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2005年10月12日 (水)

ワーグナーを聞きながら…


なんでこうなったのだかわからないのですが、10月に入ってからというものいろいろな仕事が重なって、おそらく僕の人生史上もっとも忙しいと言っても過言でないほどの日々を過ごしています。毎日キーボードに向かっては、明日に使う資料や書類をガシガシと作り続けています。ほぼ毎日のように、何か提出を求められている書類があり、終わりは全く見えません…。ダブルブッキングもなく、よくやっているなぁとその日を振り返って反省しています。なんだかそうした作業が快感にまで思えてきた今日この頃ですが、延々と続くそうした作業を最近の僕はワーグナーを聞きながら片付けていっています。特にワーグナーが好きだという訳ではないのですが、僕の音楽生活にはムラのようなものがあって、それは数ヶ月周期に訪れるのですが突然特定の作曲家を集中して聞きたくなるのです。例えば去年の今頃はバッハ、バッハ…だったと思うのですが、なんだかここ数週間はワーグナーばかりですね。彼の楽劇のうねりまくる音の流れに身を任せながら、仕事をしています…終わりの見えない今の僕の仕事の状況がワーグナーの巨大な楽劇を求めさせているのかな。


で、ワーグナーなんですが、ここ数日は『ニーベルングの指環』ばかり。先ほど、あらためてドイツ中世の叙事詩『ニーベルングの歌』と『指環』との内容をぼーっと比べながら休憩していたのだけれども、後者がワーグナーの創作だから当然と言えば当然なのですが、あらためて後者には北欧神話の影響が色濃いのだなぁと実感してました。『歌』には登場するはずもない神々がでてきますし、最後はもろラグナロクですから…。ワーグナー自身はどうやら17世紀にノルウェーで発見された古エッダを中心に北欧神話を取材していたらしいのですが、そうした北欧神話風のモチーフと中世の騎士物語風のモチーフを絶妙に混交させた『指環』に、僕としてはなんとなく19世紀のゲルマン文化圏とスカンディナヴィア文化圏の相互交渉を感じていました。


19世紀のドイツではプロテスタント国家プロイセンを中心に統一運動が進んだわけですけど、そうしたなかで例えば三十年戦争で自らの命を絶ったスウェーデン王グスタヴ2世アードルフはドイツにおけるプロテスタント信仰を守った英雄、すなわちドイツ統一の前提を守り抜いてくれた英雄として賞揚され、ドイツでグスタヴ信仰が高まったりしています。例えばドロイゼンだとか、トライチュケだとか、プロイセンの有名な歴史家たちがグスタヴ王関連の史料集編纂を進めたり、彼の伝記を執筆したりしています。かたや北欧…とりわけスウェーデンではドイツ・ロマン主義で築かれた古ゲルマン世界のイメージに仮託するかたちで、今僕らが思い描くようなヴァイキング・イメージが想像されても行きます。ナショナリズムなんていう考え方が一体ヨーロッパのどこから生まれていったのかは定かではありませんが、一般的に考えられているようにフランス革命とナポレオン戦争以降それが西欧発で普及したとするならば、そんな西欧生まれの思考の枠組みを横領しながらも、しかし西欧とは違った価値観をもった文化・社会集団を構想するなかで19世紀のドイツと北欧の文化的交渉が進んでいく。イングランドのアーサー王信仰やスウェーデンのゴート主義などのように、どんな地域でも古い歴史の記憶を援用しながら今ある権力を正統化して、自己理解を築いていく動きが見られましたが、19世紀も半ばくらいになるとアングロ・サクソン流の価値観に相対する価値観として、「尚武」だとか「清貧」だとかいうようなゲルマン流と構想されていった価値観が賞揚されていく。そうした歴史の流れのなかに今聞いているこの『指環』に見られる北欧的モチーフの援用という事例もあるのだろう…と、今晩はスウェーデンの火酒Läcköを飲みながら、何気なく考えています。(ふふふ…このアルコール度数38%の透明に澄み切ったアクアヴィットは日本ではまず手に入らない代物。キンキンに冷やしてトロトロになった火酒を口に含む幸せは、何ものにも代え難い魅力がありますな。)


もちろんこうした考えには留保が必要であって、例えばデンマークはここで語っている二度のスレースヴィ戦争(後者はシュレスヴィッヒ=ホルシュタイン戦争と言ったほうが通りが良いですかね)でドイツと決定的に対峙するわけで、そうしたことを考えるとゲルマン流の価値観を共有する形で文化的交渉を進めたのは広義のスウェーデン(同君連合下のノルウェーも含むという意味で)とドイツということになる。こうしたドイツとの文化的交渉を考えると、北欧史の文脈で言われるところのスカンディナヴィア主義(…19世紀にあって一なる「北欧」民族を求めた文化的・政治的運動を言いますが…)がなぜ挫折したのかという問題は、政治・外交上ドイツとのスレースヴィ戦争にデンマークが敗北したという説明以外にも、文化的なレベルでの氾ゲルマン的価値観に応じたか、否かという観点からも説明できそうな気がしています。(そう…北欧、北欧とよく十把一絡げに語られるけれど、少なくともデンマークとスウェーデンの違いには意識的になるべきです。)


別に最近忙しいから「たそがれ」を感じてこんな独り言をかいているわけではありません。ラグナロクのあとには新たな光の世界が到来するように、『指環』は自分自身の次の仕事のステップを想像させる刺激に満ちているのです。誰か北欧の観点から『指環』解釈を進めるような人は出てきませんか…応援しますよ。

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コメント

こんにちは。毎回楽しく読ませていただいております。パソコン関係はメカに弱い僕にはチンプンカンプンですが・・・

今回の記事、面白いですね!
ヒトラーがワーグナーに心うばわれたのも象徴的かもしれません。ところでゲルマン流の文化的価値観を共有して交流したのが広義スウェーデンとドイツだけなのか、そしてスリースヴィ戦争でデンマークがドイツと(心情的に)徹底的に対峙したのは事実でありますが、本当に彼らの実践が「ゲルマン的なもの」と対立したのかは少々怪しいのでは・・・と個人的に思っています。どうでしょう。
たとえば、フォルケホイスコーレ運動などでも教師たちは口々に「Kampen mod Tyskheden」をデンマーク・フォルクとしての市民や農民に、そして時にはスウェーデン人やノルウェー人たちに唱えていくわけですが、そうした彼らが実践していったことそれ自体は、当時のドイツにおけるフェルキッシュな実践とかなり似ている。例を挙げれば「射撃・体操」です。後にニルス・ブクがデンマーク・ナチズムの代表例になってゆくのは有名です。以前、ジョージ・モッセの『フェルキッシュ革命』を読んだのですが、デンマークのいわゆるfolkelig bevaegelseとかなり共通していたのに驚いた覚えがあります。グロントヴィ主義者などの当時の知識人が、「Kampen om Tyskheden」を主張して農民や市民を啓蒙(Oplysning)し、「デンマーク的なもの」を称揚しつつも、それ自体がドイツ知識人の持っていたような、ゲルマン的文化の価値観につながる意識も保持していた、と考えることも可能だと考えています。もっともスウェーデンの場合をよく知っていないのですが、ここでデンマークとドイツの「ゲルマン的な文化的価値観」をスリースヴィ戦争で切断してしまうと、後に出てくる「デンマークナチズム」が何かドイツのナチズムから乖離したものとなってしまう恐れがあるのでは。(デンマークのフォルク概念に僕が関心あるのはこの点に興味があるからですが)

長々と勝手な感想を述べて申し訳ありません。本来スウェーデン・ドイツの文化的交渉を知らない僕がコメントするのはイカンのですが、事実まったく的外れの可能性もあります。そのときは日本シリーズを前に興奮している一市民がコメントしたものとして、大目に見てください。
では

たぶちくん、ご無沙汰してます。まぁ、今回のワーグナーの発言は、仕事三昧でドーパミン放出中の身にアクアヴィットを注入した勢いで書き殴った思いつきと理解してください…。まぁ、今回の発言はあくまでも『指環』が書かれた19世紀半ばから後半…つまり政治的スカンディナヴィア主義の「たそがれ」の時期の話に限定していますから、デンマーク・ナチズムまでのことを対象とはしていません。とはいえたぶちくんの指摘は鋭いところを突いていると感じています。例えば前にもこのブログで指摘したことですが、同時代のデンマーク文化人の代表選手ともいえるアンデルセンの国際的評価は、デンマークと対峙していたドイツではじまりましたしねぇ…両者の関係はただ断絶とかいうように片付けられるものではないことは確かです。まぁ細かい事例を挙げていくときりがないのですが、歴史的にデンマーク・アイデンティティは、中世も近世もドイツなるものとの近親憎悪的な関係において築かれてきた経緯がありますよね。で、僕自身大切なことと考えているのは、思考の枠組みとなっている部分とその枠組みに依拠して作られた思想の内容は峻別してとらえるべきということです。だいたいナショナリズムだとか、ファシズムだとか、そうした枠組みは似たようにどの地域にも観察できるのだけれども、その内実は各地域の実情に応じて異なっているってことです。その機微を感じ取ることが地域研究の醍醐味ってところでしょうか。

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