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2005年12月

2005年12月31日 (土)

よい年をお迎えください

2005年もいよいよ大晦日。僕は家族水入らずでゆっくりとテレビを見ながら年越しを迎えそうです。メールについては、ここ金沢の古刹、大乗寺近辺では、とぎれそうなvodafoneの3G携帯の回線でようやくチェックできていますが、パソコンに向かうと精神的に落ち着かない感じなので、一切の仕事はしないで数日を過ごそうと思います。僕はいわゆるネットジャンキーではないので、「郷に入っては郷に従え」で、ネット環境が不十分なところでは別にパソコンがなくても構わない生活が送れます…なので、今日の発言はこれまでとします。しかしテレビばかりは…この年末ほど「無心」にテレビ番組をチェックしている年もめずらしい。禅寺の大乗寺の近所にいるからってわけではないが、まさにテレビの前で「只管打坐」って感じ。(語法を歪曲してすみません。)年末年始のテレビ番組に関する総括はいずれ別の機会に発言しましょう。

今年はこのブログという新しい情報発信の手段を得て、大学での生活にあってはなかなか知り合うことのできないような方々と知り合うことができ、新たな分野での仕事を頂けることにもなりました。こうした出会いこそ、今年僕が得ることができた最大の財産と思いながら、2005年のこのブログの発言を閉じることにします。

このブログをご覧になられている皆様がそれぞれよい年をお迎えくださいますよう祈念いたします。

2005年12月30日 (金)

雪の金沢

特急サンダーバードに乗って、昨日金沢へ参りました。これからしばらくは金沢→茨城と幼子を抱えながら家族みなで帰省行が続きます。流石のサンダーバード号も最近の大雪のせいで、途中雄琴付近で一時間ほど停止を余儀なくされ、金沢へは4時間近くかかってようやく到着しました。車中僕は一昨日江ノ島から帰る際に東大の近藤先生から渡された宴ののこりのビールとつまみを噛みしめながら、研究会での体験をひとり反省していました。(今思えば、酒も入って参加者の皆様には傍若無人な振る舞いをしてしまったかも知れません…。同じような立場で公私にわたる問題を聞いていただける機会も少ないものですから、「あぁ、同志ってのはこんな人たちとのつながりなんだ」って思っていたのですが、そうした貴重なつながりも酒の場での振る舞い一つで無惨に崩れるとしたら、これこそ最大の欠損です。)しかし4時間近く狭い場所に閉じこめられていることが、実に「辛い」と感じるようになりました。体力の限界を感じています。従って、雪の金沢はなかなか美しく外へ繰り出したい気分もやまやまなのですが(…雪だるまつくりを楽しみにしている息子には申し訳ないですが…)、今回の帰省は心身ともに静養する旅にしたいと考えています。

『世界遺産』〜森の墓地

昨日TBS『世界遺産』の担当ディレクター様からメールを頂き、スウェーデンはストックホルムにある世界遺産「森の墓地」の放映日が2月5日に決定となったと連絡を受けました。この回を僕は監修してはいませんが、オダギリジョーさんによる読み上げ原稿を読ませてもらった限りでは、実にすばらしい構成になっています。20世紀前半の福祉国家草創期に生き、後に北欧国際様式建築の旗手として知られるようになった建築家E.G.アスプルンド(ライフワークとして「森の墓地」の建設に取り組んだ男です)の生き様を縦糸に、そしてスウェーデンに生きる人々の死生観といった問題を横糸にして、とても良くできていた台本です。映像自体はまだ眼にしていませんが、そこは実績あるTBS『世界遺産』の自家薬籠たるものでしょう。これにオダギリジョーさんのナレーションとBGMが加わって、どのような作りになっているのか…楽しみで仕方がありません。

2005年12月29日 (木)

分裂する「私」〜江ノ島合宿を終えて

26日より二泊三日で、とある研究会の研究合宿により江ノ島に逗留しました。冬の江ノ島なんて、かつて大学院生時代に本郷時代の旧友と訪ねて以来。とはいえこの研究会、(昨夏はケインブリッジでも集中的に研究合宿を行ったのですが、)その参加者は皆日本中の各大学にいらっしゃる「第一線」級の西洋史学研究者が集合する会であって、しかもそれぞれ実績のある研究者ばかりであるのにこの場にあっては皆が一人の歴史学徒に戻り、自分の専門とは異なる時代・対象を逐一討議する会です。各自がそれぞれ大学で職を持つようになってもなお、こうした勉学の機会を提供してくれる主催者の東大西洋史の近藤和彦先生の指導力には敬服するばかりです。一度大学へ就職してしまうと集中的に勉強できる機会と、なにより「先生」という呼称を離れて厳しい批判を頂戴し、自らの研究を沈思黙考して反省する機会を得ることは難しいからです。

今回は将来的に活字化へ向けて各自が取り組んできた研究論文のまとめの討議だったのですが、今回の僕の報告は一網打尽というか、集中砲火というか、大学教員になって以来もっとも厳しい批判を得ました。この研究会はかれこれ四年目を迎える会ですが、お互いが勝手知ったる仲だからこそ厳しい意見を頂けるということもあるでしょう。僕としては、それぞれが尊敬する各分野の研究者から頂けたいずれもが的確な、そして建設的な意見だったと思い、そうした指導を得られただけでも2005年末土壇場の三日間を江ノ島で過ごした甲斐があったと感じています。

僕の論文は、この三年ほど取り組んできた近世スウェーデン「複合国家」論とその構成要素たるナショーン概念の実態、さらに複合するナショーンの統合軸としての祖国概念を、それぞれ別個の三章構成として整理したものでした。これは忙殺されていたなかでとった苦肉の策でしたが、途中でナショーン概念の説明を媒介させてしまったがために、大枠としての「複合国家」論と祖国概念の対応が見えにくくなっており、結果として論文全体の構成がちぐはぐになっているという…致命的な問題を路程させてしまいました。一言でいって大幅な論文構成の見直しが必要という「駄目出し」との判定を頂いた訳ですが、論文の形式的問題以上に今回の研究会で僕は、僕が研究者として抱えるジレンマを明白に学んだと感じています。

第一のジレンマは、いわゆるナショナリズムの到来する以前の「スウェーデン」像を明示させようとしてナショーン概念の実証を行えば行うほど、重層的に複合するナショーンを統合して存在する「スウェーデン」自体が見えにくくなる一方で、それらナショーンを統合する軸として「祖国」という概念を主張すれば、それはナショナリズム論にいう連続的な原初論に近い議論になるという論理矛盾に陥っているという点です。これは近代以前の「スウェーデン」の実態を、内容説明に力点を置いた論証ゆえに起きる問題であり、僕自身の論証の形態を形式論にすり替えれば、解決の糸口を見いだせるものかもしれません。しかしながら「スウェーデン」の内実を語らずに形式のみを論じようとする立場には、西洋史学研究者ではなく、「北欧」地域研究者としての僕が許さないところがあります。

ここに第二のジレンマが導出されてきます。すなわち西洋史学研究と地域研究との間で分裂する僕という問題です。今回の研究会で報告された数々の他の研究者の方々の誠に見事な史料操作と解釈の術はいずれも敬服に値するものばかりですが、例えばイギリス史研究とスウェーデン史研究ではその実績に大きな開きがあり、我が国における北欧史研究のいわば第二世代にあたる僕のような人間は、我が国で知られることのない史料そのものの内容を読み込んで、「スウェーデン」の内実を「紹介」する地域研究者としての役割を感じてもいます。一騎当千の強者たちによる見事な「戦術」を知ってしまえば、こちらも「戦略」を見直さねばなりませんが、例えばイギリス史研究と同水準でスウェーデン史研究を語ることにはまだまだ時間が必要だと反省するばかりです。もちろん僕が近世ヨーロッパの国家論研究者であると割り切ってしまえば、そんなことに悩む必要もありませんが、我が国でも数少ない地域研究のメッカである大阪外国語大学で生活を過ごしてしまえば、「北欧とは何か」(あるいは日本にとっての北欧とは何か)といった命題にも果敢に挑まねばなりません。

2005年12月24日 (土)

息子との一日

クリスマスイブの今日は息子と二人でゆっくりと過ごしました。息子はこの12月で3歳になりました。 僕は自分自身の子供の頃の記憶をあまりはっきりとは持っていないのですが、 それでも3歳になったときにプラモデルを作りはじめた記憶があります。ということでその記憶に倣って、 息子が3歳を迎えたのを機に今日彼はじめて二人でプラモデルを一緒に作りました。

僕の部屋には、大阪に移って以来コツコツと収集してきたスウェーデン空軍の飛行機のプラモデルが未製作のまま積まれています。 そのコレクションのなかから息子とはじめて製作するプラモデルとして、イギリスの名門AirFix社製によるSAAB J-32 Viggenの単座型(1/72)を選びました。スウェーデン空軍で採用されたスウェーデン国産戦闘機・迎撃機については、 いずれ機会をあらためて発言したいと思いますが、Viggen(スウェーデン語で“雷”)は烏賊のようなデルタ翼が特徴的な迎撃機ですので、 我が国でも意外と知られているのではないかと思います。

息子にはニッパーを握らせ組み立て図の番号と部品の番号を一致させて部品を切り取ることや、接着剤の使い方など教えましたが、 なかなか飲み込みがはやい。ランディングギアなどの細かい部分は危ないので組み立てませんでしたが、 本体部分だけで30分もかからずに組み終えてしまいました。塗装はなしの、いわゆる「素組み」状態です。息子はかなり喜んでいますが、 僕はAirFix社の製品のできの悪さに辟易としました。今回組んだキットは20年ほど前のヴィンテージものなのですが、 接着剤不要で組み立てられるスナップフィットなど最新の技術が投入されている日本製のプラモデルとのできの違いに愕然としました。 接着剤を使う必要があるのはスケールモデルとしては仕方ないにせよ、バリが多かったり、部品のかみ合わせが悪く、 組み上げても隙間が残ったり…とにかく粗雑な作りなのです。

この話を飛躍させ比較文化論めいた話を展開するつもりはないのですが、宮大工による寺社建築などで絶妙な「組み上げ」の技術に日常的・ 歴史的に触れてきた日本の技術をめぐる環境があってこそ、ハセガワだとか、田宮模型だとか、 バンダイだとかのすばらしいプラモデル文化が我が国には蓄積されているのだろうと思いました。(いやはや…ほんと、 こんなAirFixのものに比べるとガンダムなんてもものは作りやすくて恐れ入ります。)粗雑なつくりの洋物のプラモデルは、 息子に最初に与えるべきものとして不適切な選択だったと思います。

2005年12月23日 (金)

大雪一過の休日

昨日は大雪で大阪も大混乱しましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?昨日は同僚の先生のお車で帰宅できましたが、その車のなかで盛り上がっていた話題は、クリスマスプレゼントのこと。なんでも最近子供たちの間では、昔懐かしいたまごっちが再び流行っているそうで、数日前に大手玩具店に行ってみたものの予約販売以外の在庫はなく、ネットでもプレミアム価格がついて販売されているとのこと。超じんせいエンジョイ!たまごっちプラス(エンたま)といって携帯電話やWebと連動して遊べるらしい…。おもちゃのこと、疎くなりました…ひと昔前までは結構流行をフォローしていたのですが、同僚の先生には的確な情報を提供できず、むしろ聞く側に徹していました。それにしても、これまた発売元はバンダイ…。以前にも発言しましたが、赤ちゃん・子供むけ業界の勢いたるや、どえらいものを感じます。

わが家も他人事ではありません。とはいえクリスマス前に祝わねばならない行事は妻の誕生日で、本来ならば昨日だったのですが大雪の落ち着くのを待って、今日ちょっと豪勢に昼ご飯と相成りました。妻のリクエストで久々に「肉」をたらふく食べてきました。一言、美味かった。久しぶりに肉をがつんと食べて、「あぁ、お肉ってこんなにおいしかったんだ…」と実感。このお店、大阪外大で生きる者ならばお馴染みのバスでちょっと出た国道171号線沿い小野原交差点の近くにある焼肉屋さんなのですが、お昼の時間帯のコストパフォーマンスがすばらしくよい。最近いろいろと問題になっている肉の出自についても、個体識別番号を表示していてネットで検索できるようになっています。大阪外大にいらっしゃる用事があれば、是非一度立ち寄られることをお奨めする良質な焼肉店です。(北摂もなかなか良いお店があります。)

肉をたらふくお腹に溜め込み、エネルギーを充填した後は、年末・年始の出張・帰省に備えて常用の使い捨てソフトコンタクトレンズのストックを買いに千里中央へ。ところがかかりつけの眼科医が突然の閉院ということで、急遽新規開拓に迫られました。(こうした選択肢が多い点が、ニュータウンとして新たに建設された町の利点ではある。)新たに赴いた眼科医は休日にもかかわらずだいぶ人が多く、コンタクトを買うには診察が必要なため待たされましたが、極端に目の悪い僕にとってコンタクトレンズは生活必需品中の必需品ですから、そこをなんとか堪え忍んで購入。いやはや、洒落にならないほど僕は目が悪いのです。高校3年生までは視力は抜群に良かったのですが、大学受験の勉強をゴトゴトと揺れる常磐線のなかでやっていたのがいけなかったですね…その後一気に視力が落ちてしまった(しかも乱視もきつい)。大学生時代はお金もなかったから、よく眼鏡を壊しては裸眼のまま大学へ出向き「文字の読めない東大生」との称号を友人からもらったこともありました。牛乳瓶の底のような眼鏡をやめて、今はコンタクトレンズを常用しています。

人間それぞれ自分のもっとも依拠する得意な(あるいは鋭敏な)感覚があるのではないかと思っているのですが、僕の場合、圧倒的に視力に依拠して情報処理をこなしているなと思う場面が多く(これに対して聴力はとても鈍感です…音楽家や語学教師には失格ですね)、それゆえに視力矯正は僕という人間にとっては死活問題。しかも僕の場合、眼が大きいということが災いして、普通サイズのソフトコンタクトレンズでは落ちたり、ずれたりすることが多く、瞳(黒目)をすっぽりと覆う(今時のソフトコンタクトレンズにしては)大きなものでないといけなくて、これまた厄介なのです。なんとか年末・年始を乗り切れるだけのコンタクトレンズを確保しましたから、まずは来週からの出張(…しかし用務地はなぜか冬の江ノ島…冬の湘南なんて若手編集者として活躍しているYくんと連れだってむかーし行って以来のことです…)も安心です。

2005年12月22日 (木)

大阪も大雪です…

いやはや、困ったことになりました。今日は重要な会議が目白押しで詰まっていたので、朝早くに意気込んで自宅を出てみたものの、阪急バスはストップ。ようやく捕まえたタクシーでなんとか大阪外大に着いてみれば、会議は中止に、延期に…。(もう少しはやく連絡ください!)今、降り積もる雪を眺めながら呆然として研究室におりますが、どうやって帰宅すれば良いのか…その手段を思案中。一週間前に札幌で雪と格闘していたばかりなのに、冬至の今日、まさか本拠の大阪でこのような事態に直面しようとは夢にも思いませんでした…。はー、どうやって帰ろうか。

現在午後4時。九死に一生を得る…とはまさにこのこと。枚方にお住まいの同僚の先生の車に同乗させていただいて、高槻経由で豊中まで無事にたどり着きました。(新谷先生、ありがとうございました。)阪急電車、大阪モノレールは無事に運行されているようです。阪急バスも国道171号線以南は運行再開したようです…。しかし大阪外大のある箕面の山は雪深く…阪急バスの運行再開の目処が立たず…、結局全面休校のようです。

2005年12月21日 (水)

寝耳に水

ゼミ学生との楽しい忘年会で帰宅してみれば、東大の後輩からもらったメールでこの事態を知りました。朝日新聞の記事のリソースが何か全く分かりませんが、末端の教員である僕はこのような話が妥結したとは全く知らされていません。他の報道機関が全く報道していないとは、一体どういうこと?うーむ、怪しい…。しかしなんですなぁ…構成員のコンセンサスがないまま、こうした組織統合というものは「うねり」のように進んでいくものなのですね。いやほんと…大学自治なんてものはかつての国立大学でももはや形骸化していて、独立法人とはトップダウンで決定されていくのを思い知らされます。不謹慎な例えで恐縮ですが、今の我が大学を巡る状況は、かつて東ドイツが西ドイツに吸収されていった過程を思い出します。しかしこれで明らかになってしまいました…最近僕が何に忙殺されているのか、僕の周りで何が混乱しているのか。騒然とする組織のなかで、個人的には僕が与えられた役目を地道に全うするしかありません。という次第で、落ち着くまで今しばらく猶予をください。明日の教授会…こりゃまたもめるなぁ。

史・資料の取り込み革命

(この発言は当初「文系教育者・研究者のお役立ちツール(5)」という表題で発言しましたが、YC-400の汎用性を鑑みて上記の表題を撤回します。僕個人としては、基本的に「文系教育者・研究者のお役立ちツール」という表題で発言する場合には、より汎用性・普遍性の高い道具の紹介に徹していきたいと考えています。)

忙しい日々でも、教育・研究に直結しそうと判断した新たな技術の導入には積極的です。今日、CASIOのマルチプロジェクションカメラYC-400が届きました。これはいわゆる持ち運び可能なコンパクトな書画カメラなのですが、カメラユニットが一般的なデジタルカメラ(このYC-400の場合には2年ほど前の機種でEX-Z4という400万画素カメラと同等)であるところに特徴があります。ごく簡単に使用法を説明すると、パソコン(OSとしてはWindowsに限定)にUSBで接続し、モニタ・プロジェクタへ文献などを直接投影させることができます。当初はプレゼン用の携帯できる書画カメラとしてYC-400を選定したのですが、それ以上のポテンシャルが秘められていると判断し、ここに紹介するものです。

さて、これだけの紹介では単なる書画カメラと何ら変わらないのですが、このYC-400の驚異的な性能は資・史料の読み取りの機能にあります。一頃、いろいろな人からデジタルカメラを使った資・史料の画像取り込みについて質問を受けたことがあるのですが、結局のところ、それほど画素数にこだわる必要はなく、むしろ解像度の高さに重点を置き、撮影の際には露出を高める一方、手ぶれを防止して…程度しか答えることができませんでした。手にしてまだ間もないのですが、僕のこれまでの経験に基づく直感から判断して、こうした資・史料のデジタル化の問題を一挙に解決してしまう道具がYC-400だと断言できます。

YC-400の場合、文献を設置する書見台とカメラユニット(高さにしておよそ40cm程度)に固定されているので、画像撮影でぶれる心配はありません。室内が暗い場合でもカメラユニットの設置部にライトがついているので、文献だけを照らすことが可能です。カメラユニットは基本的にデジタルカメラですので合焦のスピードは非常に快速。これが単なる書画カメラでないのは、デジタルカメラであるがゆえに文献をそのまま画像(基本はJPEG)撮影し、パソコンに取り込むことができることです。デジタルカメラですから露出やホワイトバランスなども適宜調整できますが、もとより書画撮影モードを積極的に開発してきたCASIOのEXILIMが母体になっていることもあって、これら撮影設定はすべてオートで任せきりです。

驚きはYC- 400をパソコンから動作させるソフトウェアの出来の良さで、書画カメラモードからスキャナモードに切り替えると、あとは書見台上の文献を取り替える(ページをめくる)だけで自動的に合焦、トリミング、方向修正、露出調整をし、最適な大きさで画像を取り込んでくれることです。A4程度の大きさの文献であればくっきり、はっきり取り込まれ、あとはJPEGファイルですからパソコン側の画像加工ソフトやOCRソフト、PDF加工ソフトなどで、煮るも焼くもお好きなように…とった感じ。とにかく、シャッターを切ったりする必要さえなく、YC-400の使用者はただ書見台に撮影したい文献を置いていくだけで、資・史料が読み込まれていくのです。画像取り込みといっても、一般的なスキャナーとは違ってデジカメですから、シャッターが切られればあとはパソコンに画像が保存されるまでの時間を待てばよいだけで、取り込み速度は驚きの速さ。

A4に印刷された文書ならば、最近は富士通のScanSnapのようなドキュメントスキャナがあって、大変快適に文書をデジタル化できるようになりましたが、製本されている文献の場合、それをデジタル化する手段は、フラットベッドスキャナーでだらだらと読み込ませるか、デジカメで手ぶれに怯えながら撮影するかのいずれかでした。このYC-400は両者の欠点を一挙に解決して、製本された文献を効率的にデジタル化する画期的道具であると思います。(手にしたときは興奮のあまり、「史料読み込みの革命だ!」と一人研究室のなかで騒いでおりましたが、興奮が冷めた今でもYC-400には高いポテンシャルを感じています。逆にYC-400側から考えてみると、史料撮影にはそれほど新しいデジカメは必要ないということがわかりますね。2〜3年ほど前の400万画素程度のもので十分。あとは書見台やカメラスタンドなどいかにしっかりと撮影できる環境を整えるかということと、露出などの撮影設定をどうするかということですが…YC-400でのスキャナーモードでのカメラ設定がもしわかれば、いずれ皆様に紹介します。)

2005年12月19日 (月)

地域研究VIII

関西外大の皆さん!今日の3時間目の授業は、今年最後の授業になります。予定としては、先々週にアップロードした講義ファイルに従って、「イェリング(デンマーク)とビルカ(スウェーデン)」を説明します。またこの季節ですから、スウェーデン独特の祭であるルシア祭と北欧でのユール(クリスマス)についてもお話しようと思います。

先々週にアップロードしたファイルを忘れずに持参してください。それでは3時間目にお会いしましょう。

恐るべしサンテレビ

年末年始に向けてテレビ・演芸ネタ全開で行かねばならないか…と思っていた矢先、大晦日のゴールデンタイムに神戸にあるローカル局サンテレビは『フランダースの犬』を放映するのだという…思わず開いた口がふさがらない情報を得ました。

思いつきで始めたとしか思えない「スキウタ」とかいうアンケート企画がポシャった紅白歌合戦には、満身創痍のみのもんた氏の司会ぶり以外もはや何の魅力も感じませんが、民放も民放でその裏番組といえば格闘技ねたばかりで、個人的にはテレビ東京系の歌番組における松平健のマツケンサンバI〜III一挙メドレーという企画くらいしか刺激的と思えなかった。(…マツケンサンバIはまだ聞いたことがないので…)

それに比べるとサンテレビの『フランダースの犬』を持ってきた感覚には恐れ入ります…ぶっとんでます。年の瀬で日本全国が浮かれ気分なときに、救いのない悲劇に号泣しながらの年越しですか…おぉー、ぱとらーっしゅ!(…中山功太風に…。)確かに来年は戌年です。いえいえ、もちろんサンテレビは『フランダースの犬』の後に、お得意の阪神ネタをもってきて、お祭り気分で年越しだとは聞いてます。

(この『フランダースの犬』は有名なアニメ版ではなく、アメリカで公開されたときにあまりに救いようのない結末のために、アメリカ公開向けと日本公開向けでは結末が別に作られたという…映画版のものです。この作品、見たことがなかったので映画作品としてちょっと楽しみにしています。)

地域研究VIII 第二学期末課題について

関西外大の皆さん!すでに数週間前から予告してきた2学期末の課題の件ですが、これまでの話をこの発言に整理します。

北欧の都市、あるいは北欧の世界遺産のうち、自分の関心のあるものを一つ選んでレポートする。

そのレポートでは、

(1)自らが選んだ都市あるいは世界遺産の基本的な情報
(2)それをレポートの対象として選択した理由・根拠


を必ず内容として触れること。なお、参考情報は文献、ネット情報など自由選択で構わず、特に制限は設けない。ただし

(3)レポート執筆上用いた参考情報の出典を必ず付記する。

レポートの分量は図版込みで原稿用紙換算7枚~10枚程度とする。

提出方法は(1)直接手渡し、(2)メールの添付ファイルに限られる。

(1)手渡しの場合は2学期最後の授業である1月25日を最終期限とするが、1月16日の授業で手渡すことも構わない。(2)メールによる提出は、原則として手渡しができないことを事前に連絡してくれた人にだけに限定する。メールでの提出希望者は、今日の授業と1月16日の授業で申し出ること。それ以外は、原則としてメールによる提出を認めない。

以上です。

2005年12月18日 (日)

神はいらした!

今回の出張で持参した機材は例によってThinkPad X40だけだったのですが、セッション当日の朝にバッテリーからまったく起動できなくなって(コールドスタートを行おうとするとブルースクリーンが現れ、再起動の無限ループが続く…)、「こりゃ、本当に神様から完全に見放されたな…」と思いました。雪道の上をごろごろと引きずってきましたからね…あぁした長時間の振動はハードディスクにもっとも悪影響を与えるでしょうし、それになんといっても寒暖の差は結露を生み出すからさらにやばい。かろうじてACアダプタからだけはセーフモードで起動できましたので、2時間ばかり試行錯誤を繰り返した結果、これはビデオドライバに起因する問題だということに行き着き、たまたま逗留していたビジネスホテルのネット環境がよかったもので、急遽Lenovo社のサイトからビデオドライバをダウンロードして事なきを得ました。

うん、神様は僕を見放してはおられなかった!

今回の札幌滞在では、それを強く感じました。第一にスラブ研究センターという研究機関の存在。そもそも今回の「中・東欧の地域」といった広域的なテーマに挑むシンポジウムを企画できる力もすばらしいわけですが、そこで出会った研究者・事務員の方々から頂いたご厚意にはひたすら感謝せざるを得ません。コーディネータの中核にいらした林忠行先生、僕の学部時代からのよき友人である前田弘毅くんには、準備をしやすいようにといろいろと便宜をはかっていただきました。(公務もあり忙しかったにもかかわらず、研究室を開放してくれた前田くんには特に感謝です。)また僕の参加したセッションの司会者を務めていただいた松里公孝先生はバルト地域への北欧の歴史的関わりに造詣も深く、セッション終了後大変鋭いご意見を頂き感謝しています。

第二に、このシンポジウムに集まった東欧研究、北欧研究の方々との交流。シンポジウム前日からお会いできた東京外大の篠原琢先生とは公私にわたりとても楽しい時間を過ごさせていただきました。懐は寂しくなりましたけど、本音で語り合える先輩をもてた幸せを感じた瞬間です。そしてシンポジウムに結集した方々とは、札幌の寒さを微塵も感じさせない熱い夜を楽しませてもらいました。 12月としては前代未聞の大雪のなかを福井から駆けつけた中澤達哉さんとは、ちょっとしか話をする時間がなかったにもかかわらず、再会の言葉を交わすなりいきなり『新選組!』の話になり…うーん、やはり同じ誕生日産まれとはこんなところでも話があうのだなと変に納得。(中澤さん、無事に帰ることができたかな?もう少し語り合う時間がほしかったですね。)北欧側からは津田塾大学にいらした百瀬宏先生から暖かい言葉をかけていただきただただ感激するともに、やはり津田塾大学の大島美穂先生とは北欧側からバルトに迫るという困難なセッションの課題についてお話いただけた一方で、例によって「僕がなぜ(津田塾大学のある)鷹の台界隈について詳しいのか?」といった話でかなり盛り上がったような記憶があります。そう… 大島先生は筑波大学にもいらっしゃったことがあるから、「古谷くんはやはり茨城弁よね。」と鋭い指摘もありましたね。どうやら僕の語り口は酔いと共に(1)標準語→(2)英語混じりの標準語→(3)英語混じりの茨城弁と変化するらしい。で「このままいけば、茨城弁の英語でコメントすることになるね。」と指摘されました。

第三に、ここでご紹介しきれない様々な方々との出会いによって生まれた新たな「北欧」史研究への見通し。これこそが僕にとって最大の神様からの土産物だったのかも知れません。「北欧」などというと、 I.ウォーラステインの近代世界システム論が登場して以降は、常に近代世界システムの「半辺境」ということで論じられ、「世界」史の解釈上、東西冷戦の緩衝地帯にあって福祉国家体制が完成される20世紀後半まではそうした見方が一般的かも知れません。しかし、それはあくまでも西欧を主軸にした「北欧」観なのであって、主体的に地域概念としての「北欧」を理解しようとする態度ではない。もちろん「西欧」に対する「北欧」という議論はそれで成立するかも知れませんが、「北欧」が北欧に生きた人々の自己理解として歴史的に意識される過程では、そのカウンターに存在した交渉相手は「西欧」だけではなく、「東欧」も、「中欧」も、「南欧」もありました。相手側も地域概念としては歴史的変化を重ねていますから、地域概念の理解はお互いの関係が複雑に入り組んだ相対的な関係であることを前提にせねばなりません。しかし今回のシンポジウムでの「バルト」と「北欧」の比較のように、「ロシア」と「北欧」、「東欧」と「北欧」など、「北欧」という地域概念の特殊性を理解していくときには、「北欧」アイデンティティが創造されていく過程でカウンターとして意識されていた相手の認識を議論の対象に含めねば、単なる独り言としての「北欧」論になってしまう。というわけで、いずれは今回のスラブ研で催された企画を「北欧」研究側から展開せねばならないだろうという思いを強くした次第です。

厳しい寒さの札幌から帰阪してみれば、ここ大阪の寒さは心地よいものにさえ思えてきました。

2005年12月17日 (土)

怒濤の一週、終わる!

無事帰阪しました。今回は昭和女子大での仕事を終えて時間がなかったものですから、ホントーに久しぶりに新幹線に乗って新大阪まで戻ってきましたが、いやはや東京駅ではすべての緊張の糸が切れて、意識朦朧…新幹線のぞみ号の700系のゆったりとしたシートにも支えられて、もうどうやって帰ってきたのか覚えていません。新大阪止まりの新幹線で本当によかった…博多行きなんかに乗ってしまっていたら、完全に寝過ごしていたでしょうから。酷寒の札幌から日本を縦断したこの一週間、あまりの強行軍におみやげのひとつも、家族や同僚に用意することができませんでした。唯一おみやげらしきおみやげといえば、札幌で拗らせた風邪くらいのもの…。いえいえ、僕個人にとっての「目に見えない」おみやげはもっと大きなものがあったわけですが。

さて、今回の出張の最大の目的は北海道大学スラブ研究センターで行われた国際シンポジウム「中・東欧の地域:過去と現在」にコメンテーターとして出席することでした。僕が参加したセッションの報告原稿は前日に届きましたが、話そうと思っていた内容の骨子は頭に一応用意しておきました。今回の僕の役目は、「バルト」沿岸地域における地域概念を「北欧」側からどのように考えるのかを、歴史的視座からコメントするというものでした。「バルト」に関して門外漢ではありますが、「北欧」に関しては聴衆の皆様に理解できるように簡潔な内容をあらかじめ整理しておきましたので、なんとか本番には理解していただける主旨を、英語としてもおかしくないようお伝えできたのではないかと思っています。

(緊急の英語作成にあたっては、SIIのSR-E10000と大杉三郎著『携帯会議英語』(大修館書店)がとても役だったことを参考までに付記しておきます。後者は数週間前に関西外大の書籍部で急遽購入したもの…僕としては大学受験以来、久しぶりに手にした参考書です。)

いわばロシア・東欧研究と北欧研究のコラボレーションという非常に挑戦的な課題を与えられたというわけですが、「北欧」から「ロシア・東欧」がいかに理解されてきたかについては、来年2月に予定されている東欧史研究会での報告や、いずれ公になるであろう『東欧史ハンドブック』で明らかにします。

個人的に今回のシンポジウムで勉強させてもらった反省点としては、「北欧」史の知見を共有していない方々を前にいかに「北欧」をイメージしてもらい、それとの比較のなかで「バルト」との歴史的共通性・相違性を理解してもらうか、それに要するボリュームはどの程度が適当であるのかという問題です。

コメンテーターとして僕に与えられていた時間は10分程度。僕が参加したセッションの数十分前までコメントを用意し、とりあえず1500ワード程度の原稿があったものの、英語にメリハリをつけた話を進めていると当然時間は足りなくなる。結局、話しながらその場で急遽話したい内容の1/3程度を割愛し、結論にもって行かざるを得なくなりました。セッションが終わってから「古谷さん、間の取り方がうまいですね…。」なんて声をかけてくれた方がいらっしゃったのですけれども、あれは「間」をとろうと思ったプレゼンテーション戦略上の「間」ではなくて、急遽割愛内容を考えパソコンをスクロールしたりしていたゆえの「間」でした。それでも、話す内容をユニット化して構成していましたから、2/3程度の内容から結論にもっていって論理的にOKな内容で、セッションの流れとして問題はなかったと思います。とはいえ、個人的には割愛した1/3の内容こそが、「北欧」概念における「農民」像の神話化を例に、特定の地域概念を作り上げる基盤となっていく歴史認識の共有を問うネタであって、実は一番話したい内容でした。

他分野との知的交流はとても刺激的な挑戦ですが、それに要する基本的知識の共有という問題は、いかんともしがたい…僕の論拠は「北欧」史にあるわけだから、「北欧」を語らねば論陣を張れないということです。やはりはやくから準備をし、時間配分・内容配分に綿密な検討を要するということでしょう。この反省点は、僕にとっての大きなおみやげですが、もっと話しておかねばならないことがあると思うので、別項をたてます。

2005年12月16日 (金)

峠は越えた!

札幌~東京と出張ロード中ですが、その峠は今日無事に越えることができました!酷寒の札幌を離れ、今は東京に滞在しています。明日は昭和女子大学で大学公務関連の大会議が控えているというのに、今滞在しているホテルのネット環境があまりにもすばらしいので、北大での国際シンポジウムの疲れなど忘れて、キーボードをたたきまくっています。この間、僕へメールをくれた方で返信が届いていない方、もうしばらく待ってください。

さぁ、何から語り始めましょうか・・・あまりにも濃密な時間と充実した内容の札幌滞在だったので、どこから整理したら良いかわかりません。まずは無難なところで飛行機ネタからいきますか?普通新千歳空港と行き来する機体はB747だろうと勝手に思い込んでいたにもかかわらず、伊丹→新千歳はMD82(おそらくあれはJASを引き継いだふるい機体だった)で、新千歳→羽田はB767と中距離機ばかり。しかもMD82は一ヶ月前の長崎滞在に続いて今年2度目・・・しかしマクドネル・ダグラス社の旅客機を個人的に今まで嫌っていたのですが、こうも続けて乗ってみると騒音が少なく、なんだかすーっと空へ上がっていく感じに快感を覚え始め、「なるほどこれがこの機体を長年就役させている理由なのか」と思ってしまうにいたりました。

さて飛行機を降り立ってみれば、そこは大阪とは異なり酷寒の北海道。冬訪れるのは初めてでしたが、一言、札幌駅を降り立って、その雪が押し固められて完全にアイスバーンになっている道路に愕然としました。しかし、そこは用意周到というもの。北海道出身でいらっしゃる古代ギリシア史の橋場弦先生から、事前に新千歳空港の売店で脱着式のスパイクを買っておくべきだと助言を得ていたので、雪道は完全に克服できました。そのスパイクは、通常の革靴にゴムバンドで装着するもので、その名もコロバンド(・・・おそらくこの商品名は転ばないとかけているんでしょうね・・・)。最初1800円という値段に閉口しましたが、今回の札幌滞在でもっとも役に立った道具ですね。効果覿面で、雪道をしっかりグリップしてくれるので、慣れてくるとちょっと小走り程度までできるようになりました。

しかし、なんですねぇ・・・札幌ってのは大都会だから町の中心部の道路くらい融雪しているんだと思ったら、そんなこと全くなしなんですね。雪が積もって、踏み固められ、アイスバーン。札幌の人は酒飲みに行くときにも、酔っ払ってすべって頭を強打する可能性があるので、命懸けなんだということを実感しました。さて、この続きは別項を設けて整理することにしましょう。

2005年12月12日 (月)

戦々恐々…

枚方の関西外大で授業を終えると、今週はこれから札幌~東京の出張行脚が始まります。札幌は1997年初夏に日本西洋史学会で訪れて以来の訪問で、冬の訪問はこれが初めて。北海道出身の大阪外大の同僚や、今回訪れる北海道大学スラブ研究センターに就職した友人の話で、「滑るよー」だとか、「千歳空港についたら、まず脱着式のスパイクを購入すべきだ」だとか散々聞かされていて、もとより雪国に弱い僕は戦々恐々としています。

そう…スウェーデンのことを研究していながら、僕は酷寒の地に滅法弱いのです。寒さに弱いだけでなく、やはり雪国出身の妻に言わせれば、「歩き方からしてなっていない」んだそうな。近頃の札幌の気温を見るにつれ、それは僕が留学していたルンドの酷寒期とほぼ同じくらい…。ましてや一年に数度しか積雪のないスコーネ地方とは違って、札幌はすでに積雪があるらしい…。(スウェーデンのなかでも、スコーネを選んだ最大の理由は「寒くない」ということだったのかも…。)あぁ、どうなってしまうのだろう。

どうなってしまうのだろう…といえば、今回の出張目的は北大スラ研で開催される国際シンポジウム「中・東欧の地域:過去と現在」にコメンテーターとして参加するということなのですが、使用言語が英語だというのはまだよくても、肝心の報告原稿が揃っていなくて、未だにコメントを準備できない状況。うーむ、ぶっつけ本番で臨めということか…ということで、戦々恐々の度合いが数倍増し。しかも、ようやく届いた報告原稿の一本を読むにつれ、僕の専門である近世スウェーデン史とは全く関係のない内容で…思わず、"Quo vadis Domine ?"と叫びたくなる心境。はー…。

地域研究VIII

関西外大のみなさん!年内の授業も残すところ、今日と来週の2回になりました。ちょうど講義ファイルは、先々週にアップロードした「森の墓地(スウェーデン)」と、先週アップロードした「イェリング(デンマーク)とビルカ(スウェーデン)」で2回分となります。ですから、今週は新たなファイルをアップロードすることはいたしません。今日は「森の墓地」について、集中的に講義しますので、先々週11月28日の発言でアップロードしたファイルを持参して、授業にのぞんでください。

それでは、3時間目にお会いしましょう!

2005年12月11日 (日)

備中高梁・義経・危機遺産

最近行ってみたいところは、若狭方面ともう一つ備中~伯耆方面。今晩も息子と一緒に『ぐるり日本鉄道の旅』という(もとはBS日本テレビの、しかしここでは神戸サンテレビで放映されている)ギャーギャー騒ぐレポーターなど全く出てこない大変良質な旅番組を見ていて、とりわけ今回は岡山からの伯備線が特集されていて、これがたいそうな旅情を誘ってくれました。とりわけ備中高梁というところ。備中松山藩のお膝元で「備中の小京都」と称される町ですが、僕はこうした山があって、川があって、鄙びた城下町がとても好きです…例えば丹波亀山などの雰囲気はとても落ち着く。いつか子供が大きくなったら、行ってみたい場所にこの備中高梁もあげておきます。

(それにしてもサンテレビというテレビ局は偉い局だなぁ…と思うことしばしば。最近僕が欠かさず見ている番組といえば、この『ぶらり』と以前から話題の『全国居酒屋紀行』ですが、その両方とも日曜日のゴールデンタイムに放送してしまうというところがすごい。そして噂に聞いている範囲では、大晦日は阪神一色で番組を染め上げるらしい…。)

『ぐるり』が終わったら、とりあえず『義経』チェック。まぁ、最終回だったわけでとりあえず惰性で眺めていましたが、昨年の『新選組!』といい、今年の『義経』といい、そろそろ主人公をはじめ登場人物が軒並み死んでいくという悲劇的な結末のドラマは、もう見たくないかな…。来年は『巧妙が辻』ということで、かつての『利家とまつ』のように明るく進行するドラマ内容に期待します。(うーん、古谷家では「まるこ」だとか、「サザエ」だとかは全く見ていないのに、なんだかんだと大河ドラマは見続けているねぇ…。)で、『義経』ですが、見終えた感想は、これは滝沢秀明くんと松平健さんの個人的な魅力で持たせているドラマだったような…。もちろん前半では『熟年離婚』でも大活躍だった渡哲也さんが清盛入道として重きをなしていたわけだけれども、結局、ドラマの構成としては『新選組!』のように群像劇というわけでもなければ、義経と静御前の悲劇的ロマンスというわけでもなく、なんだか中途半端に終始した感じ。というわけで、個人的な関心は地上波では来年正月3日に放映予定の、大河ドラマ史上初の続編『新選組!!土方歳三 最期の一日』に期待が高まります…。どういうドラマになるかはわかりませんが、あまり派手なお涙頂戴物ではなく、榎本武揚・大鳥圭介・土方歳三の三者による密室劇的展開を期待しています。

おっと…今週の『世界遺産』は「危機遺産」の特集ですね…。単に文化遺産や自然遺産だけに目を向けず、内乱や環境破壊で危機に瀕している危機遺産にまで配慮するとはさすがはTBS『世界遺産』。そもそもユネスコがこうした遺産保護に積極的になったのは、1960年代のナイル川流域のヌビア遺産保護だったわけだから、危機遺産というテーマが世界遺産の本意。ただ単に僕たちは華々しい文化遺産や雄大な自然遺産にだけ目をとらわれるのではなく、こうした「危機遺産」や「負の遺産」にももっとも注目すべきだと思います。

2005年12月10日 (土)

二つの誕生日プレゼント

どうやら昨日あたりにボーナスが支給されたようですが、全くチェックしていません…というか、チェックしている暇がありません。ですが、毎年12月は息子と妻の誕生日が続き、その直後にクリスマス、帰省…と悪夢のような出費の日々が続きます。

昨日は息子の誕生日でしたが、息子には白の自転車(16インチ)をプレゼント。いつの間にやらペダルを漕いで自転車を駆ることができるなんて…えらいこっちゃと思いましたが…嬉しくて、はやる気持ちはわかるのですが、折角の土曜日なのに早朝から起こされ、酷寒のなかへと自転車を漕ぎ出したいという要請はどうにかしてもらいたい…。もう少し日が高く昇って、気温が上がってきてからじゃないと、正直「辛い」です。

さて、11月26日にヨドバシカメラでやすーいミニコンポを買ったものの、初期不良交換に出したと以前発言しましたが、僕自身たいそう忙しくて、交換品を開封することさえできない…というのに、昨日再びヨドバシカメラから新たなブツが届きました。それは妻が誕生日のプレゼントに…と欲していたホームベーカリー。骨壺…米びつのような形で「本当にできるの?」と思っていたら、いやー、おいしくふっくらしたパンができましたね…5時間もかかって(汗)。最初のパンは、5時間待ち続けてようやくできたものでしたから、息子も、妻も、僕も、獲物にたかる禿鷹のようにワーッとパンよってたかって、ものの5分もしないうちに、パン屑だけを残しで跡形もなくなりました。もちろんホームベーカリー自体はすばらしい…NationalのSD-BT113というもの。しかし一斤タイプというものは…どうかな。時間をかけて、ようやく腹に収まるのは、一斤ですからね。

5時間かけて、5分ももたぬ…か。こんなところで、諸行無常を不覚にも感じてしまいました。

2005年12月 9日 (金)

息子の誕生日

12月9日といえば、古谷家としては長男の誕生日ですが、スウェーデン史としてはスウェーデン王グスタヴ2世アードルフの誕生日です。息子が産まれてきたときには、「別にこの日に産まれてくれなくても…」と思ったわけですが、やはりスウェーデン史を生業としている身からすると、息子が一年365日のなかであえてこの日を選らんで産まれてきたわけですから、この誕生日の符合にはやはり運命めいたものを感じざるを得ません。今日で息子は3歳、GIIAは生きていたら410歳です。

そんな息子は、スウェーデンをまるで意識することなく育っています。最近は言葉も達者になってきましたし、反抗することもしばしば。誕生日記念に何か食べたいものはないかと聞いたところ、なんと蟹…。で、行って参りました、大阪で蟹といえば『かに道楽』ですよね。たまたまウチの近所に『かに道楽』があったものですから…おそらく息子は、あの蟹の大きな動くマネキンに興味があったのかも知れません。

思えば、常陸出身の僕にとっては蟹など縁遠い存在。蟹料理らしい蟹料理というものをこれまで食べたことはありません。『かに道楽』へ行ってみて、あらためて「あれ、蟹ってどうやって食べるんだっけ?」と不覚にも自問自答してしましました。呆然とする夫の前で僕の妻は越前出身ですので、蟹が詳しいのは当たり前…『かに道楽』での手さばきの良さには正直驚きました。なにやら越前の通は、脊古蟹という松葉蟹の雌が一番おいしいらしく…しかし無粋な常陸人はそれすら満足に食すことができず、結局僕がギブアップした分(…腹一杯というわけではなく、七面倒くさくなってのお手上げ…)は、妻の胃袋へ。

(しかしなんですなぁ…蟹酢にはじまって、刺身、焼き蟹、茹で蟹…と蟹づくしだったわけですが、刺身ってのはどうもおいしくないですね…。それから『かに道楽』の繁盛ぶり。週末ということもあったのでしょうが、僕らが行ったときには一時間待ちになっていた。日本人って、本当に甲殻類好きなんですね。僕は食べるのが面倒なので、はっきりいってあまり好きではありません。)

本日誕生日の中心だった息子はといえば、僕が頼んだビールについてきたお通しの枝豆がおいしかったらしく、結局蟹はあまり食べていませんでした。その一方で妻はたいそう満足したよう…結局、今回の『かに道楽』で一番満足できたのは妻であって、息子の誕生日は妻の慰労会にあいなり候。僕はといえば、蟹を食べることに集中しすぎて…そしてその戦利品はあまりにひもじかったために、徒労感ばかりが残りました。

2005年12月 8日 (木)

混迷の「師走」

11月30日の発言で「混乱中」と書いて以来、その状況に全く変わりはありません。もとより「師走」は忙しい月ですが、 自分ひとりの力ではどうしようもない外的要因が加わって、さらに忙しさが増しています。この混乱の原因については、今はいくら「おしゃべり好き」な僕とはいえども、ここで明らかにすることはできません…。いずれ公表される日もくるのでしょうか? それさえもわからない五里霧中の師走を酩酊状態で暴走しています。

会議を開いてみれば延々と埒の開かない状況が続き、そんな状況をやはり問題に思う志を同じくている同僚と自棄酒すること、数回。(同志と呼べる人が側にいると思えるだけで、心の救いです。)その度ごとに深夜に帰宅してみれば、乳飲み子を抱えた妻に怒られること、数回。(数日前の妻の「復讐」は傑作…。帰宅後、焼いてくれたソーセージの一本、一本に、「ウ」、「ン」、「コ」と切り込みを入れ、翌朝目覚めた息子に「お父さんは昨日の夜遅く返ってきて、「ウンコ」たべたんだよ…」と。)酩酊状態とは書いたものの、二日酔いなどとは縁のない体に僕を産んでくれた両親に、今更ながら(こんなところで)感謝しています。

こんな状況で、貯まっていくのは処理できない仕事の山。領収書や出張申請など、事務手続きも貯まる一方だけど、そんなのはいつか片付くとして、もっと重要なのは今関わっている共同研究のいくつかの報告が頓挫していること。関係者の皆様には本当に申し訳ないことをしているとこの場を借りてお詫びしますが、はやく今の状況を正常化させて、「あのときは、こんなだったんですよ…」と懐かしく語れる日が来ることを望んでいます。このブログにコメントをくださっている方への返答が滞っていることも、貯まっていく処理できない仕事の一つとしてカウントできます。クリスマスプレゼントには、何の雑念もなく集中して「エイ、ヤッ」と仕事を片付けられる時間がほしいです…サンタクロース様。

こんななかでも、なるべく学生のみなさんとの接点を維持することには奮闘。先々週から先週にかけては「北欧の地誌」や歴史ゼミでとても興味深い報告が続いて、大阪外大の学生のみなさんのポテンシャルに勇気づけられた思いをしました。来週は、月曜日の関西外大での授業が済んだら、火曜日から木曜日まで札幌でシンポジウム、木曜日の晩に東京へ飛んで、金曜日は東京で会議。大阪へ戻るのはその後…ということで、一週間近く大阪を留守にしますが、外出先でもネットはつながるでしょうから、例えば卒論執筆のことなどで連絡を取りたい人は、メールどうぞ。

このまま行くと、忘年会なんてものとも縁がないまま、年を越してしまいそうです。11月に導入した超整理手帳は、本来2006年のものなのに、すっかり12月は真っ赤に埋められてしまっています。(本当に紙の手帳を使い始めてよかった…。)その一方でW-ZERO3の予約なんてことは、すっかり面倒になってしまい…たぶん、スマートフォンなんて要らないという結論になりそうです。

2005年12月 6日 (火)

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

大阪外大で北欧史を受講されている皆さん!今気がついたのですが、今年度の北欧史に関する講義ファイルは先週配布した分で、すべてを網羅していました。

年内の講義は今日を入れてあと2回(来週13日は休講です)。年明け1月は24日を試験とし、その前に2回授業時間があります。今の調子でいくと、1月10日には余裕をもってヨーロッパ統合までの話を終えることができそうですから、それまでは先週までにアップロードしたファイルを忘れずに持参してください。最後の最後には僕がどういったことを研究しているのか、その一端を授業でお話しましょう。

今日の講義では戦間期の話を進めますが、2年生のみなさんを対象に来春からのゼミ分属に関連して、デンマークの歴史・スウェーデンの歴史ゼミがどういうことにとりくんでいるかを説明する時間ももちます。

それでは、4時間目にお会いしましょう!

2005年12月 5日 (月)

地域研究VIII

関西外大のみなさん!北欧の世界遺産に関する講義の2回目イェリングとビルカに関する講義ファイルを一応アップロードします。

第9回 「イェリング(デンマーク)とビルカ(スウェーデン)」をダウンロード

とはいえ、今日の講義では前々回の世界遺産の概要に関するファイルと「森の墓地」に関するファイルを用意してください。

それでは、3時間目の授業でお会いしましょう!

関西外大の皆さん!今日(12月5日)の世界遺産の講義で、ついつい勢いで話しをすすめてしまった「アルタの岩絵(ノルウェー)とターヌムの岩絵(スウェーデン)」「ウルネスの木樽教会(ノルウェー)とロスキレ大聖堂(デンマーク)」のファイルをここにアップロードしておきますので、復習に活用してください。

補足1 「アルタの岩絵(ノルウェー)とターヌムの岩絵(スウェーデン)」をダウンロード

補足2 「ウルネスの木樽教会(ノルウェー)とロスキレ大聖堂(デンマーク)」をダウンロード

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