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2005年6月25日 (土)

日本とデンマーク

僕はもともと東夷だから、決して在原業平のように「東下り」とは言いませんが、今月二度目の上京です。先週末も京都でハプスブルク史研究会に出席していたことを含むと、今月はほぼ毎週末研究会に出席していたことになります。今日は久方ぶりにバルト・スカンディナヴィア研究会に参加して、早稲田大学の村井誠人先生のお話に勉強させてもらおうと思います。今回のテーマは「日本デンマークについて」ということで、昭和初期に我が国の農村改革の実験場の一つとして知られた“日本デンマーク”こと三河安城について話がある予定です。

内村鑑三の『デンマルク国の話』に代表されるように、デンマーク、とりわけ第二次スリースヴィ戦争(一般的にはドイツ史の観点からシュレスヴィッヒ=ホルシュタイン戦争といったほうが通りが良いですね)後のグロントヴィ主義に基づいたデンマーク農業社会の在り方(例えば農民教育を目的とした国民高等学校や農業生産組合など)と「外で失ったものは内で取り戻す」という精神は、第二次世界大戦以前の日本に大きな影響を与え各地にデンマークに学んだ生産組合や国民高等学校の実現を目指す運動が盛り上がりました。三河安城の場合には、『デンマルク国の話』にあるダルガス父子よろしく愛知県立農林学校を基盤に農村の青年教育運動が進められます。

僕の田舎である茨城でも、内原町というところに加藤完治という人物の指導で戦前の拓務省による内原(満蒙開拓青少年義勇軍)訓練所が作られ、主に満州植民を目的とした青少年教育(これは農業だけではなく「義勇軍」ですから軍事教練も目的として)が行われました。加藤は戦前にあって満蒙開拓を主唱したイデオローグとしても知られ、この内原訓練所で「皇国精神」、「武道」、「農業」を教育され、満州へと巣立った8万人とも言われる満蒙開拓青少年義勇軍の青少年たちの多くは、ソ連参戦によりその多くが戦死するという悲劇的な結末を迎えました。従ってこの内原訓練所は、戦前の日本における国民精神総動員運動の一翼を担いながら植民地経営を支えた組織との評価が一般的です。

この組織を主唱した加藤自身の思想的基盤がデンマークのグロントヴィ主義に由来しており、彼がその思想を同時代の雰囲気に応じて独自に“横領”したとはいえ、内村訓練所の前には内原町の隣にある友部町で日本国民高等学校を開いていたと考えたとき、我が国におけるデンマーク受容、あるいはグロントヴィ主義受容が本来内村鑑三が伝えたかった精神、すなわち「外で失ったものを内で取り返す」という精神とは大きくかけ離れたところで矛盾を来した事実に、そうした歴史を背負った今の日本に生き、北欧を研究している自分(しかも茨城出身)は、いつも精神の分裂を来す寸前の複雑な感情を抱きます。

さてこれが三河安城を例とした場合には、どのように解釈されるのでしょうか…楽しみです。

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