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2005年8月26日 (金)

グロテスクな教養


今日僕の研究室のお隣の同僚の先生に久しぶりにお会いして、彼女がなにやらニヤニヤしながら「とても面白い本を読んだのよ」と紹介してくれたので、そのまま生協書籍部に行って即購入して読んでみたのが、高田里恵子著『グロテスクな教養』(ちくま新書)。


はい…一気呵成に読み切りましたから、最近の啓蒙書の類では個人的に面白かったものですね。で、まぁ…ニューアカ批判とか、出版業界批判とか、納得させられた部分も多いわけですが(ご説ごもっともな部分は多かった…著者自身もそうした世界に身を置いている人間だからとても自虐的な批判に満ちた内容なわけですが…)、個人的には「教養あるいは「男の子いかに生くべきか」」に関心をもちました。なぜならばそこに語られていたことは僕自身そのもののことだと感じたから。


この本のとびらに「(受験の勝者は)自分がたんなる秀才、たんなる勉強ができるだけの優等生ではないことを、自分自身にも他人にも示さなければならない」とありますが、僕はそうした切迫した使命感みたいなものと格闘しながら自虐的な日々を過ごしてきたと思います。「未だにそんな生きる化石みたいな人がいたの?」と思われるかもしれませんが、茨城の片田舎で生まれたちょっとばかり勉強のできた少年は、常に東京(中央)の文化的にも経済的にも生まれながらのエリート…に対するルサンチマンで「負けたくない」という気持ちが強かったことは告白しておかねばなりません。いつも「かっこつけたく」てがむしゃらだったわけです。


でもそうした態度にかっこわるさを感じたり、今となって恥ずかしさを感じるようなことはありませんねぇ…。軽やかに知的な言説をふりかざすばかりがのうじゃない…泥臭くたって本質を掴んでいれば恐れるに足らず。むしろ戦前の教養文化の残り香を水戸や駒場で吸った自分は、(…それこそ僕の人格陶冶の出発点には「君たちはどう生きるか」があった!…)ちょっとやそっとの批判には動じない「図太い」人格が陶冶されたように思います。この新書に見られるような教養主義批判はいろいろと出てくるとは思いますが、それ自体あまりたいした批判には思えません。こうした批判には「それで、なに?そんなの当たり前でしょう?」と、ちょっと確信犯的に高踏的でいられる余裕さえあります。ありがたや、教養主義。


僕個人としては、むしろこの本のなかで描かれていない最近の東大生に見られる新たなエリート意識の勃興…すなわち戦前の教養主義に裏付けられたエリート意識とは全く異なる…「ドラゴン桜」なんかにみられるような、受験に勝ち残ればそれで「社会の勝ち組」にまわれるといったような薄っぺらなエリート志向の台頭に危惧を抱きますが。

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