば前の発言でご紹介した政治も経済も文化も包括してひろく文明観を語ろうとするような樺山先生の研究から受ける刺激は大です。で、今年の僕の課題の一つは「バルト海帝国」に関する文章を書いて、一つのケリをつけることです。

アンデルセン生誕200年展

昨年産まれた娘に名前を頂いた同僚の田辺欧(ウタ)先生から、東京の印刷博物館でこの2月1日から4月3日まで開催さている『読みつがれる童話 アンデルセン生誕200年展』の図版目録を頂きました。さすがは凸版印刷、実に美しい図版の数々が載った目録でその技術に関心しましたが、それ以上にこの展覧会の趣旨がおもしろい。ただ単に童話作家として(だけ日本で知られている)アンデルセンを回顧するものではなく、19世紀以降の各国における翻訳・出版メディアのなかでアンデルセン文学がどのように伝播されていったのかを、それぞれの時代、それぞれの地域で公刊されたアンデルセンの書籍(現物!)を通じて明らかにしようとしている点で興味深い企画です。

で、我らがウタ先生ももちろんアンデルセン研究者としてこの企画に深く携わっておられるわけなのですが、一昨日印刷博物館で開かれたオープニングレセプションに参加し、そこでなにやら僕の話題が出たらしい。(ウタ先生、お疲れ様でした)印刷博物館といえば、東大西洋史でお世話になった樺山紘一先生が昨年秋に国立西洋美術館から移って今はこの印刷博物館の館長をなされているのですが、そこで名前が出てきたらしい。なにせ、我らがウタ先生と僕は研究室もお隣どうしの関係ですし。一昨日は(というか印刷博物館としては「昨日も」なんでしょう、きっと)酒も入ってなにやら楽しい会になった模様。レセプションが終わった後も、会場に余った酒を集めて開かれた二次会で、ウタ先生は酒好きな僕を念頭に置いて(あろうことか)樺山先生に「西洋史研究者の方々はみなさんお酒がお強いのですね。」と語りかけるや、樺山先生は開口一番「古谷くんなんか、酒が入っても、入らなくてもおしゃべりでしょう。」と初対面のウタ先生にお話になられたそうな…(汗)。誠に深い洞察力に基づいた鋭い人物評…記憶いただいているだけでもありがたい限りです。

アンデルセンの話からすっかり離れてしまって恐縮なのですが、樺山先生との学生時代の思いではたいていが酒に絡むものだったように懐かしく思い出します。僕が院生になったころは樺山先生は大変お忙しくて、先生が主催されていた新年恒例の「一斗会」も開催されなくなっていましたが、それでも学部生のころの夏休みの青森の田子町で続けられていた農村合宿の思い出は強烈です。皆でよく酒を囲み、先生の深い学識に裏付けられ、卓見に満ちた興味深い話の数々に耳を傾けたものです。自分は近世北欧史を研究していますが、大学教員となった今でも樺山先生による『ゴシック世界の思想像』は、読み返すたびに刺激されます。

ウタさん、すみません!アンデルセンの展覧会を宣伝するつもりが、なんだか大幅に脱線してしまいました。いずれにせよ、印刷博物館でのアンデルセン展、深い歴史洞察と綿密な企画力に裏付けられた展覧会とお見受けしますので、是非機会があれば、皆様来訪されることをおすすめします。しかしなんですなぁ…このような企画を(美しい図版目録こみで)実現できる知的集団、印刷博物館の今後の活動にも要注目です。

2006年2月 2日 (木)

凄いです、Mac!

梅田へ向かう御堂筋線からスマートフォン702NKを使って投稿します。先日システムクラッシュ中と書いたMac miniですが、昨晩自宅へ持ち帰り、エイ、ヤッと環境再構築してしまいました。今日は梅田のJTBで講義で、その一連の講義は毎回新ネタで用意しています(そういうことを“自転車操業”と言うのでしょうね。)から、昨晩は右手で講義ノート作り、左手でMacを操作していました。

で、Macの環境再構築は、OSの再導入に40分程、アプリの再導入に30分程で、あっという間に終わってしまいました。ポイントは、自宅の母艦にPowerBook G4があったことで、FireWireケーブル一本で両者を繋いで、あとはターゲットディスクモードで自動的にPowerBookと同じ環境が再現されるという寸法。以前、古代史の橋場弦さんの環境をそれと同じ方法で再構築したことがあって、そのときも凄い楽だと感心したのですが、今回も特に苦労しないで、ほとんど自動的に環境が再構築され、またまた感心。おかげで、今日の講義ノートもばっちり完成。Mac、凄い、凄すぎます。なんてストレスの少ない環境なんだ!

もし、Windowsのラップトップを購入しようとして20万円くらいの出費が可能ならば、iBook(出先用に11万円…iBookって、アメリカのタフな学生向けに作られているらしいので結構丈夫なのですよ…)とMac mini(母艦用に6万円)、モニターがなければモニター(17インチくらいのもので十分。最近はずいぶん安くなりましたね…ってことで3万円)、もしすでにモニターがあるならばそれを流用して残額をMac用のOfficeに充てる(3万円)ほうが、ずっと幸せになれる買いものだと思う。もちろんプリンタやマウス、キーボードなどの周辺機器はほとんどWindowsのものを流用可能だし、ソフトだってフリーのもので十分代替可能です。Intel Macなんて待っている必要はないと思う。うーん、はっきり言って、お薦め!

2006年2月 1日 (水)

復帰しました!

先週末の今年度のゼミ最終回を皮切りに通常業務へ復帰しています。このブログの発言が滞ってしまったことから、心配頂いた方々には感謝申し上げます。

先週末は久々にゆっくりと静養させてもらい睡眠時間をたっぷりとって体力回復に努める一方、自分の本来の専門である(というか「あった」と過去形に近いのですが)軍事史関連の文章を書いていたこともあって心が落ち着きました。

この間にあったこと、感じたこと(とりわけ「軍事革命」論のこと)についてはおいおい発言をアップしますので、またよろしくお願いします。とはいえ年度末の仕事ラッシュは、延々と続くのですが…。

レポート受領確認の件

関西外大、大阪外大のみなさん!

今日1日午前11時の段階で、僕にメールの添付ファイルのかたちでレポートを提出してくれていて、僕が受領と閲覧を確認した人には受領確認の返信メールを送っています。

念のため、この時点で僕からのメールの返信がない人は、うまくメールが届いていない可能性がありますので、明日までにメールを出してください。

よろしくお願いします。

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